2018年06月30日

30年後の同窓会/LAST FLAG FLYING

 おじさん俳優好きとしては、この三人の取り合わせ、なかなか魅力的。 監督がリチャード・リンクレイターだというのもそれを後押し。 話には意外性なさそうではあるんだけど、この人たちのやり取りが見たい!

  30年後の同窓会P.jpg 涙をみせられる、友はいますか?

 2003年、バージニア州ノーフォーク。 バーを営むサル(ブライアン・クランストン)のもとに、ドク(スティーヴ・カレル)と名乗る男がいきなり現れる。 二人はともに海軍に所属し、ベトナム戦争を共に戦った仲だが、30年前に別れたきりだった。 ドクはもう一人の仲間ミューラー(ローレンス・フィッシュバーン)にも会いたいと言い、三人は再会。 そこでドクは、一人息子がイラク戦争で戦死したという知らせを受け取ったので、息子を一緒に迎えに行って故郷のポーツマスに連れて帰るのを手伝ってくれないか、と突然の訪問の理由を打ち明ける。 実はアルコール依存症の気配のあるサルと、過去から決別して神父として神とともに生きる道を選んだミュラーは困惑するが・・・という話。

  30年後の同窓会3.jpg 30年後の再会・その1。
 ブライアン・クランストンはカメレオン系の俳優さんであるが、サルはちょい悪オヤジ風でなんかちょっとかっこいい! 『ブレイキング・バッド』とも『GODZILLA』とも『トランボ』とも全然違うのがすごい。 よく見れば顔は同じ人なんだけど(当たり前)、雰囲気とかが全然違うので同じ人とは思えないんだよな〜。 俳優としては当たり前なのかもしれないけれど、ここまで違う人はなかなかいないと思う。
 雰囲気違うといえばスティーヴ・カレルもそうなんだけど、すごくいかれてる系がすごく普通そうかどっちかにわけられる気がする。
 ローレンス・フィッシュバーンは見た目のインパクトが強いせいか、人に説明するときに「『マトリックス』のモーフィアスの人」って言うと通じやすい(海外ドラマ派には『CSI』の“教授”ね)。
 そんな三人が<同年代>として登場すると、「(年齢的に)そんなもんなんですかね〜」と納得してしまう感じあり。 それもまた演技力か。

  30年後の同窓会1.jpg ぱっと見、ヘンな組み合わせだけど。
 30年間、それぞれ別の道を歩いてきた三人の邂逅は、最初はぎこちないものだったが次第にかつての空気感が戻ってくる雰囲気がすごくいい。 特にミューラーは悔い改めて過去を忘れたがっているから二人に心を開きたくない感がありありだったけど、それも途中から我慢してるのかと見えてくるから面白い。 だから最初からお喋り全開のサルが主役みたいなんだよなぁ。 でも喋れば喋るほど、はしゃげばはしゃぐほど、奥に隠そうとしている彼の孤独が浮き上がる。 妻もなくし、息子もなくしたというわかりやすい悲劇を背負ったドクはあらためてキャラ付けする必要がないし。 そんな重い題材を背負っているからこそ、映画はコメディタッチのロードムービーとして進む。

  30年後の同窓会2.jpg 三人で電車に乗る。
 男三人の下らないバカ話の中に潜む真実。 バカ話がそれだけで終わらない余韻を残すのは、それだけ彼らが年齢を重ねてきていろんなものを見てきたから、というのがわかる。 年をとるのがかっこいい、というのはこういうことなのね。
 そして、ドクの息子が死んだ原因であるイラク戦争について語りながら、実際に語れるのはベトナム戦争のこと。 911をはさんで世界は一変したように思われるけど、アメリカはまだベトナム戦争を整理できていないことを知る。 この映画の設定が2003年である意味もきっとそこにある。

  30年後の同窓会4.jpg 大事なときには何も言わなくても。
 昔話はしても回想シーンは出てこない、これって重要なポイントかも。
 そして、やっぱりこういう時に流れるのはボブ・ディランなんだよなぁ。 おじさん俳優かっこいい!

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2018年06月29日

サヨナラダケガ人生ダ

 直属の上司が転勤となり、今日がここでの最後の日。
 というか、本来今日はお休みのはずだったのだが、残務整理が終わらなかったようで。
 おつかれさまです。 いろいろご迷惑をおかけしてすみませんでした。 ありがとうございました。 向こうでもお元気でがんばってください。
 直属の上司、とはいってもあたしはいろんな仕事をしていて(させられていて)、指示系統が一貫していない・仕事の範囲も所属と一致していないなどやっかいなことがあるのだけれど、その人はそういうことを全部承知の上で「直接の管理者」の立場でいてくれた。 直接その人には関係ないようなことでも、報告という形のあたしのグチを聞いてくれた(その分、あたしも「それ聞いていいのか?」という話を聞いたりしたが)。
 阿吽の呼吸、とまではいかなかったが、まぁそれなりに信頼関係はできていたのかな、と思う。 こっちの事情とかも分かってくれていたし、神戸勤務時代からの付き合いもあったし。
 後任の方とは同じようになれるかどうかわからないし、まったく同じとか考えるのは無茶なことだとわかっている。 新しい関係を作っていかないとな、と思う。 仕事って業務内容はあるが、結局人間関係・信頼関係なんだよな、とこういうときに改めて思い知ります。
 さ、7月からまた新たな感じで。

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2018年06月28日

今日は4冊。

 6月最後の書籍買い。

  ゴーリーずぶぬれの木曜日.jpg ずぶぬれの木曜日 きっとどこかにあるはずだ/エドワード・ゴーリー
 なんとゴーリー新作、三作連続刊行!、だそうでその第一弾。 しかも日本限定オリジナルグッズをプレゼントだそうである・・・(詳細不明、三作全部買ったら権利あり、らしい)。 そこまでしなくても今だったらゴーリー、売れるでしょう。
 今回は雨の日の話ということで、雨を際立たせるために画面が全体的に白い。 その分、犬や傘がベタ黒で強調されているんだけど、いつものような<細部まで書き込まれた線や模様>を期待するとちょっと肩透かし。 更にいつものブラックorビターなテイストだと思っていると意外にもハッピーエンド?!、な感じがするので妙な気持ちがする。
 しかし、ここ何年かで新作が出始めてから、ページの紙が確実に薄くなっているような・・・今回、絵が白いので薄さが余計に目立った。 一応絵本なんだから、めくる手ごたえがほしいなぁ。

  六花の印 連城三紀彦傑作集1.jpg 六印の花 連城三紀彦傑作集1
 残りは創元推理文庫から3冊。
 連城三紀彦ブーム&再評価の流れに対して真打登場!、って感じ。 1ってことは2もあるのね! 今月いろいろ本買いましたが、もしかしたらこれがいちばん厚い本かもしれない。
 “幻影城新人賞で華々しい登場から直木賞受賞に至る初期作品十五編を精選”、とのこと。 東京創元社の傑作選って年代順にまとめることが多いよなぁ。 ここから入る人にはある意味親切だなぁ、と思う。 でもここから入るにはこの厚さはハードル高くないか。

  ホワイトコテージの殺人.jpg ホワイトコテージの殺人/マージェリーナ・アリンガム
 『カンピオン氏』シリーズの作者によるノンシリーズもの。 というか初の長編ミステリ作品らしい(あらすじ読むと、ちょっとコージーっぽいのだが)。 この人もクリスティと同時代の人だったよな・・・イギリス、どんだけミステリの層が厚いのか(そのかわりに今でもマンガがほとんど浸透しないのは、<文学の国>というプライドなのか?)。

  遭難信号.jpg 遭難信号/キャサリン・ライアン・ハワード
 東京創元社の新刊案内で見たとき、『救難信号』と覚えてしまった・・・表紙のインパクトで「おおっ!」と思ったが、一瞬どこが違うのかわからなかった・・・ダメじゃん、自分。
 アイルランドから驚異の新人登場!、とのことで。 でも主な舞台は地中海クルーズ中の豪華客船!

ラベル:新刊
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2018年06月27日

万引き家族/SHOPLIFTERS

 この映画のチラシをいちばんはじめに見かけた頃(勿論、その頃はカンヌに行くなんて知りもしない)、あたしが思ったのは「この直球すぎるタイトル、なんとかならなかったのか」ということと、「阿部寛も福山雅治もいない、主演リリー・フランキーって・・・ガチ『誰も知らない』路線か」ということだった。
 てことは重たいじゃないか・・・観たいかなぁ、観たい気分になるかなぁ、とちょっと悩んだ。
 カンヌ旋風のおかげで、「観なきゃいけないか」という映画ファンとしての義務感に変わった。 そうでなければ観たかどうかわからない。 家族もの、だんだん重く感じるようになってきちゃったから、個人的に。

  万引き家族P.jpg 盗んだのは、絆でした。

 ある日、治(リリー・フランキー)と祥太(城桧吏)はいつも通りスーパーで万引きをしてリュックは戦利品でいっぱい。 商店街のお肉屋さんでコロッケを買い、食べながらの帰り道、あるアパートの前でひとりっきりの子供ゆり(佐々木みゆ)にコロッケをわけてあげるが、この寒空に放ってくことができず一緒に家に連れて帰ることに。 「これって誘拐になるんじゃないの?」と困惑する信代(安藤サクラ)は、ごはん食べたら家に送り届けるよう提案。 しかしゆりのアパートに行けば、室内では両親らしき二人の怒鳴り声と「子供なんか生むんじゃなかった」という叫びが聞こえ、信代はゆりを家に連れて帰る。 その家は登録上は初枝(樹木希林)が一人暮らしをしていることになっているが、この3人のほかに亜紀(松岡茉優)もいて、それぞれの収入を分け合って寄せ合って暮らしていた。 子供がもう一人増えるくらいどうってことないって、と亜紀も賛成し、ゆりもこの家で暮らすことになる・・・という話。

  万引き家族3.jpg 万引きはチームプレイ。
 やはりセンセーショナルな(というかあまりに直接的な)タイトル故、映画を観ていないだろう人たちから非難が起こりましたが・・・内容として決して万引きや犯罪を容認しているわけではない。 むしろ、ゲーム攻略のように万引きをミッションとしてクリアしてきた翔太が、次第に「これはいけないことなのか」と自分で考えるようになる過程を追う物語でもあり、「子供の罪は大人の教育のせい」という論調に一石投じる内容になっている、と思う。 どう育てられようとも、子供は親からだけ学び取るわけではない、学び取る内容を自分で選んでいる、というように。
 逆に、大人のほうが新しく学ぶことができない、過去の成功体験(?)に縛られがちである、という話でもある。

  万引き家族5.jpg しあわせとはなにか?、という話でもあるが・・・。
 機能不全家族、貧困、融通の利かない行政etc.と素材はケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』(これもカンヌでパルムドールを獲っている)とほぼ同じなのに、映画の内容もテイストもこんなに違うか・・・と思うと別の意味で泣けてくる。 日本ってこんなにダメな国なのか、と改めて思わされるから。
 着る服を選ぶことに負担を覚えない、思いついたことを自由にしゃべれる、大人の顔色を窺わなくていい。 多分、多くの子供にとって当たり前のことを5歳にして初めてゆりは知る。 でもそれを教えてくれた家族もまた普通ではないのだが、“普通”ってなんだろうね。
 ぞんざいな口調の奥にある母性をごく自然ににじませる安藤サクラ、やっぱりうまい人でした。 朝ドラ、楽しみだな〜。
 いつものことだが、リリー・フランキーはずるい。

  万引き家族4.jpg 血の繋がらない“兄”と“妹”。
 翔太役の彼は雰囲気が『誰も知らない』のときの柳楽優弥に少し似ていて、「あぁ、監督の好みなんだろうな」としみじみする。 ゆり(ほんとはじゅりなのだが、彼女が正しく発音できなかった)もばれないように別の名前をもらうが、彼女もまた能面のような表情から屈託のない笑顔を見せるようになる過程がとても自然で、子供描かせたらやっぱりうまいな、と思う。
 とはいえ、あたしが泣きそうになってしまったのは、描かれ方が他の登場人物に比べ中途半端だった亜紀がらみで、ワンシーン登場の池松くんの場面だった。 このシーンのために亜紀のバイト先をそこにしたのか!、ぐらいの。 前後に関係ない短いシーンでしたが、そこに見える背景にこそ日本社会の抱えるどうにか解決しなければならない問題が潜んでいる。
 多分、最も重要なのは大きく描かれていない中にあるのではないか、という気がした。

  万引き家族2.jpg 亜紀はおばあちゃんが大好きだが・・・彼女にもまた秘密が。
 長く生きていればいるほど、過去は積み重なって、あえて人に言わない・言わなくてもいいと考えることがもしかしたら<秘密>になっていくのかも。 本人には当たり前のことでも、近くにいる人間にとって知らなかったことはすべて謎であり秘密。 となれば、そばにいるからといってその人のことを何でも知っていると思うこと自体が危険なことで、でもそれを理解したうえで相手を信用するかどうかというのが人間関係の上で重要なのかもしれない。 知らないことも含めて全て受け止め、許し合うことが「俺たちは家族だ」という言葉の意味なのかも。
 とはいえ、もやっとした終わり方には・・・内容が内容なだけにつらさ倍増である。 『三度目の殺人』とはまた種類の違うもやっと感は、現在の日本の法律がそうだから仕方ないんだけど、というエクスキューズはつくものの、この映画がきっかけで法律が変わるくらいの力があるかといえば、現実の児童虐待死事件のほうがインパクト強すぎる。 だから、映画の中ぐらいでは子供には幸せになってほしいと思うじゃない? 公開のタイミングは注目を集める意味でタイムリーでもあったけど、「フィクションでは現実を救えない」という側面が強調されてしまったような気がする。 本来は「フィクションは現実を救う」割合のほうが大きいのに。
 おかげで鑑賞後の気分は盛り下がり、結果的に『羊と鋼の森』の評価が上がったじゃないか・・・。

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2018年06月26日

今日は3冊。

 ぼーっとしていたら、予想外のマンガ新刊が!
 25日の発売だったが、その日は本屋に行けなかった・・・(三宮のジュンク堂は最大21時までです)。
 なので翌日、意地でも!

  G線上のあなたと私4.jpg G線上のあなたと私 4/いくえみ綾
 3巻はすごく待った気がするから、意外に「え、4巻目、早くない?」と思ってしまいました。
 でもまさか、これが最終巻だなんて・・・もうちょっと読みたかったなぁ。 ちょっと端折られたところもあるような気がして残念だけど。
 恋愛寄りの話になってしまい(それはそれで面白いのだが)、ヴァイオリンのシーンは少なくなった感が。 でも3人それぞれの心の中の大切な場所にヴァイオリンはある、ということで。
 あまり恋愛慣れしてない不器用かつ変なこだわりのある男性って超めんどくさいけど、年上女性のほうがそういうところわかってあげられる部分もあるのかなー、みたいな。 それとも過去の自分が一部見えるから許すしかないというか。
 本編にもありますが、新しいことを始めて友達はできるかもしれないけれど、彼氏を見つけることはレアケースです。

  美食探偵明智五郎05.jpg 美食探偵 明智五郎 5/東村アキコ
 おや、キミもか。 まぁこっちは割と順調に続き出てるので。
 この巻ではすっかりマリアが主役。 明智さん、やっと自分の役割に自覚を持った・・・。
 そしてぐんぐん『黒蜥蜴』化していくのですが、悲劇でもありハッピーエンドでもあり、ひとつの寓話としても完成されている江戸川乱歩作品に対して、本作はいったいどういうオチをつけるのか。 乱歩とは違うところに辿り着けるのか、期待したい。
 それにしても世界中を移動しているかのようなマリアなれど、手口は「日本の田舎、バンザイ!」みたいな・・・。
 それに気づけない東京はおそろしい、ということでしょうか。

  ゲティ家の身代金文庫.jpg ゲティ家の身代金/ジョン・ピアースン
 「原作は映画では描かれていない部分にもかなり言及されている」とのことだったので、神戸市の図書館蔵書を探したらなかったよ!
 なので一か月遅れですが、買うことにしました。
 <序>を読んだだけで、「映画と全然違うんだけど・・・」ということがたくさん出てきた。 ま、映画は映画ですからね。
 こちらはノンフィクションのルポルタージュだから、本来の意味するところを追求していきたいと思います。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年06月24日

羊と鋼の森

 悩みましたが、観てみることに。 原作ではいまいち不完全燃焼だったピアノの音を実感したくて。 それに憧れの調律師の役が三浦友和だというのはかっこよすぎだろう、と思って。

  羊と鋼の森P.jpg たかが、一つの音。たった、一つの音。
   ピアノ調律師は心の声に寄り添い、探し求める。森の中を。

 北海道の原野に住み、そこが世界のすべてだった高校生の外村直樹(山崎賢人)は、先生に頼まれて“お客さん”を体育館に案内することに。 帰ろうとしたところ、ピアノの音が外村を足止めする。 彼はピアノの調律師・板鳥宗一郎(三浦友和)であった。 板鳥の出す音に森の香りを感じた外村は、調律が進むごとにはっきりと森を感じることに驚愕。 その場で弟子入りを志願する。
 東京で2年間、専門学校に通った外村は調律師見習いとして地元に就職。 そこは板鳥がいる楽器店だった・・・という話。
 冒頭の<外村くんが体育館で森を感じる描写>があまりにも高校演劇的だったので「大丈夫か!」とハラハラしたけど、そのあとはなんとか持ち直したというか・・・やらかすのは最初のほうがあとからのフォローがきくのか?

  羊と鋼の森1.jpg というか、途中は「柳さん、かっこいい!」になってたかな。
 外村くんの職場には、他に調律師の先輩である柳さん(鈴木亮平)と秋野さん(光石研)、事務担当の北川さん(堀内敬子)がいて、お客さんの要望に応じてお店や家庭にあるピアノを見て回る。 外村くんは柳さんに同行し、現場を知ることになる・・・というわけで、無口な外村くん(心の中はナレーションで展開されるけど)に対して直接指導し、先輩として行動を示す柳さんがやたらかっこいいのです!
 またみなさんの服装が・・・“メンズ・リンネル”的な、オーガニック・コットン100%、ときどき天然ウール、みたいな素材な服ばかりなのでそれがすごく気になっちゃって。 ナチュラル感をそこまで出しますか、と。 でもそれ故に、鈴木亮平のスタイルのよさが際立つのでした。

  羊と鋼の森3.jpg 上白石姉妹を同時に観たのは初めて。
 もともとは柳の顧客である佐倉家で、外村は和音(上白石萌音)と由仁(上白石萌歌)の姉妹に出会う。 姉妹なれど二人の奏でる音はまったく違い、外村は和音の音に惹かれる。 コンクール等では由仁のほうが上位に行くことが多く、実際彼女の音のほうが華があるように聴こえるのだが。 で、実際の上白石姉妹も妹のほうがぱっと派手(?)な印象で、あたし自身は姉のほうを見慣れているだけに、なんか驚きました! 佐倉姉妹はこのふたり以外キャスティングしようがないよね!、というくらいはまっていて(勿論、それぞれの役作りもよかったのだろうが)、この姉妹がらみのシーンはほっこりしました(たとえ外村くんが最初に調律師として大きく躓く場面があったとしても)。 このふたり、10年後(いや、5年後でも)には一体どうなっているのやら、という期待が生まれてしまいますよ。 『舞妓はレディ』から何年たったっけ? 姉の成長ぶりを見てきただけに。
 他にも、ちょっとの登場ながらずっとピアノをほっぽりっぱなしにしていた森永悠希のエピソードにもちょっと目頭が熱くなったりして。
 監督が若い役者を使うのがうまいのか? 若い役者がうまいのかどっち?

  羊と鋼の森2.jpg いつの間にか外村くんの腕時計が左から右へ。 それが調律師として成長した証?
 映画としては結構長いんだけど(134分だ!)、説明がかなり最小限というか、こっちが知りたいことと描写されることに誤差があるというか。 外村くんの腕時計の位置が変わったきっかけや理由も描写されないし、柳さんや板鳥さんが最初から時計を右にしていることに気づかなければわからないままで終わってしまうのでは。 せっかくピアノ内部をしっかり描写してくれているのだから、そういうところも描いてほしかったかな。
 そう、ピアノの音だけでなく日常の生活音もこの映画では重要なものなので、全体的に静かな映画です。 音がする食べ物はさけることをおすすめします。
 あと舞台が北海道ということで・・・ちゃんと北海道でロケしました!、のがわかるのはうれしかったですが、あの楽器店のつくりでは楽器に結露しないか心配になっちゃいましたよ。

  羊と鋼の森4.jpg やはり三浦友和、かっこよかったけど・・・。
 若干類型的な感じがしないわけでもなく・・・「若者から見た“素敵な大人”ってこういう感じですよね!」の枠から出ていないというか。 なんかもったいない。
 意外と外村くんの成長物語というよりも、彼自身はあまり変わらず(勿論、成長はしているのだが)、むしろまわりの人々の触媒になっているような印象。 だから外村くんを主役と考えると「こいつ、何考えているかよくわからんし盛り上がりに欠ける」んだけど、外村くんと出会った人たちがどう成長し、どう未来を選択するかの物語だと思うと結構じんわりしみてくるというか。
 エンディングにかかるピアノ曲が「あ、いかにも久石譲!」なメロディーで、それでエンディングだとわかるという。 それだけラストシーンも弱いんだけど、彼らの日常はこれからもずっと続いていく、この映画はその一部を切り取ったものです、という意味とも受け取れ。
 ほんの一時でも楽器と生きたことがある人ならばなんだかんだ言ってきらいになることはできない、そんな映画かもしれない。 あたしも昔、ヴァイオリン弾いてたことがあるのでいろいろ思い出しました。

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2018年06月23日

今日は8冊。

 6月も後半に入り、またも新刊ラッシュ。 あぁ、またいろいろ追いつかない・・・。

  終わりなき道1.jpg終わりなき道2.jpg 終わりなき道/ジョン・ハート
 ジョン・ハートの今のところの新作、文庫化。 個人的にあたしは『ラスト・チャイルド』みたいに子供が出てきて家族の問題が・・・みたいな話のほうがこの人の特徴がよく出る気がするのだが・・・。
 今回はいろいろ問題を抱えた警察官たちの話のようだ。 少女監禁犯を拷問の上、射殺したという女性刑事とか。

  死霊狩り ゾンビハンター.jpg 死霊狩り(ゾンビー・ハンター)【全】/平井和正
 『幻魔大戦』も<ウルフガイ・シリーズ>も読んでますが、それらと並ぶ代表作と呼ばれるこれは読んでいなかった・・・時期的に売ってなかったのかしら?
 ゾンビではなくゾンビーだというのがどこよりも新しい日本発!、とのことですが・・・合本なので、これ一冊で完結しているというのはうれしいですね(すごく厚いけど)。

  悪女イヴ【新版】.jpg 悪女イヴ【新版】/ジェイムズ・ハドリー・チェイス
 これって古典だよね! 名前だけ知ってるけど見たことないのパターン。 何故今新版が・・・と思ったら映画になるという。 しかもイヴ役はイザベル・ユペール!
 映画は現代風アレンジのようですが、どう変わるのか楽しみ。 最近の作品は原作からあまりに離れると「ちょっと!」となるけど、古典はどう取り扱うかで作り手のセンスが試される(だって古典作品はアイディアを別の作品で使われていることも多く、そのままやったらただ古臭いだけになってしまう)。 はい、映画観に行く気です。

  ミレニアム・ピープル.jpg ミレニアム・ピープル/J・G・バラード
 バラード作品としては比較的厚め。
 帯にある、<一般市民が興じる〈テロ〉という娯楽 中産階級による暴動と革命 目的なきテロの世紀に贈る鬼才の黙示録的傑作>という言葉がもうそのまま十分説明になっていて、「こりゃやばそうだな・・・」です。

  ブルックリンの少女.jpg ブルックリンの少女/ギヨーム・ミュッソ
 ブルックリン、というわりに原題はフランス語、作者の名前もフランスっぽい。 これもまたフレンチミステリか?!
 なんでもこの作者、フランスで今ナンバーワンのベストセラー作家らしいのである。 フランク・ティリエと仲いいみたいである。 そっち系か・・・ひどいことがいっぱい起こるスピーディーサスペンスって感じ?

  いもうとは秋田犬3 にぎやかイベント編.jpg いもうとは秋田犬〜にぎやかイベント編/小池田マヤ
 空前の秋田犬ブームのようですが、ブーム前から描かれている3冊目。 2巻目が内省型の話だったので(いかに自分がダメ飼い主か、という自己申告)、それを乗り越えて楽しい生活になった(それでもいろいろやらかしているが)日々の話。
 そしてずっとおひとり様だった作者に同棲中の恋人ができたことがわかり・・・あぁ、だから最近のマンガは恋愛ものが多いのか、と納得。 この方ほど、創作の要素に自分の願望や充足感が出る人も珍しいかも、と改めて思った。

  迷宮回廊04.jpg 迷宮回廊 4/神谷悠
 3巻目からしばらく間が空きましたが、無事続いているようです。
 3つの短編と番外編(一平君の娘・みどりが中学生になって主役に)収録。
 安定感はありますが、短編なので事件の背景や犯人がすぐわかってしまうという・・・描きたいのはトリック的ミステリではなくそういう手段を用いてしまう人間なのだとわかりますが。 京ちゃんもすっかり成長してツンデレぶりがお約束になってしまっている感。
 むしろ中学生バージョンは独立させるべきかも。 著者初期の『元気だよっ!』あたりを思い出させるまっすぐでパワフルな話になるのでは?

ラベル:マンガ 新刊
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2018年06月22日

<クリフトン年代記>第4部〜第6部/ジェフリー・アーチャー

 <クリフトン年代記>をガンガン読み進んでしまっています。
 このあたりから、プロローグとして前作のエピローグを再収録。 間が空いても思い出せる工夫がより(でも続けて読む身としては、同じ部分をすぐに繰り返し読むことに・・・)。

  クリフトン年代記4−1.jpegクリフトン年代記4−2.jpeg 追風に帆を上げよ<クリフトン年代記 第4部>
 1957年から1964年までの出来事。 主にバリントン海運の命運にかかわる波乱多し。
 第3部から引きずる悪役問題はまだ片付かず(それどころか攻撃の手はまだ緩まない)、絶妙な流れで新たなる味方が登場する。 あぁ、この人はきっと最後まで味方でいてくれるだろうなぁ、セバスティアンが愚かな真似を仕出かさない限り、と思えるよろこび。 ビジネスの世界にもきちんと筋を通す人物がいるのはうれしいものだ(ロス・ブキャナンとかね!)。 卑怯者がいっぱい出てくれば出てくるほど、そういう人たちのかっこよさが引き立ちます。 ご本人たちはそれを当たり前だと思っているだろうからなおさら。
 それにしてもハリー・クリフトンはどんどん完全無欠の人になっていくようだ・・・。

  クリフトン5−1.jpgクリフトン5−2.jpg 剣より強し<クリフトン年代記 第5部>
 1970年の出来事。 この一年はより波乱だったというか、数年間のペースだったものを一年間に詰め込んだというか。
 イギリスペンクラブの会長であるハリー・クリフトンに命懸けの任務が。 勿論、これを成し遂げるために必要なものをハリーが持っている、という根拠のためにこれまでの話はあったのか、と思えるほどにハリー大活躍、なれど、彼が潜入する状況が興味深いのであって、ホリー本人が面白いというわけじゃない。 人としてあるべき姿とか、誰もが敬服する人格者になってしまったら、その人自身は物語は起こせないんだな、と思い知る。 だからまわりを動かしていくしかないんだ。
 そのおかげかヴァージニアの章まで出てきた・・・こいつの打たれ強さというか悪運の強さというか、自分の望む暮らしを手にするための生き抜くエネルギー、すごすぎる。

  クリフトン6−1機は熟せり.jpgクリフトン6−2機は熟せり.jpg 機は熟せり<クリフトン年代記 第6部>
 1970年から1978年まで。 ハリーの母メイジーが久し振りに再登場したり、ジャイルズの選挙があるからグリフ・ハスキンズの出番が増えたりと懐かしい人々が戻ってくるのがうれしい。 若き日のマーガレット・サッチャーが登場したりと“イギリス現代史”的側面も濃くなってくるけれど、長くからの登場人物のほうが親しみが。 しかし、わざわざ衝撃を起こさせるために登場させたのかという人物に対しては、ものがなしい気持ちになる・・・なにやってるんだ、セバスティアン! 更にジャイルズもやらかす・・・この二人はトラブルメーカー設定なのか。
 ずっと近くにはいるのに、物語の主流には登場しないグレイス(ジャイルズ、エマの妹。 家柄や財産に背を向け、自分の進むべき道を着実に歩んでいる人)がものすごくかっこよく思える。 彼女もまたハリーと同じ種類の人間ではないのかなぁ。
 でも物語はどんどん駆け足になっていく感じが・・・ジェフリー・アーチャー、飽きてきたのか。

 過去を描いてはいるが現代視点が入っているので、コンプライアンス的に正しい感じになっているのが面白いような物足りないような。 理解できない他文化のこともあえて追求しないのも、その文化を否定しないー尊重するためとも思えるし。 ひどいいじめをするやつ・偏見を持つものは悪人として分類されるし。 ハリーとエマに育てられたセバスティアンは、人間に対して偏見がまったくなく大人になったのはいいんだけど、やることに思慮が足りないんだよねぇ。
 ついに第7部が最終章なんですが、まとまるんですか! これ以上に駆け足になるんじゃないでしょうね!

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2018年06月20日

私はあなたの二グロではない/I AM NOT YOUR NEGRO

 タイトルにまずドキリとした。 あたしは「それは言ってはいけない言葉」と子供の頃教えられた世代である(のちのち、黒人の方たちがそれを逆手にとって自分たちのことを言うのがかっこいい的な流れが出てきたのも知っているが、最初に入った印象は消えない)。
 ドキュメンタリー映画なれど・・・この内容に踏み込めるほどあたしは知識がないのだが、予告でのサミュエル・L・ジャクソンのナレーションのかっこよさにつられて観てみることに。

  私はあなたの二グロではないP.jpg 自由と正義の国アメリカ、その差別と暗闇の歴史。

 アメリカ人作家ジェームズ・ボールドウィンはパリに住んで仕事をしていたが、1957年のある日の新聞にアメリカ南部の高校に初めて黒人として入学する少女の写真を見て愕然とし、帰国する決心をする。 その写真では少女を取り囲むように多くの白人が彼女への敵意やからかいや悪意をむき出しにしていたからだ。 そして彼は人種差別が最も激しい地域である南部を旅し、公民権運動を盛り上げているリーダーたちと親交を持ち、自らも活動する。
 1979年、ボールドウィンは友人であるメドガー・エヴァーズ、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングJr.を題材にした新作を書いていたが、その原稿は30ページで止まったまま。 この映画はその原稿をもとに構成されたものである。

  私はあなたの二グロではない1.jpg 真ん中のサングラスの人がボールドウィン。
 マーティン・ルーサー・キングJr.は中学校の英語の教科書に載っていたし、マルコムXはデンゼル・ワシントンの映画を当時観ました。 『警察署長』や『ミシシッピー・バーニング』でKKKの理不尽さなど知っていたけど、その後も小説や映画やドラマなどで黒人差別問題についてあの頃よりは今のほうが理解は深まっているとは思うんだけど、日本から一歩も出たことのない(しかも大半地方在住の)あたしは、多分この問題を本質的に理解できていないのではないか、と思った。 それは「差別はよくないことですよ」というのが当たり前の時代に育ったということもあるけれど、「肌の色が違うから」という理由で差別が生まれる意味がわからないし、あたし個人が黄色人種であると差別されたことがないからだ。 DNA的に人類の祖先はアフリカからということがわかり、皮膚の色は住む地域に適応するように変化したものであるという科学的事実もあるし、それはただ単に自分では選択することのできない遺伝的要因のせいではないか。
 でもそれはきれいごとにすぎないと、50年代後半〜60年代当時の記録映像が教えてくれる。

  私はあなたの二グロではない3.jpg マーティン・ルーサー・キングJr.とマルコムX。
 映画のイメージが強かったので、「あれ、マルコムXってこんな顔だっけ?」と一瞬戸惑った(思い浮かんだのは若きデンゼル・ワシントンであった)。 二人の有名人については予備知識があるのでいいのですが、メドガー・エヴァーズやジェームズ・ボールドウィンについては全然知らなくて、ところどころ説明不足を感じる(アメリカでは常識なのかもしれないが)。 予告ではとてもかっこよかったサミュエル・L・ジャクソンもジェームズ・ボールドウィンとしてナレーションしているので、途中から爆発力が足りない感じに(淡々とクールに進めていくのはそれはそれでいいんだけど、彼につい期待してしまうものもあるじゃない)。 実際の記録映像に残るボールドウィンはあふれてしまいそうな感情を懸命に抑え、理性的に穏やかにユーモアを交えて話をする人だったから、それが逆に問題のデリケートさを語っている気がする。
 だって、彼が描こうとした三人は、みな暗殺されてしまっているんだもの。

  私はあなたの二グロではない2.jpg 新しい時代のデモ行進。 でもその姿は、当時と変わっていないような気がする。
 70年代に書かれたボールドウィンの文章が読まれるバックに、現在のニューヨークの街並みなどが交差する。
 今は当時と比べてそこまでひどくないだろうけど完全になくなったわけではないし、差別の対象が変わってきたりしている。
 人間は本質的に「自分が上位であると確認できるものを欲する生き物」なのか。
 更なる問題は、差別した過去を隠蔽したり歪ませたりして歴史を改竄していくこと。 その役割の一部を映画が果たしていた、というのはなんとも皮肉で哀しい。
 未知のものに対する恐怖、というのは人間の本能だろう。 だからといって延髄反射的に攻撃することは決して容認できない。 何のために理性があるのか。 それが人間を人間たらしめているのに。
 「問題をすり替えている限り、希望はないと思っています」と、ボールドウィンは言っていた。 その言葉は差別問題だけでなく、すべてのことに言えるのでは。 というか、最近の題材を扱えばいろいろあるから、ある程度確定していることから現代を照射する手法?
 『エレファント』もワンカット出てきた。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアも言っていたが、アメリカ人は一体何をそんなに恐れているのだろう。 肌の色が違っても言葉が通じれば、わかりあえるじゃないか。

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2018年06月19日

帰宅難民の危機

 そのとき、何故かよくわからないが、不意に何かを感じたのだ。
 それで携帯に手を伸ばして、時間を見た。 7:58。
 そして揺れが来た。 建物がたわむ音とともに。 あぁ、地震か、と妙に納得したことを覚えている。 揺れている最中なのに。 しかも結構長かったのに。
 その時はまだ自宅にいた。 体感では震度5もしくは5弱というところなので、実際は4ぐらいかなと思ったので(耐震構造であたしのいるところは余計に揺れるのである。 そして北東北出身者としてはこれくらいの地震は日常茶飯事)、身の危険は感じなかった。 あぁ、隙間に詰めてる、床から積んでる本が落ちるなぁ、とあきらめたけど。
 揺れがようやく収まってきた頃、携帯に緊急地震速報が入る(そう、しばらく前からガラケーにも緊急地震速報が届くようになったのである)。
 先に揺れが来たということは、震源が近いということではないか。 あたしはその部屋の落ちた本を手早くまとめ(余震がきたら同じことが起こるかもしれないので元の位置には戻さず、変な折り目がついていないかぐらいの確認にとどめる)、テレビのある部屋に行く。 そこでも本が結構落ちていて、NHKをつける前に本の処理を先にする。 そのうち、仕事場から安否確認のメールが入る。 一時期、「訓練しすぎだぞ!」と文句が出るくらいやっていた成果か、かなり素早いほうだったのではないかと思う。 しかしあたしはガラケーなのでメール内に張られたリンクには飛べないのだった。 NHKをつけ、震源が大阪の北部の直下型地震であることを知る。
 あー、こりゃ電車動かないぞ、と窓を開ける。 普段ならば電車の走る音が聞こえるのだが、全然そんな気配がない。 JR西だけでなく京阪神の私鉄、大阪メトロも動いていないと知ると「今日、出勤無理じゃね?」という気持ちになる。
 PCを立ち上げ(幸いにも神戸は停電などを意識することもなかった)、仕事場のイントラネットに接続、入力済みの安否確認情報を見る。 ほう、子供の保育園が休みなので出勤できません、という人もいるので、あたしも「本人にケガはありませんが、本が散乱しています。電車も動きそうにないので」と出社不可を選択。 実はキッチンで使い終わって洗って乾かしていたはちみつの空き瓶が何故か粉々に割れていたのである。 本よりもこの始末のほうが大変そう。
 そうこうしているうちにニュースを見たらしい東北在住の友人や妹からメールが入り始める。 タイムラグがほとんどないのは311後ネット網整備のおかげか、被害エリアが狭いから飛び交うメールの数が少ないかどっちだろう?
 「大丈夫だけど、何故かはちみつの空き瓶が粉々。 電車動かないから仕事行けない」
 「ガラスの破片は明るいうちに片づけとかないと危ないよ。 でもこういうときだから仕事は気にしなくていいのでは」
 そうなんだよねー、なのに何故か仕事を気にしちゃうんだよねー、出勤不可と申告したにもかかわらず。
 だから淀川に架かる橋あたりで「〇時間歩いてます」とインタビューに答えていた人たちを<社畜>などと笑うことはできない。 地震発生時刻によってはあたしも電車に閉じ込められたかもしれないのだ。
 翌日は交通機関通常運転ということなので・・・仕事に行きました。
 でも朝の段階でいつもと違う時間に電車走ってるし、速度が少し遅いのがわかって、「どうやら遅れ気味」と認識。 だからといって早く家を出る気にはなれず(だって混んでいるかもしれない)、いつも通りの時間に出る。 電車は7分遅れだったけど、一つ駅に止まるごとに遅延は増加し、尼崎・大阪駅に停車するまでに順番待ちもあった。 おかげで一時間遅れの遅延証明書をもらい、仕事場には33分の遅刻。
 でもまぁ、大概の人は遅れているのである。 それでもみんな来るのがすごいよね、とあとから思った。
 で、昨日のお話を聞く。 電車に2時間半閉じ込められて線路を歩いた人、地震発生時すでに出社済みだった人(こういう方たちがざっくり後片付けをしてくださったようです)、どうにもならず歩いて家に帰った人など。 あぁ、やはりあたしは運がよかった。
 しかしデスクトップPCのハードドライブは机から落下したらしい(誰かが机の上に戻してくれていた)。 本体表面に亀裂入ってました。 でも起動させたら普通に動くので、よかった(古いやつなんだけどね、OS何度も入れ替えて使っているくらい。 でもその古さが逆によかったのか)。 しかしそれ以外のもの(穴あけパンチとか、使いかけのビニールテープとか)が行方不明で周囲を捜索、とりあえずという感じでいろんなところに置かれていた。 まぁ、仕事場の被害もそんなもんでした。
 そのあと普通に仕事をして・・・そろそろ帰るか、と思った18時過ぎ、ふと見た<列車運行情報>でダイヤが乱れまくっていることを知る。 「新快速120分遅れ」・「快速来たけど、人がぎゅうぎゅうで乗れない」etc.、あー、それはいやだねぇ。 だったらもうちょっと仕事して、遅い時間になったほうがましになるかな?、と思ってみたんだけど・・・21時過ぎ、新大阪駅のホーム表示に出るのは普通電車ばかり。 まぁ、西明石行きだし、女性専用車なら座れそうだし、本2冊持ってきてたし(一冊は朝の到着まででもう読み終えていた)、ゆっくり帰るか、と思ったら・・・途中で神戸行きに行先変更される。 なんでだろう、折り返しの電車が足りないのか、普通列車ばかり詰まると快速・新快速が走りにくくなるからか。 まぁ、家に帰れればいいんです。 みなさまおつかれさまです!
 妹に「いやー、電車が」とメールすれば、「翌日でもうみんな通常営業なのか!」と驚かれる。 主要交通網に甚大な被害が出なかったから可能なだけで、震源に近いところに住む人たちは避難生活を送っている。 直下型地震はちょっとしたエリアで極端な差が出てしまうもの、認識の違いもつい出てしまうのがかなしい。
 結局、帰宅にいつもの2倍以上の時間がかかってしまう。 それでも今日中に帰ることができたので、よしとしよう。

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2018年06月17日

今日は7冊。

 6月中旬の新刊が出揃いました。 とはいえ来週末も、再来週末も、なんやかんや出る・・・。 6月は出版社もやる気なのか?

  罪人のカルマ カリン・スローター.jpg 罪人のカルマ/カリン・スローター
 <ウィル・トレントシリーズ>、最新刊出ちゃいましたよ。
 多分一回読んだらそれでいいので、読み終わったら図書館に寄贈コースになると思われます(じゃあ図書館で借りればいいじゃん、なのですが、予約者がすごく多くて待たされるから・・・だったらさっさと読んで混雑緩和のお手伝いをしたい)。 そう、繰り返し読みたくないほどヘヴィーな話なんだけど、レギュラー陣の人間関係などが気になる!、のがこのシリーズの(というかカリン・スローターの)特徴です。
 今回は上下巻に分けずに一冊で刊行してくれたのは好印象(分厚いけどさ)。
 解説の北上次郎さんも書いてましたが、『閉ざされた瞳』以降のサラ・リントン<グラント郡シリーズ>の邦訳も出てほしいですね。

  燃える部屋1.jpg燃える部屋2.jpg 燃える部屋/マイクル・コナリー
 そしてコナリー新刊は、やっと<ハリー・ボッシュシリーズ>。 しばらく<リンカーン弁護士>が続きましたからね(とはいえそれにもハリー出てるみたいだけど)。 いったん、波が止まってからあたしはコナリー読んでない(だってハリーがさらにひどい目に遭いそうな気配濃厚だったので、躊躇してしまったのだ)。 そろそろ、また読み始めようか。
 今回、ハリーはなんと定年延長最後の年に突入しているとのこと。 えっ、もうそんなお歳なの!

  城の王スーザン・ヒル.jpg 城の王/スーザン・ヒル
 スーザン・ヒルといえば『黒衣の女−ウーマン・イン・ブラック』の原作者ではないか。 30年ぶりの新訳だというこれもまた、さぞ古典的ゴーストストーリーの趣きを持ちながらラストはああいう感じに収斂していくんじゃないだろうか、という期待をこめて。
 幸田敦子さん、名前が元に戻ってたんですね。

  セント・メリーのリボン 新装版.jpg セント・メリーのリボン【新装版】/稲見一良
 稲見一良は『ダック・コール』しか読んでいないのだが、それは合わなかったとか面白くなかったとかではなく、「とにかくすごかったから」。 その当時、あたしは畏怖すら覚えた。 このレベルの作品をどかんと読んでしまったらもうあたしは他の作品では満足できなくなってしまうのではないか、みたいなおののき(しかもすでにそのとき著者は他界していて、作品数は限られていた)。 今思えば「それはそれでもったいない」なのですが、当時20代そこそこのあたしには死活問題に思えたのです。 だから一作しか読んでいないのに、「いなみいつら」という作家の名前を忘れることはなかった(名前の読み方がちょっと変わっている、というせいもありましょうが)。 一般的に「亡くなった作家は忘れられる」傾向にあるようですが、あたしは忘れません。 同時代を生きた人であれば余計に。
 あれからもう20年ぐらいたってしまいました。 今こそ、読まずしてどうする、です。
 でもなんで表紙が谷口ジローなんだ・・・と思ったら、<猟犬探偵シリーズ>をマンガにしてたんですね。 全然知らなかった。

  クラスメイツ前期.jpgクラスメイツ後期.jpg クラスメイツ<前期・後期>/森絵都
 1・2でも上下でもなく<前期>と<後期>というところにひかれ。 まぁ、森絵都の中学生ものに基本ハズレはないし。
 でも一冊が薄いんですよ・・・あえて分ける必要があったのか? それは読んで判断したいと思います。

ラベル:新刊
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2018年06月16日

孤狼の血

 日本映画だし、R15+だからしばらくやっているだろうと思って『ピーターラビット』を先に観に行ったのに、確かに上映はしてるけどいつもの映画館ではレイトショーからは3週目ぐらいから姿を消して戻ってこなかった。 他の映画館ではやっていたけど、さすがにちょっと遅すぎる時間帯で(家に帰るまで時間もかかるから翌日に響く)、そうこうしているうちに一日の上映回数が一回になり、レイトショーに戻ってくる保証もないし、「あぁ、間に合わなくなるかも!」と冷や汗。 そしたら今日はOSサービスデーではないか! このチャンス、逃してどうする!
 そんなわけで「土日は別のことに使う」のポリシーを曲げ、参戦。 14時半からでした。
 ただ・・・やっぱり観に行くのが遅かったな・・・「評判よい」というのを聞いてしまったので気づかぬうちに期待値が上がってしまっていたらしい。

  孤狼の血P.jpg 警察じゃけぇ、何をしてもええんじゃ。

 昭和63年、広島・呉原市。 表面上は第二次暴力団抗争のあとの静寂の中なれど、広島市の巨大組織傘下の五十子会系・加古村組が台頭してきて、もともと呉原を地盤に持つ尾谷組はそれを快く思わない。 近いうちに緊張関係は爆発すると呉原東署刑事二課の職員たちは覚悟していた。 そんな折、加古村組の関連金融企業の社員(駿河太郎)が行方不明になっていることがわかる。 刑事二課(マル暴)の主任でベテラン刑事の大上章吾(役所広司)巡査部長は、そこに暴力団抗争のバランス均衡のきっかけと殺人事件の存在を感じ取る。 広島大学卒業の新米刑事・日岡秀一(松坂桃李)巡査は大上とコンビを組まされるが、破天荒な大上の行動に振り回されるばかり・・・という話。
 <『アウトレイジ』への東映の回答>とか<新時代の『仁義なき戦い』>などという惹句が聞こえてきてますが、あたしは『仁義なき戦い』シリーズを数年前に観たばかりで当時の<東映実録もの>が生み出した熱狂は知りません。 なので思い入れ的先入観はなかったと思う。 ただ昭和63年は記憶にあるので、「あ、そのマンガ雑誌に載ってるの『マージナル』!」とか、「あの頃、そういう小さい包装のお菓子あったっけ?」みたいなことが気になりました。

  孤狼の血1.jpg 『仁義なき戦い』とは時代も設定も違うから比較する気もおきませんが。
 ただ共通するのは群像劇であるということ。 一応、主役は大上と日岡だけど、それ以外の人々はきちんと自分の役割を担っている。 あたしはインテリ臭が一切ない矢島健一さんにびっくり! 田口トモロヲ・滝藤賢一もいかにもで、バイプレイヤー好きとしてニヤリとする場面が多いのは楽しい(でも『アウトレイジ』と結構キャストがかぶっているのは、そういう顔の人たちが限られてきているということなのか)。
 R15+らしくバイオレンスシーン満載。 でも冒頭のシーンで(気構えがないとここの場面で脱落しそうになる人が出そう)、ある人が口にあるものを押し込まれるのだが、そのあとその人が喋るときに口のまわりがきれいで、「あれ、いつ口を拭った?」と思ってしまったり・・・指を切られているのにそんなに痛そうな声じゃないなぁ(それまでのことで感覚がマヒしているからなのか?)、とか微妙な違和感を持ってしまったんですよね。 暴力シーンを見慣れているわけじゃないからあたしの中のイメージが紋切り型なのかもしれないのだけれど。

  孤狼の血4.jpg 尾谷組若頭・一之瀬(江口洋介)。
 おやじさん(組長:伊吹吾郎:現在服役中)に忠誠を誓い、古き良き(?)極道の在り方を体現・・・という役どころなれど地方の小さい組であることは変えられず。 大上が提示する大局を見られず、「我慢の限界」とプライドを優先させてしまう・後始末も結局手下任せってあたりで所詮小物でした、とわからせるあたり「暴力団を美化した」という反論をかわすためなのかな。 ドスだって立派な道具、それをそんな風に使うなんて刀に失礼だよ!、と思ってしまったじゃないか。
 でも彼は見せ場があるだけまし。 竹野内豊は完全に無駄遣いだったよ・・・。

  孤狼の血5.jpg ま、とりあえず、役所広司ですよね。
 原作読んでいないのでイメージ通りなのかはわかりませんが、ガミさん(大上の通称)のサングラスがいかにも過ぎてちょっと引くけど、役所広司的佇まいで納得しつつ。
 そして暴力シーンはともかくエロ部分は確実に不必要なんだけど、“昭和の猥雑さ”の雰囲気を出すために使ってるのか?、って感じでどうも・・・「男の世界では女は道具でしかない」ってことの強調なんですかね。
 あと、物語的にまったくひねりがない・・・ガミさんが疑われている13年前の殺人事件の犯人、前半の早めの段階で誰かわかっちゃうし。 どうやらエリート新人らしい日岡が大上とコンビを組まされる理由なんかさっさと想像つくし、「えっ、そうだったの!」的なカタルシスはまったくない。 映像からあふれる役者さんたちの発する熱量と圧力を眺めているうちに過ぎる126分でした。

  孤狼の血6.jpg 松坂桃李もすごくいいと聞いて期待しちゃった・・・『MOZU』のときよりずっといいけど、『おっさんずラブ』の田中圭と林遣都のほうが演技の振れ幅広かったよ、と思ってしまったじゃないか(基準が違うよ)。
 理想に燃える新人が現実を目の当たりにして愕然とし、無茶な先輩に呆れつつその熱意に感化されて自分なりの刑事像を見い出す、という典型的な通過儀礼付き成長物語なれど、彼のがむしゃらさがいい感じに作用していて、だからガミさんも受け入れたんだろうなと納得できるのはやはり彼がよかったからでしょう。 でも現場の近くで吐いたりするのは鑑識さんの邪魔になるからやめようか。
 あ、遺体(特に発見されるまで時間がかかったもの)の描写はリアルさと見るに耐えられる範囲のぎりぎり線上といった感じで、小道具・特殊メイク担当の方々のご苦労がしのばれました。
 ただいくつか消化しきれない部分があって・・・続編作るらしいからそっちに残しているのかなぁ。 原作読もうかしら。

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2018年06月14日

レディ・バード/LADY BIRD

 アカデミー賞がらみの作品が今頃公開ですが・・・(しかもフッテージいろいろ観ちゃって多分印象的な場面はすでに観ちゃっている感もあるのだが)、こじらせ女子の話とあらば、観逃がすわけにはいかないのです。 シアーシャ・ローナン、『ブルックリン』のときよりぐっと若返ってるし!

  レディ・バードP.jpg 羽ばたけ、自分

 2002年、舞台はカリフォルニア州サクラメント。 片田舎のカトリック系高校に通いながら周囲の閉塞感にこりごりしているクリスティン(シアーシャ・ローナン)は自分を“レディ・バード”と名付け家族や友人たちにもそう呼ぶように要求、ニューヨークの大学に進むことを望んでいる。 しかし家の経済状況から州立大学にしろと言われたり、その他いろいろの問題で看護師をしている母のマリオン(ローリー・メトカーフ)とはいろいろと折り合いが悪い。 そんなときの頼りは親友のジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)。 家族や友達や彼氏、自分の将来、様々な問題に悩む高校最後の一年間が過ぎていく・・・という話。
 17歳という微妙な年齢を通過した人にとってはいろいろイタイところが満載の青春映画。

  レディ・バード1.jpg いけてない日々にレディ・バードはご機嫌斜め。
 監督・脚本のグレタ・ガーウィグの半自伝的要素が強いとのことですが・・・サクラメントという町の田舎度合いがよくわからないので自分の地元に置き換えてみました。 彼女ほどあたしは閉塞感に苦しんでいなかったかもしれないけれど、娯楽や情報が少ない・家を出ないと進学先は限られる・地元に戻って就職しようとしたら公務員、学校の先生、看護師ぐらいしかない、など、アメリカ文化との違いはあれど田舎っぷりは通じるものがありました。 こうなると夢が見づらいし、夢見るためには都会に出ないと!、となるしかないです。 でもあたしは暑さに弱いので、都会に出るつもりはありませんでしたが・・・気持ちはわかります。
 ただでさえ自意識過剰なレディ・バードの言動、そして“カトリック系の学校あるある”はなかなか興味深くて面白かったです。

  レディ・バード2.jpg 意外にもあっさり彼氏ができる!
 こじらせ女子としては、日本と違って彼氏がすぐできるのはびっくりした(そこ、日本と違う・・・)。 ただ彼氏との関係に悩む、と悩みのレベルが一歩先を行っている! 過去を美化しないリアル感故か、女子たちがキャーキャー言う男子が観客から見てそんなにいけてる感じがしない・・・まぁ主人公もソバカスさらしたりしてるんで平等ですかね。 それとも、あの頃にはそういうこと気にしてなかったってことなのかなぁ。
 ボーイフレンドのダニー(ルーカス・ヘッジズ)は、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』や『スリー・ビルボード』で観たルーカス・ヘッジズくんと同じ人か?、と一瞬目を疑うほど地味になっていた。 その歳でその変貌ぶり、すごいぞ。
 また、キャラクターとしては学校でミュージカル劇の指導をするリバイアッチ神父(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)の存在が印象深い。

  レディ・バード4.jpg ティモシー・シャラメも『君の名前で僕を呼んで』と同じ人とは思えなかった。
 子供でもないけど大人でもない、人を思いやるよりも無意識に自分を優先してしまう、そんなお年頃のイタさ、ダメダメさ、気恥ずかしさ、そんなものが映画のいたるところにあふれている。 でもこの時期に親とうまくいかないとか、感情的な行き違いが存在するというのは実はとても健全なことで、ある種の通過儀礼として成長できることの証かも(だからこのお母さんはすごく理解のあるほうだと思てしまった)。 むしろそういう反抗期がないほうが、のちのちの人生をこじらせる原因になるんだろうな・・・。
 でも、中盤からの親友ジュリーに対する態度はいただけない。 その年代ならあたしの価値観では、恋愛よりも女の友情の方を大事にするのが当然だ! 氷室冴子の『クララ白書』&『アグネス白書』を読め!
 そんなわけでこじらせ女子モノとしては『スウィート17モンスター』のほうが好みかも。 でも群像劇だと思えばこっちのほうがキャラの背景が深いかな。

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2018年06月13日

ビューティフル・デイ/YOU WERE NEVER REALLY HERE

 結局、原作を読む前に映画を観た。 本は薄かったんで読めそうだったんだけど、あえて「映像からのインパクト」を大事にしてみることに(すでに予告編、観てるし)。 そしてホアキン・フェニックスの変貌ぶり・怪演ぶりを見るにつけ、「あぁ、リバーが生きていたらどんな俳優になっていたんだろう」ってつい思ってしまうのです、ごめんなさい。

  ビューティフル・デイP.jpg 復讐を、手にしたふたり
   行方不明の少女ニーナを探してほしいという依頼が男の元に舞い込む。
   しかしそれは、いつもと何かが違っていた――

 便利屋のジョー(ホアキン・フェニックス)の主な仕事は、行方不明になった少女たちを見つけ出して依頼主に送り届けること。 それは家出した少女だったり、そのあと厄介なことに巻き込まれて帰れなくなった子もいるため、仕事で必要とあれば殺しもする。 そして彼は元軍人で、かつての任務地におけるトラウマにも苦しめられている。 そんなある日、政治家の娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を見つけてほしいという依頼がやってくる。 いつものような仕事だと思ったジョーはニーナを見つけ出すが、その背後にいたのはいつも相手にするような連中とはちょっと違っていて・・・という話。
 『レオン』的な感じなのかな、と思ったけど、海外版のポスターに「21世紀の『タクシー・ドライバー』」とコピーがついているように、ジョーの苦悩・幻影・妄想が全編を彩る(だからホアキン、ほぼ出ずっぱり)内省的要素の強い映画であった。

  ビューティフル・デイ3.jpg ジョーはほぼ無表情のように見えるが、ひげもじゃに隠れがちな微表情と目が多くを物語る。
 危険なお仕事なのに、ジョーの得意な武器はハンマーで(しかも小型の、かなづちという言葉が似合うタイプ)銃は持っていない。 敵が持っていたら場合によっては奪い取って使うけど。 音楽はほとんどビートで、大事なときにだけメインテーマがかかる以外かなり静か。 だからこそノイジー系のサウンドがジョーの内面にリンクするようでドキドキする。 かなづちが相手の骨を破壊する音もしっかり聞こえる。 音楽:ジョニー・グリーンウッドだったよ! PTA以外の映画もやるのね! 『ファントム・スレッド』の正統派クラシカルと違って、こっちは「レディオヘッドのジョニー・グリーンウッド」がやっていると納得のでき。 ラジオから流れてくるオールディーズのキャッチ―な甘さが、ノイズをより引き立てる。

  ビューティフル・デイ4.jpg お互い空虚さをかかえた者同士の出会いに、多くの言葉はいらない。
 ジョー視点で描かれるのでニーナについての描写は最小限だが・・・彼女の「何も映していない目」だけでもう十分すぎるほど説得力が。
 スタイリッシュな映像美、といえば聞こえはいいけれど、トラウマが今も常にジョーを苛んでいることがぐいぐい迫ってくる感じは、観る側にもじわじわとその傷口をリアルに想像させる。 だからジョーのすることに、ほとんど共感できてしまう哀しみ。 ぱっと見た目鈍重そうに見えるジョーの姿も、世界の何かから自分を守るための鎧のように見えてくる。
 原題の“YOU WERE NEVER REALLY HERE”(君は決してここにはいなかった・ここにいてはいけなかった・いなければよかったのに)の持つ意味の重さがつらい(邦題『ビューティフル・デイ』には希望があるけど)。

  ビューティフル・デイ1.jpg そう、それでもほのかな希望はあると信じたい。
 時折、胸を突かれるような美しいシーンがある。
 監督・脚本はリン・ラムジー、『少年は残酷な弓を射る』の人だそうで・・・あの映画も独特だったが更にこの映画は洗練された印象。 なるほど、カンヌが好きそうな感じでもあるなぁ、と納得できる。 でも賞関係なく、あたしこの映画結構好きかも・・・繰り返し観たいとは思わないけど。 エンドロールではホアキン、いい俳優だなぁ、と満足。 リバーのことは思い出さなかった。

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2018年06月11日

今日は8冊。

 6月序盤の新刊、気づくと結構あった。 中旬もさらにあるのに・・・。 お、お金が。 そして読むの追いついてないし(なのに何故図書館からも本を借りてしまうのか)。

  黒後家蜘蛛の会2文庫新版.jpg 黒後家蜘蛛の会 2【新版】/アイザック・アシモフ
 このシリーズは読み始めると止まらない。 何回も読んでいるのに、ネタ割れしてるのに読むと読んじゃう。 この中毒性はあたしがアシモフファンだからかと思っていたけど、新版の解説を書く人(1巻は太田忠司氏、2巻は越前敏弥氏)もまた中毒だ! 自分だけじゃないと知ってなんかうれしい!

  海泡 樋口有介.jpg 海泡/樋口有介
 『風少女』に続きこちらも著者による全面改稿とのこと。 若い時の作品に手を入れる、というのはすごく大変なことだと思うんだけど(不本意なところを直したいが、当時の雰囲気をあえて残すことも大事だから改稿するラインをどこに決めるかって難しい。 あたしですらも、過去記事に写真UPするときに読み直して「直したい!」って思うんだから、プロならば尚更)、それでもあえてやるのだから、著者にとってこの物語はとても大切なものなのだろう。 

  死者と踊るリプリー.jpg 死者と踊るリプリー/パトリシア・ハイスミス
 リプリーシリーズ、ついに最終巻。 でも内容は『贋作』の続編にあたるようで。
 追いつめられる姿の似合う男、トム・リプリーが今回はいかに追い詰められていくのか。 それが楽しみです。

  日本SF傑作選6 半村良.jpg 日本SF傑作選 6 半村良
 メインタイトルは『わがふるさとは黄泉の国』と『戦国自衛隊』。 もうタイトルが懐かしい。
 <日本SF傑作選>、全6巻は第一期だそうである! てことは第二期以降もあるのね! でも次の世代の方々がどのあたりなのかあたしにはよくわからない・・・。 それくらいこの6人+星新一が作り上げたSFのイメージは強い、ということなのでしょう。 あとから読む人間にとって、手に取りやすい(ちゃんと本屋にある)ということも大きかったか。

  要秘匿.jpg 要秘匿/カレン・クリーヴランド
 「スパイものはあまり・・・」な気持ちを拭いきれないあたしですが、作者が元CIA、心理サスペンスの色濃しということで気になった。 というかギリギリまで迷いましたが、決め手はこの表紙。 やっぱり装丁って大事よね!

  エヴェレストより高い山 ジョン・クラカワー.jpg エヴェレストより高い山 登山をめぐる12の話/ジョン・クラカワー
 まさか今頃、ジョン・クラカワーのデビュー作が文庫化されるとは・・・何の影響? ちなみにあたしが気づいたときには普通の本屋になく(つまり絶版ということ。 単行本だったし)、図書館で探して借りて読みました。 あの当時は『荒野へ』と『空へ』しかなかったよね・・・。
 解説を角幡唯介氏が書いてますが、「誰かに書かれるよりは自分が書きたい! でも物理的に時間ない!」という通り、こだわりがある割には深くない内容・・・この仕事、断ったほうがよかったんじゃないですか。 帯のコメントだけでよかったのでは。

  牧神の影.jpg 牧神の影/ヘレン・マクロイ
 ヘレン・マクロイの未訳本の版権はちくまにすっかり移ったのか!(金の問題だと東京創元社に勝ち目はない・・・)。 でもなんか装丁の好みが・・・微妙。 でもこれで未訳のヘレン・マクロイ作品はあと何作なのか。 うれしいんだけど、ハラハラする。
 あ、内容はウィリング博士シリーズものではなく、暗号ミステリらしいです(解説が本編読んでから読むようにと言っているのでざっくりな印象で)。

  落ちた花嫁.jpg 落ちた花嫁/ニナ・サドウスキー
 アメリカの映画プロデューサー業をしていた人の初小説ということらしく・・・。
 <先の読めない展開と、巧みなストーリーテリング、そして大どんでん返し!>という、まぁよくあるコピーなんですが、『ミランダ殺し』もコピーにたがわぬ出来栄えだったし、やっぱり信じたくなるじゃない?

ラベル:新刊
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