2018年02月28日

グレイテスト・ショーマン/オリジナル・サウンド・トラック

 というわけで、早速買いました。
 というか、映画館と同じビルにタワレコあるんだけど、帰るときには閉まっていたので・・・夜中にネット通販でポチっとしてしまいましたよ。
 火曜日に映画を観て、金曜日に帰宅したらポストに入っていた。 土曜以降、ヘビロテです。

  グレイテスト・ショーマンサントラ.jpg 手書きポスター風。
 あ、そういえば映画のオープニングのタイトル表記が、エドワード・ゴーリー風の手書きアルファベットだったんですよ。 このジャケットとはちょっと違ってて。

 全11曲(ほんとは9曲だけど2曲はリプライズ)、39分。 聴いてたらあっという間に終わります・・・だからリピートにしちゃってエンドレスとなっております。
 あたしが購入したのは日本盤ですが、輸入盤にも歌詞カードがついてそう・・・収録楽曲数は変わらないので輸入盤でもよかったかな?
 とはいえ知らなかったこと発覚。 この映画自体7年越しの企画だったこと(最初の段階からヒュー・ジャックマンは関わっている)、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールは『ラ・ラ・ランド』よりもこっちのほうを先に手掛けていたこと(舞台で実績を積んではいたが、映画関係者にはその当時、二人はほぼ無名)。
 なるほど・・・ヒュー・ジャックマンの力の入れ具合の理由がわかった気がします。
 歌詞カードを読みながら一回通して聴く・・・あぁ、字幕で追いきれなかった意味がしみ込んでくると同時に、映像もよみがえる。 サントラでじんわりしていたのに、だんだん物足りなくなってきた。 映画また観たい!
 ちなみにジェニー・リンドとして歌っているのはLoren Allredという方でした(エンドロールでは「レベッカ・ファーガソンではない」と確認するのがせいいっぱいだったのです)。
 “This Is Me”のリードをとっているのはヒゲの歌姫レティことキアラ・セトル。 彼女はプロモーションでヒュー・ジャックマンと一緒に来日してましたが、劇中のメイクがすごすぎて同一人物とは思えなかった・・・。 アカデミー賞授賞式では歌ってくれるんでしょう、すごく楽しみ! ←今年も衛星生中継を見るために3月5日は有給休暇を取りました。
 ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンの“The Other Side”もやはりすごく楽しい。 でも3分34秒しかないのだ! 映画ではもっと長かったと思う・・・あぁ、やっぱり映画もまた観たいじゃないか!
 だけどそうしたら、観ながら自分も歌ってしまうわ・・・『アナ雪』現象を責められない(いや、あたしは責めてないけど、他人事だった)、と自覚。

ラベル:洋楽
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2018年02月26日

グレイテスト・ショーマン/THE GREATEST SHOWMAN

 いつも言っていますが、あたしはミュージカルが苦手です。 ヒュー・ジャックマン大好きだけど、『レ・ミゼラブル』はちょっとつらかったし。 でも『ラ・ラ・ランド』はシンプルでよかったし、なにより楽曲がよかった。 そのソングライトチームが再びということだし、それに予告で観た曲がかなりよかった。 ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンが共演するのも楽しみ。 とか思っているうちに、3日間のオープニング興行成績がレミゼ越えでぶっちぎりの一位だというではないか。 ヒュー・ジャックマンも来日してキャンペーンにつとめてくれたこともあるし、やっぱり予告編がよくできてるし、それとも日本人、ミュージカル好きな人たちが増えてるとか? ともかく、うれしい結果でした。
 あたしは翌週のレディースデイ、レイトショーで鑑賞。 レイトショーでこんなに混んでるの(初日でも特別上映でもないのに)、久し振りだよ・・・。

  グレイテスト・ショーマンP.jpg 夢が、踊り出す。

 19世紀のアメリカ。 貧しい仕立て屋の息子P・T・バーナム(ヒュー・ジャックマン)は父の顧客でお金持ちの家のお嬢さんチャリティ(ミシェル・ウィリアムズ)にふさわしい男になるため精一杯働き、どうにか体裁を整えてプロポーズに出向く。 チャリティの父親は「どうせ娘は(貧しい暮らしに耐えられず)すぐに戻ってくる」というが、チャリティはずっとバーナムを待っていた。 子供にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていたがバーナムが働いていた会社が破産して無職に。 妻のため娘たちのため、バーナムは大きな賭けに出ることに・・・という話。
 オリジナルのミュージカル映画、ということで筋立てはいたってシンプル。 貧しさから脱却しようと無我夢中だった主人公が成功を手にし、慢心してすべてを失い、初心を思い出して再出発、というよくある話。 でもこの映画が「よくある話」で終わっていないのは、キャスト人のはまり具合と楽曲のよさ故。 冒頭のシーンから、なんだかあたしは泣きそうになっちゃいましたよ。

  グレイテスト・ショーマン3.jpg 貧しくともしあわせ、を絵に描いたような時期。
 子供時代から大人になる瞬間、「ちょっと老けすぎでは!」と思ったりもするけれど、時間の経過はあれど老けメイクを誰もしないので、そのあたりは舞台的な方法論が採用されているのだろう。
 P・T・バーナム氏は“伝説のエンターテナー”と呼ばれる実在の人物ながら毀誉褒貶があり、そういう人を純真無垢的キャラクターとして描くのはいかがなものかという論議が本国ではあって、批評家筋の評価はあまり芳しくなかったようですが・・・それ、日本人にはあまりなじみがないし、ましてミュージカルにリアルを求めるわけもなく、そこは夢を見たっていいじゃないですか。 そもそもヒュー・ジャックマンが演じている段階で、「サービス精神旺盛な少年の心を持ち続ける男」であることは観る側は了解済みなわけで。
 で、予告編の印象では昨今はやりの『ズートピア』のような多様性バンザイ、という映画なのかと思っていましたが(勿論、その要素はありますが)、それ以上に「不条理に虐げられた人々が自分の居場所を、仲間を見つける話」でもあったのです!
 そこにあたしは、泣けた・・・。

  グレイテスト・ショーマン5.jpg 主題歌賞にノミネートされている“This Is Me”には、特にそのメッセージが色濃く。
 使われている9曲それぞれいいので、どれを主題歌に選ぶかも難しいぐらい。 まぁ、“This Is Me”か“The Greatest Show”になるんだろうけど・・・うおぉ、これはサントラ買うよ! 絶対欲しくなる!
 <見た目の変わった人>(それをバーナムは<ユニーク>といい、町の口さがない人々は<フリークス>と呼ぶ)のそれぞれが抱える孤独と苦悩をバーナムが一言ですくいあげる場面のたたみかけは、映画自体が重たくなりすぎないようとする配慮と、バーナムもまた貧しさ故に他から排除されてきたコンプレックスと共鳴するからだろう。 自分を自分で肯定することの大切さが痛いほどわかる(ただ、それは劣等感を持っている人の場合。 自己愛性人格障害と一緒にされては困る)。
 ショーは話題になり成功を収めるものの、所詮低俗な見世物と言われることに我慢のならないバーナムは、新進演出家として評価されてきたフィリップ・カーラール(ザック・エフロン)をショーを引き込むことにする。

  グレイテスト・ショーマン4.jpg この二人の掛け合いも最高!
 ザック・エフロン、ミュージカルで観るのはすごく久し振りな気がして(『ヘアスプレー』以来か?)、『ハイスクール・ミュージカル』時代はすごくかわいかったのに、最近のストレートプレイでは微妙な役が多かったから。 でも本作での彼はほんとに素晴らしくて、やっぱり彼はミュージカルの人だったのか!、と実感。 ヒュー・ジャックマンの影響を受け、彼に対抗するようにより力が発揮されているように見えるというか・・・もうこの映画、舞台にしちゃったらいいよ! それで10年後とかにザック・エフロンがバーナムの役をやったらいいんだよ!、みたいな「舞台劇における再演・キャスト世代交代について」まで考えさせられてしまいました。 前半では「バーナム役はヒュー・ジャックマン以外ありえないな!」と思ったのにね。
 勿論、映画でしか表現できないバーカウンターでのグラスのやり取りとかすごくかっこいいんだけど、舞台なら舞台で別の見せ方ができると思うし・・・それも観てみたいと思ってしまった。

  グレイテスト・ショーマン6.jpg レベッカ・ファーガソン、歌うますぎだよ!、と思ったら、そこは吹替だったようです。
 しかし更なる社会的成功・評価を求めるバーナムは、ヨーロッパで大人気の実力派オペラ歌手ジェニー・リンド(レベッカ・ファーガソン)をアメリカに招聘、興行師として名をあげる。 そうなるともともとのショーのほうはフィリップに任せきりとなり、団員たちも見捨てられたような気持ちに・・・なんでしょうね、この流れ、わかっているのに泣いてしまうわ。 しかもジェニー・リンド自身も恵まれた出自というわけではなく、どれほどの賞賛と喝采を浴びようとも「誰も本当のわたしを見てくれない・認めようとしない」という渇望を抱えていて・・・誰も悪い人は出てこない、ただタイミングが悪いだけ(あとは偏見を解く機会を持てない哀れな人たち)という描かれ方は人間ドラマとしては浅いように見えるかもしれないけれど、ほんとは深いところまで掘ったけどあえて埋め直しただけ、なのです。
 それもすべて音楽が与える多幸感を優先した結果。

  グレイテスト・ショーマン2.jpg フィリップと空中ブランコ乗りのアン(ゼンデイヤ)との<身分違いの恋>も絡みます。
 この二人のデュエットもよかった。 ザック・エフロンのファルセットが聴けますよ。 ゼンデイヤはもともと歌手だということは知っていたので、安定して聴けた。 身分違いとはいっても白人と有色人種というだけのことなので(アメリカで名家と言ったって何代目までさかのぼれるんだよって話)、現代の視点からだと批判している人たちのほうこそ愚か者。 だけどこのあたりの場面で泣いている人たちが結構いて、「あぁ、涙のツボも人によって違うのね」と改めて感じるのでした。
 あ、でもむしろミシェル・ウィリアムズがあんなに歌えるということが驚きだった! 声量が少し足りないところはテクニックで補っていて、歌も演技も<表現>であることには違いがないのだな、と。
 とはいえ、いちばんすごいのはヒュー・ジャックマンであることは間違いがなく。 そりゃチャリティはバーナムについていくよね、娘たちはお父さんが大好きよね、フィリップもバーナムとの仕事を選ぶよねとしみじみ。

  グレイテスト・ショーマン1.jpg なるほど、サーカスの団長という様式美はここからきているのか。
 Show Must Go On=Life Goes Onなんだな、と思わされるエンディングに、涙が止まらない。 全体的にハッピーなオーラをまとっている映画なのに、エンドロールでも涙が止まらない。
 人生とは自分の居場所を見つける旅、でも見つけたからってゴールじゃない、その居場所を守るためにはどんな努力も惜しんではならない。 終わりはないけどその過程にいられればハッピーでいられるんだよ、という力強い人間賛歌。
 そりゃ、観たくなるよね。 口コミで広めたくなるよね。 この気持ち、わけあいたくなるよね。
 ミュージカルが苦手なあたしですが、この映画はミュージカルでなくてはならなかったので、その必然を受け入れます。 というかあたしが感じる不自然さがなかった! もしかしたら本来ミュージカルとはこういうものなのか!
 認識が、変わりました。

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2018年02月25日

今日は10冊(その2)。

 引き続き、残りの4冊。

  王妃マルゴ06.jpg 王妃マルゴ 6/萩尾望都
 『王妃マルゴ』も6巻目!、と思うと感慨深い。 でも一冊における情報量が半端じゃないので、特に高校で世界史とらなかった(もはや歴史はマンガと映画でしか知識を得てない)あたしにはかみ砕いて理解するのがたいへん! この時期、イギリスでは・・・とか同時代のヨーロッパを全部把握できれば、結構詳しくなれるかも。
 でもそれよりも、マルゴのいろんな意味での彷徨のほうが気になっちゃって、ヨコシマな知識欲は後回しになってしまうのですが。 これも1巻からまとめて読みたいなぁ。

  もものききかじり2.jpg もものききかじり 下/今日マチ子
 下巻登場。 これにて完結、なれど、はっきりした終わりというわけではなく、主人公“もも”の日々はまだ続く。 というか、彼女の人生のほんのわずかな時間だけを切り取ったような、そんな感じ。
 全ページカラーなのがやっぱりよかったなぁ。 カラーの陰影が、言葉よりも雄弁に、その人たちの気持ちを物語る。

  パパトールドミーココハナ06.jpg Papa told me Cocohana ver.6〜星へ続く階段〜/榛野なな恵
 世界観がずっと変わらないことがすごいなぁ、と思う(単行本派なので、「あ、これってあのニュースがもとになってる?」と感じることもあれど、この世界の中にまとめられている)。 ヤングユー版が電子書籍化されたそうで、そのころと比べるとさすがに絵は変わっているけど(知世ちゃんももっと繊細なところがあった気が・・・)、でも今は今で、むしろ全体的に骨太になった感じがして今の時代に合っているような気がする。 ファンタジーを貫き通す、強さのようなもの。

  背教者ユリアヌス3.jpg 背教者ユリアヌス 3/辻邦生
 あぁ、なんか表紙が面白くない・・・。
 全四巻だし、統一されるのはそれはそれでいいんですけどね。 古典の風情をまとわせる、的な?

ラベル:新刊 マンガ
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2018年02月24日

今日は10冊(その1)。

 まだ立ち直れません。 油断すると泣く。
 でも反省しました。 仕事もできない、人としてもどうよ、というやつをいくら集めても漣さんとは等価にならない。 むしろ同じ土俵に上げてしまったこと自体、大変に失礼なことでした。
 でも、いざとなったらあたしは悪魔に魂を売ることも辞さないやつだ、とわかりました。

  コマドリの賭け1.jpgコマドリの賭け2.jpg コマドリの賭け/ジョー・ネスボ
 <ハリー・ホーレ>シリーズ第3弾。 とはいえ2冊目は未訳なので、今のところ『ザ・バット 神話の殺人』の直近の続きはこれ、ということになる。 これでやっとこのシリーズ、続きが読めるぞ・・・。

  そしてミランダを殺す.jpg そしてミランダを殺す/ピーター・スワンソン
 これは訳者の務台夏子さんが「ぜひ訳したい!」と自ら持ち込んだ企画に編集者がのっかったもの。 先が読めない!、そうな。 男女4人のモノローグで進行する、殺すものと殺されるものの攻防。 「どうしようもないやつは殺しても構わない」と考える登場人物がいるようです・・・ちょっと今、他人事じゃない感じ。

  月下の蘭 殺人はちょっと面倒.jpg 月下の蘭/殺人はちょっと面倒 /小泉喜美子
 かつての短編集、2冊合本。 これまで小泉喜美子の短編傑作選は中公文庫から2冊出てますが、編者の日下氏曰く「400ページ前半が歓迎される中公文庫」ではこの2冊合本ができず、数編を削るしかないため、「500ページの短編集を出してくれる創元推理文庫に引き取ってもらった」とのこと。 そうやって出版社を使い分けてるんだ! なんかすごいな!

  サイレントスクリーム.jpg サイレント・スクリーム/アンジェラ・マーソンズ
 イギリスの警察小説、と言われるとそれだけでなんか正統派の香りが。 しかもシリアルキラー物。 でも主人公はかなり型破りの警部さんのようです。 新たなシリーズ、また始まりました。

  アルカディア トム・ストッパード.jpg アルカディア/トム・ストッパード
 これは舞台が観たかったんですけどね、観れなくて。
 トム・ストッパードはちょっと難しいんだけど、なんか好き。 理系と文系を縦横無尽に橋渡しするというか、そういう区分け自体があまり意味がない、と考えているっぽいから。 文系でも理系でもない(どちらかになりきることもできなかった)あたしは、こういう空気感が心地よいのさ。

ラベル:新刊
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2018年02月23日

ジュピターズ・ムーン/JUPITER HOLDJA(JUPITER'S MOON)

 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』のコルネル・ムンドルッツォ監督新作、ということで。
 結果的に『ホワイト・ゴッド』を観ておいてよかった。 テーマは同じ線上にあると感じられたし。 もしこの映画がこの監督の初見なら、「なんか・・・わかったようなわからんような」になってしまうかも。 とはいえ、あたしも完全にわかったわけではないのですが、「なんとなくこういう感じかなぁ」と推測はできるというか。
 相変わらずあえての説明不足なのでね。 さすがハンガリー!
 映画の冒頭に、テロップが出る。 それによれば木星には67個の月(衛星)があり、そのうちの大きいもの4つはガリレオ・ガリレイが発見し、そのうちの一つをエウロパと名付けた。 衛星は厚い氷で覆われているが、その下には塩水が流れていて、生命体が存在する可能性が示唆されている、と。 衛星エウロパの綴りがほとんどヨーロッパであることに驚いた。

  ジュピターズ・ムーンP.jpg 世界が回り出す
   人生に敗れた男が出会ったのは、宙を舞う少年――

 シリアからの難民がハンガリーに続々密入国をしている。 アリアン(ジョンボル・イェゲル)も父とともにハンガリーにやってくるが、国境警備隊(?)に見つかり銃撃を受け、ちりぢりに。 逃げる途中で刑事のラズロ(ギェルギ・ツセルハルミ)に見つかったアリアンは、いきなり銃弾を胸に三発撃ち込まれ、その場に倒れる。 が、次の瞬間、アリアンの身体は自己治癒をはじめ、重力から自由になっていた。
 一方、医師のシュルテン(メラーブ・ニニッゼ)は過去に医療ミスを起こしたようで、難民キャンプで働きながら金を受け取って密入国を助け、その金で返済に充てる悪徳医師。 シュルテンはアリアンの能力を目の当たりにして驚くものの、「これは金になる」と踏み、行方のわからないアリアンの父を探して新しい生活を始めさせてやるとアリアンを取り込み、コンビを組むことになるが・・・という話。
 冒頭、様々な年齢の人々が貨物列車みたいな中にぎゅう詰めになっている場面から始まるのだが、「え、これ、アウシュビッツ行き?!」みたいな気配におののく。 服装や顔立ちなどで違うとはわかるのだけれど・・・不本意な人の大量移動というのは似てしまうのか、あたしが知っているものから似たものを当てはめてしまうからなのか。

  ジュピターズ・ムーン4.jpg 自分さえよければ、の男。
 シュルテンはもともといい医者だったんだろうな、という気配はある。 でもある程度割り切った、薄汚れた自分という自覚はあるらしい。 難民キャンプなどは(中の人は「強制収容所」と呼んでいたりするが)、架空設定だと思った。 『ホワイト・ゴッド』でも「ペットを飼うことに重税がかかる」という法律が施行された世界が舞台だったから。 ちょっとしたパラレルワールド展開が、宙に浮く能力を持つ人物に対して違和感をなくさせる効果があるのかな(何故アリアンがそうなったのかに対しての説明は一切ない)。 つまりアリアンは犬たちの発展形、シュルテンは飼い主の少女の変形と言えるのではないかと。
 でも、難民問題はヨーロッパ小国にとってはリアルな苦悩であるようで・・・完全なる架空設定というわけではないらしい(制作時は現状を大袈裟に描いたつもりだったが、公開時には現実に追いつかれたそうな)。
 字幕ではアリアンはずっと<少年>とされているんだけど、いくつなのかわからない・・・青年じゃないんですか? 老け顔?

  ジュピターズ・ムーン2.jpg アリアンが宙を浮く姿を見て、「天使に出会った」と感銘を受ける人続出。
 空を飛ぶのではなく、あくまで“浮かぶ”。 最初に重力がなくなったときのアリアンの戸惑いは、そのまま身体をうまく操ることができなくてぐるぐる回る視界として見事に表現されていた(あたしは目が回ってちょっと酔いそうになりましたよ)。 アメコミヒーローのようにスピード感のある動きでは全くなく、重しをつけたガス風船のような頼りない動きが、逆にリアルで面白かった。
 前半はシュルテンがアリアンの能力を使ってひそかに金儲け・・・な流れではあるんだけど、ありえないことを普通のこととして受け入れていても、客のリアクションは毎回新鮮、シュルテンも何かが少しずつ変わっていく積み重ねがいい感じ。
  でもラズロ刑事は追跡をあきらめないので、映画のテイストはどんどんシリアスになる。

  ジュピターズ・ムーン3.jpg ラズロもまたシュルテンとは種類の違う悪徳。
 難民を問答無用で射殺するけど、さすがにそれがばれたらやばい、という気持ちはあるようで。 証拠であるアリアンを執拗に追いかけるけど、本当にその理由だけなのかが微妙。 金儲けという動機があるとはいえアリアンをすぐに受け入れるシュルテンと違い、ラズロは「自分が信じたくないものは存在してもらっては困る」タイプなのかもしれない。
 犬と人間、という対比によって人間の存在の是非を描いた『ホワイト・ゴッド』は、犬側の気持ちは表現されないまま終わった。 今作では全員を会話の通じる人間にしたことで、もう一歩踏み込んだ結論に行くことを期待した。
 でも『ジュピターズ・ムーン』、木星とエウロパの関係がここに持ち込まれている。 アリアンがエウロパ、つまり新しい人類の可能性・過去において“ヨーロッパ”に対する新天地という期待、という存在。 木星の代表がシュルテンとラズロで、善と悪が入り乱れた混沌の世界。 新しい希望(もしかしたらそれが“奇跡”ということなのかも)を目にしたら人はどう変わるのか。 変わらないとしたらそれは何故なのか、いや、奇跡を前にしたら変わるべきなのか? ぐるぐるといろんなことを考える。
 変わらないのはアリアンだけなのだ。

  ジュピターズ・ムーン1.jpg ブダペスト市内の美しい景観も楽しめる。
 俯瞰で見る街には、ところどころに十字架に見えるものが目に入る(どうやら街灯を真上から見たものらしい)。 交差する道路も。 あえてそうなのか、あたしが勝手にそのモチーフを探してしまっているのか、どちらかはわからない。 多分どっちでもいいんだろう。
 奇跡はある。 もしそれを目の当たりにしたら自分はどうするのか、どうなるのか。 そういう話なのかもしれない。

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2018年02月21日

漣さん・・・

 今日は体調を崩して、仕事を休んでずっと寝ていた。
 昼過ぎくらいからようやく起き出し「あー、何か食べねば」、とごそごそ。 あぁ、洗濯したいのに、気力がわかない。
 その後、録画した海外ドラマを流して横になり、だらだら、うとうと。
 だからドラマの内容が全然入ってこず、同じドラマを何回も繰り返し流すことに。 聞き覚えのある台詞になんか安心し、またうとうと。 気がつけば夜。
 そんなとき、下の妹からメールが入る。
 「漣さん死んじゃったの?」と。
 は? それは『バイプレイヤーズ』のネタかなんかじゃないの? 半分頭がぼけた状態で、充電中だったタブレットのところまで動いてスイッチを入れる。 ヤフーニュースの号外表示が出ていた。
 ――えっ?
 ほんとなの? 事実なの?
 いやいや、今日これから『相棒』があって、そのあと『バイプレイヤーズ』ですけど!
 テレ東の『バイプレイヤーズ』公式ページを呼び出すと、<おしらせ>に漣さんのことが書いてある。 他の4人連名の、お悔やみの言葉が載っている。
 ・・・ほんとなんだ、ほんとなんだ! しかもこのコメントからは、まだ撮影中であることがうかがわれ。
 涙が止まらない。

 いつもの調子で『バイプレイヤーズ』第三話が始まる。 普通だ、まったく普通だ。 この流れでテロップは出せない、エンディングでだろうな、と思う。
 上の妹からもメールが来る。
 「報ステ見てるんだけど、なんか松重さんが病院に付き添ったんだって」
 地元にはテレ東のネット局がない。 ケーブルテレビがサービスとして、北海道の電波を拾ってくれているのだが、天候の悪化で映像が乱れたりするので画像の質は保証できない(だからサービスなんだけど。 地デジ以降どうなったのかは不明)。
 さすがしっかり者、影のリーダー松重豊。 ほんとに『バイプレイヤーズ』の関係性そのままじゃないか。
 これはネタです、最終回がネタバレしちゃいましたって、誰か言ってください!

  バイプレイヤーズ2.jpg まさか、これが漣さんの遺作になるなんてかけらも想像したことなかった。
 ひどいよ、漣さん。 いつも通りの適当な感じも、歌がうまくないところも、観てたら泣けてくる。 話が全然入ってこない。
 妹情報が続く。 撮影後に食事して、自室に帰ったところで漣さんから不調を訴えるメッセージがバイプレグループLINEに入り、松重さんが付き添って病院に向かったこと、他の3人も追いかけて、彼らに看取られていってしまったとのこと。
 ずるいよ、漣さん!
 残された人のことを考えてよ・・・責任感の強い松重さんだよ? もっと早く気付けば、とか救急車を呼んでいればとか、絶対悩んじゃってるよ。 他の人たちだってそうだよ。 今回参加しなかった寺島進は後悔するじゃないか。
 そもそも漣さんのこと大好きな人たちが、みんなショックを受けて、苦しむじゃないか!
 ひどいよ、漣さん。
 あたしのところの仕事場の、役に立たないおっさんたち何人もと引き換えにしていいから(仕事ができない奴らだから何人いても漣さんとはイコールになれないけれど)、いくらでも首差し出すから、帰ってきてよ! 『バイプレイヤーズ』の撮影、全部終わってないんでしょ? 第四話の予告はあったけど、多分最終回のナレーションは漣さん担当という構成だと思うから、どこまでできているのかわからないけど・・・。
 でもどうにか完成させてください。 中途半端な形で終わるなら、漣さんが悲しむ。

ラベル:ドラマ
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2018年02月20日

アバウト・レイ 16歳の決断/3 GENERATIONS

 この映画の予告を最初に見たときは公開をとても楽しみにしていたのに、何故か公開中止に。 本国でも中止になったので、というのがその理由だったけど、観客としてはそんな理由で納得できるか! それから2・3年経ったでしょうか、めでたく帰ってきてくれました。 なんでもハリウッドセクハラ騒動の渦中の人ハーヴェイ・ワインスタインがプロデューサーとして口を出して編集をやり直させたために遅れた、という話も・・・。 映画は撮影と公開の間に時差が生じやすいものですが、なにもそこまで・・・お蔵入りしなかっただけまし、と思えばいいのかしら?

  アバウト・レイP.jpg 本当は男の子のレイ、恋多きシングルマザー、レズビアンのおばあちゃん。人生の途中を走行中。
 レイ(エル・ファニング)は16歳。 女として生まれたけれど、自分は男だと4歳の時に気づいたトランスジェンダー。 性同一性障害の治療のため、男性ホルモンを投与され始め、その後のことも専門医と相談済み。 けれどレイはまだ16歳なので、すべての治療には保護者の同意書が必要。 母親のマギー(ナオミ・ワッツ)はラモーナと名付けた娘がレイという息子になることに慣れようとしつつも、自分の決断のせいで将来のレイが後悔したらどうしようと悩み、サインができないでいる。 なお、現在ではレズビアンであると公言してパートナー・フラニー(リンダ・エモンド)と楽しく暮らしている祖母ドリー(スーザン・サランドン)はマギーの苦悩が理解できないでいるが、あたたかく見つめている・・・という話。
 邦題は『アバウト・レイ 16歳の決断』だけど、原題は“3 GENERATIONS”。 邦題からだとレイの決意がメインっぽいですが、実際はレイとその母、祖母の三世代のそれぞれを描いたものだった。 というかレイは最初から迷ってなくて(すでに決断済み)、うだうだ・ぐだぐだしているマギーがむしろ主役ですか、というくらい、レイもドリーも、観客もまたマギーに振り回されることになる。

  アバウト・レイ5.jpg 片幅広い! 女装男子がキュートで美しいように、女の子が扮する男の子はその粗雑さすらかわいく見えてしまう。 このときエル・ファニングも15歳ぐらいだったようで、男の子にも女の子にもどっちにも見える → だんだん男の子っぽくなる過程がとてもリアルでよかった。 こればっかりは演技力だけでなく、その年齢だから出せる雰囲気ってあるよなぁ、としみじみ。
 しかしドリーもまた大胆というか・・・レイの性的志向が女性と知ると(例にとっては男性としてストレート、ということなのですが)、「レズビアンでいいんじゃないの?」とか言っちゃう。 LGBTとひとくくりで語られがちですが、その中でも相互理解が進んでいないことがよくわかる(世代間格差があるからかもしれませんが)。

  アバウト・レイ2.jpg ドリー、とても自由です。
 年代的に、レズビアンであることをカミングアウトするどころか自分がそうであることにはっきり気づかないまま世間の例にならって結婚しちゃった過去があるドリー(だから娘のマギーがいるのだが)、今はその軛から解き放たれたこともあり、言動にお気楽さがにじむ。 でもここに来るまでに一体どれだけ苦悩があったのか・・・についてははっきりと語られない。 乗り越えてきた強さから、それをわかってください的な。 この世代の方々の紆余曲折を描いちゃったらそれだけで一本の映画になるだろうしね。 またスーザン・サランドンだから、そこにいるだけで説明になっている部分がなきにしもあらず・・・。

  アバウト・レイ3.jpg 問題はひたすらマギー。
 結婚歴のないシングルマザーなれど、レイの父親の名前は記録にある。 同意書には両親の名前が必要だが、彼に会いに行くのをいやがっている・・・自分の署名をするのにもためらっている。 「レイがなによりも大切」と言いながら、マギーは何がしたいのかさっぱりわからない。 まぁそれが、自分の過去を清算していないこと・それに向き合うのをできるだけ避けたい(レイにも知られたくない)からであることが次第にわかってくるのですが・・・その年齢で、それ?、と言いたくなるくらい、ほんとにマギーのダメダメっぷりは群を抜いている。 ドリーはそれに寄り添うけれど、世話焼きにならないところがいい(個人的な好奇心なら満たしたいけど)。
 しかしレイの態度を見ていたら、早く本格的な治療を初めて、転校して新天地で男としての生活を始めたくてうずうずしているのがよくわかるのに、マギーは何故それに気づかないのか。 気づいていても気づかないふりなのか、気づきたくないのか。 もはや母としてというよりも、人としてどうなんだ、マギー!、と言いたくなる。
 となれば、レイが“父親”に一人で会いに行くのは当然の流れで。
 その父役が「トム!」ことテイト・ドノヴァン氏だったので、あたしはかなり盛り上がりました! 久し振りに現れた<娘>が<息子>になることを希望している、ということをすんなりとは受け入れられないですが、クレイグ(テイト・ドノヴァン)がいい人なのはとてもよくわかり、レイがクレイグの今の家族・自分と半分血の繋がった弟妹から「お兄ちゃんだ」と言われてうれしそうな姿、とてもかわいい(だったら何故マギーと別れたのかが不思議ですが・・・その答えはちゃんとありました。 そりゃマギーはどうしていいかわからないし、それを知ったレイはいろいろぶちぎれる気持ちわかる)。

  アバウト・レイ4.jpg でもやっぱり「自分は男」の意志は揺るがない。
 もしかして、「レイの決断」とは、ダメダメな母親や、自由すぎる祖母や、クレイグが抱える“大人の事情”も全部ひっくるめて受け入れて、これが自分の家族なんだと覚悟する、ということなのかもしれない。 登場人物の中で、なんだかんだ言っていちばん大人なのはレイのような気がするし。 同世代から「男女!」みたいにいじめられたことも、レイは一人で乗り越えようとしてるし、今の目で見ればそういうこと言うやつのほうがバカという認識は広まっているから(でもなくなっているわけではないのが悲しいところだ)。
 レイにとっていちばんの理解者はちょっとしか出てこない病院の先生だったのかもしれない。
 それでもレイは、新しい家族のカタチを受け入れる。 ダメダメな母を許す。
 それがトランスジェンダーとして苦しんだレイが身につけた優しさなのかと思うと、なんだか切ないよ・・・。

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2018年02月19日

ミステリと言う勿れ 1/田村由美

 これは1月発売の新刊ですが、ちょっと気になっていて・・・。
 そしたら、電子書籍で「期間限定お試し版」が出ているのに気づき、さっそくダウンロード。 無料ですが、お試し版なので冒頭のほうしか載ってないんだけど・・・面白い!
 なので速攻、仕事帰りに実店舗で購入。

  ミステリと言う勿れ1.jpg 整くんの天然パーマの髪型がすばらしい!
 主人公はカレーを愛する一人暮らしの大学生・久能整(くのう・ととのう)。 ある日、警察が訪ねてきて近所で起こった殺人事件について彼から任意で事情聴取を・・・というのが第一話。
 マンガでは珍しい会話劇! 筆者も舞台劇をイメージしたみたいなことをあとがきで書いているので、その雰囲気、わかります! (← つまりそれはドラマ化にもしやすいということでもあるのだが、キャストと演出のハードルは高いぞ)
 『ミステリと言う勿れ』と言いながらちゃんとミステリなんですけど、そうじゃない部分(?)も同じような台詞量だし、整くんにしてみれば自分が事件を解決するって意識がないからかもしれない。 個人主義で、ドライで、シビアなことも平気で言うけれど、整くんの言葉はどこか伊集院大介が話すことにも通じている気がする。 だから? どっちにしろ、整くんがにくめない。
 第二話が途中で終わっているので・・・早く続きをお願いします! 単行本派なんで。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年02月17日

今日は3冊

 うおぉ、2月がすでに後半に・・・あっという間だなぁ。 そして安定しない気温に、着る服の選択に困る日々。

  許されざる者創元推理文庫.jpg 許されざる者/レイフ・GW・ペーション
 スウェーデン、まだこんな大物を隠してます!
 というか、「スウェーデンミステリ界の重鎮」だそうなんですが、これが本邦初訳です。 <CWA賞インターナショナルダガー、ガラスの鍵賞等五冠に輝く究極の警察小説>と帯にあり、だったら何故これまで訳されなかったのか逆に不思議。
 そしてお約束のように分厚い。 すごい楽しみ。

  ちはやふる37.jpg ちはやふる 37/末次由紀
 この表紙、新くんですよね! この画像ではそれほどでもないけど、実際本を手に取ったとき、「メガネがなかったら女の子だよ・・・」と思ってしまいました。
 名人戦への、東日本の代表をかけた戦いの最終章。 さすがにそろそろクライマックスだよね、という気配は感じてきましたが、あと何巻でしょう。 ← もう終わりを待つ態勢になっている。
 今回は大江さんのお母さんがよかったです。

  白妖の娘3.jpg 白妖の娘 3/木原敏江
 あぁ、ついに後半に突入か・・・。
 読むのがもったいないよぉ。 1巻からもう一度、読み始めるかぁ。

ラベル:マンガ 新刊
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2018年02月16日

スリー・ビルボード/THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI

 その後、アカデミー賞ノミネーション詳細を見ました。 作品賞としてはこれが最有力っぽい、という雰囲気ですね。
 あたしはノミネート関係なく、話が面白そうなので、好きな役者さん出てるので観たかったですが、そういうのに絡まないと日本で公開されない可能性があるからな・・・テイストもどちらかといえば単館系だし、シネコンの大スクリーンで観れるのはやはり賞レース効果なんでしょう。 そういう幸運はありがたく受けておきます。

  スリービルボードP.jpg 魂が震える。

 アメリカ、ミズーリ州のエビングという町にて。 ある日ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は町はずれの通りにあるボロボロの三連看板に気づき、これを使って自分が広告看板を出すことにする。 その内容は、警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)を名指しで、7か月前に起きた自分の娘が殺された事件を解決できない警察に対する批判であり問いかけだった。 小さな町に激震が走る。 ミルドレッドの側に立つ者もいるが少数で、多くは署長側、もしくは波風を立ててほしくない側にいる。 特に署長を敬愛するが警察官として不適格っぽい巡査のディキンズ(サム・ロックウェル)はミルドレッドに看板を撤去するように強く迫るが、一歩も引かないミルドレッドは更なる行動に出て・・・という話。

  スリービルボード1.jpg 原題の“THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI”は、直訳すれば『ミズーリ州エビング郊外にある三枚の広告看板』。 ちなみにエビングは架空の田舎町である。
 赤い地に黒縁と黒い文字、そんなシンプルな看板がものすごいインパクト(看板職人さんが考えたっぽい。 文面はミルドレッドだが)。 事情を知らない観客が見てもそうなのだから、住民たちには更にショッキングであっただろう。
 というか、ダークな話である。 いきなり「娘を殺された母親」から始まるのだから。 でも暗い話でも、ただシリアスな話でもないのがすごい。 途中で「はっ、これはブラックコメディなのか?!」と思わされたりして、ジャンルというくくりの不自由さを知る。 一言では説明できないストーリー(というか、そのまま話しても信じてもらえないような展開なのだが、映画を観ているとそうなるしかないと納得できてしまうのだけれど)。

  スリービルボード3.jpg ウディ・ハレルソン、いい役でした。
 またウィロビー署長がすごくいい人で。 立場的にはミルドレッドの批判の矢面に立つ人ではあるものの、解決まで長期化してしまう事件の場合の対処法を経験値からもわかっていて、それをミルドレッドに説明する(勿論、彼女の立場としては受け入れられなくとも)。 個人的にも大きな問題を抱えているのだけれど、仕事のことと家族のことと両方大事にするというスタンスは日本人は見習ったほうがいい気が少しした(でも、あたし個人は「もうちょっと仕事も」と考えてしまったので、あたしの本質は<家庭を顧みない仕事人間>ということのようです)。
 あたしはウディ・ハレルソンがとても好きなので、今回のアカデミー賞助演男優賞はサム・ロックウェルが有利と聞いて「ちょっと!」と思いましたが、映画を観て納得。 サム・ロックウェルのほうがおいしい役だもん! ただ彼を支えるためにも、そしてミルドレッドとの関係を繋ぐものとしても、ウィロビー署長の役割もとても大きくて。
 なんだかんだで悪役とか、アクの強い役柄が多いイメージのウディ・ハレルソンですが、実はいい人の役もちゃんとはまるんですよ。 あたしは前からわかってますけど! ← なにこれ、自慢?

  スリービルボード2.jpg で、問題のサム・ロックウェルです。
 『月に囚われた男』のイメージが強かったですが、いつの間にか彼も実力派俳優になっていて。 田舎町のグダグダな警官らしいだらしない体形とか、マザコンというか母親からの強い抑圧からまだ逃れられない、その反動でウィロビー署長に対して父親的で盲目的な信頼を寄せてしまうのに、署長の期待に応えられない苛立ち(そこも含めて署長は理解してくれているんだけど)。 人種差別主義者らしき振る舞いも、その根拠が自分の中にない(人が言うことをただ鵜呑みにしてただけの)底の浅さ。
 そんな彼を変える大きな出来事!
 ある意味、その場面がこの映画におけるいちばんのハイライトかもしれず。

  スリービルボード4.jpg そしてなによりも、ミルドレッドです。
 フランシス・マクドーマンドといえば『ファーゴ』の警察署長役がつい浮かんでしまうんだけど、今回は全く正反対の立場で。 ジャンプスーツといえば聞こえはいいが、いつも同じツナギ姿で(デニム? なんか違う素材っぽいのだが)、頭にバンダナを巻いて常に厳しい顔で。 強さを前面に打ち出しているから、時折見せる娘を思う部分が余計に彼女が抱える弱さを引き立てる。 母親の怒りは警察と犯人に向いているけれど、娘を守れなかった後悔もまた自分の中に渦巻いていて、息子のロビー(ルーカス・ヘッジズ:『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のおいっこくんだ!)にも「お母さんのやっていることはクレイジーだ」と怒られても止まらない。 確かにやっていることはどんどんエスカレートしていってクレイジーと言われても仕方ない感じなのですが・・・でもそうなってしまうのは当たり前みたいに思えてしまうから不思議。
 その加減がコメディっぽいのか、田舎町では時間が止まってしまうように思えるからか(スマートフォンが出てくるから現代ではあるものの、仮に数十年前という設定であっても成り立ってしまいそう)、こういうことも起こりそうなのだ。 ミルドレッドはやりすぎですが。
 でもそこまでやる姿を見せるからこそ、果てしのない怒りを鎮めるものは赦しだけ、ではその赦しのためにはどうすればいいのか、というテーマが鮮やかに浮かび上がるわけで。
 この三人の演技合戦、という人もいますが、確かにそうなんだけど、それを引き立てる脇役たちの存在、特に、ミルドレッドに実は思いを寄せるジェームズ(ピーター・ディンクレイジ)と、広告屋のレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)が素晴らしい。
 <赦し>というとどうしてもキリスト教的なものを連想がちですが、この不寛容な時代においては全世界に通用するもの、として描いたのがよかったと思う。 むしろ宗教色ないし。 だから無宗教の人間にも刺さる。 どうしようもない怒りにかられることもあるこの世の中を生きていくためにどうしたらいいのか、考えずにはいられない。

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2018年02月15日

フードワゴン・ミステリー 死を呼ぶカニグラタン/ペニー・パイク

 早速、読んでみました。
 サンフランシスコ・クロニクル紙でグルメ記事を書いていた“わたし”(ダーシー)は、編集長から突然リストラ宣告を受ける(つまり、クビ)。 どうしたらいいの!、だけど、叔母さんが出しているフードワゴンの手伝いをしながら、他のお店からレシピをもらってフードワゴングルメレシピ本を出そうと考える。 ところが、フードワゴンエリアを忌み嫌っている近所のレストランオーナーと叔母さんが大げんかをしちゃって(しかもキレた叔母さんは包丁を持ち出した)、その後、オーナーが殺されたからさあ大変。 叔母さんが容疑者に?! “わたし”は記者としての経験を活かし、事件解決を試みようとするが・・・という話。

  フードワゴンミステリー死を呼ぶカニグラタン.jpg 籠の中の謎のカニは、オレンジソースでコーティングしたシュークリームと判明。
 サブタイトルは、フードワゴンエリアで開催される<カニとシーフード・フェスティバル>から。 叔母さんのお店が出すのはカニ入りマカロニ&チーズと、カニ入りポットパイ。 オーナーは毒入りのカニグラタンを食べて死んでいた。
 でもせっかくの<カニとシーフード・フェスティバル>があまり活かされてないというか、一体いつからいつまでがフェスティバルだったのかいまいち不明・・・。 ダーシーのキャラクターもあまり魅力的ではないというか、なんかフツーで。 特に何かに秀でてるわけでもなく、かといって特別なコンプレックスを抱えているわけでもなく(食べるほうが専門で料理はまったくできない、コーヒーメーカーすらセットできないけど本人はあっさりそれを受け入れているしね)、会話の受け答えにキレがあるかといえばそれほどでもないし、事件捜査の過程でいいところを見せるかと思えば協力者に丸投げだし。
 なのにイケメンとのロマンスだけはちゃんと用意されてるって、おかしくない?
 登場人物の数も少ないから、犯人が誰か結構初めのほうでわかっちゃうんですけど! ← ま、そこはコージーとしてはありがちなところではあるけれど。
 そう考えると、やはり<お菓子探偵ハンナ>シリーズはすごい。 キャラクター造形がしっかりしてるし、数多い登場人物もきっちりさばいてる。 なによりハンナのほうが、人間としての厚みがある。 だから愛されるシリーズとして生き残っているんだろうけど。
 <フードワゴン・ミステリー>はどうなんだろう。 レシピも多少出てくるけど台詞で説明されるだけだし、叔母さんの料理はおいしいんだろうけどこっちに「食べてみたい!」と思わせるほどではない。 そもそも叔母さんのキャラがなんか固まってない感じ・・・キレやすい人でありつつほんとの探偵役はこの人なのではと思わせつつ、どっちでもない、みたいな。 甥っ子(叔母さんの息子)ディロンもなんだか唐突すぎるし。 シリーズが続いていけば安定するんだろうか。
 それともこれも、「ダメな自分を、そのままでいいよ、と肯定してくれる」種類のものなのだろうか。

ラベル:海外ミステリ
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2018年02月14日

DESTINY 鎌倉ものがたり

 どうせしばらく上映されるだろうから、と思って後回しにしていた(で、『オリエント急行殺人事件』を先に観に行った)。 そうこうしているうちに風邪をひき、「年末年始休暇中にまとめて映画を観る」という予定はすべて台無しに。 ミニシアター系の映画、かなり逃しました。 それでも、「この映画、どうしても観ておかないと!」とまでの気持ちが起きなくてだらだら先延ばしにしてしまったのは、上映時間が昼間になってという問題もあれど、あたし自身が山崎監督にそんなにひかれていないからなんだろうなぁ、と思った(すみません、『ALWAYS三丁目の夕日』とか、苦手です)。 でも堺雅人は好きなんだよな〜。 『とと姉ちゃん』見てたから高畑充希も好きだし。
 と、そんなときに不意にハーバーランドでレイトショー枠に復活。 このタイミングを逃したらもうきっと次はない。
 仕事終わりに、走って観に行きました。

  デステニーP1.jpg わたしが嫁いだ先は、摩訶不思議な町でした。
  デステニーP2.jpg 愛する妻の命を取り戻すため、夫は黄泉の国に旅に出る――。

 23歳の亜紀子(高畑充希)は、年上のミステリー作家・一色正和(堺雅人)と結婚し、彼の鎌倉の家に“嫁いで”くる。 鎌倉では様々な不思議で奇妙な現象が日常茶飯事で、ここで生まれ育った正和には当たり前のことでも、亜紀子はとまどうばかり。 また、正和は職業柄+趣味が高じて心霊犯罪研究も行っており、地元の鎌倉警察心霊捜査課に協力を依頼されることも。 人ではないものが当たり前に見えて、その存在を肯定する正和の影響もあり、亜紀子も鎌倉の特別性に次第になじんでいくのだが・・・という話。
 原作は読んでいませんが、長いエピソードをたくさん持っている構造っぽい。 だからなんとなくつぎはぎ感があるというか・・・いろんな話のごった煮感が。

  デステニー1.jpg この二人の共演って『クライマーズ・ハイ』以来じゃない?!、と思うとなんだか胸熱。
 作家と編集者(堤真一)、という関係ですが、この二人のやりとりだけで「観た甲斐あった!」と思えました。
 でもそれ以外は、正直いろいろ微妙だったのです・・・120分越えでしたが、途中で飽きることもなく息切れもしなかったのに、なんだか気持ちの中にもやもやがたまってしまって無邪気に楽しめませんでした。
 まず、時代感。 鎌倉の一色家が昔からのお屋敷だからレトロ感あふれる雰囲気なのはわかるし、時代設定的に80年代半ばぐらいかな、と感じるのですが、一部のファッションや小道具に70年代っぽさが感じられるし、でも鎌倉の街を散策する観光客(エキストラ?)の服装は今っぽいし、「守秘義務」って言葉が一般的になったのって90年代後半以降(下手したら2000年以降)だろうし・・・と気になると次々いろんなことが気になって世界に没頭できない。 「昭和55年まで走っていた(江ノ電の)車両だ」という台詞があったので、1980年以降なのは確実としても・・・<いつでもない・いつでもいい時代>にしたかったのかもしれないのだけれど、その時代を生きてきているせいか、その中途半端さに落ち着かない。 逆に若い観客は「思ってたより面白かったね〜」と言っていたので(バレンタイン需要だったのか、たまたま他はカップル客が多かったのです)、気にならなかったのかも。
 和洋折衷の服装、堺雅人はすごく似合ってるんだけどさ〜。

  デステニー3.jpg 田中泯さんがかっこよくて貧乏神に見えません・・・。
 貧乏神・化け物さんなどが普通に日常に存在する、という感じはすごく好きではあるんですけどね。
 ただ、あー、そうか、価値観だ。 23歳で結婚する、というのはかつてはそんなに若すぎると驚かれることもなかったわけで、年齢差のある夫婦も多かったでしょう。 出版社のアルバイトとして初めて正和に会った亜紀子が彼を「先生」と呼ぶのは二人の間のことなので別にいいんだけど、他の人の前で言うのはちょっと・・・(そこらへんに「世間知らずの若妻っぽさ」を出したかったのでしょうが。 後半では、電話で「主人は不在でして」と言えるようになっていた)。 亜紀子さんの天然っぷりもかわいいんですけどね・・・。
 が、いちばん引っかかったのは、「しっかりしてくれよ、亜紀子はこの家の主婦なんだから、家を守ってくれないと」みたいな台詞。 専業主婦がそのように奨励されていた時代というか、「家のことは女性が」みたいな価値観は明らかに今のものではない。 亜紀子が個人的に「自分を捨てても先生を支えます」と考えるのは自由だが、それで当たり前みたいな周囲の受け取り方も現代のものではない。 なのに、中途半端に現代を感じさせるものがあるから落ち着かないのか、もやっとするのか。
 それを「古い価値観だ」と切って捨てるだけの自信や根拠も、実は弱いせいかもしれない(あたしはそう思うけど、世間的にはそれが多数派なのか少数派なのかいまいち確信が持てないので)。

  デステニー2.jpg 死神さん(安藤サクラ)がすごくいい味。 安藤サクラの朝ドラヒロイン決定の報道で、「もしかしてこの仕事、産後すぐですか?」と思い当たるのであった。
 諸事情で行かなくてはいけなくなった<黄泉>のビジュアルが、ほぼ『千と千尋の神隠し』の世界観の実写化でしかないのはがっかり・・・。 そして「ここでは想像力が身を守る武器になる」のに、先生のすることに意外性がない・・・作家でしょ! まぁ、おぼっちゃまだから攻撃するという発想がないのかもしれないけれど、防御の方法は他にもあるでしょう、的な。
 あぁ、あたしって意地悪だな・・・と身につまされる。

  デステニー4.jpg 結局は夫婦の愛の物語、というところに還元されていくのですが・・・。
 正和さんの、咳き込みながらも全力疾走のシーン、すごくよかったです。 ちょっと泣いちゃいました。
 このお二人は日常を取り戻したけれど、それでハッピーエンドではあるんだけど、はっきり描かれないけど、その日常を取り戻すためにある決断をある相手にさせましたよね。 “優しいお坊ちゃま”が自分のしあわせのためにそれを強いた、と考えてしまうとなんだか微妙な気持ちになって・・・。
 脚本を書いたのも山崎監督で、あぁ、やっぱりあたしはこの人と合わない、ということもまた実感。 好きな役者さんたちに、助けられました。

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2018年02月12日

羊と鋼の森/宮下奈都

 仕事場の人に貸す約束をしていたので、早いうちに読んでしまおうと思った。
 そうしたら2時間かからず読了・・・分厚い翻訳物ばかり読んでいると自分の読むスピードが若い頃に比べて遅くなったと感じるが、こういうのを読むと「あたし、まだまだ大丈夫!」という気持ちになるのが不思議。 でもこれくらいで満足してちゃだめだわ・・・。
 「ピアノ調律師の人の話」という大雑把な記憶にたがわず、そういう話でした。
 ただ、自分というものに確固たる何かを持たない高校生が、学校のピアノを調律に来たその人の仕事ぶりに感銘を受け、自分も同じ道を目指すんだけれども、若き調律師は自分の腕に自信が持てない。 そんな主人公と、彼をめぐる人々との出会いと成長の物語。

  羊と鋼の森.jpg 羊はフェルトのことだったのか。
 初めて読む作家、というのは少し緊張する。 文体にクセがありすぎないだろうか、逆につたないところが目立ちすぎてくじけないだろうか、すごく面白かったら「何故今まで読まなかったのだろう」と後悔するのではないか、等々。
 あたしはピアノを弾いてきませんでしたが、子供の頃ヴァイオリンを習ってました。 だから音楽が題材のものって点が甘くなるというか、自分が行かなかった世界のことを見せてもらうことはどこかノスタルジーにつながっている。 主人公がピアノの音に生まれ育った森の気配を感じるという描写にもノスタルジーのようなものがほの見えて、だから余計読みやすかったのかな、と思う。
 ただ、数か所「この台詞、誰が言ってる?」と引っかかったところがあってそこは読み返した。 あえての著者の個性で、あたしが慣れてないせいかもしれないけど、そこはちょっとマイナスポイントかな。
 主人公の主体性のなさというか、自己主張の薄いところも好みがわかれるところかもしれないけれど、一人称で進むのでそんなにひどくは感じられない。 これ、映画にするときどう処理するのかな(ナレーションか?)。 客観的に見ると、彼は周囲の人たちにとても恵まれているからよかったのだ。
 それだけ、他の登場人物たちがなんだかんだみんないい人たちばかりだから成立した話、ともいえる。
 素敵なおとぎ話だ、これは。

ラベル:国内文学
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2018年02月11日

今日は7冊。

 うおぉ、気づけば2月も3分の1が過ぎてるじゃないか!
 あぁ、日にちに気づくのがおそろしい。

  円城塔 エピローグ.jpg エピローグ/円城塔
 これはハードカバー刊行時に読みたいと思っていて、でも文庫かな、と図書館に予約待ちすることを忘れていた。 めでたく文庫になってくれてよかったです。 ま、ハヤカワなのでそのうち出るとは思っていましたが・・・。

  円城塔 プロローグ.jpg プロローグ/円城塔
 そしてここで登場するのが『プロローグ』、『エピローグ』の姉妹編とのこと(しかも“私小説”という触れ込み!)。 こちらは文春文庫ですが、表紙イラストを描いている人は同じ、帯は同じ色で反転。 発売日もほぼ揃え、そういう遊び心、好きです。

  15時17分、パリ行き.jpg 15時17分、パリ行き/アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E・スターン
 再びハヤカワから。 テロの当たり年となってしまった2015年のパリで、一歩間違えれば大惨事となったテロ攻撃が未然に防がれた事件の記録。
 クリント・イーストウッド監督の次回作として公開が控えてますが、なんと映画に出ているのはその当事者三人であるらしい(つまり自分の役を自分で演じている)。 予告編見たけど、素人っぽさは全然感じなかったよ・・・すごいな〜。 でも、その出来事を追体験することでトラウマが目覚めなかっただろうか、それとも、演じるという行為がセラピー代わりになったのだろうか。 それが気になるところだ。

  迷路の少女.jpg 迷路の少女/シッゲ・エクランド
 またしても北欧ミステリです。 そして<少女>というタイトルやキーワードに弱いのです。 そりゃ買いますよね!

  日本SF傑作選4 平井和正.jpg 日本SF傑作選4 平井和正
 あ、<ウルフガイ・シリーズ>の復刊はこれに関連したものだったのかも。
 こっちはノンシリーズの短編を中心に収録。 でも<ウルフガイ>なしに平井和正を語るのは片手落ちだもんね・・・。
 なんだかすごく、納得。 そして新版<ウルフガイ>の解説で言及されていた初期作品がこの傑作選で読めます。
 まったく、よくできている。

  羊と鋼の森.jpg 羊と鋼の森/宮下奈都
 なんとなく、本屋大賞には懐疑的です。 『夜のピクニック』や『博士の愛した数式』はよかったけど、「いい作品を書く作者なのに、読書好きの人にしか知られていないのはもったいない」という当初の趣旨からはずれてからは(そして書店員さんの手書きPOPもその本を愛するが故というより売らんかなの仕掛けが強い動機だと知ってからは)。 なに甘いこと言ってんだよ、こちとら商売なんだよ、といわれては返す言葉はありませんが、あたしにとっては本というものは商売度外視の存在なのです。
 なのでこの本もハードカバーで出たとき表紙にぐらっと来たのですが、本屋大賞にノミネートされちゃったので(そして受賞)手に取れず。 今回文庫化されたので、まぁほとぼりが冷めたかな、と思って。 でも映画化なんだってさ・・・。

  おかあさんの扉07.jpg おかあさんの扉 7/伊藤理佐
 もう7巻ですか! てことは7歳ですか!
 いやー、人の子供は成長が早いですねぇ(と、ことわざ?の普遍性を感じる今日此頃)。

ラベル:新刊 マンガ
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2018年02月09日

怒りをこめてふりかえれ/栗本薫

 結局、読んじゃいました。
 『猫目石』事件から8年が経過、事件後の痛手からまだ完全に立ち直れていない薫くんの、あるきっかけから起きる怒涛の日々のこと。
 変則的に『魔都』が『猫目石』後の落ち込みがひどい時期の薫くんの現実逃避ともいえるので、番外編ですかね。 『怒りをこめてふりかえれ』は『猫目石』からの直接の続編と言えましょう(そういえばそのあと、<薫くんシリーズ>ってないかも・・・つまり完結編、か)。 少し前、<薫くんシリーズ>の未発表原稿が見つかったというニュースもあったけど、内容は薫くんが大学生の頃の話ということなので(未完だというし)、この時間軸からははずせるでしょう。

  怒りをこめてふりかえれ.jpg “LOOK BACK IN ANGER”はロックの名曲だが・・・薫くんの心情ともリンクするタイトルだからか。
 前半はあの事件後、マスコミ報道の被害者となってしまった薫くんのどうしようもない憤りと非力さ故の悲しみに満ちている。 イエロージャーナリズムへの批判というか、「まるで人間の心を持たぬもののよう」であるレポーターや記者たちへの怒りと哀しみ。 でも自分も同じ業界で働いているという葛藤、名も知らぬ人々の代弁者としてかざされる<知る権利>と、自分も加害者の一端であるという自覚のない普通の人々の存在。 これが書かれたのは20年以上前ですが(この頃はネットどころか登場人物は携帯電話も持ってないよ)、描かれている問題は今でも全然解決されていないし、むしろひどくなっている。
 これって著者が一時期マスコミにスキャンダルを追いかけられた経験からきてるのかなぁ(あたしはその報道を直接知らないのですが、近況報告と化していた『グイン・サーガ』のあとがきでそのようなことがあったことを読んだ記憶が)。 それは20年前よりももっと前のことだが・・・こうやって書くことができるまでに時間を要したということかも。
 殺人事件も起きますが、それはなんとなくつけたしっぽい。
 あくまでこの物語の主題は薫くんの回復と再生。 石森信と伊集院大介の力を借りて。
 永遠の若者の代名詞であった薫くんが、大人としての自覚と責任に目覚めた(36歳にして!)。 だから、もう薫くんは自分をさらす必要がなくなったのかもしれない。
 そして最初にこれを読んだとき、あたしは薫くんよりも年下だったのでそんなに気にならなかったのですが、今では薫くんが年下になってしまいました。 それ故に、「ダメじゃん、薫くん!」と言いたいこと多々・・・石森君と大介さんが甘やかすからじゃないのか!、と八つ当たりしてしまいそうに。 はい、そういう堂々と自覚なしに甘えられる存在がいることにうらやましさを感じています。
 大介さんは『天狼星』事件後らしく、ちょっとお老けに(おつかれに?)なってますが、より優しく。
 その優しさが伊集院大介らしさなのですが、それ故にこの人は自分も深い痛手を負ってしまうのに(薫くんとは違う意味で。 そして大介さんは自分でその傷をそのままにして受け止めて修復する)。 そういう彼が、あたしは好きだった。

 ついでに、と言ってはなんだが『伊集院大介の冒険』『伊集院大介の私生活』も読んでしまう。
  伊集院大介の冒険.jpg伊集院大介の私生活ノベルズ版.jpg ノベルズ版、懐かしい。
 『私生活』ってどんなんだっけ?、と記憶がおぼろげでしたが、表紙見て思い出した。 内容もよく覚えていて、むしろこれ収録の作品が『冒険』だと思っていたぐらい。 あー、この話好きだった!、とか、非常に懐かしい。
 すべて『天狼星』以前ではありますが、そういう事件が起こっても十分対処できるような<名探偵>でありたい、という大介さんの心意気・覚悟が書かれていることに今更ながら気づく。 ・・・結局、あれも必然だったのね。
 大介さんがドラマ・映画化されにくい名探偵だということもしみじみ分かった。 二時間ドラマとかになっていたら、また変わっていたのかもな・・・(遠い目)。

ラベル:国内ミステリ
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