2018年11月04日

日日是好日 (にちにちこれこうじつ)

 最初に予告を観たときは、「大森立嗣監督が女子バディを主役に据えるなんて珍しい!」という印象だった。 『まほろ駅前多田便利軒』や『セトウツミ』は男子バディだったから。 しかも黒木華と多部未華子のふたり、いい組み合わせだわ〜、と思ってました。
 それがまさか、劇映画としての樹木希林の遺作になるなんてね・・・。

  日日是好日P.jpg 季節のように生きる。

 20歳になった大学生の典子(黒木華)は、母親のお喋りの勢いで「お茶、習ってみたら」と言われる。 ご近所の武田のおばさん(樹木希林)の立ち居振る舞いがただものではないので、それはきっと茶道の先生をやっているからだというのが母親の結論だった。 そんな旧態依然のお稽古事に反発心を持った典子だが、いとこの美智子(多部未華子)の「いいなぁ、やってみようよ、お茶!」という明るいノリに押し切られて毎週土曜日に武田のおばさんの茶道教室に通うことになる(のちに「武田先生」と呼ぶことになる)。 それからはじまる約24年間の物語。

  日日是好日4.jpg ときは1993年。 自宅住まいの娘の習い事に親がお金を出せる余裕のある時代。
 おとうさん(鶴見慎吾)がまたいい人でさ・・・“普通の家庭”じゃなかった身からしたらうらやましいけど、こういう感じのおとうさん、多かった気がする。
 あたしは典子さんと同世代なので、「あー、わかるわかる」というところいろいろ。 そうだよね、バブル崩壊後で就職活動大変だったよね。 でも「この会社であなたは何を実現したいですか」的な自分探し&わからない未来を決めて作らなきゃいけないみたいな答えを求められてたよ。 なんだろう、社会からあなたたちは求められてないんです、と言わんばかりの対応されたよねー、数年早かったら全然違ってたのに、といったことを思い出してしまった・・・。
 そしてあたしは典子さんのことを知っていたんだよねー。 『典奴どすえ』の人でしょ? <出版社でのアルバイト>で意外過ぎる事実みたいな読者からの投稿の裏を取り、リライトしてたっていうのも昔何かで読んだ。 その人が「ずっとお茶をやってたんだ」という驚きがありました。

  日日是好日2.jpg 最初は当然ぎこちない。
 初回のお茶で、まったくマナー知らずのお嬢さんお二人に会場からすごく笑いが起こったのだけれど・・・みなさんお茶たしなまれているのか? 作法が違うことはわかるけど、あたしには笑う勇気はない・・・この状況なら自分でもきっとそうなったに違いないから。
 あたしの最初のお茶体験は18歳。 大学受験で県外の都市を訪れて、帰りの特急を待っている間の駅ビルで声をかけてくれたおばさまが、「あらそうなの。 じゃあ、合格したらここに住むのね。 私、お茶をやっているのでそのときには遊びに来てね」とご住所とお名前を教えてくれたのだった。 で、合格したのでお礼状を出した。 そのあとは新生活のバタバタで、同じ市内とはいえ土地勘もないし(電話番号は聞いていなかった)、ほったらかしにしていたら、同じ学科の同期の女子がそのお茶の先生のご近所に住んでいてときどきお茶を習いに行っていてあたしのこと(具体的な名前は出していなかったから気づかなかった)も聞かされていた、ということをたまたまおしゃべりしているときにお互い知り、「マジか!」となった。 それでお邪魔して、薄茶をいただくことになったのだった。 「茶道のお茶って苦い」というイメージがあったので、先にお茶菓子を食べてから飲むことで苦いどころかすごくおいしいことを知ったのだった。 あぁ、懐紙持ってない、もらっても服に収める場所がない、と焦ったこともよく覚えている。 勿論、一見のお客なので作法云々は咎められることはなく、かなり前のことなのに深く印象に残っている。
 この映画では表千家だったが、そちらは裏のほうだったか・・・忘れた。
 今思えば、それも一期一会だったのだな、と感慨深い。 この映画が言いたいことのひとつはそれだったし!

  日日是好日1.jpg 大学卒業が見えてきて、<将来>に戸惑う二人。
 若い二人がはしゃぐ様は大変かわいらしい。 お茶に対してのとまどいが多い習い始めの早い時期の描写が多くなるのは仕方ないとはいえ、25年間の後半が早すぎ(前半が丁寧と感じるだけに余計)。 美智子ちゃんがお茶の稽古に来なくなって、典子さん一人だけになってからは、典子さんが自分の具体的な人生・生活をあまり語らないのに大きな出来事だけぽんぽん投げられるので、「えっ、いつの間にそんなことに?!」と驚いてしまって感情が追いつきません。 ネガティブ期のことを長く描きたくないのもわかるんだけど。
 いいときにも悪いときにも、お茶はすぐそばにあった、ということですね。

  日日是好日6.jpg それは自分と向かい合う時間。
 何故このお軸なのか、何故この花なのか、何故このお菓子なのか。 季節もあるけど、やはりそこには「相手を慮るおもてなしの心」が根底にあるのですね。 その気持ちを受け止める側にもある程度の知識や作法がなければ伝わらないし、伝わったことが相手にも伝わらない。 礼儀作法はただの堅苦しいものではなく、その空間における共通言語のようなもの。 でもそれがわかるのは、ある程度経験を積んでから、時間がたってから。
 「世界にはすぐわかることと、すぐわからないことがある」――この映画もまた、年齢を重ねた人のほうが多く響くものがあるのではないだろうか。 あたしも今の歳で観たからこそ、じんわり・しみじみと多くのものを感じて何度か涙ぐみましたよ。
 それにしても出てくるお菓子がすべて綺麗で美味しそうなこと! エンドロールに名だたる和菓子屋の名前がずらりで、納得。

  日日是好日5.jpg 先生はいつも変わらない。
 典子目線では武田先生はずっと変わらず、いつもそこにあるけれど・・・先生だって若かりしときはいろいろあったらしいことはさりげなく語られる。 でもいろいろ乗り越えての今・これからだという穏やかさはすごい。 ご本人はすごいとか全然思っていないのがまたすごい。 この境地にいつか行けるのだろうか・・・という憧れを抱かせます。
 あまり「樹木希林の遺作」という見方はしたくなかったのだが・・・この年齢で一から茶道の作法(しかも師範として)を身につけるのもすごいし、長年やってる佇まいが出てるんだよなぁ。 あるシーンでは「あれ、武田先生、目が見えていないのでは」と感じてドキドキしてしまったけど、そんな設定ではなかったし次の場面ではそんなことはなかったので・・・気のせいだったらいいな、と思う。
 茶室は静かで、それ故に聞こえる音がすごくはっきりわかる。 音声・音響さんのお仕事が他の映画に比べてすごくわかりやすい! お水をくむ音が次第に川の流れになっていく感じは、大森監督って川が好きなのかな?、って思ったり(『セトウツミ』のオープニング思い出した)。 ミクロの中にマクロがある、を描写するのに庭の植物の細胞まで行くのはちょっとびっくりしたけど(その撮影は理化学研究所とあってエンドロールで笑ってしまった)。
 あぁ、あたしもお茶を習っていればよかったかしら。 いやいや、でもあの一回があったからそれでよかったのかも。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする