2018年02月26日

グレイテスト・ショーマン/THE GREATEST SHOWMAN

 いつも言っていますが、あたしはミュージカルが苦手です。 ヒュー・ジャックマン大好きだけど、『レ・ミゼラブル』はちょっとつらかったし。 でも『ラ・ラ・ランド』はシンプルでよかったし、なにより楽曲がよかった。 そのソングライトチームが再びということだし、それに予告で観た曲がかなりよかった。 ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンが共演するのも楽しみ。 とか思っているうちに、3日間のオープニング興行成績がレミゼ越えでぶっちぎりの一位だというではないか。 ヒュー・ジャックマンも来日してキャンペーンにつとめてくれたこともあるし、やっぱり予告編がよくできてるし、それとも日本人、ミュージカル好きな人たちが増えてるとか? ともかく、うれしい結果でした。
 あたしは翌週のレディースデイ、レイトショーで鑑賞。 レイトショーでこんなに混んでるの(初日でも特別上映でもないのに)、久し振りだよ・・・。

  グレイテスト・ショーマンP.jpg 夢が、踊り出す。

 19世紀のアメリカ。 貧しい仕立て屋の息子P・T・バーナム(ヒュー・ジャックマン)は父の顧客でお金持ちの家のお嬢さんチャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)にふさわしい男になるため精一杯働き、どうにか体裁を整えてプロポーズに出向く。 チャリティの父親は「どうせ娘は(貧しい暮らしに耐えられず)すぐに戻ってくる」というが、チャリティはずっとバーナムを待っていた。 子供にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていたがバーナムが働いていた会社が破産して無職に。 妻のため娘たちのため、バーナムは大きな賭けに出ることに・・・という話。
 オリジナルのミュージカル映画、ということで筋立てはいたってシンプル。 貧しさから脱却しようと無我夢中だった主人公が成功を手にし、慢心してすべてを失い、初心を思い出して再出発、というよくある話。 でもこの映画が「よくある話」で終わっていないのは、キャスト人のはまり具合と楽曲のよさ故。 冒頭のシーンから、なんだかあたしは泣きそうになっちゃいましたよ。

  グレイテスト・ショーマン3.jpg 貧しくともしあわせ、を絵に描いたような時期。
 子供時代から大人になる瞬間、「ちょっと老けすぎでは!」と思ったりもするけれど、時間の経過はあれど老けメイクを誰もしないので、そのあたりは舞台的な方法論が採用されているのだろう。
 P・T・バーナム氏は“伝説のエンターテナー”と呼ばれる実在の人物ながら毀誉褒貶があり、そういう人を純真無垢的キャラクターとして描くのはいかがなものかという論議が本国ではあって、批評家筋の評価はあまり芳しくなかったようですが・・・それ、日本人にはあまりなじみがないし、ましてミュージカルにリアルを求めるわけもなく、そこは夢を見たっていいじゃないですか。 そもそもヒュー・ジャックマンが演じている段階で、「サービス精神旺盛な少年の心を持ち続ける男」であることは観る側は了解済みなわけで。
 で、予告編の印象では昨今はやりの『ズートピア』のような多様性バンザイ、という映画なのかと思っていましたが(勿論、その要素はありますが)、それ以上に「不条理に虐げられた人々が自分の居場所を、仲間を見つける話」でもあったのです!
 そこにあたしは、泣けた・・・。

  グレイテスト・ショーマン5.jpg 主題歌賞にノミネートされている“This Is Me”には、特にそのメッセージが色濃く。
 使われている9曲それぞれいいので、どれを主題歌に選ぶかも難しいぐらい。 まぁ、“This Is Me”か“The Greatest Show”になるんだろうけど・・・うおぉ、これはサントラ買うよ! 絶対欲しくなる!
 <見た目の変わった人>(それをバーナムは<ユニーク>といい、町の口さがない人々は<フリークス>と呼ぶ)のそれぞれが抱える孤独と苦悩をバーナムが一言ですくいあげる場面のたたみかけは、映画自体が重たくなりすぎないようとする配慮と、バーナムもまた貧しさ故に他から排除されてきたコンプレックスと共鳴するからだろう。 自分を自分で肯定することの大切さが痛いほどわかる(ただ、それは劣等感を持っている人の場合。 自己愛性人格障害と一緒にされては困る)。
 ショーは話題になり成功を収めるものの、所詮低俗な見世物と言われることに我慢のならないバーナムは、新進演出家として評価されてきたフィリップ・カーラール(ザック・エフロン)をショーを引き込むことにする。

  グレイテスト・ショーマン4.jpg この二人の掛け合いも最高!
 ザック・エフロン、ミュージカルで観るのはすごく久し振りな気がして(『ヘアスプレー』以来か?)、『ハイスクール・ミュージカル』時代はすごくかわいかったのに、最近のストレートプレイでは微妙な役が多かったから。 でも本作での彼はほんとに素晴らしくて、やっぱり彼はミュージカルの人だったのか!、と実感。 ヒュー・ジャックマンの影響を受け、彼に対抗するようにより力が発揮されているように見えるというか・・・もうこの映画、舞台にしちゃったらいいよ! それで10年後とかにザック・エフロンがバーナムの役をやったらいいんだよ!、みたいな「舞台劇における再演・キャスト世代交代について」まで考えさせられてしまいました。 前半では「バーナム役はヒュー・ジャックマン以外ありえないな!」と思ったのにね。
 勿論、映画でしか表現できないバーカウンターでのグラスのやり取りとかすごくかっこいいんだけど、舞台なら舞台で別の見せ方ができると思うし・・・それも観てみたいと思ってしまった。

  グレイテスト・ショーマン6.jpg レベッカ・ファーガソン、歌うますぎだよ!、と思ったら、そこは吹替だったようです。
 しかし更なる社会的成功・評価を求めるバーナムは、ヨーロッパで大人気の実力派オペラ歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)をアメリカに招聘、興行師として名をあげる。 そうなるともともとのショーのほうはフィリップに任せきりとなり、団員たちも見捨てられたような気持ちに・・・なんでしょうね、この流れ、わかっているのに泣いてしまうわ。 しかもジェニー・リンド自身も恵まれた出自というわけではなく、どれほどの賞賛と喝采を浴びようとも「誰も本当のわたしを見てくれない・認めようとしない」という渇望を抱えていて・・・誰も悪い人は出てこない、ただタイミングが悪いだけ(あとは偏見を解く機会を持てない哀れな人たち)という描かれ方は人間ドラマとしては浅いように見えるかもしれないけれど、ほんとは深いところまで掘ったけどあえて埋め直しただけ、なのです。
 それもすべて音楽が与える多幸感を優先した結果。

  グレイテスト・ショーマン2.jpg フィリップと空中ブランコ乗りのアン(ゼンデイヤ)との<身分違いの恋>も絡みます。
 この二人のデュエットもよかった。 ザック・エフロンのファルセットが聴けますよ。 ゼンデイヤはもともと歌手だということは知っていたので、安定して聴けた。 身分違いとはいっても白人と有色人種というだけのことなので(アメリカで名家と言ったって何代目までさかのぼれるんだよって話)、現代の視点からだと批判している人たちのほうこそ愚か者。 だけどこのあたりの場面で泣いている人たちが結構いて、「あぁ、涙のツボも人によって違うのね」と改めて感じるのでした。
 あ、でもむしろミシェル・ウィリアムズがあんなに歌えるということが驚きだった! 声量が少し足りないところはテクニックで補っていて、歌も演技も<表現>であることには違いがないのだな、と。
 とはいえ、いちばんすごいのはヒュー・ジャックマンであることは間違いがなく。 そりゃチャリティはバーナムについていくよね、娘たちはお父さんが大好きよね、フィリップもバーナムとの仕事を選ぶよねとしみじみ。

  グレイテスト・ショーマン1.jpg なるほど、サーカスの団長という様式美はここからきているのか。
 Show Must Go On=Life Goes Onなんだな、と思わされるエンディングに、涙が止まらない。 全体的にハッピーなオーラをまとっている映画なのに、エンドロールでも涙が止まらない。
 人生とは自分の居場所を見つける旅、でも見つけたからってゴールじゃない、その居場所を守るためにはどんな努力も惜しんではならない。 終わりはないけどその過程にいられればハッピーでいられるんだよ、という力強い人間賛歌。
 そりゃ、観たくなるよね。 口コミで広めたくなるよね。 この気持ち、わけあいたくなるよね。
 ミュージカルが苦手なあたしですが、この映画はミュージカルでなくてはならなかったので、その必然を受け入れます。 というかあたしが感じる不自然さがなかった! もしかしたら本来ミュージカルとはこういうものなのか!
 認識が、変わりました。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする