2017年10月31日

10月の終わりは、10冊。

 あぁ、今年も十分楽しめないうちに10月が終わってしまう。
 それもこれも、夏が長いからである。 というか、夏でもないが秋でもない、という曖昧な期間がしばらく続き、不意に冬になっている。 あぁ、秋の存在感の薄さよ・・・(そのわりに、身体はブタクサ花粉症などに反応しているのだが)。
 読書の秋!、という響きが好きなのだが・・・あまり実感できない。 でも出版社的には9〜11月は結構力入れてる感じよね。

  ダークタワー7−1.jpgダークタワー7−2.jpg ダークタワー7 暗黒の塔/スティーヴン・キング
 新装版<ダークタワー>もついに最終巻。 表紙の軽さ加減も最後まで変わらず、ある意味統一性を保つ。
 えーっと、これが<黒衣の男>なのか・・・とちょっと切なくなってみた。 ローランドもイメージなんか違う・・・。
 来年公開だという、エッセンス絞った映画版を楽しみに待ちましょうかね! でもその前に『IT/イット』だけど。

  クリフトン年代記7−1.jpgクリフトン年代記7−2.jpg 永遠に残るは<クリフトン年代記7>/ジェフリー・アーチャー
 そして<クリフトン年代記>もついに最終巻! これでやっと読めるよ〜。
 だって、絶対毎巻いいところで終わるだろうから、続きを待たされるのはイヤだったのよ。 完結してから一気読みだ!、と心に誓って完結を待っていましたが、思っていたより早かった気がする。 結構いいお年なはずなのに創作意欲が衰えないジェフリー・アーチャー、おそるべし。 翻訳の戸田さん、おつかれさまでした。

  ブレードランナーの未来世紀町山智浩.jpg ブレードランナーの未来世紀/町山智浩
 『ブレードランナー2049』の公開に合わせるように。 まぁそういうタイミングがないと文庫にならない場合もあるからね。 コンパクトにまとまった映画コラムもいいけれど、時には文字数にとらわれない映画評論が読みたいときもあるのです。
 ちなみに・・・今の仕事場で初めて知り合った人(神戸時代を知らない人)から、「えっ、かしこんさん、ホラー映画もSFも観るの?! 意外!」と言われてしまってショックを受ける。 何故だろう。 その人にはあたしはどう見えたのか。

  黒い睡蓮.jpg 黒い睡蓮/ミシュル・ビュッシ
 『彼女のいない飛行機』の作者の作品が、遡って翻訳(こっちのほうが前に発表されている)。 『彼女のいない飛行機』が好評だったということだろうし、『その女アレックス』から始まったフレンチ・ミステリブームも微妙に定着し始めたということかもしれない(もしくは、北欧ミステリブームに乗り遅れたところがフランスを発掘しているとか)。
 でも、翻訳小説界が盛り上がってくれればあたしとしては問題ない。 面白い本が読めればいいので。

  天空の約束.jpg 天空の約束/川端裕人
 <空の一族>の物語、と帯にあるけれど、『雲の王』との関係について言及なし。 続編ではないのか? 時代が違うし、短編集だから? でも同じ世界観を共有シリーズであることを言ってもいいのでは。 それともシリーズものであることを言うと、「前のも読まないといけない」とプレッシャーを与えることになって売れにくくなるとか?
 でも有名シリーズだったらそこはセールスポイントになるんだろうなぁ。

  いもうとは秋田犬2悩めるビギナー編.jpg いもうとは秋田犬 悩めるビギナー編/小池田マヤ
 『いもうとは秋田犬』の続巻、忘れたころに出ました。
 マンガ界もいろいろ大変みたいだけど、こうして本が出るのはめでたいことだと。 そして油断するとあっさりなくなってしまうので、見つけたら買っておかないとね!

  ポンド氏の逆説新訳版.jpg ポンド氏の逆説/G・K・チェスタトン
 チェスタトンは<ブラウン神父>シリーズだけではない、を証明するかのように、しかも新訳で続々出てくる。 もう、古典は揃えてやろうじゃないか!、みたいな気持ちにだんだんなっているあたし。 短編集は切れ味の鋭さと論理性が命。 それに、中途半端に古い作品だと、「携帯電話があればすぐ連絡つくのに!」とか、「DNA鑑定できれば一発なのに!」という予断が入ってしまうけど、はるか昔の話であればいっそそんなこと考えることもないのが潔い。
 しかも「ありえないのに合理的、逆説が導くさかしまの真実」という帯の言葉にやられちゃいましたよ。

  絞首台の謎.jpg 絞首台の謎/ジョン・ディクスン・カー
 <判事アンリ・バンコラン>シリーズ新訳最新刊(実際にはシリーズ2作目だそうです)。
 カーの怪奇趣味が炸裂なようですか、「鮮烈な幕切れが余韻を残す」と帯にあるので・・・乱立する本屋さんの手書きポップにはあまり影響されないあたしですが、帯の文句にはつられがちです。 特に東京創元社、なんだかんだいって帯の言葉がうまい。

ラベル:マンガ 新刊
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2017年10月30日

スチーム・ガール/エリザベス・ベア

 これはちょっと間違えて手に取ってしまったことはすでにお知らせの通り。
 『スチーム・ガール』と聞いて「蒸気の女の子?」と考える人はそんなにいないとは思うが、「スチームパンクSFの世界観で女の子が活躍する話ね!」と瞬時に気づける人はまごうことなきSFファンである。

  スチームガール.jpg 描きたいのは<ガール>です!

 ということでさっそく読みだす。 買ってすぐの速いペースは最近珍しい!
 舞台はゴールドラッシュに沸くアメリカのある港町ラピッド・シティ。 物語はスチームパンクであり西部劇でもあり、切り裂きジャック的な殺人事件も絡ませ、高級娼館で働く人々の暮らしを活写しつつ、語り手の<わたし>の成長を鮮やかにキラキラと描き出す。
 ちなみに原題は“Karen Memory”。 カレン・メメリーは主人公の名前。
 男らしさとか女らしさとかにこだわることなく、自分を偽らず正直に生きる人たちはたいていなんらかのハンディを抱えている社会的弱者。 対して悪役たちは文化的男女の違いに忠実で、頭が固くてあくどいから権力を手に入れている。 そんな一部紋切り型の構図がまったく気にならないほど、<わたし>たちは生き生きとしていてとても前向きでナチュラル。
 この感覚、今でこそ必要というか、これが常識になってほしいというか。
 カレンもつらかったらすぐに泣くし、気持ち悪いものを見ちゃったら吐きそうになるし、職業が縫い子である以上他人に見られることをいつも意識しているはずなのに、そのオンオフスイッチの切り替えは早い。 でも亡き父親を思い出させてくれる副保安官の存在や、なにより恋するプリヤのおかげでカレンは勇気や強さのようなものをどんどん自分で勝ち取っていく。 その姿が爽快。
 ラノベと勘違いしちゃってすみません(別にラノベを下に見る気はないんだけど、一部表紙があまりにもマニア向けなんで知らないとちょっと引いてしまうのです)。
 描かれている時代は19世紀だけど、21世紀だからこそ生まれたスチームパンクSFでした。
 読後感も最高!
ラベル:SF
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2017年10月29日

ドリーム/HIDDEN FIGURES

 これはすごく観たかった。 それこそアカデミー賞にノミネートされた時から。 タラジ・P・ヘンソン好きだし(『パーソン・オブ・インタレスト』を観ていた人ならこの気持ちわかるはず!)、おまけにオクタヴィア・スペンサーも出るとなれば素晴らしい。
 これでヴィオラ・デイヴィスもいたら最強なんだけど、彼女は『フェンス』に出ていたので仕方がない。 それに、キャラ的に彼女に会う役は残念ながらなかったし。 むしろ、いつもにぎやかし担当みたいなオクタヴィア・スペンサーがどっしり構えた賢い女性を演じていることで(ある意味、ヴィオラ・デイヴィスが担当の役柄)、類型にならない、とても説得力のあるいい映画になったと思う。
 だから邦題のどうしようもないダサさ(特に問題になったサブタイトルをつけるセンスのなさ)については非常に残念だった。 なのであたしは原題通り『ヒドゥン・フィギュアズ』と呼んでいるよ。 むしろ邦題、『わたしたちの計画』でよかったんじゃない? 夢と呼ぶより、彼女らは賢く辛抱強く、実現させる機会をいつもうかがっていたのだから。

  ヒドゥンフィギュアP.jpg すべての働く人々に贈る、勇気と感動の実話

 東西冷戦下である1961年、アメリカとソ連はまるで代理戦争のように宇宙開発競争を繰り広げていた。
 ヴァージニア州ハンプトンにあるNASAラングレー研究所では、国内から選りすぐられた頭脳が集められ、宇宙開発計画のための役割を担っている。 が、そこにおいても人種差別は存在し、<西計算グループ>という呼び名の棟から黒人女性たち出ることはなかった。 たとえ彼女たちが計算手としてどれほど優秀であっても。
 リーダー格であるドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は、管理職不在の現状を告げ、人がいないなら自分がやってもいいと申し出るが、上司にあたるミッチェル(キルスティン・ダンスト)に「黒人グループには管理職を置かない方針なの」とあっさりいなされる。 技術部主任の強い要請で転属が決まったメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニアを志しているが、技術部の中には自分を歓迎していない人たちがいることを肌で感じ、黒人であることの足枷を思う。 だが、幼少時から天才的な数学の能力を発揮してきたキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)が、トラブルの穴埋めとして急遽宇宙特別研究本部に派遣されることに。 これはあらゆる意味で大きなチャンス! 西棟の全員はキャサリンを応援するが、そこはオールホワイトの職場であり、すべてがキャサリンの不利にしかならない場所だった・・・という話。

  ヒドゥンフィギュア1.jpg それでも自分にできることを必死にやる。
 当時、「コンピューター」とは計算手のことを指す呼び名であった(同時期にIBMの大型汎用機が導入されるのだが、それのことは「IBM」と呼んでいる)。 つまりキャサリンはNASAでも指折りの「コンピューター」。 なのに、本部に行ってから、フリーで置いてあるポットからコーヒーを注いだだけでその場の空気が凍る(マグカップは彼女持参のものであった)。 本部勤務キャサリン以外唯一の女性秘書にお手洗いの場所を聞けば、「さぁ、このあたりに有色人種用のはないわ」とすげなく返され、遠く離れた西棟のいつものお手洗いまで走って往復することに。 しかも翌日には“COLORED”とラベルされた小さなコーヒーポットが置かれるのだ!、あたしはもう腹が立って仕方なくて。 これって怒っていいんじゃないの?! せめて一言、上司にいったらいいじゃないか!
 でも、それが言えるならこうなってはいないわけで(そういう時代だったんですよね・・・)。 彼女たちは「好きなことを仕事にできる」という、自分が黒人の中でも恵まれた環境にあることをわかっていて、ただ文句を言うだけでは物事は解決しない・実績を積み重ねることでしか成果を証明できないから、ただひたすらに頑張る。 いつか誰かが認めてくれることを願いながら。
 彼女たちの姿を見ていたら、ただ声高に主張や権利を叫ぶデモやその結果としての暴動とか、バカみたいだよね、と思えてくる。
 暴力に訴えるようになったらおしまい。 もっと穏やかに、スマートに、でも妥協はせずに解決を。 男性ではなく女性がリーダーになったら争いは減る、という統計に頷きたくなる描写がいっぱい(でもそれは彼女たちが賢いだけでなく社交性をも兼ね備えているからです)。
 この三人については、みなさん子持ち、というのも大きいかも。 子育てって忍耐だもんね。 黒人社会における女性の役割も果たしつつ、NASAで仕事もして家庭も守る。 ただNASAで働いているだけの白人男性職員よりも多くの種類のことを彼女たちはこなしているわけで、そりゃマルチタスク人間になりますよね。

  ヒドゥンフィギュア5.jpg あら、マハーシャラ・アリさん、こんなところにも。
 キャサリンは夫と死別、子供はいるが現在は独身なので再婚話はいろいろあったみたいなんだけど・・・なにしろ賢すぎるのがネックになってたみたいで。 この恋がどうなるのかも注目です。
 頑張っているのはキャサリンだけじゃなく、他の二人も。 些か口が過ぎる性格のメアリーは本格に黒人女性初のエンジニア職を目指すことにするも、いくつもの制度の壁が立ちはだかるけれどひとつずつ打ち壊していくし、ドロシーはIBMが本格的に起動し始めたら計算手の仕事がなくなる、西計算グループは解散させられると感じてプログラミングをみんなに学ぶよう言う(当時はフォートランでしたよ! そこでも時代を感じましたわ)。 ドロシーは自分の仕事だけでなくグループ全体のことも常に考えていて(勿論それは同時にNASAのことでもあるんだけど)、リーダーというか上に立つものはこうじゃないとね!、という貫録を示してくれました。

  ヒドゥンフィギュア3.jpg 宇宙飛行士たちと挨拶。 黒人メンバーは奥にひっこめておけ、な人たちの思惑とは関係なく、自ら進んで握手に行く宇宙飛行士くんがかっこいい。 こういうフラットな考え方の持ち主だからこそ宇宙飛行士になれるんだろうな、と考えさせられた一幕でした。
 そう、アメリカは宇宙開発でソ連におくれを取ったわけですが、それって人種差別してたからじゃない? 能力の高い者を「有色人種だから」と花形部署に入れなかったからじゃないの? なんかそんな風にも思えてきちゃいましたよ。
 ちなみに、メアリー役の女優さん、『ムーンライト』の売人(マハーシャラ・アリ)の恋人役の人だそうで・・・全然違うから気づかなかった!

  ヒドゥンフィギュア4.jpg ケビン・コスナー、一時期はどうなるかと思ったけど・・・渋い立ち位置のおいしい役をやるようになってまた安定しましたね。
 宇宙特別研究本部の本部長ハリソン(ケビン・コスナー)は学者バカ&仕事人間。 キャサリンの能力に誰よりも早く気づくも、彼女が置かれた立場には全然気づかない・・・「いつ気づくんだよ!」というのもまた見どころです。 やっぱりケビン・コスナー、期待は裏切らない!、と思わせてくれますよ(それまでちょっと長いけど・・・ほんとに仕事人間はこれだから)。
 ハリソンとキャサリンのはぐくまれていく信頼関係(勿論、そこにあるのは数式)にも心温まります。 そういう人がいてくれたら、つらい仕事も頑張れる。

  ヒドゥンフィギュア6.jpg キルスティン・ダンスト、今回怖かった・・・。
 60年代なら女性の社会進出もようやく一般化しているはず。 とはいえ男性に対する割合としたら明らかに少ないわけで・・・女同士、連携できるはずなのに「自分は白人だから」というよくわからない自負(?)が西計算グループに対して冷たく当たらせるのか? 本部の秘書女性もそうだけれど、別に嫌がらせはしないけど助けないという姿勢が一貫していて、当時のアメリカ社会におけるなんとも言えない空気感を表現してました。 だって、NASAで働いているってことはみなそれなりのインテリのはずで、インテリは自分が差別しているなんて思いたくないもののはず。 なのに現状がこれってことは・・・一般社会はもっとひどかっただろうし(それこそ『ヘルプ』の世界か)、インテリたちは「自分は差別なんかしていない、だって一緒に仕事しているんだから(むしろ私たちの領域に入ってくるのを許してあげてるのよ)」とか思っていたんだろうなぁ・・・こわい。
 とはいえ映画はパワフルで常にユーモアを忘れない三人の女性側から描いているので、人種差別を題材としながら暗くもならず重すぎもせず、絶妙なバランスで成立。 実話ベースとはいえ若干時間軸を動かしている感じはしましたが、それは問題じゃないから。 宇宙のフロンティアを描くんだったらソ連側のことももう少しピックアップするべきだけど、この映画のテーマは「女性とお仕事」だから。
 結局、マーキュリー計画自体、ソ連を敵国とした対抗意識で国民は盛り上がるわけで、彼女たちはそんな<戦い>のために一生懸命にならざるを得ないというのがすごく切ないのだけれど、でもそれも<自分たちの戦い>のためでもあるので。 争いごとは好まなくても、それでも必要なものは勝ち取らなければいけないのだと教わる。
 うーん、あたしはここまで頑張ったことがあるだろうか。 この先、頑張ることがあるだろうか。 彼女たちのしなやかな強さを前に、自分の過去や態度などを反省しました。
 これも、観てよかった映画。 なんで日本公開がこんなにずれ込んだのかなぁ(公開しない可能性もあったらしいし・・・マーケティングばっかりやってると本質を見誤りますよ。 実際、期待以上にヒットしているみたいだし)。 「感動の実話!」よりも「お仕事映画」として宣伝したほうがずっと吸引力があったろうに。 がんばれ、日本の映画宣伝!

ラベル:外国映画 映画館
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2017年10月28日

総特集木原敏江 エレガンスの女王

 ずっと、世間的には木原敏江は過小評価されているのではないかと思っていた。
 でも、このような形でムックが出たのは、すごくうれしい!
 あぁ、なんてゴージャス。

  木原敏江エレガンスの女王.jpg やっぱり表紙は『摩利と新吾』なのだな〜。

 あたしが初めて木原作品を読んだのは、小学生のときの『アンジェリク』。 全5巻のプリンセスコミック版は、何度も繰り返し読んだため(そしてその後、妹もはまったため)、ヨレヨレ。 コマ割りからセリフまでほとんど覚えているのに、手元にないからこっちに来てから文庫版を買った。 なのに新装版も買っちゃったくらい、あたしはこの物語に今も夢中である。 子供の頃は「好みのタイプはジョフレ」でしたが、あたしの年齢が上がるにつれ、「フィリップも捨てがたい」と思うようになった(佐々木丸美の『雪の断章』において、ずっと祐也さんが好きだったのに、大人になってから読み返したら「史郎さんも素敵」と感じるのと一緒か)。 でもヴォーフォル公は昔から好きだったな〜(いい人だから)。 LGBTの人に「かしこんさんの理解力と共感力、偏見のないフラットな見方はどこから来るのですか」と聞かれることがあるのですが、それは自分ではわからない。 もしかしたら、ずっと木原作品を(そして萩尾望都や青池保子、竹宮恵子作品も)読んできたから、かな。
 リアルタイムで読み始めたのは『夢の碑』の途中ぐらいからだと思う。 それまでは過去作品を古本屋さんで漁ってました(そして結構泣いていた)。 『摩利と新吾』も完結していたのではないかしら。
 そんなわけでものすごくあたしはこの人の影響を受けている。
 だからちょっと高いけど飛びついて買いました。 ご本人インタビューに、胸をときめかせるたくさんのカラー原稿(あぁ、この絵、綺麗ですごく好きだった・・・とかつい思い出す)。 なにより楽しいのは木原敏江×萩尾望都×青池保子の三者対談!
 そしてつくづく思うのは・・・編集者の存在って大事だなぁ、ということ。 相性の合う編集者と組んだときはすごくいい作品になるし、いまいちな編集者のときは意思疎通もろくにできてなくて構想に対して短すぎる連載期間になってしまうことも。 そんな山谷があってもこれだけの作品を残してきている・・・やっぱりすごい人だと思う。
 収録されている『封印雅歌』『夢占舟』を読んでじぶんでもびっくりするほど泣いてしまった。 多少大判で、新しい印刷で、となると更に胸に迫るのかしら(特に『封印雅歌』はかなりカラー復元バージョンだったし)。
 あたし自身はファンレターとか出さないタイプなので、「読者からの反応が薄くて落ち込んだ」と聞くと大変申し訳ない気持ちになる。 今からでも出したほうがいいかしら・・・。
 現在連載中の『白妖の娘』は現在単行本が2巻まで出てますが、4巻で完結予定とのこと。
 「これが最後の連載」とおっしゃってますが、『杖と翼』のときもそうおっしゃっていたので、そんなことはないと思いたい。 いえ、濃度が濃いから短編でもいいんです、描き続けてください!
 <エレガンスの女王>という称号は初めて聞いたけど・・・まぁ、確かに。 でもそれだけでは言い尽くせていないんだけどね。
 復刻が難しいなら作品の電子書籍化を進めてほしいわ。 『ダイヤモンド・ゴジラーン』とか『無言歌』とかいろいろまた読みたくなってしまった。 読んだらまた泣いちゃうんだけどさ(『アンジェリク』だって数えきれないほど読んでいるにもかかわらず、同じところで泣くからね)。

ラベル:新刊 マンガ
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2017年10月26日

サーミの血/SAMEBLOD

 すっかりぼんやりなあたしは、ポスターのイメージから<サーミ>とはこの少女の名前だと思い込んでいた・・・。
 『サーミの血』とはサーミ人であることを指すのですね(別名ラップ人。 ラップランドが起源の民族とされた名称で、その呼び名なら知っていたけど・・・もしかしたら差別用語かなんかで<サーミ>に統一される動きになっていたのかしら。 → 調べてみたら“ラップランド”という言葉自体が辺境の地の蔑称だそうで・・・なんだか悲しくなってしまった)。
 あぁ、やっぱり知らないことはいっぱいあるわ・・・。 

  サーミの血P.jpg 家族、故郷を捨ててでも
   少女が願ったのは自由に生きること

 舞台は現代と、1930年代のスウェーデン北部の二つの時代にまたがる。
 少数民族のサーミ人であるエレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)は、民族の暮らし―トナカイを遊牧しながら季節ごとに移動する生活で家族を助けながら、成績優秀な彼女はスウェーデンの国立学校(ただしサーミ人専用)に通っている。 ただし学校では制服のように民族衣装を着なければならず、それ故一目でサーミ人だとわかるため、周囲のスウェーデン人たちから好奇の目で見られ、ことあるごとに嫌がらせを受ける。
 ある夏の日、干してあった洗濯物から普通のワンピースを見つけ、それを着て村の夏祭りに出かけたエレ・マリャは初めて自由を実感し、陽気で優しい青年ニクラス(ユリウス・フレイシャンデル)と出会って恋のときめきを覚え・・・サーミ人ではない自分になりたいと感じて・・・という話。
 いかにも北欧系という見た目のスウェーデン人と比べたら、サーミ人は背が低くて年齢の割に幼く見える(ちょっと幼児体形というか)。 モンゴロイド系とも共通点があるようで、日本人から見て違和感があまりないからか感情移入がしやすかった(アイヌ民族とも交流があるようである)。
 だから、もっと上の学校に行きたいと希望するエレ・マリャに対し、学校の教師(担任?)は難色を示す。 そこで初めてここの学校で教えられていることはほんの一部で、一般的な入学試験を受けられるほどの内容ではないと知らされる。
 そしてその教師は言うのだ。
 「研究結果が出てるの。 あなたたちの脳は文明に適応できない」
 なによそれーっ!! どんな研究だよ! もはや人種差別というレベルじゃない、当時のスウェーデン社会においてサーミ人は他の人種よりもはるかに劣っていると見なされていた。 もしかしたら、ヒトだと思われていなかったのかもしれない。 身体測定も、ほとんど動物実験のようだったし。

  サーミの血2.jpg きれいな民族衣装ではあるが・・・この場においてはユダヤ人につけられた黄色い星と同じようなもの。
 トナカイの放牧をするサーミ人社会にいる分にはいじめられることはないけれど、エレ・マリャのように「外の世界を知りたい」と言えば「もうここにお前の居場所はない」と言われ、外の世界に出れば「ラップ人だ」と差別される。
 どうしたらいいんですか?!
 なんかもう、劇映画というよりもドキュメンタリーを観ているような気持ちになってきて、ひどくやり切れない。
 それでも、へこたれないエレ・マリャの強さには圧倒された。 ときに大胆なほどの図々しさ(?)で、スウェーデン社会で自分の居場所をつくろうとする。

  サーミの血1.jpg ときにやぼったい小娘の顔、ときに憂いを含んだ美人の顔。 エレ・マリャ役の女の子は実際にサーミ人で、トナカイの放牧生活をしている人だそうである。 映画出演はもちろん、演技自体はじめて。 なのにこの迫力、すごい!
 事実は事実でどうしようもなく重いものだが、エレ・マリャの希望を捨てない強さがこの映画を救ってくれた、と思う。
 2016年の東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞したというこの作品、だから日本公開できたのかもしれないし、東京国際映画祭の世界の映画に対する貢献度ってあるの?、と思っていなくもなかったので・・・ちゃんとやることはやっているじゃないか!、とこの映画のおかげで東京国際映画祭の株も上がりましたよ。
 監督のアマンダ・シェーネルもサーミ人の血を引いているそうで、自らのルーツを感情的になりすぎず冷静に語れる力がすごい。 やはりある程度自分の中で消化・吸収したからこそできる技なのかも。

  サーミの血4.jpg 現在、彼女はエレ・マリャの名を捨て、クリスチーヌと名乗っている。
 彼女は多分、かつて夢見た人生を歩んできたらしい。 けれど詳細は語られない。 時間の経過とともに差別意識は薄らいできたのかもしれないし、なによりも彼女の努力もあっただろう。 けれど再びこの地に戻ってくるにはそれだけの年月と、実妹の死というきっかけがなければ無理だったということに、彼女の苦悩を見る。
 サーミ人にはヨイクと呼ばれる独特の音楽がある。 基本は無伴奏による即興歌。 歌い手によっていろんなタイプがあるみたいだけど、エレ・マリャの謡うヨイクはだんだん切なく聞こえてくる。 多分、彼らは自然信仰・精霊信仰ではないかと思う。 その多神教なベースとか、日本人とも共通する感性を持っていそうなんだけど(モンゴルの放牧生活している人たちならもっとかな)・・・だからこんなにも胸に迫るのかしら。
 きっかけはあたしのうっかりだったけど、この映画を観てよかった。

ラベル:外国映画 映画館
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2017年10月25日

コードネーム・ヴェリティ/エリザベス・ウェイン

 ずっと「早く読みたい」と思っていたのだが、いろいろ諸事情で後回しになってしまい(そういう本は他にもいっぱいあるんだけど・・・)、図書館の予約優先物を返し終わったタイミングでやっと読み始めた。
 で、10ページ行く前に第一部の語り手の置かれている現状が行間から伝わり、もう泣きそうになっている(あぁ、この感覚、ジョン・ハートの『ラスト・チャイルド』にも似ている)。 これはもう、やられてしまいそうな予感。 そしてその予感は、的中。

  コードネームヴェリティ.jpg 「謎」の第1部。「驚愕」の第2部。そして、「慟哭」の結末。 ← 帯の文句。

 舞台は第二次世界大戦時のナチス支配下のフランス。 若きイギリス特殊作戦執行部員がスパイとして捕虜となり、過酷な尋問(拷問)を受けている。 親衛隊の大尉に、彼女は尋問をやめてほしければイギリスに関する情報を手記にするよう強要され、負ける。 毎日綴られるその手記には、彼女の親友である女性飛行士マディの戦場での日々が、まるで小説のように書かれていた・・・という話。
 彼女は何故、手記を他者の視点で物語風に書いたのか、というのがこの小説のミステリとしての核。 けれどあたしはこの物語自体に心打たれてしまい、ミステリであろうがなかろうがどうでもいい、という気持ちになった。 いえ、ミステリを軽んじたのではないのです。 ジャンル小説の枠を超越しているというか、それと意識させなかったというか。
 これは、二人の少女の運命という名の<友情>の物語なのだ!
 そういうキーワードにあたしが弱いということもあるのだけれど・・・すごいよかった!
 エドガー賞YA部門受賞作とのことですが・・・またしても諸外国のYA小説の層の厚さに打ちのめされる。 日本にはないジャンルだからな・・・(それにあたるのがマンガなのだと思っているけれど)。 児童書と一般書の間が開きすぎなんだよな〜、そこを埋めるのがライトノベルになってしまっているんだろうけど、ジュブナイルと呼ばれていた時代と違って今はジャンルが固定化しすぎな気がして。
 まぁ、それはともかく。
 二人の少女、と書いたけれど、実際の二人の年齢は明らかにされていない。 無線技士やパイロットとしての技術を身につけ、スパイ活動までするのだからそれなりの年齢かもしれないけれど、戦時下で人が足りないから能力のあるものをどんどん抜擢していったという雰囲気でもあるので、あたしは16歳〜18歳くらいではないかと思った。 手記を書かされる彼女が涙で文字がにじんでしまうのも、のちのちそれを読むことになる彼女が大泣きをしてしまうのも、その若さ故だと感じたし(つまりはそんな若い人たちが参加させられる戦争というものの悲劇と、そんな折には感情を封じ込めるべきとされる無言の圧力に対する抵抗でもあるといえる)。
 イギリスの階級社会故に、もし戦争がなかったらこの二人は知り合うことがなかったのかもしれない、と思うのもまたやるせない。
 勿論フィクションではありますが、作者は可能な限り歴史に忠実に描こうとしているし、イギリス人少女が主人公でも枢軸国側を絶対的悪として描いてはいない。 戦争そのものがダメなんだ、レジスタンスという形でも戦争を終結させようとした人々の思いを忘れてはいけない、という気持ちがずっと根底にある。 だからすらすらと読めてしまったのかもな(一応YAだから残酷描写は少し控えめ、ということもあるかもしれない)。
 「飛行機を飛ばして、マディ」、そして「キスして、ハーディー!」。
 不意にこの台詞を聞いたら、泣いちゃいそう。
 今年もいろいろ読んできたけど・・・これは忘れられない一冊になりそう。

ラベル:海外ミステリ
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2017年10月24日

エルネスト もう一人のゲバラ/ERNESTO

 阪本監督の現代史を題材にした作品は、目のつけどころもよくて結構いいとこいくんだけど、結果的に微妙な感じになってしまうものが多いよな・・・というのがあたしの印象(特に『KT』ね!、あと『亡国のイージス』、『人類資金』とか)。 まぁ歴史として確定していない時期のことだし、扱うのが難しいのはわかるんですけどね、フィクションに寄せてもつらいというのはどうなの・・・。
 でも今回はオダギリジョーに期待!、ということで(前に『FOUJITA』を観損ねているのでその罪滅ぼしも含む)。

  エルネストP.jpg 世界は、変えられる。チェ・ゲバラが名前を託した日系人、その数奇な運命とは――

 チェ・ゲバラについては『モーターサイクル・ダイアリーズ』でアルゼンチン時代の若き日を、<『チェ』二部作>でキューバ革命に至る道からボリビア戦線でのその死までを観たので、なんとなくは知っているつもりだった。 でも、1959年にキューバ使節団として来日していたこと、広島平和祈念公園を訪れていたことなどまったく知らなかった(あぁ、だからチェ・ゲバラについて語れる日本人がいるのか・・・と納得した)。 三好徹氏の『チェ・ゲバラ伝』をだいぶ前にキンドルのセールのときに買ってあるのだが、全然手をつけていないのですよ。 それを読んでいたらもっとわかったかもしれないけれど、でも驚きはなかったかもなぁ。 予備知識のあるなしの度合いというのも、実は結構重要なのだ。 インパクトが深く入るか否かにおいて。 だから彼のもとに日系ボリビア人の存在があったなんてこともまったく知らず。 『チェ 39歳 別れの手紙』にはそんな描写なかったし、確か。
 碑文「過ちは繰り返しませぬから」の「主語がない」論争の存在は知ってはいたけど、きっかけは彼だったのか〜。
 しかしちょっとこのエピソードがこの映画にどう絡むのかがよくわからなかった。 日本キューバ合作だから、日本に関係ある部分を入れておこうとしているように思えて(何故ならば、オダギリジョーはまだまだ登場せず、どういう展開になるのかが見えなかったから)。

  エルネスト5.jpg 彼が日本で撮影した写真は、今もキューバに残っているらしい。 そして原爆による被害の状況など、キューバの小学生は詳細に教えられるとか。 彼は原爆という武器のひどさに怒り、落とされて怒らない日本人を理解できないと言っていた。 ちなみにこれは、日本・キューバ合作映画。

 物語は一転、ボリビアからの留学生がハバナ大学医学部に入学するためキューバを訪れる場面に。
 留学生たちにはそれぞれ事情が。 裕福な家の子供から、奨学金をもらって来る者まで。 その中にフレディ(オダギリジョー)がいた。 当時ボリビアは独裁政権下。 医学を学びながらも、キューバ革命を成し遂げた人々、特にチェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)の人柄と信念に心酔するように。

  エルネスト2.jpg フレディ・前村・ウルタードが彼のフルネーム。 それを彼が名乗るまで、彼が日系移民だと気づかず(ていうか日系移民の役じゃなかったのかなぁ、と思っていたけど、フレディってずっと呼ばれているしボリビア人だし、全編スペイン語だし・・・)。
 そんな中、キューバ危機が訪れて、国に帰るか戦士になるかも二者択一を迫られる医学生たち(大学の建物が軍の指揮下に置かれ、作戦本部になったりするので講義ができない。 共産主義だから優先順位によってすべてが変わる)。 でも、<キューバ危機>というものを観客は知っているから「あー、そういうことなのね」となるが、当時のキューバにいたらまったく情報が入ってこないこと、アメリカとソ連が勝手にやりあってただけというのがよくわかる。 当事者ほど情報が得られないのもよね。
 まぁ、危機は回避されたけど・・・このときの経験がフレディに何かを与えたことは確かなようで。

  エルネスト1.jpg ささやかすぎる、控えめな交流。
 殺伐としたシーンよりも、フレディの日常を描いた場面が多かったのが印象的。 オダギリジョーは日焼けして、体重落として、奥ゆかしくて誠実な、でも誰よりも熱い情熱を隠し持った20代の青年になってましたよ。 順撮りしていたかどうかわからないけど、最初はたどたどしさが残ると感じたスペイン語も、途中から急にうまくなったし。 映画は淡々と進むので、フレディの少ない言葉や態度から彼の心境の変化を感じ取る、という流れ。
 医者になりたい、というのはフレディの子供の頃からの希望。 ボリビアの貧しい病気の子供たちを救いたいという思いから。 だからこそ、ボリビアそのものを変えたいという気持ちと表裏一体で、その件に関してはすぐに激高してしまう。 だから医師でもあり革命家であるチェ・ゲバラの存在はフレディの憧れ。 でもそんなゲバラは医師である自分と革命家である自分をどう整理つけているのか、よくわからない。
 「医者として中途半端な技能しか持たないなら戦場では役に立たない」と諭され、勉学に邁進することになったフレディ。
 もしかしたらこの時期が、彼にとっていちばん充実していた時間だったのかもしれない。
 ところが南米の政治的うねりは待ってはくれず、ボリビアで軍事クーデターが発生してしまう。
 国として落ち着いてきたキューバに自分の居場所はもうないと感じ始めていたらしいチェ・ゲバラは、ボリビア自由解放ゲリラ戦線を結成し、ボリビアへ。 そしてフレディもまたそれに参加することに。 ゲバラから<戦士名:エルネスト・メディコ>を与えられる。

  エルネスト3.jpg そして悪夢のボリビア戦線。
 こういう場面は「うわー、撮影するの大変だったろうなー」とつい感じてしまう。 物語に入り込めていない証拠である。

 時代が違うのは承知の上だが、「人の命を救うはずの医師が、武器を持って戦う」ことの違和感はどうしても納得できない・・・。 『ハクソー・リッジ』の衛生兵の考え方も極端といえば極端なのだが、主義に忠実な分だけまだ理解できる。 でも普通の人間ってそんなもんなのかもね、矛盾するたくさんの要素が自分の中でせめぎあっている。 やはりそこにも優先順位があって、「ボリビアのために」が最も高かったということなのだろう。
 「お国のために、主義主張のために命を懸ける」。
 ゲリラを名乗ることは現代の観点からすればテロリストだが、そちら側から描けば高邁な理想を持った勇気ある者たち。
 ほんとに歴史は敗者に冷たい。
 そもそも、ボリビアに日系移民がいること自体知らなかった(もともと前村家はブラジルに移住したらしいが、そこでうまくいかなくなってボリビアに移ったと言っていた)。 そういう事実を知ることができたのはいいのですが・・・。
 映画自体がやっぱりなんかちょっと物足りないというか、詰めが甘いというか、誠実さは感じるんだけどなにかもうちょっとほしい!
 やはり予想通りの感じになってしまったか・・・。

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2017年10月23日

台風21号のつめあと

 台風21号はすごかった。
 大型で勢力が強い、の評判にふさわしく荒れ狂いながら通り過ぎていった。 23日未明まで、風の音が耳について眠れなかったあたしは、ようやく午前5時頃眠りについた、ような気がする。
 しかし6時半の携帯に着信したメールで起こされる。 それは仕事場からの緊急訓練メールで、台風の影響で大変かと思いますが気をつけて出勤してください的な文言つきの、仮想大地震緊急事態安否確認メールだったのだ。 ようやくいい感じで眠っていたあたしは、大変不機嫌な気持ちでそれに目を通す。 頭もぼんやりしているが、それで警報が解除されたことを知った。 ちくしょー、出勤しなきゃダメか。 二度寝したかったが、そうしたらもう起きれない。
 というわけでふらふらな感じで駅に向かう。 いつもなら歩いて駅に着くまで、2・3本の電車を見かけるのだが・・・まったく来ない。 まぁ、前日からJR神戸線は大幅に減便しますとあったからそういうことなんだろうなぁと思いつつ、改札まで辿り着けば・・・入場制限がされていた(ホームが人でいっぱいなので、列車が来て人が減るまでは入らないでください、的な)。
 何かのアトラクション待ちか!
 ここで「帰りたい」と思ったが、ここまで来てしまった以上仕方がない。 ダイヤ乱れで遅れます旨のメールを上司と同僚に送り、制限解除を待つ。 運行見合わせならば代替輸送の案内があるのだが、多少なりとも動いているというのでその手配はないらしい(自腹を切って交通費を出すのはイヤだったし、どうせ別路線も込んでいるのは過去の経験からわかっている)。 10時過ぎたら図書館が開くから、そこで時間をつぶそうかと考えたが・・・今日は月曜、休館日だった!
 一時間近く待ったであろうか(今日は休みにすればよかったと後悔したが、遅れるけど行きますと連絡してしまった以上、行かねばなるまい)。 やっと改札をくぐってホームに出られた。 結構先を譲ったので(もうその頃には一分でも早く仕事場に着く的な気持ちはなくなっていた)、ホームにはだいぶゆとりがあった。 しかし電車はまったく来ないんだな! 新快速が2本ほど走り抜けていったが、ここに止まる電車は来ない。 大幅な減便ということだが・・・どうやら3本に1本ぐらいの割合で走ってる感じかしら(しかもその間引きは均等ではない。 はじめは均等だったのかもしれないが、途中から誤差が出始めて偏っていくらしい)。
 そんなこんなで電光掲示板には列車が来るらしいことが書いてはいるが、その時間は今の時刻とは違う・・・。
 まぁいろいろあって(全部書くとすごく長くなる・・・)、3時間遅れで仕事場に到着。 もうやる気ない。
 琵琶湖線を利用する人は、あまりに電車が来ないので出勤をあきらめた人もいた。 気持ちはわかる。
 帰る頃にもダイヤは全然戻ってなくて、遅れてきた新快速に乗り込むものの、いつも以上に込み込み。 朝よりはましだけど、そこそこ遅れて到着。
 はぁ、やっぱり今日は休めばよかったよ。
 大型で強い台風は、通過後も大きな影響を与えてくれたなぁ。

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2017年10月21日

10月の半ばに、追加。

 予約していた分が、届きました。

  忘れられた巨人文庫.jpg 忘れられた巨人/カズオ・イシグロ
 帯に「ノーベル文学賞受賞」と大きく。 ほんとに増刷したんだなぁ・・・としみじみ(中に挟んであるチラシは変える気はないらしい。 来月分に載せるのかな)。
 がんばれ、ハヤカワ!
 ちなみにこれはかなりファンタジー展開。 ファースト・カズオ・イシグロには『日の名残り』か『わたしを離さないで』がとっつきやすいかと思います。 もう一歩進みたければ『わたしたちが孤児だったころ』かな。

  隣接界プリースト.jpg 隣接界/クリストファー・プリースト
 クリストファー・プリースト、現時点での日本語翻訳最新刊。 今回、古沢さんが初めて共訳者と組んでいることにびっくり。 読んでて迷子になりそうなプリーストを二人で訳すなんて可能なのか? でもよく見たら各部ごとに設定が変わっていて、「パッチワークのようになっている」。 しかもこれまでのクリストファー・プリーストが扱ってきたモチーフを再構成した内容で、全体としてそんなに複雑ではない模様。
 一度「難解」というイメージを持たれたらそれを覆すのは難しい。 だからプリーストも老境に差し掛かり、読者に対して間口を広げてきたのか? でもあたしは個人的に『双生児』がすごく好きだけど。 最初に読んだのは『魔法』で、途中までいまいちピンとこなかったけど、終盤のどんでん返し(という表現でいいのかどうか)で世界が反転するヨロコビを覚えてしまった。 それ以来<語り/騙り>の魅力にはまってしまった。
 とりあえずこの人は、とても危険な作家です。

 あと、前回の記事から一冊抜けてました。
  太宰治の辞書文庫.jpg 太宰治の辞書/北村薫
 この単行本が新潮社から出たときは、「北村薫、気でも狂ったか」と思った。 <円紫さんと私>シリーズが帰ってきた!、と驚くよりも、そっちのほうにまず驚いたのだ(だってこのシリーズは北村薫のデビュー作『空飛ぶ馬』に始まって、ずっと東京創元社から出ていたのだもの)。
 でも冒頭で、社会人となった<私>が文献を借りに新潮社を訪れるところがあって、「大人の事情か・・・」と納得せざるを得なかった。
 それから、気づいた。 学生ではなくなった<私>でもこのシリーズは続きがあるのか!、と(同じような感慨を、帯で米澤穂信氏が書いてました・・・一緒だ)。
 今回、創元推理文庫に正しく戻ってきたことで、やっとあたしは読む気になりました。 あの頃、<円紫さんと私>シリーズを読んでいたあたしも大学生だった。 <私>にも同じくらいの時間が流れているのだろうか。

 追加で、東京創元社の文庫から新刊2冊。
  穢れた風.jpg 穢れた風/ネレ・ノイハウス
 <刑事オリヴァー&ピア>シリーズ第5弾。
 ドイツ国産ミステリとしては社会派とエンタテイメントがいい具合に融合した作家だと思うので、引き続きシリーズの翻訳をよろしくお願いします。 酒寄さんの訳もあたしは結構好きというか・・・相性がいい感じがするので余計に。

  スチームガール.jpg スチーム・ガール/エリザベス・ベア
 これはちょっと間違えて手に取っちゃった・・・『叛逆航路』の作者の人の最新刊かと思ってしまった(正確には訳者が同じ人なので、あたしの勘違い)。 表紙や主人公の一人称の感じがライトノベルっぽくて、「あれ?」と気づいた。
 でも、主人公(女性)が好きになるのは女性みたいだし、登場人物紹介のところで「性自認は女性」というコメントがあって・・・LGBT的に結構厳密な内容が根底にある?!、と感じて改めて見直した。
 タイトル通り、スチームパンクな世界観を利用しつつ、描きたいのは<ガール>なのかもしれない。
 だとしたら、あたしの好みだ!

ラベル:新刊
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2017年10月20日

23日(月)の朝はどうなるのか・・・

 仕事場にて、いつの間にかざわざわした雰囲気になってきた。
 曰く、「来週月曜日、大丈夫かな」。
 台風21号のことでした。
 「え、やばいの22日じゃなかったでしたっけ?」とあたし。 選挙の日なのに台風来るから投票率下がるかも・・・みたいなことを聞いていたから。
 「それが、23日の朝、最接近らしいのよ」
 えらい人とか急ぎの仕事を抱えている人は別ですが、朝7時の段階で勤務地エリアに暴風警報が出ていたら自宅待機でいい、というのがあたしの今の仕事場です。 でも神戸市と違って大阪市ってあまり警報が出ない(出ても神戸より遅い)。 しかも神戸の場合は大雨警報が出たら学校が休みになるので、お子さんいる方は大変なんですよ。
 あたしより西に住んでいる上司が、「大丈夫、もしJRが止まっても私鉄は動いてるから」と言うのだが・・・そりゃあなたの家からなら乗れるでしょうが、あたしのような中途半端な場所から乗ろうとするとその段階ですでに車両は乗客でいっぱいで、全然乗り込めないんですよ(以前、JRのお客が流れてきたとき、車両のドアが開いてどう頑張っても片足の靴が半分しか入らなくて、何本も電車を見送ったことがある。 で、待っているうちに天候がもっとひどくなって結局自宅に戻ったのだ)。
 でもそういう話を聞いちゃうと、「月曜日休みになるかも」って期待しちゃうんですよね・・・。
 そうなってもいいように月曜日の分の仕事もしてきたりして(そんな人、多かった)。 更に多めに買い物もしてきたりして。
 だけどそんな風にちゃんと準備しておくと、意外と大丈夫だったりするんだよな・・・(台風の進みが早くなったりね)。
 警報が仮に出なくても、天候が荒れるのは確かなんだから、濡れてもいい格好を準備しておかないとな〜(濡れても乾きやすい布のやつとか)。 タオルとか、靴下の替えとかカバンに入れるか(そしてカバンも濡れることを想定したものにしなければ)。 あぁ、そういうのがめんどい。 いっそのこと休みになってくれればいいのに・・・。 何が目的かわからなくなっている。

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2017年10月19日

侵略する散歩者/Before We Vanish

 なんとかギリギリのタイミングで間に合う。 予定ではもっと早く観に行くつもりだったのだが。
 ・・・まるで子供の頃によく読んだジュブナイルSFだ。 それがいちばんの印象というか、一言で説明せよといわれたら、あたしはそう答える。 そんな映画でした。
 オープニングの、タイトルが出るまでのシークエンスは「おお、久し振りに黒澤清ホラー描写全開!」とドキドキするが、そういうシーンはそこまで。 あとは比較的、日常的な描写が続く(バズーカをぶっ放すのが日常の範疇に入ればだが、血みどろ感はなかったと思う)。
 宇宙人の侵略として、タイプは大きく二つに分けられる。 ひとつは『インディペンデンス・デイ』的な大規模一斉攻撃型。 そしてもうひとつは『ボディ・スナッチャー』的なこっそり入れ替わりますよ型。 この映画では後者なのだけれど、侵略者側にあまり侵略者としての自覚がない(それを相手に恐怖を与えることだとか、悪いことだとか思っていない)点で、余計に眉村卓を思い出させるものがあるのだ。 話が通じそうで通じない、でもなんか通じるときもある彼らの妙な屈託のなさを見ると、『ねらわれた学園』とかをつい連想してしまうのだ。 これはあたしの年齢というか子供期の読書体験のせいなのか。
 だからか、どうもあたしはこの映画にひどくノスタルジーを感じてしまったのだ。 彼らの最終的な選択もまた、その流れから出ないものであるから。

  散歩する侵略者P.jpg 世界は終わるのかもしれない。それでも、一緒に生きたい。

 鳴海(長澤まさみ)は病院に呼び出される。 数日前から家を出ていったきりの夫・真治(松田龍平)が記憶を失って見つかったという。 ほぼ別人のような真治の態度にイライラする鳴海。 そして、町の中ではある一家惨殺事件が起こり、よくわからない人々がひっそり出入りし、不穏な空気が満ち始める。 一方、別件の取材に来たジャーナリストの桜井(長谷川博己)は何かあると感じ、自ら侵略者であると名乗る若者・天野(高杉真宙)に接触。 彼のガイドとなることを承諾し、侵略者たちに同行、目的を見定めようとする・・・という話。
 鳴海さんのとげとげしい態度から、「あ、この夫婦うまくいってない(もしくは奥さん、すごく怒ってる)」ということが早々に察せられて、なんかちょっといたたまれない・・・(しかも家出?の元凶は夫の浮気だったらしく、夫の言動はすべてとぼけていると聞こえて「はぁ、だから?」と感じているらしい妻の気持ちが痛い)。 怒っている、もしくはイラついている長澤まさみという絵面に既視感があるせいだろうか、「あー、なんかまたこういう役?」みたいな。 でも、最初その態度だからちょっとした仕草の変容で彼女の気持ちの変化がわかるようになっているのはうまいし、大変わかりやすい。 また「ボヤっとした松田龍平」がよくわからないけど一生懸命頑張って喋っている、みたいな感じも味わい深い(ちょっとかわいらしいところもある)。

  散歩する侵略者1.jpg 真治は自分のことを「地球を侵略しに来た」と話すが、鳴海は信じない。 侵略者は地球人のことを知るために様々な<概念>を手に入れるが、そうされた人間側の脳からはその<概念>は失われ、多くの<概念>を奪われた人間は廃人状態に。 侵略者にガイドとして認定された人物からは<概念>は奪わない。 真治(だったもの)は鳴海をガイドにする。
 というとドライな感じですが・・・怒ってるということは鳴海は真治に対する愛情を持っているということ。 人間から<概念>を奪っていきながら鳴海との会話で「地球人とは、人間とは、夫婦とは」を学習していく真治。 その過程は、もしかしたら出会った頃の、結婚当初の二人の関係に似ていたのかもしれない。 どう考えてもちょっとおかしい真治の言動に「それはなに?」と尋ねても責めることはしない鳴海。 地球侵略と夫婦の関係再構築が同じ重さで語られる奇妙さも、あまり気づかないようになっているのがいい。

  散歩する侵略者2.jpg 一方、桜井は。
 もう一人の侵略者と合流。 彼らの会話に人間として(地球人として)なんだかなぁと思いつつ、好奇心に勝てないジャーナリスト魂。 いや、職業病ではないのかもしれない。 天野くんの行く末を見届けたい気持ち、会話しているうちになんとなく感じてしまう同士的な気持ち、もしかしたら誰の心の中にもあるのかもしれない人間嫌悪感などなどが絡み合い、いつしか天野くんと友情みたいなものが出来上がっていたりして。
 個人同士の関係としてはともかく、「地球のためには人間の存在自体をなんとかしないといけないのでは?」とちょっとでも考えたり頭をよぎったりしたことのある人は多いと思う。 あたしを含め、そんな人は桜井さんの行動に程度は違えど共感を覚えてしまうのでは。 そして異星人だと言われても、会話が通じてしまうとあまり恐怖を感じない、というのはあるかも。 でもそれも日本ならではっぽい。 侵略者たちは世界各国に斥候を送っているのかしら。 アメリカだったら相当違う展開になりそうだ。

  散歩する侵略者4.jpg 意外に豪華キャストです。
 引きこもりだったのにある<概念>を奪われたため進んで外に出るようになった青年が満島真之介で、「引きこもりなのに肌が黒いのはちょっとイメージ的に・・・」と困る(でも庭で小さい畑をやっているみたいなので、そのせいということで)。 一家惨殺犯として拘束された侵略者・立花あきら(恒松祐里)を監視する刑事さんが児嶋一哉で、バラエティのときと声の出し方が全然違うことに驚いた。 十分役者としてやっていける人なのに、“スベる人”をやり続けるのはそれも楽しいからなのかなぁ。
 しかしいちばんインパクトがあったのは街角の教会にいる神父役の東出昌大である。 普通の人のはずなのに、この人の存在自体が異質で不穏。 真治の「愛とは何ですか?」という質問に、聖書をもとによどみなく愛を説明(それを聞いて真治は感銘を受けちゃうから尚更)。 “愛”なんて簡単に定義できるものではないと思うんだけど・・・。
 でも、そうなると、そもそも<概念>ってなんなのか、それを人が失うと何故人格崩壊に近づくのか、といった疑問が次々沸いてきますが・・・結局それは「人間を人間たらしめているものは何か」ということを突き詰めることになり、<概念>をどんどん集めていった侵略者たちが人間に近づいていくことを示唆しているわけで。
 となればラストは予想通り・・・ということになるのですが、その真っ当さもまた懐かしのジュブナイルに通じるのです。

ラベル:映画館 日本映画
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2017年10月18日

スイス・アーミー・マン/SWISS ARMY MAN

 タイトルの『スイス・アーミー・マン』とは、スイス・アーミー・ナイフ、いわゆる<十徳ナイフ>からきた言葉(だと思う)。
 使い方がわからないとどうしていいかわからないけれど、どう使えばいいのかわかればこの上なく便利という道具。
 船が難破し、無人島に一人流されてしまった主人公が出会ったのは、そんな多機能死体だった・・・というサンダンス映画祭出品作らしいワンアイディア勝負の話。 でもそれを、ポール・ダノ&ダニエル・ラドクリフでやっちゃうっていうんだから、やるほうもやらせるほうも、引き受けるほうも勇気ある。

  スイス・アーミー・マンP.jpg 大切な人が、待っているんだ。
    世界が絶賛した奇想天外な青春・サバイバル・アドベンチャー!!

 船旅に出ようとしたのか(詳細は不明)、結果的に難破して遭難、無人島に辿り着けたはいいものの、まったく助けが得られない状況に絶望したハンク(ポール・ダノ)はもうこれまでと、無人島に流れ着いてくるごみを使って首つり自殺をしようとしていた。 紐(?)を首にかけ、べこったバケツを蹴ろうとしたとき、海岸に流れ着いたらしき男性(ダニエル・ラドクリフ)が目に飛び込んでくる。 慌てて駆け寄ろうとしてバケツから落ち、首をつって死にそうになるが、急ごしらえのものなので割とあっさり切れる。 咳き込みながらその人のもとへと辿り着くと、彼は死んでいた。 しかしその死体からは腐敗ガス(?)が出ていて、水上バイクのように動き出す。 それに飛び乗ったハンクは無人島から脱出して大陸側か人が住んでいそうな大きな島に無事移動できた。 しかしその海辺は森に覆われていて、人里に到着するまで先は長そう。
 しかしハンクはメニーという名前の死体とともに帰ろうと努力する・・・という話。

  スイス・アーミー・マン1.jpgスイス・アーミー・マン3.jpg なにしろ相手は死体なので、こんな感じで苦労しながらの移動。
 明らかに邪魔というか足手まといなんだけど、それだけハンクにとっては孤独のほうが重い。 おまけにいろんなことに役に立ってくれるので手放したくないというのもわかる。 ロビンソン・クルーソーとフライデーの関係をさらに三・四歩前に進めた感じですかね。
 ただ、<生者>と<死者>を明らかにわける一つの大きなラインをたやすく飛び越えてしまうので・・・「ほんとに死体ですか?」という疑念がわく。 それがわかるのがもうちょっとあとだったら、ハンクの妄想なのかメニーが謎の研究の成果物なのかなどなどいろいろ想像できたんだけど。 でもそんな死生観の違いもまた文化なんだろうか。

  スイス・アーミー・マン6.jpg いつしか深い友情が。
 ハンクは意外と器用で、森にあるものでいろんなものを作る。 旅に出る前、バスでよく会う(でも会話はしたことない)憧れの女の子の話をするために、実際に座って位置関係を説明できる架空バスをつくってメニーも乗せる。 そのハンドメイド感は、道に迷っててそもそも助けてもらえるのかわからない状態にいるのにほのぼの感を強く打ち出していてファンタスティック! ダニエルズ監督(二人のファーストネームがダニエルなので、そういう名にしたものと思われる)の演出には、初期の頃のミシェル・ゴンドリーのポップさを思い出させるものがあるかな、方向性は違うけど。
 「この話って一体どこに着地するんだろう? いや、そもそも着地するのかどうか」と二人の行く末とはまた別の意味でハラハラさせられたんだけど、ちょっとBL展開っぽくなったのにはびっくりした。 正確には片方が女装するのでBLではないのかもしれないけど・・・でも、極限状態において生じる信頼関係とは、ある意味恋愛感情よりも強く心に突き刺さるものなのかも。

  スイス・アーミー・マン4.jpg ラドクリフくん、死体役がはまりすぎ。
 『ハリポタ』のイメージを払拭するためか、変な映画を選んで出ている気もしないでもないが・・・(『ホーンズ』もそうだったけど)、多分もう働かなくても一生食べていけるだけのお金は稼いだんだろうから、実験的な映画に優先的に出るという姿勢は彼の俳優としての心意気なんだろうな、と感じる。
 そしてポール・ダノも同じく子役出身で、大ヒット映画には出てないけど賞レースに絡むような重厚な作品に出ることが多く、同じような年頃の青年俳優になった今、それまでのキャリアの積み重ね方が全然違う二人がこうやってほぼ二人芝居をやっていることに勝手に感慨深くなってしまいました。 二人はこの映画の撮影中、仲良くなったかな?

  スイス・アーミー・マン5.jpg メニーの歯のおかげで伸び放題だったヒゲや髪をキレイにできちゃった。 ポスターの人と同一人物とは思えない。
 突き詰めれば「生きていることに絶望していた人間が、“生きるよろこび”を見い出して再出発する」という話なんだけど、そのためにこんなへんてこな展開を用意するか・・・もしくは、このヘンテコ設定を生かすために意外に壮大なテーマを組み立てたのか、どっちだろ? ふとそんな気がしてしまう独創性はすごい。 そりゃ、ポール・ダノもダニエル・ラドクリフも出演するって決めちゃうよね。
 しかもエンディングは意外に感動的というか・・・力技ではあれどねじ伏せられちゃった。 十徳死体の意味はさっぱり分からないんだけど、妙なさわやかさに襲われる不可思議さ。 納得いかないことはあるけど、でもなんか面白かった。 忘れがたい一品。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年10月17日

10月の半ばは・・・(その2)。

 引き続き、文庫です。

  コナリー罪責の神々1.jpgコナリー罪責の神々2.jpg 罪責の神々 リンカーン弁護士/マイクル・コナリー
 <リンカーン弁護士>シリーズ第5弾。 といってもコナリーの作品にはレギュラーメンバーがおいおいにして総出演なので、「ミッキー・ハラーが主人公」ということで。 訳者の古沢さんによれば、第一作と構成がとても似ているので、「これが<リンカーン弁護士>シリーズの最終作となるのでは?!」と感じられたとのこと(詳細不明)。 更にあとがきには、「出版不況の折、更に売れない翻訳物はシリーズの中断を余儀なくさせられることも多いが、マイクル・コナリーは途切れることなく日本語版が刊行されている稀有な作家であり、今後もそれを続けていくためにも、読者の皆様のご支援をお願いします」という、もうなんだか泣きたくなってしまうほどの必死の叫びが込められているのですよ。
 マイクル・コナリーはもともと扶桑社ミステリー文庫から出てきて、紆余曲折の果てに今は講談社文庫に収まっているという流れも知っていれば余計に、古沢さんの苦悩がしのばれます。
 なんで翻訳小説が売れなくなっているのかなぁ・・・日本の<内向き思想>も関係あるのかしら。
 でも洋画も「字幕読むのが手間だから」と観客動員激減した時期がある(最近、ちょっと盛り返してきたみたいだが油断はできない)。
 トータルでそういうことなのかもな。 でもあたしはできるだけ、買って読み続けます!

  優しい密室新装版.jpg 優しい密室【新装版】/栗本薫
 うわっ、懐かしい! これはあたしが初めて読んだ<伊集院大介もの>だ。 多分小学校5・6年くらい。
 その当時でも女子高モノとして「ちょっと古いか?」という感じがしたのだけれど・・・一周まわって新しく感じるか、それとも古典のような感覚を持ちうるか。
 著者略歴を見たら・・・「2009年逝去、享年56歳」とあってびっくり。
 もう8年近くたったのか! 311後の日本を知らずに逝ったことは、彼女の心の平穏のためにはよかったのかもな、と思ってしまい、あたし自身の著者の死をようやく受け入れてきたことがわかった(でもまだ新しいグインは読めていないが)。
 ・・・そしてその時の彼女の年齢に、自分が着実に近づいていることにも。 ずっと年上のすごい人だと思っていたのに、もしかしたらいつか追い越してしまうのかもしれないじゃないか。 せつないよぉ。

  連城三紀彦女王1.jpg連城三紀彦女王2.jpg 女王/連城三紀彦
 これが連城三紀彦最後の長編になるのかな?
 でもタイトルの<女王>がどうやら卑弥呼を指しているらしいこと、時空を超える何かSF要素が絡んだミステリらしいということで、現代を舞台にしながら古代史のロマンが味わえるっぽい感じにぐらっと来ました(古代史、好きだし、歴史推理・推測物も好き。 高木彬光の『成吉思汗の秘密』『邪馬台国の秘密』、ジョセフィン・テイの『時の娘』などを中学生のとき読みふけっていたから)。

  ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだトム・ストッパード.jpg ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ/トム・ストッパード
 二十年近く前であろうか、これがものすごくあたし好みのキャスティングで上演されて・・・雑誌『シアターガイド』を握りしめ、当時地元にいたあたしは観に行けないことに涙をのんだ。 『ハムレット』の脇役を主役に据えるという非常に演劇的な発想も好き。
 ハヤカワ演劇文庫シリーズは、そういうあたしの個人的な記憶を掘り起こすラインナップを時々放り込んでくるので油断できない。
 近々、上演予定らしく、そのために新しく上演台本が翻訳された模様。 今回のキャスティングもなかなか興味深いが、以前ほどではない・・・WOWOWで放送してくれないかな〜、と期待。

 カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』は、18日発売だと思っていたので、19日発売のクリストファー・プリースト『隣接界』と一緒にネット書店に予約してしまった・・・(分厚い二冊なら宅配便になって届くのが早いと見込んで)。 まさか早まるとは思ってなかったし。
 とりあえず、ゴーリー新作も含め、今回は16冊でした。

ラベル:新刊
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2017年10月16日

思い出した訪問/エドワード・ゴーリー

 ゴーリーの新刊、出ました。
 まぁ、新刊というか・・・日本で新しく翻訳されたもの、という意味ですが。 展覧会が続いているせいもあるかもしれないけれど、この感じでは意外に残りの作品も地味に出版されそうな気配! 昨今のゴーリーブームをブームで終わらせてはいけない!、と感じます。

 というわけで、『思い出した訪問』。
 アルファベットブックではない、しっかりした物語で。
 副題に<人生から取った物語>とあります。

  絵本ゴーリー思い出した訪問.jpg この青緑はこれまでになかった色かも!
    これは装飾刈込(トピアリー)と呼ばれるもののようです。
 あらすじだけを語ってしまえば・・・両親に連れられて外国に遊びに来た女の子が、そこで知り合った人とふとした約束をしてしまうんだけど、なんかぼやっとしているうちのその約束を果たすことを忘れ(もしくは「まだいいか」という気持ちの延長のまま時間が流れ)、「あ、そういえば」と思い出したときには遅かった、という話。
 ありきたりといえばありきたりなんだけれど、ちょっとシチュエーションを置き換えれば大概の人に起こりうる話で、ものすごくせつない。
 それがまたゴーリーの不穏であやしげななにかをかきたてる絵柄で進むので、更にちょっと不吉な予感が常にプラスされた状態で語られる。
 そんなわけでこれは、あたしにとって、「じゃ、またメール(電話)するね!」とあっさり言っておきながら、実はなかなかメール(電話)しないとか、「あぁ、しばらく連絡とってないから(喪中で年始の挨拶は失礼します的なこともあったし)、手紙でも書くか」と思っているのにまったく手紙を書いていない、レターセットすら引っ張り出していない状態みたいな、日常でよく起こっている出来事を容易に想起させるもので。
 この本自体は不穏を漂わせつついっぱいの切なさで幕を閉じるけれど、あたしには<切なさ>どころではなくて。
 いまはまだ「ごめんごめん、しばらくでした」で笑って済ませられることでも、そのうちそうではなくなるぞ!、という明らかな警告。
 あぁ、ゴーリーが人生の教訓になってしまった・・・。

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2017年10月15日

10月の半ばは・・・(その1)。

 気が付いたらもう10月も半ばである。 それなのにまだ昼間は暑いと感じてしまうあたし(雨が降ったら降ったで蒸し暑い)。 先週なんて油断して薄着でいたら日に焼けたもんね!(腕とか皮膚がはれあがり、全身10%軽度の熱傷って感じで熱も出たよ)
 なんで10月なのに日に焼けるんだろう! ほんとに心地よい秋が短い・・・。
 えっと、今回はマンガが多かったのでまずはそれから。

  初恋の世界3.jpg 初恋の世界 3/西炯子
 やっぱり、「恋に不器用な40歳カフェ店主」だけでなく、その同級生の3人にもスポットが当たり始めました。 元から主人公複数体制のつもりだったのかな? だったら『姉の結婚』(全8巻)より長くなるかも!

  たーたん2.jpg たーたん 2/西炯子
 青年誌に掲載されていることに今頃気づきました・・・。 1巻は『初恋の世界』と同時発売だったのに1巻分遅れているのは隔号連載なのか? だから主人公がダサめおじさんなのね、でもその誠実さが周囲の女性に受ける展開なのね。 女性誌だったらここはもっとつっこむべきところだろう!、という部分の掘り下げが浅いのは、想定読者が違うからなのね・・・。
 でも最後までそのテイストではいかないと思うので、今は雑誌読者を慣らしている最中?
 単行本の読者としては、すっきりきっぱりのラストを希望!

  ツーリング・エクスプレス特別編3.jpgツーリング・エクスプレス特別編4.jpg ツーリング・エクスプレス特別編 3・4/河惣益巳
 これも4巻目に描き下ろしおまけ短編がついてます。
 特別編はあくまで番外編的エピソード。 やっぱりエドやフランやサブキャラクターのエピソードのほうが面白い!
 シャルルとディーンに関してはもう答えが出てしまっているから、話を続けるためにはシャルルにケガさせないといけないとかになってしまうのではないだろうか・・・とあらためて思ってしまった。
 まぁ、『ジェニー』シリーズを終えてしまった以上、作者にとってリアルタイム国際情勢を扱える作品が他にないから続けてるんでしょうね(新たにシリーズ立ち上げるより楽だし、固定ファンついてるし)。
 長く続いてる作品を終わらせる難しさ、しみじみ感じます(これだって一回終わってるんだから)。

  淡島百景1.jpg淡島百景2.jpg 淡島百景 1・2/志村貴子
 正確にいえば新刊ではありませんが・・・本屋さんの棚で見かけてつい手に取ってしまった。
 2巻の帯にあった「ここは少女たちの夢のふきだまり」というコピーにやられちゃったというか・・・。

  不思議な少年文庫01.jpg不思議な少年文庫02.jpg
  不思議な少年文庫03.jpg 不思議な少年 【文庫版】1・2・3/山下和美
 この連載が始まった当時、あたしは週刊モーニングを読んでいたのでコミックスは買っていませんでした。 不定期連載だったし、その後しばらくしてモーニングを買うことをやめたあたしですが、今回文庫になるということであらためて「読んでみたい!」と思いまして。 前半は読んでるはずなんだけどなー、でもどこまで読んでるのかもうわからないし。 オムニバス短編だからどこから入ってもいいんだけど。
 ちなみに4・5・6巻は11月発売!

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする