2018年11月20日

高熱隧道/吉村昭

 たまたま何かで紹介されたのを見たのだろうか、興味を持って図書館の蔵書をチェックしたら何人かの予約があり・・・「おや、同じようなことを考えている人がいるわ〜」と思ってあたしも予約リストに名を連ねた。
 そして忘れた頃に図書館からお呼び出しがあったのだが・・・何がきっかけでこれを読もうと思ったのか忘れてしまった!
 多分、全体主義の行き着く先を懸念したコラムとかだったかしら、それとも黒部ダムにまつわるまとめかしら、あぁ、まったく思い出せない。 自分の記憶力を過信してはいけない時期になったよ・・・。

  高熱隧道.jpg 手前のトロッコがいい味の表紙。

 昭和11年8月に着工し、昭和15年11月に完工した黒部第三発電所へのトンネル掘削工事。 険しい自然のただなかである黒部渓谷の、トンネル施工予定地には最高165℃という高熱の岩盤地域が立ちふさがっていた。 犠牲者300名を超えた難工事、トンネル貫通に取りつかれた男たちと大自然との闘いの記録。

 「いい感じの表紙」と思ってしまったことが悔やまれるほど、壮絶な内容であった。
 300ページない薄さ、淡々とした記述なのに、「ぐえっ」と声が漏れそうな描写が多々。 ありえないあっけなさでどんどん人が死んでいき、それに対する予防策なり対策などがろくにないというおそろしさ。
 以前、「アポロ計画ってファミコンより性能のよくないコンピュータで月に向かったんだよなぁ、命知らずだよなぁ」と思ったことがありましたが・・・ここに描かれているのは同じくらい命知らずな出来事でした。 そういう時代だ・・・と言ってしまえばそれまでなんだけど、その時代でせいいっぱいの技術を使っていても、「事故で作業員が死ぬ」のが折り込み済みなのよね・・・。
 人の命がカネで買われる。 でもそれは、現在も変わらぬ事実なのかもしれず。
 そして温泉源があることも気づかず計画にお墨付きを出す学者・・・工事中の以上で再調査を頼んでも「これ以上にはならない」とか言っちゃうし、「学者は世間知らずであてにならない」ってイメージを作っちゃったのはこういう出来事の積み重ねではないだろうか、そうじゃない学者さんたちいっぱいいるのに。
 とはいえ、「この工事はやばい、やめよう」と言い出せない空気を作っていたのは戦争という背景、電力が絶対必要であるという国策。 でも熟練工が徴兵されていくという矛盾もあるんだけど。
 技師の人たちがいわゆるエリートで、作業員(本作中では<人夫>と表現)は言われたことをするだけの替えのきく存在として、まったく違う世界の住人とされていることに衝撃を受けた! あたしの知っている世界では技術者と職人が意見交換するのが当たり前だから・・・教育のベースの問題なのか、当時の人夫たちは専門性がない(とにかくただ集められただけの人手にすぎない)ということなのか。 だからダイナマイトの自然発火は恐れるけど、残りクズのチェックはせずに放置してしまうのか。 それでもできる範囲で技師たちが試行錯誤する様だけがこの物語では唯一ホッとできるところ。
 が、更に泡雪崩(ほうなだれ)が宿舎を襲う。 噂には聞いたことがあるが、ここまですごいか、泡雪崩。
 とにかくたくさん人が死ぬのであるが、その死がいわるゆ<ナレ死>などではなく、文字通り血と肉が吹き飛んだ塊として描かれることにおののく。 決して残虐な描写に重きを置いているのではないのだけれど、ダイナマイトや雪崩で吹っ飛んだ肉片が転がっている光景が脳裏に浮かぶ(最初から、現場に辿り着くまでに山道を転げ落ちる人夫たちの死に様もかなりきているが)。 そんな中でも工事は続く! 続けざるを得ない状況・心情が読みどころなんですよね!、わかります、わかりますが・・・。
 外はものすごい大雪、けれどトンネルの中では油断すると熱死。 自然豊かといえば聞こえがいいけど一歩間違えば自然に殺される、そんな地方出身のあたしには、もう最初の計画から「無謀」としか思えなくて。 トンネルを貫通させることによろこびを見出し、そのためならどんな犠牲が出ても仕方ないと割り切らねばならない技師の気持ちもわからなくもないけど、自然に闘いを挑んでも勝てるわけがないと思ってしまうのです。
 でも、そういう人たちがいたからこそ、今のあたしは便利を享受できているわけで・・・。
 あぁ、なんかいろいろすみません、と、生きていることが申し訳なくなる。 吉村昭の<記録文学>ってそういうの多いよ、それがすごさなんだけど。

ラベル:国内文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする