2018年06月20日

私はあなたの二グロではない/I AM NOT YOUR NEGRO

 タイトルにまずドキリとした。 あたしは「それは言ってはいけない言葉」と子供の頃教えられた世代である(のちのち、黒人の方たちがそれを逆手にとって自分たちのことを言うのがかっこいい的な流れが出てきたのも知っているが、最初に入った印象は消えない)。
 ドキュメンタリー映画なれど・・・この内容に踏み込めるほどあたしは知識がないのだが、予告でのサミュエル・L・ジャクソンのナレーションのかっこよさにつられて観てみることに。

  私はあなたの二グロではないP.jpg 自由と正義の国アメリカ、その差別と暗闇の歴史。

 アメリカ人作家ジェームズ・ボールドウィンはパリに住んで仕事をしていたが、1957年のある日の新聞にアメリカ南部の高校に初めて黒人として入学する少女の写真を見て愕然とし、帰国する決心をする。 その写真では少女を取り囲むように多くの白人が彼女への敵意やからかいや悪意をむき出しにしていたからだ。 そして彼は人種差別が最も激しい地域である南部を旅し、公民権運動を盛り上げているリーダーたちと親交を持ち、自らも活動する。
 1979年、ボールドウィンは友人であるメドガー・エヴァーズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングJr.を題材にした新作を書いていたが、その原稿は30ページで止まったまま。 この映画はその原稿をもとに構成されたものである。

  私はあなたの二グロではない1.jpg 真ん中のサングラスの人がボールドウィン。
 マーティン・ルーサー・キングJr.は中学校の英語の教科書に載っていたし、マルコムXはデンゼル・ワシントンの映画を当時観ました。 『警察署長』や『ミシシッピー・バーニング』でKKKの理不尽さなど知っていたけど、その後も小説や映画やドラマなどで黒人差別問題についてあの頃よりは今のほうが理解は深まっているとは思うんだけど、日本から一歩も出たことのない(しかも大半地方在住の)あたしは、多分この問題を本質的に理解できていないのではないか、と思った。 それは「差別はよくないことですよ」というのが当たり前の時代に育ったということもあるけれど、「肌の色が違うから」という理由で差別が生まれる意味がわからないし、あたし個人が黄色人種であると差別されたことがないからだ。 DNA的に人類の祖先はアフリカからということがわかり、皮膚の色は住む地域に適応するように変化したものであるという科学的事実もあるし、それはただ単に自分では選択することのできない遺伝的要因のせいではないか。
 でもそれはきれいごとにすぎないと、50年代後半〜60年代当時の記録映像が教えてくれる。

  私はあなたの二グロではない3.jpg マーティン・ルーサー・キングJr.とマルコムX。
 映画のイメージが強かったので、「あれ、マルコムXってこんな顔だっけ?」と一瞬戸惑った(思い浮かんだのは若きデンゼル・ワシントンであった)。 二人の有名人については予備知識があるのでいいのですが、メドガー・エヴァーズやジェームズ・ボールドウィンについては全然知らなくて、ところどころ説明不足を感じる(アメリカでは常識なのかもしれないが)。 予告ではとてもかっこよかったサミュエル・L・ジャクソンもジェームズ・ボールドウィンとしてナレーションしているので、途中から爆発力が足りない感じに(淡々とクールに進めていくのはそれはそれでいいんだけど、彼につい期待してしまうものもあるじゃない)。 実際の記録映像に残るボールドウィンはあふれてしまいそうな感情を懸命に抑え、理性的に穏やかにユーモアを交えて話をする人だったから、それが逆に問題のデリケートさを語っている気がする。
 だって、彼が描こうとした三人は、みな暗殺されてしまっているんだもの。

  私はあなたの二グロではない2.jpg 新しい時代のデモ行進。 でもその姿は、当時と変わっていないような気がする。
 70年代に書かれたボールドウィンの文章が読まれるバックに、現在のニューヨークの街並みなどが交差する。
 今は当時と比べてそこまでひどくないだろうけど完全になくなったわけではないし、差別の対象が変わってきたりしている。
 人間は本質的に「自分が上位であると確認できるものを欲する生き物」なのか。
 更なる問題は、差別した過去を隠蔽したり歪ませたりして歴史を改竄していくこと。 その役割の一部を映画が果たしていた、というのはなんとも皮肉で哀しい。
 未知のものに対する恐怖、というのは人間の本能だろう。 だからといって延髄反射的に攻撃することは決して容認できない。 何のために理性があるのか。 それが人間を人間たらしめているのに。
 「問題をすり替えている限り、希望はないと思っています」と、ボールドウィンは言っていた。 その言葉は差別問題だけでなく、すべてのことに言えるのでは。 というか、最近の題材を扱えばいろいろあるから、ある程度確定していることから現代を照射する手法?
 『エレファント』もワンカット出てきた。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアも言っていたが、アメリカ人は一体何をそんなに恐れているのだろう。 肌の色が違っても言葉が通じれば、わかりあえるじゃないか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする