2017年10月02日

パターソン/PATERSON

 ジム・ジャームッシュってなんとなく「オシャレ映画」のイメージがあるような気がするのはなんでだろう。
 過去の『ストレンジャー・ザンパラダイス』『ダウン・バイ・ロー』のせいであろうか。 『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』のあたりもそうだったけど、「他の人にはわからないかもしれないけれど、私にはわかる」という、今で言うところの<意識高い系>の方たちがメディアを通じてジム・ジャームッシュをほめていたような気がしてたから。 その頃はあたしも若かったし、地元の映画館で公開されてなかったと思う(ミニシアター系作品、ほんとにやってなかった。 唯一観ることができたのは特別上映された『ベルリン・天使の詩』だけである)。 でも、その後あたしがジム・ジャームッシュ作品を観るようになって感じたことは・・・「これって、コントだよね?」ということ。
 一見シリアスな場面のように見えても、すべては笑いのために構成されているような気がして。 でもその<笑い>の種類も受け取り方によって面白かったり面白くなかったりするような微妙なもので・・・「映像がきれい」とか「構図が面白い」という映画として正しい(?)部分があるのでコントだと気づきにくいんだけれど。
 結局のところ、あたしは彼の映画をシティボーイズライヴと同じような系統にあるものとしてとらえているんだけど、昔からの<オシャレ映画>の刷り込まれを分離できてない、ということか(うーん、でも音楽が題材のときにはオシャレのほうが優先されている気がするし・・・)。
 自分の中にあるイメージを、はっきり形にしたり説明するのは難しい。

  パターソンP.jpg 毎日が、新しい。

 アメリカ、ニュージャージー州パターソンという町での出来事。 バスの運転手をしているパターソン(アダム・ドライヴァー)は、実は詩人である。 毎日ノートを常に携帯し、頭に浮かぶ言葉を書き留めている。 そんな彼の、ほとんど変化のない同じような日々の繰り返しでありながら、もしかしたら彼のその後の人生に影響を与えてしまったかもしれない一週間を描く。
 はじまりは月曜日の朝から。 妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)よりも早く起き、ドーナツ型のシリアルを食べて出勤、出発前のバスの中でノートにペンを走らせ、時間だからとバスの運行を始める。 乗っては降りていくお客さんたちの会話の断片が詩にインスピレーションを与えてくれることもある。 ローラが作ってくれていたランチボックスで昼食。 仕事を終え、歩いて家に戻るとローラは何か新しいものに挑戦しており、その話を聞きながら夕食。 そのあと飼っている犬の散歩に出かけ、行きつけのバーでビールを一杯。 それがパターソンの基本の行動パターン。

  パターソン4.jpg この犬がブサカワ系代表のような佇まいで・・・大変キュート。
 でも同じように見えて、同じ毎日が繰り返されるはずもなく、基本は外さずとも変化はそれなりにある。 <事件>というレベルではなくとも<出来事>はあって、そのささやかさがささやかですまないのは、やはり主人公が“詩人”だからなんだろう。 といっても彼はプロの詩人ではなく、一人でノートに書き溜め、外に発表する気もないアマチュア詩人ではあるのだが、生き方として詩人の道を選んでいるから。 誰もが見逃してしまいそうなことを掬い取り、繰り返し言葉を吟味する。 はじめに思い付いたフレーズをどう推敲していき、どう詩を続けるかの過程がナレーションでわかって結構面白かった。 ま、それはあくまで彼のやり方ではあるけれど。

  パターソン5.jpg パターソンという町に住む、パターソンという名の人物。 それだけでギャグにはなるが。
 しかしこの町はやたら双子の出現率が高い。 いつものバーで常連同士顔見知りの人物が兄弟を連れてくると顔がそっくりだったり(おまけにその二人の名前はサムとデイヴなのである、黒人で。 サム&デイヴ!)。 なので名前が面白い(?)のはパターソンだけではないのだった。
 そういう、ちょっとニヤリとさせる部分が、この映画にはたくさんある。 まさに、愛すべき日常。
 帰宅途中に出会った少女が詩を書く人で、彼女の口からエミリー・ディキンソンの名前が出てくる。 やはり彼女はアメリカで愛されている偉大な詩人なのだね。
 また、彼の詠む詩がスクリーンにテロップで出るのはすごく親切。 その文字と対訳とを比較できるし、はっきり単語がわかる分、韻を踏んでいるのかどうかも分かりやすい。

  パターソン1.jpg パターソンがあまりに誠実で純朴に映るが故に、ローラの行動はあまりにエキセントリックで自分勝手に見えてしまうのが玉に瑕。
 モノトーンと奇抜な柄を愛し、芸術家気質のローラは毎日のように部屋の模様替えにいそしむ。 そして「あなたの詩は素晴らしいんだから、きちんと写しを取っておくべきよ」と再三勧め(実はパターソンはあまり乗り気ではないのでなんとかごまかして時間を稼いでいる)、「ギターほしいの」とおねだりもする。 夫がつつましい生活をしているのにどういう妻だよ、ほしいものがあれば自分で働けよ!、と一瞬あたしは思ってしまったのだが・・・パターソンくんがこの妻をとても愛しているらしいことに気づき何にも言えなくなる。 あなたたちがそれでいいのなら、いいんです(のちのち、公園のバザーみたいなものでローラがカーテンの模様のようなマフィンを大量に作って見事完売させたりしているので、金銭問題は特にないと考えることにした)。

  パターソン2.jpg だが、不意に<事件>は起こり・・・。
 落ち込んでいた時に出会ったのが日本から来た観光客(永瀬正敏)。 彼は日本で詩を書いていると言い、ずっと好きだったパターソン出身の詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが生まれ育って詩を詠み続けた場所を見てみたかったのだと告げる。 彼の手には日本語に翻訳された『パターソン』という詩集が(中は原文と対訳という構成で、外国映画の場面で日本語の文字を見るというシュールで不思議な体験をしてしまった)。
 彼は言う。 「詩は翻訳してしまったら大事なニュアンスが失われてしまう。 元の言語で読まなければ」。 だから彼は日本語で詩を書くのだと。 見た目は明らかに日本人ビジネスマンみたいなんだけど、彼もまた詩人としての生き方を選んだ人なのだろうか(でも若干、永瀬正敏やりすぎじゃない?、というくらい癖のある言い回しは笑っていいものかどうなのか・・・ここで日本人を登場させるのがオフビートなのか)。
 彼との出会いがパターソンにどのような影響を与えたのかははっきりとはわからない。 でもこの一週間は、パターソンの何かを変えた。
 次の一週間がまた同じように始まりそうなエンディングではあるけれど、彼の変化がどちら側に転ぶのかはわからなかった。 どっちにもとれるんだけど・・・希望があるほうを信じたいけれど・・・どうだろう。 観る側の精神状態でも受け取り方が変わる可能性があるなぁ。
 ちなみに、作中でパターソンが詠む詩は、実在の詩人ロン・パジェットのものとのこと。 この映画のための書き下ろしなのか、もともとある詩から映画に合ったものを選んだのかは、エンドロールからはわからず。
 言語とは文化そのものでとても繊細なものである、というメッセージは明快なんだけど、言語に不案内な人はどうしたら・・・その橋渡しをする翻訳者という存在を否定してはいないと思うんだけど、すごく重要だってことが言いたいのかもしれない。
 しみじみ、じんわりと来る面白さにあふれた映画なんだけど・・・最後、ちょっともやもや。
 そのへんを含めて、ジム・ジャームッシュなのかな。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする