2017年09月13日

幼な子われらに生まれ

 あぁ、やっぱり浅野忠信って映画の人だなぁ・・・ということをしみじみ実感した作品。
 テレビドラマが悪いわけじゃないけど、彼の主戦場はこっちですよね、と誰もが納得するのではないかしら。
 重松清原作・『しあわせのパン』の三島有紀子監督、というあたし自身惹かれる要素が何もないにもかかわらず、何故観に行ってしまったのか。 もしかしたらそのことを確かめたかったのかもしれない。

  幼な子われらに生まれP.jpg 親愛なる、傷だらけのひとたちへ。

 40歳を過ぎた中年サラリーマンの田中信(浅野忠信)は、数年前に再婚して以来、家族中心の生活を送り<幸せな家庭>のために努力を惜しまなかった。 妻の奈苗(田中麗奈)の連れ子である薫(南沙良)と恵理子(新井美羽)を自分の子供として育てようと思う反面、血のつながりがないから無理かもしれないとも考えている。 田中には前妻(寺島しのぶ)との間に沙織(鎌田らい樹)という娘がおり、3か月に一度の面会を心待ちにもしているからだ。 そんな折、奈苗が妊娠していることが薫に知られ、それ以来一家の空気は不穏なものに変わっていく・・・という話。

  幼な子われらに生まれ3.jpg 一見、<普通の家族>だが。
 現在薫は小6、恵理子は幼稚園、という設定。 再婚した時期が正確にはわからないが、恵理子は信のことを「本当のパパ」と思っている様子。 薫にしても実の父親の記憶はほとんどないらしい。 それでも実の父親ではないのにパパを名乗る負い目からか、やりすぎなほど子供たちに気を遣う。 残業は極力しないで夕食を一緒に取る(それでリストラ候補に挙げられても仕方ないと受け入れる)、週に一度はケーキを買って帰る、休日も一緒に遊ぶ・・・痛々しいほどの努力ぶりなのだが、その努力が空回りしていることに気づいていないのがさらに痛々しい。
 ただ、この映画は信の視点で描かれるので、彼が登場人物の誰よりもまとも、であるように見える。 奈苗はなんでも「ねぇ、どう思う?」と、それはあなたが自分で解決すべきことでしょ、という内容でも頼ってくるような人物で(それが彼女にとっての甘え−愛情表現なのかもしれないが、すでに2人の子供もいるのに全然大人として自立していない人のようだ)、あげく信にも「あなたももうあの子(沙織)に会わないでくれるのがいちばんいいんだけど」みたいなこともサラっと言ってくる。 自分さえよければいい、的な感じ、はっきり言って怖かったです。 信の前妻はその逆で、仕事に生きたいから子供はいらない、という極端なタイプ。 自分の家族を持ってこそ一人前、と考えている信と一体何故結婚したのか不思議でしょうがない(そこまで話し合わずに結婚しちゃったのか、若き日の勢いだったのか、そのあたりは描かれず)。 今は別の人と再婚して、その人は沙織を自分の子供のようにかわいがってくれている様子。 奈苗の前夫はDVの人だったようで、自分は逃げるように離婚したからもう相手に会いたくない・子供たちにも会わせたくないという気持ちがあるのはわかりますが、それを自分以外の人に強要するのはどうなのか・・・<家族観>というのは人それぞれだと考えこまずにはいられない。
 でも、信の「自分の家族を持ってこそ一人前」という考え方もまた、ある種の呪縛なんですけどね。 本人はまったく気づいていないけど(いちばんまともな人に見えるが故に、だからいちばん質が悪いのかもしれず)。

  幼な子われらに生まれ5.jpg 沙織と。 彼女もけなげで、大事に育てれらているのがわかる気がする。
 信はもちろん沙織をかわいいと思っているのだが、奈苗との間に子供ができたことを告げられない。 彼の価値観では、自分たちの関係が「いびつなもの」だと思っているから。
 別にいいじゃん、一緒に暮らしていなくても、名字が違っても、血のつながりがあってもなくっても、自分たちが<家族>だと思っていればそれで。 と、あたしは思ってしまったのだが・・・そう思う人はこの映画には出てこなかった。
 あげく、薫はぶちギレ、「あんたなんか他人のくせに父親面しないで。 自分の子供には会いに行っているくせに。 私だってほんとうのお父さんに会いたい」とごねだす。
 「え、どういうこと?」と意味のわからない下の妹恵理子。 もう、この子の存在がほぼ癒しでしたよ(多分、信にとっても)。 この子、うまいなぁ、と思っていたら・・・大河ドラマ『直虎』の子供時代、おとわを演じていた子ではないか! でも『直虎』のときよりもっと幼い。 この映画、何年前に撮られたのだ!、とちょっと狼狽。 大人はそんなに変わって見えませんが、子供って違いが明確すぎるよ・・・。
 反対する奈苗を説き伏せ、信は奈苗の前夫を探し出して話し合うことに。

  幼な子われらに生まれ2.jpg 前夫(宮藤官九郎)は予想通りうだつの上がらない男で・・・。
 「薫に会うなら、手数料払ってもらわないと」と当然のように金を要求するゲス発言。 回想でDVシーンが出るけど、直接描写は避けているし、それほど悲惨には見えなかった。 そういえば宮藤官九郎は田中麗奈のファンだから、本気で蹴りを入れられなかったのか、役として鬱憤晴らしで暴力をふるってしまうけどそこまでガチではなかった(良心はうずいていた)のかどっちだろ、と悩んだ。
 そういう相手にも「薫に会ってやってください」と誠心誠意頭を下げる信。 それってサラリーマンのやり方だよね・・・そういう組織に身を置いたことがない人間には通用しない手なんだけど、信はそういうやり方しか知らないから。
 大人になればなるほど、人は不器用になってしまうのかもしれない。

  幼な子われらに生まれ6.jpg 反抗期真っただ中。 でも、そういう態度が取れるのは、ある意味まっとうな生活を送ってきたからかもしれないし。 許されると心の底では思っているから反抗し、ひどい言葉を叫ぶ。 自分の存在が本当に否定されていると感じてたら、大人に対して何も言えないし、自分の意思を伝えることすらできない。 18歳になるのを待って黙って家を出ていくだろう。 彼女はただひたすらに、甘えてる。 その自覚がないのが腹立たしいほどだ。 子供は親を選べない。 けれど、人並みかそれ以上の生活を送れるのは<義理の父>のおかげであることに気づいてもいい年齢ではないだろうか。

 けれどこの映画では、誰も責められないし誰も断罪されない。
 すべては時間の経過とともに流されていくかのように、ただあるがまま。
 時間の省略のされ方など、いかにも「小規模な日本映画」って感じ。 時代を感じさせないためなのか序盤と終盤の映像はより粒子が粗く、でもそれが逆に気になった。 ドキュメンタリータッチにしたかったのだろうか。
 気になったのは、信の前妻が信に言った言葉。
 「あなたは「なんで」って理由を聞くけど、その時の気持ちは聞いてくれなかった」
 いやいや、理由を語ろうとすれば気持ちの説明にもなるよ、だいたいの女性の場合。 感情と出来事はセットだもん。 それを切り離して別物ととらえるあたり、原作者は男性だなぁ、としみじみ感じる(この映画の脚本も荒井晴彦、男性である)。 監督は女性だけど、そこはスルーした、もしくは監督も男性脳の持ち主なのかなぁ、と。
 信が仕事帰りに買ったケーキがアンリ・シャルパンティエだったり、斜めエレベーターのある東京近郊のニュータウンなんて今はもっとさびれてるだろうから、主なロケ地は関西圏かも、と思ったら西宮名塩でした・・・(ポスターの背景がそう)。
 映画として悪くはないんだけど、なんかもやっとする。
 まだまだ、家族という呪縛から逃れられない人、いっぱいいるんだなぁと思うしかなかった。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする