2018年06月09日

安全性という問題

 ちょっとヤボ用で、本日東京日帰りコースに行ってまいりました。 ま、美術館巡り的な(詳細はまた別記事にて)。
 結構余裕のスケジューリングかと思っていたら、意外とギリギリでした(でも途中、あわただしく急いだということではない)。
 帰りは羽田から神戸空港に飛行機で。 久し振りだったので飛行機好きだった頃の血が騒いだ。
 でも東京は暑かったのですよ・・・30℃とかで。 午後からは曇り空が多かったので多少助かりましたが、次の日は雨らしく湿度も高め。 通気性のいい服を着ていってよかったですわ。
 家に帰ってきて、シャワー浴びて、洗濯機回して、冷たい飲み物でも、とくつろごうとしたとき、ニュースが目に入った。
 えっ、東京発ののぞみに、ナタを持った男?
 ・・・もし飛行機という選択肢をとらなかったら新幹線に乗っていたかもしれない(でももう一本か二本早い時間帯になっていたとは思うが)。 もしその場に乗り合わせていたら、あたしは犯人に立ち向かうことができただろうか、とつい考える。
 カバンの持ち手の部分を相手の首にひっかけて・・・となると背後をとらねばならず、その態勢で相手の腕を踏んずけたりはできない。 やはり何人かの協力が必要だ。 でもそれはこうやって考えていられるからで、とっさにおいて行動できるかはまた別の話で。
 そう考えるとやはり飛行機の保安態勢は内部の安全を担保していると言える。 同じことを新幹線の乗客に適用させるのは無理だろう、ダイヤが過密すぎるもん。
 でもそれは、新幹線だけじゃなく在来線すべてに言えること。 電車だけじゃなくバスだってそうではないか。
 安全を手にするためには、常に自衛の心構えをしなければならないのか。
 あぁ、福知山線脱線事故の教訓から先頭車両に乗るのはちょっと、と思っていた時期があったのに、今では仕事帰りの途中下車する駅によっては改札の場所の近さの関係で普通に先頭車両に乗ってるわ、あたし・・・。 中距離乗ることが日常になってしまっているから、危機感よりも自分の都合を優先している。 勿論、それでトラブルは起こっていないけど。
 危険な出来事をどうすれば防げるのか。 遠回りでも、ゆとりある穏やかな社会になるしかない、のかも。

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2018年06月08日

モリーズ・ゲーム/MOLLY’S GAME

 アーロン・ソーキンの脚本は台詞が多い。 ほぼ会話劇といってもいいくらい。 ジェシカ・チャステイン主演ということでつられたけど、実はアーロン・ソーキン初監督作でもあるという。 えっ、初めてじゃないでしょ!、と思ったけど「映画としては初めて」ということらしい(そうか、『ニュースルーム』はテレビドラマだもんな)。

  モリーズ・ゲームP.jpg セレブを虜にしたのは、華麗なる破滅。

 2002年、女子モーグル北米3位のモリー・ブルーム(ジェシカ・チャステイン)は、冬季オリンピック出場予選最終戦を前にした心境を語る。 それは現在・2014年からの回顧で、自伝を出版しサイン会を控えて眠れぬ早朝、突然FBIに踏み込まれて逮捕される。 違法賭博運営の容疑だが、彼女は同じ罪で2年前に逮捕され、全財産を没収されていた。 「何かの間違い。 あれ以来まったくやっていない」と言うが勿論FBIが聞き入れるわけもなく、弁護士を探すが世間から<ポーカー・プリンセス>というイメージを持たれている彼女に勝ち目があると思うものは少なく、つてを頼ってチャーリー・ジャフィー(イドリス・エルバ)に辿り着く。 彼は弁護士の中でも清廉潔白で妥協もしない男だと有名だったから。 チャーリーはモリーをタブロイド紙の報じるイメージで見て依頼を断るが、彼女を知るにつれ「何か違う」と感じるようになる・・・という話。
 やっぱりすごく台詞が多い、映画自体も140分。 モリーのナレーションも多弁で、更にそれぞれの会話も長い。 ポーカーについてだけでなく、「手数料をとらなければポーカー場を提供することは(参加者がどれだけ高額の現金をかけようとも)違法ではない」というアメリカの法律とか、ポーカー場の運営方法とかいろいろ複雑な要素もあり、絶対字幕追いついてない!

  モリーズ・ゲーム2.jpg 面白かったんだけど、詰め込みすぎ感もあり。 WOWOW放送時には吹替版も観たいものです。
 ジェシカ・チャステインはまたもや孤高の女(プライドとプレッシャーの狭間で薬物依存になっちゃうようなあやうさあり)。 でもこれは割と最近の実話ということで、実在のモリー・ブルームへの配慮なのか「2014年現在」以降のことは描かれない。 エンディングに「その後」ってテロップが出るのが実話もののたのしみのひとつなのだが・・・。
 イドリス・エルバは『ダークタワー』とも『マンデラ 自由への長い道』とも違い、職人肌の知的な弁護士をかっこよく演じ、むしろ『フレンチ・ラン』のCIAエージェント役の方を思い出す(あれも自分の信念で動く職人的な役柄だった)。 おまけに幼少時からモリーをビシビシ鍛えてきた父親はケヴィン・コスナーなのである。 豪華キャストだ!

  モリーズ・ゲーム4.jpg 初めてのポーカーナイト。
 スキー一筋でオリンピックを目標にしてきた若きモリーは大学を首席で卒業し、ハーバードのロースクールに進む資格を得ていた。 しかし思わぬことで夢破れた彼女はロースクール進学を一年延期し、アルバイトをしながら新たに知る社会の仕組みに夢中になる。 そしてアルバイト先のボスからポーカーナイトのアシスタントを頼まれたことで、高額ポーカーの世界に触れる。 客層は様々だが共通するのはみなお金持ちの有名人だということ。 ハリウッドスターのプレイヤーX(マイケル・セラ)ともそこで知り合う。 別にポーカーにこだわりがあったわけではないと彼女は語る、たまたまタイミングで出会っただけにすぎないと。 
 でも、場の空気を読み才気を競うポーカーは、どこかスポーツに通じる。 その場を支配する立場に身を置くことは、モリーにとって非常に魅力的だったのでは。 緊張感に神経を擦り減らすことになっても続けたのは、プレイヤーがポーカー中毒なのと同様ホストという役割を演じることに依存してしまったからでは。
 厳格な父親、その期待に応えている優秀な弟二人がいるモリーにとって、たとえ人生の休暇中であってもなんらかの形で自己実現せずにはいられなかったんだろうなぁ・・・と思うとモリーが頑張れば頑張るほど見ているこっちは痛々しい気持ちになってくる。 もちろんそこには彼女なりの信念があるのだが、それがまた他人にはわかりにくい種類のもので。
 思えば、弁護士チャーリーの娘が課題として出されたアーサー・ミラーの『るつぼ』が、この物語の象徴だったのだ。

  モリーズ・ゲーム1.jpg ケヴィン・コスナーかっこいい!、んだけど、自分の父親がこういう人だったら娘としてはめんどくさいな・・・というキャラではある。
 なんで素直になれなかったんでしょうね、という話でもあり・・・親子関係の難しさは世界共通なのか(その難しさも程度問題であり、あっさりクリアできる人たちも世の中にいることはわかっていますが)。
 失ったものも大きかったけれど、この苦境で彼女が得たものもあり、次のステップへ進む通過点(先は未知数だけど希望はある)として描いたところは変則的なれども青春映画の香りもあって。 ジェシカ・チャステインが出るのならば大きく外れることはないであろうという期待はやはり裏切られない。
 実際のモリーのポーカー場にはレオナルド・ディカプリオやトビー・マグワイア、ベン・アフレックらが出入りしていたそうだが・・・プレイヤーXはそんな人々の集合体なのかな?、とか想像するのもちょっと面白い。 でもやっぱりギャンブルは怖いよ!、という話。

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2018年06月06日

ゲティ家の身代金/ALL THE MONEY IN THE WORLD

 ケヴィン・スペイシー問題を「撮り直し」という方法で早々に片づけた一作、ということで別な意味で期待値が高い。 クリストファー・プラマー好きだし、まぁ彼が冷酷無比な人の役というのはちょっと悲しいが、十分できてしまうことは想像つくし。 そして実話もの好きとしても、ゲティ家の誘拐事件はまだいろいろと謎が多くてまとめてくれているのならそれはそれでうれしいし、みたいな気持ちで。 それにこの事件、多分『Z』第一話のオイルダラーの息子誘拐事件のモデルだよね!

  ゲティ家の身代金P.jpg 彼女の戦う相手は誘拐犯、そして世界一の大富豪。

 1973年、ローマにてアメリカの大富豪ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の孫ポール(チャーリー・プラマー)が誘拐され、ポールの母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の元に1700万ドルを要求する電話が入る。 しかし夫(アンドリュー・バカン)と離婚してゲティ家から離れているゲイルにはそんなお金はない。 誘拐犯は「じじいに払わせろ、世界一の金持ちなんだから」と言うが、ジャン・ポール・ゲティはマスコミの前で身代金の支払いをあっさり拒否。 ゲイルは息子のため、誘拐犯とジャン・ポール・ゲティ両方と交渉することになってしまう・・・という話。
 誘拐される73年のパートと、ジャン・ポール・ゲティの息子であることに背を向けて家庭を持ったが仕事がなくなって父親に泣きつくことになる過去のパートが前半は交互に進行。 それによって父のもとに戻るまでは幸せな家族だった時期(その境目に流れるのはゾンビーズの“二人のシーズン”!)のはかなさが引き立ち、「お金持ちであることが幸せとは限らない」というメッセージが早々に観客に届く。 息子(どこかで見たことがある人だと思ったら、『ブロードチャーチ』のマーク役−ダニーの父親役の人ではないか! リドリー・スコットはあのドラマ見てたのか、と思うくらいイメージ似てた)はダメだが孫は見どころがある、とジャン・ポール・ゲティはポールを自分の後継者として教育している場面もあるんだが・・・だったらなんでポールはあんなに無防備に夜のローマの街を歩いているのか、危機感のなさにハラハラするじゃないか。

  ゲティ家の身代金6.jpg ポールはまだ16歳ぐらい? ならば予測できないのは仕方ないのか。
 しかし当時すでにイタリアではマフィアによる誘拐がビジネスとして確立しており、自分たちで交渉がうまくいきそうにない(長引きそうだからすぐお金を手にできない)とわかったら別のマフィアに人質ごと交渉の権利を売り渡す、みたいなことが普通に行われているのである。
 石油がゲティ家のビジネス、マフィアもまたファミリービジネス。 これって究極の対比か?
 ひげもじゃなんで最初よくわかんなかったんだけど、誘拐犯側の交渉役のチンクアンタはロマン・デュリスだったのである! ゲティ石油が多国籍企業なだけにキャストも多国籍で「おぉ、こんな人も!」と面白かった。

  ゲティ家の身代金2.jpg じじいのおぞましさ、さすがです。
 なにしろ難物は誘拐犯より大富豪ジャン・ポール・ゲティの方なのです。 マスコミに「何故身代金を払わないんですか」と聞かれて「私には他にも何人も孫がいる。 一人に払ったら全員誘拐されてしまう」と合理的なことを言いながら、自宅から電話をかけたいという人には公衆電話を案内する(そのために自宅に公衆電話を設置している)・「小銭がないんですけど」という人には執事が両替してあげるという用意周到さ、闇ルートで美術品を値切るけど高額で買い入れつつも日常で節約できることは何でもやるという守銭奴ぶり。 勿論、彼は彼なりに家族のことを考えてはいるのだが(他の孫も誘拐されたら困る、は本心だろう。 ポールのために元CIAのチェイス(マーク・ウォールバーグ)を交渉人としてゲイルの元に派遣するし)、身代金を息子に貸す形でついでに節税対策したり、その基準が一般的な人と違いすぎるので「ドケチじじい」と見られるしかないのである。 誰も彼を理解できない――つまりは誰よりも孤独ということで。
 こんな人を一週間ぐらいの準備期間で見事に演じてしまうクリストファー・プラマー、すごすぎ! 最初っから彼だったと言われても納得の出来栄えで、もはやケヴィン・スペイシーのバージョンが想像できないです。
 世界一のお金持ちとして世界的に有名なゲティ家よりも、イタリアの田舎でマフィアの一角としてポールの身柄を幽閉している人たちのほうが<家族>として充実した生活を送っている感じがするのがとても皮肉で。 ゲイルが離婚したのもゲティ家問題についていけなかったからだし。

  ゲティ家の身代金1.jpg ゲイルは地方検事の娘として育ち、当時の女性としては精神的に自立しているタイプ。
 マスコミが求める「泣き崩れる弱い母親」の姿を見せなかったために一部ではかなり叩かれたようですが・・・他人にどう見られるかよりも息子を助けることが最優先、という母親としての強さが印象的。 泣いて解決するならいくらでも泣くけど、泣いたってまったく解決しない、元夫も義父も頼りにならず、なんとかできるのは自分だけとなったらこう開き直るしかないですよね、という感じで。 また当時のイタリアの警察の構造も複雑だし、マフィアと癒着しているところもあるから警察も頼りにならないんだもの。 チェイスが来るまで誘拐犯との交渉に助言する人もいなかったんだからびっくりだよ。
 とはいえ、誘拐犯との交渉といっても電話だけだし、1700万ドルなんて絶対払えないからどこまで値切るかみたいな話が中盤は繰り返しになるのでちょっと中だるみ。 要所要所の映像美はさすがなんですがね。 マフィア側がいい加減しびれを切らして実力行使に出てから一気に物語も動き出しますが、誘拐を扱っている割に全体的に緊張感がないのは、リドリー・スコットが描きたいのは誘拐事件の真実ではなくジャン・ポール・ゲティとゲイルのまったく違う生き方だったからではないかと。
 人生の価値として財産に重きを置かず、自らの信念の方を大事にするゲイルはリドリーが好んで描くところの“戦う強い女性”のもうひとつの形。 一方、お金はいくらあってもまだまだ足りないというジャン・ポール・ゲティは人生において満たされることを知らない。
 どっちが幸せか、わかりますよね?、って話だったのか・・・。
 実話ベースではあれどinspired byって表記だったからかなり簡略されているのかも。 詳細を知りたければルポを読め!、ってことか。

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2018年06月05日

ピーターラビット/PETER RABBIT

 もともとの『ピーターラビット』を読んだのは結構あとから。 繊細でキュートな絵のイメージが先行していて(何故か家にピーターラビットのイラスト入りのマグカップがある)、原作読むと意外にヘヴィな内容に度肝抜かれた。 人間と野生動物の戦いがそこにはある。
 実写化と聞いたときは「『パディントン』みたいになるのであろうか・・・」という危惧があったけど(最近の実写映画は予告を見た限りでは、小学生から読んでる『くまのパディントン』のあたしのイメージを大きく覆すものだったので観る気も起きなかったんだが)、こっちの予告ははじけ具合が原作のイメージをあえて離れる方向を選んだように思えたので、興味を持った。
 それにマクレガーさんがドーナル・グリーソンなんだもの・・・楽しみじゃない!

  ピーターラビットP.jpg ケンカするほど、好きになる。

 舞台はイギリスの湖水地方(多分、設定も現代に)。 いたずら好きなウサギのピーターとその姉妹たち、いとこのベンジャミンは大きな木の下に掘った穴を自分たちの棲み処として毎日楽しく暮らしている。 ピーターたちの主な標的はしっかりおいしい野菜を育てているマクレガー家の家庭菜園。 一人住まいのマクレガー氏(サム・ニール)は丹精込めた野菜をウサギたちに奪われることに腹を立て、毎日知力と体力を尽くした攻防戦を繰り広げていた。 画家志望のファンタジー脳の持ち主ビア(ローズ・バーン)はマクレガー家の隣の家に越してきたが、ウサギたちを絵のモデルにしたりと友達付き合いをしてくれ、ピーターはビアにすっかりお熱。
 ある日、マクレガー氏が倒れ、屋敷の所有権はロンドンのハロッズで働く若きマクレガー(ドーナル・グリーソン)に移る。 見るだけ見て売りに出すつもりだったが、彼もまたビアに一目惚れ。 恋のライバルともなったピーターとマクレガー、野菜畑の攻防もどんどんエスカレートしていき・・・という話。

  ピーターラビット2.jpg CGアニメなんだろうけど、ウサギのモフモフ感がすごい!
 なんというか・・・ものすごくパンクな映画だった!
 自然保護とか動物かわいいとか、情緒的な雰囲気コメントを吹き飛ばすパワー。 生きるとは、まさに生存競争です、という野性の掟。
 でも、実は描かれていることは結構原作通りなんですよね・・・さすがイギリス、どんだけアレンジしても本質は見失わない。 逆に絵だけのイメージを持って観ると「こんなんじゃない!」とクレームが入りそうなレベルではあります。 あたしはわりと楽しかったです。

  ピーターラビット1.jpg ほとんどマクレガーさんは『トムとジェリー』におけるトムのような扱われ方に。 でもそれがすごくキュートで、ドーナル・グリーソンはコメディもいける役者になったと確信。
 ほんとにドーナル・グリーソンがかわいい!、のです。 『エクス・マキナ』のときとはまるで別人。 CGアニメキャラ相手ってことはかなり一人芝居を強いられただろうに、オーバーアクションと顔芸(?)で完成品として違和感なし。 だからピーターたちとのガチのケンカも(あれ、マジでやったら死にますよのレベルだけど)、素直にゲラゲラ笑える出来栄えに。 『トムとジェリー』も子供の頃は単純にジェリーの味方だったけど、大きくなるにつれトムに同情して応援してしまいたくなったように、あたしはマクレガーさんを応援したよ!(彼のハロッズ時代のエピソードも重要で、無茶しても共感できるキャラに)

  ピーターラビット3.jpg 『アバウト・タイム』ばりのラブストーリー風味あり。
 ピーターと若きマクレガー氏がしっかり描写されている分、ビアは「単なる世間知らずの不思議ちゃん?」になっちゃっているところもあるんだけど・・・ある意味、ビアに振り回される二人の不幸的な。 それにしても『ダメージ』以降薄幸なイメージが個人的に強いローズ・バーンがこういう役をやっても違和感覚えなくなってきたな・・・ということに感慨を覚えました。
 湖水地方の風景だけ見れば『ミス・ポター』をちょっと思い出すんだけれど、それ以外では一切かぶる要素なしなのもすがすがしい。
 ミュージカル仕立てなのかと思えばそれほどでもなく、生活に疲れた雄鶏などウサギ以外の動物たちもちゃんと描き(ロンドンの都会ネズミさん、超儲け役!)、ベンジャミンがお笑い担当なのはまぁ仕方ないかな・・・。
 だけど老マクレガーさんがサム・ニールだったことにエンドロールまで気づかなかったよ! メガネかけてひげ面で帽子もかぶって更に声もちょっとつくってたからわからなくても仕方ないんだけど、ファンだけにショックでした。
 エンドロール後に「我が家のウサギ」的一般公募のペットのウサギ写真が日本オリジナルエンディングとして追加されているのだが・・・もう実物のウサギ写真より映画の中のウサギたちのほうがモフモフであると気づかされるだけ、でした。

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2018年06月04日

今日は6冊。

 ほんとは5月の終わりに発売だったのだが・・・手にしたのは6月になってから。
 なんだか日々バタバタですわ。

  カー盲目の理髪師【新訳版】.jpg 盲目の理髪師/ジョン・ディクスン・カー
 <フェル博士シリーズ>、4作目にして代表作だというこちら、新訳にて登場。
 またこちらの表紙もいい感じである。 そういえばフェル博士も安楽椅子探偵なんだよな・・・。

  空の幻像.jpg 空の幻像/アン・クリーヴス
 <シェトランド四重奏>完結後、再開したジミー・ペレスシリーズ2作目(トータルで6作目)。
 四重奏の終わりがあまりにもあまりだったので(でもイギリスのミステリにはそういう痛手を与えるもの、結構あるけどさ)、まだ5作目が読めてませんでした。 でも6作目が出たなら、ペレス警部ががんばっているというのなら、あたしもがんばりましょうか。

  死後開封のこと1.jpg死後開封のこと2.jpg 死後開封のこと/リーアン・モリアーティ
 『ささやかで、大きな嘘』の作者の新刊(というか、新たに日本で訳されたもの)。 かなり内省的傾向の作品ということなので、こっちのほうがあたしの好みかなぁ。

  接触クレア・ノース.jpg 接触/クレア・ノース
 『ハリー・オーガスト、15回目の人生』の作者の新刊。 なんだか表紙がより<青春>っぽいイメージになってますが、中身はそんな感じでもないらしい。 角川文庫としては600ページを超えるこの本を上下分冊にしなかったことは褒めてあげたい。

  吉野北高校図書委員会3.jpg 吉野北高校図書委員会 3/今日マチ子
 多分原作とは違う方向に行っているであろう話(クレジットは“原作”ではなく“原案”になってるし、でもそれがいい)、最終巻でした。
 高校生活だから3巻で、ということなのかなぁ。
 今日マチ子的行間を味わうために、1巻からゆっくりまた読もうか。

ラベル:マンガ 新刊
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2018年06月01日

ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

 P・T・A(ポール・トーマス・アンダーソン)新作。 しかし公開前最後のチラシには「アカデミー賞」よりも「ダニエル・デイ=ルイス引退作」の文字のほうが目立つ場所に印刷されていた。 でも何年かしたら、またやりそうな気がしないでもないんだけどな(完全な宣言ではないにしろ、以前から似たようなこと言ってたしさ)。

  ファントム・スレッドP.jpg オートクチュールのドレスが導く、禁断の愛。

 1950年代のロンドン、オートクチュールの高級ブランド“ハウス・オブ・ウッドコック”を仕切るのはデザイナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)と経理や実務担当の姉シリル(レスリー・マンヴィル)。 レイノルズは頑固で神経質な芸術家気質であるが故に、これまで幾人ものミューズを手元に置いては邪魔になると追い出すを繰り返してきた。 自分を理解してくれるのは姉のシリルだけ、本当に求めているのは死んだ母親だから。 実際、そんなレイノルズをシリルは受け入れている。
 ある日、別荘へ行く途中で朝食をとるために立ち寄ったダイナーで、レイノルズはウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)の体形が自分のドレスにピッタリであることに気づく。 が、アルマにとっては初めて自分を見そめてくれた素敵な男性の出現であり、夢見るような恋のはじまりだと思ったが・・・という話。
 もっとファッション界のことが描かれるのかと思いましたが、完全なるホラー映画でした。

  ファントム・スレッド1.jpg 二人の初対面のシーンはもしかしたらいちばん微笑ましいところ?
 最初のあたりはイギリスの古典的ゴーストストーリー(それとデュ・モーリアの『レベッカ』)に『マイ・フェア・レディ』なのかと思ったけど・・・PTAがそんな正攻法でくるわけはなく。 しかも時代については正確に表現されているわけじゃなくて、漠然と。 カメラや自動車といったものから「第二次大戦後?」と判断できるかな、というくらいで、ざっくり『ダウントン・アビー』より後かな、ぐらいのイメージ。 ファッションショーの進行の感じがココ・シャネルと同じっぽかったので、というのもヒントだったかな。

  ファントム・スレッド4.jpg お針子さんたちの無言の存在感、圧倒される。
 美しいものを生み出すアトリエ。 そこに連れてこられて幸せが手に入ったかと思うアルマなれど、朝のレイノルズはスケッチに夢中で全然自分をかまわない。 デートかと思えばシリルもあとから合流するし、なんなの?!、となるアルマの気持ちもわかるけど、ガサツで気遣いや教養のないアルマにげんなりするレイノルズの気持ちもわかる。 実際の音の10倍くらいの音量にされているのではないかというパンにバターを塗る音、パンをかじる音、カップをソーサーに置く音・・・といった日常音が作り出す不協和音におののく。 相手に対する苛立ちを物にぶつけるのは非常に無粋な行為であると思い知らされるのでした。 すみません、もう絶対しません。

  ファントム・スレッド2.jpg とはいえ、アルマの存在はレイノルズにとってインスピレーションの源。
 黙ってモデルになっていてくれる分には問題ないのだが・・・24時間そうやっているわけにはいかないのがつらいところ。
 殺人事件こそ起こらないが、だんだんアガサ・クリスティーの愛憎劇っぽくなっていくことにドキドキ。 恐るべき緊張感に背筋がぞくぞくするが、場内後方からは誰かの寝息が聞こえてくる(それくらい息をのむ静けさだったのです、起きて観ていた者たちにとっては)。
 なんというか・・・「えっ、愛っていかに相手を傷つけた者のほうが勝ちなの?」と思わされてしまったというか、相手を傷つけたことで自分がひるむならそれはもうもう敗者であるということなんですよ。 自分を変えず、相手を屈させる闘いであるかのような。
 何故「バター控えめ」が好きな相手に食べさせる料理に、たっぷりバターを使うのか意味がわからない。
 愛してる、という言葉が口から出れば出るほど、その空虚さは強まるばかり。 いや、むしろそれは自分への愛なのか。
 そこには現代に漠然と広がっている<恋愛至上主義>は幻想でしかないと、“愛”という言葉にまつわる美しいイメージを粉々に打ち砕くパワーが。
 レイノルズははっきり言って変態。 アルマもある意味変態。 ただその方向性が互いに相いれないので、譲歩し合い受け入れることが愛なのか? いや、ほとんど「お互い様でしょ」って感じなんだよな〜、となると“愛”とはそれほど高尚なものでもなんともないということになり、たとえば『おっさんずラブ』にときめいちゃってる自分に冷や水を浴びせられる格好に。

  ファントム・スレッド5.jpg ラストに近づくにつれ、ハッピーエンドの様相を呈していくのだが・・・。
 もう、とにかくそれが怖いのです。
 自分はすべてを得て、相手がほしいものをすべて与えた、だから満足。 って、あなたが満足でもさ!
 恋愛は当事者でなければわからない、傍から見て「おかしい」と思っても本人たちが幸せだと思っていれば誰にもどうにもできないのは事実。 でも他者から見てそれがこんなにイタいとは・・・自分自身の過去の経験が微妙に重なるからでしょうか。 だとしてもそれが「恥ずかしい」ではなく「コワい」になっちゃうところがPTAらしさだなぁ、と思った(観客側の共感をあえて誘わないつくりとか)。
 ダニエル・デイ=ルイスが引退宣言しちゃったのは、レイノルズの役に入り込みすぎてまだ抜けてないからじゃないの?
 音楽はやっぱりジョニー・グリーンウッドで、クラシック音楽を効果的に使いながらも静謐なピアノで映画の格調を高めていて、余計に日常雑音の不愉快さを印象付けるのでした。
 エンドロールの最後に、「ジョナサン・デミに捧ぐ」という献辞が出て・・・一瞬でぶわっと目に涙が盛り上がりそうになる。
 あぁ、あの光とかそういうこと!?、と勝手に合点してみたり。 このホラー具合は『羊たちの沈黙』へのオマージュでもあるのだろうか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする