2018年07月31日

今日は5冊。

 もう7月も最終日。 しかし、暑い。 これでまだ8月ではないことが信じられないほどだ。 8月はどうなるのだろう、10月も結局暑いままなのか。 また今年の秋は短いのか。 いろいろ考えると哀しい。

  なごみクラブ09.jpg なごみクラブ 9/遠藤淑子
 『なごみクラブ』も9巻目。
 なんか、絵が・・・という部分もなきにしもあらずだが、話はいつものように「いまいちなことがあってもいいこともあるさ」的なほのぼのしんみりマンネリ路線。
 全然成長しないマネージャー(でもそこがいい)、いろんな意味で変なお客さんたち、気のいいホスト青年たち。 人の入れ替わりは多少あっても、<なごみクラブ>はほとんど変わらない。 だから行ってみたいと思う。
 今回は、「嘘のような、ありえないようなことが実際に起こることがある」のエピソードが秀逸かな。

  トリフィド時代【新訳版】.jpg トリフィド時代 食人植物の恐怖【新訳版】/ジョン・ウィンダム
 <人類破滅SFの金字塔>だそうである。 古典、しかも植物がらみということでわくわく。 この作者の作品は昔『海竜めざめる』を読んだことがあるけど、当時の科学の最先端がちゃんと理解できる内容のものってレトロではあるんだけど説得力が半端ないのですよね。 しかも子供って破滅もの好きだし。 今読んでもあの頃のような気持ちでいられるかなぁ、と自分を試す意味合いもあり。
 新訳になっているので、言葉遣いで「?」となることはないだろうから。

  九人と死で十人だ.jpg 九人と死で十人だ/カーター・ディクスン
 ヘンリ・メリヴェール卿ものなれど、このタイトルはインパクト大。 「死=一人」なのか?、とか考えることはきっとナンセンス。
 でも表紙はものすごくシック! 抒情的すらあるじゃないか。

  アメリカ最後の実験.jpg アメリカ最後の実験/宮内悠介
 宮内作品はいつもジャンルミックスだが、これは<音楽バトル×ミステリー、エンタメ×純文学、SF×青春>だという!
 表紙からのイメージは青春ものチックロードムービー風だが・・・(なんとなくスティーヴン・キングの『ザ・スタンド』っぽくもあり)。

  その姿の消し方.jpg その姿の消し方/堀江敏幸
 その昔、エルヴェ・ギベールの翻訳者として筆者を知った。 そして一時期『悪童日記』三部作の翻訳者・堀茂樹氏と混同していたことがある。 ダメじゃん!
 でもすっかり純文学の小説家になっちゃったのね・・・とちょっと懐かしくも不思議な気持ちに。
 古い新潮文庫(カバーなし)を模したような表紙にも惹かれてみた。

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

真鍮の評決 リンカーン弁護士/マイクル・コナリー

 久し振りにコナリー作品に復帰。 どこから読んでないんだっけ、と思ったら『真鍮の評決』だった・・・<リンカーン弁護士>シリーズ2作目。 もう5作目も出てるよね・・・まぁ、ボッシュものもっと放置してるけど。
 そんなわけで6年遅れで読みました。
 一作目『リンカーン弁護士』事件から約一年後、ひどい痛手から刑事弁護士業務から遠ざかっていたミッキー・ハラー。 しかしそろそろ復帰しようとしていた矢先、弁護士仲間のジェリー・ヴィンセントが非業の死を遂げる。 ジェリーは自分に何かあったときの代理人としてミッキーを指名していた(別に命の危険を感じていたからではなく、形式的なもの。 ずっとミッキーも同じ書類にジェリーの名を書いていた)。 おかげで休業明けの弁護士はいきなり32件の訴訟を抱える売れっ子に。 その中でもいちばん大きく、厄介な案件は「映画製作会社のオーナー、妻とその愛人を殺害」というやつ。 その事件の被告ウォルター・エリオットは検察側が十分な証拠を持っていると言っているのに落ち着き払い、「自分は無実なんだから当然、無罪評決が出てすぐに元の生活に戻れる」と疑っていないようで、その動揺のなさに逆にミッキーは疑惑を覚えるが・・・という話。

  真鍮の評決1.jpg真鍮の評決2.jpg 『真鍮の評決』の意味とは・・・最後にわかります。
 いつも「ミッキー」と呼ばれているし自分もそう言っているので、実は本名(?)はマイケル・ハラーだと思い出させる場面で「あぁ、そうだったね!」と深く頷く。 外国語の愛称の付き方のルール、やっぱりよくわからない(愛称をどの状況でまで使うのか、を含めて)。
 物語はそんなミッキーの一人称で進みますが・・・あぁ、そうだった、ミッキーは口は達者だけど(弁護士だから?)、結構腰抜けで、でもお坊ちゃま育ちだからか根本的にはいい人でつい人を信じてしまいがちで、だから「依頼人が有罪であろうと関係ない、無害を勝ち取ることが仕事」とあえて悪ぶっている自分に酔いつつ、そんな自分を恥じている。 ダメ男だがにくめない、そんな人だった。
 で、前任者が殺されて犯人が見つかっていないため、その調査と護衛の意味も含めてロス市警からやってくるのがハリー・ボッシュ。
 ミッキーとハリー、初共演!、が本作の肝。 とはいえLAタイムズの新聞記者ジャック・マカヴォイくんも出てくるんですが・・・あくまでちょい役。 そんなちょい役でもいい印象を残さないジャック・マカヴォイ、あたしはほんとに彼が好きではないらしい。 ジャックに比べたらミッキーなんてかわいいもんさ。
 事件の方は・・・翻訳時差とあたしの時差のせいで、裁判物としての意外性はあまりなかったかも(その間にあたしが裁判物の映画やドラマを見ちゃってたから)。 でも事件を構成した背景などは、いかにもLAというか、映画製作にどれだけお金がかかるかということにも絡んでいてなんだか悲しくなる・・・映画は夢でも、それをつくる過程は容赦ない現実なのね。
 しかし驚いたのは、ミッキーとボッシュの秘密のつながりについてこの話で明らかにしてしまったこと(ボッシュが知っていることは読者もわかっていたけど、ミッキーは知らないことだったから)。 それで引っ張るような話は書かない!、というマイクル・コナリーの矜持か。
 でもシリーズものってどうしてもキャラクター小説になっていくもの。 その制約の中で、単体のミステリとして面白いものを書く、という気概を期待しています。
 さて、次は『スケアクロウ』(ジャック・マカヴォイ主役)だな!

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

ALONE アローン/MINE

 一見、地味系マイナー映画発見。 『ロープ』のようにあたりのこともあるのでスルーは危険である。 でも一週目を逃すと上映時間が少なくなってどんどん動くからスケジュールが合わないとやばいんだけどね!
 これは予告見て・・・アーミー・ハマーほぼ一人芝居じゃない?!、ということにつられました。

  アローンP.jpg 一歩踏み出して死ぬか このまま死ぬか――
   誰もいない何もない砂漠で地雷を踏み、取り残された兵士 救援まで52時間

 米軍特殊部隊の一員であるらしいスナイパーのマイク(アーミー・ハマー)と相棒トミー(トム・カレン)は、テロリスト首謀者の一人として手配中のターゲット暗殺のため砂漠地域に送り込まれる。 が、ターゲットがあらわれたのは結婚式の立会人としてのためであり、民間人を巻き込まずに彼を撃つことは不可能だった。 ライフルの反射光が敵側に気づかれ、追われる身となったマイクとトミーは近くのオアシスまで徒歩で移動することに。 しかし逃走の過程でGPSが壊れ、途中から無線の電波が途切れだし、目印のない砂漠で二人はいつしか道を見失う。 気づけば何千もの地雷が埋め込まれた地域に入ってしまっていた・・・という話。

  アローン4.jpg 敵から逃げる際に身を潜めたマイクとトミー。
 トミー、どこかで見たことがあると思っていたら・・・『ダウントン・アビー』のギリンガム卿だったよ。 意外!
 ストレスやプレッシャーを意味のないお喋りで紛らわしたいタイプのトミーと、黙って自分の内側にためていくマイクは正反対の性格だけど親友。 比較的無口&すごいお喋りなコンビというありがち設定ですが、現実もそんなものなのかも(どっちも無口だと意思疎通に不安あるし、どっちもお喋りならうるさいし任務のタイミングを逃しそう)。
 そんなわけで序盤は、<テロとの戦い>的緊迫感にあふれている。
 が、物語のメインは二人きりで砂漠地帯に入り込んでから、である。
 灼熱、方向感覚がなくなりそうなどこまで行っても変わらない風景、無線が途切れることによる不安と焦燥感。 その果ての地雷。
 軍人の中でも更なる訓練を課されてきているであろう特殊部隊員であるから生き残る道を常に考えられる。 でも地雷を踏んでしまって、なのにやっと通じた無線に「救援部隊の到着は52時間後」と言われたら、普通の人はもう無理だと思います。 でもマイクはデジタル時計で52時間カウントダウンタイマーをセットする。 すごすぎる。

  アローン1.jpg 炎天下の砂漠、でも周囲が見えるからまだいい。
 夜になれば一気に気温が下がり、寒さで震えることに。 そして獣もやってくるし・・・『エロイカより愛をこめて』の<アラスカ最前線>のエピソードを思い出しました。 なんというか・・・人間が生きていくのがつらい土地が持つ圧倒的な力の前には、ほんとうに人間とはちっぽけなもの。 死がすぐそばにあるからこそ、何もできることがないからこそ、否応なく自分の過去と向かい合わずにいられない。

  アローン3.jpg アーミー・ハマー、まつげ長い!
 髪の毛が短いし、顔のアップも多いので彼の表情(そもそもの顔の造作含む)・佇まいが重要。 突拍子もない展開にあっけにとられる場面もあるものの・・・「The mine is not mine.(その地雷は私のじゃない)」という台詞にあらわれているように、『MINE』はダブルミーニング。 だから「???」な場面にも二つの意味がある。
 戦地での経験がトラウマになり、国に戻ってからも日常生活が送れない、という話はよく聞くが(そういう映画もあるし)、戦場での極限状態の中で自分の過去のトラウマと向き合う、というのはあまりないのではないだろうか。 通常の戦闘状態ならそんな余裕はないだろうけど、一人でじっと耐える時間があるからこそ(勿論、それに耐えきれずに死んでしまう場合もあるだろうが・・・)。
 戦争映画として、ある意味新しいアプローチ!
 でも、コメディ寄りのサイコサスペンス(ソリッドスリラー?)の趣きも強く、“戦争”は手段でしかないともいえるので戦争映画とは言えないかも。 とはいえ、いろんな方向に動いて落ち着きないこの映画を最後まで引っ張ったのはアーミー・ハマーの力があってこそで、もし違う人だったら最後まで持たなかったかも。 ハンサムな実力派はお得。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち/SMETTO QUANDO VOGLIO:MASTERCLASS

 イタリア映画のコメディっていいよね!、というわけで。 ポスターの雰囲気から『オーシャンズ11』&『100万ドルを取り返せ!』かなぁ、という印象だったのですが・・・まさか三部作の2作目だったとは。
 そういうの、ありなの?!

  いつだってやめられるP.jpg イタリアン・コメディの金字塔。
  不遇な天才たちが仕掛ける予測不能の敗者復活戦。

 空前のユーロ危機により、大学への助成金が激減したイタリアでは多くの大学教授がリストラにあった。 神経生物学者のピエトロ(エドアルド・レオ)もその一人で、家族を養うため・研究資金を作るため同じような仲間たちと一緒に合法ドラッグの製造・販売で一攫千金を狙うものの、逮捕されて主犯のピエトロは刑務所に送られる。
 そんな中、彼らが始めた<スマートドラッグ>(素材そのものは現状では合法だが、成分を特定され指定されれば以後は違法にできる)に別の人たちが参入し、ローマで蔓延。 管轄の担当警部パレオ・コレッティ(グレタ・スカラーノ)は対応に苦労していた。 ほぼいたちごっこな現状を変えるには劇薬投入しかない、とばかりにピエトロに「過去の犯罪歴を消してやるからすべてのスマートドラッグ摘発に協力しろ」と持ち掛ける。 自分一人では無理だ、仲間たちも同じように過去の記録を抹消してくれたら全員で協力する、とピエトロらは市場に出回るすべてのスマートドラッグを手に入れることになる・・・という話。

  いつだってやめられる1.jpg 刑務所の面会室でピエトロの奥さん(臨月間近)からお説教。
 実は、逮捕されるまでの話が『いつだってやめられる 7人の危ない教授たち』という映画になっていて、これはその続編だったのだ(“VIVA イタリア”のチラシで『7人の危ない教授たち』があることは知ってたんだけど、これをリメイクしたのが『10人の怒れる教授たち』だと思っていた)。 どうりで序盤の勢いはすごいがなんでこうなったのかの説明はさらっとしすぎだな〜、と思うわけだよ。 でも観ているときはそんなこと知らないので、「すごい力技だな〜」と(まぁ、話が通じないわけでもないので)。 仲間たちの再会・新しいメンバー増える、の過程でわかってくることもあるし。

  いつだってやめられる4.jpg イタリアで女性で警部って、結構すごいことだよね。
 まぁ、そんなわけで勢いで突っ走ります。 メンバーの得手不得手で出番の多さ少なさがあるのでキャラクターの区別がちょっと難しいですが、専門バカな感じが会話を聞いていて面白い(どうして自分の専門のことになると嬉々としたり意地になったりするのだろう・・・)。 一応みなさん犯罪者ではあるのですが、浮世離れしたいかにも学者っぽいところもあるので、どこか一本抜けててなんだかにくめない。 警部もそんな気持ちで彼らと付き合っていたのだろうか。

  いつだってやめられる5.jpg フルメンバー、こちら。 実は一人は教授ではなく弁護士。
 なんだかんだいってインテリのみなさんがカラダを張ってアクションしちゃうところも見どころ、というか笑いどころというか。 ベタなところもあれば斬新なところもあり、コメディとしてのレベルは高い。 ローマが舞台であることもちゃんと利用してるし(『ダ・ヴィンチ・コード』のラングトン教授のように歴史学者は秘密の抜け道を知っているとか、でも遺跡の一部が崩壊したら茫然自失になっちゃうとか。 で、仲間は「あれはあとの時代のレプリカだ、気にするな!」となぐさめたりする)。
 普段運動していない人たちが精いっぱいがんばる姿というものは、万国共通で微笑ましくも笑えるものなのか。

  いつだってやめられる3.jpg 手前右側の人、矢島健一さんを思い出させる。
 だからイタリアでも実力派バイプレイヤーのみなさんが集まっている映画なんじゃないかと勝手に思っているのだが(観ていけばいくほど、それぞれのキャラが濃いのがわかってくるから)。
 また、ここぞ、という場面でオアシスやカサビアンの曲が流れてワクワクさせられてしまったのも好印象。 個人的に、ラテンのノリって好きさ!
 でも話は終わっていないのよ! その続きがダイジェストっぽく流されてエンディング。 そこで初めて「続編があるのか!」と気づき、もしやこの前の話もあるのでは、と思い至ったのだった。 まぁそのダイジェストでどんな感じになるかは大雑把に想像できるけどさ・・・三部作の2本目だけを何にも言わずに公開するという配給会社の度胸がまずすごいと思うわ。 まぁこの一本でも十分面白いけど、話を広げるだけ広げておいてたたまないのかよ! せめて完結編も公開してもらわないことには収まりがつかないんだけど!

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

追加で、マンガ3冊、プラス1。

 今日、するはずだった仕事がデータが届かずまったく進まなかった。 そのためにこの日をあけていたのに! じゃあなにしよう、と考え、優先順位を低くしたやつから高いものをピックアップ。 となると明日のスケジュールをあけなければならないから・・・。
 もういい、今日は帰ります! 本屋行くんで!

  とりぱん23.jpg とりぱん 23/とりのなん子
 ついにヒレンジャクとキレンジャクが表紙に! おめでとう!
 秋〜冬がメインの季節として描かれているので、酷暑の関西にいる身には「あぁ、いいなぁ」と思うことばかり。 確かに寒くて雪が多くて大変なこともあるけれど、一晩で一面が雪で覆われる景色を知っている者には、その“季節におけるリセット感”がすごく大事なことで。
 勿論、「自然の中で生きてる!」みたいなことはまったくないんだけど、比較的自然からのメッセージを聞き取りやすい感じはあるかも。 それは大都市では難しいけれど、ほどほど田舎ではよくあることで。 そういう意味でも北東北ってちょうどいいんだよね!
 それにしても、ハイタカさんの賢さと生きる力の強さっぷりには脱帽です。

  ハブアグレートサンデイ2.jpg ハヴ・ア・グレイト・サンデー 2/オノ・ナツメ
 やっと「行間」を読むことに慣れてきました。
 マイペースなリンジさんと、そんなリンジさんが大好きな二人の息子(一人は実の息子、一人は娘の夫)の週末の記録も2冊目。 外国視点が入るためか、<日本の面白さ・奇妙さ・美しさ>などが見え隠れするけれども決して日本礼賛ではないバランスがよい。 どの文化でもいいものはいい、と選んで受け入れ、ときに自分なりにカスタマイズ。 それがイマドキのグローバル?

  きのう何食べた?14.jpg きのう何食べた? 14/よしながふみ
 『きのう何食べた?』は当時週刊モーニングを読んでいたので前半は知っていて、雑誌をやめて止まってました。 ふとしたときに、電子書籍のセットが(そのときは12巻まで)安くなっていて、なんか衝動的に買ってしまった。 一気読みしてしまったので、「あぁ、登場人物たち、年をとっている・・・」という現在進行形具合にぐっとなった。 史郎さんのお買い物物価もリアルタイムだし。
 で、今回新刊案内を見て・・・「えっ、14巻!?」と。
 13巻はどこに行ったのだ!、と思ったら・・・紙書籍と電子書籍で発売日にずれがあることが発覚。
 つまり、紙の新刊が出れば、同じ日に一冊前の巻が電子版として発売開始になるのです。 モーニング系のやつは紙と電子と同時発売なことが比較的多いと思っていたので、盲点でした。

 というわけで帰宅してからタブレットで電子版を購入。 200円引きクーポンがあったしね。
  きのう何食べた?13.jpg きのう何食べた? 13/よしながふみ
 あぁ、一気に2冊分も読んでしまった! 15巻が出るのがすごく先に感じそう!
 そしてあたしは佳代子さんが好きだ・・・年齢を経るごとに強くなっているだろうけれど、繊細な人なんだろうなぁと思うし、料理の手際のよさ(しかも手間のかかる料理にもひるまずコツコツ成し遂げるところとか)、素敵! そりゃ、史郎さんもなつく(?)よね・・・。
 事務の山田さんの豪胆さ(言い換えるならば“大雑把”というやつだが)にも共感しちゃうわ〜。

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

エヴァ/EVA

 結局、原作を読むより先に映画を観ることになってしまった。 多分かなり翻案されているようだから、いいか。
 ともかくイザベル・ユペール観たさですよ。 あんまり『ELLE』と似たような役はやらなくても・・・と思ってましたが、ちょっと別方向でした。

  エヴァP.jpg すべての男たちが、この女に狂わされる――。

 自分の人生に希望を持てないベルトラン(ギャスパー・ウリエル)は、ふとしたきっかけから戯曲を盗作し、新進脚本家として脚光を浴びる。 美しく賢い恋人カロリーヌ(ジュリア・ロイ)もできた。 その舞台『パスワード』の上演評判も上々で地方ツアーに回るほどに。 だがベルトランは出資者のレジス(リシャール・ベリ)から次の作品の執筆をせかされて焦っていた。 缶詰めになって執筆するとカロリーヌの家の別荘を借りることにしたベルトランだが、吹雪の中夜遅くに別荘に到着してみるとガラスが割られ、「道に迷って困っていたから利用させてもらった、きちんと弁償するよ」という中年男がいて激高する。 男を追い出すがもう一人女がいて、入浴中。 それがエヴァ(イザベル・ユペール)だった。 もちろん彼女も追い出すのだが、エヴァの面影が頭を離れないベルトランは彼女との再会を試み、彼女との会話を次の作品に利用しようとするが・・・という話。

  エヴァ1.jpg かつらとメイクで“娼婦エヴァ”に変身。
 原因はエヴァにある、みたいなポスターイメージですが、実はもともとベルトランは壊れている。 今は「才能ある若き脚本家」と人には思われているが実際は他の人が書いたものの一枚目を付け替えただけだし(またそのくだりがクールで不穏・・・)、今後も脚本家を名乗る気ならそれなりの努力というか付け焼き刃でも知識をつけようという気配もなく、なのにその場しのぎでお金をもらうために次作を書くと約束してしまった気配。 流されるままに生きてきたのか、それともすべてをあきらめているのか。 もしかしたらそんな彼が初めて執着したのがエヴァなのかな、という気がした。
 かつては男娼だったらしい過去もにおわされるベルトランを、ちょっと美貌が崩れかけた感じでギャスパー・ウリエルがやっているのがはまり役。 それでも十分美しいんだけどさ。

  エヴァ2.jpg 何故この二人が付き合うようになったのかの説明はない。
 カロリーヌは戯曲『パスワード』に使われている技法や暗喩を読み解く力はあるものの、目の前の恋人がニセモノ(もしくはからっぽ)であることに気づかない。 恋は盲目だからなのか、ベルトランに特別な魅力を感じているからなのか・・・よくわからない。 インテリ女性にありがちの、「自分が選んだ男が間違いだったとは思いたくない」症候群なのかなぁ。
 ただカロリーヌも、男だったら結婚を考えている相手としてふさわしいイメージ(美人で良妻賢母型・親が資産家・最終的には男の言うとおりに従う、など)を背負わされた類型的なキャラクターから抜け出していない気はするので、彼女自身の魅力が伝わってこないもどかしさはあったかな。

  エヴァ4.jpg が、この映画でいちばん魅力的でなければいけないのは“エヴァ”なので。
 原作のタイトルは『悪女イヴ』ではあるけれど・・・エヴァが悪女ではないことは早々に明かされる。 彼女が娼婦として働く理由ははっきりしていて、そこだけとったら純愛チックですらある。 でもそれを美しいものとは描かないし、エヴァのぞんざいな口調や粗暴な態度から「もしかして彼女はあまり賢くないのか?」と思わされたり(本能的な判断には優れているが)。
 どうやら、美しいものにはそれにふさわしい知性を持ってほしいとあたしは感じているようだ。
 エヴァもベルトランも賢さを使う方向性が異なっている。 なんだかとても残念だ。

  エヴァ3.jpg 自分の愚かさを知っているレジスが、もしかしたらいちばん賢い人だったのかも。
 いやいや、それにしてもイザベル・ユペール、特にメイクもせず普通にしているほうがキレイなんですけど! だからこそあえて厚化粧で安っぽいかつらをかぶることで“エヴァ”になりきっていたのか・・・。 とはいえ彼女自身には謎はなく、ただ自分の思うとおりに生きているだけ。 むしろ壊れているベルトランが、もっとどんどん自分を破壊したい願望にとりつかれ、そのためにエヴァを利用したと考えるほうが合点がいくのだが・・・いろいろ語られていない部分が多すぎて、「あぁ、いかにもフランス映画だなぁ」という感じ。
 ストーリー的には消化不良なれども、目の保養にはなりました。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月21日

今日は5冊で。

 暑い! とにかく暑い! 言いたくないが、ほんとに暑い。 なので休みの日は家から出ません・・・。

  エラリー・クイーンの冒険【新訳版】.jpg エラリー・クイーンの冒険【新訳版】/エラリー・クイーン
 あれ、<国名シリーズ>終わったっけ?、と思ってしまった(また終わってない)。 当時もこういう順番で刊行されたのかしら。
 とはいえ、多分エラリー・クイーンの論理性とか切れ味みたいなものを堪能したければ短編がいちばん、ってこともわかる。 だから『〇〇〇の冒険』というタイトルが一種の定型として残り、今も続いているんだろうし(勿論最初は『シャーロック・ホームズの冒険』ではあるが、それに続いて形をつくったのはこれ、ということで)。

  影の歌姫1 セブンシスターズ2.jpg影の歌姫2 セブンシスターズ2.jpg 影の歌姫 セブン・シスターズ/ルシンダ・ライリー
 <セブン・シスターズ>2作目。 今度は二女の物語。
 ミステリのテイストではあれど、大河ドラマのイメージなのよね。 一作目『蘭の館』もまだ読んではいないのですが、なんかこれもまとめて読みたい感じがするので・・・引き続き刊行をよろしくお願いします。

  渇きと偽り.jpg 渇きと偽り/ジェイン・ハーパー
 もともとはポケミスで出てたやつ、なんだかポップなテイストの表紙で文庫に登場。 CWAを獲った作品は比較的ハズレがない印象なので(個人的趣味の見解だが、あたしはMWAよりもCWAのほうが好みの傾向が近い気がする。 勿論、MWAにも好きな作品はあるが)、知らない作家だが買ってみた。 最近、オーストラリア・ミステリの勢いも感じるし。 でも北欧ミステリのようにブームを巻き起こせないのは、作家や作品層がまだ薄いからかなぁ。

  終焉 ハラルト・ギルバース.jpg 終焉/ハラルト・ギルバース
 『ゲルマニア』・『オーディンの末裔』に続く三部作完結編。
 それにしても、最近読む本の解説を堂場瞬一が書いている確率、高いな・・・。 これは彼の作品を読むべきなのか?

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月20日

ジュラシック・ワールド 炎の王国/JURASSIC WORLD:FALLEN KINGDOM

 ついにきました、『ジュラシック・ワールド』新作。
 結構予告で「だいたいこういう話なのでは? というかここまでやっちゃっていいの?」という感じでしたが・・・恐竜好きのあたしとしては「ダメそう」とわかっていても、生きて動く恐竜が最新技術で見られればそれでいい! それに、これは原作者マイクル・クライトンの存在を感じられる貴重な機会でもあるし、更に特別ゲストとしてイアン・マルカム博士(ジェフ・ゴールドブラム)も登場するという! 『ジュラシック・パーク』シリーズからのファンとしてもちゃんとその世界が続いているうれしさはあるのです。
 さすが話題作だけあって、レイトショーでも結構混んでいる!

  JW2−P.jpg 生命は、新たな道を見つける

 『ジュラシック・ワールド』の騒動から3年後。 テーマパークであったイスラ・ヌブラル島の休火山が活動をはじめ、このまま火山噴火が起これば島に残っている恐竜たちは全滅してしまう恐れがある。 彼らを助けるべきか、それとも自然に任せて放置するか、アメリカは公聴会を開く騒ぎに。 以前テーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)はアメリカに戻り恐竜保護団体の代表として活動しており、ジュラシック・パークの生みの親ハモンド卿のビジネスパートナー・ロックウッド(ジェイムズ・クロムウェル)に乞われて島から恐竜たちを救出することに。 知能も高く嗅覚も鋭いヴェロキラプトルのブルー救出には恐竜行動学者でパークでブルーたちを育てたオーウェン(クリス・プラット)の力が絶対必要ということで、クレアはオーウェンに島への同行を依頼に行くが・・・という話。
 前作『ジュラシック・ワールド』の最後のバトルが違う形で再現されたようなオープニングに盛り上がる! 来た来た来た!、という感じなのだが・・・その盛り上がりは続かない。 サブタイトルの『炎の王国』とは火山活動が活発な島のことを指していると思われますが・・・実は島が舞台になるのは前半のみで、「だから予告であそこまでやっちゃってたのか!」と。 だからといってうれしい驚きではない。 クレアとオーウェンの痴話げんかチックなやりとりもごめん、正直どうでもいい。

  JW2−3.jpg 恐竜、出してください!
 ほぼそれが目当てなんで。 あと、マルカム博士(ジェフ・ゴールドブラム)ね。 字幕では「マルコム博士」となっていますが、原作ではマルカムという表記だったしそれからの付き合いなんであたしはそう呼ぶよ! 吹替版では勿論、大塚芳忠さんですよね!
 しかし思ったよりもイアン・マルカムの登場シーンは多くなかったのであった。 でも彼の登場は、二作目『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』で展開されたテーマの繰り返しをより強調するわけで。 人間、全然学習してないじゃん、なにやってんだよ、と思います。
 しかもさらにひどいのは、島の崩壊の象徴としてブラキオサウルスを使っていること! 最大の草食恐竜にそんな扱いを・・・つらくて悲しい場面なんだけど、その意図的なあざとさを感じ取ってしまって怒りのようなものがこみ上げる。 これは勝手に作っておいて利用したり棄てたり、保護しようとしたりする人間の身勝手さへの怒りにも似ている。 そんなところで泣いてる場合か、クレア!
 また、アパトサウルスを字幕ではブロントサウルスと表記、学術上正しいのはこっちと発表されたのはかなり前のことなのに。 ちゃんと恐竜研究の最新情報を反映させて作ってきたのがこのシリーズなんだから、日本語字幕もちゃんとしてほしい!
 そして後半は捕獲された恐竜たちが運び込まれた屋敷(設定ではアメリカ本土)を中心に展開されるのですが・・・これが見事なゴシックホラーで。
 恐竜とゴシック、これを一緒にするなんて誰が考えるだろう!

  JW2−5.jpg そのへんがさすがJ・A・バヨナ監督らしい。
 ロックウッドの孫娘メイジー(イザベラ・サーモン)がキーパンソンとなるのですが・・・さすがにその設定はどうなの?、という流れに。 ただ「恐竜が好き」というだけではもう許してもらえないらしい。 遺伝子操作による“新しい種の創造”というのはそこまで暗黒面をさらすほどにタブーなんですかね。 ちなみにインドミナス・レックスや今回初登場のインドラプトルといった“新種”がメインとなる後半は、ビジュアル的にも他の在来種(?)の恐竜たちに比べるとバランスが悪く見えて、いまいち物足りなかった・・・(バランスが悪いのは必要とされる特徴を優先して組み合わせた結果なので仕方ないというか、生物として洗練されていないせいだけど)。 あたしにとって恐竜の醍醐味とはその巨大さなんだな、ということに気づかされましたよ。

  JW2−2.jpg メイジーが見つけるかつての映像。
 まだブルーが幼い頃。 卵から孵って以降の成長・調教の記録がすべて残されているあたり、テーマパークの運営と同じかそれ以上に研究を重視していたことがわかる。 一作目からウー博士が出続けていることにも大きな意味があるんだろうなぁ。
 何故人は恐竜をコントロールできると考えてしまうのだろうか。 「生命は新たな道を見つける」というのは『ジュラシック・パーク』でのアラン・グラント博士の言葉だったか、それともイアン・マルカム博士だったか。
 それとも、どんどん過激になる環境保護団体(それこそクジラやイルカを助けるためには人を殺します、ぐらいの)を皮肉っているのだろうか。 いや、この映画はひたすらダークで、そんな茶目っ気レベルではない。
 “FALLEN KINGDOM”とは<人間が食物連鎖の頂点にいると思っていた世界が崩れていくこと>なのではないか。 『炎の王国』なんてうっすらしたイメージの言葉では全然なく。

  JW2−4.jpg 悪人(?)は喰われるのが自業自得だけどさ・・・PG指定とかつけなくていいの?、と心配になる。 一応、ファミリー映画でしょ?
 どうやら『ジュラシック・ワールド』も三部作になるようなんですが・・・三部作の二作目はダーク展開で、というセオリーでもあるのでしょうか。 前作にあった爽快感はかけらもなく、「えっ、その責任を子供に押し付けるのか?」とむしろ愕然とする感じ。 前作でインドミナスに傷つけられたティラノサウルスがパワフルに生き続けてくれるのはうれしいですが、それを心からよろこべない後味の悪さ。
 完結編でいったいどう落とし前をつけるのか。 つけてくれるんでしょうね! 投げっぱなしにならないでしょうね!

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

今週は暑すぎる・・・。

 暑い。 暑すぎる。
 日傘をさして歩いているのに、それを突き抜ける勢いの日差しと、地面の建物の壁などから来る照り返しに目がくらむ。
 汗がダラダラと流れ落ちる。 頭がぼーっとしていつもの道を歩くのにいつもより明らかに時間がかかっている。 たかだか朝の通勤時に、身の危険すら感じる。 家から持って出たペットボトルの中身を、電車の中・銀行のロビー・信号待ちの道路で飲み、職場に着くころには空になりました。
 それくらい、暑い。 それでなくともあたしはもともと北のほうの人間で、西日本の暑さにまだ適応しきれていないのに。
 つい冷たいものばかりを飲んでしまい、微妙に体調を崩しがち。
 今年は酷暑だと聞いてはいたけど・・・今からこの状態で、8月を乗り越えられるのだろうか。
 今年はいつものスーパーに日東紅茶の<塩とライチ>が入荷してないのはなんで・・・鉄分補給したいので同じシリーズの<サングリア>を買っていますが、両方売ってほしいのに。 <世界のキッチンから ソルティライチ>の原液は売っているけど、これは携帯できないから不便なの(日東紅茶のは一回分が粉末でスティック状のパッケージに入っているので、足りなくなったらどこかでペットボトルの水500ml等を買い、粉を混ぜて溶かせばいいのだ)。

 線路のレールが熱くなりすぎて徐行運転、一時運転見合わせの結果ダイヤが乱れる、なんて理由、初めて見ました・・・(でもそれは今週ずっと)。
 そりゃ、熱中症で倒れる人、バタバタ出るよね。
 日本各地の小中学校にあるというバカげた規則・ルールが問題になっているようですが・・・例外のない規則はないわけで、何故臨機応変に運用できないのか意味がわからない。 自分が責任取りたくないからなのか、相手を信用していないのか(したくないのか)、そもそも規則というものに疑問を持っていないのか(だとしたら終わってる)。
 大人は自分で責任が取れる。 だからこそ大人なのだ。
 子供は自分で責任を取ることが許されていない。 だからこそ、大人が守らねばならないのに。
 あたしが子供の頃も理不尽な校則はありましたよ。 でも「どうしても譲れないであろう部分」以外のことは見て見ぬふりをしてくれてた、と思う。 先生方に“臨機応変”が許されない空気になってきているとすれば(各地方自治体によって大まかな雰囲気の違いなどはありましょうが)、それは教育の現場としてどうなのかなぁ。 一般的な仕事だって、臨機応変な対応ができない人は「仕事できない人」って見なされちゃうのにな。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

ジェリーフィッシュは凍らない/市川憂人

 第26回鮎川哲也賞受賞作。
 読むの今更?、とか言われても仕方のない感じですが・・・(去年の『屍人荘の殺人』があれだけ話題になった後だというのに)、図書館で見つけたのがこの時期だったんですから仕方ないじゃないですか。 それに鮎哲賞、ここ何年もずっと読んでないことに気づいたりして。 以前はちゃんと読んでいたのに。 だから何事もタイミングですよ(なんか言い訳だ)。 余談ですが作者の第二作『ブルーローズは眠らない』のほうが普通に書架に並んでいることのほうが多くてびっくりでしたが、シリーズものだったら困るのでこっちを先に読むことに。

  ジェリーフィッシュは凍らない.jpg ジェリーフィッシュとはクラゲに似た形の小型の飛行船のこと。
 帯に<新時代の『そして誰もいなくなった』登場!>、とありますが・・・物語の舞台はパラレルワールド展開の80年代。 “ジェリーフィッシュ”を成立させるために世界をイチから作り出すところはさすが鮎哲賞応募作!
 まぁ、若干文章が固いとか、一部登場人物の個性が薄いもしくは類型的過ぎるとかはありますが、そして刑事コンビのアニメのような会話っぷりもあたしはもうげんなりする年代になってしまいましたが、80年代だったらこんなもんかな、と思えるし。
 なによりも、それを超える大ネタトリックの存在には大向こうから声をかけたい感じ。
 そうそう、鮎哲賞といえばこういうトリックよね!、としみじみします。
 巻末には審査員総評が載っていて、これも面白い。 辻真先の「ぼくに比べたらみなさんにはまだまだ時間があるんだから」的な発言にはちょっと笑ってしまいつつ、でもドキドキするのでやめてください。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

告白小説、その結末/D'APRES UNE HISTOIRE VRAIE(BASED ON A TRUE STORY)

 ロマン・ポランスキー新作。 予告を見た感じでは『ゴーストライター』みたいに文章や文字に苦しめられ、いつしか現実と文章が紡ぐ内容が区別がつかなくなっていく話かなぁ、と。 しかも今回はそれを女同士で。 <戦慄のミステリー>とか書かれちゃったらどうしてもつられてしまうのですよ、あたしは! それに、なんだかんだいって『ゴーストライター』、楽しめたし。

  告白小説、その結末P.jpg それは、作者さえも知らなかった――

 人気作家であるデルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)だが、今回上梓した本は母親との日々、それも精神を病んで自殺してしまった母親との関係を“事実をもとにして”書いたものであった。 その本はベストセラーとなり、デルフィーヌはサイン会や朗読会、出版関係の人たちとのパーティーなどに招かれ、疲れ切っていた。 フィクションの形をとろうとも、より自分の身を削って書いた作品だったから。 だからまだ次回作にまで手が回らない。 むしろ、これを書いてしまってあと自分に何が書けるのかという不安におびえているほどだった。
 そんなとき、あるサイン会でエル(エヴァ・グリーン)と名乗る美女と出会う。 フランス語でELLEは女性の三人称単数の代名詞だが、彼女は「エカテリーナの愛称なの」と言う。 別のパーティーでエルと再会したデルフィーヌは、聞き上手な彼女に今まで誰にも話していなかったあれ以来の疲労について話す。 エルは「わかるわ」とデルフィーヌが必要とする言葉をかけてくれ、彼女といるととても楽になるとデルフィーヌは感じ始めて・・・という話。
 なんとエルの職業はゴーストライターなのであった。

  告白小説、その結末2.jpg デルフィーヌはすべて肯定された人生を送っている。
 パートナーは文芸評論家で、世界中の作家にインタビューするのも仕事なので二人はあえて同居せず、お互いの仕事のペースを優先して生活するルール。 勿論時間が合えば二人で田舎の別荘でゆったり時間を過ごすことも。 彼はデルフィーヌのことをとても大切に考え気遣っており、放心状態に近い彼女の精神状態にも気づいていてなんとかしたいと思っているのだ。 フランス人だから? 最高の相手じゃないか!
 なのにデルフィーヌはそれを当たり前みたいに捉えていて。 自分が情緒不安定なことで手一杯なのかもしれないけど、だったら自分でそれを認めて休養を取るとかセラピー受けるとかすればいいのに、そのままってところがイラっとする。
 そう、デルフィーヌは結構迂闊な人なのである。
 自分でやるのが面倒、となると頼める人に頼んでしまう。 その歳で、全然自立していない。 だからあれ以来連絡を取るようになったエルに、すっかり頼りきりに。

  告白小説、その結末3.jpg エルはいつの間にかデルフィーヌの“親友”の位置に。
 そんなすぐ知り合った相手を仕事場に入れるか? 「フェイスブックが炎上してるわよ」と言われて「そんなものやってないわ。 よくわからないから見て」とPCのログインパスワード教える? そういう危機感のない、だからといって天真爛漫系でもないただ怠惰なだけに見えるデルフィーヌに観客のイライラ度はMAXに。 エルに何かされても自業自得だよ、とまったく同情されないキャラクターに。
 まぁ、そうなってくると「エルがきっと何かする」という流れになるのは必然。

  告白小説、その結末1.jpg エル、その表情は悪魔だ。
 かわいさ余って憎さ百倍、みたいなことなんですかね。 「こんなに世話してあげているのに、感謝とかねぎらいが足りないわ!」とばかりにだんだん高圧的になっていくエル。 怒りの衝動が過ぎればまた元には戻るんだけど・・・この感情のすれ違い具合はなんですか、新婚生活みたいなものですか? よそゆきの顔で付き合ってきた二人がいざ素顔でやっていこうとすると「前はこうじゃなかったのに」と期待と実際がずれていく、みたいな感じ?
 雨降って地固まる、となっていけばいいんですけどね・・・この二人には不穏な何かを取り払うことができませんよ。 デルフィーヌも早く手を切ればいいのに、何も行動を起こさない。

  告白小説、その結末4.jpg 依存、という言葉がよぎる頃にはもう遅い。
 なんとかまとめたデルフィーヌの次回作のプロットにもエルは厳しくダメ出し。 すべての面においてエルに主導権を握られるデルフィーヌだが、ふとした会話の中でエルの過去に大変ドラマティックな出来事があることを知り、それをネタに次の小説を書こうと考える。 物書きの業って恐ろしいな、とつくづく。
 でも結構早い段階からネタ割れしてたんですが・・・それでも最後までハラハラできました。 結論もはっきり出さず、「結局どっちなの!」とやきもきさせる終わり方で。 いや、わかっているのです、どういうことなのか。 でも、「結局どうなの!」と言いたくなっちゃう感じなのです。
 それがポランスキー・マジック?

  告白小説、その結末オリジナルドリンク.jpg 映画館のコンセッションでオリジナルのドリンクが売ってました。
 普通のアイスティーにストロベリーシロップワンプッシュ、さらに上から無糖炭酸水。 「よくかき混ぜてください」と言われます。
 ティーソーダ、好きなんです。 しかも暗がりで飲んでいるせいか、氷のせいか、ストロベリーの味がときどきローズっぽく感じたり。
 確かにミステリアスでした。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

バトル・オブ・ザ・セクシーズ/BATTLE OF THE SEXES

 これは『ハリウッド・エクスプレス』で紹介されたときから観たかった! タイトルが原題をそのままカタカナ表記ってのが微妙ではあるものの(中身が伝わりづらい)、下手な邦題つけられるよりはいいのか。 『男対女の戦い』と露骨にやってしまってはLGBTQ的にも正しくないからか? 実話がベースということなのであえてなにも調べず、前知識はシャットアウト!

  バトル・オブ・ザ・セクシーズP.jpg 時代を変えた、<女と男の熱い戦い>!
 1972年、全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は女子テニストーナメントの賞金が男子の8分の1であることに抗議するも、「仕方がないじゃないか、女は男よりすべての面で劣っているんだから」との対応に腹を立て、同志とともに全米テニス協会を脱退、新たに女子テニス協会(WTA)を立ち上げて独自にトーナメントをすることに。 全米テニス協会トップのジャック・クレイマー(ビル・プルマン)は「女に何ができるのか」とせせら笑う。
 その後、元男子チャンピオンのボビー・リッグス(スティーヴ・カレル)が<男性至上主義のブタ>としてビリーに「男と女、どちらが優れているかを決める闘い」のためのテニス対決を申し込む・・・という話。
 ビリー・ジーン・キングVSボビー・リッグスがメインの話かと思いきや、意外にそこにつながるまでの過程をしっかり説明。 ある意味、LGBT問題の原点を描いているのかも。

  バトル・オブ・ザ・セクシーズ3.jpg WTAは手弁当。 キャンペーンも全部自分たちで。
 「男女それぞれの試合のチケット売り上げは同額なのだから、チャンピオンの賞金も男女で同じにするべきだ」というビリーの主張は合理的かつ正当性があるもので、プロならば当然だと思う(現在、男女差で賞金差額が最も少ないのはテニスであったはず)。 でもハリウッドの男優・女優のギャラ格差問題が動き出したのはつい最近というのを見ると(差があるのはおかしい、と言っている人たちは以前からいたが)、テニス界の女性たちの意識はかなり進んでいたともいえる。 自分の腕ひとつで渡り歩いていける世界と、チームで動かねばならない・選ばれないと仕事ができないという差はあれど。 動く先人がいるかいないかでその後が変わってしまうという明確な事実。
 それでも、人数が集まると細かい部分で意見が食い違ったりしてしまうかなしさ。

  バトル・オブ・ザ・セクシーズ2.jpg ビリーと互いに運命的な出会いを感じてしまうマリリン。
 あれ、アンドレア・ライズブローでは?、とびっくり。 70年代ファッションのせいで雰囲気がだいぶ違ってて。 WTAの選手たちをメディア映えさせるために連れていかれたヘアサロンの美容師の一人でした。 しかも選手にスタイリストをつけ、オリジナルのカラーを決めて服を作らせ・・・とお金や組織力がないからアイディアで観客の注目を集めて楽しませようとする(しかも衣装デザイナー、スタイリスト役はアラン・カミングなのだ!)。 そういうセンスってふんぞり返っている男性からは出ないよね? 何をもって優秀だと思ってるんだろうね、と46年後にいるあたしはそんな彼らをとても滑稽だと感じてしまう。 当時のテレビ映像などがそのまま再現されているんだろうけれど、今の目で見たら「それ、確実にセクハラ・パワハラでアウトだろ」と言えるシーンが結構あって、時間は流れて意識が変わっているなと実感。

  バトル・オブ・ザ・セクシーズ5.jpg とにかくビリー、かわいい!
 でも試合中継の紹介などで「キング夫人」と呼ばれてびっくり。 既婚者だったのか! WTAの世話係みたいな男性が夫だったとは! いや、いい人ですよ。 男性至上主義者ではないし、逆に進んだ意識の持ち主だったと。
 一方、ボビー・リッグスの方はといえば・・・元世界王者といえども今はシニア選手の一人にすぎず。 過去の栄光が忘れられないのか、やり切った感がないのか、実力の差がありすぎるテニス仲間を相手に試合の勝ち負けで賭け事をして妻(エリザベス・シュー)に怒られる日々。 あー、スティーヴ・カレルの得意技の一つ、ウザいキャラ全開だよ・・・と声高で早口で押しつけがましい喋りにげんなり。 ちょっと歯が出ていていつも口が少し開いている感じもイラっとさせるわぁ、と思っていたら、エンドロールで本人の写真が出てきてほぼ瓜二つだったのでまたびっくり。 実在の人物をそっくり演じますのアプローチだったのね。 でも当然スティーヴ・カレルなのでただのウザいやつには終わらず、ボビーの抱えている不完全燃焼感を持て余している様子がよく伝わります。
 エマ・ストーンはそこまでそっくりではなかったけれど・・・よくよく見ると二の腕がかなり太いし背中がごつくなっている! 肉体改造と精神的なアプローチか、と対照的な演技プランが見られて興味深かったです。

  バトル・オブ・ザ・セクシーズ1.jpg 1973年の世紀の試合、開催直前のお祭り騒ぎ。
 アラン・カミングに「その青いスニーカーで出る気!」と悲鳴を上げさせたビリー、その当時白いシューズ以外で試合に立つことはほとんどなかったらしい(ボビーは赤と青のラインが入った白を履いています)。 テニスコートの色と同じでなければいいんじゃない、と思うけど(今だったらみなさん色とりどりのシューズ履いてるし)、当時はファッション界にいる多分ゲイの方にも「守るべきルールとしての固定概念」はあるのだと知る。 誰を愛するのも自由、と思っていても公に口には出せない時代は確かにあって、そういう人たちの苦難が積み重なっての現在があるのだと忘れてはいけないなぁ、と改めて。 近過去の実話を扱う目的って多分そういうことよね。
 そして肝心の試合場面は・・・ほとんどリアルタイムでテレビ中継を見ているかのような気持ちに。 カメラはほぼ固定で、ピントはボールに合わせられていて選手の姿はちょっとぼんやり。 でもボールの動きはしっかり見えるので、どう打ち返してボールがどう動くのか、ポイントが入るのも実況が入る前に分かるし。 試合結果知らないからすごくワクワクドキドキハラハラ。 これは結果を知らないで見るほうが絶対いい!

  バトル・オブ・ザ・セクシーズ4.jpg 実はビリーは選手としてボビーをリスペクトしていた。 29歳と55歳、活躍した時期は違えどもともに<世界王者>なんだもの。
 テニスの勝敗にとどまらず、「優れているのは男と女、どっちなのか」という大きな(そしてよくよく考えたらあまり意味のない)命題を背負わされた試合に出ることがどれだけプレッシャーだったことか。 今だったら、「個人差もあるし、男女それぞれに得意不得意あるし、絶対的に優れているという問いかけ自体ナンセンス」となるところだろうけど(それでも「男のほうが優れてる」という人、いそう・・・)、それでは済まなかった時代なのね。
 いろいろ考えさせられたし(多分ウーマンリヴの流れを押さえていたらこの試合のことは絶対絡んでくるであろう、でもあたしは知らなかった)、ビル・プルマンが演じた当時の男性優位であることに疑いを微塵も抱かない男性の無意識すぎる傲慢さにも腹が立ったし(ボビーは奥さんに頭が上がらない時点で実際は男性優位主義者ではない)、試合にはすごくハラハラしたけど、映画として全体のまとまりはといわれると・・・メッセージ性が強すぎるかな、と。 そこまで言わなくてもわかるから!
 でも、そこまで言わないとわからない人が世の中には多いと思われているのか・・・微妙に複雑。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

今日は6冊。

 もう気づけば7月も半ばなんですけど・・・そりゃ、暑いはずですよね。 三連休ですが、外に出る気はありません。

  ケルン市警オド03.jpg ケルン市警オド 3/青池保子
 『ケルン市警オド』も3巻目。 ここが一段落つかないと『修道士ファルコ』に戻ってもらえないのかしら・・・。 しかしオド君の働きぶりは<前日譚>のレベルを超え、立派な物語に。 これで彼が俗世を棄てる過程まで描くとなると結構長くなってしまうのでは? でもその過程、ちゃんと読みたいのです。 先がわかっている故に、オドが信用する人々の誰に裏切られるのかつい想像してしまう・・・。
 今回は次巻にまたがる連続殺人事件。 だいたいの流れは予測できますが・・・あの人がどういう意図で動いているのかが気になります。 早く続きを!

  花冠の竜の国アンコール6.jpg 花冠の竜の国encore6/中山星香
 これももうどこでやめたらいいのやら・・・ですが、物語も佳境に入っているそうなのでもう少しですかね。
 リゾレット、母親になったのにエスターに気を向けるあまりに子供を危機に陥れるのはさすがにどうなのか・・・別行動してください。 それとも母親がこうだから息子がより大人になってしまうのか。

  ゆりあ先生の赤い糸01.jpg ゆりあ先生の赤い糸 1/入江喜和
 以前、週刊モーニングで『のんちゃんのり弁』を読んでました。 面白かったんだけど・・・突然休載みたいな感じになって、結局復活しなかった。 この人は物語を終わらせられない人なのだろうか、としばらく思っていて、手を出せなかった。 でもふとしたきっかけで『たそがれたかこ』を読み・・・終わり方は個人的にはともかく、ちゃんと完結しているじゃないか!、と感銘を受け。
 そのタイミングでこの新刊。 じゃあ、読みますよね。

  世界推理短編傑作集1【新版】.jpg 世界推理短編傑作集【新版】1/江戸川乱歩・編
 多分、旧版を昔読んでると思うんです。 でも今回、収録作品を増やし、重訳分はオリジナルから新訳、とのこと。
 江戸川乱歩ファンとしても、乱歩が愛した短編(すでにすべて古典だが)をあらためて読むヨロコビがあります。 また最終的な手入れを戸川安宣氏(前の東京創元社の社長、その前は編集者)がやっている、というのもちょっと懐かしいじゃないか。

  昨日の海と彼女の記憶.jpg 昨日の海と彼女の記憶/近藤史恵
 たまに読みたくなる近藤史恵。 ほのぼのコージー系もいいけれど、この人の真骨頂は<人間の心の奥に潜む無意識的な悪意の具現>を描くところではないかと思う。 でも重いから、ときどきなのです(たとえ同じように重くても、外国のと日本のでは重たさの突き刺さり具合が違ってくる)。 若竹七海とも種類が違う、それはやはりこの人の独自性。 表紙は青春ものっぽいけど、重そうです。

  奪命者 サイズ.jpg 奪命者‐サイズ‐/ニール・シャスタマン
 これはジャケ買いです。 またディストピアものっぽいのではあるけど、AIが絡んでいるのがちょっと新しい? でも作者は新人ではなく、それなりのキャリアのある人なので大丈夫かな、と。
 そしたらこれも三部作で、映画化企画進行中らしい・・・実行されるか、日本で公開されるかはまた別の話ですが。 小説としての完成度よりも、インパクト強いほうが映像化には向いているのかもしれないなぁ、と改めて感じる今日此頃。

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月12日

罪人のカルマ/カリン・スローター

 前作『血のペナルティ』のイメージがあまりよくなかったのでどうしようかと思ったけれど、ウィルのほうにまた焦点が戻ってきたみたいなのでいいかなぁ、と。 一冊でまとまってくれているのはうれしいが、600ページ超えの後味よろしくない話を読み込むには覚悟がいる。 でもシリーズだから、一からはじまる物語よりは抵抗感が低いのは確か。
 これは<GBI特別捜査官ウィル・トレント>シリーズ6作目にあたる。 最近半年に一作ぐらいのペースで翻訳されるのは、やっぱりそれなりに売れているということなのかしら(翻訳の方は一作おきですが)。 でもサラが主役の<グラント郡シリーズ>の翻訳までは手が回らないのか、それとも版権の問題なのか、サラの過去の話だからもういいだろうなのか。 翻訳物はそういうのがあるから困るよ。

  罪人のカルマ カリン・スローター.jpg またもやばめな表紙・・・。

 現在、ジョージア工科大学の女子学生が行方不明になる事件が発生。 しかし上司のアマンダの命令でウィルは事件から外され、空港勤務を命じられている。
 1975年、ジョージア州アトランタ警察は刑事に女性を起用し始めた。 アマンダ・ワグナーとイヴリン・ミッチェルは新米女性刑事として、男社会の警察組織の中で懸命にもがいていた。 二人は誰も気に留めない売春婦の連続行方不明に事件性を感じ、ひそかに捜査する。
 その二つの時間軸が交互に並び、いつしかウィルの出生の秘密が明らかに・・・という話。
 若き日のアマンダとイヴリン(今のウィルのパートナー、フェイスの母親)が非常に魅力的に描かれており、女性蔑視の社会の中でがんばるだけでなくそういう偏見(女にはこれはできない、的な)が自分の中にもあることに気づいて、まわりだけでなく自分とも戦うみたいなところ、すごくいい。 その世代の人たちの努力があればこそ、のちの世代は楽になっているわけで(男女差別がまったくなくなったとは言えないが、その時代に比べればぐっと減っているのは確か)。 またアメリカ南部は黒人差別の歴史が根強いから、女性に対するものもひどかったであろうと想像がつく。
 彼女たちの努力がひそかに実を結び、味方が増えていく過程はカタルシスすら感じさせる。 現在パートの話の印象が薄くなってしまうほどに。 だからこそ、『血のペナルティ』で語られた内容が非常に残念なのだ。 いろいろあっても希望があるような若き二人(だけでなく、警察に勤める女性たち)のその後があんなふうになっていったなんて・・・それだけ、男社会を生き抜くのは大きすぎる負担だったのだろうか。 でも同期の絆がとても強くなっているのは納得だが。 というか、この物語を補完するための前作だったのだろうか、という気がしないでもなく。
 全体の3分の2を越えたあたりでやっと現在パートの意味合いがわかってきますが・・・そこまで気持ちがあるのならウィルがかわいそう過ぎないですか!、と思ってしまうのは甘いのでしょうか。 この40年弱でアマンダに何があったのか・・・ひねくれすぎというか、感情を隠すことが出世には必要だったのかもしれないが、隠すなら隠すで歪んだ形で表現しないでくださいよ。
 そんなわけですっかり本作の主役はアマンダになっており、ウィルもサラもフェイスも脇役。 そんな中、ぶちかますアンジーの破壊力ときたら。 名前のせいもあるんだけど、どうもアンジーにはアンジェリーナ・ジョリーを連想してしまうよ。
 あぁ、こりゃまた続きが出たら読んじゃうよ・・・。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

ワンダー 君は太陽/WONDER

 ウーム、これは微妙だ、と思った。 泣かせる系の話はちょっと気が重い(結果的に泣いてしまうのは構わないのだが、最初からそれが予測されるのは別)。 でも向こうの話は日本のように「お涙頂戴」になることは少ないし(しかも監督は『ウォールフラワー』のスティーヴン・チョボスキー)、あの『ルーム』天才子役ジェイコブ・トレンブレイくんが出てる! でもその母親役がジュリア・ロバーツってちょっと歳離れてない? とはいえトリーチャー・コリンズ症候群に興味はあるし・・・一回レイトショーから消えたので(そのあと戻ってきたけど)、タイミングが合わずに観に行くのが遅れてしまいました。
 結果的に、観に行ってよかった!

  ワンダーP.jpg やさしさの半分は 勇気でできている。

 オギー・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)、10歳。 彼は自分が“普通の子供”ではないことをよく知っている。 遺伝子の病気とやらで人とは違う見かけで生まれたから。 27回も手術を受けた。 外出するときは宇宙飛行士のヘルメットをかぶり、学校にも通わず自宅学習でこれまでやってきた。 会うのは家族だけ、それでオギーは平穏だった。
 しかし5年生となる区切りで、母親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)はオギーを学校に行かせようと決断する。 父親の夫のネート(オーウェン・ウィルソン)の「まだ早い」と反対するが、「自宅学習では子供同士の社会性は身につけられない。 一生家にいるわけにはいかない」とオギーを説得。 「学校、行ってもいいよ」と言わせる。
 新学期が始まる前、オギーとイザベルは校長先生(マンディ・パティンキン!)に会いに行く。 オギーの事情を理解し、必要以上に同情しない校長先生にオギーは好感を持つ。 しかし学校を案内する、と現れたのはジャック(ノア・ジュプ)、ジュリアン(ブライス・カイザー)、シャーロット(エル・マッキノン)という3人の同級生。 お金持ちの意地悪少年ジュリアンにさっそく顔をからかわれたオギーだが、逃げることはしないと決めた。
 そして新学期が始まる当日、オギーは両親と姉のヴィア(イザベラ・ヴィドヴィッチ)に見送られて校門までくる。 オギーの学校生活が始まる・・・という話。

  ワンダー1.jpg おかあさん、押しが強すぎる。
 もともと大学院で論文を書いていたところで妊娠し、オギーが生まれたため彼の家庭学習をすべて母親がやっていた、ということもあり・・・この一家ではイザベルに誰も勝てないのでは、と思わせる強さが。 ジュリア・ロバーツ、ナチュラルメイク風で若く見せようとしてますが・・・貫禄がありすぎてオーウェン・ウィルソンが年下夫にしか見えない(でもキャリアに差があるだけで、実年齢的にはそれほど違いがないはずなんだけど)。
 そしてオギー、トリーチャー・コリンズ症候群にしては(劇中で具体的な病名は出てこないが)、しかもこういう表現が正しいかどうかわからないが、顔の違和感は少な目。 口がうまく開かないからものが食べづらいといった表現は出てくるものの、特に日常生活に支障がある感じはしない。 いじめっ子の問題の話になっちゃうのかな・・・と思っていたら、視点が変わってオギーのまわりにいる人たちの話になっていく!

  ワンダー5.jpg 特におねえちゃんの話が突き刺さる。
 難病を抱えた弟を持った姉。 母親に「世界一手のかからない子」と言われてしまっているヴィア。 好きで姉に生まれたわけじゃないのに、家族内の役割として常にしっかりとした姉でいなければならないヴィアは、自分の心配事を家庭に持ち込むことも、自分が悩みを持っていることすら両親に悟られないようにしなければならない(それでなくとも両親はオギーに注意を向けがちなので、ヴィアのことは気づかれないままなんだけど)。 それがなんか、「すごいわかる!」って感じで。 ここまで極端ではないにせよ、ヴィアの悩みは<第一子長女あるある>で、非常に切ない。 オギーが小学校初日の日、ヴィアも高校初日だったのに母親全然心配しないし・・・(寝る前に父親は「高校どうだった?」と声かけたけど)。

  ワンダー2.jpg そしてジャック。
 くるくる巻髪がかわいい彼が、学校でのオギーの友人第一号。 「確かに最初はびっくりしたけど、顔なんて見てたら慣れるよ」という一言、かっこいいよ! しかしジュリアンたちとの付き合いは長く、いかにも男の子っぽいバカな見栄を張ってしまったせいで一時期オギーと気まずくなることも。 子供ってバカだよねぇ、と思いつつ、子供だからこそすぐやり直しがきくわけで、そこで学習できるか否かが今後の人生を左右することになるんだな、と実感。 シャーロットは芸能活動をする「自分大好き女の子」で、ちょっと種類の違うおバカなので、彼女は彼女で自分の道を行けばいいと思う(問題は、彼女に理由なく付き従っちゃう女の子たちの方)。 そしていじめっこジュリアンは・・・両親がそもそもやばい人たちってことで、なんか納得。 他の子たちに比べてジュリアンの描写が少ないので消化不良感はあるも、彼のその後は観客に想像してほしいということかも。

  ワンダー3.jpg 自主的に行動したサマー(ミリー・デイヴィス)。
 実はオギーの本名はオーガスト。 「オーガスト(8月)とサマーで、<夏同盟>ね」と手を差し出すサマーのキュートなこと!
 そんなふうにオギーと仲良くなる子供たちはかなり魅力的に描かれているんだけど、勇気がない(?)その他大勢は空気のようで(そのへん、モダンホラーテイスト?)。 露骨ないじめに加担せずとも制止しなければ同罪なのか、接点のない人と無理やり仲良くする必要はない自由ととらえるべきなのか、大人であればそうなるだろうけど、子供なんだから全部経験で勉強だと思いなさいよ。
 だからオギーが主役かと思いきや(最初の章では確かに主役なんだが)、その後は実は狂言回し的役回りという・・・顔に特殊メイクを施されていても、宇宙服着ていても、オギーの感情が些細な動きから伝わるんだから、ジェイコブ・トレンブレイくんはすごいね! アメリカの子役の層の厚さをまたしても実感させられる(ジャックを主役にしても映画になりそう)。
 そしてなにより校長先生ですよ。 登場した瞬間「ギデオン!」(『クリミナルマインド』の)って思っちゃいましたが、穏やかで心が広く、すべての子供にチャンスを与えたいと思っている教育者感が漂っているのですよ。 「正しいことと優しいこと、どちらかで迷ったら優しいほうを選ぼう」という視点ですよ!

  ワンダー4.jpg そしてパパ。
 妻には頭が上がらないけど、実は子供二人をちゃんと見ている・・・というかなり理想的なパパなのですよ。 何の仕事をしているのかいまいち不明ですが、かなり高収入のようで。
 そう、この映画で引っかかるとしたら、「それ全部、お金持ちの家だからできることじゃない?」というところ。
 ジャックは奨学金をもらって通っていると言っていたから、あの学校はそれなりの格式のある学校なのであろうし(となれば各家庭で「いじめはよくない」という教育がされているのは前提のはず)、これまで自宅学習だったとはいえ学校に来てからオギーが賢くて成績優秀であるとわかればある程度敬意を表するはず。 なによりお金持ちだから27回も手術できたしこれまで家庭学習で十分な成果を出せていた。 もし裕福な家じゃなかったらそこまでできたのか、という話。
 もちろんこれはフィクションであるし、必要以上に現実の醜さを表現することはない。 病気がオギーにとって個性であるように、すべての人の特性や属性もすべて<個性>の範疇におさまる。 そう思えばみんなハッピーだよね、という話。
 音楽の使い方もよかったし、そのあたりも監督の個性ですかね。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする