2018年02月07日

デトロイト/DETROIT

 なんとなく、アメリカではきっかけさえあれば頻繁に暴動が起こる、というイメージ。 だから「デトロイトの暴動」といわれても「いつのことですか?」って感じで。 そもそも日本にいると「何故“暴動”という発想が?」とつい不思議な気持ちになるので。 キャスリン・ビグロー新作であればドキュメンタリータッチだろうし、アメリカ現代史を見学しに。

  デトロイトP.jpg 1967年、米史上最大級の暴動勃発。町が戦場と化すなかで起きた“戦慄の一夜”。

 冒頭、切り絵的なアニメーションで、デトロイトが抱える構造的な問題が示される。 あまりにざくっとしすぎだけれど、ずっと黒人が割を食ってきて我慢も限界、という感じ。 そんな中、1967年に黒人が大量検挙される事件(?)があり、その理不尽さに怒りが爆発、一気に大規模な暴動に発展した。 大混乱に陥った街には警察の応援だけでなく州兵も動員され、マスコミも報道を繰り返す。 が、同じデトロイト市内でも燃え盛り人々が押し寄せる地域もあれば、それをリアルに感じられないのんきな地域があって・・・それが悲劇をより大きくしたような。 「スナイパーがいる」という情報に戦々恐々となる応援部隊は銃声が聞こえたアルジェ・モーテルに突入、宿泊客に対して尋問が行われるが・・・という話。

  デトロイト3.jpg 不満がたまっている気持ちはわかる。 けれど何故、自分たちが住む街を自分たちで火を放ち、破壊するのか。
 自分たちの街、という意識ではないのかも。 黒人たちが住んでいない地域=白人たちが住んでいる場所ならばどうなってもOKということなのか。 勿論、「こんなことをしても何の解決にもならない」と呼びかける黒人議員もいるが、その言葉は暴徒には届かない。 まるで『煽動者』のように、集団がパニックを引き起こし制御できなくなる状態そのままに。
 でも、そんな中で店に押し入って盗みをしたり・・・というのはちょっと違うような。 本気で怒っている人・この状況を利用する人・そこまでの大騒ぎだと思ってない人等、黒人の中でもいろんな人たちがいる。
 もともとデトロイトは工業都市なので、労働者の人口が多い(つまりこの時代では黒人をはじめとする有色人種が多い)。 けれど警察や行政といった部分は白人が担い、白人の中には「優越感と少数派であるが故の潜在的な恐怖」があったのではないかと察せられる。

  デトロイト2.jpg ウィル・ポーターくんじゃないか! 童顔のくせに(?)、ふてぶてしさを感じさせるほどの人種差別主義者を熱演。 <アルジェ・モーテル事件>のカギを握るパトロール警官で、ほんとにそんな人に見えてくるから不思議。
 自分に身の危険がなくても、平然とライフルを黒人に向ける。 「あとから正当防衛と細工しちゃえば、黒人なんていくらぶち殺しても構わない」と思っていることがまるわかりでとても恐ろしい。 ウィル・ポーターくんだとわかっていても、こわい。 こういう差別主義者を生み出す環境・背景を考えると気が遠くなる。 それを生み出す混沌が、アメリカという国が辿ってきた道なのだ。
 あえて日本に例えれば・・・百姓一揆とか打ちこわしに近いのか? リアルな情報がない時代の出来事だからあたしたちは教科書の一文としてしか読まないけれど、比較的近い時代に起こったことであれば詳細なデータが残る。 だから「アメリカは野蛮で日本は平和」とは考えてはいけないのだと思い知らされる。 身分や待遇の違いというものが長い間放置されている場所では、このようなことはどこででも起こる。
 ただ残念なのは、武器が強力であれば被害が大きくなる、ということ。

  デトロイト1.jpg 黒人だけれども、警備員としての立場で、状況をうまく収めたいディスミュークス(ジョン・ボイエガ)。
 DAY1、DAY2、と時系列で暴動の様子を追っていくカメラだが(ところどころで当時のニュース映像を挿入)、舞台がアルジェ・モーテルに移ってからはそれがなくなる。 描きたかったのは<アルジェ・モーテル事件>で、“デトロイト暴動”はその背景として必要だからか、と気づく。
 比較的第三者視点として描かれるディスミュークスの振る舞いは、人種である前にお互い同じ人間であることを意識し、相手にも意識させるもの。 それは彼がこれまでに身につけた処世術かもしれないけれど、大事なのはそこだよなぁ、と実感。
 けれどそこまで考えていない、もしくは発言する余裕もなくクラウス(ウィル・ポーター)たちの尋問に巻き込まれてしまった人たちにはいきなり地獄に突き落とされたも同然。

  デトロイト5.jpg 街が燃えていく。
 夜間外出令も出され、州兵が街角を埋めていく異様な状況に気づかないまま、いたずら心で競技用のスターターピストルを鳴らすなんて最悪だけど、本人は「こんなことになるとは思わなかった」の典型。 そのあとの過剰反応に巻き込まれた“普通の人たち”がなんでこんなひどい目に遭わなければいけないのか、あまりに理不尽で涙も出ない。 というかその場に居合わせられたかのような緊迫感に、呼吸をするのもためらわれる。 特に黒人ヴォーカルグループ<ザ・ドラマティックス>のリードシンガー、ラリー(アルジー・スミス)は繊細な芸術家肌故、強権的どころかむしろ脅迫も越えた尋問に耐えられなくなる様子は、ほんとうにつらい。
 「あれはおもちゃのピストルだ」と言えばよかったのかもしれない。 けれど彼らは経験からわかっている。 事実を言っても信じてはもらえないと。 下手なことを言ってどんな目に遭わされるかわからないと。 だから彼らは「何も知らない」としか言えないのだ。
 これを絶望と言わずしてなんと言う。

 ドキュメンタリータッチのキャスリン・ビグロー作品には、あまり有名な俳優さんは出ない。 特にメインでは。 でも脇では「おやっ?」という人が出ていたりするんだけど、今回はすぐわからない人が多かった。 特に尋問された一人でアップも多かった名誉除隊した元兵士はアンソニー・マッキーだったし、<アルジェ・モーテル事件>の裁判でクラウスたちの側に立ったイヤな弁護士はジョン・クラシンスキーだった。 エンドロールで気づく。
 なんだかもう、観ているこっちも燃え尽きてしまうくらいなのだ。 ラリーの心のように。 怒りを継続させるには膨大なエネルギーが必要で、それを執念で掘り起こしたこの映画のパワーはものすごい。

  デトロイト4.jpg でもラリーの歌声に救われる。
 事実をもとに、一次資料にもあたってこの物語は組み立てられてはいるものの、当時の裁判でも明らかになっていないこともあり、推定・推測が入っている。 この映画を「100%事実」と受け止めることも危険であることも、この映画は示唆しているのだが、あまりに圧倒的な描写を前にその示唆は弱まってしまうような。
 いろんな意味で、こわい。
 上映後、売店を見たら、パンフレットは「入荷待ち」だった・・・きっと観た人の多くが背景をより知りたくて買っていくのだろうな。 それは「他人事として終わらせない」という気持ちのようで、あたしは買えなかったけど、ちょっと救われた気持ちになった。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする