2017年10月08日

関ケ原

 結構前に観たのですが、感想を書くのが遅れてしまいました(上映が終わってしまいそうな小規模公開作品を優先してしまったので)。
 日本映画で、大作、そこそこヒット、とあれば割と長く上映してるし〜、と思って油断していたらそろそろこっちも終わりが近いような気配。 まとめて映画を観に行くと、それはそれで楽しい時間ではあるのだけれど、だんだん身体的に疲労が出るようになってきてしまった・・・。 そして書くべきものがいっぱいたまってくると、ちょっと気が重くなる。
 自分で勝手にやってることなのに、いつやめてもいいことなのに、なんでそんな風に考えちゃうかな!
 と、自分の性格についても、反省。

  関ケ原P.jpg 「愛」と「野望」、激突!
   日本の未来を決した、わずか6時間の戦い。誰もが知る「関ケ原」の誰も知らない真実――

 司馬遼太郎の原作は未読。 あの時代のことはなんとなく知ってはいるし(一応日本史取ってたし、ドラマとかもこれまで結構見てきたし)、と思ってあえて予習はせずに。 むしろ『日本のいちばん長い日』のほうが予習が必要だったよな、とか思い出してみたり。
 まぁあたしは原田眞人監督の<男まつり>の雰囲気が大好きなので、題材がなんだろうが観てしまうと思うのですが。
 かなり端折ってあるだろうな、というのは予想していた(だって、原作は文庫で上中下巻だよ)。 そこはナレーションとテロップでカバー。 映画では人物名のテロップって結構禁じ手というか、勇気がないとできない気がしてたけど(年号とか場所とかはありだけど)、ここまで堂々とやられると潔いな! それでも、事前知識がゼロだったらかなりつらいと思う・・・週間興行成績一位を二週連続取っちゃったのは、映画館に行く人たちの平均年齢の高さを証明してしまっている気がする。 地上波で時代劇が観られない、というフラストレーションもあるかもしれないけど(CS・CATVの『時代劇専門チャンネル』は好評らしいけど)。
 というわけで、「ある程度のことはわかってますよね!」が前提の映画です。

  関ケ原3.jpg ところどころ、すごく色が印象的に使われていて、美術さんの仕事の素晴らしさに目を見張った。

 西暦1600年10月21日(慶長5年9月15日)、実際は数時間でカタがついてしまった<天下分け目の関ケ原の合戦>。 それに至るまでの道程を、石田三成(岡田准一)側をメインに徳川家康(役所広司)側とともに描く。
 光成が島左近(平岳大)を三顧の礼で臣下に迎えたとか、興味深いエピソードをちりばめた結果、全体像が見えにくくなったきらいもあるけれど、でも流れだけ追っていったら年表になっちゃうし仕方ないのかな。 多い台詞を早口でやり切っているみなさん、おつかれさまです。 でも役所広司はさすがそんな感じはなかったけど、岡田くんはちょっと聞き取れないかな?、というところが・・・(まぁ、それだけ台詞が多いんですけどね)。 時代劇特有の単語もあるし、それを知らないと更に聞き取れない可能性も。
 個人的には豊臣秀吉を滝藤賢一さんがこれまでにないアプローチでやっていたのが新鮮。 あぁ、『クライマーズ・ハイ』から何年たったんだっけ・・・としみじみしちゃいました。 他にも、中村育二・辻萬長・堀部くんなどなど脇を原田組常連役者さんたちが固めているのがうれしい! あれ、木場勝己さんがいない!、と途中で焦りましたが、ナレーターでした・・・(またなんか語りがうまいんだ。 台詞とは声の出し方が違うから最初気づかなかった)。 まぁ、登場人物多いので、見逃している人もいるかも。

 あたしが子供の頃に観た史実を踏まえた風の時代劇ドラマでは、石田三成といえば悪役のイメージが強く(それこそ淀殿と謀って権力狙っちゃいます的な)、「実は義の人でただ不器用なだけ」という解釈は最近なのかと思っていたんだけれど、<司馬史観>とまで言われる歴史のイメージの作り手が最初から光成をこうやって描いていたのか!、というのは驚きでした。 となると何故、悪役のイメージが付いたのかが不思議ですが、どうせ過去の人だからよくわからないし、イメージ変えてみよう!、みたいな時期があったのかもな・・・。 吉良上野介も井伊直弼も、悪役っぽさは薄れてきたし(まぁそれは一次資料等、新しい研究成果が出てきたこともあるけど)。
 <大一大万大吉>を旗印にする石田三成はまっすぐなほどの理想主義者で義を最も重んじる人。 けれど短気で性急に結果を求めるところがあり、「理解できない者に理解してもらわずとも構わぬ」という姿勢。 三成の近くにいる者はそういう欠点も含めて彼を愛しているのだが、そこまで近くない者たちには彼の美点が伝わらない(むしろよろしくない部分こそ広まる)、というのが三成の敗因だったというのがすぐわかる。 自ら心酔して仕えていた豊臣秀吉の人たらし的な要素、何故真似しなかったのか。 性格的に真似できなかったのか。 有能ではあれど人の上に立つ柄ではなかったのに、立たざるを得なかったというのもまた三成の悲劇か。
 でもそんな痛々しさを痛々しく見せない、壮大な夢を見る頑固な癇癪持ちとしていたのが岡田准一版石田三成でした。
 一方、まさに<タヌキおやじ>そのものなのが、徳川家康。

  関ケ原1.jpg どんどん巨漢になっていく家康。 作り物のおなかが面白すぎる。
 <鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥>の例え通り、結果を急がず、着実に豊臣の臣下を一人一人切り崩していく様子は「わー、あくどい」という感じ。 老獪という言葉はこの人のためにある、というくらい。 そりゃ石田三成とは性格合わないよな、と納得できる。 あくまで秀吉の家臣という立場から出なかった三成と、もっと先を見ていた家康とはスタートラインがそもそも違うわけで、目的のためなら何でもやる家康のほうが勝つのは当たり前だよね、と思ってしまう。 ただどっちが好きかはそれぞれ個人の問題で。
 家康、結構ひどいんだけど・・・役所広司は「ちょっとユーモラスで、なんかちょっと憎めない」部分を少し強調しているようで面白かった。 本多正信の気持ちがちょっとわかって余計おかしい。 その分、福島正則らがかなり単純バカっぽく描かれていて、ちょっと気の毒になってきた。
 忍びの方々の生き残り策も興味深かった。 原作を読んだことのある人に聞いたところ、初芽(有村架純)は忍びではなかったようですが・・・三成との関係性を示すにはそのほうがわかりやすかった(活躍させやすかった)からかな?

  関ケ原2.jpg 合戦シーンは現時点でできる最大限の迫力。
 戦争は情報戦、というのは現代では常識だけど、その当時でもその意識があるかないかが大違いだということがしみじみ。
 なんで西軍が有利って思われたんだろう・・・どう見たって不利でしょうよ、と感じるけど、それは未来から見てるから、全体の流れを俯瞰で見れているからだろう。 この視点が三成にあったら、<関ケ原の戦い>はなかったかもしれない。 敵を一掃し、味方か否か見抜く機会を得られた家康は、もしこの戦がなかったら天下統一が遅れたかもしれない。 歴史にIFはご法度だというけれど、ついつい考えてしまう。
 小早川秀秋(東出昌大)がキーマンとして描かれていたけど(いわゆる「臆病な卑怯者」のイメージではなく、「義と利の間で苦悩する優柔不断な人物」になっている)・・・それは一つの要素でしかなくて、すべては家康の目論見の末。 天下を取るための用意周到さを前に、結局三成は対抗しきれなかった、という感じか。
 男まつりを期待したけど(ある程度は楽しめたけど)・・・思いのほか女性たちの活躍が目立っていたのでびっくり。 ジェンダーフリー?
 あと、島津側とか地方から応援に駆けつけてきた下級武士たちのお国言葉丸出し感もすごく面白かった(一部では「何言ってるのか全然わからない」と不評のようですが・・・別に一字一句聞き逃してはいけないようなセリフってわけではないし、ここは雰囲気が伝われは十分なのでは)。 標準語(共通語)制定前の日本、って感じがリアルっぽくて。
 木場さんの語りは司馬遼太郎のものなのか、それとも監督のものなのか、それもちょっと気になった(原作を読めということですかね・・・)。 ともかく、原田監督の「この題材で映画を作りたかった!」という熱量は感じました。 でも明らかに時間が足りてない・・・特に前半。 いっそのこと前後編5時間とかにすればよかったのに。 劇場公開が厳しければテレビドラマでも・・・予算出せなかったかな。
 でも、監督の次回作が『検察側の罪人』だというのはなんか微妙・・・。 原田監督発信の企画なのかどうか、今の段階では感じられないのだけれど、今回は「岡田くんが三成を演じられる年になるのを待っていた」とのことなので、若い俳優もチェックしているんですね。

ラベル:日本映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする