2018年10月31日

今日は6冊。

 あ、もう10月も最終日ではないか・・・今年も心ゆくまで10月を楽しめなかった。 なんか残念なんだけど・・・結構それが何年も続いているので、「あ、今年もだったか」とあきらめとともに受け入れている感じが、我ながらせつない。

  雨の鎮魂歌.jpg 雨の鎮魂歌/沢村鐵
 あたしには『封じられた街』の作者。 だからてっきりダークファンタジーとか、青春ミステリ系を描く人かと思っていたのだが・・・数年前か、警察小説のシリーズを二つ持っているのを知ってとてもびっくりした。
 で、これは青春ミステリっぽいのですが・・・なんとデビュー作の大幅改稿・リニューアルとしての新刊、とのこと。
 あたしの好きな要素、入ってるんだろうな。 そしてこれが面白かったら警察小説のほうも読んでしまいそうだ・・・。

  悪しき狼 ノイハウス.jpg 悪しき狼/ネレ・ノウハウス
 ドイツミステリ<刑事オリヴァー&ピア>シリーズ最新刊。 これもすっかり順番通りに出るようになりましたよね・・・しみじみ。 

  不思議の国の少女たち.jpg 不思議の国の少女たち/シャーニン・マグワイア
 <異世界に行って戻ってきた子供たちばかりが学ぶ寄宿学校>という設定で胸躍る。 寄宿舎は女子のものでもあるんだぞ!
 と思ったら三部作だそうです。

  冷血1村薫.jpg冷血2村薫.jpg 冷血/村薫
 合田雄一郎もの。 単行本刊行時、「読みたい!」と思ったのだけれど図書館もかなり人数待ちだったし、うかうかしているうちに文庫が出ました。 うわーっ、村薫を読むの何年(十数年?)振りだろう! ついていけるかしら・・・。

  ジョン・カーペンター読本.jpg ジョン・カーペンター読本
 『遊星からの物体X』(ついでに『ゼイリブ』も)デジタルリマスター版公開記念、いろんな人からの<ジョン・カーペンターへのラブレター>集。 権利の関係で『遊星からの物体X』のパンフレットが新しく作れないのでこういう形になったとか。
 ほぼ映画館で観ていないんですけど(ほとんどテレビの洋画劇場か、レンタルビデオで)、あたしの世代のホラー好きはジョン・カーペンターとデヴィッド・クローネンバーグは避けて通れない存在ですから。 リマスター版、観に行こう!

ラベル:新刊
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2018年10月30日

a singer/城田優

 あまりミュージカルは得意なほうではなかったのだが、『グレイテスト・ショーマン』で認識が変わった。
 あと、WOWOWで『Green&Blacks』(井上芳雄×福田雄一)というミュージカルバラエティ(その前の『トライベッカ』も)観ていたのも大きい。
 いわゆるミュージカルスターが好きになってきてしまったのだ。
 オリジナルは外国でも、日本語の歌詞で歌ったほうが気持ちが伝わるし、表現力もよくわかるし・・・ということで。
 井上芳雄は昔、生舞台を観て「日本のミュージカル界に久々の正統派王子様キャラ来た!」と感じたこともあり、ひそかに気にかけていました・・・だからこのバラエティ番組を観ちゃってたわけですが。
 『Green&Blacks』のコント部分は正直あたりはずれが激しい(むしろはずれが多い?)んだけど、合間にスタジオでそれぞれが歌う姿、トークコーナーで喋る姿に、井上芳雄以上に好きになったのが城田優と加藤和樹であった。 あ、中川晃教は別格ね。
 だからってすぐアルバムは買いませんが・・・(実は井上芳雄のを買おうかと思ったのだけれど、試聴したらなんか物足りなくて・・・歌っている姿込みで伝わってくるものが大きいんだなと発覚。 『Green&Blacks』をDVDに落としました)、城田優は同番組で『モーツァルト!』の“僕こそ音楽!”を邪気のない笑顔でさらりと歌い上げていたことに衝撃を受け。 ♪退屈ぶっ飛ばす♪のところは井上芳雄・中川晃教よりも好きな解釈だったから。

  城田優 a singer.jpg で、その“僕こそ音楽!”が収録されていたので。
 ミュージカルナンバーのカバー集。 ミュージカルソング拾い聴きしている最中のあたしにとってはまさにぴったりの題材。
 “闇が広がる”(『エリザベート』)も期待の曲でしたが、まさかルドルフ側だとは・・・トートじゃなかったのね。
 更に“The Greatest Show”もカバーし、スペイン語で“イザベル”を歌う感じはまるでソロデビューした初期〜中期のリッキー・マーティンを思い出させるものが!
 日本語・英語・スペイン語、共通しているのは、「言葉を大切に歌っていること」。
 しみじみ聴いていると・・・いつしか「この一曲だけでは物足りない! ミュージカル全部ちゃんと観たい!」という気持ちになってきてしまうじゃないか。 やばい。
 タキシード仮面やテニプリをやっていた青年は、すっかり立派なミュージカルスターになっておりましたよ。

ラベル:ミュージカル
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2018年10月29日

槐/月村了衛

 というわけで、引き続き『槐』です。
 『ガンルージュ』読了後、「確かなんとなく似た話だったよな・・・」と未読本の山をかき回す。 確かこのへんにあったはず、という記憶とそれほど離れていない場所で見つかる。 つながりというか、そういう縁ってあるものです(タイミングが悪いときは、目当ての本は絶対見つからず、忘れた頃に不意に出てくる)。

  槐.jpeg うっ、買ったの一年以上前だった・・・。

 野外活動部に所属する中学生たちは、教頭先生・副顧問の由良先生とともに湖畔のキャンプ場に向かう。 夏休みを利用したごく普通の合宿のつもりだったが、実はこのキャンプ場には振り込め詐欺でため込んだ利益金が隠されており、その金を奪うために半グレ集団がキャンプ場を占拠、邪魔者である利用客たちをばんばん殺し始める。 気配を早めに察知し、どうにかして警察に連絡を入れようとする中学生たちだが、その存在が相手側にバレ、絶体絶命のそのとき、<何者か>が反撃を開始する!・・・という話。

 『ガンルージュ』よりページ数多め、登場人物も多いので(つまりは殺されるのが残念な人たちも多い)、バイオレンス描写以上に少年少女たちの青春・成長物語としての側面が強くなっている。 でもダメそうな大人にもきちんと見せ場は与えられていて、うっかり泣いちゃうところですよ。 そして女戦士<槐>の強さや冷酷さときたら『ガンルージュ』の“お母さん”よりも上。 でも期間限定カントリーマアムを気に入っちゃうところは女子だね!
 で、ゲスはゲスであっさり死んでもらうか、死ぬよりつらい苦しみを味わってもらいます。
 400ページ弱ですが、通勤往復で読み終わっちゃったよ・・・すごいなぁ、このスピード感。
 エンディングで成長した中学生たちのことをきっちり書くのも好印象(若干中学生たちも類型的ではあるんだけど、自分がどれに近いか当てはまるやつは見つかる)。 ただ書けばこっぱずかしい感じになってしまいますが、ありえない狂気の修羅場をくぐってきたからこそ言えるってことでそこはごまかさない!
 つい、世界中にいる半グレ集団を槐にやっつけていただきたくなるのだけれど(シリーズ化を望むということか?)、毎回槐に<小さき者>との交流がないと物足りなくなると思うので・・・でもそうなると槐に“甘さ”が追加される危険をはらむかもしれないので、ここはやはり一作きりのほうがいいのかなぁ(ハードな世界で生きていく槐の姿ならば、それはそれで。 『機龍警察』シリーズのゲストに出てもらうとか)。
 いやいや、『機龍警察』シリーズしか読んだことはなかったのですが、「SF要素なしのリアリティのある荒唐無稽」も書く人だったんですね・・・すみません、気づかなくて。
 現代版『必殺!』みたいで、面白かったです!

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2018年10月27日

ガンルージュ/月村了衛

 読みかけ本はたくさんあるのだが(それはそれで自分でも悪癖だなぁと思う)、ちょっと気分を変えたくて一気読みできそうな日本人作家を選ぶ。 翻訳文体も昔に比べればかなりこなれてきているのだが、文化の違う世界の話よりは母語が同じ人の世界は意識せずに共通の価値観が存在している、ということが、こんなにも読みやすいことに改めて驚く。

  ガンルージュ.jpg 女同士のアクションバディもので。

 田舎町の中学校の体育教師・美晴はPTAからつるし上げされるのが日常茶飯事になっている<問題教師>だが、彼女には彼女の事情がある。
 台風が通過した翌日、美晴の生徒が行方不明になって探しているというその母親・律子と行き会う。 「そいつはいけない、一緒に探します!」と志願した美晴だが、見つけたのは死体の山。 泡を食う美晴だが、律子はその現場から、韓国の要人が誘拐されてその場に居合わせた息子も誘拐犯(韓国の特殊部隊)に拉致されたことを悟る。 それがわかるのは彼女にも彼女の事情があるから。 いわば第二の金大中事件が勃発なのに、いやそれ故に外交案件、警察はあてにならないと考えた二人は、独力で特殊部隊を追いかける・・・という話。

 もしかして、これラノベですか?、と思ったり(あたしにはラノベの適切な定義がわからない)。
 美晴の喋りは30歳過ぎとは思えない、なんか大学生みたいだし。 なんだかテンポすごくよすぎるし。
 とか思っている間にあっさりハード路線に切り替わり、ありえない展開が次第にリアリティをともなう地に足ついたものになる。
 それまで「お母さん」・「先生」と呼び合っていた二人が互いにファーストネームで呼ぶくだりは、わかっていてもちょっとじーんとしちゃうよ。
 しかし、特殊部隊との最後の死闘の場が<みなかみ山の上温泉健康ランド>というのはちょっと間抜けすぎるよ・・・でもそれも、この国の地方のまごうことなき現実なんだけどさ。
 見事に一気読み、面白かったです! 女同士のバディ、最高!
 別に今度はテロリストを相手にしなくていいので、ちょっと続編読みたい。
 だけど美晴の設定ですよ。 かつてはインディーズロックバンドのヴォーカリスト、元カレは元公安だけどヤバい事件に足つっこんで今では新宿署の生活安全課でくすぶってる・・・って、それ『鮫』すか?! 元カレ、出てきてほしかったけどそれじゃ無理か・・・続編も、難しいか・・・。
 よし、次は『槐』だ! ← 読みかけ本が減ってないのに(汗)。

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2018年10月26日

ザ・アウトロー/DEN OF THIEVES

 ジェラルド・バトラー新作なのに、なんでこんなひっそり公開? しかも単館系というよりはハードアクション的男祭な感じ? あたしの得意ではない系統だろうか・・・との危惧を覚えながらも、おじさん好きとしてはやはり押さえておくべきだろうと(実際、見覚えのある人がいっぱいいた)。 ジェラルド・バトラー、どんどん濃くなっていってるけどやっぱり好きだし。
 でもこの日本版タイトル、どうにかならなかったのか・・・似たようなタイトルに紛れてしまうではないか。

  ザ・アウトローP.jpg 本能 LAのワイルド刑事達。 頭脳 クレバーでキレ者の強盗団。

 銀行強盗の街、ロサンジェルス。
 今夜も現金輸送車が襲われ、銃撃戦の末、警備員・警官数名が死亡。 強盗団の一人も殺されたが、輸送車は盗まれた。
 早速、現場にロサンゼルス郡保安局の重犯罪特捜班のメンバーがやってきた。 特捜班のリーダー、ニック・オブライエン(ジェラルド・バトラー)は犯罪者を捕らえるためには手段を選ばない男で、チームメンバーはみなニックを信頼し、いささか軌道外の捜査にも迷わずついていく。 警官が殺されたことでFBIがやってくるが、ニックたちはFBIと協力する気はさらさらない。
 襲撃を目撃していたドーナツ店の店員にはなにもされていないことから、犯人たちは「素人に手を出さない」流儀があると気づいたニックらは手口を前科者リストから洗い出し、強盗の罪で刑務所から出てきたばかりのレイ・メリーメン(パブロ・シュレイバー)に目をつける。
 そして離れたところから現場にいる警察関係者を見ていたメリーメンは、ニックが自分たちのいちばんの強敵であると気づく・・・という話。
 えっ、これ、原作小説のある犯罪クロニクルなんじゃないの?、というハードな重厚さが序盤から走る。

  ザ・アウトロー1.jpg ジェラルド・バトラー、もはや「男くさい」としか表現できなくなっている。
 ニックのFBIへの態度を見たら「こいつ、悪徳警官か??」って感じちゃうぐらいなんだけど・・・犯罪者を憎むあまり、犯罪者に対して話してばかりいるので、一般人への態度がうまくできないというか、器用に切り替えられない不器用な男。 妻に謝りたいのにうまくできない、その苛立ちがより彼を粗暴な態度に向かわせる。 凶悪犯罪に向かい合ううちに彼の心はボロボロになっているのだが、誰も(彼自身も)そのことには気づかない、もしくは気づかない振りをしている。 なんてかわいそうなんだろう、でも半分くらいは自分のせいなのであまり同情できない感じ・・・仕事仲間としてはいいが、家族にいたら厄介なタイプである。
 そんな苦悩を、ジェラルド・バトラーは説明台詞ではなく顔に刻まれたしわや全身のタトゥーで表現。 オラオラ風を吹かせるたびにどこか痛々しく、でも本気になって銃を構えたら誰よりも強い。 あぁ、こういう役もすっかり板についてしまった・・・。

  ザ・アウトロー3.jpg 対して強盗団リーダーのメリーメンは冷静沈着で残忍だが、自分たちは目立ってはいけないので一般社会に身をひそめる・仮の役割を十分演じる自制心と力がある。
 だからこそ彼にもエンソン・ルヴォー(カーティス・“50セント”・ジャクソン)やボスコ・オストロマン(エヴァン・ジョーンズ)といった命を懸ける仲間たちがいる。 やっていることは真逆であるが、それぞれのチームの関係性は似ている。 実はメリーメンはニックと同じ高校出身で同じスポーツもやっていたという・・・いったい何をきっかけに人生はこうも変わるのか。 きっかけは一つではなくていろいろな積み重ねかもしれないけれど・・・なんだか無常。 だって、メリーメンたちも強盗という仕事じゃなくても生きていけそうなんだもの。 それでもあえて選んだ仕事ってことなんだろうし。
 刑務所から出るときに、「またな、レイ」と刑務官に声をかけられて・・・「もう来ないよ」と答える。
 それは、二度と捕まらないということなのか、捕まりそうならば死んだほうがましということなのか、切なくなってしまった。
 舞台はLAですが、出てくる地名は華々しくないところ。 土地勘がないからわからないんだけどな、と思いつつ、倉庫街やら人があまり住んでいない地域など、ロスの影の部分がふんだんに。 あぁ、ハリー・ボッシュならよくわかるんだろう。 ミッキー・ハラーなら近寄りたくないというだろう、ロスも広い。
 バーテンダーだがドライバーとして天才的な腕を持っているドニー・ウィルソン(オシェア・ジャクソン・Jr.)が運転手としてメリーメンにスカウトされるが、張り込みで二人が会っていることを知ったニックらはドニーにカマをかけてみる。 どちらにもうまく情報を流し、ドニーはどっちに転んでも生き残る腹らしい。 あぁ、こういう世界も大変ですねぇ。

  ザ・アウトロー2.jpg こういう強盗、いやだよね・・・。
 生き様ハード系アクションかと思っていましたが・・・実は頭脳派銀行強盗の策略も楽しめ、リアルな銃撃戦も堪能でき、全員満身創痍の追跡劇。 それだけじゃなく序盤から散りばめられていた伏線を最後に回収するという『ユージュアル・サスペクツ』的な楽しみまで!
 これ、きっちり謎解きミステリだよ!
 ・・・まぁ、ちょっと欲張っちゃった感がなきにしもあらずだし、『ユージュアル・サスペクツ』ほど見事な手際ではないんだけれど、なんかそんな心意気がうれしくて。 つまり結構面白くて盛り上がっちゃいました!
 だからダサい邦題が残念・・・でもジェラルド・バトラーのファン、日本に多いから公開されたのかもしれず・・・あぁ、なんかもったいない。 これはもっと多くの人に楽しんでもらえる作品なのに!

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2018年10月24日

LBJ ケネディの意志を継いだ男/LBJ

 ウディ・ハレルソン、好きだ。 この人もなんだかんだいって役柄で見かけの印象を変える人。
 でももしかしたら長いキャリアの中で初めての実在の人物? 特殊メイクで顔を変え、声と喋り方も変えてリンドン・ジョンソンになり切る! 実話ベースだとみると、この人はほんとにそういう人だったのかなぁと思えてくるから不思議(JFK絡みの映画には必ず出てくるけど、脇役だからあまり内面は掘り下げられない)。 同時代を生きていない人に対してはイメージだけしか伝わらないんだな・・・だから映画やドラマなどで初めて知ることで驚くわけなんだけど(それもどこまで本当に近いのかって話にもなるが)。

  LBJ P.jpg 過去<JFK>には戻れない、けれど未来は変えられる。

 最強の内院総務と呼ばれていた実務に長けた政治家リンドン・B・ジョンソン(ウディ・ハレルソン)は、1960年の大統領予備選に民主党代表として立候補するか悩んでいた。 正確には、自分から言うのではなくまわりに推されて仕方なく、という形をとりたかった。 ライバルのジョン・F・ケネディ(ジェフリー・ドノヴァン)はまだ若く理想家で(南部出身であるジョンソンには公民権運動は絵空事にしか見えなかった)、自分の敵ではないと思ったが、予備選挙でジョンソンはケネディに敗北。 公民権運動の盛り上がりにより、第35代大統領にケネディはなった。
 大統領の申し出により、ジョンソンは副大統領となる。 司法長官のロバート・F・ケネディ(マイケル・スタール=デヴィッド)はジョンソンに苦々しい思いを抱くが、「敵に回すより味方につけたほうがいい男だ」と兄に説得される。 それに副大統領は代々閑職とされていたが、ジョンソンは自分が力を発揮することで後年副大統領の地位は上がると考えていた。 ジョンソンの先輩であるジョージア州上院議員リチャード・ラッセル(リチャード・ジェンキンス)は、「これで南部の言い分がより通るようになる」とよろこぶが、ジョンソンは公民権法成立に動くケネディ兄弟と、ラッセルを代表とする南部連合(公民権法反対派)の間に立って先延ばしを図っていた。
 しかし1963年11月22日、ジョン・F・ケネディは暗殺され、ジョンソンが第36代大統領に就任することに・・・という話。

  LBJ 2.jpg 妻が最大の理解者って、大きいよね。 ちなみに奥様の名前が<レディ・バード>でした!
 剛腕、のようなイメージと違って、ジョンソンは実は繊細で小心な男であった、とこの映画では描く。 勿論その姿を見せるのは妻の前だけであるが。 「ケネディは国民に愛されている、でも俺は愛されてない」、それがジョン・F・ケネディに対するジョンソンの気持ちで、だからこそ自分をジョン・F・ケネディに認めてほしいと思ってた。 でも副大統領なのに大統領と腹を割って話す機会ってなかなかないんですね・・・それがあったらその後の展開もだいぶ違ったような気がしたけど。
 しかしこの時代、更に南部出身とあってはやたらと「男らしさ」を誇示しないといけなかったのかなぁ、という感じ。 たとえ話とかいろいろ下品だし、現在だったらセクハラと言われても仕方のないレベル・・・でもそういうポーズが必要だった時代なのでしょう(当人たちはポーズだとも気づかないまま)。
 映画の前半は大統領予備選の票読み、ジョン・F・ケネディ暗殺後の後半は公民権法成立のために必要な票集め、とアメリカの政治システムそのものを描いているのが面白かった。 主役はそれで、ジョンソンやケネディはそれを引き立てるための材料にすぎないかのような。

  LBJ 3.jpg 似てる? 政治家としてはJFKは絵になる男だっただろうが、ジェフリー・ドノヴァンのほうがハンサムだな、冷静に思ってしまった。
 この人、確か別の映画でボビーを演じていなかったかしら?(『J.エドガー』だった?) あたしの中では『バーン・ノーティス』のマイケルなんだけど映画だといつも違う顔で驚かされる。 この映画ではジョン・F・ケネディについてはほぼ表面しか描いていないので、彼はジョンソンを嫌っていなかった、むしろ好意を持っていたというのがわかる程度。 むしろジャクリーン・ケネディの描かれ方が『ジャッキー』の補完になっているような。

  LBJ 1.jpg リチャード・ジェンキンスが差別主義者の役なのは残念だったが、ラッセル上院議員本人はそう思ってないからな。 この二人のやりとりは台詞も多くてスリリングで面白かった。
 南部の白人たちは何をもって「伝統」と考えているのだろうか。 黒人に権利を認めないことが?
 でも南部の白人がみなそうだというわけではなく、ヤーボロー議員(ビル・プルマン)のように公民権法賛成の人もいるので(はっきり描かれていなかったが北部にも反対の人はいただろう)、相手を激高させずに「そもそもあなたの考え方が人種差別なんですよ」ということを回りくどく伝えて説得していくことが必要、という。
 以前のジョンソンも元々公民権運動反対派だった。 大統領になってケネディの路線を継承する、と決めたのはそうでなければ国民の総意を取れないからかもしれないし、ケネディと一緒にいたことで公民権法の必要性をより強く感じ取ったからかもしれない(ジョンソン家のコックは黒人女性で、ジョンソンは昔から彼女の世話になっていて尊敬しているため、個人的に彼は差別主義者ではなかったと思うが、南部の政治家として必要なポーズをとっていただけかも)。

  LBJ 4.jpg するとボビーは「何故兄の路線を継承する?」と苛立ちを見せる。
 この映画ではジョンソンとロバート・ケネディとの会話のほうがジョンよりも多く描かれている。 明らかにジョンソンを嫌うロバートの姿にはジョンソンならずとも違和感を禁じ得ないが、そこに嫉妬があるとするならばわかる気がする。
 ボビーは兄の補佐をしたかった、なのに副大統領にジョンソンがおさまった(司法長官のほうが権力は大きいけど、後世の記録に残るのは大統領・副大統領コンビ)。 兄の遺志を継ぎたいのに、それをやろうとするのはジョンソン。
 いやいや、結果が大切じゃない? 兄弟だし、感情は理性では割り切れないのかもしれないけれど、そこがボビーの若さだったのかなぁと感じる。

  LBJ 5.jpg そして、大統領就任演説。
 ここがこの映画いちばんの見せ場だったと思うのですが、なんか感動しちゃった!
 心の底からの真実の言葉は人の心を動かせる!、という場に立ったような気持ちになった。
 政治って大変だけど、こういうことが成し遂げられるならやめられなくなるだろうな、とも。
 リンドン・ジョンソンの伝記映画だと考えればベトナム戦争に触れないのはおかしいし(劇中にちょこっと出てくるが、「公民権法成立のほうが先」とあとまわしにされていた)、ウォーレン委員会も出てこないし、片手落ちの感があるだろうけど、そこまでやっちゃったら映画終わらないよね・・・本質もぼやけるし。
 ウディ・ハレルソンにつられましたが、思いのほか面白かったし引き込まれてしまった。 ロブ・ライナーの職人芸を観た。
 大統領になりたかった男が、自分のためではなく他の人たちのために大統領という職を引き受ける、というアメリカが目指す民主主義の美しいカタチを描きたかったのかな、と。 これもある意味、反トランプ映画なのかしら。

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2018年10月23日

今日は9冊。

 あぁ、もう10月も後半なんですけど・・・まだ昼間はなんか暑いなぁ。

  音叉 エドワード・ゴーリー.jpg 音叉/エドワード・ゴーリー
 三作連続ゴーリー刊行、三冊目。
 一回読みましたが・・・『音叉』というタイトルの意味がよくわからない・・・。 もう少し読み込まないといけないなぁ。 黒の濃淡はさすがですが。
 手拭いプレゼント、当選100名だそうな。 当たるか当たらないか微妙。 そして出すのも忘れそうなあたし。

  幻影城市 柳広司.jpg 幻影城市/柳広司
 「あれ、柳広司にこんな本あったっけ?」と思ったら、<『楽園の蝶』を全面改稿・改題>とのこと。 だったら納得。

  これほど昏い場所に.jpg これほど昏い場所に/ディーン・クーンツ
 おや、クーンツ、お久し振り! というかRはどこに行ったの?(以前はディーン・R・クーンツ名義であることが多かった)
 というか別の人じゃないですよね?!、とあわてて確認。 同じ人でした。
 スーパーナチュラル要素を封印したFBI捜査官ものだそうで・・・クーンツもホラーから離れたの?

  サイレンズ・イン・ザ・ストリート.jpg サイレンズ・イン・ザ・ストリート/エイドリアン・マッキンティ
 『コールド・コールド・グラウンド』続編。
 あぁ、あたしも警察小説を楽しみにするようになったとは・・・ヘニング・マンケル『目くらましの道』との出会いから何年たったんだっけ。 ついしみじみします(このシリーズはイギリスですが、社会派要素が入っているやつは特に)。

  タンジェリン.jpg タンジェリン/クリスティン・マンガン
 なんとモロッコのタンジールを舞台にした二人の女性の心理サスペンス、というざっくりあらすじだけで興味津々。

  誰かが嘘をついている.jpg 誰かが嘘をついている/カレン・M・マクマナス
 高校の理科室に集う高校生たち、その中の一人が死んで・・・という日本の新本格ブームを通過してきた身としては大変魅力的な設定ではないですか。 当然、本格ミステリでありながら優れた青春小説なのでしょ!

  消えた子供 トールオークスの秘密.jpg 消えた子供 トールオークスの秘密/クリス・ウィタカー
 CWA賞新人賞受賞だそうで。 知らない者が誰もいないような小さな町で、3歳の子供が突然消える・・・という『ブロードチャーチ』をつい連想してしまう設定。 ということはさぞ町に住む人々のいろんな面が白日にさらされてごたごたするんだろうなぁ、と思うじゃないですか。

  やじきたF05.jpg やじきた学園道中記F 5/市東亮子
 F:ファイナルと銘打ってからも5巻。 あぁ、前がどこまでだったか覚えてない・・・5冊くらいなら読み返せるかな〜。
 でもよくわからない地域の方言を文字で読むのは意外とつらい(耳で聴いたらそこまでではないのだろうけど)。

  宇宙兄弟34.jpg 宇宙兄弟 34/小山宙也
 あぁ、そうだった、ベティが大変な目に遭ったところだった。
 続きを読んで前の巻の話を思い出すお年頃。 さすがに毎度1巻から読み返すのは物理的に無理になってきたので。
 でもムッタたちにもじわじわと危機は迫っているのよね・・・待て次巻!、って感じだ。

ラベル:マンガ 新刊
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2018年10月22日

カササギ殺人事件/アンソニー・ホロヴィッツ

 東京創元社がたいへん力を入れているこれ、ランキング発表前に早めに読もうか、と。
 そしたらあっという間に読み終わってしまった。
 大変面白かったです。 というか、胸がきゅんとしてしまいました。
 ここにはミステリ愛が満ち溢れている。 ミステリというジャンルを愛する人たちの気持ちが。
 なので、余計な予備知識は入れず、アガサ・クリスティや『名探偵ポワロ』が好きな人はただ黙って読みましょう。 読み終わった人となら、いくらでも喋ります!

  カササギ殺人事件1.jpgカササギ殺人事件2.jpg 今回は上下巻なのにも意味がある!

 上巻の最後で「はっ?! どういうこと?!」となること必至なので、買うにせよ借りるにせよ是非上下巻一緒に(あたしは早速上下巻まとめてポワロ好きな人に「まず読んで」と押し付けました)。
 エラリー・クイーン的な「論理のアクロバット」を愛し、過去作品が最も読めるのは世界で日本がいちばん、と言われたりもしているんですけど(ちなみに<アルセーヌ・ルパンシリーズ>が全巻読めるのも今では日本だけらしい、本国フランスではモーリス・ルブランは忘れられた作家になっているとか)、イギリスはやはりシャーロック・ホームズとアガサ・クリスティの国、ガジェットに惑わされない“論理による純粋推理”を実践!
 1950年代の雰囲気、やりすぎないポワロのパロディ感、登場人物が沢山出てくる田園屋敷モノ。
 そして現代においてそんなミステリ作品を読む・出版する意味。
 なんと言ったらいいのだろう、この作品のすべてが、読者のミステリ愛に対して訴えてくるものがある。
 ミステリを愛する気持ちに対する絶大なる共感にも似た、ときめき。 このジャンルを愛することに対する誇りのようなもの。
 だからあたしはきゅんとしてしまったのだ。
 以前に比べて、ジャンルとしてのミステリやSFの地位はずっと上がった。 でもそうではない時期は確かにあった。 はっきり自覚してはいなかったかもしれないけれど、「いわれなき差別」のようなものにさらされていた。
 でも『カササギ殺人事件』はそういう過去を吹っ飛ばしてくれる。 後ろめたさを自覚しながら、素晴らしく爽快なほどに。

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2018年10月20日

チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛/TULIP FEVER

 <フェルメールの絵画をモチーフに>と聞いていたので「『真珠の耳飾りの少女』的な?」と思ったのですが、タイトル『チューリップ・フィーバー』とはオランダで起こったチューリップの球根への投資騒ぎだとわかり・・・むしろその球根騒ぎが目当てで観に行くことに。
 室内はネーデルランド絵画のような雰囲気で、すごくよかった!
 でも、思ったよりチューリップ話中心ではなかったような・・・。

  チューリップ・フィーバーP.jpg 花に狂い、愛に狂う

 1634年のオランダ。 修道院で暮らしていたソフィア(アリシア・ヴィキャンデル)は修道院長(ジュディ・デンチ)に言い聞かせられ、有力なスパイス商人のコルネリス(クリストフ・ヴァルツ)の後妻となる。 要は金で買われた結婚であるが、修道院しか世界を知らなかったソフィアにとっては言われるがままの日々に不満を覚えることもわからなかった。 若く美しい妻を自慢したいコルネリスは、自分たちの肖像画を描かせるために新進画家のヤン(デイン・デハーン)を雇うことに。 ヤンはソフィアに一目惚れし、その情熱はソフィアにも伝わり、いつしか二人は愛し合うようになってしまう・・・という話。

  チューリップ・フィーバー2.jpg この時代、この青を出すのにどれほどの手間がかかっただろう。
 絵画的な美しさが多々ありますが、決してフェルメールには関係ない。
 物語はソフィアの侍女マリアの語りで進行するので・・・過去からの俯瞰なのだけれど、思わせぶりな言い方に沈黙も多いので「あ、ナレーションあったなぁ」と語られて思い出すところが。 ただなんというか・・・ソフィアの性格が・何を考えているのかよくわからないので、金で買われたつらさはあるだろうけどソフィア個人に魅力を感じられなかったのが残念。
 え、結局この二人の話なの?、チューリップどうしたの?、とかつい途中で思ってしまった。

  チューリップ・フィーバー3.jpg クリストフ・ヴァルツがなんだかお笑い担当っぽくて・・・。
 いやいや、終盤はすごくいい味出してくれるんだけど、それまでの“やりすぎ感”がなんとも・・・まぁ、そこも含めてのクリストフ・ヴァルツそ存在感ではあるのですが。
 あ、二人の肖像画の最初のポーズ(と、背景となる部屋の小道具などが)が『アルノルフィーニ夫妻の肖像』に似ていて、フェルメールというよりヤン・ファン・エイクなのではと思ったけど、その絵よりもチューリップを持つソフィアの肖像のほうが出番が多かったので、ちょっとした遊びゴコロですかね。
 お笑い担当としては画家ヤンの幼馴染み(?)としてザック・ガリフィナーキスも出ているんだけど、コスチューム感がすごくてすぐに彼だとはわからなかった・・・。

  チューリップ・フィーバー1.jpg ジュディ・デンチも、役どころおいしすぎ!
 修道院の敷地内でチューリップを育て、球根を業者に卸しているけれども暴利をむさぼらず適正価格で取引。 けれどその後の値段変動を把握しているあたり、ちゃっかり者感がよく出ています。 でも基本的には神に仕える者なので、投機で身を滅ぼしかねない人たちのことを気にかけているし、ソフィアのことも気にしているのだけれど、優先順位は修道院を守ることなのかなぁ。 この場所がなくなれば、幼き者たちを助けることができなくなってしまうから。 ある程度の年齢になったら、あとは自分の人生には責任を持て、ということか。
 オランダが舞台だけど台詞は英語なので、どうもイギリスっぽい。 というかシェイクスピアっぽいんだよな〜。 でも喜劇でも悲劇でもない、微妙に中途半端な感じで。 ソフィアと画家の話と、チューリップの話が関係ないわけじゃないんだけど、もうちょっとうまく絡んでくれたらバランスがよかったのに。
 と思ったら脚本家の中にトム・ストッパードの名前があったよ! シェイクスピアっぽさ、納得!
 エンドロールでびっくり。 え、マシュー・モリソン、どこにいたの? ケヴィン・マクギットは顔が怖そうでいて実はいい人というおいしい役ですぐわかったけど(『ROMA』で時代物を観ているせいか)。 コスチュームプレイは時に、役者の顔がわからなくなってしまうものなのかしら。

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2018年10月19日

散り椿

 木村大作監督作品だから観に行くけどさー(がんこジジイ好きなあたしは昔から大作さん本人のファンである)、藤沢周平風・浅田次郎的な時代劇ってなんか苦手というか、こちらの人生経験が足りないせいなのでしょうけどよさがよくわからないんだよなぁ。 だから葉室麟も読んだことないのよ、勝手に同じ匂いを感じてしまって。 あたしの時代小説はじまりが人形佐七捕物帳だったから?
 まぁ、でも岡田くんは時代劇あってるよね。 『追憶』のときの胸板の厚すぎ感、着物なら目立たない。
  散り椿P.jpg ただ愛のため、男は哀しき剣を振るう――

 享保15年、一刀流道場の四天王の一人といわれていた瓜生新兵衛(岡田准一)は、扇野藩の不正を告発したため追放の憂き目に遭い、京に逃れる。 藩でのことは忘れて最愛の妻・篠(麻生久美子)とともに静かな暮らしを送っていこうとしていたが、それでも刺客は新兵衛を狙い続ける。 胸の病により時間が残り少ないと悟った篠は新兵衛に藩に戻ってほしいという。
 かくして新兵衛は因縁の扇野藩に戻り、篠の弟妹、坂下藤吾(池松壮亮)と坂下里美(黒木華)のもとに身を寄せる。
 「藩を混乱に陥れた」として藤吾は新兵衛に冷たい態度をとるが、里美は「兄上ですよ」と弟をいさめる。 四天王のもう一人は坂下家の長男・源之進(駿河太郎)なのだが、不正にかかわることに責任を取って切腹している。
 残る四天王は二人、藩の要職についている榊原采女(西島秀俊)と篠原三右衛門(緒方直人)。 二人は新兵衛の友人でもあるが、いまはお家騒動にかかわる微妙な時期のため、表立って新兵衛のことは歓迎できない様子。 すべては石田玄蕃(奥田瑛二)が藩の実権を握っている以上は・・・という話。
 ちなみに<散り椿>とは、首ごとぼとりと花が落ちる普通の椿と違って、花びらが一枚一枚舞い散る種類の椿のこと。

 「藩から逃げましたが今も追われています」のくだりは映画が始まって余韻とか感じる間もなく(クレジットもまだ出てない!)、いきなりナレーションが語ってくれる。 「えっ、もう!」とびっくりするし、そのナレーションがトヨエツだからなおびっくり! 少しでも台詞がある人、顔のアップがある人はほぼ名前・顔の知られている人ばかりという豪華キャストには、<木村大作ブランド>の俳優の世界での大きさを感じる。
 ただねぇ・・・大作さん、リアリティ追求するし画の力はすごく綺麗なんだけど、監督となると役者への演出がいまひとつなところがあり・・・今回もそれが出ちゃいましたね。 たとえば藤吾の未熟者感が出たやたら声を張る音高めの喋り方、他にそういう喋りをする人が誰もいないので池松くんが下手に見えるじゃないか・・・映像のバランスばかりじゃなくて役者たちのバランスも考えて。
 瓜生新兵衛の剣はかなり実戦向きの速さのある構えで、「おおっ」と思わされるんだけど、同じ四天王のわりに榊原采女はそこまでではないように見えちゃう・・・“岡田くんと西島さんの差”として映ってしまうことが残念だ。
 「散る椿は、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるもの」という新兵衛さんの言葉がテーマなのだろうけれど・・・。
 お家騒動と妻への愛が同じ重さ、むしろ後者のほうが重く描かれているように感じるのだけれど、その両者がうまく噛み合っていないような。 そこに更に<同士愛的男の友情>も絡んでくるので「いったいどうしたいのか、何を目指したいのかよくわからない!」ということに・・・登場人物の性格がよく伝わってこないんだよ! いや、これはあたしのせいだろう。 こういう世界観にあたしがなじめないのだ。
 いちいち説明しなくとも、その美学、わかりますよね、という「こういう時代劇」のお約束が、いまいちあたしにはわからない。
 ・・・やっぱりダメだったか、残念だ。

 リアリティ重視の、手首を切って相手の戦意を喪失させる殺陣はあっさりしすぎて逆に面白かったんだけど、血がドバドバと飛び散る斬り合いは黒澤映画へのオマージュですかね? 両端に振り切った“まったく新しい殺陣”への心意気はすごくいいと思うんだけど、間がなさ過ぎて両立できないというか、地味なほうを基準にすればもう片方は派手すぎると感じるし、派手なほうを基準にすると「なんでさらっと手首なで斬りされたぐらいでぴくぴく倒れちゃうの?」となってしまって物足りない。
 物語自体が<静>すぎるので、<動>の殺陣が引き立つというより悪目立ちしてしまうせいもあるかも。
 扇野藩がどのあたりにあるかも個人的には気になりました。 京にも行けて、江戸とも取引ができる場所・・・山が多くて和紙が主産業。 風景も考えると富山か長野あたり? まぁ、風景はロケ地で変わるから、お城は明らかに彦根城だしね(さすがにあたしもそれくらいはわかるようになってきた・・・)。
 オープニング・エンディングクレジットは何故ご本人たちの自筆でなければならなかったのかしら?(しかも筆ではなくてサインペンぽかった) 「わ、この人、字が上手! この人は残念」となってしまうのはなんかかわいそうでしょう! しかも大作さん本人は達筆すぎて読めなかったし。

  散り椿P2.jpg そして恒例、ひらパー兄さんによるパロディポスター。
 今回は「下手な鉄砲数うちゃ当たる」式な面白さで・・・ひらかたパークの心意気を感じました。

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2018年10月18日

ヒトラーと戦った22日間/SOBIBOR

 邦題に『ヒトラー』とついていても最近のはヒトラーが出ていることはほとんどない。 もはやナチスとかその時代の体制とか、全部ひっくるめて<ヒトラー>と呼ぶことにしたんだろうな、という感じ。 相変わらず歴史を映画で知るあたし、ソビボル収容所についてはほぼ知らなかったので、アウシュヴィッツ=ビルケナウとはどう違うのか興味を覚えた。
 が、オープニング見て、びっくり。 キリル文字? ロシア語? ロシアでもユダヤ人題材のナチス避難映画作るんだ!、ということに。
 PG12だったのでそれほど残虐ではないと予測したのですが・・・もはやあたしの感覚がおかしくなっているのかもしれません。 なにひとつ目を背けるようなことはなかった・・・(残酷なシーンがないわけではないのに)。

  ヒトラーと闘った22日間P.jpg 1943年、私たちが生き残るには収容所から“脱走”するしかなかった

 1943年、ソビボル絶滅収容所には毎日のように大勢のユダヤ人が運び込まれ、手に職があるものとないものに分類され、ないものはそのままガス室に送られている。 かろうじて生き残った者たちはナチスドイツ軍の将校たちの気まぐれな命令に振り回されながら、自分たちの命もまた気まぐれに左右されていることを毎日思い知ることに。 このままではいけないと脱走を考えている人たちもいるのだが、リーダーが殺されて以降あとを継げる者がいなくて計画は頓挫したままだった。 9月になって、軍人経験のあるアレクサンドル・ペチェルスキーがソビボル収容所に移送されてきた。 彼こそ新たなリーダーに、と色めき立つが、彼にはその気がないらしい。 しかしナチス将校の収容者への嫌がらせがどんどんエスカレートしていき、ついに彼はソビボル収容所に閉じ込められている全員の脱出を条件にリーダーになることを承諾し、前代未聞の脱出計画がスタートする・・・という話。

  ヒトラーと闘った22日間2.jpg 何も知らずに運ばれてきた人たち。
 黄色い星の大きさや服につける位置が過去に観た映画となんか違いますが・・・結構地域差があるのかも。
 身ぎれいな状態でソビボルに連れてこられた方々は単に住まされるところが変わったぐらいの感じなのか危機感がまったくないし、むしろちょっと性格悪いというか、「私がなんで貧乏人と一緒にいなきゃいけないの」という態度をとる人もいて・・・まぁ<ユダヤ人>というくくりだけなんでいろんな人がいますよね。 何も非のない被害者、というイメージをひきずらない姿は興味深かった。
 ガス室のシーンはなかなか壮絶でしたが、次から次へ人が来るわけで、「・・・そのあとの片づけ、どうやったの?」という疑問がぬぐえない(そこの描写がなかったので)。

  ヒトラーと闘った22日間1.jpg アレクサンドルの愛称はサーシャ。 ってことはソ連人ですか!
 ナチス将校には絵に描いたようなバカがいて、「・・・マジか(ため息)」と首ががっくり落ちそうになるのだが、多分いたんでしょうね、こういう人。 「ちょっと逆らったら殺される」という環境下にいるとはいえ、収容所での理不尽な様子は、「これって戦争だからってことで説明つく?」と疑惑の念が湧く。 こいつら、戦場にいないから暇なんじゃないの? 結局のところ、閉ざされた空間で支配する側とされる側とに分けられたがための・・・ハーバード大学の実験そのものじゃないの! アーリア人だから・ユダヤ人だから、って理由じゃないよね。
 ユダヤ人殲滅作戦というものを確信を持ってやっていた人たちってどれくらいいたんだろう。 ほとんどの人たちは「そういう風にいわれたから」なんだろうな・・・という権力を持つ側が勝手に描くシナリオ通りで、戦争に類するものから派生するすべてにむなしさを感じてしまうじゃないか。 だって、出てくる人たちみんな、敵味方関係なく目に光がないもの。 絶望にいるみたい。

  ヒトラーと闘った22日間3.jpg 集まったレジスタンスという名の刺客(子供から大人まで)。
 しかし、ナチス将校皆殺し作戦が具体的に動き出してからは映画のトーンが変わり、タイムリミットサスペンスのような風情に。 ここで復讐をするためにこれまでの耐えがたきを耐えた時間があったのか、というくらいに。
 しかし突然、サーシャが言う、「おれたちにはスターリンの血が流れている」。
 えっ!?、どういうこと?!、とあたしは混乱した。 やっぱりサーシャはソ連人なのね、と納得しつつ、「でも、スターリンもユダヤ人を迫害(粛清?)してますよね? 更に恐怖政治してましたよね?」と言いたくなる! ・・・この映画は、ロシア側のプロパガンダだったのか・・・。 サーシャは英雄であるという話にしたかったのですね。
 けれど、エンディングで出てきたその後を示す字幕で・・・結構衝撃的なことがさらっと語られているんですけど! そこ、もっと詳細が必要なのでは!
 極限状況下に置かれた人間の愚かしさをこれでもかとしつこく・しぶとく描く骨太さは最近のナチス映画にしては珍しい方向でしたが、最後なんだか割り切れないものが・・・。

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2018年10月17日

ミスター・メルセデス/スティーヴン・キング

 はっはっは、やっと読みましたよ、『ミスター・メルセデス』。
 上巻冒頭、仕事を求めて早朝から集まった人たちの人生の断片を読まされ、「あぁ」と思っていけばいくほど、この先に待つ“悲劇”の気配が濃厚で、そのプレッシャーに負けて一度は本を閉じてしまいました。 ホラー好きというのは想像力がありすぎるのかもしれません(あまり信じてはもらえませんが、あたしはとても怖がりです。 怖くならないように科学を利用しています)。
 しかしシリーズ最終巻『任務の終わり』が出て、11月上旬には『ミスター・メルセデス』が文庫出るという! さすがにその前には読まないよね、と思うじゃないですか。
 スティーヴン・キング、はじめてのミステリ・警察小説でMWA賞長編賞(エドガー賞)受賞!、という話題性もありますが、審査する側もそんなことされたら賞をやるしかないよね・・・と思ってしまうよ。

  ミスターメルセデス1.jpgミスターメルセデス2.jpg ソフトカバーだからまだよい。 上下巻の表紙の感じも好きさ。

 盗難車のメルセデスベンツで、職業相談のために集まっていたリンカーンセンターの行列につっこみ、8人脳の地を一瞬にして奪った(勿論けが人ももっといる)通称<メルセデス・キラー>。
 重大犯罪課に勤めていた刑事のビル・ホッジスは逮捕に懸命に力を入れたが、その前に退職の日を迎えてしまった。 今でも心残りなのは<メルセデス・キラー>を捕らえられないこと。 ひとり暮らしの退職者の例にもれずにヒマを持て余して人生の意味を見い出せず、時折自殺がホッジズの頭をよぎる。
 そんなある日、ホッジスのもとに<メルセデス・キラー>を名乗る人物からホッジスをあざける手紙が届いた。 本来は警察に届けるべきところだが、ホッジスは自分の手で犯人を捕まえようと行動を始める・・・という話。

 文体は明らかにスティーヴン・キング。 けれどホラー系ジャンルであればもっとここ書き込んだんじゃないか、と感じさせるところはかなり抑え気味。 警察小説とあるけど、ホッジスはもう退職しているので古き良き私立探偵ものの雰囲気が強い(とはいえホッジスは私立探偵免許をまだ持っていないので、その意味でも法律違反)。 そんなホッジスに協力する人たちが集まる過程は、キング作品に共通なんだけど超常現象とか特殊能力は出てきません! そこはなんとなくリアリティ重視!
 子供や弱き者に温かな視線を与えているのはいいのですが、必要とあればいくらでも容赦なくなるのもまたキング節でした・・・。
 自分の人生をうまく舵取りできない人たちに「自分の居場所」を見つける旅をさせるのも、切ないけど応援したくなっちゃうよね。 一歩間違えれば、そのキャラクターは自分だったかもしれないんだから・・・。
 再読を始めたら、あっという間に読み終わってしまいました。 このリーダビリティ、ジャンル関係なく変わらないぜ。

ラベル:海外ミステリ
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2018年10月16日

教誨師 (きょうかいし)

 この映画、観たかったがものすごく観たいのかと考えると複雑な心境で。
 だって<大杉漣、最後の主演作にて最初で最後のプロデュース作>と書かれているんだもの、そんなに「最後の」って言わないでよ! というかあたしはまだ漣さんがいないことを受け入れられてないんだ!
 それでも「最後の」という言葉を使えるようにはなっている。 だけど、納得できるかどうかはまた別の話なんです。

  教誨師P.jpg 死刑囚6人との対話が始まる。

 教誨師とは、ボランティアで受刑者の道徳心の育成や心の救済を行う宗教者のこと。
 佐伯保(大杉漣)はプロテスタントの牧師で、教誨師になって半年。 月に2回拘置所を訪れて、自分の担当となった死刑囚6人と面談する。 その相手とは、まったく喋る様子もない鈴木(古舘寛治)、世間話に花が咲きすぎる気のいい吉田(光石研)、ホームレスだったという進藤(五頭岳夫)、のべつまくなしに喋り倒す関西のおばちゃん野口(烏丸せつこ)、自分の息子のことをずっと心配している気弱そうな小川(小川登)、そして大量殺人者であることを誇りにしているような高宮(玉置玲央)。
 佐伯は親身になって彼らの言葉を聞き、自分が彼らを受け入れていることを伝え、彼らの心の悔いと安らぎが訪れるようにと聖書の言葉を口にする。 しかしなかなか思い通りにはいかず、その過程で彼らも佐伯もいつしか“自分の言葉”で話し合うようになる・・・という話。

  教誨師1.jpg教誨師6.jpg それぞれの表情を十分に押さえるためか、同じ画面に二人の顔を映したくないためか、スクリーンは3:4。
 BGMもなく、ただひたすら役者の力を見せつけられる会話劇でございます。
 更には微表情も堪能。 古舘寛治さん、こんなにくっきり二重瞼だって初めて気がついたし(普段はメガネをかけていることが多いせいもありましょうが)。
 つくりも非常に演劇的なんだけれども、舞台じゃ顔のアップは見られないもんね。 その点、映画としての利点を最大限に。
 6人が死刑囚だということはわかっているけど、一体何をしてここにいるのか、というのは具体的に説明されず、彼らの会話の合間から次第に見えてくる感じ。 会話劇だしすごく台詞が多いんだけど、台詞が多いと感じないのは、みなさんが自分の言葉として喋っているから。 だって、誰しも日常会話ではどれだけ喋っても「思ってること・感じてること全部言葉にできてない、喋り足りなかったなぁ、もっといい表現あったよなぁ」って思うことあるでしょ。 そんな感じです。 それに普通の脚本ならば紛らわしい同音異義語は排除するところだろうけれど、日常会話ではそこあまり気にしない(誤解したら説明しなおせばいい)からか、教誨と教会、話すと離すなどが一連の会話の中に登場する。 そういうところも<つくりごと>から遠い。

  教誨師5.jpg教誨師7.jpg 野口のおばちゃんのお喋り具合には会場からも笑いが。 一方でぼそぼそと喋る小川の姿には妙なリアリティが。
 佐伯は教誨師になって半年ということで、まだまだ慣れてない感じがあって、相手から飛び出す唐突な言葉に「は?」と素で返してしまうことがあり、それがすごく面白い! 勿論それは素なんかではなく脚本に書かれてあることで、入念にリハーサルもされた結果なのだとわかっているのだが・・・“役柄”と“役者”が限りなく近づいているようなそんな気がすごくして。 役者好きには大変贅沢で、しかも一瞬も気の抜けない空間だった。
 しかも佐伯は6人それぞれに一対一で会話するのだけれど、相手によって当然ながら反応が違う。 この人は喋りやすい、この人はよくわからない、この人は・・・、といった佐伯の心の内もその会話にあらわれる。 6人がそれぞれ<死刑囚・犯罪者>というレッテルに対し自分自身の仮面をかぶっているように、佐伯もまた<教誨師>という仮面をつけているのだ。

  教誨師2.jpg 吉田、面白すぎ!
 いやー、吉田的にはものすごく切羽詰まっている場面だとわかっているんですが、ここ笑っちゃいけないよなぁと思いつつ、でもやっぱり笑ってしまったよ。 重たいテーマ・題材を扱いながらも笑いを封印しないところもまたよかった。
 そして個人的には、どんなシチュエーションであろうと、漣さんと光石さんが会話しているというだけで観ていて顔がにやけてしまうのでした。 この二人の会話、ずっと観ていたいわ。 『バイプレイヤーズ』1の撮影中に漣さんが光石さんに出演をオファーしたそうですが、他のメンバーでなく何故光石さん?、とちょっと思ってたんだけど、この映画を観て心から納得。 他の5人のキャスティング(その時には決まってなかったかもしれないが)を見たら映画のバランス的にも光石さんがベスト! エンケンさんや寺島さんだと濃すぎるし、トモロヲさんでは色が違うし、松重さんは微妙なところだな・・・とかつい考えてしまいましたよ。

  教誨師4.jpg いちばんの難物、高宮。
 こいつがまた憎々しくて・・・。 「頭でっかちなこと喋ってんじゃねーよ!」と額をぺしっと叩きたくなる感じ。 そして佐伯にも「こんなやつに言い負かされてんじゃねーよ!」とドンと背中をたたきたくなる・・・わかってますよ、教誨師という立場からは相手を否定したりやりこめたりしてはいけないことは。 でも佐伯として高宮に言い負けているから、つい口をはさみたくなる・・・。
 この映画の監督としては、「死刑制度に対してもう一度改めて考えてみませんか」という問題提起があってこの映画をつくったのだと思われますが・・・役者さんたちがすごすぎてちょっと社会派要素が薄れちゃった的な感じがしなくもなく・・・。

  教誨師3.jpg 外へ出たからといって救いがあるとは限らず。
 しかし最後にぶっこまれたひらがなの言葉に、あたしはノックアウトされ。
 結局はそこか、「人が人を裁くとは」という根本的なことに立ち返らざるを得ないのね。 というかそこを考えつくしていないうちに我々は法制度に組み込まれてしまっているのが問題ってことですか。 死刑囚と教誨師はいつも同じ位置に座る。 けれど所長とかの面談だと教誨師は死刑囚の位置に座ることに。 つまりはそういうことですか!
 やりきれないんだけど、すごいものを観たという満足感もあり、漣さんエピソードを期待してパンフも買っちゃった。

 テアトル梅田で観たのですが、大変混雑しておりました。
 しかし漣さんがプロデュースした作品だけあって、結構通好み・・・テレビの漣さんしか知らない人がなんとなく観ようと思ったら痛い目に遭いそう。 『カメラを止めるな!』のように上映館が一気に増えないのはそのあたりに理由がありそうな(難解というわけではないんだけど、最初から説明してくれて最後に答えが出る話ではないから)。
 神戸では元町映画館で10月20日から公開だそうです。 もう一回行こうかな、と思ったら昼の回しかないよ! しかも一日一回上映かよ!

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2018年10月15日

スカイスクレイパー/SKYSCRAPER

 予告を観て・・・「『タワーリング・インフェルノ』+『ダイ・ハード』?」と。
 で、こういうのも好きなんですよね、結局。 実際は、『ダイ・ハード』ほどでもなく『タワーリング・インフェルノ』ほどでもなかったわけですが・・・ロック様にハンデを持たせてみました、ぐらいの感じ?

  スカイスクレイパーP.jpg 史上最大に、デカい建物。史上最高に、ヤバい救出。

 香港、ビクトリア湾の一角に<ザ・パール>という世界最長のビルが建った。 250階建て、高さ約1000メートルの<ザ・パール>は低階層はショッピングモールとして、高層階はマンションとして営業予定である。 オーナーであり世界有数の大富豪にプレゼン内容を見込まれ、セキュリティ担当責任者としてアメリカから<ザ・パール>の98階に移り住んできたのがウィル(ドウェイン・ジョンソン)一家であった。 実はウィルはかつてFBIの人質救出チームのリーダーであったが、説得を失敗したある事件のためにウィルは片足を失い、引退した。 セキュリティコンサルタントは彼の第二の人生の出発だった。 だが、ウィルに与えられた<ザ・パール>のシステムアクセス権限を狙って、何者かが暗躍する・・・という話。

  スカイスクレイパー1.jpg <ザ・パール>の展望台からの眺め?
 高さ1000メートルといわれても想像がつかないのですが・・・どうせVFXですよね、とわかっていても高所恐怖症のあたし、「ひょえー」となる部分はたくさんありました。 しかしそんな高さにもひるまないロック様! さっき靴脱いでたはずなのにいつの間にかちゃんと履いてるロック様! 左足(確か)が義足だけど全然ハンデに感じないロック様! ダクトテープが最強の武器になるロック様!
 と、いろいろ無茶なところがあってもなんだかそれで許される・・・それがロック様ことドウェイン・ジョンソン主演であるが故。

  スカイスクレイパー4.jpg 最近、とりあえず悪いやつはロシア・北欧系が多い。
 まぁ、正直、悪役側がしたいことがよくわからない・・・他にやりようがないのか、と思っちゃうのもこういう映画の場合ダメなんだが、もっとちゃんとやれそうな人たちなので(?)、微妙にもったいなさが。 あと、一応テロリスト設定なのですが、開業前の高層ビル(ショッピングモール部分は開業してるけど)が相手ということで、標的の大富豪以外の一般人はとりあえず外に出してから、という妙な騎士道精神があり。 だからウィルの家族が住んでいる・顔を見られたことにちょっと狼狽するという・・・。
 関係者の命だけが危険かも、というのは心配する対象が少なくて逆に安心なのか? でもこの映画が『タワーリング・インフェルノ』や『ダイ・ハード』のレベルにまで行かなかったのは(話の単純さもありましょうが)、「不特定多数の“その場に居合わせただけの人々”の中から自然に生まれるドラマ」がまったくなかったからではないだろうか、という気がする。

  スカイスクレイパー5.jpg ネーヴ・キャンベル、お久し振り。
 ウィルの妻にして外科医(そもそもの出会いが運ばれてきたウィルを手術した時だという)、ただの妻なわけがなく・・・心配という形で足を引っ張る奥様像が時代錯誤なものになってくれたのね、とちょっとほっとする。 しかし家族愛は譲れない感じなのね。
 でも個人的に、ドウェイン・ジョンソンは家族がいないほうがあたしは楽しめるな・・・という気がしたので、『ランペイジ 巨獣大乱闘』のほうが好きだったかな〜。

  スカイスクレイパー3.jpg 黒ずくめの女殺し屋、というのもよくあるパターンで。
 華奢で小柄な女性が大きめの銃を構える、ということに萌える人たちが結構いるんですかね? どうせなら見た目だけでなく、彼女のバックボーンが知りたいところですが・・・でもリスベット・サランデル以上のキャラクターをつくるのは難しいから、意匠だけ借りてる、的な?
 まぁこの映画自体いろんなところから意匠を借りまくってますが・・・唯一新鮮だったのは、タイトル“SKYSCRAPER”を<ザ・パール>のシルエットに合わせて縦書き表記をしたところでしょうか。

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2018年10月14日

クワイエット・プレイス/A QUIET PLACE

 <『IT/イット それが見えたら、終わり』を超えた全米No.1ヒット!>とか言われたら期待しちゃいますよね。
 しかもエミリー・ブラントとジョン・クラシンスキー初共演、脚本と監督もジョン・クラシンスキーと、アイディア優先の低予算なので奥さんに主演頼んじゃいました的な裏事情も見え隠れするけど、エミリー・ブラントうまいし好きだからいいんです。

  クワイエット・プレイスP2.jpg 音を立てたら、即死。

 今は2020年。 ある日突然、地球は得体の知れない<何か>によって襲われ、人類は存亡の危機に陥ってから400日以上がたっていた。 生き残っている数少ない人々はその<何か>が音を聞きつけて襲い掛かってくることを学習したので、些細な音にも神経をとがらせ、静寂の中で生きていた。
 農場を営むリー・アボット(ジョン・クラシンスキー)とエヴリン(エミリー・ブラント)夫妻は自給自足が可能なため、娘と息子2人と5人で「やつらを引き付けるような音を立てない」というルールを家族みんなで実践している。 しかしエヴリンは妊娠中で、そろそろ臨月を迎えようとしていた・・・という話。
 映画は前半、たいへん静かで、些細な生活音にも神経をとがらせる空気。 だから観客側も、音を立ててはいけない気持ちにさせられた。

  クワイエット・プレイス4.jpg 予告で流れていたのは、長男が風邪をひいたため町の店にまで薬を取りに行った帰りの場面であった。
 うらぶれた廃墟のような商店街(?)だけど、誰かが何かを必要としてくるかもしれないから、とアボット夫妻は必要最低限のものしかもらわない。 そのビジュアルはディストピアものにはおなじみの光景で、そこから自宅の農場に帰る道は自然豊かで牧歌的ですらある。 音さえ立てなければ平和なんだからね。
 正直、「音を立てれば、即死」のコピーはいささか大袈裟である。 小さな音だったら大丈夫だったり、川や滝といった水の流れなど常に一定の音が流れているものは<何か>には生物個体の音とは認識されないようなので(<何か>は地球に来て学習したのかもしれないが)、水音のそばでなら会話はOKとか。 カナル式のイヤフォンで音楽を聴き、ダンスをする余裕すらある。 そういう緩急がないと、生きていけないよね。

  クワイエット・プレイス5.jpg 『ワンダーストラック』のあの子だ!
 長女リーガン(ミリセント・シモンズ)は耳が聞こえない。 だから家族の会話には元から手話が使われていたのもアボット一族がこれまで生き残ってこれた理由のひとつかも。 <耳の聞こえない女優>ってなかなか使いづらいと思われそうだけど、彼女は結構順調に仕事している気が。 今後もいい役に巡り合ってほしい。
 リーガンは耳が聞こえない、<何か>は音を聞き取りすぎる。 決して相容れられない立場だからこそ、何らかのヒントはそこにありそうな気配が・・・、と考えちゃうのがあたしの悪い癖。

  クワイエット・プレイス2.jpg 静かにすることが親から子に教えられるいちばん重要なこと。
 弟のマーカス(ノア・ジュープ)は姉のリーガンに比べると気が弱くて臆病者。 リーは次世代の人類をつなげられるように、子供たちに自分たちが身につけた知恵・サバイバル術を伝えていきたいと思っている。 奥さん妊娠してるし、アボット夫妻は現状に絶望せず、未来を信じている人たちだということがわかるが、その気持ちが全部子供たちに伝わるのはもう少し時間がかかりそう・・・。
 どこかで見たことあるよなぁ、と思ってたら『サバービコン』のあの少年ではないか。 登場人物は少ないが、きっちり演技のできる豪華キャストを揃えたね! 荒唐無稽な物語だからこそ、うまい役者が必要ですのよ。

  クワイエット・プレイス3.jpg いくら4度目の出産とはいえ、さすがに無音は無理ではないのでしょうか。
 そして生まれた子供はガンガン泣くのではないでしょうか? その対策はどうするの?、とハラハラします。
 まぁ、ツッコミどころは意外と多いですが、そのへんは「きっとそういうことなんだろうなぁ」と脳内補完をすることで気にならなくなりますので、粗探しするよりはこの世界を楽しみましょう! そのほうが絶対面白い!
 <何か>は正体を現さないほうがよかったかもしれないような気もしないでもないのだが・・・(『プレデター』一作目の半透明状態からカッパ姿が見えてしまったときのがっかり感を思い出した)、ここはどのホラー映画でも悩みどころですからね。
 結局のところ、描きたいのは家族愛・親子愛で、それを際立たせるためのディストピア・週末世界なのかと。
 描きすぎない、一歩手前のラストシーン、好きでした。

 上映後、大学生ぐらいの男子3人連れが席から立てずに呆然としていたのか(そこそこ込んでいたので客がはけるのを待っていただけなのかもしれないが)、「あれから400日以上たってるってことは、奥さんが妊娠したのってそういう世界になってからだよな? よくこの世界で子供をつくろうと思ったな。 ありえないよ」とざわざわしていて、日本における子供を産み育てるハードルの高さが若者にも十分すぎるほど浸透していることを実感しました。 アボット夫妻は自分たちの主義主張として、ちょっと宗教観もあり、人類を滅ぼさないための宿命を引き受けるという覚悟での妊娠だったと思うのですが・・・勿論考え方は人それぞれなんですが、それが伝わらない日本は、そりゃ少子化ですよね。

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