2017年09月26日

ワンダーウーマン/WONDER WOMAN

 アメコミはもういいかな、と思っていたし、最初の予告編で微妙にピンと来なかったので観る予定リストからは外していた『ワンダーウーマン』。 しかしアメコミ映画としては空前の大ヒット、戦う女性に説得力あり(なぜこれまで女性のヒーローが広く受け入れられなかったのか)、なぜ日本ではヒットしていないのか、的な記事を目にするにつれ、なんとなくフェミニズム的な観点から気になりだした。 というわけで、一応観に行ってみることに。 クリス・パイン、結構好きだし〜。

  ワンダーウーマンP.jpg 美しく、ぶっ飛ばす。
   史上最強の女性スーパーヒーロー、登場! 

 神話上の存在とされながら、女性だけが住むアマゾン族の島では今も邪神アレスがいつか起こすであろう脅威のために、戦士としての戦闘能力を日々鍛え上げる生活を送っていた。 だが女王は娘のダイアナにだけは戦闘訓練をさせてこなかった。 そのことを不満に思ったダイアナは、叔母に頼んで隠れて訓練を積む。 やがて成長したダイアナ(ガル・ギャドット)はプリンセスとしての立場にふさわしい戦士へと成長した。 そんなある日、時空が歪み、戦闘機が墜落するのを発見して乗務員を救出する。 その人物はスティーブ(クリス・パイン)といい、第一次世界大戦のさなかイギリスのスパイとしてドイツ軍に潜入していたが、敵を絶滅させんとする毒ガス研究を知り、博士の研究ノートを盗んで逃走する途中という。
 勿論、ダイアナにとってはすべてが意味不明のことでしかなかったが、その背後に邪神アレスの存在を感じ取ったダイアナは、島を出てスティーブとともに<正義の戦い>に身を投じることを決意する・・・という話。
 「アマゾン族とは何か」から、ダイアナの成長を丁寧に描くのはいいのだが、なんか長い・・・。
 あ、序盤は現代で、ブルース・ウェイン(バットマン)からのメモを受け取った彼女が回想をめぐらす・・・という感じで始まるのだが、『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』にワンダーウーマンは出ていたらしく、そのへんの説明は全く何にもないのだった(あー、WOWOWで吹替版を途中から観たものの、気づいたら終わってて「しまった、もう一回観ないと全然わからん」のままだったことを思い出した)。 このままでは『ジャスティスリーグ』も厳しそうだなぁ。
 というか、ずっと他の世界から隔絶されてきた島になんで人間社会との接点ができてしまったの? そこはさらっとスルーされてしまいましたよ(まぁ戦争のせいとか、アレスのせいとか、好きなように解釈をしてくださいということか)。

  ワンダーウーマン5.jpg 当時の社会に交わるため変装。 かわいい。
 初めて訪れる人間社会(それがロンドンだったりするのだが)でのダイアナのカルチャーショックは相当であると思うのだが、そこはスティーブ目線(つまりは観客目線でもあるのだが)で表現されるので、ダイアナが「困ったちゃん」に見えてしまうため、そこが批判を浴びた「最強女子は天然系?!」という予告編コピーとつながっているのだろうけれど・・・カルチャーショックの中でアイデンティティーを保とうとするダイアナには誰も寄り添ってくれないのだ。
 そもそもアマゾン族は戦うために生まれた種族。 それが自分の意志で戦うことを止められ、人間社会においては見た目が女性であるからという理由で発言もできない<仕組み>を知って「は?」となる。 スティーブは「それが人間の社会というものなんだ」と説明はするけれど、ダイアナの求めている答えには到底足りない。 邪神アレスは絶対悪・倒すべきもの、アレスが滅ぼそうとするものは守らなければ、という価値観で生きてきたダイアナにとって、人間はすべて「守るべき弱者」のはずだった。 なのに、その人間社会の中に弱者と強者が存在し、そもそも女性であるというだけで差別がある。 何のために島を出たのか、彼女はわからなくなっていく。
 でもそのあたりはあまりはっきり描写しないんだよなぁ。 とにかくアレスを倒す、苦しんでいる人たちを守る、という感情優先でダイアナは動いているように見え、彼女の気持ちをなんとか汲もうとするスティーブの懸命なフォローによってダイアナが「不思議ちゃん」にならないようにしている感じ。 その時代を思えばスティーブは非常に柔軟性のある考えの持ち主だし(だからスパイをやっていられるんだろうし、自分の目でアマゾン族の島を見ている・ダイアナは命の恩人、という意識があるからかもしれないけど)、クリス・パインのキュートな面が非常によく引き出されてますな。 彼の存在故に、ダイアナが「深く考えずに感情のままに突っ走っちゃう無茶な人」であることが少し緩和されるから。

  ワンダーウーマン6.jpg 確かにかっこいいんだけど・・・露出度高い鎧は怪我のもとでは?
 そして彼女は戦う。 苦しむ者たちを救うために、アレスの野望を砕くために。
 でもその戦いは、破壊と殺戮。 結局のところこれまで男たちがしてきた戦いと同じものなのだ。
 それをあえて女性が行う意味とは? 合理性やら大局からの視点やら、そういうことよりもその時の感情を優先して同じ結果をもたらすこと? そもそもこんな人間たちに救う価値はあるのかと悩む神目線の緩和?
 「女性のヒーローがこれまで誕生しなかったわけは?」の答えがそこにあると思う。 男と同じことをするなら、あえて女である必要はない。
 日本においては主にマンガやアニメの世界で<戦うヒロイン>は以前からいたので、“女性ヒーローの誕生”にこだわる必要性を感じないという部分もあるかも。 ナウシカのように、「必要とあれば戦うけれど、できるだけそれ以外の道を探したい」というのが基本だけれど、「月に代わってお仕置き」する人たちもいたし、『スケバン刑事』の麻宮サキは生き方そのものが戦いだった。 戦う女性像は日本のほうがバリエーションが多い? 勿論、向こうだって女性ヒーローはワンダーウーマンだけじゃないんだろうけど、ここまでヒットするのが珍しいから社会現象化したんだろう。

  ワンダーウーマン3.jpg 結果的に村の人々を助け出したことで感謝される。 もしかしたらこれが、ある種の“ノブレス・オブリージュ”として彼女に自分の役割を認識させることになったのかも。
 これはワンダーウーマンとして、人間の守護神として生きることを決める、その過程を描いた物語で、ダイアナの人生はこれからもずっと続いていく。 まだまだ未熟だった時期の甘酸っぱい思い出、という位置づけの話なのかもしれない。 これから彼女は成長していく、シリーズはそれを追いかけていくことになるんだろう。 男と同じことをするわけじゃない戦い方を、彼女は身につけるのかもしれないし。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする