2018年12月31日

ボヘミアン・ラプソディ/BOHEMIAN RHAPSODY 3回目

 というわけで行ってきました、3度目の『ボヘミアン・ラプソディ』。
 もう泣かないで全編心の中でノリノリで観よう!、と決意。
 でもオープニングの“Somebody To Love”の途中で目が潤んじゃった・・・(結局、また泣いてしまった)。
 同じ列の人と席が結構あいていたので、途中、“We Will Rock You”のリズムのステップ踏んじゃった!

  ボヘミアン・ラプソディP.jpg 8週の間に3回観ることになるとはね・・・。

 円・丸のモチーフが繰り返し使われている、と改めて感じた。 それはゴールドディスクでありバンドという仲間、そして家族のつながりでもあり。 つくづく、血縁ではない人たちが<家族>になるという話、あたし大好きなんだわ・・・と思い知る。
 じわじわと、観るたびにジョンの地味なキュートさにやられています。
 でも場面ごとのキーになる台詞はジョンが発しているのよね。 台詞が少ないように感じても、印象が弱くならないのはそのせいか。
 ロジャーはやっぱり喋る声が高いよ! 『メアリーの総て』のポリドリとの違いに改めて愕然。

 <ライヴ・エイド>のシーン、一回目のときは「観客のほうを映しすぎ」だと思いましたが・・・世間的にクイーンはもう終わったとされていたあの当時、“Bohemian Rhapsody”のピアノのイントロで観客大喝采・“Radio Ga Ga”でのみんな揃った手の動き・“Ay-Oh”で頂点に達するコール&レスポンスを示すためには観客描写(バーでテレビを見ている人たち含む)は必要だったのではないかと。 あの一体感を引き起こすステージアクトだから伝説なのだとわかるし、あの体験はクイーン自身を救ったのかも。
 じゃあそれ以降は客席映さずとももういいんじゃないかと・・・でも、盛り上がる観客を映し続けるからこそ“We Are The Champions”の<WE>が<世界中のわたしたち誰もが>という意味として伝わるのではないか。 それこそがアフリカ救済を目的とした<ライヴ・エイド>のステージ最後の曲としてふさわしいと彼らが考えた意味ではないか。
 あぁ、「<ライヴ・エイド>に参加したつもりにさせてほしい」というのはあたしのエゴでした。 ほんとすみません。
 フレディ亡き後、ゲストヴォーカルを招いてツアーを続ける、という決断をしたブライアンとロジャーはそうすることでフレディを忘れまいとし、フレディのいないクイーンにいることはできないとジョンは引退したのかもしれない。 どちらが正しいカタチとかではなく、フレディを思うが故のそれぞれの決断だったのかもしれない、ということもこの<ライヴ・エイド>の場面で実感。 つまりこの映画には1985年までのクイーンだけでなく、2018年現在のことも含まれていたのだわ〜。
 はぁ、観るたびにいろんなことを考えちゃうな〜。 クイーンの音楽の力はすごいなぁ。
 エンドロールの“Don't Stop Me Now”・“The Show Must Go On”に対訳をつけてもいいのにつけていないのは、タイトル部分の英語なら観客意味がわかるからなのか、フルコーラス流れていないからなのか、そこは観た人たちが自分たちで探すことでこの映画だけで体験を終わらせないためなのか、どうなんだろうなぁ。

 「3回も観に行くなんて、よほどいい映画なんでしょうね」と言われました・・・。
 いい映画、と言われるとちょっと違うかも・・・映画としては展開はベタだから。 特にまったく新しい何かがあるわけでもないし・・・でも編集が見事で、音楽の使い方が素晴らしく、役者のみなさんが熱演!
 <映画史に残るような名作>ではないかもしれないけど、とにかくあたしが好きな映画です!
 そう、映画というより体験に近いんだよなぁ、ライヴを観に行っているみたい。 だからこそ自宅ではなく会場で、という気持ちになるのでしょう。
 行った人がリピーターになり、リピーターが行ってない人を巻き込む。 この現象はそうやって続いている。
 これがあたしの今年最後の映画となりました。 これでよかった!
 でも1月になってもこの勢いは弱まらないだろうから・・・また行ってしまうかもしれん(汗)。

posted by かしこん at 16:22| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月30日

今年最後の買い物は・・・

 マグカップだけじゃなく、トートバッグまで出たんですけど!
 あ、『星を継ぐもの』100刷記念グッズのことです。
 最近、自分が大きいカバンばかり持ってしまい、小さいサイズのカバンの出番が少ないな、ということで意識して小さいカバンを使うようにしていて・・・それでも持ち物全部は入らないのでサブバッグの二個持ちをしております。 でもそうなるとサブバッグにもバリエーションがほしいと感じている今日此頃。 いや、ほどほどサイズで使い勝手のいいキャンバストートがあるのですが、使い込みすぎて持ち手と本体の接続部の糸がほつれてきたのですよ・・・手縫いで修理が難しい!
 だから・・・買うか! ¥2,160−。

  星を継ぐものトートバッグ2.png どうせならもっと大きくプリントしてほしい。
 コットン地なので、缶バッジなどをつけたりするのに抵抗はないかな〜。
 A4サイズ余裕で入るし、サブバッグとしていいサイズ。 エコバッグにしてもいいけど・・・それはまだもったいない。 すごくくたびれてきたらそうなるかも。 外に出るのは、年が明けてから!

ラベル:カバン
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2018年12月29日

メアリーの総て/MARY SHELLEY

 えっ、メアリーってメアリー・シェリーのこと?!、とチラシ見て盛り上がる。 しかもエル・ファニングで、だなんて楽しみ〜。
 子供の頃、古本屋に並んでいた新潮文庫版の『フランケンシュタイン』の著者は<シェリー夫人>だったんだよなー、「え、ファーストネームわかってないのか」と思ったらそういうわけでもなく・・・今ではちゃんと<メアリー・シェリー>表記になっているから、なんだかんだいって世の中は変わってきているのですね。 解説にはバイロン卿の別荘での恐怖譚コンテストのことが書かれていたのをざっくり覚えています。 昔、『ゴシック』という映画もありましたよね。

  メアリーの総てP.jpg 「不幸」に抱かれ、「死」に口づけられ、世紀の傑作を産んだ。
   19世紀、イギリス。可憐で聡明なメアリーが世にも恐ろしい怪物を誕生させるまでの哀しくも美しい人生とは――?

 自分を産んだために母親が死んだことを罪悪感とともに背負っているメアリー(エル・ファニング)は怪奇小説に惹かれ、自分でも書きたいと思っている16歳。 父親と義母、母の違う妹クレア(ベル・パウリー)とロンドンに暮らしていたが、義母と折り合いが悪く、スコットランドの親戚の家に身を寄せた。 そこで詩人のパーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会ってお互い恋に落ちるが、シェリーには妻子がいて二人の恋は周囲にとがめられたために駆け落ちし・・・という話。
 オープニングクレジットにベン・ハーディの名前が。 おや、それは『ボヘミアン・ラプソディ』のロジャー役の人? 主要キャストではないようだがどこに出てくるのだろう?、とドキドキしながら見てしまった。

  メアリーの総て3.jpg パーシー・シェリーは世間知らずで自分勝手のボンボンだ。
 スコットランドで自由を知ってしまったからなのか、すでに著作を出版している若き天才詩人に目が眩んだのか、そういう人が自分を選んだことによろこびを感じてしまったのか、メアリーはあっさりシェリーに好感を持ってしまうのがなんだかな。 あぁ、『アリー/スター誕生』の後遺症か、<その恋愛に美しさがあるかどうか>を意識的に考えてしまっている!
 とにかく、エル・ファニングがとてもかわいい。 この時代の服が似合う! しかし「かわいい」と言ってしまってはいけないな・・・という成長ぶりも感じた。 『スーパーエイト』や『ベンジャミン・バトン』の頃を思うとすっかり大人になりましたね・・・。

  メアリーの総て2.jpg 妹のクレアは『ロイヤルナイト』でも妹役だった人。
 シェリーとの関係よりも、メアリーとクレアの関係のほうが興味深かった。 19世紀、女性には職業選択の自由なんかない時代ですよ、仲のよい義理の姉妹って・・・依存するよね。 でもずっと二人だけでいられるわけもなく・・・男性が現れることでクレアのメアリーへの気持ちが愛憎半ばしていく感じをもう少し掘り下げてもらってもよかった(才能がないほうは、自分のことよくわかっているし)。 この時代の若い女性のことが主題なのだろうと思うから。
 ボンボンのシェリーが無計画なお金の使い方をしていても、お金は大丈夫なの?と聞くことすらできない(思いつかない)のだから、誰と結婚するかで女性の人生が決まってしまう哀しさ・・・それでもメアリーは自分で選んだ相手だから、という覚悟があるけど。

  メアリーの総て1.jpg バイロン卿の別荘、右から二人目がベン・ハーディ。
 そして運命の<ディオダティ荘の怪談談義>。 スイス・レマン湖のほとりにある屋敷に滞在中、雨が降り続いて外出もできないため退屈をまぎらわせるために各々が怪談を書いて発表しよう、とした試み。 『フランケンシュタイン』の解説から感じた印象では、滞在中の2・3日で書き上げたのかと思ってたんだけど・・・この映画では自宅に戻ってからも書き続けられてようやく完成、ということに。
 言い出したのはバイロン卿(トム・スターリッジ)なのに彼は何も書かず、生まれたのは『フランケンシュタイン』とジョン・ポリドリの『吸血鬼』。 文学史に載ってる出来事だよ!
 そのジョン・ポリドリがベン・ハーディだったのである!
 若き医師ポリドリは憂いを含んだ表情に低い声、髪は短いし黒く、すぐにはロジャーだと気づかなかった。 顔がアップになって目のクリクリ具合でやっとわかる。 だって声、低くてロジャーと全然違うから・・・でもそれは演技力故ってことか。 オープニングで名前に気づかなかったらわからないままだったかもしれない。 気づいてよかった!

  メアリーの総て5.jpg 書くときは一人。
 「書きたい」という気持ちはあれど、書くことは自分の中にあるすべてを、自分でも覆い隠してしまいたいこともすべて出してこなければならず、かといってそのまま書いても怪奇小説にはならないから、感情を昇華させて別な形にしなければ。 メアリーがシェリーに出会ってからの数年で経験してしまったいくつもの悲劇は彼女の人生観を変えてしまうほどの出来事だったから・・・余計に<創作の苦しみ>は想像に難くない。
 でも、やっと書きあがっても若い女性の名前では出版してくれるところが見つからないという・・・ほんとにつらい時代だなぁ。 しかしこういう生きづらさが21世紀の現代にも形を変えつつもまだ続いているのも事実で。 どんなに頑張っても、男の手を借りなければ事態が進まない、でも手を借りられたらあっさり進んじゃう!、みたいな理不尽ね! 監督も女性ということで、女性の問題はしっかり描かれている。

  メアリーの総て4.jpg 『フランケンシュタイン もしくは現代のプロメテウス』
 メアリーは匿名を条件に出版契約を結ぶ。 とにかく出版されることを優先にした、というあたりにメアリーの多少世慣れた、理想を語ってばかりはいられない・清濁併せ呑まねば、という成長を見る。 出版社との交渉を全部一人でやり、続々断られ続けても別の出版社を探すバイタリティとエネルギー、パワーをメアリーは身につけた(この時、メアリーは18歳らしい)。 しなやかに強くなっていく過程で、映画もメアリーが率先して引っ張っていくように、エル・ファニングもまた主演女優として君臨していく。
 避妊の知識があるわけはなく、女性が子供を産んだとて男性側は結婚するとは限らず、養育費だけ払って終わりというのが当たり前の時代。 クレアもバイロン卿の子を妊娠するも、養育費コース。
 怪物の孤独や居場所のなさは、当時の女性たちがぶつかることになる感情そのものなのだな、と切なくなってしまう。 でもそれが今も読まれ続け、怪物は作品の枠を超えて存在するということが、『フランケンシュタイン』が人間の本質を描き出しているからなのね。
 でも女性は「生きる」と決めたら強くなるみたいで・・・逆にポリドリの<その後>が悲惨すぎて辛い。 今では『吸血鬼』はポリドリ名義になっているけれど、日本では絶版だよ・・・。
 19世紀は遠くて暗い。 その時代がいいというわけじゃないけれど、23世紀ぐらいから21世紀はじめを振り返ったらどう思われるのかしら・・・と考えてしまった。

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2018年12月28日

アリー/スター誕生 /A STAR IS BORN

 先日の『ボヘミアン・ラプソディ』2回目のとき、満席の会場にて“SHALLOW”押しの特別編集予告編が流れて・・・「おぉ、じゃあ次は『アリー』観なきゃ!、って思わせる流れか!」と感じ・・・今回、ネットで前日に座席予約して映画館に到着。 ロビーが人であふれていたので「やっぱり『アリー』混んでるのか!」と焦ったけれど・・・その人たちはほとんど『ボヘミアン・ラプソディ』のお客だった・・・えっ、『アリー』、こんなに閑散としてんの! 公開最初の3日間じゃないから?
 『ボヘミアン・ラプソディ』も公開一週目はかなり余裕あったんだよね、それでも通常のレイトショーに比べればお客は多かったのだけれども。 どうしたんだ、『アリー』、『ボヘミアン・ラプソディ』に食われているぞ!

  アリー スター誕生P.jpg 歌って、恋して、傷ついて――私はまた生まれ変わる。

 世界的人気シンガーのジャクソン(ブラッドリー・クーパー)はスタジアムライブ終了後、酒を求めてドライバーにバーを探させる。 その店で歌うアリー(レディー・ガガ)と出会い、彼女の歌声と彼女がつくる歌に魅了され、そこに自分の癒しや安らぎを見る。 だがアリーは過去に何度も売り込みをしたが「曲はよくても君の顔がね」的なことを言われ続け、メジャーなショウビジネスの道に複雑な思いを抱いており、ウェイトレスとして働いてはいるがそれでも音楽はやめられない自分に困惑している。 そんなアリーにジャクソンはスターへの階段を用意するが・・・という話。
 正直、「・・・あれ???」という感じ。
 なんか、期待していたのと違った・・・のかな。 「どうしよう、全然入り込めない」と最初の方から焦ってしまった。
 別に感情移入できなくても面白いものは面白いのだが、なんでだろう、なにが合わなかったのか? じっと考えることになってしまった。

  アリー スター誕生4.jpg アリーはなかなか夢を実現できない人かもしれないが、友だちもいるし決して孤独ではない。
 『スタア誕生』、4度目のリメイクであることは承知しているので物語が型通りなのはわかっている。 ブラッドリー・クーパー初監督作品として、映画監督としてのクリント・イーストウッドのフォロワーだと示すリアルタッチ・直接表現は避ける手法でがんばっていたのもわかる。 音楽も悪くないですよ、最もよいのは“Shallow”(でも思ったより音楽が本編に占める割合が少なかった)。
 が、ブラッドリー・クーパー演じるジャクソンを見ていてあたしの脳裏に浮かぶのは『クレイジー・ハート』のジェフ・ブリッジス。 思いのほかブラッドリー・クーパーが歌がうまくてびっくりしたが、カントリーシンガーだと感じたので余計か(本編ではジャクソンの音楽ジャンルには触れていない、ロックなのかと思わせる部分はあれど)。 酒や薬に依存しがちなところも一緒だし。
 なんだろう、アリーのくすぶっている部分の描写がもっとあったほうがよかったのかな(お金で苦労してるんだろうけどあまりよくわからなかった)。 そのほうが、スター街道を進む彼女がより輝くし。
 いや、違うな。 あたしには二人の恋愛に美しさを感じられなかった。 原因はそこか!

  アリー スター誕生1.jpg 楽器と歌を挟めば、二人は自然なのだけれど。
 アーティスト故の感受性のせいかもしれないけれど、アリーもジャクソンもお互いに本音は言わない。 相手の言葉(それも勿論直球ではない)に自分のいいたい言葉を飲み込んで別の言葉や話題を選ぶから、二人の会話が退屈に聞こえてしまう。 お互いの相手への愛情のピークがかみ合っていないような感じはリアルなんだろうけど、<愛し合う二人>が前提の物語ではブレが大きく見え、「え、結局、いちばん大事なのは自分自身ってことでは?」って思えてしまう。 相手を愛しているけれども自分を愛している、という“普通のこと”になっちゃってる。
 虚構の中だからこそ、自分よりも相手を愛しているという幻想を見たいのですよ、あたしは!

  アリー スター誕生3.jpg <家族の問題>を解決できない大人たち。
 ジャクソンは兄(サム・エリオット)との微妙な確執を抱えていて、アリーは父親(アンドリュー・ダイス・クレイ)から自分の果たせなかった夢を託されていたり・・・と、家族の呪縛にとらわれている、というのが現代的なんだろうな、とは思うんだけど。 ここを乗り越えたり整理したりしないと自分の家族を持つのは難しい、ということなのかなぁ。
 いろいろとすっきりしないことはあるのだが、アリーとジャクソン二人だけのシーンよりは他の誰かが出てくれるとホッとする。 退屈というか、閉塞感から逃れられるから。 特にサム・エリオット、よかったなぁ。
 だけどジャクソンは何故かたくなに補聴器をつけることを拒むのか。 ステージ上ならば「自分の声しか聞こえなくなる」という理由でわかるのだけれど、日常生活なら別によくない? それとも普段から補聴器に頼ってしまったらステージで外したときにより落差を大きく感じるから?、と予測はできても、はっきりした理由がないのでただ自分の世界を変えたくないワガママ男に映ってしまうんですが・・・。

  アリー スター誕生2.jpg 二人の場面でも音楽があれば耐えられるのだが。
 <衝撃のラスト>と言われている(?)シーンは、確かに<スター誕生>を表現したところではあるが。
 アリーもジャクソンを愛している、というよりも、「ダメ男を支える自分」に酔っていたのではないか。 そこを乗り越えて次の段階へ進んだ(と自分も思い込んでいる)からシンガーとして別の次元へ覚醒した、みたいに思えて・・・ごめん、全然泣くどころじゃない!
 あ、これは今年の音楽映画に対するあたしの思い込み?
 『グレイテスト・ショーマン』も『ボヘミアン・ラプソディ』も、登場人物たちの物語でありながら<理不尽に迫害される少数派>への思いやりや共感にあふれている。 勿論音楽自体もよかったし、だから余計に胸に迫った。 そういうものを期待していた?
 でも、『アリー/スター誕生』はアリーとジャクソンの物語であって、それ以上でもそれ以下でもない。
 多分、普通ならそれでいい。 実際、大絶賛している人たちもいるし、「アカデミー賞最有力」とか言われているし。 でも個人的に<音楽映画>として期待して見てしまうとそれでは物足りないのだ。 バーで出会う、という同じようなシチュエーションなら『はじまりのうた』のほうがぐっときたし!
 ・・・うーん、これが今年最後の映画になるのは納得いかないな!
 もう一回『ボヘミアン・ラプソディ』、行くか!

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2018年12月26日

いつだってやめられる 闘う名誉教授たち/SMETTO QUANDO VOGLIO

 なんにも知らず『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』を観てしまったあたしは焦った。
 「これって三部作の二本目だよね?!」
 エンディングで完結編の予告を見せられて唖然・・・話、全然まとまってないし! そういうことを事前に告知しない配給会社の根性も大したものだと思ったが、完結編がちゃんと公開! めでたい! でもシネ・リーブル神戸では一週間限定公開(しかも一日一回)なのだ・・・はいずって観に行けば、けじめをつけたい方々が結構集まっており、盛況。 前作を(人によっては一作目も)観ている人たちばかりだったようで、観客のノリもいいよ!

  いつだってやめられる 闘う名誉教授たちP.jpg 集結!団結!完結!
   文句なしのグランドフィナーレ。落ちこぼれ教授たちの最後の名誉挽回劇。

 合法ドラッグの成分をはっきりさせ、違法ドラッグ認定を増やすために仲間たちといろいろやっていた神経生物学者のピエトロ・ズィンニ(エドアルド・レオ)は、ある人物が危険な神経ガスを生成し、テロを計画していることに気づいた。 だが、ピエトロの話を誰も信じようとはせず、仲間たち(それぞれみんな専門を持つ学者・研究者だが、経費削減のあおりを受け失業中、ピエトロの話に乗った)とともにバラバラの刑務所に収監された。 警察や関係者に訴え続けていたピエトロだが、結局信じられるのもテロ計画を止められるのも仲間たちしかいない、と法学者で弁護士のヴィットリオ(ロザリオ・リスマ)に、みんなを同じ刑務所に集めるさせ、集団脱獄をすることに・・・という話。
 計画者のヴァルテル(ルイジ・ロ・カーショ)側からの描写と、1・2作目からの場面を織り交ぜて、やっと2作目のラストシーンに辿り着くまでのオープニング、結構あったな・・・おかげで時間軸は整理できましたけど。

  いつだってやめられる 闘う名誉教授たち1.jpg イタリアの法律はよくわかりませんが、全員有罪を認めるということで同じ刑務所に集合!
 まぁ全員集合してくれないと話は進まないんだけど。 でも彼らを見てなんだかうれしくなってしまった。 ちょっと懐かしいというか、「また会えましたね!」的な盛り上がりというか・・・どうやら彼らに愛着を覚えていたらしい。 しかももうみんないるので、新登場した誰かにズームアップする必要がなく、学者という名の専門バカたちの<正確さと詳細さにこだわるが故にどんどん本筋を外れていってしまう会話>を見ていられるのが楽しい。 この連作の面白さは、“不遇な研究者たち”の悲劇を喜劇として描いたところにある。

  いつだってやめられる 闘う名誉教授たち5.jpg 味のある新キャラも登場しますが、立ち位置が違うのでキャラはかぶらず。
 脱獄話がメインになってないかい・・・いや、面白いけど。
 この無茶な感じがたまらない。 無理矢理、強引、そんなバカな!、なノリがすべて、みたいな。 こういうイタリア的ないい意味でのいい加減さ、好きだ。
 前作ではオアシスが効果的に使われていたけど、今回はコールドプレイだったのにもニヤニヤ。 音楽も楽しい!

  いつだってやめられる 闘う名誉教授たち4.jpg 目的のためにはアリアも歌うペトレッリ。 ていうか歌えるんだね・・・。
 お笑い担当は主にこの人、かと思っていれば、実はみなさんバランスよく面白いという。
 しっかり底支えをしているから、ピエトロの自分探し(実は気弱で押しの弱いタイプなのに、一連の件でリーダー役をせざるをえなくなって、前に出ることを身につけられるようになった、的な)も自然な描写に。

  いつだってやめられる 闘う名誉教授たち2.jpg いちばん危ない橋を渡っているのは、実はヴィットリオではないかと思う(刑務所には入ってないけど)。 その分おいしいけど。
 喜劇的な悲劇として扱われてきた研究者の末路に、最後にかなりの悲劇をぶち込むことで問題の根の深さを感じさせる余韻。 そして自分はひどい目に遭ったけど、今学んでいる学生たちにそれは関係ない・むしろ学生たちの未来は閉ざしてはいけないと感じる人としての真っ当さ(たとえそれが、過去の自分へのノスタルジーから出た者であったとしても)、に、あたしは胸を打たれましたよ。
 もうちょっとスキっと明快なラストシーンでもよかったのではないか、と思ったけれど(希望や美しさは感じるが)・・・まぁこんな微妙なグダグダ具合もこのシリーズにはふさわしいかも。 今年のうちに完結編が観られて、よかったです。

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2018年12月25日

ヘレディタリー 継承/HEREDITARY

 サンダンス映画祭で「ホラーの常識を覆した最高傑作」と言われたという話を耳にし・・・是非観てみたかった。
 ポスターや予告編の仕上がりもなかなかよさそうだったし。 まぁ、ホラーは特にあまり期待してはいけないんだけど(期待値でハードルが上がるから)、最近はホラージャンル内でもバリエーションが増えててうれしい。

  ヘレディタリーP.jpg 完璧な悪夢
   緻密に張り巡らされた恐怖の罠。“フィナーレ”まで瞬きさえ許されない。

 家長のエレンが亡くなったグラハム家は、すでにエレンの夫も息子も亡くなっている。 残ったのは娘のアニー(トニ・コレット)とその夫スティーヴ(ガブリエル・バーン)と息子ピーター(アレックス・ウォルフ)と娘チャーリー(ミリー・シャピロ)の4人だけ。 アニーは母親に複雑な感情を抱いていたため晩年はあまり交流がなく、エレンの葬儀には知らない人たちばかりが列席していた。 母親の遺品を整理しながら、過去のいさかいや感情のすれ違いを思い出し、それでも母を亡くした喪失感を覚えるアニー。 だが、そのあと一家には奇妙な出来事に続々と見舞われる・・・という話。 
 意外にも(?)、隅々に張り巡らしていた伏線を全部回収するミステリタッチの展開で、しかしきちんとホラーのマナー(?)は守られているという好みのタイプの作品でした。 キリスト教徒じゃないと本質的なところは理解できないんだろうけど・・・でも見ごたえあり!

  ヘレディタリー2.jpg 残った家族一同。
 ファーストカット、ドールハウス(ミニチュアの家の模型)へのクロースアップから、その部屋が実際の人が暮らす部屋になるところから「おーっ!」となる。 手法としては新しいものではないけど、その見せ方がキレイ。 だから本編の中でその場所が本物の家なのか模型なのかわからなくなる効果がすごく、自分の見ているものがなんなのかわからない恐怖を連れてくる。 もしかして、この世界を俯瞰で見ている者がいるのなら、その違いなど考慮の外ってことだよね、とか。
 また、出てくる人がみんな怖い顔なんですよね・・・(顔のつくりが怖いのではなく、表情が怖い)。

  ヘレディタリー3.jpg チャーリー、顔は特殊メイクをしていると思うが(目のまわりがくりぬかれたマスクをしているように見えるんだけど)・・・貞子的アイコンになりそうなポテンシャル。
 「登場人物、みんな壊れてます」感、ですよ。 そんな中、唯一まともそうなのがアニーの夫スティーヴなんだけど、「あなた、ガブリエル・バーンですよね?」とつい念押しをしたくなるほどフツーのおじさんぽくってびっくり。 『エンド・オブ・デイズ』のセクシーな魔王と同じ人か!、と絶句する佇まいでした(でも、やっぱりいちばんまともな人だった・・・)。
 チャーリーがピーナッツアレルギーだと言われれば次に来る悲劇は想像できますが、その想像をはるかに超えたことが起こるので、たいていのことには動じなくなっているあたしもさすがに一瞬目を閉じた・・・マジか、そこまでやるのか。
 またピーターの常に不機嫌なのか鬱々としているのか区別のつきにくい虚ろな空気感にもイラっと来る。 そこは「母親に承認されていない」ことからきていても、アニー自体母親との関係がうまくいっていない人なのであにはからんや。
 ファミリー・シークレット、という言葉をふと思い出す。 家族だけの秘密は、秘密なのかどうか自覚できていないことから始まっている(家の中の細かな出来事は目の前にあること故に、いちいち他人と比較したりはしないから当たり前だと思ってしまう)。 この物語もまた、ひとつの“家族の秘密”なのだ。

  ヘレディタリー4.jpg 燃やしているのは霊らしいですよ。
 なので、グラハム家に関わりを持たない人は安心していいわけですが・・・この映画、結構静か。 扉の閉まる音、床や階段のきしむ音などはっきり聞こえる。 だから後半、今のは映画の中から聞こえた音なのか、それとも映画館で誰かが身動きをして座席がたてた音なのか区別がつかない!、という虚構と現実が同化する瞬間が。 それが素晴らしい!

  ヘレディタリー1.jpg 顔怖い、最終形態。
 とにかくひたすらアニーの表情の動きがすさまじくて、トニ・コレットのすごさを思い知る。
 映画にはすべて描かれていないけれど、生まれたときからアニーに運命づけられていた悲劇がここで爆発した感じか・・・でも救いはないのだが。
 そう、ひたすらに救いがない。 それがホラーの本領発揮ポイントではあるものの、ここまできたらへとへとに疲れ切る。 子供は親を選べないし、その親には環境やら宿命やらもついてくるのだ。 げんなり。
 なのにエンドロールで若い子二人のくすくす笑い、「えーっ、どういうこと〜」というバカにしたようなひそひそ声が聞こえてきたのは残念だった。 お願い、そういうのは外に出てからにして。 大学生っぽかったから仕方ないなぁ、とは思うけど(自分もそうだったのかもしれないし)。 ホラーと笑いって境界がギリギリなところがあるから、現実にあやうさを感じたことのない若者には意味不明なものは全部笑えることなのかもなぁ、とガブリエル・バーンの名前を確認しつつ考えた。
 “HEREDITARY”は「遺伝性の、先祖代々」といった意味だが、『継承』とサブタイトルをつけたセンスは結構よい感じと思う。

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自分にクリスマスプレゼント!

 とはいえ、「自分にご褒美♪♪」という感じではない。 ご褒美を与えてもいいほどのことをしていないので。
 ただ、「普段なら多分買わないが、街がなんとなく浮ついているし、これくらいなら勢いで買ってしまってもまぁいいか」という感じで。

  マグカップ星を継ぐもの1.jpg 『星を継ぐもの』の表紙をデザインにとったマグカップ。
 『星を継ぐもの』40周年記念かと思ったら、<創元SF文庫版100刷記念>だそうです。 増刷かからないものも多い中、こつこつ100刷って素晴らしい! 奥付見て100刷になってるやつ見たら買っちゃおうかしら!
 でもこういうグッズが出ることがまず珍しいから・・・本体はステンレス製なのだけど、持ったらものすごく軽くてびっくりした(マグカップは陶器のものしか使ってきてなかったので)。 しかし保温効果はないという・・・そして思ったより小さい! 容量300mlだって・・・。
 これで、1200円(税抜)はちょっと高いんじゃないの・・・まぁ、落としても割れなそうなところはよし。

  マグカップ星を継ぐもの2.jpg しかしきっちり文字が入ってますよ。
 作者と訳者の名前が入ってる、というのがポイントですよ!
 さて、今日はきれいに洗いました。 まず、何を入れて飲もうかなぁ。

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2018年12月24日

メリー・クリスマス!

 はっ、気がついたら24日なんですけど!
 そんなわけで、街中で見かけたクリスマスディスプレイを掲げてみる。

  201812クリスマス.JPG えーと、確か阪神の神戸三宮駅の西口改札付近。

 昨今は宗教観の違いがあるので<HAPPY HOLIDAYS>か<SEASON’S GREETINGS>にすべきというご意見もありまして、確かにそうだなぁと思うのですが・・・しかし日本のクリスマスはキリスト教に関係なく独自に発達したもののような気がするので、これはこれでありなのではないか、と一周まわって考えてみた。
 今年はまだケーキ買ってないし、鶏肉と大根の煮物を鍋いっぱいつくってしまった。 三連休はそれを食べてる!(具が減ってきたら厚揚げやちくわ・しめじなどを投入、ますますクリスマスから遠ざかっているが、冬至にかけてカボチャも入れました)

 ともかくも、信仰に関係なく、全世界が平和でありますように。 たとえ、短い時期でもいいから。

posted by かしこん at 05:14| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

今日も6冊。

 今年最後の大量購入、後編。

  3月のライオン14.jpg 3月のライオン 14/羽海野チカ
 13巻から1年以上あいていたらしい・・・読んでしまうと数日のエピソードの連なりで、そんなに長い時間を描いているわけではない。 次はまた一年待たされる!、と思うとあれだけど、完結して一気読みしたら、作中の時間を体感で理解できるような気がする。
 この巻では零ちゃんはとても主人公とは思えない立ち位置になっておりますが、学校の先輩と長電話できてしまっているという成長ぶりに目を丸くする思いですよ。

  とりぱん24.jpg とりぱん 24/とりのなん子
 春〜初秋の章。 今年の夏は北東北も暑かったようだ・・・とこれを読んで実感。

  レベレーション04.jpg レベレーション ‐啓示‐ 4/山岸涼子
 『レベレーション』も12月に新刊が出ることがほぼ固まってきた感じ? 表紙のジャンヌ、凛々しいよぉ!
 あ、『王妃マルゴ』は来年かしら?

  十字軍物語01神がそれを.png 十字軍物語 第1巻 神がそれを望んでおられる/塩野七生
 おぉ、十字軍、来た〜。 思ったよりも早い文庫化でうれしい(単行本では全三巻のところ、文庫では全4巻になるらしく、残りの2冊は来月出るようです)。

  十字軍物語02イスラムの反撃.png 十字軍物語 第2巻 イスラムの反撃/塩野七生
 なにしろ高校で世界史をとっていなかったあたし、十字軍についてよくわかっておらず、歴史マンガで断片的なことをため込み、この年になってようやく全容がちょっと見えてきた気がします。 そんなときに文庫化されるこれ、グッドタイミング!
 でも絶対唯一神を信仰しないあたしとしては、どこまで寄れるか実は心配だったりするのですが、感情移入できるかどうかは関係ない。 過去の歴史から学ぶべし! イスラエルとパレスティナの和平のために、関係ない国の人間が解決策について語れることが重要。

  贖罪 イアン・マキューアン.png 贖罪/イアン・マキューアン
 あれ、イアン・マキューアンの『贖罪』って文庫になってなかったっけ? 確か映画『つぐない』の原作として公開されるタイミングで(確かそのときは上下巻だったはず)。 まさかの新訳じゃないよね、訳者同じ人だし。 ということは一冊にまとめた新装版?
 何故このタイミングで・・・?
 どうやら、いつのまにか旧文庫版は品切れ重版未定になっていたようで、新装版として再リリースの運びのようです。
 イアン・マキューアンですらそんな状態なのか・・・そりゃジュリアン・バーンズはなかなか文庫にならないわけだ。 海外ミステリやSFは文庫になってくれるだけ(場合によっては最初から文庫で出てくれるし)、ありがたいのですね。 なので今回、買っときますわ・・・(前回の文庫発売時、買っていなかったので。 でも純文学に分類されているとはいえミステリテイストなんだけどなぁ)。

ラベル:マンガ 新刊
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2018年12月21日

今日は6冊。

 今月にして今年ラスト、大量購入前編。
 今回は東京創元社と早川書房で6冊・・・中でも大物がおりますよ。

  クロストーク コニー・ウィリス.jpg クロストーク/コニー・ウィリス
 えっ、『オールクリア』からもう5年経ってるんですか! マジで!
 そして折り込みチラシには「名作『航路』に匹敵する感動」とあるのですが・・・それもマジで? あの『航路』に匹敵?
 二段組約700ページ、楽しめそうです。

  天冥の標10−1.jpg 天冥の標 ] 青葉よ、豊かなれ Part1/小川一水
 『天冥の標』、最終章スタート。 というか事前の予告では<2019年刊行!>だったけど・・・出来上がり?・進み具合?が早かったのでしょうか。 Part2は年明け1月に出るそうで、何冊出るかわかりませんが来年前半にはゴールを迎えるんですね!
 なんだか感無量・・・やっと続きが読めるぜ。

  火星の遺跡.jpg 火星の遺跡/ジェイムズ・P・ホーガン
 『星を継ぐもの』40周年記念ということで、作者の円熟期の傑作本邦初訳とのこと。 じゃぁこれまでなんで訳されなかったのか、という。 版権の問題ですかね。 というか、『星を継ぐもの』が40年前の作品とは・・・。

  償いの雪が降る.jpg 償いの雪が降る/アレン・エスケンス
 雪、とあると惹かれてしまうのはあたしの悪い癖。 でもこれはバリー賞他三冠、課題で年長者の伝記を書く大学生が紹介された人物に会うと、末期がん患者であるその人物はかつて殺人で有罪になった過去があり、話を聞いていくうちに事件に関して疑惑を覚える・・・というミステリ好きには王道的な話じゃないですか! 面白そう!

  ピクニックアットハンギングロック.jpg ピクニック・アット・ハンギングロック/ジョーン・リンジー
 「あの映画に原作あったんだ!」、ですが、これも本邦初訳だそうで。
 でもあたしは最初に映画のタイトルを『ピクニック at ハンギングロング』と勘違いしており、WOWOWで本編を観て初めて誤解に気づいたという・・・。 原作は映画よりも少女色が強そうなので、楽しみ。
 しかしこれもオーストラリアだ。 『乙女の祈り』もケイト・モートンもオーストラリア、そういうなにかがあるのだろうか。 日本における<オリーブ少女文化>みたいなものが。

  世界推理短編傑作集3【新版】.jpg 世界推理短編傑作集 3【新版】/江戸川乱歩・編
 鍵・時計ときて手袋! しかも革手袋。 時代ですなぁ。
 今回はフィルポッツ『三死人』からバークリーの『偶然の審判』まで。 クリスティやワイルド、ヘミングウェイまで様々。 これが1920年代とは・・・。
 創元推理文庫で400ページ台前半の厚さを普通と感じてしまっている自分、一般的基準と違う?

ラベル:新刊
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2018年12月20日

恐怖の報酬【オリジナル完全版】/SORCERER

 『恐怖の報酬』といえば、「トラックでニトログリセリンを運ぶ話」だよなぁ、という知識はあたしにもあった。 多分昔映画雑誌で<過去の名作紹介>みたいな記事を読んだのだろう。 写真のイメージはモノクロだが、それは雑誌がモノクロだから? でも岩肌の崖の道のようなところを進んでいたような・・・と、今回の完全版のチラシを読んでいて気づく。 それは1953年のオリジナルのフランス映画のほうか!
 今回のウィリアム・フリードキン版は1977年。 ものすごい費用をかけて制作したものの、全米公開では大コケ。 そのため、北米以外では監督に無断で30分ほどカットされたものが劇場公開、権利者不明のまま封印されていた・・・とのことで、監督自ら複雑怪奇な権利関係をひとつづつクリアし、5.1サラウンド・デジタルリマスターしてノーカットバージョンを復元した、という。
 監督の執念も素晴らしいが、監督に黙ってカットしたものが外国に回るっていうのもね・・・でも映画ってプロデューサーや制作会社のものってことになってるのよね・・・映画監督っていったいどういう立場なのか、と考えさせられますな。

  恐怖の報酬 完全版P.jpg 密林の果てに、地獄を見た――。
   遂に40年の封印を解かれた伝説の超大作【オリジナル完全版】日本初公開

 メキシコの殺し屋・ニーロ(フランシスコ・ラバル)、エルサレム市内で爆弾による無差別テロを起こしたカッセム(アミドゥ)、パリで不正な取引に手を染めた投資家・マンゾン(ブルーノ・クレメル)、アメリカで強盗をはたらいた勢いでマフィア幹部の家族を死なせてしまったスキャンロン(ロイ・シャイダー)。 それぞれの理由で追われ、逃げてきた彼らは最終的に南米の小さな村の製油所で身分を偽りながら働いている。 誰もがここから出たいと思っているがカネがない。 ある日、遠く離れた油井で爆発事故が起こるが、まったく鎮火できない状態が続く。 製油所に雇われているボビー・デル・リオス(チコ・マルティネス)は、ニトログリセリンによる爆風で消火することにするが、ニトロの保管状態が悪く、ちょっとした衝撃でも爆発しかねない。 ボビーは成功報酬一万ドルでニトロの運搬係を作業員から募ることに・・・という話。

  恐怖の報酬 完全版1.jpg ロイ・シャイダー、好きです。
 『ジョーズ』や『ブルーサンダー』もそうだったけど、思わぬ事態に巻き込まれてしまい命懸けの悪戦苦闘を強いられる、という役が似合うなぁ、この人は。
 しかしそんなのんきなことを思っていられるのも長くはなかった。 4人(主に3人)が一堂に会するまでが結構長いのであるが(多分、このあたりが多くカットされたんだろう)、それがもう<地獄への道程>なのだ。 南米に来てから、ニトロ出てくる前から<地獄>なのである。 ポスターのコピーは違うな、密林の果ての地獄があるのではない、この映画は最初から地獄を描いている。
 あぁ、ここから逃げ出すためならなんでもするって思うよね・・・。

  恐怖の報酬 完全版3.jpg マンゾンはフランス人の伊達男らしく、落ちぶれきっていてもお洒落心とマナーのよさは消えないところがキュート。 台詞はどこでも英語だが。
 というか冒頭の爆弾テロ描写あたりから、「え、これみんな俳優さん? 当時の町並みを普通に撮影して後付けしたのでは?」と感じてしまうほどリアリティたっぷり。 むしろドキュメンタリータッチ。 この当時は爆弾テロと言っていなかったのでは・・・と思っていると、ラジオニュースが「反政府ゲリラによる」みたいなことを言う。 あぁ、反政府ゲリラ! 昔はそういう言い方してたよねぇ! 時代を感じるわ・・・一部シーンの血糊はいかにもペンキっぽいぞとか、いわゆる「フラグが立つ」そのままだったりという部分はあるのだが、それは昔の映画だしなぁ、と思うので気にならない。
 それ以上に全体に漂う緊迫感がすさまじい。 観ている側に深呼吸する余裕がない。 油井の爆発事故に巻き込まれた被害者描写も容赦なく、CGを使っていないことから来る“本物感”にビビる。

  恐怖の報酬 完全版2.jpg 箱の中には不安定なニトログリセリン。
 もう今では爆発物としてニトロなんて使わないよね・・・そこもまた時代ですが(TNT火薬とかC4?)。 ニトロといえば心臓の薬というイメージだけど、それも使われているのかどうか。 でもそんな身近ではない爆薬故、どう扱っていいかわからない、どこまで気をつければいいのかわからない彼らの困惑と恐怖がこっちにも伝わるわけで。
 あ、と気づく。 『来る』をそれなりに面白いと感じたけど、同じ現代の日本に住むらしい登場人物たちよりもこの映画の昔の逃亡者たちのほうを、あたしは気にかけているということに。
 ボロボロのトラックを寄せ集めて運搬用の二台のトラックを整備するシーンは、地獄において唯一のワクワクドキドキするところ。 あぁ、ここに日本車があったらね、と思ってしまうけど。 原題の“SORCERER”は「魔術師・幻術使い」といった意味だが、片方のトラックにつけられた名前。 ポスターに映っているトラックの正面顔が、次第に悪魔っぽく見えてくるおそろしさ。
 地を這うような、幻覚を伴う悪夢のような音楽もまたおそろしい(知らなかったが、ジャーマン・プログレのタンジェリン・ドリームが担当)。
 が、いちばんおそろしいのは、地獄から逃れようとしても、地獄はどこまで行っても地獄なのだ、ということ。
 世界は情け容赦なく残忍で、運命からは決して逃れることはできないのだ、という。
 こっちのほうがホラー映画だった。 なるほど、ウィリアム・フリードキンが『エクソシスト』を撮った意味がわかろうというものだ。

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2018年12月19日

来る

 予告編にはすごく力が入っていたような気がしてた。 中島哲也監督新作はオールスターキャストでのホラー!、ということで期待もあった。 でも・・・あれ、思ったよりお客さん入ってなくない? 公開一週目ではないせいか・・・『ボヘミアン・ラプソディ』に完全に食われている感じがする。
 ホラーって好き嫌いの激しいジャンルではありますけどねぇ、でも『イット/それが見えたら、終わり』はヒットしてたじゃない?
 まぁ、『ボヘミアン・ラプソディ』がこんなブームになるとは思っていなかったし・・・ヒットする・させるって難しいですねぇ。

  来るP.jpg あの中島哲也監督の最恐エンターテインメントが、

 田原秀樹(妻夫木聡)は、婚約者の香奈(黒木華)を実家の法事に連れていく。 秀樹の子供の頃によく遊んでいた女の子が行方不明になって結局見つからなかった事件があったのだが、秀樹の記憶にはなかった。 その日以来奇妙な夢を見て、「来るよ」と女の子に何者かの存在を告げられる。
 その後、秀樹と香奈は結婚し、娘も生まれたのだが、秀樹のまわりでは奇怪な出来事が頻発するようになる。 秀樹の幼馴染み・津田(青木崇高)の紹介でオカルトライターの野崎(岡田准一)がやってきて、そういう能力があるというキャバ嬢・比嘉真琴(小松奈菜)を紹介される。 真琴は恐ろしいものの気配を察するが、どうすればいいのかよくわからない。 そこに、真琴の姉である日本屈指の霊媒師・比嘉琴子(松たか子)が登場する。
 『来る』とはあやしげな化け物だけではなく、次々と登場人物がやってくる、ということか?
 そして・・・日本の少子化の原因をこんなにもえぐく描いた映画は初めてでは!

  来る2.png 松たか子、顔の傷メイクはともかく、霊媒の恰好、似合ってた。
 主要キャストが揃うまで長い、誰が主役かわからない・・・などと映画を観慣れていない人には迷子になる・置いてけぼりになる要素は確かにあり、描写は過剰ながら説明は最小限なのでさっぱり意味がわからなかったりするのだけれど・・・面白いです。
 結婚式の二次会や法事の宴のシーンなど、あたしには「拷問だ」というくらい耐えがたい場面が続きますが、ここを不快に思わせないと次につながらない、でもちょっとだけでは不快に思わない人がいるから長めなんだね!、とか、“一般的”な基準から自分がどれくらいの位置にいるのかも感じさせてくれますよ・・・。
 それにしても秀樹のクズっぷりはすさまじい・・・あまりにダメすぎて説教する気にもなれないくらいだから。 クズな妻夫木聡ってほんとにうまいなぁ、と思いながら、登場人物の誰一人にも感情移入できない自分はやばいのかどうなのかということも考えてしまった。
 出てくるのはダメな人ばっかりなのだけれど・・・それ故に、演じている人たちの力量が試されている。 黒木華、いろいろ出すぎだけど大丈夫?、でしたが、彼女が倒れるときの「え、人形になった?」みたいな力の抜け方、それこそ命が消えたかのような崩れ落ち方とかすごくて、「やっぱりうまい人なんだなぁ!」と思わされたり。

  来る1.jpg 流血も残忍な傷跡も、がんがん人が死ぬのも満載ですが。
 が、ホラー映画と考えると、残念ながらまったく怖くはない。 だからホラー映画と期待するとかなりまずいことに。 なんでホラーって宣伝しちゃったんだろう? 不条理エンターテイメントでいいのに。
 最終的に琴子が手配する大規模な“お祓い”の祝祭感が楽しすぎる。 「使えるものはなんでも使う」という琴子の主旨により集められたみなさん(宗教・宗派関係なく、お祓いができる方々)の温度差もあれど、会場のセッティングはほとんどお祭りで、禍々しいものを忌みながらもいざとなるとイベント化し、目的を忘れて楽しむという日本人の傾向を見る思い。 だから東京に来ることが楽しみではしゃいでしまった人たちはヤツの手にかかり、これが命がけの除霊になると覚悟を決めてきた人たちは無事に会場に入れたのか? カプセルホテルで衣装に着替える神主さんの図は非常にシュールだった。 鈴を鳴らして踊る若い巫女さんの姿は『君の名は。』を思い出させるものがあったんですけど、わざと?
 しかし、どれほど大風呂敷を広げようと、人間愛(?)や姉妹愛を謳おうとも、<オムライスの国の歌>の破壊力にはかなわない・・・。
 あぁ、子供を持つ者・持ちたいと思う者は普通に物語に参加できるけど、子供を持ちたいと思わない者は霊媒や巫女という特別な能力がないと物語には参加できないんだな・・・ということをなんか実感。

  来るP3.jpg そして今回のひらパーポスターは。
 『来る』からの『盛る』。
 もう岡田准一出演作公開における楽しみは、ひらパーのパロディポスターだよ、ということになってきたよね〜。

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2018年12月17日

証言拒否 リンカーン弁護士/マイクル・コナリー

 というわけで、やっと『証言拒否』まで読了。
 ミッキー・ハラーシリーズとして4作目、今回ハリー・ボッシュはゲスト出演のみ。
 不況のあおりで刑事事件の弁護件数が少なくなったミッキーは、ローンが払えずに家を差し押さえられた人たちの代行業務に活路を見い出し、がんがん依頼人を増やしていく。 そんな中、差し押さえられた側のリサ・トランメル(不動産ローンの件でミッキーの依頼人)が、銀行の重役殺害の容疑者として逮捕されたと連絡が。 リサが刑事事件の被告となったため、引き続きミッキーが弁護人を務めることに。
 「わたしはやっていない!」と無実を訴えるリサ。 しかし重要な証拠となるものが次々検察側に持ち込まれ、そのたびにミッキーは戦略の変更を迫られる・・・という話。
 しっかり上下巻の甲斐あるページ数で、読み応えあり。

  証言拒否1.jpg証言拒否2.jpg 原題は<五番目の証人>と<証言拒否をさせられるための証人>のダブルミーニング。
 今回、またしてもひどい目に遭うミッキー・ハラー。 まぁ、ハリー・ボッシュほどではないか。
 でも今更ながら、「結婚に失敗し、娘はいるけど自分の手元に家族というものがない」という事実にこんなにもミッキーがこだわっているというか落ち込んでいるというか、不全感にとらわれていることに驚いた。 男としての、とか? 自分の父親と比べて、とか?
 と、そんなミッキー個人の問題もあるけれども・・・事件自体が法廷劇としてかなり面白い。
 真犯人がわかる場面では、久し振りに心底「ぞーっ」とした。
 <心の闇>と最近はいろいろと簡単に表現されすぎてすっかり軽いものになってしまった感があるが、そういうものをはっきり見せられると、やはり背筋が凍る。
 人間の本質の負の部分を容赦なく炙り出す、大物になって著作数が増えてもそういうことをがっちり描く。 さすがですね、マイクル・コナリー!、と今更ながらに気づくのでした。

ラベル:海外ミステリ
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2018年12月16日

ボヘミアン・ラプソディ 2回目

 仕事場の人から「『ボヘミアン・ラプソディ』、観たい!」との声があがっていたが、それぞれのスケジュールがなかなか合わない。 平日は無理だろ、と土日に絞って調整。 そういえば、OSシネマズは16日がサービスデイ・・・今月、日曜日じゃん。
 ってことで16日に決定! 「映画のあとごはん食べよう」ということで、9時からの回にあたし含め4人で参戦。 朝一から映画なんて、あたし一人ならほぼないよな・・・。
 まぁ、「みんなで行きましょう」という話がなかったらあたしは2度・3度と観に行っていたかもしれない・・・ブレーキになってました。

  ボヘミアン・ラプソディP.jpg その日は朝から3回分と応援上映の回、全部満席。
 まぁ2回目なので、1回目ほどではなかったが・・・それでも泣いた(というか1回目、あたしは泣きすぎであった)。
 しかし2回目のせいか、映画の進みがすごく速い感じが! そしてサントラを散々聴き込んでいたせいか、より音楽が胸に迫る。
 ライヴ・エイドのシーン、一緒に歌いたいのだが、泣いてるから歌えないよ〜。 これじゃ応援上映に行ってもダメかも。
 で、「観たい!」と言っていたみなさんだが、音楽映画やミュージカルが好きではあるが(前回、『グレイテスト・ショーマン』を観に行った方々である)クイーンには特に思い入れはないそうで。 しかし上映終了後、みんな程度の差はあれど泣いていた。 最後の“The Show Must Go On”にダメを押されるあたしがいちばん泣き止めないという。
 「こんなにいいとは思わなかった〜」
 「クイーン知らないと思ってたけど、曲、どれも聴いたことがあるかも」
 「ライヴ・エイド、すごいわ〜。 応援上映、娘と行こうかしら」
 クイーンに思い入れのない人たちも感動の渦に巻き込む、それが『ボヘミアン・ラプソディ』。

  ボヘミアン・ラプソディ1.jpg このシーン見ただけで泣きそう。
 みなで映画の話で盛り上がる。 複数人で観に行く楽しみはそこにあるよな〜。 「ブライアン、瓜二つじゃない?」というあたしの感動に賛同をもらえてよかった。 物語に没頭したいなら圧倒的に一人のほうがよいが。
 「You Tubeに当時のライヴ・エイドのシーン、あるんですけど、フレディのピアノの上のペプシの紙コップの数や位置、そのままです」、と伝えると、「えっ、そうなの! 帰ったら観る!」と更に盛り上がる。
 映画の爆発的ヒット、テレビ等の緊急特集などでうっすらとクイーン、フレディについての知識や情報が耳には入ってきてた、とのことだったけど、これでクイーンのファン(もしくは、好印象を持つ人)はまた3人増えましたよ。
 またしてもクイーンの歌がぐるぐると回り、家に帰ってきてからまたサントラ聴いて涙ぐむ。
 「あぁ、もう一回観に行こうかなぁ」と思っている自分がいるのであるよ・・・なんですかね、ライヴ観る感覚なのかな。

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2018年12月15日

今日は7冊で

 12月なのだよね、いまいち実感がないのだが。
 そしてなんでこんないっぱい新刊出るんだよ・・・という。
 去年もそうだったっけ?、と過去記事を見たら・・・結構買ってた(汗)。 でも冊数的には今年のほうが多いわ。 19・20・21日にも結構出るんだよな〜。 来年はもう少し買う本を厳選しよう(と、去年も思っていたかもしれないのだが)。 でも出てしまうときは仕方がないんだよ、これが。

  黒後家蜘蛛の会5文庫新版.jpg 黒後家蜘蛛の会 5【新版】/アイザック・アシモフ
 ついに新版もラストに。 作者の死により終わってしまったので、最終巻という感じはしない。 いつもどおりだよね。
 あれ、6巻目にまとめられるほどではないけど、5巻に入りきらなかった作品が何編かあると聞いたことがあるような。 なにかと合わせて一冊になるかと期待していたんだけど・・・ならないんだね。
 今回の解説も前版と同じく有栖川有栖。 おっしゃることがいちいちすべて「ですよね〜」と同意したくなる。 劇的で斬新!、ということは全然ないんだけど、彼らのお喋りとちょっとした謎(ミステリというよりはなぞなぞ的な)はクセになる。 だから読み始めるとついついずっと読んでしまう。 一編が短いから、「この一編でやめとこ」と思っていても読み終わる頃には「もう一編、いっちゃおうか」となってしまうのだ。

  トランクの中に行った双子.jpg トランクの中に行った双子/ショーニン・マグワイア
 『不思議の国の少女たち』、三部作の二作目。 でも前作の前日譚に位置し、内容的には外伝のような感じだという。
 両親それぞれに期待に押し潰されそうな双子、という初期設定だけでもうせつないではないか・・・。

  連城三紀彦傑作集2落日の門.jpg 連城三紀彦傑作集2 落日の門/連城三紀彦
 直木賞受賞後から晩年までの作品から主に傑作短編を集めたレトロスペクティブ。 90年代の作品が質が高いのに文庫として現在残っていない(タイミング的に文庫化されなかった?)など、そのような事実から当時の出版業界の状況を推察することもできますね。
 これまた『1』と同様分厚くて・・・本棚に入らん・・・並べ方、いちから変えたほうがいいかなぁ。

  彼女のかけら1 カリン・スローター.jpg彼女のかけら2 カリン・スローター.jpg 彼女のかけら/カリン・スローター
 カリン・スローター新作。 てっきり<ウィル・トレントシリーズ>の続きだと思って手に取ったら、単独作だった・・・。
 でも帯にバイオレンススリラーとして評価する大御所たちの賛辞が並び、「カリン・スローター、最高傑作!」とあおるので、「じゃぁ、読んでみるか!」と思ったわけで。 カリン・スローター作品ってスリラーではあるんだけどちょっとハーレクイン的というか、人間関係重視の連続ドラマっぽいところがあり、もういっそのことドラマにしちゃえよ!、なので、ミステリランキング上位にはなりにくいのかなぁ。 シリーズであることが大前提なので、一作を単独で評価しづらいところがある。 だからシリーズ外の単独作を書くのであろうか。

  贖罪の街1.jpg贖罪の街2.jpg 贖罪の街/マイクル・コナリー
 これも最近12月恒例、<ハリー・ボッシュもの>、新作。
 今ちょうど『証言拒否 リンカーン弁護士』を読んでいるところでしたが、これはコナリー現時点での最長作品とのことなので上下巻が非常にしっくりくる厚さなれど、その後出たボッシュものは「えっ、これ、一冊で出せるよね?」という薄さ。 本作もそう。
 しかし、コナリー作品のファミリー化がどんどん進み、今となってはボッシュ一人を登場人物として物語を紡ぐのが厳しくなってきたのだろうか。 今回もミッキー・ハラーと組むことになりそう。
 また、来年、コナリーが女性刑事を主人公にした新たなシリーズが出るようで、その二作目でさっそくその女性刑事はハリーと共演しているらしい。 一癖ある女性が多いコナリー作品、その女性刑事はどんな感じなのかしら?、とこれそっちのけで興味がわいてみたり。
 ま、結局、繋がっちゃうからそれらも全部読むことになるんだろうな・・・。

ラベル:新刊
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