2017年11月26日

婚約者の友人/FRANTZ

 フランソワ・オゾン新作。
 フランソワ・オゾンがモノクロで(一部カラーになるけど)、時代物を撮るなんて意外! ミステリー的な要素はこれまで多く手がけてきたので納得だけど。 と思っていたのですが・・・実はそんなにミステリーではない。
 ではメロドラマか・・・といえば・・・、いつもどおり女性に厳しい内容で。

  婚約者の友人P.jpg 1919年、戦後のドイツ。愛する人の墓の前で
 泣いていた男。彼の正体が明かされた時、新たな謎の扉が開く――

 舞台は第一次世界大戦終結後の1919年のドイツの小さな町。 アンナ(パウラ・ベーア)は婚約者のフランツが戦死し、日々悲しみにくれながら彼の墓を訪れる。 ある日、フランツの墓に花を手向けて泣いている男(ピエール・ニネ)を見かける。 彼は医師であるフランツの父の診療所も訪ねるが、「息子を殺したフランス人の診療はできない」というかたくなな言葉に姿を消す。 再びフランツの墓で彼を見かけたアンナが声をかけると、彼はアドリアンと名乗り、フランツとフランスで知り合いだったと告げる。 戦争前、フランスに留学していたらしいフランツの友人で、アドリアンしか知らないフランツのことについて聞きたいアンナはフランツの両親とアドリアンを改めて引き合わせる。 彼の語るフランツの姿に、三人は悲しみがよみがえりつつも心穏やかな気持ちになり、頑固な父すらも心を開き始める。 アドリアンをもう一人の息子のように思い始めた頃、アンナもまた彼に特別な想いを持つようになるが、アドリアンには秘密があって・・・という話。
 冒頭、話されている言語がドイツ語だと気づかなくて。 てっきりフランス語だと思っていたので、「あれ、フランス語じゃなくない? 英語?」と、舞台がドイツだと気づいてからもあたしにはしばらく英語に聞こえてました(お父さんの発音はドイツ語なんだけど)。 思い込み? アドリアンがフランス語を話すことで、やっとドイツ語が聞き取れた。

  婚約者の友人3.jpg アドリアンを受け入れていく家族。
 アドリアンがどう見てもゲイなんだけど、と思ったあたしはフランス時代、フランツとアドリアンは恋仲なのだと思ってしまったよ(ピエール・ニネは『サンローラン』でイヴ・サンローランを演じた人だったので、ゲイだと思ってしまったらしい。 でもあえてそう見せているに違いない)。 なのでアドリアンの示す好意に期待しちゃだめだよ!、とアンナに忠告したくてたまらなくて。
 ちなみに彼の<秘密>はすぐわかる内容なので・・・それが大ネタのミステリではない。 むしろ秘密の暴露後のほうが重要。

  婚約者の友人1.jpg フランツと。
 また、フランツがまたいかにも実直なドイツ人青年、という感じで。
 カラーになるのはアンナの感情が高揚したとき、もしくは彼が過去を語る場面(彼にとっては秘密を引きずる<今>は生きている実感がなく、ある時点で何かが止まってしまったからであろうか)。
 純真無垢というよりは、いかにもドイツ人的なお堅い気質のアンナ。 戦争で妻を亡くしたらしいご近所の知り合いに求婚されることは彼女にとって許せないことであり(だって彼女も婚約者を亡くしたのに、彼を忘れずにいるのだから)、むしろわざわざフランスからフランツの墓参りに来た彼のほうに親しみを覚えてしまうのは当然かと(でもやめといたほうが・・・とあたしはやはり言いたかった)。 それに怒るヤツは男としてちっさいぞ! そんなちっさい男を演じきった方はあっぱれでした。
 特に時代背景を第一次世界大戦後にしたのがきいていて、ドイツとフランスは対等に憎しみを抱いているところがポイントだ(第二次世界大戦後ではそうはいかない)。
 帰国後、連絡が取れなくなったアドリアンを探すためにフランスへ向かうアンナ。 彼女はフランス語が喋れるからそれほどのハンデはないけれど、フランスでドイツが憎まれている光景を目の当たりにして口がきけないほど驚く。 そんなところもまた、世間知らずのドイツ娘らしいのだけれど。
 お父さんたちの仲間が酒場でビールを飲みながらドイツをたたえ、フランスを憎む言葉を吐くように、フランスのカフェでは国歌がうたわれ、ドイツへの憎しみが渦巻いている。
 それにしても『ラ・マルセイエーズ』をリアル字幕で聴くと・・・ほんとうに歌詞が血なまぐさくて。 それを今でも国歌として使っているフランスには共和制への誇りというか、それを勝ち取った<市民>たちへの尊敬の念があるのだろうと思いますが、なんで日本では『君が代』問題があんなにもこじれているのか不思議でたまらなくなってしまう(これは映画とは関係ないですが)。

  婚約者の友人4.jpg アドリアンにとってのホームは、アンナにとってはアウェイ。
 なんといったらいいでしょう、<ホーム&アウェイ>の話なんです。
 勝手知ったる自分のエリアでは勿論自分が有利なんだけれど、そのことになかなか人は気づけなくて、外に出て初めて自分がアウェイであると知る。 アウェイの人に気遣いができていたか? 自分の都合のいいように解釈していないか?
 他者排斥やヘイトに対するフランソワ・オゾンからの提言って感じなのだ。
 それを時代物というオブラートに包み、定番ともいえる男女の悲恋モノとして仕立てているけれど、実はテーマはなによりも今日的だということに驚いた。 ストレートにこのテーマを描いてしまうと炎上しかねない、ということなんでしょうか。

  婚約者の友人2.jpg アンナの意志の強い美しさが印象的。
 だからそれが崩れる脆さ、立ち直るために必要な過程・・・がラストシーンに集約される。
 何故、人は期待してしまうのだろう、希望通りに物事が運ぶと。 そしてその<希望>とは<自分に都合のいいこと>にすぎないと気づいてしまうとき、人は成長するのだろうか。 もしくは、壊れてしまうのだろうか。
 まったくもって、フランソワ・オゾン的な映画でした。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする