2018年03月13日

ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ/THE BIG SICK

 これは予告を見たときに、「異文化コメディか・・・まさにトレンドだな」とぼんやり思ったのだが、実は実話だと知る。 しかも自分で自分の役をやるという(脚本も当事者二人が書いている)。 コメディのふりをした再現ドラマ? でも、そういうのも<ナチュラルテイスト>が好まれる昨今の流れだから成立するのかも。

  ビッグ・シックP.jpg 逆境よ、ありがとう?!
   家族は交際反対、彼女はまさかの昏睡状態?!

 パキスタンからの移民であるクメイル(クメイル・ナンジアニ)はスタンダップコメディアン。 医者か弁護士になってほしいという家族の期待を裏切ってしまっているが、そんなパキスタン文化とアメリカ文化との日常の違いをネタにしている。 ある日の舞台のあと、観客だった大学院生エミリー(ゾーイ・カザン)とバーで会い、話し、意気投合する。
 が、クメイルは家族、特に母親からお見合いを進められており(お見合い結婚しか許されないのがパキスタン文化らしい)、エミリーにそのことは言えず、母親にも白人女性と付き合っていることが言えない。 普通のアメリカ人であるエミリーはクメイルを自分の家族に会わせたがり、自分もまたクメイルの家族に会いたいという。 煮え切らない態度のクメイルを不審に思っていたエミリーは、クメイル宛の大量のお見合い写真と釣り書きを見つけてしまい、事実を知る。 大げんかした二人はその場の勢いで別れるが、数日後、エミリーの友人から「エミリーが原因不明の病気で入院している」という電話があり・・・という話。

  ビッグ・シック3.jpg スタンダップコメディとはソロの漫才みたいなもの?
 意外にも面白い会話劇であった。
 マシンガントーク、というほどではないけれど、登場人物それぞれのキャラクターが会話のトーンの違いであらわされ、類型的に見えてしまいがちな脇役たちをイキイキとさせる効果が。 特にクメイルのコメディアン仲間たちの毒舌まみれの友情とか、クメイルの家族の食卓の様子とか。 ライヴでやるパキスタン自虐ネタもどこに向けているのか少々わかりづらく、コメディアンとしてブレイクできないクメイルのリアルをよくあらわしている。
 クメイルが兄とカフェで喋っているうちについケンカ腰になった途端、周囲のお客さんたちの視線に気づき「テロには反対です」と意見表明をしてしまうところなどは、つい「笑ってよいのか」と考えてしまうあたしはダメな日本人です。

  ビッグ・シック4.png お互い、今は真剣に恋愛している余裕はないから、と言いながらなかなか離れられない二人。
 この二人が付き合い始めていく過程が面白かった。 エミリーはセラピスト志望だが、学んでいるかもしれない心理学的テクニックみたいなものを恋愛には一切持ち込んでない感じが余計に彼女をキュートに見せていて、「そりゃ、クメイルくんがんばっちゃうよね」と納得(ステージのネタよりも彼女との会話のほうが面白いんだから仕方ない)。
 でもエミリーが大事になればなるほど、クメイルは自分の家族が重荷になっていくのもわかるんだけど・・・両方にいい顔をしようとするからダメなんですよ。 その優しさは優柔不断ってことだよ!、とあたしは警告したかった。

  ビッグ・シック2.jpg 実家はいろいろめんどくさい。
 厳格な父親、絶対家長制度という言葉が思い浮かぶが、実は家での実験を握っているのは母親だというよくある家庭。 ただし、パキスタン式であることが絶対だというのが厄介で。 日本にいると人種うんぬんより「会話が通じるか通じないか」のほうが重要に思えるんだけど(言葉が通じれば文化の違いもお互い説明しあえるし、歩み寄る点が見つけられると思うのだが)、<人種のサラダボウル>と呼ばれる地ではそんな甘い考えなど通用しないらしく、最初から“人種”という言葉が出てきてしまう。
 だけど、パキスタンを自分たちの意志で出てきたのに、今はアメリカに住んでいるのに(つまりアメリカ人なのでは?)、パキスタンの伝統が絶対となってしまうのは何故なのか。 ちなみにご両親は回教徒であるようだが、クメイルくんは信仰していない(またそれをはっきりさせると大問題になるのがわかっているので、両親の誤解を利用してごまかしている)。
 あぁ、だからクメイルくんの自虐ギャグは痛々しいのか。 自分のルーツはパキスタンだけどその文化に両親のように盲目的には従えない、でも見た目で南アジア方面の人だとわかってしまうからアメリカ人にもなり切れない。 そこを乗り越える強さがあれば、文化の違いを乗り越えられる。 必要なのは自虐ではないもっと大きな笑いでありユーモアだ。

  ビッグ・シック1.jpg そんなとき、病院でエミリーの両親と出会う。
 母親のベス(ホリー・ハンター)は初対面から「あなたが娘を捨てたクズね」と敵意丸出し(ま、そりゃそうだろう)。 父親のテリー(レイ・ロマノ)はベスと正反対の性格で、病院で娘のためにしてくれたことをクメイルに感謝する。 つまりはそれだけエミリーが両親にクメイルのことを話していたのだろうな、と感じるし、エミリーがそうであるようにこの二人もクメイルの人種を意識していない(ベスが怒っているのはクメイルが娘を傷つけたからだ)。 エミリーは昏睡状態になってしまうけれど、眠っているエミリーを囲んだ三人の関係性がとても興味深い。 でも残念ながらその場の主役のエミリーは三人の間に起こったことを知ることができないのであるが・・・。
 テリーがクメイルにいった言葉、「君は今のところ優れたコメディアンだとは言えないが、コメディアン以外の職業にも向いていないね」(正確ではないがこのようなニュアンスだった。 二人はクメイルのライブも観に行ったのである)があたしはすごく気に入った。 テリーのユーモアと気遣いを感じたよ。
 そして迎えるエンディングでは、冒頭のほうのある会話にプラスアルファしたような会話が再現されることになり・・・そこでものすごくじんわりとするのであった。 会話劇であることの効果を最大限に利用したその部分がこの映画のいちばんの見どころの一つで、でもそれを味わうためにこれまでの会話が必要だったんだなって。
 誰もが日常に使う会話。 あぁ、もっと伝わる言葉を意識して選ばなきゃ。 そんなことも思わされたかな。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする