2017年11月08日

ブレードランナー 2049/BLADE RUNNER 2049

 あたしが『ブレードランナー』を初めて観たのは中学生のとき、テレビの洋画劇場だった(勿論吹替版で、ノーカットじゃない)。
 当時、とても盛り上がりました。 学校で、「あれ観た?」と話し合ったことも覚えている(ちなみにみなさん女子。 『ブレードランナー』は男性に人気があると言われるけれど―だから続編の公開前は「映画館に来るのは中年男性だけだ」と揶揄されていたりしたわけですが、女子にだって『ブレードランナー』の面白さはわかります)。
 その後、ノーカット版を観たいと思いつつも、ディレクターズ・カットやファイナル・カットなど様々なヴァージョンが存在することを知り、何を観たらいいのかわからなくなり・・・だから結局、あたしの『ブレードランナー』体験はその一回きり。 でもそれだけで十分なほどインパクトがある作品だった。 勿論、様々な記憶媒体の障壁を降り越えて「何百回も観た! 自分の人生を変えた作品!」と断言できてしまう人たちには愛情の深さはまったくかないませんが、SFというジャンルへの愛情をあたしの中につくりあげたひとつであり、人間ではない“もの”に対する偏見のなさ(それは同時に自分以外の存在に対する視点でもある)を育ててくれた作品でもあるわけで、それなりの愛着はあります。
 今回、続編公開に先駆けて地上波の夜中に、多分昔観たTV放送ヴァージョンをやっていて、それが唯一の復習。 でも観てよかった。 かつて盛り上がって喋りまくった内容(当時のあたしたちなりの解釈)が映画から得たものだと思い込んでいた! 記憶は勝手に改変されるものだが、ここまでとは・・・。
 『ブレードランナー2049』は、そんなあたしのいろんな思い込みも含めて「実はそれも、解釈の一つですよ」、という安心を与えてくれた。 勿論答えは一つじゃない、謎はすべて解明されてはいない。 それでも、あらゆる解釈を否定することなく『ブレードランナー』と同じ世界観で、30年後の未来をまた新しいビジュアルで提示する。 さすがだ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ!

  ブレードランナー2049−P.jpg 知る覚悟はあるか――。

 2049年、ロサンゼルス。 レプリカントの相次ぐ反乱でタイレル社はすでに倒産、2022年に起きた大規模停電をきっかけに世界的食糧供給異常が発生し、地球上は大混乱。 科学者で実業家のウォレス(ジャレッド・レト)が2025年に遺伝子組み換え食品で世界の食糧危機を解決し、ウォレス社は一躍世界的大企業へ成長する。 更にウォレス社はタイレル社の権利を買収し、人間に決して逆らわないレプリカントを新たに開発、寿命も撤廃した。 その結果、人間とレプリカントは一見共存している。 ロス市警に所属し、ブレードランナーの職務をまっとうしているK(ライアン・ゴズリング)もそんな新型レプリカントの一人で、地球に隠れ住む旧型レプリカントを狩っている。
 が、ある日、Kがある仕事を終えたとき予想もしないものを発見する。 それがすべてのはじまりだった・・・という話。
 冒頭、説明文が一作目のように出て、レプリカントとブレードランナーという単語のみ赤文字になる。 なんかもうそれだけでテンション上がっちゃった!

  ブレードランナー2049−2.jpg 基本無表情でありながら、いつも苦悩しているように見えるK。
 Kはレプリカント。 とはいえ高い知能を持ち感情に近いものも持っているように見えるし、知らなければ人間との区別はつかないのではないかと思う。 職務には忠実、上司(ロビン・ライト)にも絶対服従。 なのに同じロス市警の警官から「ニセ人間!」みたいな罵詈雑言を吐かれ、虐げられている。 それに耐えているKを見ていて、「かわいそう!」とつい思って人間への憎しみが募るのだ。 “人間らしさ”とはなんなのか、というのは前作の大きなテーマであったが、それをもう今作は冒頭から投げてくる。 むしろ主人公をレプリカントにすることで「人間とレプリカントとの違いとはなんなのか、違いにこだわることがなにを生み出すのか」をより強く打ち出すことに。 あたしはすっかりレプリカント寄りの気持ちになってしまった。
 そして日本語文字電子看板も健在(「強力わかもと」ほどのインパクトがあるものはなかったが)。 Kが書く書類にも「LAPD」の下に「ロサンゼルス市警」と日本語で書いてある。 ホログラムの人形は日本のアニメキャラっぽかったし、多国籍の中に点在する日本を見つけるのもまた楽し。 前作はほとんど夜、雨だったけど、30年経って大気汚染がより進んで気象変動が激しくなり、雨だけでなく雪が降るという描写は結構好きだった。 昼のシーンも多くなったし。

  ブレードランナー2049−4.jpg カギを握る二人の女。 左はKの上司、右はウォレスの秘書ラヴ(シルヴィア・フークス)。
 ラヴはウォレス曰く「特別なレプリカント」。 彼女もまたウォレスのためならなんでもする。 それがまた切ない・・・(やることはひどいけど)。
 この人、見たことあるんだけど・・・とずっと考えていたのだけれど、『鑑定士と顔のない依頼人』の謎の依頼人だった! こんな筋肉ついてなかったぞ・・・髪型が変わるともうわからないなんて、ダメじゃんあたし!
 全体的に台詞が少ないので、静かで美しく、圧倒的で何かを語る映像、微表情で多くを語れる俳優を揃えたのが勝因。 観客に解釈をゆだねつつも、必要な情報は惜しげもなく投入する。 前作の銀の折り鶴に当たるような木製の馬も登場。

  ブレードランナー2049−3.jpg そしてKは元捜査官デッカード(ハリソン・フォード)とついに対面。
 なんかこの建物、『ドクター・ストレンジ』の最後の砦によく似てる気がするんだけど・・・砂漠化したため誰も立ち入らないラスベガスの廃墟という設定でした。
 Kとデッカードが容易くわかりあわない(というか、デッカードが誰に対しても心を開かない)だろうことは推測できたけど・・・それが彼の過ごした30年という時間の結果で、彼の頑固な偏屈さにもイラっと来なかった。 すみません、正直今までハリソン・フォードを「演技がうまい俳優」だと思ったことがなかったのですが、それを謝罪します! こんなにうまい人だったんだ、と今更ながらに気づきましたよ。
 多国籍文化社会になったはずなのにやはり描かれるのはキリスト教的世界観であったり、アメリカ的価値観であったりはするもののの、そこはあまり重要視せずに、これはKとデッカードそれぞれの旅路がたまたま合流した物語である、と捉えたい。 でもそれは、偶然のように見える必然で。
 だからデッカードは辿るべき道に立つ。 Kの調査とK自身の“作られた記憶”のおかげで。
 あぁ、知性とは、感情とは一体何なんだろう。 場合によってはないほうが幸せなのかもしれない。
 塗り替えられていく記憶でも、それが自分が自分でいられるために必要なもの。 決して変わらぬ記憶を持つレプリカントは、一体どんな夢を見るのか。 くしくも原作の問いかけもまたよみがえる。
 静かに雪が降る中、Kの、そしてデッカードの旅の終着点にあたしも立ち会った、見届けた。
 ラストシーンへ至る数分間、突然感情の波が押し寄せてきた。 それまでまったく平気だったのに、二人のそれぞれの表情に、突然。
 暗転し、タイトルが表示された瞬間、あたしはその波に飲み込まれて涙が突然あふれた。 エンドロールの間中、ずっとあたしは涙をぬぐっていた(だからエンドクレジットをしっかり読めなかったことが心残り)。 こんなふうに心を持っていかれたのは『カティンの森』以来ではないだろうか・・・。
 『ブレードランナー』あってのこの映画だけど、この映画だけでも十分評価されていいのでは。

  ブレードランナー2049−P2.jpg 上映後、盛り上がりすぎてクリアファイルセットを買ってしまった。 A4サイズ。 映画のチラシを入れるならB5、手帳に挟むならA5サイズのほうが使いやすいのに・・・。
 実は公開から結構早めの時期に観に行ったんですが・・・「一週目なのに一日の上映回数が少なくない? レイトショー20時スタートって早すぎない?」と思っていたら・・・上映時間2時間40分だった!
 でもあたしは長さは感じなかった。 圧倒された。 素晴らしかった。

 以下、ネタバレを含む部分は追記とします。

つづきはこちら
ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする