2018年05月09日

君の名前で僕を呼んで/CALL ME BY YOUR NAME

 なんとなく、「美少年と美青年の恋愛もの」というイメージと宣伝のせいでしょうか、20代女子二人連れの観客が多かったです! 一人客はあたしのようなおばちゃんか、映画ファン的おじさん。 『モーリス』の頃のイギリス美青年ブームの時もこんな感じだったのかなぁ、と感慨にふけってみた(あの頃はまだ地元にはミニシアターがなくて、映画雑誌等で現象は知っていましたが、実際に『モーリス』をレンタルビデオで観たのは大学生の時だったから)。
 でも、美少年と美青年の恋愛ものでもあるけれど、これはむしろ家族の物語だった。

  君の名前で僕を呼んでP.jpg 何ひとつ忘れない。

 1983年の夏、北イタリア。 大学教授である父(マイケル・スタールバーグ)、母とともに避暑地の別荘で過ごすエリオ(ティモシー・シャラメ)は17歳。 長い夏休みを家族と、近所の同年代の若者たち、両親の友人たちと過ごしているがどこか退屈気味。 そんな折、父に師事している大学院生のオリヴァー(アーミー・ハマー)が3週間の約束でやってきて、エリオの隣の部屋に住むことに。 オリヴァーと過ごすつかず離れずの関係はエリオには新鮮で心地よく、どこか胸苦しいものだったが・・・という話。

  君の名前で僕を呼んで3.jpg いつも窓から何かを待っているかのようなエリオ。
 そしてオリヴァーを見つけたときの表情で、「一目惚れ?」ってわかってしまう感じがキュートです。 なにしろエリオ君、美少年。 まわりからちやほやされるのが当たり前で育ってきたのか、そっけなくするオリヴァーに対してどうしていいかわからない風情が実際は傲慢なんだけど、傲慢に映らない不思議さ。 あえてオリヴァーに冷たく当たったり、いないところで彼の悪口っぽいものを言ってみたり。 「子供じゃん!」というところがかわいく映ってしまうんですかね(その後、彼がやらかすことは完全に人でなしなんだけど、若さ故の女の子たちに対する教訓にもなりうるかと)。
 そう、若さそのものが傲慢で、残酷なのだ。 本人たちはそれに気づいてはいないけれど。

  君の名前で僕を呼んで4.jpg 北イタリアの何気ない街並みが美しい。
 フィレンツェではないけれど、『わたしの本当の子どもたち』のパティたちが愛したイタリアでの暮らしとはこういうものだったのではないか、と思えること多数。 太陽が明るくて、空気がのびのびしてて、だらっとしていても大丈夫というか・・・バカンス時期だということを差し引いても、何気兼ねなく生きられる自由、みたいなものが全体から感じられるのです。
 だから、美しい風景・美しい音楽が不意にぶつ切りされるような編集に戸惑いが。 そこには時間の省略が込められているのかもしれないけれど、この時間は永遠に続かないという不吉さもまた感じさせて。

  君の名前で僕を呼んで2.jpg 大人であるが故に苦悩するオリヴァー。
 常に今を生きているエリオと違って、先が見えているオリヴァーは限られた時期のこととわかっている。 だからこそ短い時間を十分に後悔なく過ごし、美しい永遠の思い出にする切り替えができている。 80年代、そこそこいいところのおぼっちゃまであるらしいオリヴァーには結婚して子供をつくるという義務を課せられているようで、自分の人生として受け入れている感がある(もしかして、オリヴァーはバイセクシャルなのかな?、と思えないこともない)。
 だからといって、オリヴァーはエリオに「一時のこと」と遊びであるみたいな態度はとらないし、かといって将来の確かな約束もしない。 まっすぐなエリオの気持ちを受け入れてやった的な押しつけがましさもなく、エリオの気持ちよりも自分の気持ちのほうが強いとはっきり言う。 恋愛においては互いが同等であることをエリオは知り、それは年長者としての優しさと責任でもあるのだろうが、逆にエリオは思い切れないよね・・・。

  君の名前で僕を呼んで1.jpg 飛び交う虫や、地面から舞う細かな草っきれ、眉に光る汗、などディテールが細かすぎて時々ひきそうになる。 もうちょっと衛生面を考えようよ、という場面もあり。 こういうところは少女マンガにはないね。
 ただ二人の物語で終わらないのは、エリオの激しく純度の高い<初恋>を両親ともに受け入れていること。 特におとうさん(ひげが長かったのですぐにマイケル・スタールバーグと気づけなかったけど、またしても素晴らしいバイプレイヤーぶりを発揮!)が傷心のエリオにかける言葉は感動的。 こんな両親がいるなんて、エリオはなんて幸せなんだ!
 でも、エリオがその意味をもっと深くかみしめるのは多分ずっと後のこと。 失恋の痛手から彼は立ち直ることができるのか、もしくは一生引きずることになるのか、どちらにもとれるラストシーンは観客の恋愛観を決めることになるかもしれない。
 実は映画前半の方ではエリオはあまり長生きできない病気で、だから両親はエリオを好きにさせているのかな?、とちょっと思っていたのだが・・・そんな設定はなさそうだった。 あたしが親というものにステレオタイプな偏見を持っているのだと思い知らされた。 だから余計、これは家族の物語だと感じたのだろう。
 その後のエリオの人生を知りたいような、知りたくないような・・・。

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2018年05月08日

犬の力/ドン・ウィンズロウ

 今頃かよ!、とおっしゃる方もいるでしょうが、『犬の力』をやっと読みまして。
 いや、読みたくなかったわけではないのですよ。 ただ、手を付けないでいるうちに年末のランキング一位になったり、「ドン・ウィンズロウ最高傑作!」ってどんどん期待値が上がってしまって、読むのがもったいなくなってきてしまって・・・そうこうするうちに本を片付けて本棚の奥に入っちゃったりとかして。 麻薬カルテルの話だから重いだろうしなぁ、とか思っているうちになんか読んだ気になったりして。 そして東江さんの訃報に接し、なんかこれを読んだら終わっちゃう、という気持ちになってしまった。
 続編『カルテル』も出たというのに、である。
 あたしの悪い癖である。 大事なものほど、思い入れが強いものほど、手をつけたくない。 受け入れるまで時間がかかる。
 でもやっと、読むタイミングが来たようです。

  犬の力1.jpg犬の力2.jpg 奥付から考えると・・・9年近く寝かしたことになります。

 1975年から2004年にかけての麻薬戦争の構造を、膨大な登場人物たちを描くことでタペストリーにしたもの。
 DEAの特別捜査官アート・ケラー、のちのカルテルの主となるバレーラ一統、メキシコでいちばんの人望を持つ司教のフアン・パラーダなどなど、いい意味でもそうでない意味でもキャラの立った登場人物ばかり。 人物の内面描写は必要最小限、むしろ削ぎ落すだけ削ぎ落しているのに「この人、誰だっけ」ってならないすごさ。 彼らの言動だけで、彼らがどういう人なのか読み取れる。
 個人を深く描かないのは、内容がそりゃーもうえげつないから。 人物によっては感情移入させすぎないように、もしくは嫌悪感を持たれすぎないようにか、そのバランスを保ちながら<麻薬戦争の怒涛の三十年>をフルスロットルで駆け抜ける。
 たくさん、人が死ぬ。 こちらの倫理基準を軽く飛び越えるやりかたで。 けれど目をそらすことはできない。 最後のページまで、手を止めることも。
 この世に絶対的な正義などないとわかっている。 それでも、残酷すぎる光景を前にして無力感に満たされる。
 アート・ケラーのように。
 けれどすべてをあきらめて引退などできず、自分のキャリア・人生をかけてでも戦い抜く覚悟をする。 そこにあるのは個人的な真実だが、それがあるだけで読者は救われる。
 物語ではあるものの、現実のラテンアメリカをめぐる麻薬犯罪の歴史をあらかたなぞっているらしい。 アメリカ側の政治家などは実名が出てきたが、メインキャラにはモデルがいるのかもしれない。 あぁ、これを先に読んでいたら『ボーダーライン』や『悪の法則』ももっとわかったかもしれないのに!(でもそのおかげか、映像と文章の違いか、残虐描写に特にダメージは受けず)
 それにしても、ドン・ウィンズロウと東江さんの相性のよさをしみじみ感じた。 読み始めたら100ページあっという間だった(上巻574ページ・下巻473ページ)。 先に進めば進むほど、読むスピードはアップして(まぁそれはよくあることなんだけど)、いつも以上の加速度つき。 精神的にも疲労するけど、頭の中のどこかは麻痺したままで。
 でも遅れて読んだ利点もあって。 「もしかして、この三人の関係性が転じて、『野蛮なやつら』につながったのでは?」と勝手に感じてみたり。 アートのキャラをマイルドにしたのが『失踪』の主人公では?、とか。 そう思うことで、現実から逃避してる。
 現実の麻薬戦争は今も泥沼だ。 だからせめて物語の中ぐらいは、少しはいいことがあってほしい。
 ・・・はぁ。 『カルテル』に入るには、少し時間が必要だ。

ラベル:海外ミステリ
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2018年05月06日

さよなら、僕のマンハッタン/THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK

 『アメイジング・スパイダーマン』で痛い目に遭ったマーク・ウェブ監督が小規模公開系にまた戻ってきて、しかもこれは『(500)日のサマー』よりも前に企画していたものと聞き、原点回帰を確認に。 コピーから、全編サイモン&ガーファンクルの楽曲が聴けるのかな、という楽しみもあって。

  さよなら、僕のマンハッタンP.jpg サイモン&ガーファンクルが流れると思い出す
   今蘇る、あの頃の青春物語
   人生迷走中のトーマスが【おかしな隣人】と【父の愛人】との出会いによって見つけた“本当の自分”とは?

 トーマス・ウェブ(カラム・ターナー)は、出版社社長の父イーサン(ピアース・ブロスナン)とインテリで感受性豊かな母ジュディス(シンシア・ニクソン)のおかげで生まれも育ちもニューヨーク。 上流と呼ばれるホームパーティーにも出席慣れしているが、大学卒業と同時に実家を出てそれほど遠くないアパートで独り暮らしを始めたものの、仕事も恋も中途半端。 ガールフレンドのミミ(カーシー・クレモンズ)とはステディな関係になりたいとがんばるも、彼女からは「彼氏いるし」と対象外宣告を受ける。
 そんなある日、同じアパートにジェラルドと名乗る男性(ジェフ・ブリッジス)が引っ越してきてひょんなことから親しくなる。 彼はトーマスの悩みに的確で深遠なアドバイスをくれ、厳格な父親には期待できない<年長の信頼できる話し相手>を手に入れる。
 更にある日、トーマスはミミと出かけたナイトクラブで、父が見知らぬ美女(ケイト・ベッキンセイル)と一緒にいるのを目撃する。 どう見ても二人はただならぬ関係で、父が浮気をしていることを知ってしまったトーマスだが・・・という話。

  さよなら、僕のマンハッタン4.jpg ミミと一緒に謎の美女を改めて見に行く。 そういうところがいけてないんだよ・・・。
 そう、トーマスくん、微妙にダサい。 そりゃミミに「お友達で」って言われちゃうよね(でもミミはミミで、近くにいない本命彼氏の代わりに、自分に好意を寄せているのをわかったうえでトーマスを利用していない部分もないわけではなく、トーマスがワンランク上の男性に成長したら乗り換えてもいいですよという雰囲気も出しつつ、そこは女のちゃっかりとしたところです)。
 父親には本心を語れない、更にマザコン気味、26歳こじらせ男子です。
 携帯電話の出番も最小限で、あえて時代を特定しない感じがよい。 あ、冒頭からジェフ・ブリッジスのナレーションで「古き良きニューヨーク」について語られるんだけど、文学やモダンアートが混然一体となった時代の雰囲気がなかなかいい感じだった。

  さよなら、僕のマンハッタン2.jpg 謎の隣人の正体は・・・結構すぐに推測できますがそれで面白さが削がれるわけではなく。
 ミミにダメだしされるトーマスの足りないところを助言。 人生に迷える子羊に懐中電灯を差し出す。 ジェラルドは大変おいしいキャラで、誰だってこんなに理解力のある大人が近くにいてほしいと思うほど。
 ジェフ・ブリッジス、もうけ役だわ〜。

  さよなら、僕のマンハッタン3.jpg 息子が<父の愛人>に惹かれるのはお約束?
 ケイト・ベッキンセイルがこういう役をやる年齢になったんだなぁ、という方向にあたしは感慨深かった。 『アンダーワールド』では彼女も若きスターでしたよね? でももう年下男に付きまとわれる役をやっちゃうんですね。
 それはともかく、こじらせ男子の大本は父親との関係、という王道の話でした。 でも王道だからこそ、センシティブな青春ものとして昇華されるのでしょう。
 ただ残念なのは、サイモン&ガーファンクルの曲はタイトルでもある”The Only Living Boy in New York”だけで、ここぞという場面でかかるのはボブ・ディランであったりすること。 ある時代をひっくるめてのノスタルジーをあらわしているのかも、でもあたしにはぴったりとは来なかった(あたしにはもう少しあとの時代がいいのかもなぁ)。

  さよなら、僕のマンハッタン1.jpg 結局、経験がダサい青年を大人にするのか。
 いけてないトーマスくんが、次第にじわじわといい男になっていくのが目に見えるのがすごい!
 ニューヨークを舞台にしながら、イギリス人俳優さんたちが多いのが微妙に気になりましたが。
 ちなみにトーマスくんの名字はウェブなんですが、マーク・ウェブ監督の自伝的内容?、と一瞬考えてしまった(自分と同じ名字の家族の物語だからこの脚本によりひかれたのかも)。 『(500)日のサマー』に近いほろ苦さと、より成熟されたエンディングには、マーク・ウェブ監督の変わらない部分と成長した部分が見えるようで、微笑ましい。
 全体としてできすぎ感というか、うまくまとまりすぎている感もないではないですが・・・それもまた味かな。

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2018年05月04日

女は二度決断する/AUS DEM NICHTS(IN THE FADE)

 ダイアン・クルーガー、いいですよね〜。 その彼女が初めて母国語・ドイツ語で演じたと知り、「初めてだったんだ!」と驚く。 確かにフランス語か英語が多かった記憶があるけれど。 ご本人出演の告知予告にて「こんなにも役に心を奪われたことはなかった」的なことを言っていたので、これは観なければ!、と思う(ちなみに、この映画で彼女はカンヌ映画祭の主演女優賞を受賞)。
 あたしが観に行った日がたまたまそうだったのかわからないが、男性客がすごく多かった! ダイアン・クルーガーのファンですか?

  女は二度決断するP.jpg 砕かれた愛、癒えぬ悲しみ、この魂が私を突き動かす。突然、最愛の家族を奪われた女。絶望の中、彼女の想いはどこへ向かうのか――。

 ドイツ・ハンブルク。 カティヤ(ダイアン・クルーガー)とヌーリ(ヌーマン・アチャル)は息子のロッコとともに幸せに暮らしていた。 ヌーリは以前麻薬売買にかかわっていた罪で服役していたが、出所後は犯罪から一切足を洗い、家族のために真面目に働いていた。
 ある日、ヌーリの会社の前に仕掛けられた爆弾が爆発し、ヌーリとロッコは命を落とす。 ヌーリの犯歴から個人的な怨恨が疑われたが、ヌーリがトルコ系移民であること・移民街で起こった事件ということから、ネオナチによる外国人排斥テロだと判明。 同じドイツが自分の愛する家族を奪ったのだと知ったカティアは・・・という話。
 映画は<1.家族>・<2.正義>・<3.海>という三部構成でなる。

  女は二度決断する3.jpg 結婚式の二人。
 映画は二人の結婚式を撮ったホームムービー映像から始まる。 その後も、家族三人でいるところをヌーリが撮ったものなどが時折挿入され(それはカティアの記憶や夢などとリンクするのだが)、ドキュメンタリータッチの雰囲気が強まる。 実際、この映画は現実に起こったネオナチによる連続爆破事件にインスパイアされたものだそうである。 でも実話の映画化ではない。
 まだ刑務所で服役中の相手と結婚(だからこの結婚式は刑務所のある場所で行われたものである)、全身に毎年ひとつずつ入れるタトゥー、とカティアがただものではないことは最初から示唆されるが、だからといって彼女が家族を奪われるそれが理由になるはずもなく。 でも、そこで彼女に嫌悪感を抱くか否か、観客は試されているのかもしれない。

  女は二度決断する2.jpg こんなにもかわいい息子がいて。
 当たり前に続くと思っていた日常が突然奪われる、あまりにも理不尽で残酷な方法で。
 誰だって絶望し、「自分も死にたい」と思うのではないだろうか。 このつらさから少しでも逃れたいとマリファナやコカインなどに手を出してしまったカティアの気持ちを責められない(せめて精神安定剤にしておけば・・・と思わなくもないが、精神科医に事情を話すことも耐えられなかったのだろうと想像できる)。
 そもそも、誰もがそんなにも聖人君子なのか?、という話。
 が、残念なことに警察の家宅捜査が入り、カティアが薬物を使用していることが記録に残ってしまった。 そのことがのちに、裁判においてカティアの証人としての信頼性の問題にかかわってきてしまうのだが・・・。
 またドイツ人とトルコ人、という違いもあるでしょうが、ヌーリの両親がカティアにいう言葉がひどい。
 「ヌーリにロッコを預けていかなければ、せめてロッコだけでも生きていたのに」 ← えっ、息子が死んだことは受け入れちゃうわけ?
 「ヌーリとロッコの遺体をトルコに持ち帰るわ」 ← えっ、今はドイツで暮らしててドイツ国籍なんだから、それを決めるのは妻であり母であるカティアではないの? せめて分骨とかならわかりますが、そこには「ともに愛する者たちを失った者同士のかなしみの連帯」のようなものはまったくなくて・・・こういうのも嫁姑問題なわけ?
 カティアの孤独が深まるわけです。

  女は二度決断する5.jpg 自転車を置いていった女性の顔が目に焼き付く。
 邦題は『女は二度決断する』ですが、カティアの決断は正確には二度ではない。 ラストシーンにつながる部分は二度の決断が行われているものの、そこに至るまでに彼女は大小さまざまな決断をしている。
 ネオナチの犯行と特定され、犯人が捕まったという連絡が入ったとき、彼女は生きて裁判に立ち会うことを決めた。 あたしはここが最初のいちばん大きな決断だったように思う。

  女は二度決断する1.jpg ドイツの法廷はちょっと特殊な感じがすることを、シーラッハの作品群で知っていたはずなのに、改めて目にするとやはり驚く。 いや、むしろ日本のほうが特殊なのかもしれない。 閉鎖性のようなものは感じられなかった。
 日本の裁判だったらほぼ有罪判決が出る案件ですが、さすがドイツというべきか、「疑わしきは罰せず」精神が厳格で。 日本もこのくらいしなければ、矛盾を解決しないままの調書で起訴されることは減らないのでは・・・と自分の国の裁判制度が心配になりました。
 しかしカティアにとっては不本意な結果・・・あとは自力で証拠をつかむしか。
 社会派な題材なのに国や司法制度などに重心が置かれず(被告側弁護士の発言は弱い者いじめでしかないが、それが彼の仕事なのだから仕方がない)、カティア個人の物語に収斂していくところがよかった。 あくまでカティアの決断はカティアのもので、「自分だったらどうするか」を考えさせることで観客に自分の考えを掘り下げさせる。
 衝撃のラスト、とありましたが、あたしには「もうそうなるしかないだろうなぁ」と必然の結果のように思えたけれど(つまりあたしも、もしカティアと同じ立場になったら同じようなことをするかもしれないということだ)。 なので逆に、「えっ、これで終わりなの?」とちょっと拍子抜けしたけれど、エンドロールの間にじわじわと彼女の気持ちが広がってきた。 <3.海>はほとんどカティアの一人芝居ともいえる流れで、ダイアン・クルーガーのカティアに憑依したような姿は素晴らしかった。 まさに彼女のための映画だった。
 ドラマティックな題材で、いくらでも扇情的なシーンの組み立てもできるのに、あくまで淡々とした筆致で進んでいくのはカティアの感情が一部死んでしまった・麻痺してしまったからからだろう。 けれど神経が張り詰めている分、映画も静かな緊張をずっと保っている。 おかげであたしも途中で寝てしまうことなく、ワンシーンも見逃さなかった。 ストーリーがどうこう、というより、全体に緊迫感とか緊張感とかがあったほうがあたしには伝染しやすいようだ(特に仕事場から走って駅まで、また駅から走って映画館まで、みたいに時間的に余裕のない移動で疲労してしまうと、うっかり寝てしまうことがあるので)。 『ラブレス』もその系統だった。 『ダンガル』は逆に映画からパワーをもらえたから大丈夫だった。
 スケジューリングだけでなく、映画館における自分のコンディションも考えないといけない状態になってきたな・・・。

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2018年05月03日

ダンガル きっと、つよくなる/DANGAL

 マサラムービーではないインド映画、最近増えているらしい。 気になっていたんだけどなかなか観に行くタイミングが合わず・・・今度こそ!、ということで『ダンガル』にやっと参戦!

  ダンガルP.jpg 人類史上最も熱い、パパの愛と野望。

 レスリング選手であったマハヴィル(アーミル・カーン)は全国制覇を成し遂げるが、「それで生活していけるのか?!」と父親の反対にあい、オリンピックで金メダルという夢をあきらめて働きながら、若手の育成に力を入れていた。 ふと、自分の才能を受け継ぐ息子を金メダリストにすることを思いつき、それがマハヴィルの生涯の夢となるが、生まれた子供たち4人ともすべて女の子だった。 また夢を見失ったマハヴィルだったが、14歳と11歳になった長女と次女がけんかで男の子に勝ったことを知り、この二人をレスリング選手として鍛えようとする・・・という話。 その部分だけ実話だそうです。

  ダンガル1.jpg おとうさん、若い頃めっちゃいいカラダ。 更に若い頃はすごくハンサム。
 とはいえ、やっていることは星一徹ばりのスポ根頑固おやじ。 必要最低限のことしか喋らない、ちゃぶ台はひっくり返さないけど威圧感がものすごい<こわい父親>そのもの。 でもそこまでに「自分の夢をあきらめた」描写があるので、マハヴィルの気持ちは観客には痛いほどわかります。 なのでおとうさんがそんなにひどいことはしていないように感じてしまう不思議。
 しかし年頃の娘たちにとっては大変な問題。 「サリーだと走りにくいよ〜」といえばポロシャツ・短パンを与えられ(通常、インドの女性は膝から下といえども生足は出さない)、食生活にも口を出され(スパイス禁止ってインド人にはつらいような)、「トレーニングで砂にまみれて髪が痛む」といえば短く刈られてしまう(通常、女性は子供を含め髪を短くなどしない)。 なにをやっても父には逆らえないよぉ、となるまでのやり取りがキュートでコメディタッチ。

  ダンガル2.jpg 娘たち、鬼の特訓に耐える。
 「自分の娘にこんなことをさせるなんて、オニだわ!」と結婚する友人のパーティーでグチる長女に、その友人が言う。
 「私は顔も知らない相手に嫁がされて、家の厄介払いよ。 女は嫁に行って子供を産むしか人生がない。 それ以外の選択肢を考えてくれているんだもの、すごくいいお父さんよ」と。
 あぁ、ここ泣けた。 インドにおける女性の地位の低さ(時代的にはこの段階で1990年代半ばあたりと思われるが)、地域によっても因習が根強く「女がレスリングなんて」とあざ笑う人たちばかり。 つまり娘にそうさせるマハヴィルもまた町中の人々に嘲笑されているわけで、でもそれを家では誰にも悟らせない。 それがわかって、娘たちが本気になるところから、物語も急展開に。

  ダンガル3.jpg 成長した長女ギータ(ファーティマー・サナー・シャイク)は全国大会を制覇し、強化選手村へ。 次女バビータ(サーニャ・マルホートラ)も数年後あとに続くことになる。
 あたしはレスリングのルール、よくわかっていなかったのですが・・・マハヴィルの的確な指導と説明によりコンパクトに理解。
 練習の最初は原っぱを整備して砂地にレスリング場をつくったけど(その感じが相撲の土俵にも似ていて面白かった)、本格的な練習となったらマットレスをひいて正式試合の雰囲気をつかませるなど、選手として一流でありながらコーチとしても一流というマハヴィルの非凡さがことごとく浮き彫りに。 でもそれも、相手が自分の娘たちだからだったのかもしれないけれど。
 そんなわけでレスリングの試合シーンはハラハラドキドキ。 ルールもわかったから「あぁ、今ので〇点とられた!」とすぐわかるし、実話ベースとはいえ実際の試合結果は知らないので。

  ダンガル4.jpg そのよろこびよう、こちらにも伝わって胸熱。
 レスリングを扱った父と娘たちの物語、に集約されているのでストーリーは単純な分、ストレートに心に迫る。 いとこのオムカル(アパルシャクティ・クラーナー)のナレーションで進んでいくんだけど、ギータとバビータと一緒に育ってきた彼だからこそ言えることもあり、まさに家族の物語。 <愛なき世界>の空虚さを観た後だったので、この暑苦しいまでの家族愛がしみました。 うっかり泣いちゃった・・・。
 マサラムービーではないとはいえ、音楽の存在は健在。 ポップだし、そのシーンに合わせた歌が流れるあたりちょこっとミュージカルテイスト。 その歌が終わった後も頭の中を流れる中毒性は、『グレイテスト・ショーマン』に匹敵? 
 おとうさん役のアーミル・カーンはインドでは国宝級の大スターらしい。 選手時代のめちゃいいカラダも、おとうさんになってからのでっぷり腹も特殊メイクなしらしい(27kg増量して、また27kg減量したそうな)。 その役者バカぶり、好きです。
 今後は油断なく、彼の出演作は要チェック!

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2018年05月02日

5月最初の2冊!

 基本カレンダー通りのあたし、すでに休みに入っているらしい軽装で大きな荷物を抱えている人たちで電車がいっぱいなことにげんなり。
 そして連休前に人身事故起こさないで〜(今回、あたしは影響受けませんでしたが)。

  あなたのお背中、流したい03.jpg あなたのお背中、流したい 3/山口美由紀
 多分、読んだら泣いちゃうんだろうなぁ・・・と予想していたが、冒頭の話から涙うるうる(作者ご本人もペン入れしながら泣いておられたそうだ。 気持ちはわかる)。
 しかも最終巻でした。 1巻の時からそんなに長くは続きそうにないなぁという空気を感じてはいたけれど、この物語の雰囲気は好きだったので、メインキャストだけでなく村に住む人々や旅行者のエピソードで膨らましてくれたらなぁ、と期待していたんだけれど・・・。
 まぁ、シーズン1終了ということで。 シーズン2を待ちたいと思います。

  死刑囚【文庫新版】.jpg 死刑囚/アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム
 <グレーンズ警部シリーズ>第三弾、早川書房による復活プロジェクト完了。
 シリーズ未訳分も順次出していってくれる様子なので(5作目『三秒間の死角』は角川から出てたけど、絶版になってないかな?)、よろしくお願いします。

 ちなみにこちらが旧版。 死刑囚.jpg 武田ランダムハウス社?
 つぶれるまでは結構お世話になっていたんだけどな、他の本でも。

ラベル:マンガ 新刊
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