2018年06月01日

ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

 P・T・A(ポール・トーマス・アンダーソン)新作。 しかし公開前最後のチラシには「アカデミー賞」よりも「ダニエル・デイ=ルイス引退作」の文字のほうが目立つ場所に印刷されていた。 でも何年かしたら、またやりそうな気がしないでもないんだけどな(完全な宣言ではないにしろ、以前から似たようなこと言ってたしさ)。

  ファントム・スレッドP.jpg オートクチュールのドレスが導く、禁断の愛。

 1950年代のロンドン、オートクチュールの高級ブランド“ハウス・オブ・ウッドコック”を仕切るのはデザイナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)と経理や実務担当の姉シリル(レスリー・マンヴィル)。 レイノルズは頑固で神経質な芸術家気質であるが故に、これまで幾人ものミューズを手元に置いては邪魔になると追い出すを繰り返してきた。 自分を理解してくれるのは姉のシリルだけ、本当に求めているのは死んだ母親だから。 実際、そんなレイノルズをシリルは受け入れている。
 ある日、別荘へ行く途中で朝食をとるために立ち寄ったダイナーで、レイノルズはウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)の体形が自分のドレスにピッタリであることに気づく。 が、アルマにとっては初めて自分を見そめてくれた素敵な男性の出現であり、夢見るような恋のはじまりだと思ったが・・・という話。
 もっとファッション界のことが描かれるのかと思いましたが、完全なるホラー映画でした。

  ファントム・スレッド1.jpg 二人の初対面のシーンはもしかしたらいちばん微笑ましいところ?
 最初のあたりはイギリスの古典的ゴーストストーリー(それとデュ・モーリアの『レベッカ』)に『マイ・フェア・レディ』なのかと思ったけど・・・PTAがそんな正攻法でくるわけはなく。 しかも時代については正確に表現されているわけじゃなくて、漠然と。 カメラや自動車といったものから「第二次大戦後?」と判断できるかな、というくらいで、ざっくり『ダウントン・アビー』より後かな、ぐらいのイメージ。 ファッションショーの進行の感じがココ・シャネルと同じっぽかったので、というのもヒントだったかな。

  ファントム・スレッド4.jpg お針子さんたちの無言の存在感、圧倒される。
 美しいものを生み出すアトリエ。 そこに連れてこられて幸せが手に入ったかと思うアルマなれど、朝のレイノルズはスケッチに夢中で全然自分をかまわない。 デートかと思えばシリルもあとから合流するし、なんなの?!、となるアルマの気持ちもわかるけど、ガサツで気遣いや教養のないアルマにげんなりするレイノルズの気持ちもわかる。 実際の音の10倍くらいの音量にされているのではないかというパンにバターを塗る音、パンをかじる音、カップをソーサーに置く音・・・といった日常音が作り出す不協和音におののく。 相手に対する苛立ちを物にぶつけるのは非常に無粋な行為であると思い知らされるのでした。 すみません、もう絶対しません。

  ファントム・スレッド2.jpg とはいえ、アルマの存在はレイノルズにとってインスピレーションの源。
 黙ってモデルになっていてくれる分には問題ないのだが・・・24時間そうやっているわけにはいかないのがつらいところ。
 殺人事件こそ起こらないが、だんだんアガサ・クリスティーの愛憎劇っぽくなっていくことにドキドキ。 恐るべき緊張感に背筋がぞくぞくするが、場内後方からは誰かの寝息が聞こえてくる(それくらい息をのむ静けさだったのです、起きて観ていた者たちにとっては)。
 なんというか・・・「えっ、愛っていかに相手を傷つけた者のほうが勝ちなの?」と思わされてしまったというか、相手を傷つけたことで自分がひるむならそれはもうもう敗者であるということなんですよ。 自分を変えず、相手を屈させる闘いであるかのような。
 何故「バター控えめ」が好きな相手に食べさせる料理に、たっぷりバターを使うのか意味がわからない。
 愛してる、という言葉が口から出れば出るほど、その空虚さは強まるばかり。 いや、むしろそれは自分への愛なのか。
 そこには現代に漠然と広がっている<恋愛至上主義>は幻想でしかないと、“愛”という言葉にまつわる美しいイメージを粉々に打ち砕くパワーが。
 レイノルズははっきり言って変態。 アルマもある意味変態。 ただその方向性が互いに相いれないので、譲歩し合い受け入れることが愛なのか? いや、ほとんど「お互い様でしょ」って感じなんだよな〜、となると“愛”とはそれほど高尚なものでもなんともないということになり、たとえば『おっさんずラブ』にときめいちゃってる自分に冷や水を浴びせられる格好に。

  ファントム・スレッド5.jpg ラストに近づくにつれ、ハッピーエンドの様相を呈していくのだが・・・。
 もう、とにかくそれが怖いのです。
 自分はすべてを得て、相手がほしいものをすべて与えた、だから満足。 って、あなたが満足でもさ!
 恋愛は当事者でなければわからない、傍から見て「おかしい」と思っても本人たちが幸せだと思っていれば誰にもどうにもできないのは事実。 でも他者から見てそれがこんなにイタいとは・・・自分自身の過去の経験が微妙に重なるからでしょうか。 だとしてもそれが「恥ずかしい」ではなく「コワい」になっちゃうところがPTAらしさだなぁ、と思った(観客側の共感をあえて誘わないつくりとか)。
 ダニエル・デイ=ルイスが引退宣言しちゃったのは、レイノルズの役に入り込みすぎてまだ抜けてないからじゃないの?
 音楽はやっぱりジョニー・グリーンウッドで、クラシック音楽を効果的に使いながらも静謐なピアノで映画の格調を高めていて、余計に日常雑音の不愉快さを印象付けるのでした。
 エンドロールの最後に、「ジョナサン・デミに捧ぐ」という献辞が出て・・・一瞬でぶわっと目に涙が盛り上がりそうになる。
 あぁ、あの光とかそういうこと!?、と勝手に合点してみたり。 このホラー具合は『羊たちの沈黙』へのオマージュでもあるのだろうか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする