2018年04月12日

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書/THE POST

 実話もの、好きですが・・・最近しみじみ多いよなぁ。 まぁ映画で歴史を学ぶ者としてはありがたいですけど、豪華キャストですし。 でもニクソン政権時代の話がこうやって掘り起こされるのは、「トランプ政権への牽制球」ってやつなのかしら。
 なのにいきなり1966年のベトナムの場面から始まって面食らう。

  ペンタゴン・ペーパーズP.jpg 「今」を弾丸のように撃ち抜く、真実の物語――

 マクナマラ国務長官(ブルース・グリーンウッド)の指示により、政府出資のシンクタンク・ランド研究所のアナリスト、ダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)はベトナム戦争の現場に2年間海兵隊員として参加する。 彼の報告によりベトナム戦争はマイナスの多い失策だったとマクナマラは理解していたが、それを発表することはなかった。 エルズバーグの報告書は“ペンタゴン・ペーパーズ”として機密扱いだが、エルズバーグ本人がコピーをとってこっそり保管した。
 そして1971年、終わりが見えないベトナム戦争に対して反戦運動が巻き起こる中、<ニューヨーク・タイムズ>が“ペンタゴン・ペーパーズ”の存在をすっぱ抜く。 それを知った<ワシントン・ポスト>の編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、ここが地方紙とみなされているポスト紙が全国紙になるタイミングだと踏み、情報源を探らせる。 が、国家機密漏洩の罪で時のニクソン政権が<ニューヨーク・タイムズ>を刑事告訴、同じネタを後追いすれば<ワシントン・ポスト>も訴えられることになる。 記事を掲載するかどうかの決断は、社主であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)にゆだねられる・・・という話。

  ペンタゴン・ペーパーズ1.jpg そんなわけで基本、この二人がメインですが、意外に一緒の場面が少ないかも。
 キャサリンは社主とはいえ、夫が急死したためにその跡を継ぐことになったいわゆる「形だけの社主」。 身内の中ではそれほどでもないけれど、出資者や銀行家の前でワシントン・ポストの意義を語らなければいけないような正式な場ではつい気後れしてしまうその時代の典型的な女性。 「メリル・ストリープなのに」と思いながら観ていても、キャサリンはほんとに自信なさげな人に見えるのがなんかくやしい。 ほんとにうまいのね、と納得。
 その点、ブラッドリーの背景はあまり描かれず(他から引き抜かれてポストに来たらしいことはなんとなくわかるけど)、トム・ハンクス的に不利だったかなぁ。 自信過剰気味の傲慢男の姿で編集部を仕切りながら、奥さん(サラ・ポールソン)のアドバイスに素直に耳を傾けてすぐアイディアや行動に移すキュートなところもあるんだけれど、見せ場としては後半に偏っているから。
 それにしてもブルース・グリーンウッドやマシュー・リス(『ブラザーズ&シスターズ』のケビン役!)が不意に出てきたので「あっ!」と声を上げそうになってしまう。 バイプレイヤーの方々は突然出てくるから(ポスターに名前があったりなかったり)動揺します。

  ペンタゴン・ペーパーズ5.jpg <ニューヨーク・タイムズ>に抜かれた後。 新聞の早刷りを手に取る姿にはなんだか郷愁が感じられます。 ネットニュースのほうが先に更新される今ではもう見ない風景。
 他にも、大量の新聞が印刷され、完成品が束ねられていくまでの工程が映像に残され、これもまた歴史の記録なのかな、と感じたり。
 てっきりこの映画も<ウォーターゲート事件>に関係するのかなと思っていましたが(結果的にはつながるんだけど)、その前日譚という位置づけというか、時間的な配置でした。
 ポイントは、「国家機密漏洩という罪」と「真実を報道する自由」との闘い。
 前者は今では愛国法という形でより強固になっているけれども、報道の自由はどうなっていますか(権力の圧力に負けずにきちんと報道してますか)、というスピルバーグからの問いかけ&応援歌なのかなぁ、という気が。 なんだかんだ言って忖度しない確固たるジャーナリズムの存在がアメリカです、という。 そしてマスメディアとは政治の監視役であり国民に情報を明らかにする媒体である、という基本中の基本。
 なるほどね、この闘いがあったから、ディープスロートは情報提供先に<ニューヨーク・タイムズ>と<ワシントン・ポスト>を選んだのか、ということがよくわかり。 しかも<ウォーターゲート事件>発覚の予兆で終わらせるという心にくさ。
 これ、多少なりとも事情が分かっていないと意味がわからないと思うんですが・・・ハリウッド映画とはいえ、やはりアメリカ人向けなんだなぁ。 この続きが『ザ・シークレット・マン』であり『大統領の陰謀』なわけですね、特に新聞社視点ということでは『大統領の陰謀』へ進むべき、というスピルバーグからの過去名作への案内状ですか。

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2018年04月11日

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男/DARKEST HOUR

 アカデミー賞効果か、なかなかの込み合いでした。 やはり日本人が受賞すると違うのかな〜。
 ジョー・ライト監督の映画って題材は違えど手触りは似たような感じになるよなぁ(特に光の使い方とか)、そこが正統派ってこと?、と思ってましたが、当時の写真を組み合わせた迫力あるフォントのオープニングはいつになく緊張感が漂っていて、つい背筋をただした。

  ウィンストン・チャーチルP.jpg 英国一型破りな男が、ダンケルクの戦いを制し、歴史を変えた。
   「嫌われ者」から「伝説のリーダー」となったチャーチルの、真実の物語。

 1940年5月9日、首相チェンバレン(ロナルド・ピックアップ)が対ドイツ政策の失敗などを理由に辞職に追い込まれる。 次なる首相選びが始まり、与野党の協力体制が取れる人間はウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)しかいない、となるが国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)は難色を示す。 しかし他に手はなく、チャーチルを首相に任命する。 そこから、ダンケルク撤退を決める演説の日までの19日間を描いた話。
 意外にも、チャーチルが登場してすぐに「あ、ゲイリー・オールドマンだ!」とわかる(勿論、そうだと知っているせいもあるだろうが)。 目そのものは変わっていないから。 もしかして「すごいメイク技術」とは、チャーチルのそっくりさんを作ることではなく、チャーチルでありながらも演じている人が誰であるかもわからせることを両立させているから? そっくりさんならCGやフルマスクでいいわけだし。 また、ゲイリー・オールドマン結構背が高い人なのに、違和感なく小男として映っているのも後から考えるとすごかった。 声や喋り方も普段とは違っていたし、記録に残っているご本人のものを完コピしたんだろうか。

  ウィンストン・チャーチル4.jpg 国王とチャーチル、二人きりの初対面はぎこちない。
 『英国王のスピーチ』と関連付けるとまた面白く、時折きちんと喋ろうとがんばるジョージ6世の姿がとてもキュートで(兄の廃位を後押ししたチャーチルに対する個人的怒りを隠そうとしないところもまた微笑ましい)。 でも短い期間の中でも国王が次第にチャーチルに心を開いていく過程は(そんなに多くは描かれてはいないけど)、王の国に対する責任と愛情そのもので、「あぁ、いい王様だったんだな」と思わせられ、あたしはこのジョージ6世がたいへん好きである。 コリン・ファースのイメージだけじゃなくなりました。

  ウィンストン・チャーチル5.jpg チャーチル夫人、面白すぎる。
 で、やっぱりジョー・ライト監督。 戦時下を描きつつもほぼ室内劇なので戦場シーンは皆無。 家族との関係(特に夫人)を描くことでホームドラマ感アップ。 チャーチル夫人を演じるクリスティン・スコット・トーマスの臆しない自己主張の激しさは一周回ったキュートさで、そりゃチャーチルは太刀打ちできないよな、と納得させるに十分。 こういうところでウィンストン・チャーチルの人間味を出す作戦なんだろうけど・・・うまくはまりました。 『チャーチル回顧録』とか読みたくなっちゃうもんね(ただそこにこのようなチャーミングな要素があるとは限らないんだけど)。
 公人の妻となることを覚悟して結婚した、という彼女の態度は今の時代には「古い」かもしれないけれど、自分の選んだ相手が将来大物になるであろうと見抜いていたわけだし、そういう彼女あっての“ウィンストン・チャーチル”なんだろうなぁ、という「夫唱婦随」という言葉が連想されましたよ(だからって女性を低く見ているとかではありませんよ)。
 映画的には5月10日にチャーチル付きタイピストとして新しくやってきたエリザベス・レイトン(リリー・ジェームズ)からの視点で進むみ、彼女によってチャーチルの奇人的振る舞いがコメディタッチで最初は描かれるわけですが・・・彼女もいつしかチャーチルを信頼し、できるだけ仕事面でサポートしようとするので、彼を支える二人の女性の物語とも言えて。 でも新人タイピストより娘さんたちをもっと描いてほしかったかな。

  ウィンストン・チャーチル3.jpg 映画的にそのほうがわかりやすい&感情移入しやすいというのはわかりますが、いくらなんでも新人タイピストに頼りすぎでは?、と思わなくもないところもあり。 『人生はシネマティック!』でもあったけど、戦争に男性をとられ、実務に女性の手を借りなければ成り立たなくなっていったことで女性の社会進出が進む・・・という非常に皮肉な構造をこの映画でも示している。
 それにしても! 1940年の段階ではナチスドイツはほんとに無敵の状態だったのだなぁ・・・ということにおののく。 あと何年かで勢いが変わるってのはのちの世を生きる身には当たり前にわかっていることですが、当時の人にはそんなことはわからない。 だまされるかもしれない覚悟と引き換えに融和政策を進めるか、これ以上犠牲を払うことを前提に徹底抗戦を貫くのか、そりゃ国会は真っ二つにわかれますよね・・・そして徹底抗戦側は少数。
 そんなチャーチルのやり口(?)は完全なる情報統制と世論誘導。 これって旧日本帝国陸軍がやってたことと同じじゃないですか・・・とちょっともやもや。 同じようなことをしても、勝った側なら正当化されるのか・・・まぁ、そのことにチャーチル本人も良心の呵責を感じている、という描写もあるのでよしとすべきか。

  ウィンストン・チャーチル2.jpg チャーチル、初めて地下鉄に乗る。
 イギリスは階級社会、チャーチルも上流出身なのか下々の者たちのことをどこまで意識しているのかわからない。 概念として理解はしているだろうけど、個人的な知り合いはいないんだろうな。 「市民の意見を聞け」と国王から諭される首相ってどういうことだよ、と思いつつ、またジョージ6世の株が上がります。
 突然首相が乗り込んできたことにびっくりの地下鉄利用者たち、礼儀をわきまえつつも自分たちの考えを次々述べていく場面はこの映画のハイライト! 一度名乗っただけの人の名前を全員覚えているのは、さすが長年政治家をやっていただけのことはある才能。 <政界の嫌われ者>でありながら<国民的人気を誇る男>でもあることを2時間で描き切るすごさです。

  ウィンストン・チャーチル1.jpg 普段は滑舌が悪い(タイピスト泣かせ)なのに演説上手だと言われるのは、訴えたいことの熱量の違い、身振り手振りありだから?
 英語のことわざに、The darkest hour is just before the dawn:最も暗いのは夜明け前、というのがあるけれど、原題もここから来たのでしょう。 まさにこの時代はイギリスにおいて最も暗い時期。 けれど先が見えないからといって夜明けが来ることを信じないのはおろかである、という力強い理念を描いた物語、であるといえるかと。
 でもどん底にいるときに這い上がる希望を持ち続けるには勇気がいる。 イギリス市民の言葉は力強いけれどほんとに全貌を知った上でのコメントなのかわからないし、戦時下においての常識が現在の外国人から見て非常識なのは当然。 だけど『ダンケルク』と題材が被ったのは、現在もまた<最も暗い時期>に近づいているからでは?
 この映画は、「えっ、そこで終わり!」という唐突な幕切れ(でも必然的な終わり方ではある)。
 この先、イギリスは<最も暗い時期>をしばらく過ごさなくてはならない。 けれどそれ故にV.E.DAYのよろこびをかみしめることができたわけで、独立国としての誇りを持ち続けることができたわけで。 イギリス人にとっては近代史においてのターニングポイントなんだろうなぁ。

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2018年04月10日

修道士は沈黙する/LE CONFESSIONI

 予告を見て面白そうだった。 『ローマに消えた男』のロベルト・アンドー監督最新作、ということでその雰囲気に納得。 また同じく主演もトニ・セルヴィッロ。 修道士の役なのに(役だから?)、どこかつかみどころのない感じ。 『湖のほとりで』のあの刑事さん(有能ではあるけれど基本、いい人だった)と同じ人とは思えないんだよな! まったく世界にはすさまじい力を持った俳優さんはいっぱいいるわ・・・。

  修道士は沈黙するP.jpg 天国の天使が自らの務めを怠るとき
   主は天使を 永遠の暗い部屋に閉じ込める

 時は多分現代。 経済版G8(各国の財務相に当たる人の会議)の開催を翌日に控えた金曜日、会場となったバルト海沿岸・ドイツの高級リゾートホテルでは、IMF:国際通貨基金の専務理事であるロシェ(ダニエル・オートゥイユ)の誕生日を祝う夕食会が開かれた。 その夜のゲストとして、ロック歌手・世界的ベストセラーを持つ童話作家、そしてカルトジオ会の修道士サルス(トニ・セルヴィッロ)が招かれた。 パーティは賑やかに終わったが、解散後、サルスはロシェの自室に呼び出されて告解をしたいのだがと頼まれる。
 翌朝、ビニール袋をかぶったまま死亡しているロシェが発見される。 自殺か、他殺か? 会議開催中の出来事とあって箝口令が敷かれ、マーケットが開く月曜日までロシェの死は伏せられることになった。 つまりそれまでに捜査を終了させろということ。 捜査の指揮を執るクライン(モーリッツ・ブライブトロイ)はロシェに最後に会った人物であるサルスに疑いの目を向けるが、サルスはロシェの告解の内容について話すことを拒む(修道士としては当たり前)。
 もしや世界経済に重大な影響を与える事柄についてロシェは何か口を滑らせたのではないかと、各国代表は入れ代わり立ち代わりサルスのもとにやってきては情報を引き出そうとするが、サルスはそれにも黙して語らない。 逆に、彼らがそこまでする理由は何なのか、何が神の御心にかなうことなのか、サルスは興味を覚え・・・という話。

  修道士は沈黙する1.jpg ダニエル・オートゥイユ、出てきてすぐ死んじゃう役ですか・・・と思っていたら回想シーンでたびたび出演、多く観られてよかったです。
 二人の会話(告解部分ではないやつ)も小出しにされて最後まで引っ張る。 「いったい何が起きたのか・何が原因なのか」は全体を貫く謎として存在するけれど、この監督が安易に答えを提示しないことはわかっている。 わかっているのに、つい謎解きを追いかけたくなるのは人の性か。
 しかし、「何も語らない」ということが、見る者によってここまで意味ありげに映るとわね! 修道士サルスの微表情が、ただ困惑しているようにも、なにもかも知っているようにも、何か企んでいるようにも見える。 そりゃクラインも引き下がれないよね。

  修道士は沈黙する3.jpg 作家としての性分か、彼女もまた事件に首を突っ込みたがる。
 作家クレール・レス(コニー・ニールセン)は割り当てられた部屋がサルスの隣なのをいいことに、続き部屋用の扉のノブを外し、サノスの部屋をのぞき見する徹底ぶり。 「神のためにお味方しますわ」と言いながら、彼女もどこまで企んでいるのかわからない。 時間を見つけてはプールで泳ぎ、そばかすだらけの顔や些かたるんだカラダを惜しげもなく見せる感じがいかにもヨーロッパの女優さんだなぁ、とつい思ってしまう。 またそういうところに色気を感じる男性方も、ヨーロッパだなぁと。

  修道士は沈黙する6.jpg G8参加者のみなさん。
 一応、日本からも参加しています。 台詞もあるけどあまり本筋にはかかわってこない・・・やっぱり日本ってそういう位置づけなのかしら(参加して多数案に賛成票を投じる数合わせ的な存在というか)、と思うとなんだか悲しくなるけど、まぁ仕方がないのかな。 描いてくれるだけありがたい、のか?
 それにしても自由経済が支配する世界とは、世界各地で起こるすべての出来事(天災や飢え、内乱といったことまで)を貨幣価値や経済ルールの一要素にして組み込んでいくものなのか。 自由ってなんだろう。

  修道士は沈黙する5.jpg あたしの好きな俳優さんが!
 そうだ、これイタリア映画だった(台詞が英語・フランス語・イタリア語入り乱れているけど)。 そうだ、最初の方でダニエル・オートゥイユが英語を話していて「新鮮だ」と思ったのだった。 イタリア代表を演じるピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、あたしこの人好きなんですよね。 出ているの知らなかったので、「あっ!」と声に出そうになってしまったじゃないか。
 イタリア人だけあってサルス修道士に心服し、会議に秘密があることをサルスに喋ってしまうという政治家にあるまじき“いい人”ぶりが微笑ましい。
 肝心なことには沈黙を貫くサルスに対して言葉を尽くして口を開かせようとする人々は、結果的にサルスに対して告解をしてしまっていることに気づいているのかいないのか。 原題の『LE CONFESSIONI』は<告解>の複数形だし(ちょっとイタリア語やっててよかった・・・)。 告解とは確か赦しを得るためにするもののはずだけど、神から許されたかどうかは誰にもわからないし、修道士は神に代わって赦しを与えることなどできないし、赦しを得たい人は自分で自分が許せないからそういう行動に出るわけで、つまり自分で自分を許せるかどうか。 ロシェが死んだのは自分で自分が許せなかったからなのか、それとも自分がこれまでにしたことに対する罰としてこの方法をとったのか。
 答えは出ない。
 このG8会議が提言しようとしていた内容も、サルスがそれを覆そうとする意図も抽象的過ぎてよくわからないんだけど、とりあえず世界がより悪いほうに(貧富の差・文化レベルの差が激しくなる方向に)動くらしいことはわかる。
 金融に重きを置く資本主義とキリスト教の精神の対立、というだけの話でもない。
 うーん、難しいよぉ、と頭の中が七転八倒しているのに、ラストはまるで人を食ったような終わり方!
 ・・・そうだった、『ローマに消えた男』もそんな感じがあった(面白かったけども)。
 最後にはサルスが神にも悪魔にも、天使にも見えてきちゃいましたよ。

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2018年04月09日

トレイン・ミッション/THE COMMUTER

 『ダークマン』の続編を蹴ったくせに、今後はシリアス演技派に集中したいと言っていたのに、何故その後結局アクション映画に出続けるのか?、ということがずっと納得のいかないあたし、いつまでもリーアム・ニーソンにわだかまりが。 とはいえそういいながら彼の出ている映画を観てしまっているのだから、もはや好きなのかもしれず(いや、『ダークマン』のときはすごく好きだった。 だから裏切られたみたいな気持ちを抱えているのかも。 キャリアがどうなるかなんて、先のことはわからないのにね)。 しかも共演者なり設定なりがまたそれなりに魅力的なのが困ったもんで、『アンノウン』以来4度目タッグとなるジャウマ・コレット=セラ監督との新作とあれば、そりゃチラシが手に入らなくとも、予告編も見てないけど観に行きますとも。
 ジャンルとしてはアクションものに入るけど、サスペンス・ミステリーとしてもそれなりに成立しており、意外と楽しめました。 というか予想以上に、面白かった!

  トレイン・ミッションP.jpg この謎が、解けるか?
   いつもの通勤電車 駅の数だけ乗車してくる≪謎≫と≪伏線≫
   乗客100人の中から1人を捜し出せ!!

 マイケル(リーアム・ニーソン)は郊外の家からニューヨークの保険会社に電車通勤するサラリーマン。 今の仕事に転職して10年、60歳になった。 家のローンや息子の学費など頭が痛いが、もう少し働けば企業年金がもらえる。 が、その朝、年下の上司から突然解雇を言い渡され、お先真っ暗な気持ちに。 以前の仕事の後輩マーフィー(パトリック・ウィルソン)と酒場で飲み、かつての敵対相手ホーソーン(サム・ニール)が出世したことを聞かされて余計やりきれない気持ちに。
 そしていつものように電車で帰宅する彼の前に、ジョアンナと名乗る謎の女(ヴェラ・ファミーガ)が座り、簡単なパズルを解けば10万ドル報酬を出すと持ち掛ける。 これからいう3つのヒントをもとに、この列車の乗客の中からあるカバンを持った人物を捜し出すこと。 信用できないだろうから先払いの2万ドルをお手洗いに隠してあるから受け取りなさい、と言って去る。 果たして確かにお金はあり、受け取ってしまえばこの取引に乗ったことになるが、家族のことを思いマイケルはお金を自分のカバンに入れて・・・という話。

  トレイン・ミッション1.jpg 謎の女がヴェラ・ファミーガというだけでもうずるい!
 なにしろ予備知識があまりなく(映画館の「公開予定ラインナップ」に載っていたことくらい)、それがかえってよかったのだけれど、オープニングクレジットに浮かぶ名前にも「えっ、この人も出るの!」という驚きがあってワクワク。 「期待しないこと」って大事だなぁ、いろんな意味で。
 オープニングの、10年間毎日のように同じことを繰り返していることを示す出勤風景描写はわかりやすいが、スタイリッシュとダサいのぎりぎり線上にあり、この映画そのもののスタンスを現しているかのようだ。 ま、『アンノウン』も『フライト・ゲーム』もその傾向にあったけど(『ラン・オールナイト』はまだ観ていないけど、多分そうかな?)。
 今回の原題は<通勤者>の意。 また、あたし自身も中距離電車通勤者なので、なんかちょっとわかる感じがしないでもなく、微妙に感情移入しちゃったかも(でも車両内の座席のつくりは日本のと全然違い、近距離乗る人と長距離乗る人とで分けてあるのが面白かった)。
 彼が出るアクション物としては、
・基本、本人にトラブルを起こす気はない
・なのにいつの間にか奇妙な状況に巻き込まれてしまう
・焦れば焦るほど泥沼に
・でもなんかがんばってしまう
 という流れがあって、「一応普通の人がなんでこんな目に?」という不条理さがなければならない。 そうでなければ彼がわざわざアクションする意味がないからだ(つまり、どうしようもなくてそうなってしまう、という必然性が必要)。 なので『ラン・オールナイト』は最初からマフィアがらみという設定だったので観る気が起こらなかったのよね(またマフィアのボスがエド・ハリスって!)。
 まぁ多少の説得力として「元刑事」という設定がわかりますが・・・かといって特殊能力があるわけではなく、元刑事ならではの勘の鋭さと武器の扱いに多少慣れている、というくらいで。 普通の枠からちょっとはみ出たおじさんが、突然のことに否応なく対応せざるを得ない、という図式に今回も当てはまる。

  トレイン・ミッション3.jpg 基本、列車の中だけで起こる出来事だけど、駅に止まって様々な客が昇降することがサスペンス度を高める。
 また、いつも乗っている客はお互い顔見知りで、車掌さんも「常連」扱いしているのが奇妙な連帯感を生んでいる面白さというか、実際は個人的なことは何も知らないのに毎日会っていると知っている人のように思えてしまう感覚(実際、アメリカ人だからちょっとした会話をしたり、トランプしたり本の貸し借りもしている! 勿論、ファーストネームは知ってるよ)。 会話はないが日本の通勤電車も大体同じ時間の電車の同じ車両に乗るから、見たことある人はいますよね。 向こうがこっちをそう思っているかどうかは確認できないけど。
 で、そんな中でのマイケルの葛藤が光るわけです。 常連のみなさんも、次第に募るマイケルへの不信感とこれまで知っているマイケルへの信頼に左右される様子がいかにも普通の人たちっぽくて好感が持て、「もし自分もこの列車に乗っていたらどうするか」と考えさせられてしまうのだ。

  トレイン・ミッション5.jpg サム・ニールにいたってはひげ面で登場し、まるでかつて彼が副官をつとめた『レッド・オクトーバーを追え』の艦長(ショーン・コネリー)のような渋さを漂わせているじゃないか!
 あぁ、かっこいいよぉ。 仮に悪役だとしてもかまわないくらいかっこいいわ!、と思ってしまった(だって、サム・ニールがこういうポジションで出てくるときは悪役かそうでないか両極端なんだもん)。 そこもあたしの個人的に満足度の高い理由かしら。
 そういえばヴェラ・ファーミガとパトリック・ウィルソンは『死霊館』コンビであるが、この映画では直接共演シーンはない・・・キャスティングの遊びゴコロ?
 全体として、サスペンス・ミステリーとしての面目は保っているものの、結構力技の部分も・・・(ちょっと『暴走特急』を思い出す部分もあり)。 そのかわり、乗り合わせた乗客たちの交流・人情や両親と言った部分に比重を置いているような感じで、「なんかハートウォーミング系?」と思わされてみたり(いやいや、とんでもなくあっさり人が死んだりもするんだけどね)。
 消化不良は否めない部分もあるんだけど・・・何故かラストには不思議な爽快感が。
 ちょっとした人生の再生、を目の当たりにするからかしら。
 リーアム・ニーソン主演のアクションサスペンス映画がつくられる原動力って、それなのかもなぁ。 もう結構いいお歳なのに落ち着くことができない人々への応援歌的な。
 エンドロールが路線図みたいになっているのも気が利いていて、ニヤリとさせる。 遊びゴコロ、満載ですねぇ。

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2018年04月07日

今日は3冊!

 雨のあと、急に気温が下がった感じ。 湿気が空気を冷やしているのね。 またまた着る服に悩む最近。 雨降ってると日中はなんか蒸し暑いしな〜。

  パタリロ099.jpg パタリロ! 99/魔夜峰央
 ついに99巻です!
 しかし内容は・・・「ミーちゃん、アスタロトを訪ねて魔界を行く」の巻。 まだまだアスタロトまで遠く、事情を知りたいパタリロにも説明が中途半端。 この流れなら100巻でも終わらず、しばらく続くんじゃないか・・・の気配。
 でも、「魔界を行く」の描写はまるでマグリットの絵の世界に入り込んだかのようで、絵でしか表現できない面白さにあふれてる。 ところどころのしょーもないギャグはまぁお約束だから仕方ないとはいえ、真面目にやりすぎるのはもう作者の性に合わないのでしょう。 100巻で切れよく終わらないのも、多分そう。

  コールドコールドグラウンド.jpg コールド・コールド・グラウンド/エイドリアン・マッキンティ
 新たな警察小説のシリーズスタート。
 今回の舞台は80年代の北アイルランド。 独立問題やテロに揺れていた時代に殺人事件を解決することとは、みたいな感じ?
 主役の刑事ショーン・ダフィもまたキャラの立つ男であるらしい。
 北欧もいいけどイギリスもいいね!

  日本SF傑作選5 光瀬龍.jpg 日本SF傑作選5 光瀬龍
 光瀬龍といえば『百億の昼と千億の夜』。 入り口は萩尾望都の方だったけど、その後原作も読みました(あたしの宗教観に結構影響を与えている気がする)。 その姉妹編ともいえる『喪われた都市の記録』もよかった〜(これは高校の図書館で借りた)。 この2作でなんか満足してしまったような・・・。
 『夕映え作戦』などのジュブナイルは読んでいたけれど、それ以外の作品は読んでないかも(例によってタイトルは知っていますが)。 多分このシリーズの中で、いちばん新鮮なのはこれかも。

ラベル:マンガ 新刊
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2018年04月06日

BPM ビート・パー・ミニット/120 BATTEMENTS PAR MINUTE

 ポスターを見ただけのときはそんなに響かなかったのだが(ロッテントマトの評価を前面に出されるとちょっと引き気味)、予告編を見て印象が変わった。 いわゆる<エイズ禍>を描いたアメリカの作品は多いが、それ以外の国が舞台って少ないのではないか? またドキュメンタリータッチっぽかったのも気になって。

  BPMP.jpg 全力で生きて、愛して、闘った――

 1990年代、パリ。 “Act Up-Paris”という団体が世間のエイズへの偏見をただすため、そして新薬の研究結果を隠蔽している製薬会社に抗議をして新しい治療薬を供給させるために活動していた。 彼らは活動の前に必ず会合を開き、活発な意見交換を戦わせていた。
 その中でも、素早い行動力と他にはない発想力でカリスマ的な人気を持つメンバーのショーン(ナウエル・ペレース・ビスカヤート)はHIV陽性で、「俺たちには時間がない」と過激な行動に走りがち。 リーダーのチボー(アントワーヌ・レナルツ)や世話役のソフィー(アデル・エネル)はショーンのやり方に時折頭を痛めることになるが、みんな彼を愛していた。 ある日、会合に新しく参加するようになったナタン(アルノー・ヴァロワ)ははじめは傍観者の立場だったが、次第にショーンに惹かれていき、ショーンもナタンからの熱い視線を快く感じていたが・・・という話。

  BPM3.jpg 血のように見えますが、多分色付きコーンシロップ。
 製薬会社のオフィスを襲撃(?)して、新薬の発表を迫ったり。 恒例のゲイパレードに参加する以外にも、ゲリラ的な行動で彼らの主張を公開。 エイズ患者の血液かと思ってビビりまくる製薬会社の人の態度が滑稽に見える演出。
 80年代ならまだわかる、でもフランスで、90年代でもこうだったのか・・・ということにまず驚き。 でも患者の方々がのむ薬が人によって違ったり、今ではおなじみのカクテル療法ではないことに衝撃を受ける。 カリニ肺炎、カポジ肉腫といった名称も飛び交い、ほんとにエイズパニック初期の頃と変わっていない状況が見えてくる。 そうか、そういう時代なのか・・・。 高校生にコンドームを配る、という活動にも学校の先生から怒られたり(理解してくれる先生もいるが)。 「私はゲイじゃないからエイズにはならないわ」という女子高生がいたり・・・「マジか? マジなのか?!」とジェネレーションギャップ(?)に唖然とする。 まぁ、日本も2000年代で唯一、HIV患者数が増加している先進国と言われているので、この<他人事感>は日本でも現在進行形だという気はしなくもないのですが。
 それ故に、権力にあらがう彼らの気持ちが痛いほどに伝わってくるのですが。

  BPM1.jpg あ、この人、『午後8時の訪問者』のお医者さんだ!
 彼女がソフィーでした。 多分出演している人の中で彼女がいちばんの売れっ子なのでしょうが、そういうところを感じさせないリアルな佇まい、よかったです。
 彼女が司会進行役(ファシリテイタ―ってやつか?)をつとめる会合では、厳密な決まりがある。 時間内にすべての議題について論議したいからダラダラやらない、ヤジ禁止、ヒューヒューとか声や口笛で同意を示すと喋っている人の声が聞こえなくなるからその場合は指を鳴らすこと、手を挙げて指名された人だけが発言すること、会議中は禁煙(様々な体調の人がいるので配慮する)、タバコを吸いたい人は廊下など会場外に出ること、ただしその場合は発言権はない、など。 日本の会社の下手な会議より、すごいちゃんとしてる(しかしあたしは指を鳴らすことができないので同意を表明できないわ・・・とちょっと落ち込む)。
 会合がきちんとしていればしているほど、メンバーが一般社会においてまったく相手にされない立場であるということのギャップが浮き彫りになり、ひどく悲しくなる。 彼らにとっては“Act Up-Paris”が居場所で、一人の人間として認めてもらえる場所なのだ。

  BPM2.jpg だから余計に運動にのめりこむのね。
 しかし物語は後半、ショーンの病状の悪化に伴い個人的な話になっていく。 突きつけられる<死>と向かい合う日々は、いくら仲間がいようとも一人の問題であって、そこに最愛の人がいてくれたことが救いであると思うしかないのか。
 それまでにも仲間の死は描かれていたんだけれど・・・ここまでリアルに迫るから、それまでに散りばめられていた象徴的な映像(地面を埋め尽くすほどに投げ出された黒い棺や十字架、血の色をしたセーヌ川など)がものすごい意味を持つ。
 現在、HIVはかつてのように死に至る病ではなくなっているけれど、それはこういう時代を経て獲得されたものだということを覚えていなくてはいけないのだ。 無関心や差別もまた。
 この感じ、まさにドキュメンタリー・タッチだからなしえるもの。 実は142分あったのですが、あまり長く感じなかった。
 第70回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作とのことですが・・・確かにカンヌ、好きそう(しかもそのときの審査委員長は、ペドロ・アルモドバル)。
 上映後、映画館の廊下で、「でもなんで今<エイズ>なのかな?」と話している声が聞こえた。 おっと、それはあたしに思い浮かばなかった疑問だ。 ちょっと考えて・・・LBGTが今は比較的話しやすい話題になってきたのも、そのスタートはここからだったのではないか、ということ。 特定の人たちへの差別という段階から、社会的な問題(誰もが実は無関係ではないこと)への派生。 とすれば、とてもリアルタイムな題材だったのではないだろうか。

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2018年04月03日

新しい『銀河英雄伝説』、第一話観ちゃったよ・・・。

 CATVのファミリー劇場にて、先行放送となった『銀河英雄伝説ーDie Neue Theseー』の第一話を見てしまいましたよ。
 オープニングテーマから始まらないことに驚き(それだけ石黒版が身体に染みついております)。 冒頭の映像から、最近のアニメに全然詳しくないあたしにも「あぁ、Production I.Gだなぁ」と思わされる独特の質感。
 新しいオープニングで 原作:田中芳樹(東京創元社) って出るのはちょっとうれしかったですね。
 しかしどういう構成になるのか心配してましたが、第一話のサブタイトルは<永遠の夜の中で>、予告によれば第二話のサブタイトルも<アスターテ会戦>で、「結構原作通りだ!」と驚く。 内容も結構原作通りだったです。
 帝国軍側の宇宙艦隊は曲線がメインのデザインで、ときどき有機的なモノに見えてしまってなんだか気持ち悪い。 特にブリュンヒルト、まだ美しさを感じない・・・。 たいして同盟側は直線なので、見分けはしやすい。 艦隊戦の迫力は、さすが最新映像だけのことはある。

  銀河英雄伝説 新1.png ただ、このキャラデザインが・・・慣れないぜ。
 全体的にみなさん若め・美形度嵩上げになっております。
 最初はラインハルト側−帝国側から描くので、差しはさまれる同盟側が(大敗退を期すので主要人物が出てきていないというせいもあるが)、一瞬よくわからなかった・・・「この人たち、誰?」と思ってしまったのは、同盟側の制服があたしの中でピンと来ていなかったからだ。
 しかしいちばんの問題は、声優!
 ドキドキしてましたが・・・キルヒアイス、意外といい。 メルカッツ、そんな違和感ない(さすが運昇さん、やるときはやる男! となるとまだ先でしょうが、ヨブ・トリューニヒトを誰がどうやるのか興味深いところです)。 でもね・・・ラインハルト、野心が前に出すぎ。 これじゃ生意気だと思われるのも納得だけど、最終目的以外のことはどうでもいい的な超然とした感じは薄い、かな。
 でももっと意外だったのはヤンだ。 鈴村健一さんってあたし普通の声よくわからないんだけど(最近の方は海外ドラマでレギュラーやってくれないとわからないんだよ〜)、かなり富山敬に寄せてました!
 石黒版を越えられないだろうけど、完全なる失敗作ってわけでもなさそう、という手触りの第一話。 成り行きを見守りたい。
 それにしてもファミリー劇場は意地悪というかなんというか、本放送に合わせてすぐそのあとに石黒版を放送するという「イジメかっ!」という編成になっており・・・でも若い人たちにとっては『Die Neue These』のほうが基準になるのかなぁ。
 とはいえ、石黒版を観て、ほっとしていた自分がいた。

ラベル:SF
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | WOWOW・CATV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

ガラスの城/わたなべまさこ

 最近、というかしばらく前から、電子書籍で懐かしいマンガを買ってしまっていることが多くなってきた。
 その「懐かしさ」には時間的な違いはあるのだが・・・でもまぁ、子供の頃に読んでいたものほど(更に今、手元にないことが多いから)、見つけたらつい読みたくなっちゃいますね。
 つい先日も、<集英社コミックセットセールキャンペーン>みたいなものがあり・・・そのラインナップをだらだら見ていたら、なんとその中に『ガラスの城』があるではないか!

  ガラスの城1.jpg マーガレットコミックスバージョン?
 ちなみにあたしが昔読んでいたのは(それこそ小学生低学年とかである)、表紙がお城の写真などになっていた古い文庫版であった。 なのでこういう表紙はあたしも初めてで。
 とはいえ「うわっ、なつかしい!!」と思って即ぽちる。
 でも、実は不吉な予感はあったのだ。 <全1−5『ガラスの城』セット>となっていたけれど、あたしの記憶では7巻とか8巻とかまであったはず・・・文庫版、薄かったからまとめたら5冊になるのかなぁ? でもサブタイトルがなんか足りないような・・・。
 実際、ダウンロードして読んでみたら(読み始めたら当然一気読みである)、5巻はすごい中途半端なところで終わってる!
 よくよく見たら、5巻までの電子書籍化は2016年に行われていた。 え、今年、2018年ですよね?!
 とりあえず<続巻リクエスト・予約>にチェックを入れて、待ってました。

 召使いの娘と伯爵令嬢が入れ違う物語、という今から見ればありがちな話ではあるものの、その当時(60年代)としては画期的な連載だったんだろう(というか、少女マンガにおける先駆者というか、元祖のような。 その後、細川智栄子の『伯爵令嬢』もありましたけど、初期設定だけ同じでその後の展開は全然違う・・・作者の資質の違いが出ますね。 どっちも面白いですが)。
 それにしても・・・あれだけ本がバラバラになってしまいそうなくらい繰り返し読んだのに、細かいところいろいろ忘れてるんだけど・・・「おぉ、そうだった!」と感じること多々。 そして当時はまったく不自然さを感じなかったのに(それだけ物語に没頭していたのだろう)、今の目で読むと・・・「マリサ、お人よしすぎだぞ!」と言いたくてたまらない。 クロッキーの気持ちになっているじゃないか(クロッキーは執事なのでいろいろ言うのだけれど、最終的には「〇〇さまのおっしゃる通りに」と引き下がってしまう。 しかしあたしは引き下がれない!)。
 イギリスの話だし、マリサは信仰深くて「神におすがりしましょう」ってなるのも昔はそんなものかなぁって思っていたけど、現代の目で見たら慈悲深すぎる! 逆にいえば、今のほうが人の心にゆとりがないというか、他者に対する許容量が少なくなっているのかもしれないけど・・・。
 イサドラももっとあくどさ満載のイメージだったけど(まぁ十分にあくどいんだけど)、思いのほか行き当たりばったりだな〜。 感情過多で情緒不安定だし、遠からぬうちに破綻するのは目に見えているのに、昔のあたしはすごくハラハラしていた・・・。 いい大人になった今ではそういうことがわかるけど、物語の引っ張る力にはあらがえない。
 おい、続きはどうした!、ともやもやしていたら、ついに、「2018年4月1日配信開始」のお知らせが。

  ガラスの城8.jpg やっぱり最終巻は8巻じゃないか。
 ほんとに4月1日未明を過ぎたらタブレットに入ってきたよ。 というわけで最後まで一気読み。
 あぁ、グラスゴー島! すごく覚えてる! <グラスゴー>って架空の地名だと思っていたので、後日実在することを知ってとても驚く(勿論、同じなのは名前だけだけど)。
 8巻の内容はこれ単独のホラーとしても読めるすごさで、その感じは今読んでも変わらないなぁ。
 そう、わたなべまさこというマンガ家は、あたしにとっては「ホラーものを描く人」のイメージ。 『聖ロザリンド』とか『白狐妖しの伝説』とか(なので『恋愛風土記』はちょっと異色作に思えたけど、あれもファンタジー寄りだからな)。 なので『ガラスの城』は正統派少女マンガの趣きで当時は特別な作品に思えたけど、結構グロいシーンもあってホラー路線から外れてないよ・・・。
 でも、今回の電子書籍版には文庫版にはなかった短編『慕情』が収録されていて、これがまた王道!
 もともとホラー志向のあった方なのでしょうけれど、初期の頃はみなさん正統派な作品を描いていた(描かされていた?)のね。
 あぁ、すごい満足。 これでまた、昔のマンガを探してしまうことになるんだよ・・・。
 でもセール以外では買わないから!! (←と、自分に言い聞かせる)

ラベル:マンガ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする