2018年03月31日

グレイテスト・ショーマン/THE GREATEST SHOWMAN 2回目

 仕事場で、「『グレイテスト・ショーマン』、すごいいいよ!」と言っていたせいでしょうか、総勢5名で観に行くことになりました。 こんな大人数で映画を観に行くなんて、学生のとき以来ではないか・・・なんだかいつもと違う興奮が。

  グレイテスト・ショーマンP.jpg 夢が、踊りだす。
 2回目のあたしは途中で歌い出してはいかん、と5席とった内の端の席に。
 また公開7週目に入ったというのに、結構人が入っていたのです。 口コミロングランヒットの事実を目の当たりにしてうれしかった。
 そう、2回目なのですが・・・「あれ、こんな早かったか?」と。 勿論、先を知っているせいもあるんだけど、こんなにも流れるように進む話だったか?、とびっくり。 それはずっと音楽が流れているからで、説明台詞が一切なくてすべて映像で表現されているから。 あぁ、こんなにも手の差し伸べ方ひとつで意味の伝わり方が大きくなるのか!、と発見できたことも驚きで。
 ミュージカルを真剣に観てなくてすみません!、でした。 二回目も観てよかったです。 もう一回くらい行ってしまいそうです。 だってサントラよりもずっと音がいいんだもん。

 で、今回一緒に行った方々は・・・映画は好きだけど、そんなに映画館には行かないという方から、まぁ行くけど2・3か月に一回くらい?、という方までいろいろ。 でも全員ヒュー・ジャックマンは知っているという・・・ヒュー・ジャックマン、すごい。
 観終わった全員が「よかった!」と言ってくれる。 それはよかった・・・。
 そして次に言うのが、「あの若い人、誰?!」。
 ザック・エフロンのことでした。 あぁ、やっぱり本作での彼は素晴らしいんだ・・・身贔屓じゃなくてよかった(でも二人並ぶとヒュー・ジャックマンのスタイルのよさが際立つよね、というところでも同意。 しかしザック・エフロンかっこいい、歌うまい、品がある、と大好評でした)。
  グレイテスト・ショーマン4.jpg やっぱりバーカウンターのシーンにみんなしびれてた。
 ジェニー・リンドさん(レベッカ・ファーガソン)の歌は吹替なんですよ、というとものすごくびっくりされ、でもバーナムの奥さん(ミシェル・ウィリアムズ)は自分で歌ってるんです、というと更に驚かれ。
 「オペラ歌手の人、あんなきれいなのに歌もうまいってどういうこと、と思ってたわ」
 「首筋の立ち方とかすごいから、多分自分でも歌ってるんでしょうけどね、違和感なかったわ〜」
 「でも奥さん、ダンスもすごかったよなぁ。 あの人、ミュージカル出身とかじゃないやろ?」
 「そうですね、売れたのはテレビドラマからで。 舞台もやってるかもしれませんがストレートプレイだったような」
 「みなさんのダンスもすごいキレッキレで、でもちゃんと揃ってるしレベル高かった!」
 「バーナムさんの二人の娘さん(まだ子供)のダンスもキレがよかったですよね」
 「そらあの夫婦のもとで育ったんだから上手やろうけどなぁ」
 「一曲目からあのノリがクイーンみたいだった! ♪ダ・ダ・ダン・ダン!、ってやつ」
 「あぁ、『ボヘミアン・ラプソディー』と『We Will Rock You』を感じますね」
 「そう、それ!」
 「・・・わからない」
 「絶対どっかで聴いたことあるよ! 聴いたらわかるって! あとでYouTube探そう」
 「その前にサントラやな」
 ・・・一人で映画を観に行くときには絶対できない、「観た後の盛り上がりトーク」を久し振りに堪能しました。
 こうして更に口コミは広まる。

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2018年03月30日

ネメシス 復讐の女神/ジョー・ネスボ

 結局、本が部屋から見つからないので、図書館から借りてしまったよ・・・本末転倒。
 でも続きがすぐ読みたかったのだ!
 前作『コマドリの賭け』の翌年、個人的にある捜査から引き下がれないハリー・ホーレはハルヴォルセンとともに調査を続けていたが、オスロ警察内では浮いていた。 ハリーに理解を示す唯一の上司メッレルですらも、「もういい加減にしたらどうだ」という始末。 しかし読者は知っているのだ、ハリーの勘が間違ってはいないことを。
 とはいえ未解決事件ばかり追ってはいられないのは、凶悪事件が発生するから。

  ネメシス1.jpgネメシス2.jpg ちょっと冬の近くなったオスロが舞台。
 白昼堂々銀行強盗事件が発生。 しかも犯人は金を奪っておきながら、何故か行員を一人射殺して逃走。 現場には手掛かりひとつ残さないプロの手口で、だからこそ銀行員を殺す必要があったのかわからない。
 そんな折、ハリーはかつて一時期付き合っていた女・アンナから食事に招待される。 気がつけば記憶がない状態で自宅で目を覚ましたハリーだが、後日、アンナが自殺したいとして発見されていたことを知る・・・という話。
 これでもか、というほどいろんな事件・人間の思惑が絡み合っていて、「ちゃんとまとまるのか、これ」と心配になるほど(余計なお世話、ちゃんとまとまります)。 ただ、それらを“偶然”ととらえるとご都合主義っぽくなってしまうので、そこは“必然”とみなしたい。 そうするとスリラー要素が強くなるようにも感じられますが、骨格はきっちりと論理的ミステリです。 終幕も実にドラマティック。
 だけどハリーのダメっぷりには・・・悲しくなる。
 ノルウェーにはAAはないのだろうか(多分似たようなものはあるんだろうけど、ハリーは行かないもしくは北の国にはアルコールの問題を抱えている人が世界規模で見て比率が高いのであろう)、とつい考えてしまうほどに。
 今回、ハリーの相棒としてベアーテ・レンという新人女性刑事が登場。 でもありがちな新人女性刑事じゃないところが面白い。 レギュラーメンバーのキャラも立ってきているところがシリーズものの醍醐味です。
 だけどハリーよ・・・。
 まぁ、最近の傾向として主人公はシャーロック・ホームズのように完璧な頭脳の持ち主ではなく、知能的には普通かそれ以上のレベルくらいだけど勘は鋭く、更に必ずと言っていいほど手ひどい心の傷や弱み・問題を抱えているものですが・・・そういう<等身大のキャラクター>が感情移入しやすいのかもしれないけれど、名探偵黄金時代の作品を読んで育った身としてはときどきじれったくなってしまうのだ。 でも、それも時代なのよね。
 舞台はノルウェーだけど、このシリーズがいわゆる北欧ミステリとは違う手触りなのは、アメリカ的ハードボイルドが根幹にあるから(明らかに銃の発砲場面も多いし。 そういう意味ではジェイムズ・トンプソンも同じ流れにいたといえるのかも、彼の新作はもうないが)。 だからアメリカでも人気があり、英語版から訳されるんだろうな・・・。
 ラスト1ページの展開には、「ハリー、いい加減にしろよ!」と思っていたあたしにもはっとさせるだけの彼の立ち直りと新たな展開が示唆されていて、「続きを読まなければ!」という気にまたさせられる。
 大丈夫、次作『悪魔の星』はすぐ手元にあるんで!

ラベル:海外ミステリ
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2018年03月27日

北の桜守

 あぁ、結局観に行ってしまいましたよ・・・。
 仕事場の人が、「母親が観に行きたいとせがむから観てきた。 堺さん、うまいなぁ」と言っていたし・・・北の冬の光景は大事ですよ。

  北の桜守P.jpg 失われた記憶へ向かう親子の旅の果てに・・・
   衝撃の最終章――

 1945年、樺太。 夫(阿部寛)・二人の息子とともに不自由がある中も幸せに暮らしていた江蓮てつ(吉永小百合)だったが、8月になってソ連軍が侵攻してきたため、夫の指示により町の人々ともに北海道に逃げることに(軍人である男性たちは戦場に向かったので)。 飢えや寒さにさらされながら、生き延びるために必死だった。
 1971年、オリンピック前の好景気に沸く札幌に、次男の修二郎(堺雅人)はアメリカで成功を収めたチェーンストアの日本法人社長として帰ってきた。 が、仕事中心の生活の修二郎のもとに、網走市役所からてつについての連絡が入り、急遽母に会いに向かうが、修二郎には「母に捨てられた」という気持ちをずっと拭えずにいた・・・という話。

  北の桜守3.jpg 1971年って、こんな感じなんですか?
 本社社長の娘(篠原涼子)と結婚した修二郎。 アメリカ育ちのオーバーアクション気味天然お嬢様がたいへんバカっぽくて面白いが、修二郎の性格的にこういう相手を好きになるか微妙。 時代的に、恩ある上司に望まれたから結婚したって感じなのか、だから妻としては不安なのか、それもこれも修二郎が心を閉ざしがちの人間だから。
 謎のお店<ミネソタ24>のインパクトが大きすぎて、そしてビジネス方面の話も展開させちゃうから、<親子の絆>のほうが主題として比重重めだと思っていたんだけれど、なんか薄らぐ感じがしなくもない・・・。
 そもそも、「樺太からの引き上げ」という北日本の人間には比較的なじみのある話なれど全国的にはそうではないものをこうして取り上げてくれるのはありがたいなぁと思うのですが・・・序盤で描かれるだけなので1971年パートに入っちゃうと薄らいでしまうのですよ。 しかも予算の関係なのかどうなのか、ソ連軍の攻撃は明らかにCG感丸出しだし、てつさんの脳内風景として舞台劇が挟み込まれるため、その惨劇にワンクッション置かれてしまい、その悲劇に迫ってない感じがする。 勿論、残酷に描けばいいというわけではないんだけど・・・あまり知られていないことをオブラートにくるんで語ったら本質は届きにくいよ。

  北の桜守6.jpg 回想シーンが挟まれることでいろいろわかってくるが、むしろひどい目に遭っているのは子供時代の修二郎くんのほうである。
 それでまぁ、あたしが観に行ったのは例によってレイトショーであるが、それでも観客の平均年齢は高かった。 あたし、もしやいちばん若いほう?、的な。 <吉永小百合映画>というジャンルがあるんだな、と感じてしまうというか・・・滝田洋二郎監督は『おくりびと』のせいで巨匠扱いされてるけど、実際は当たり外れあるんだよなぁ。 吉永小百合に対してだけでなく、役者のみなさんに演技指導つけたのか大変不安になる感じ。 特に樺太のくだりは「立ち位置の順番に台詞言う、みたいになってる?!」と学芸会的な空気に満ちており、「まずい、あたしが観たい演劇世界ではないものに踏み込んでしまった」と感じたのだ。 その場に阿部寛や岸部一徳がいたにもかかわらず。
 まぁ、脚本にも問題ありとは感じるのですが・・・結構力入れて作っているんだろうからもっと練りこんでもいいでしょう。
 リアリズム芝居重視になってきてるのかなぁ、自分。 いや、そもそも芝居は作り事であるという大前提はわかっているつもりだけど。 などと、「芝居とは、演技とは」ということを考えてしまったよ。

  北の桜守5.jpg いい人なのか悪い人なのかわからない体で登場のヤミ米屋として佐藤浩市が登場したときはちょっとほっとした。
 彼の照れ笑いにはきゅんとしてしまった。 ところどころいい場面はあるんだけど・・・それ以上の破壊力がある場面もあるので「・・・どうしよう」感は最後まで拭えない。 むしろ、ラストシーンの破壊力もさらにすごい。
 雪の光景もあまり寒く感じないし・・・まだ『北のカナリアたち』のほうがずっとよかったように思えてしまった。
 せっかくの堺雅人もいまひとつ・・・優秀な兄に対してコンプレックスを持つ弟、誰よりも母に認めてもらいたかったのに捨てられたと感じ、鬱屈した気持ちを原動力に野心を抱いている男、なのだろうけど・・・「母親に対して複雑な気持ちを抱いている」部分は十分表現できていたので、そっちにもっと特化すべきだったのでは。
 普通の革靴&スーツで母の言うままについていき、結構な岩山の上にあるお堂にお参りしてしまう場面には、すごくびっくりしたわ(登るだけならなんとかなったかも、でもどうやって降りた? しかも服が全然汚れていない!)。

  北の桜守4.jpg 樺太時代の隣人、山岡さん(岸部一徳)とのシーンはよかった。
 なんかいろいろもったいないよ・・・。
 でも次の日本アカデミー賞にはいっぱいノミネートされちゃうんでしょうねぇ。 なんだかなぁ。
 てつさん、という一人の女性の波乱万丈な人生を息子の目から見直したもの、ということだったんだろうけど・・・。
 「親の心、子知らず」であり、「子の心、親知らず」でもあるという。 そしていつも折れるのは子の方だという話、ですか。
 ほら、樺太の話、どっかいった・・・。

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2018年03月26日

あ、油断してた隙に桜が咲いてる!

 この土日は家からほぼ一歩も出ず、だらだらと過ごしていたのです(いつものことですが)。
 そして二日ぶりの外出(というか普通の出勤)、駅までの道を歩いていると・・・「あぁ、日差しがきつい。 紫外線対策しなきゃ」と思いながら角を曲がると。
 桜が、咲いている!

  201803の桜.JPG 朝の日差しが眩しい!

 えっ! 金曜日にはそんな感じになってなかったよ!
 確かに急に気温が上がってきたけれどさ・・・。
 もう咲いちゃってるじゃないですか・・・かなり満開の勢いで。
 あぁ、もうしっかり、春なんですね。 認めたくなかったけど。

ラベル:季節もの
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2018年03月25日

今日も10冊(その2)。

 引き続き、残りの5冊。

  ダ・フォース1.jpgダ・フォース2.jpg ダ・フォース/ドン・ウィンズロウ
 ドン・ウィンズロウ新作がついにハーパーブックスから! でも常に気になるのは「誰が訳すのか」で、今回は田口俊樹さんだったので、「ま、いいか」と(『動く標的』もそうだし、おいそがしですね―出版時期と締め切り時期が重なるとは限らないけど)。
 ザでもただのフォースでもなく、『ダ・フォース』ってところがかっこいいっすね!(内容はこれ以上ないほど重厚のようですが)
 これまたリドリー・スコット制作で映画化が進行中とか・・・この厚さ、まじ映画で行くつもりですか?

  見仏記7文庫版.jpg 見仏記 7<仏像ロケ隊がゆく>/いとうせいこう・みうらじゅん
 いつの間にか『見仏記』も7冊目・・・というかこれ、ハードカバーで出たことに気づいてませんでしたよ。 というか表紙のお二人、『1』のときから変わってないよ・・・若いよ!
 『TV見仏記』とのコラボ(メディアミックス)と謳っておきながら、その裏側はとてもハードであることがよくわかり、おたおたしているお二人を想像するととても楽しい。

  背教者ユリアヌス4.png 背教者ユリアヌス(四)/辻邦生
 ついに最終巻!
 でも、この前の文庫って全三巻なんですよね・・・いろいろ資料とかついてるけど(本書には辻邦生と北杜夫の対談も!)、それでも4冊にしないで3冊でも行けたような気もしないでもない。 このへんが、「400ページ前後が歓迎される中公文庫」ってことなんでしょうなぁ。 読者としては冊数が少ないほうがありがたいんだけど、薄い本のほうが荷物にならないからって好まれる傾向があるんだろうか。 一冊合本か、上下巻がいいか、これもまた永遠の命題。

  ランド06.jpg ランド 6/山下和美
 表紙の佇まいというか、影を落とした感じにどっきり。
 6巻目ですが・・・これまた1巻目から読み返したい。
 そんなのばっかりだ・・・時間くれ、長期の休みをくれ!!

ラベル:新刊 マンガ
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2018年03月24日

今日も10冊(その1)。

 もう3月も残り少ない。 これが今月買う最後の本かな・・・。

  真実の10メートル手前.jpg 真実の一〇メートル手前/米澤穂信
 お久し振りの米澤穂信、あたしが読む完全新作(単行本版はスルーしてしまったので)。 以前『さよなら妖精』にやられてしまった身としては、その登場人物の一人が成長して登場、というのもうれしい。
 太刀洗さん登場の長編『王とサーカス』は8月文庫化予定とのこと。 待ちます。

  ロスマク動く標的新訳版.jpg 動く標的【新訳版】/ロス・マクドナルド
 ロスマクという愛称で呼ばれるハードボイルド大家、ということは知っているんですけど、実はこれまで読んだことがない。 ハードボイルド苦手意識が長かったせいでしょうか。 今はそんなこともないので、この新訳版をきっかけに読んでみることに。 「なんでもっと早く読まなかったのか」と後悔するかもしれないけど。
 で、解説読んでびっくりしたんですけど、ロスマクってマーガレット・ミラーの夫なんですね! 多分知っている人はみんな知ってる常識なんでしょうが、作家本人に興味ないあたしはほんとに驚きました。 同時代の人ってこともそれでわかったし。
 あまり作家のプライベートを知りすぎると先入観で作品が評価できなくなってしまうので(太宰治とか・・・)、外国人は情報が入ってこないのをいいことに更にスルーする癖をつけてしまったので、今知って驚いたけどそのうち忘れてしまうのではないかと思う。

  悪女.jpg 悪女/マルク・パストル
 スペイン発のヴァンパイアものとのことですが・・・ぱらっとめくった<登場人物一覧表>に、「私・・・・全知の語り手」とあったのに目を見張り。 ちょうど『アルカサル―王城』(青池保子)を読み返したところだったので、地名とか人名が懐かしくて。

  ハロー、アメリカ.jpg ハロー、アメリカ/J・G・バラード
 今更ですがバラード追いかけてます、作戦継続中です。
 リドリー・スコット制作で映像化、ネットフリックスで配信決定!、とのこと。 リドリーのSF好みはわかってますが、やっぱりバラードの著作は<予言の書>の趣があるわけですね。

  ベルサイユのばら14.jpg ベルサイユのばら 14/池田理代子
 復活した<エピソード編>、4冊目。
 そしたら<エピソード編、クライマックス>だそうです・・・。
 今回の主役は息子が15歳になったロザリー(その割にそんなに老けて見えない不思議)。 彼女の目から見たナポレオン治世になったフランスと、スウェーデン。 マリー・アントワネットを失った失意のフェルゼンの日々を結構しっかり描いたという点で、外伝としてふさわしい展開に。 でもロザリーってこんな人だったっけ・・・と残念な気持ちになった(オスカルに「自分が男だったらロザリーを妻に迎えるよ」と言わせた人なのに)。
 更に『ポーの一族』とのコラボ(?)があったんですよ! 萩尾望都の許可のもと、とはいえ、それはいいんでしょうか・・・とハラハラしちゃいましたよ、なんだか。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年03月19日

コマドリの賭け/ジョー・ネスボ

 <ハリー・ホーレ>シリーズ第3弾(とはいえ、2作目は未訳)。
 シリーズの後半から先に邦訳が出ているので(そして本書が『ネメシスー復讐の女神』・『悪魔の星』と密接なつながりがあると噂で聞いていたので)、一作目『ザ・バット 神話の殺人』しか読まずに待っていたんですよ。 でも待っていて正解だった。 この途中の衝撃を先に知っていたら、ここまでのめりこめなかったかもしれない。 結構な勢いで読んでしまった。
 そういう展開になることは上巻後半から匂わせていたものの・・・ほんとにそうなるとは! ハリー、ひどいよ! うっかりにもほどがあるよ!
 まぁ、だからこそ彼はその後もずっとその十字架を抱えて生きていくことになるんだろうけどさ・・・そういう意味でも、ハリーの人間として・刑事としての生き方を決定付けた事件でもあり、何故これが飛ばされて(正確には翻訳は出ていたんだけど、集英社文庫が『スノーマン』を出したときにはもう絶版だったから)『ネメシス』が刊行されたのか意味がわからない。
 本作ではハリーについて、オーストラリアとバンコクの事件についての言及があるので、バンコクの事件とやらが2作目なのだろう(『ザ・バット』の舞台がオーストラリア)。 ということはシリーズ3作目にして初めて自国ノルウェーが舞台、ということになる。 なんでこれから刊行しなかったのか、やっぱり意味がわからない。

  コマドリの賭け1.jpgコマドリの賭け2.jpg 大人の事情ですか・・・。
 アメリカ大統領がノルウェーを訪問することになり、警察は厳戒態勢をとる。 ハリー・ホーレも警備に駆り出されることになるが・・・仕事熱心さ故にミスをしてしまう。 だが、アメリカ・ノルウェー両国の上層部にとって「それはミスであってはならない」ため、アクシデントは隠蔽され、更にハリーは警部の昇進し、公安警察局(POT)に異動となる(昇進はしたが、実態は閑職)。
 しかし机に張り付いているだけでは性に合わないハリーは、ノルウェーにメルクリン・ライフルという高性能にして破壊力抜群の武器が密輸された可能性をある報告から感じ取り、独自に捜査を始める。 異動前の相棒、エッレン・イェルテン(女性)の手を借りながら背景に迫ろうとするが、メルクリン・ライフルを手に入れたものは第二次世界大戦中に東部戦線にいた元兵士で・・・動機は過去から続いていた、という話。

 昨年末、『ヒトラーに屈しなかった国王』という映画がやっていて(あたしは残念ながら機会を逸したのだが)、その映画ではナチス・ドイツの軍門に下るかどうかを迫られたノルウェー国王がロンドンに亡命し、それでも国のために尽くした的な内容っぽい印象であった。 ホーコン7世は本国では偉大な王様と思われているのかと思いきや、一部の人々から(それこそ、大戦で戦った兵士たちなどから)「国を、国民を捨てて逃げ出した裏切り者」と認識されていたりするようで・・・勿論、その時代を知らない世代のほうが増えているから「現在のノルウェーにとって都合のよい解釈をする歴史家」が優遇されていたりと、歴史修正主義は結構どこの国でもあることなのねと驚く。 そういう内容を警察小説で読む、ということに北欧ミステリの層の厚さもしみじみと感じる。 島国の人間にはわからない、陸続きの国の人の苦悩というか。
 時間も場所も行ったり来たりするが、章立てがわりと短いのでそんなに混乱しない(ときどき、逆に短すぎて「クリフハンガーかっ!」と思わされて切りのいいところで読み終わることができない)。 エッレンの留守番電話にハリーが伝言を繰り返し吹き込む場面は、「ハリーのバカ!」と思っていたあたしの怒りを冷ます効果が十分にありましたよ・・・。
 それにしても、ハリーよりもエッレンのほうが刑事として有能なのでは・・・でも有能すぎる人を主人公にしては盛り上がりに欠けるのか? まわり道して、美人にうつつを抜かし、政治や権力闘争などに出し抜かれつつ、真相に気づきかけているのに深く突き詰めずに別のほうに意識が行ってしまったせいでいろんなものを取り逃がし、これ以上ないくらいの犠牲を払ってやっと辿り着く。 そういうところが<普通の人間>っぽいのでしょうか。
 <メルクリン・ライフル事件>は解決を見るけれども、読者は知っている別の真相にハリーはまだ気づいていない。 この続きが『ネメシス』かよ! もう、すぐ読まなきゃ!
 しかし、そういうときに限ってどこにあるかわからないのだった・・・『悪魔の星』はあるんだけど。 そして探している最中に<クリフトン年代記>の続きを見つけたし。 探さないほうが、見つかるのか?

ラベル:海外ミステリ
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2018年03月18日

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア/THE KILLING OF A SACRED DEER

 『ロブスター』のヨルゴス・ランティモス監督最新作(しかも本作で第70回カンヌ映画祭脚本賞受賞)と聞けば、気になるではないか。 再びコリン・ファレル主演でニコール・キッドマンまで出る豪華さ、更にストレートにミステリー・サスペンスの形態での殴り込み。 一体どうなるのか! まぁ、タイトルからギリシャ神話・ギリシャ悲劇がモチーフなのはうかがえますが。

  聖なる鹿殺しP.jpg “彼”は4つの悲劇を用意した――。

 スティーブン(コリン・ファレル)は心臓外科医。 眼科医の妻(ニコール・キッドマン)との間に二人の子供がいて、郊外の豪邸に住むわかりやすい成功者。 だが、スティーブンにはマーティンというある少年(バリー・コーガン)と家族には秘密の関係があるようだった。
 しかし、マーティンの存在は家族の知るところとなり、彼はスティーブンの豪邸に客として招かれる。
 その日から、マーティンの家では異変が起こり始め、ついには二人の子供たちの身体に異変が・・・。
 スティーブンに突き付けられたのは究極の選択だった、という話。
 冒頭、いきなり手術室のむき出しの心臓のドアップから始まる。 実は心臓だという説明はないので、「こ、これはなんだ!」といきなり落ち着かない気持ちにさせられる。 多分人間だよね? 人間の臓器でここまで拍動するのって心臓だよね?、とつい考えてしまい、目が離せないのはやはり医者でもない人間がここまでナマ(?)の心臓をはっきり見たことがないからだろう(実際に映っているのが本物かどうかはともかく、違うとしても限りなく似せているだろうから)。 この色が違う部分が弁なの?、と昔の生物の授業の記憶がよみがえってみたり。
 そんなわけで、これは不安に近いほうの、とても落ち着かない気持ちに満ち溢れている映画だった。

  聖なる鹿殺し1.jpg あえてあやしい関係に見せようとする構図とか。
 いや、そもそも登場人物の会話が全員、ぎこちない(棒読みのようで、表情も動いてなくて)。 手術を終えて出てきたスティーブンと同僚の会話も雰囲気的にぶっきらぼうで、そのやり取りも意味が通っているようで通っていないような。 それは次のスティーブンとマーティンの会話で最高潮に達する。 それとも、日常における会話ってこんなものなのか?、という「演劇的お約束」の不自然さに背を向けたあえてのリアルを追求したのか? そうとでも理由をつけないことには落ち着かない。 そう、とても落ち着かない。
 マーティンが家に来る前の、家族四人の食卓ですら不穏の空気。 いつニコール・キッドマンがぶちぎれても不思議じゃない感じで。

  聖なる鹿殺し2.jpg そして、夫婦の関係にも独自ルールが。
 マニアなのかプレイなのか。 まぁ二人だけの約束事なら文句を言う筋合いはないですけど・・・。
 でも人間関係を構成するすべての要素が、こわいのです。
 マーティンが来てから、子供たちにいう言葉がもう・・・ざわっとする。
 なんだかまるで、ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』を思い出させるものが!
 でも、だったらハネケの映画を観ればいいのである。 ヨルゴス・ランティモス監督の強みは「ありえないぶっ飛んだ設定をリアルに見せてしまう説得力」だと勝手に思っているので、その点では前作『ロブスター』のほうが完成度が高かったような・・・。
 登場人物の数が絞られ、より人間関係の濃密さを醸し出しているだけに、不条理性がやたら突出してしまい、「な、なんで?」と観客の心の準備ができていないうちに話が進んでしまうのでいまひとつ乗り切れなかった(というか、あたしが置いていかれたのか)。

  聖なる鹿殺し4.jpg 得体の知れない存在として常にいるマーティン。 とても『ダンケルク』の船に乗っていた少年(?)と同一人物には思えないよ・・・。
 マーティンの母親(アリシア・シルヴァーストーン)との会見が失敗したのが最後のスイッチだったのか・・・。
 あたしは復讐譚が結構好きですが、これは復讐を通り越して、呪いです。
 ギリシャ悲劇において、聖なる鹿を殺した父親に対してアルテミスが用意した<4つの悲劇>という仕掛け。 マーティンがそれにのっとって行動しているんだろうけれど・・・具体的な方法とか手段が一切明かされないので、いやな感じは強まるばかり。
 なのに、呪いの回避法はぐるぐるバットみたいなもので、笑うしかないのに妙な緊張感で笑えない。

  聖なる鹿殺し3.jpg 復讐という誓いのために。
 生きていくためには何かの犠牲が必ず必要。 その犠牲が多少大きくたって仕方がないではないか、他の者たちがその後生きるためならば。 とでもいうような結末には、「この人たち、これからどうやって生きていくのかな」と思うしかなく。 心のどこかを殺して生きていくのか、それとも何もなかったことにして普通に生きていくのか。 どちらにせよ、そうでないにせよ、彼らは壊れている。 壊れている人たちが繰り広げていた一幕を、あたしは観てしまったのだ。

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2018年03月17日

今日は4冊

 なんか今月は毎週末本を買っているような(来週末も結構出ます)。
 まじで本の置き場がなくなってきた・・・どう整理しよう(汗)。

  マリーンワン.jpg マリーンワン/ジェームス・W・ヒューストン
 <マリーンワン>とはアメリカ大統領専用ヘリのこと。 エアフォースワンみたいなもんですね。
 作者はアメリカではジョン・グリシャムらに並ぶベストセラー作家とのことですが・・・邦訳は初(そして作者は2016年に逝去)。 これだけ邦訳が出るということは特別面白いのか?、ということで。
 しかし翻訳者の村田薫氏をあたしは存じ上げなく・・・若い方なのかと思ったら十分すぎるキャリアをお持ちの学者! これまで翻訳を手掛けたものは専門書的要素の多いものが主で、いわゆるジャンル小説は皆無。 何故かと思ったら、村田氏は米国留学時代に作者とお互い28歳でアパートの隣人として一年間親しく過ごしたのだとか。 そういうつながりでこれが刊行されるとは・・・人生とはドラマティックですなぁ。

  ナルニア国物語7最後の戦い.jpg 最後の戦い<ナルニア国物語7>/C・S・ルイス
 おぉ、『最後』が漢字だ! そして表紙絵もまた一筆書き風に戻ってる・・・。
 新訳版<ナルニア国物語>もようやく完結。 何度も買いそびれそうな危機を乗り越え、あたしもやっと全部手に入れることができました。 めでたしめでたし。

  クリスタルドラゴン28.jpg クリスタル☆ドラゴン 28/あしべゆうほ
 「一年半ぶりの新刊!」だそうですよ・・・いや、何年も中断していたあの頃に比べれば十分順調なのかもしれませんが、なんか話が進んでないよ・・・。 読み始めたのは小学生の頃だから、前半のほうをより繰り返し読んでいるためしっかり覚えているんだけど、後半になればなるほど記憶が曖昧に。 また最初から読み返したほうがいいかなぁ(でも続けて読むと、作中に流れる時間はそれほど長くないと気づかされてたじろぐ。 こっちの時間は30年以上経過しているのに)。

  猫嬢ムーム2.jpg 猫嬢ムーム 2/今日マチ子
 この人のカラーページが好きなんだけど、このシリーズはモノクロ。 でも表紙は淡いカラーなのがズルいわ!
 1巻買っちゃったし、でも安い本じゃないから2巻どうしよう、と悩んでましたが、この表紙のムームの「してやったり顔」にやられてしまいました。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年03月16日

ザ・シークレット・マン/MARK FELT:THE MAN WHO BROUGHT DOWN THE WHITE HOUSE

 ウォーターゲート事件をディープスロート側から描いたものか、という印象。
 アクションしてないリーアム・ニーソン久し振りじゃない?!、ということで。 それにしてもウォーターゲート事件を扱う映画やドラマが途切れないのは、アメリカにとってそれだけ大きな傷だ、ということなのだろうか。 しかしそれだけに「アメリカ人にとって常識」であるためか、説明が少なすぎ。 事前に知識を持っていないとついていけないこと必至。
 フーバー長官の死亡の報が入ってからのFBI内のバタバタぶりは『J・エドガー』の最後のあたりとリンクしていて、「あの映画の続きがこれか!」という驚きがあった。 この人がミス・ギャンディ?!、とか。
 現代史でもやっぱり、あたしは世界史弱いです。

  ザ・シークレット・マンP.jpg 権力には屈しない 相手が大統領であっても――
   アメリカ史上最大の政治スキャンダル ウォーターゲート事件
   大統領を辞任に追い込んだ内部告発者 FBI副長官が30年目に明かした衝撃の実話

 フーバー長官の死後、孤高の存在であったFBIも司法省やホワイトハウスからの干渉が入るようになった。 すべての組織から独立し、アメリカの正義を守る存在としてのFBIを守ろうとする副長官のマーク・フェルト(リーアム・ニーソン)だったが、長官代理は司法省からやってきたパトリック・グレイ(マートン・ソーカス)。 FBI捜査官はそれまでずっと生え抜きの人間ばかりで、管理職に外部から人を迎えることなど考えられなかった。
 そんな折、大統領選挙の133日前に民主党本部に侵入したとして男たちが逮捕される。 容疑者たちはみな元CIAやFBIで、いきり立つ捜査員たちにグレイは「48時間以内に捜査を終えろ(つまり、間に合わなかったらそこで手をひけ)」と指示を出す。 この事件の裏には再選を狙うニクソン陣営のたくらみがあるのではないかとにらむフェルトは、表立って捜査できない代わりに<ニューヨーク・タイムズ>と<ワシントン・ポスト>にひそかに情報をリークする・・・という話。

  ザ・シークレット・マン4.jpg 敵を欺くにはまず味方から、とばかりに、フェルトはグレイの側についていると他の捜査官たちに思わせて憎まれ役を買って出るところがすごい。
 さすがフーバーに仕えた最後の副長官、組織の理念を守るためには身を捨てる覚悟である(しかしこの高潔さが本当ならば、その後FBIはずいぶんと堕落したということに・・・とはいえFBIの独立性を保つため、フーバー時代にかなりあくどい手で権力者たちのスキャンダルなどを手に入れていたのも事実である)。
 邦題はともかく、原題は『マーク・フェルト:ホワイトハウスを震撼させた男』なので、映画は<ウォーターゲート事件>そのものよりもマーク・フェルトの人生に寄り添った形に。 だから余計事件について描写が最小限なのだろうか。 娘が行方不明とか(家出した模様)、奥さんと感情面ですれ違いがあるなど、「アメリカ的家族」からほど遠い彼の家庭は痛々しいが故に彼は余計仕事に邁進してしまうのだろうか。

  ザ・シークレット・マン2.jpg とはいえ、<FBI捜査官の妻>として全米転勤、いろいろ打ち明ける友人も作れない環境を続けたとあっては情緒不安定な奥様のことも責められない。 出番は少ないながらもダイアン・レインを配した理由はそこか。
 時代のせいもあるけれど、年齢の割にマークが老け込んでいるのは仕事のストレス&家庭のストレスなんだろうなぁ。 奥さんに「副長官になったんだから当然次は長官になると信じてこれまで我慢してきたのに」という気持ちがあるのはわからないではないのだが、それは夫の仕事であって妻には関係あるのか・・・と考えてから、アメリカのカップル文化の根の深さを思い知るのであった。 専業主婦(?)である彼女にとっては「フェルト夫人」という形でしか社会との接点がないのだ(そしてどうやら彼女は施設育ちらしく、普通の家庭というものを体験しないまま大人になった)。 彼女の人生もすごく悲しいのだ! 彼女を主役にしても映画ができそうなくらいなのに、サイドストーリー的に断片だけ語られてしまう哀しさですよ。

  ザ・シークレット・マン1.jpg それにしてもブルース・グリーンウッドは渋くてかっこいい!!
 フェルトとは長い付き合いらしい<タイムズ>のベテラン記者という役どころですが、超似合う! はまりすぎて意外性ゼロなほどである(出てきた瞬間から、悪い人ではないことが一目でわかるというか)。 彼に情報をリークするのかと思いきや、付き合いがあることからばれてはまずいということなのか、意味深な会話で一回目の会見は終わる。 このあたりぐらいから『大統領の陰謀』と裏返しの構造になっていく感じですかね。

  ザ・シークレット・マン6.jpg いつも同じ電話ボックスから新聞社に電話。 今だったら逆に足がつくよ?
 『大統領の陰謀』と同じような場面はあっても、あくまで視点はフェルト側から。 自分が「ディープスロート」と名付けられたことに戸惑う表情が面白かった(『ラブレース』で知ったのだが『ディープスロート』とは当時大人気だったポルノ映画のタイトルからきていたのよね。 あたしは『Xファイル』で「密告者」の代名詞として使われていたのが最初の記憶だけど)。
 そんなわけで、リーアム・ニーソン、ほぼ出ずっぱりです。 彼のシリアス演技を久し振りに堪能したい方は是非。 アクションはまったくありませんので。
 ホワイトハウスのジョン・ディーン(マイケル・C・ホール)、FBIのチャーリー・ベイツ捜査官(ジョシュ・ルーカス)、最後だけちょっと顔を出す弁護士(?)にノア・ワイリーなどなど、主に映画に出る人・テレビドラマでおなじみの方々が混在しているのがなんだか興味深かった。 かつての映画界とテレビ界の分断時代は完全に終わったんだなぁ、と改めて実感。
 ニクソンが失脚する過程は『フロスト×ニクソン』で一部描かれてはいるけれど、この映画では結構バッサリ(ニクソン役の俳優はいなく、当時のニュース映像だけで構成しているせいもあり)。 マークの立場では直接大統領に会うことはなかった、ということでもあるのかも。
 しかしフェルトが「自分がディープスロートである」と認めたのが2000年代に入ってから、というのが驚き(推測はされていたんだろうけど、はっきり認めてはいなかったのだな)。 彼のジャーナリストとの対談(?)が原作のようで・・・だから彼の人生に多少重きを置いたんだろうな。
 でも<ウォーターゲート事件>やニクソン政権について予備知識ゼロだとかなりきつい。 そのかわりちょっとでもあればとっつきやすい。 あたしは映画で得た知識しかありませんでしたが大丈夫でした。

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2018年03月14日

15時17分、パリ行き/THE 15:17 TO PARIS

 映画の公開日が来てしまったので、原作はあとまわしに。
 「テロを未然に防いだ物語」として期待すると肩透かしにあう危険があるので、注意が必要かと。 これは「三人の友情と成長がたまたまテロ事件とリンクしてしまった、<運命>を描いた物語」なのである。

  15時17分、パリ行きP.jpg その時、3人の若者が乗ったのは運命の列車だった。

 スペンサー・ストーンとアレク・スカラトス、アンソニー・サドラーは幼馴染み。 それぞれに違う道を進んでいたがずっと連絡は取り合っていて、2015年の夏は一緒にヨーロッパに旅行に出ようと約束する。 子供の頃の彼らはなんとなく“負け組”で、うまく学校社会になじめなかったが「いつか人の役に立ちたい」と願ってはいた。 スペンサーは夢見がちだが飽きっぽく、将来の夢がころころ変わるが、ついに空軍の空挺部隊に入ることを決めるものの、他の二人に「またかよ」と言われ真剣に一念発起。 それを見たアレクは州兵として戦地に向かう。 アンソニーは大学生になっていた。
 ヨーロッパへはまずイタリアへ。 そして8月21日のアムステルダム発パリ行きの電車に乗り合わせることに・・・という話。 

  15時17分、パリ行き1.jpg 男三人の旅行はにぎやか。
 実際に体験した本人で撮影するという<再現ドラマ>は、実際のニュース映像に映る本人たちと違わない(確かに少し若いけど)ので、その違和感を防ぐ効果はある。 が、あたかも全編ドキュメンタリーであるという錯覚は起こさせないようにできているのが、イーストウッド的映画の効果というべきか。
 とはいえ回想の子供時代は子役が演じているので、そのへんで話に引き込まれれば大人になってからの転換にうまいことのっていける感じがある。三人、特にスペンサーが妙に芝居がうまいので、普通に無名の役者さんがやってるのかな、と事前知識がなければ思うのではないだろうか(最後のほうの実録映像見て、本人たちだと知ってびっくり、みたいな)。
 学校時代は規則を守らないからとよく校長室に呼ばれ、「ああいうこと付き合っちゃいけません」と言われてしまうが故に三人は孤立し(というか三人で団結しちゃうから本当の孤立ではないんだろうけど)、家の裏の森でサバイバルゲームにいそしんでしまう日々を送っている。 ここだけ切り取ると、「学校で銃乱射事件を起こしてしまう犯人」の子供時代とも読めてしまいそうなんだけど、彼らの言動から「根はいい奴らなのね」ということがわかる。 だから旅の過程でちょっとおとぼけをしようとも、「あぁ、若いねぇ」という目で見てしまう。

  15時17分、パリ行き2.jpg お母さんたちは誰よりも素晴らしい理解者で。
 お母さんたちもシングルマザーであるため、カトリック系の学校からは差別的もしくは偏見の目で見られてしまっていた。 だから学校の先生の言うことよりも自分の息子たちのことを信じた(明確に医学的診断がおりていないのに、「ADHDの薬を飲ませろ」という先生はなかなかに強引である)。 学校でうまくやれなくても、他に才能を発揮できる場所がある可能性に賭けたのである。
 だから、特にスペンサーが軍隊に入り、訓練で問答無用にしごかれつつも食らいついていく様は、「ある種の人たちにとって<軍隊>というのは、初めて得られる自分の居場所なのかも」と思わされたりして。 勿論、戦争をしないことが前提ですが、<軍隊という組織>の利点についてはもっと考えられていいかもしれない(軍事機密だから、とか閉鎖的になったり秘密主義になったりすると困りますが)。

  15時17分、パリ行き3.jpg 飲んだくれおじさんにアムステルダム行きを進められる。
 すごく楽しくていい場所だぞ、といわれ、クラブでどんちゃん騒ぎ・・・翌朝はコーヒーも飲めないくらいの二日酔いで水ばかり飲んでいる。 一体どんだけ飲んだんだよ・・・。
 そんなアムステルダムの朝のカフェの場面では、カットが変わるごとにグラスの水の量が変わっていたので・・・ナチュラルなドキュメンタリータッチで撮っているように見せているけど、結構回数繰り返し撮っているのだな、と驚く。
 途中、パリに行かない、という選択肢もあった。 バーでおじさんに会わなかったらアムステルダムにも行っていなかったかもしれない。 自撮り棒を持った気の置けない男三人ぶらぶら旅は、結果的に運命の列車に辿り着いてしまう。
 テロ犯はイスラム過激派らしいが、この映画ではその程度の情報しか得られない。 犯人の内面に踏み込むことも一切しない。
 三人以外の乗り合わせた乗客たちについても、列車での会話などでわかる以上の描写はなく(それでも、実際に列車に乗り合わせた人なども撮影に参加しているらしい。 ロケ地や列車も実際と同じものだとか)、“袖振り合うも他生の縁”を描いているかのようだ。
 未遂に終わったテロ事件、ということは「長期化しなかった」ということでもある。 テロ犯にあらがった乗客は他にもいたが、息の合った幼馴染み三人によるコンビネーションプレイが勝利の決定打になったのは間違いない。 この説得力のために、三人のこれまでの人生を見せてきたんだな、と感じるほど。
 多分、事件だけを描こうと思ったら映画にならないし、犯人側の背景を描いちゃったら憎しみの連鎖は終わらないし、<アメリカの正義>ばっかり描くのもあれだし、三人の青春ロードムービーにしちゃおう、と思ったのだろうか。 結果的に彼らは子供の頃から押し付けられた<負け犬>のレッテルを返上し、ヒーローとして故郷に凱旋する。
 まだ20代の彼らの人生はこれからだけど、多分忘れることのできない事件の記憶を<再現ドラマ>として追体験したことは事件関係者のみなさんにとってはもしかしたらこの上ないセラピーになったのではないだろうか。 ふと、そんな気がした。

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2018年03月13日

ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ/THE BIG SICK

 これは予告を見たときに、「異文化コメディか・・・まさにトレンドだな」とぼんやり思ったのだが、実は実話だと知る。 しかも自分で自分の役をやるという(脚本も当事者二人が書いている)。 コメディのふりをした再現ドラマ? でも、そういうのも<ナチュラルテイスト>が好まれる昨今の流れだから成立するのかも。

  ビッグ・シックP.jpg 逆境よ、ありがとう?!
   家族は交際反対、彼女はまさかの昏睡状態?!

 パキスタンからの移民であるクメイル(クメイル・ナンジアニ)はスタンダップコメディアン。 医者か弁護士になってほしいという家族の期待を裏切ってしまっているが、そんなパキスタン文化とアメリカ文化との日常の違いをネタにしている。 ある日の舞台のあと、観客だった大学院生エミリー(ゾーイ・カザン)とバーで会い、話し、意気投合する。
 が、クメイルは家族、特に母親からお見合いを進められており(お見合い結婚しか許されないのがパキスタン文化らしい)、エミリーにそのことは言えず、母親にも白人女性と付き合っていることが言えない。 普通のアメリカ人であるエミリーはクメイルを自分の家族に会わせたがり、自分もまたクメイルの家族に会いたいという。 煮え切らない態度のクメイルを不審に思っていたエミリーは、クメイル宛の大量のお見合い写真と釣り書きを見つけてしまい、事実を知る。 大げんかした二人はその場の勢いで別れるが、数日後、エミリーの友人から「エミリーが原因不明の病気で入院している」という電話があり・・・という話。

  ビッグ・シック3.jpg スタンダップコメディとはソロの漫才みたいなもの?
 意外にも面白い会話劇であった。
 マシンガントーク、というほどではないけれど、登場人物それぞれのキャラクターが会話のトーンの違いであらわされ、類型的に見えてしまいがちな脇役たちをイキイキとさせる効果が。 特にクメイルのコメディアン仲間たちの毒舌まみれの友情とか、クメイルの家族の食卓の様子とか。 ライヴでやるパキスタン自虐ネタもどこに向けているのか少々わかりづらく、コメディアンとしてブレイクできないクメイルのリアルをよくあらわしている。
 クメイルが兄とカフェで喋っているうちについケンカ腰になった途端、周囲のお客さんたちの視線に気づき「テロには反対です」と意見表明をしてしまうところなどは、つい「笑ってよいのか」と考えてしまうあたしはダメな日本人です。

  ビッグ・シック4.png お互い、今は真剣に恋愛している余裕はないから、と言いながらなかなか離れられない二人。
 この二人が付き合い始めていく過程が面白かった。 エミリーはセラピスト志望だが、学んでいるかもしれない心理学的テクニックみたいなものを恋愛には一切持ち込んでない感じが余計に彼女をキュートに見せていて、「そりゃ、クメイルくんがんばっちゃうよね」と納得(ステージのネタよりも彼女との会話のほうが面白いんだから仕方ない)。
 でもエミリーが大事になればなるほど、クメイルは自分の家族が重荷になっていくのもわかるんだけど・・・両方にいい顔をしようとするからダメなんですよ。 その優しさは優柔不断ってことだよ!、とあたしは警告したかった。

  ビッグ・シック2.jpg 実家はいろいろめんどくさい。
 厳格な父親、絶対家長制度という言葉が思い浮かぶが、実は家での実験を握っているのは母親だというよくある家庭。 ただし、パキスタン式であることが絶対だというのが厄介で。 日本にいると人種うんぬんより「会話が通じるか通じないか」のほうが重要に思えるんだけど(言葉が通じれば文化の違いもお互い説明しあえるし、歩み寄る点が見つけられると思うのだが)、<人種のサラダボウル>と呼ばれる地ではそんな甘い考えなど通用しないらしく、最初から“人種”という言葉が出てきてしまう。
 だけど、パキスタンを自分たちの意志で出てきたのに、今はアメリカに住んでいるのに(つまりアメリカ人なのでは?)、パキスタンの伝統が絶対となってしまうのは何故なのか。 ちなみにご両親は回教徒であるようだが、クメイルくんは信仰していない(またそれをはっきりさせると大問題になるのがわかっているので、両親の誤解を利用してごまかしている)。
 あぁ、だからクメイルくんの自虐ギャグは痛々しいのか。 自分のルーツはパキスタンだけどその文化に両親のように盲目的には従えない、でも見た目で南アジア方面の人だとわかってしまうからアメリカ人にもなり切れない。 そこを乗り越える強さがあれば、文化の違いを乗り越えられる。 必要なのは自虐ではないもっと大きな笑いでありユーモアだ。

  ビッグ・シック1.jpg そんなとき、病院でエミリーの両親と出会う。
 母親のベス(ホリー・ハンター)は初対面から「あなたが娘を捨てたクズね」と敵意丸出し(ま、そりゃそうだろう)。 父親のテリー(レイ・ロマノ)はベスと正反対の性格で、病院で娘のためにしてくれたことをクメイルに感謝する。 つまりはそれだけエミリーが両親にクメイルのことを話していたのだろうな、と感じるし、エミリーがそうであるようにこの二人もクメイルの人種を意識していない(ベスが怒っているのはクメイルが娘を傷つけたからだ)。 エミリーは昏睡状態になってしまうけれど、眠っているエミリーを囲んだ三人の関係性がとても興味深い。 でも残念ながらその場の主役のエミリーは三人の間に起こったことを知ることができないのであるが・・・。
 テリーがクメイルにいった言葉、「君は今のところ優れたコメディアンだとは言えないが、コメディアン以外の職業にも向いていないね」(正確ではないがこのようなニュアンスだった。 二人はクメイルのライブも観に行ったのである)があたしはすごく気に入った。 テリーのユーモアと気遣いを感じたよ。
 そして迎えるエンディングでは、冒頭のほうのある会話にプラスアルファしたような会話が再現されることになり・・・そこでものすごくじんわりとするのであった。 会話劇であることの効果を最大限に利用したその部分がこの映画のいちばんの見どころの一つで、でもそれを味わうためにこれまでの会話が必要だったんだなって。
 誰もが日常に使う会話。 あぁ、もっと伝わる言葉を意識して選ばなきゃ。 そんなことも思わされたかな。

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2018年03月12日

今日は7冊。

 あぁ、もう3月も3分の1が過ぎちゃいましたよ。 なんかいろいろやばい。 もう蒸し暑さの気配を感じ取っているし。 あたしにとって長い季節がもうやってきてしまうのだわ。 いまいち冬を実感できないままに。

  マロリー10生贄の木.jpg 生贄の木/キャロル・オコンネル
 <キャシー・マロリー>シリーズももう10作目。 一時期の「邦訳が出るのパタッと止まったまま」だった時期が懐かしいくらいだが、このままの状態で進んでほしいものである。 あたしが読むのは追いつけてませんが(でも買っておかないといつ絶版になるかわからないからな)。

  マイロ・スレイドにうってつけの秘密.jpg マイロ・スレイドにうってつけの秘密/マシュー・ディックス
 <「秘密」をめぐる奇妙で愛おしい物語!>というコピーにつられ。 しかもマイロ・スレイドは子供かと思いきや33歳の訪問看護師。 ユーモアミステリ系かしら、と思い。

  ペインスケール ロングビーチ市警殺人課.jpg ペインスケール ロングビーチ市警殺人課/タイラー・ディルツ
 『悪い夢さえ見なければ』の続編。 というか<ロングビーチ市警殺人課>シリーズの第二弾。
 警察小説がすっかり定番となってしまっていることに自分でもびっくり。 世界各国の警察事情になんとなく詳しくなってきた気さえする。 やはり今の時代、素人探偵はなかなか存在が難しいですなぁ。

  ソウナンですか?2.jpg ソウナンですか? 2/【原作】岡本健太郎・【作画】さがら梨々
 『山賊ダイアリー』作者原作による、JKサバイバルもの2巻目。
 でも話としてはあまり進んでいない・・・一通りのサバイバル術を描き切るまで続くのなら、結構長くなるのでは?!、と思い始めた。 どうでもいいが妙なエロ目線描写、いらないから・・・こんなんで男性読者はよろこぶだろうと思われているのかと仕事場の人にグチったら、「いや、狙っているというか、今どきはこれくらいが標準なんじゃ?」と諭される。 あぁ、あたしは長らくキヨラカな少女マンガの世界に住んでいたんだわ!

  誰が音楽をタダにした.jpg 誰が音楽をタダにした?/スティーヴン・ヴィット
 以前に比べて、CDを買わなくなりました(それでもまわりを見ると、あたしはまだ買っているほうである)。 それはほしい洋盤の日本盤が出ない・輸入盤すらも時に入ってこないという状況があり、あたし個人がダウンロードで音楽を買おうとしないから。 定額制ストリーミング配信にも懐疑的。
 いつからこうなってしまったんだろう、という漠然とした疑問に対して、この本が説明をくれそうな気がする。

  生か、死か1.jpg生か、死か2.jpg 生か、死か/マイケル・ロボサム
 CWAゴールド・ダガー賞受賞作品と言われると「おおっ!」となる。 しかも本作はMWA最優秀長編賞最終候補でもある。
 ガラスの鍵賞とかもそうですが、受賞作の大概が面白かったという過去の実績があれば新しい作品にもおのずと期待をしてしまうわけで。 むしろ芥川賞・直木賞のほうが当たりはずれがある印象(日本推理作家協会賞や吉川英治文学新人賞のほうが好みに近い傾向が)。 そういうのがわかっていれば、「このミス1位!」の看板にだまされた、と悔しがる必要はない。
 それでなくとも「ノンストップ群像劇」だそうなのである。 好みです。 しかも翻訳:越前敏弥!
 もともとはポケミスで出たものの文庫化。 最近、ポケミスと文庫版同時刊行も増えてきたけど、全部ではないんだよなぁ。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年03月10日

プルーフ・オブ・ヘヴン/エベン・アレグザンダー

 <天国の証明>というものすごくタイトルですが、いわゆる「臨死体験もの」に分類されるものかと思います。
 ただ、この場合体験した著者が現役の医師であったことが他の体験ものよりも信憑性あり、という感じですかね。
 なにしろ、“名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたエベン・アレグザンダー医師”ですから。
 とはいえあたしは「臨死体験」に並々ならぬ興味があるわけではなく・・・(ないわけでもないですが、という程度)、むしろこの本を著者の特別な体験にプラスした自分の人生を語るエッセイ集として楽しみました。

  プルーフオブヘヴン文庫.jpg なにせ著者を突然襲う病気が、とても珍しいものなので。
 エベンはある日、背中に激痛を感じた。 お風呂に入って温まったらよくなったので安心していたら、翌朝さらなる激痛に襲われる。 あまりの苦しみように妻のホリーは救急車を呼ぶというが、医師として自分の勤務する病院のERに運び込まれることを恥と感じたエベンは(医師はほぼそう思うらしいが)救急車を固辞、「少し休んだらよくなるから」とベッドに横になる。 二時間後、様子を見に来たホリーは意識を失っている夫に気づき、救急車を呼ぶ。 ERに運ばれた頃にはエベンは痙攣発作を起こしており、脳血管障害の症状を示していた。 腰椎穿刺検査により大腸菌性髄膜炎と診断されるが、大腸菌がそのような悪さをする相手は新生児から生後数か月の子供が多く、成人が感染することは限りなく稀である。 しかしひとたび感染してしまえば年齢に関係なく死亡率は40%〜80%、ましてエベンのように意識不明になってから運ばれてくるということはすでに重症化しているということで、致死率は90%以上、更に昏睡に陥った場合生還率はほぼゼロであるらしい。 なにしろ医療ドラマを山ほど観てきているので、こういうところが面白い!
 本人は昏睡状態なので、あとで人から聞いた病室・病院の様子と、昏睡状態の中で自分が体験したことをほぼ交互に短い章立てで書いている、という構成。 その中で著者は妻との初デートのことやら、果ては自分が養子であることなど、極めてプライベートなことも書き綴っているので、そのあたりがエッセイ的で興味深い(でもそのあたりに触れていなければ、臨死体験で見たことを説明できないという都合もあるのだが)。
 そんなわけで面白いは面白いんですが・・・彼がキリスト教徒であるせいか発想がそこからなんですよね。
 <この世>と<あの世>があって、<あの世>をのぞいて帰ってきた・・・ということで説明できちゃうのでは?、と感じてしまったあたしは日本人です(解説によると世界の中でも「他界観」―つまり<あの世>と<この世>―をもっともはっきり持っているのは日本人であるらしい)。 臨死体験を信じる信じないの前に、あたしは慣習的に<あの世>が存在すると受け入れているわけですね!
 本書を発表後、著者は世界中で講演したりダライ・ラマと対談したりしてるみたいなので・・・考え方が今では変わっているのかもしれず(続巻『マップ・オブ・ヘヴン』があるようです)。 そして自分の体験がキリスト教だけでは説明できなくなっていると認めたことで、キリスト教者からは反論が出たりしているらしい。 なんだかちっちゃいなぁ。
 筆者の<臨死体験>が脳の誤差でではないこと(そもそも病状から脳の多くの部分にダメージを与え、損害がなくとも機能していないと考えられた)、治療過程による投薬等の影響でもないことを仮説ながら医学的に検証しているのも面白い。 でも医学で解明できることは一部でしかないんだけどね。
 そもそもなんで大腸菌性髄膜炎になってしまったのかも原因不明だし。 そこは海外ドラマのように、答えは出なかったらしい。

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2018年03月08日

ドクター・スリープ/スティーヴン・キング

 図書館予約本が一段落すると、次は何を読むかで悩む。 いや、読みたいものはたくさんあるので、「どれを先に読むか」で悩む。 同時並行で何冊か常に読んでますが、勢いがつけば一気読み。
 これも、そんな作品でした。
 『シャイニング』の36年後の続編。
 とはいえ、あたしが『シャイニング』を読んだのはかなり前のことで・・・しかも映画版のほうを先に観てしまったという(映画にいまいち納得がいかないところがあったので、それを埋め合わせたくて読んだのだが、結構違う話だったので衝撃を受けた。 古典的ゴーストストーリー×超能力だった)。 『ドクター・スリープ』単独でも楽しめる(でも深くしみるのは『シャイニング』を読んでいる人)という評判を受け・・・昔読んでるんだから、これを読んでいるうちに思い出すのでは?、とローティーンだったころに自分の記憶力に期待してあえて復習はしなかった(映画もあの頃、一回観た限りだが・・・意外と覚えていたりするから)。

  ドクタースリープ1.jpgドクタースリープ2.jpg あぁ、読み終わると表紙の意味がわかるなぁ・・・。

 <オーバールック>ホテルでの惨劇をからくも逃れたダニーとその母ウェンディのその後の暮らしから始まる。 序章に当たる<その日まで>を読むことで、読んだことのある人は『シャイニング』の記憶がよみがえる(読んだことのない人は、ここで必要最低限に知識を得られる)。
 そして物語は一気に30年後に。 少年だったダニーはすっかり大人になり、あの頃恐れていたはずの“父親”と同じ道を辿っている。 ひとところに落ち着けず、ついにティーニータウンに流れ着いたダニー(正確にはダン・トランス)は不思議とこの土地に落ち着けるような気がして、そしてダンに手を差し伸べる理解者とも出会い、彼の人生はようやく一ヶ所に立ち止まる。 “かがやき”の能力は年齢とともに弱まってはいたが、完全に失われたわけではなく、ホスピスの職員として働きながら旅立つ人々の手助けをするように。
 そんなダンの静かな生活はすぐに終わりを告げる。 ダン以上の“かがやき”を持つ少女アブラからの接触があり、“かがやき”を持つ子供たちを長年の間餌食にしている<真結族>という存在がアブラを狙っているという。 ダンはアブラを救うことができるのか!、という話。

 前作が<ゴーストストーリー×超能力>ならば、今回は<吸血鬼(のようなもの)×超能力>。
 ダンが大人になっている場面には衝撃を受けた! というか、どん底にいるある人のくだりを読んでいて、それが少年ダニーののちの姿であるとわかったときの驚きときたら! 勿論、作者はその効果をわかったうえで書いているんだろうけど、まんまとやられました・・・。 その物語はひとまず終わりを告げるかもしれないけれど、そのあとは読者が思う以上にハッピーとは限らない、という哀しさを見せつけられ。 だからダンが立ち直っていく様、彼が自分が思うところのそれなりの人に近づいていくのがうれしかった。
 この物語的にはアブラの存在が結構大きく、ダンの出番が少ないのでは?、と思える部分もあるものの、かつてジャック・ハローランがダニーを導いてくれたように、今度はダンがアブラのメンターになる番。 人生はそういう順送りですよ、というのがしみじみと感じられ、時間の経過と自分も年を取ったという感慨があります。
 今回の敵<真結族>は“かがやき”を持つ子供たちを極限まで痛めつけ、最後に吐き出される“命気”をエネルギー源とする種族。 勿論、そうされた子供たちは死んでしまうので(場合によっては被害者は子供でないこともあるが、命気の純度は子供のほうが強いから)、吸血鬼的なイメージで。 上巻のはじめのほうで<真結族>がある人間を自分たちの仲間にする儀式の様子が、あまりにも邪悪すぎるポーの一族という感じで心底ぞっとする(そう思うとキング・ポーは優しかった)。 が、そんな<真結族>も物語が進むにつれて無敵ではないことがわかってくることで、逆に悪役として魅力的に見えてくる面白さ。
 ダンとアブラの出会いが偶然にしてはできすぎていると感じても、本編では「偶然と呼べることは何もない」と繰り返され、すべてが必然であったかのように読者も感じてしまう。
 キングの初期作品にあったものにくらべ、中期以降の作品は<語り>の勢いが強くなって、「ときにはちょっと無駄な部分もあるんじゃないの?」と思ったりもするんだけど・・・本書『ドクター・スリープ』にもその傾向は多々あるんだけど、その無駄にも見える過剰な語りが独特のリズムを産み、結果的に読まされてしまうという。 多分、それはあたしが慣れてしまったからで、これからスティーヴン・キングを読む人はそれこそ『シャイニング』や『デッド・ゾーン』あたりから入ったほうがいいと思う。
 実際、あたしは子供の頃はキングが苦手で(理不尽に子供が死ぬから、という理由で。 子供の頃のあたしは結構まともだったなぁ)、高校生で映画『デッド・ゾーン』を観て感銘を受け、原作を手に取って苦手意識がなくなった。 キング作品の映像化には当たりはずれが多いが、きっかけとタイミングにはなるので・・・キューブリック版の『シャイニング』をキングは今も許してないみたいですが、まぁ映像化を許してしまったのだからそういう部分はあきらめるしかないかと。
 で、今回は普通に読んでいたのですが・・・エピローグに当たる<眠りにつくまで>でまさか泣かされるとは!
 電車の中で読んでいたのにあふれ出る涙を抑えられず、大変でしたわ。
 ちなみに『ドクター・スリープ』も連続ドラマ化決定だという話・・・確かにおいしいキャラクターが多いから、ドラマのほうが描きやすいとは思うんだけど、バトルシーンは映像化が難しいと思う。 やっぱりこれは、小説だからこそ成り立つ物語。

ラベル:海外ミステリ
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