2017年08月29日

Zの悲劇【新訳版】/エラリー・クイーン

 そんなわけで、『Zの悲劇』を読む。
 小学校6年生(もしくは中学校一年生)以来の再読。
 なんと語り手がサム警視の娘ペイシェンス・サムであることに驚愕し(エラリー・クイーン作品において一人称の小説はほとんどないから。 実際にこの作品だけだという)、かつて読んだはずなのに全然覚えていないことに呆然となる。
 でもあの当時・・・エラリーの<国名シリーズ>よりも<ドルリー・レーン四部作>のほうが好きだったのは、もったいぶった若い名探偵エラリー・クイーンよりも年老いたシェイクスピア俳優のドルリー・レーンのほうが個人的に好みだったからからかなぁ(昔からおじさん・おじいさんが好きだった)。 で、ペイシェンス(愛称パティ)もまた若く自分の美貌と才気を鼻にかけたところのある人物で、その割に肝心なところで転んだり気絶したりして、彼女のせいでドルリー・レーンの登場が少ない!、と感じていたのだろうか。 あたしの記憶がおぼろげなのはそのせいかもしれない。
 ファニー・カイザーという人物が登場した途端、「あ、これ読んだ!」と思い出した。
 でも犯人は覚えていなかったのだった・・・。

  Zの悲劇新訳.jpg ZはYの十年後の物語。
 ヨーロッパから帰ってきたペイシェンス・サムは女探偵になることを望み、父に頼んでかの有名なドルリー・レーン氏に会わせてもらうことになる。 サム警視は警察を退職し、いまでは探偵事務所の所長。 ブルーノ地方検事はいまやニューヨーク州知事。 懐かしい再会はすぐに終わり、サム元警視はある依頼によってよくない噂のある州上院議員に会いに行くことになる(勿論、ペイシェンスもついていく)。 ところが、その人物は刺殺体として発見される。 近くにあるアルゴンキン刑務所を出所したばかりの元受刑者が容疑者として逮捕されるが、ペイシェンスは彼が犯人だと思えない。 レーン氏に助けを求めれば、彼もそうだと考えていた。 しかし物的な証拠がないため、警察側を説得できない。 更なる証拠と真犯人を探すべく、ペイシェンスは奮闘するが・・・という話。
 今から思うとそんなに長い話でもないので(400ページ以内である)、結構あっさり読み終えてしまった。 越前氏の新訳のせいもあるだろう。
 ペイシェンスにイライラするのはあたしも女だからか、その時代の女性の感覚が(純潔を清純を保つのを前提に女の武器を当然のように利用する、女だから認められないことに苛立つ、など。 原著は1933年なのでこれはエラリー・クイーンの女性像の問題だと思うのだが)古いせいか。 ここで好き嫌いがわかれるかも。
 ミステリとしては後半はタイムリミットサスペンスと消去法による推理が見事にミックスされた先駆的作品で、被害者や事件の背景があまりに取って付けたもののようであってもドキドキしてしまう。 逆に言えばその部分だけが華麗で鮮やかであるのに対し、それ以外のことは結構どうでもいい感じがしないでもなく、だから記憶に残らなかったのかな、という気がする。
 でも、犯人判明後にわかったある事実が、かつての自分は気が付かなかったけど『レーン最後の事件』の動機的伏線になっている・・・と理解できたのには戦慄した(まるで無邪気な様子でその旨を記すペイシェンスの人でなし加減−それは若さゆえの残酷さのせいなのだろうけど、にもまた)。
 どうしよう、この次に『レーン最後の事件』に行くべきか、それとも『Xの悲劇』に戻るべきか。
 悩むところである。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月28日

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ/THE FOUNDER

 明らかにマクドナルドの話なのに、タイトルにそれを入れないということは・・・入れたくない話ということか(もし入れたい話ならマクドナルド全店でキャンぺーンを張るだろう)。 『ソーシャル・ネットワーク』的なものを期待してもいいだろうか。 ともかく、予告におけるマイケル・キートンの得体のしれなさが気になって。

  ファウンダーP.jpg 怪物か。英雄か。

 1954年のアメリカ。 今はシェイクブレンダーのセールスマンをしているレイ・クロック(マイケル・キートン)は52歳。 過去にいろいろなビジネスに挑戦し、成功したこともあれば失敗したこともある完全な山師。 常に現状に満足せず、新しい何かを探している(といっても、今の仕事をないがしろにすることはしない)。 美しく夫を信じる妻(ローラ・ダーン)がいるが、各地を走り回るセールスという仕事故、妻はほったらかしに近い。 食事はいろんな土地のドライブインレストランを利用することが多いが、満足な店に出会ったことがない。
 そんなとき、8台のブレンダーを注文してきた<マクドナルド>という店があったので、レイは興味を覚えて行ってみることに。 その店は、ハンバーガーとポテトとドリンクをあっという間に提供した。 料理は皿にのせるのではなく紙で包んで袋で渡され、厳選されたメニューによりオーダーミスもない。 いったいこの店はどうなっているんだ!、とこの店の経営者、ディック&マックのマクドナルド兄弟に会う。 彼らは合理性とスピードを両立させたキッチンシステムを確立し、料理の品質を保ちながらできるところは徹底的にコスト削減をした。 その結果がこの店だった。
 レイはそのビジネスコンセプトに感銘を受け、「ぜひフランチャイズ化をするべきだ! 自分がオーナーになってどんどんチェーン店を増やしたい!」と申し出るが、品質を守りたい兄弟(特に弟)は契約を渋る。 しかしゴールデンアーチをアメリカ全土に広げたいという弟の夢のため、兄は弟とレイの中を取り持ち、契約を厳しくすることでレイの独走を予防できると考えた。 だが、レイの野望はそんなことで止められるものではなかった・・・という話。

  ファウンダー5.jpg 初めて訪れたマクドナルドで。
 「これはどういう仕組み?」と戸惑うレイがちょっとキュートである。 でもお店の常連らしいご家族(同じベンチに座っている)は手慣れた様子で食べ始める。 そのハンバーガーパティは、現在のマクドナルドの3倍ぐらいの厚みがある感じ。
 マクドナルド兄弟がテニスコートにチョークでキッチンを描き、その上でバイトのにーさんたちが指示通りに動いて見せ、最も効率の良い動線とキッチンの配置を考えだすまでの描写はスピード感もあってとても面白く、「自分たちでまったく新しいものをつくりあげる」楽しみに満ちている。 これがあったからこそ“ファストフード”の概念が成立したともいえる重要なシーンだ。 でもそんなよろこびはここまで。 そのあとは、兄弟がレイに<食いものにされる>シーンの連続だからだ(とはいえ、そう思うかどうかはその人次第。 あたしはそう思えました)。
 レイは自分が信じるところに忠実で、それを善悪の基準では判断しない人物であるように見える。
 自分が始めたチェーン店で、アルバイトの中でできそうな青年を見つけるとすぐに自分の秘書的な位置に取り立てる(一時期その店は困るだろうが、レイにとっては彼が自分のそばにいることのほうが正しい選択だから)。 どんどん店を拡大していけば当然運転資金が足りなくなってくるが、自分の話を信じてお金を貸さない銀行に八つ当たり。 そのやりとりを耳にした人物から「ボロ儲けができないとしたらシステムに問題がある。 店の土地・施設をすべて準備してオーナーに手渡すのではなく、オーナーからリース料をもらえばいいんです」的アドバイスをもらい、その人物を即採用(その人はのちにマクドナルド初のCEOになる)。 その仕組みを利用して、レイはどんどん加盟店を増やしていく。

  ファウンダー4.jpg 全米制覇に盛り上がる。
 いつも笑顔か無表情、いや、くやしい顔とかもいろいろしているはずなんだけど、レイの顔で思い浮かぶのはそのどちらかだ。 目に感情があまり出ていない。 「怪物か。英雄か。」というコピーもそこから来たのかな。 誰にも本心を明かさない、もしくは自分でも自分をわかってない。 そんな底知れなさをマイケル・キートンは存在そのもので体現。 『バードマン』のときより今回のほうがすごいのでは。
 だって、契約を踏みにじり自分の野望の赴くままに解釈を捻じ曲げるレイはほんとに人でなしなのである(特に、アイスクリームの冷凍庫代がもったいないと、ミルクシェイクを粉末を水に溶かしたものに変えようとするくだり)。 なのに、レイの電話番だった女性を登用し、ビジネスの重要ポストを任せるといった「女性の社会進出」の先駆けを実現させたりもしている。 もっともレイはそんなことを考えてのことではなく、自分が信用できる身近な人間に任せただけのことなんだろうけど。
 そしてレイはハンバーガーの売り上げよりも、立地条件のよさを優先した土地のリース料のほうで儲ける不動産ビジネスで大富豪となったことにニヤリと笑う。 あとはもう、<マクドナルド>の名前を自分のものにするだけだ。

  ファウンダー1.jpg ついにすべてが自分のものに。
 あぁ、これが資本主義の冷酷さというものか。 グローバリゼーションのなれの果てか。
 映画のチラシにはホリ〇モン的な人たちが「これぞビジネスのお手本!」といった賛辞を寄せているが・・・これって同時にレイ・クロックへの賛辞ですよね。 やっぱり一部(大部分かもしれないが)ビジネス界の人はそういう考え方なんだ。 弱肉強食的というか、知恵とアイディアとリスクを恐れない行動力が賛美されるのだ。 たとえそれが、ある人たちの気持ちや生きがいを踏み潰すものであったとしても。
 モラルや誠実さというものは、ビジネス的成功においては何の足しにもならないのだと言っているも同然だ。

  ファウンダー2.jpg そしてマクドナルド兄弟は・・・。
 ビジネスとしては失敗だったかもしれないけれど、あたしは兄弟のほうに共感する。 かわいそうだとは言わない、それが彼らの選択だから。 そもそもマクドナルドのビジネスそのものをつくりあげたのは彼らだし、もし彼らがレイと契約をしなかったら現在世界最大のハンバーガーチェーンは存在しないかもしれないけど、いろいろ迷走している日本マクドナルドの新製品よりも、あたしは彼らのつくったハンバーガーとポテトを食べてみたいよ、と思う。
 あぁ、これがスティーヴン・キングが言っていた50年代、「古き良きアメリカ」なのか。 確かにこの映画では黒人は労働者としてしか出てこないし(そこは時代としてよくない点)、兄弟はまだアメリカ人がお人よしだった時代の象徴かもしれない。 ジューシーなハンバーガーも、調味料が塩だけのフライドポテトもまた。
 しばらくマクドナルドを食べていないが、ますます食べようと思わなくなったな・・・どうせなら、いわゆるグルメバーガーを食べたい。 たとえ多少待たされようと、お値段が多少張ろうとも、そのほうが食べ物に対して誠実だと思えてくるからだ。 物には適正価格というものがある。 デフレだからと言って価格破壊を行った日本マクドナルドは今そのツケを払わされている。 <創業者物語>を教訓にはしなかったのだろうか。 なんだか切なくなるな・・・。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

今回は・・・10冊(その2)。

 そして残りの5冊はこちら。

  ダークタワー6−1.jpgダークタワー6−2.jpg スザンナの歌<ダークタワー6>/スティーヴン・キング
 また表紙を描く人が変わった。 どういう意味合いなんだろうなぁ。
 現在アメリカで公開中の映画『ダークタワー』のフッテージを観ました(日本では来年1月公開予定)。 登場人物はローランド(ガンスリンガー)と少年ジェイク、そして黒衣の男(それがマシュー・マコノヒー)の3人に絞られているらしい。 まぁ、まとめるにはそうするしかないだろうな。
 原作のほうは、あとは最終部『暗黒の塔』を残すのみ。

  幻夏.jpg 幻夏/太田愛
 『相棒』等の脚本家として名を挙げた著者による小説第二弾。 第一弾は読んでいないのだがこれが気になったのは「少年時代に巻き込まれた事件・出来事がのちの人生に影を落とす」話っぽいから。 そういうのが好きなんです。
 でも著者の小説はこれまで三作発表されているのだが、登場人物がかぶっているようだ(物語としては独立しているが)。 これが面白かったら、他も読むことになりそうだ・・・。

  失踪人特捜部忘れられた少女たち.jpg 失踪人特捜部 忘れられた少女たち/サラ・ブレーゲル
 ついに角川文庫も北欧ミステリを出しました!
 著者はデンマークの“ミステリの女王”と呼ばれている人らしく・・・北欧には何人“ミステリの女王”がいるのだろう、とふと思う。 これもシリーズものらしいが、途中からの邦訳、しかも英語版からということで微妙に心配ではあるのだが・・・少女ネタもきらいじゃないのです(いや、むしろ好きか)。

  ハチ参る2.jpg ハチ参る 2/遠藤淑子
 手に取った途端「薄っ!」と声に出てしまった。
 遠藤漫画史上、最薄ではないだろうか。 しかもこれで完結。 こんなことなら一冊にまとめてもよかったのでは・・・。
 とはいえ、時代劇のいろんな要素てんこ盛りなのに後追いしないあっさり加減が、この本の薄さや軽さにぴったり合っているようで・・・これはこれでいいのかな。 ほんとにあっさりしてるのは、ハチ目線だからなのか、基本4コマだから感情を入れ込みすぎないようにしているからだろうか。 それ故に、読者はいろいろと考えてしまうわけですが。

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月26日

今回は・・・10冊(その1)。

 8月も気づけば一週間ほどである・・・早いな。 空の青さが目に染みる。 そこにはちょっと秋の気配を感じるものの、まだまだ日差しは強い、そして暑い!

  ファビアンリスク2 九つ目の墓.jpg 九つ目の墓【刑事ファビアン・リスク】/ステファン・アーンヘム
 <ファビアン・リスク>第二部。 とはいえ時間軸は一作目より過去に戻り、ストックホルム時代の話らしい。
 描かれるのは手ひどい猟奇殺人。 これがファビアンの見る悪夢のもとになるのかな〜。 過去に戻るとはずるいが(『顔のない男』事件のその後は?!)、四部作構成のための意味があるのでしょう。

  小泉喜美子殺さずにはいられない.jpg 殺さずにはいられない 小泉喜美子傑作短編集
 『痛みかたみ妬み』が好調な売れ行きだったらしく、第二弾が出ました。 読者としてもありがたい。
 帯裏には今冬発売予定<仁木悦子傑作短編集>の予告が! これもうれしいお知らせである。 仁木悦子は長編もいいけどね、短編集から再評価(というか、知らない人に知ってもらう)のはいいことだ。

  シンパサイザー文庫1.jpgシンパサイザー文庫2.jpg シンパサイザー/ヴィエト・タン・ウェン
 タイトルからてっきりSFかと思ってしまったが、ポケミスと文庫版同時発売ということでこれも期待作であるとわかる(でもそういう場合は結果的に同価格になるものなのだが、今回文庫版のほうが明らかにお安い。 ポケミス版で揃えている人、特定数いるのか)。
 ベトナム戦争物でスパイ小説、しかもベトナム側から見たもの、ということで・・・これでまた知らないことがちょっと埋まるけど多分もっと増える。

  中途の家新訳.jpg 中途の家【新訳版】/エラリー・クイーン
 これは正確には新刊ではないですが・・・『Zの悲劇』の勢いで。
 ハヤカワで出るかと思っていたんだけど、角川で出ていたのね・・・。
 越前さんのエラリー新訳は一通り終わったようなので、『十日間の不思議』の新訳は今回はないのね・・・残念だわ。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

海底47m/47 METERS DOWN

 暑い! そんな夏と言えばサメ映画かホラー映画、雪と氷の映画である。
 そして今年は、サメ映画がやってきました。

  海底47m P.jpg ようこそ、死のスキューバダイビングへ。戦慄の深海パニックスリラー解禁!

 メキシコで休暇を楽しんでいる姉妹のリサ(マンディ・ムーア)とケイト(クレア・ホルト)。 実はリサにあまりいいことがなかったみたいで、ケイトは姉の気持ちを引き上げようといろいろ盛り上げる。 「どうせ私は・・・」タイプのリサとイケイケ気質のケイトは性格が真逆ではあるが、お互いを思いやる仲のいい姉妹で、気分がふさぎがちになる姉に対して、ケイトは知り合った現地の若者から教えてもらった<シャーク・ケージ・ダイビング>(金属の檻に入った状態で海に沈めてもらい、海中で間近にサメを観察するもの)を提案する。
 未知なるものに対して本能的に恐怖を抱くリサは拒絶するが、ケイトはノリノリで「絶対楽しいって!」と口説く。 妹にほだされて、リサは翌日のイベント参加に同意するが・・・という話。

  海底47m4.jpg リゾート気分に舞い上がる姉妹。
 なにしろポスターの文字がこの次の展開を全部説明してくれているのだが・・・。
 ぎりぎりまで嫌がるリサだけど、結局二人は<シャーク・ケージ・ダイビング>をする。 業者(?)は地元の漁師の副業的な感じで、檻はさびさび、船もそれほど大きなものじゃない。 料金ときたら一人100ドル。 おまけにリサはダイビング経験がないのに、船長に問われて「ある」と答えてしまう(ケイトは経験豊富そうである)。 言ってることと行動が伴わないところが、こういうジャンル映画でおなじみ“自業自得系”の香りがする。
 またキャスティングが微妙に地味というか、観たことある人はいるんだけどあんまりはっきり覚えていない、という感じがリアリティを連れてくるというか、ちょっとドキュメンタリータッチに見えることが面白い。 それだけ、奇想天外なことが起こるのではなくて、普通に起こり得るアクシデントの連続という感じだから。

  海底47m3.jpg 檻に入ってシャーク・ウォッチング。
 また早々に現れてくれるサメがでっかい。 6〜7m級とか(船長曰く、9m近いものを見たこともあるらしい)。 そこで気づいたが、メキシコはメートル法ですか? 原題もわりと直訳で、メートル使ってますしね。 サメはCGっぽかったですが、比較的違和感は少なかったのでよかったです。
 「こんな近くで魚やサメを見られるなんて感激! もっと水中にいたい!」とはしゃぐケイト。 その一方でうっとりとサメを眺めていたはずなのに「やっぱり怖い! 早く上にあげて!」と叫ぶリサ。 なので船長は予定よりも早く檻をクレーンで引き上げることになるのだけれど・・・ワイヤーが切れたのは老朽化のせいなのか、タイミングを誤ったせいなのかどっちなんですかね。 そんなわけで、二人が入ったままの檻はその地点における海の底、海底47m地点まで落下し、二人はパニック状態に。
 基本、ダイビングは水深40m以内で行われるべきとされる(通常は20m前後)。 40mよりも深い地点に行くと水圧が人体に深刻な影響を与えるし、一気に水面まで上昇すると潜水病になる(なのでゆっくり浮上するか、30〜20m付近で5分以上滞在して体を慣らさなければならない)。 そして水圧が上がれば上がるほど酸素ボンベの消費量は増える。 で、40mより深く潜ることは想定していないので、無線が届かない。 海の中に差し込んでくる太陽の光も弱まる。 なにもかもが絶体絶命のピンチなのである。

  海底47m1.jpg 特にリサ、パニック状態継続中。
 黙って救助を待つのも手だが、酸素ボンベの量は多くない。 無線が通じないから相手が自分たちを探してくれているのかどうかもわからない(追加のボンベをおろしてもらうにせよ、こちらの位置は知らせなければならない)。 そのためには檻から出て10mほど浮上して無線通信可能エリアに入らなければならないが、当然周辺にはサメがいるはずで・・・解決策もまた八方ふさがりなのである。
 そんな状況の中、二人はがんばる。 できるかぎりのことをする。 こんなところで死にたくないから。
 とはいえ、時折訪れるパニックに耐えられず、二人は大声でガンガン会話してより酸素を消費してしまうのだが。
 サメ映画かと思っていたけれど、これはたかだか海底47mで人は手も足も出ないという絶対的な自然の動かしがたさや人間の小ささといったものを描いたものだった。 あたしはダイビング体験がないのでリアルな恐怖感はなかったけれど、経験がある人は「酸素がどんどんあっという間に減っていく恐怖」におののくのではないでしょうか。 実際、一緒に観たえむさんは自分も息苦しくなって死にそうになった、と言っていたから。 あたしはあまりそういう恐怖はなかったな・・・海が身近な地域で育ったせいか、海の危険が骨の髄までしみついているのだ(海だけじゃないけど、自然全般)。 いろいろなめてかかってたら、運の悪さを呼び込んじゃよね、的な。
 サメに襲われないように海の底面に沿って移動していったはいいけど、ふと気づいたら自分がどこにいるのか・どこに戻ればいいのかわからない瞬間の怖さなど、一瞬の静寂のあと訪れる恐怖をうまく表現していたと思うし。
 サメ映画!、と期待するとサメの出番は意外と少ないじゃないか・・・とがっかりするかもしれないけれど、海の恐怖を描いた映画という意味ではなかなかの掘り出し物でした。

  海底47m2.jpg それでも出てくるサメ、巨大。
 窒素酔いに対しての説明が不十分かなと思いましたが・・・科学的に正しい説明でテンポを乱すより、「ダイビングにおいてボンベ2本目を使うのは危険」ということが分かれば十分なのかな、と思い直す(気になった人は詳細を自分で調べればいいのだし)。
 そんなに涼しくはならなかったけど、思っていたより楽しめました。
 後日、えむさんから「あの映画、大阪でやってないみたいなんだけど、よくあんなマイナーな映画見つけたね!」的なことを言われた(ちなみに観終わったすぐ後はほんとに息苦しくて自分も死にそうになって、観ることにしたのを後悔した」と言われてしまった・・・それだけリアルに楽しんでもらえてよかったです)。 全国順次公開のようです。 神戸国際松竹は一番目の公開(でも多分、2週間くらいで終わってしまうだろうけど)。 ここ数年、夏にサメかホラー映画をラインナップしてくれていて、あたしは大変うれしい。 今後もこの路線でお願いします。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

闇を駆けた少女/パトリック・リー

 つい、海外モノにそんなに力を入れていない(新刊点数が少ない)出版社のチェックは油断しがち。
 あとあと、あまぞんの「これを買った人はこれも買っています」で存在を知り、あわてて探したり。
 これもそんな一冊でした。

  闇を駆けた少女.jpg <サム・ドライデンシリーズ@>と書かれちゃってますが・・・。 続巻である『予言ラジオ』にはその表記がない(おまけに次が出るまで結構時間がたっている)。 版元が期待したほど売れなかったのか?

 ある日、普段からなかなか寝付けないサム・ドライデンは突然、走りたいという衝動にかられ、家の近所をマラソンする。 最近、そんなことが多く、過去のつらい記憶が彼をかきたてているようだった。 しかしその日はいつもと違った。 霧の立ち込める午前3時の遊歩道で、一人の少女と出会う。 彼女はレイチェル、12歳。 しかもここ2か月以前の記憶を一切失っていた。 が、なによりも問題は、レイチェルを殺そうとする武装したプロの男たち6人が追ってきていることだった。 サムはレイチェルの手を取り、揃って逃げることにする、という話。
 実はサムは元特殊部隊出身で、その後も国の特殊任務をやっていた過去あり、というツワモノ。 そんな人にたまたま出会って助けてもらえるなんてラッキー!、というかあまりにご都合主義じゃないか、な展開ですが、その<ご都合主義>もまた物語の必然性に組み込まれている。
 内容はテクノスリラーというか・・・SFっぽくもあるのだけれど、世界の陰謀論者が飛びつきそうななかなかのリアルネタ(いかにもそういうことやってそう・・・的な)。 その分、荒唐無稽と紙一重ではあるんだけど、読み始めたら止まらないスピーディーな展開でそのあたりの疑問を深追いさせない。 で、悪役かと思っていた人物が途中で立場を変えたり・・・といったグレーな人物像が物語に厚みをもたらす。
 それでも、「結局、ご都合主義じゃね?」と言われても仕方がないところもありますが・・・根本に勧善懲悪があるというのは読んでいて気分が悪くはならないし、サム36歳とレイチェル12歳の間に生まれる絆(ちょっと疑似家族的な)ものに胸を熱くさせられます。
 500ページ弱ですが、結構あっという間に読んでしまいました。
 やべぇ、また新しいシリーズに手を出しちゃった。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

いつまで暑いんですかね・・・。

 暑さ寒さも彼岸まで、という言葉が通用しない昨今ではあるが、やっぱり暑いのは暑いのである。
 朝、電車を待つホームに差し込む日光が低くなってきている(なので日陰が少ない)ことはわかっていても、変わらず、むしろ余計暑くなっていないか、という気がするほどである。 夏休み、涼しい家でだらだらしていた結果であろうか・・・もうすでに通勤がしんどくなっている。
 学校などはまだ夏休みなので、電車はいつもと違う客層で込んでいる。 いつもこのへんで座れるのに、というところでも席が空かないため貴重な読書の時間が減る! 大阪駅から一駅分だけ座れても、あまりうれしくない。
 なんかつかれるな・・・。
 早く週末が来てほしいなぁ、ともう思ってしまう、月曜日。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

黒い迷宮/リチャード・ロイド・パリー

 <ルーシー・ブラックマン事件>について、報道されていた記憶はある。 イギリス在住のご家族が来日して記者会見したり、Missingの貼り紙がされたことも、遺体が海のそばの洞窟で見つかったことも、犯人が捕まったことも覚えている。 でもそれはすべて断片的なもので、それらの情報があたしの中でひとつながりになっていないことに気づいた。 凶悪犯罪には興味あるあたしなのに、何故。
 それが、この本を手に取らせたいちばんの理由だった。 事件発生当時のあたしは北東北に住んでおり、それ故にまったく想像の付かないこと(日常生活において気にかけたことが一度もないこと)が要因の一つとして大きく取り上げられていることに驚いた。 現在は関西に住んでいるのでそういう発想(?)があることには気づかされたが・・・でも当時はそういう報道に触れた記憶はなかった。 すべて追いかけていたわけではないけど・・・日本のマスコミに自主規制があったのだろうと今では推測できる。
 でもねー、北東北の片田舎に住んでいると、近くにいる人たちに対して「この人は本当に日本人だろうか、日本国籍を持っているのだろうか」なんて考えることもない、そもそも、思いつきもしない。

  黒い迷宮1.jpeg黒い迷宮2.jpeg きちんと裏取りをしたルポルタージュだが、まるで小説のように感じることもある。
    多分それは、筆者がこの事件に入り込んでしまったからだろう。 冒頭に川端康成の『眠れる美女』が引用されているのだが、事件の内容そのものを考えたら川端康成への冒涜とも取れてしまうのだが・・・イギリス人にはそういう発想はないのかな? それとも、こういう妄想を持ちうる人間には国籍関係ないといいたいのだろうか。 どちらにせよ、筆者は被害者遺族やその関係者とも信頼関係を結び、被告側にも同じように接触を試みる。

 事件が起こったのは2000年の7月。
 あの頃のあたしは何をしていたか・・・地元で働き始めていて、あまりテレビを見ていなかった(新聞は隅から隅まで目を通し、興味ある項目だけ読んでいた)。 当時個人のパソコンは持っていなかったので、インターネットはしていなかった。 でも今はなき『今日の出来事』ぐらいは見ていたような気がするし・・・多分映像として記憶に残っているものの元ネタはそのあたりだろう。 あとはもっぱら活字で事件の経過を追うことになる。
 実は今回、容疑者となった織原城二という名前の読み方が「おはら・じょうじ」であることを初めて知ったというか・・・ずっと「おりはら」だと思っていたのだ。 それもまた、音で聞かず文字で認識していた証拠かな。 そもそもこの名前の字面が一昔前のマンガの登場人物のようで、「なんか偽名っぽい」と当時あたしは感じていた。 単に自分の身元を明かしたくなくて、とりあえず名乗った仮称ではないか、と。
 が、あたしの感じた胡散臭さの正体がこのようなものだとは思いもよらなかった。 あとあと自分でつけた名前だったのだ、どことなく自己愛が漂うのも当たり前である。

 ふと思うのは・・・もしこの事件のときに裁判員制度が導入されていたらどういうことになっただろう、ということだ。
 もっと警察は証拠固めをしっかりしたはずだろう、自白がなくても証明ができるように。 そして基本前例主義の裁判官でなく、裁判員がいたなら、そこまで偶然が重なるかは審議になっただろうし、検察側も弁護側ももっと力の入った論戦を繰り広げていただろう(そして弁護側の繰り出す矛盾点に、もっとツッコミが入ったはずである)。 そう考えると、裁判員制度の導入は「よかったこと」になる。 裁判官側の意識改革だけでなく、硬直した警察の取調べ制度にもメスが入るようになったのだから(となれば取調べ可視化は当然の流れである)。
 あたしはずっと不思議だった。 海外ドラマや警察小説を読んでいると自白なしでも証拠が確実ならば起訴はできるのに、何故日本ではそういうことにならないのか(もっとも、外国ではその分証拠の調査・保管手順が重要視され、そこで不手際を起こすと起訴が取り下げられて犯人は釈放されてしまうという危険性もあり、弁護士の力量次第でなんとでもなってしまうという印象がある。 日本の司法がまだまだであるのは事実だが、外国がパーフェクトであるともいえないのも事実だ)。
 日本の警察が優秀とは言えないのは、難解で複雑怪奇な事件に対応できないからである(そういう事件が諸外国と比べて起こる件数が極端に少ないから)。 日本の警察がうまく機能してるように見えるのは(日本の治安がいいのは)、警察が優秀なのではなく日本社会が順法精神にあふれおとなしく従順であるからに過ぎない、というように著者に断言されてしまう部分は「確かに・・・」と思わずにはいられなかった。 地元の県警、収賄や横領なんかにはすごく能力を発揮するんだけど、殺人事件となると勢いが弱まるのわかったもん。 現行犯とか、犯人が親族・顔見知り以外の事件は解決に時間がかかってたし、語り継がれる迷宮入り事件もあった。
 2017年現在、多少変わってきたと思うけど(それだけ想定外の事件が起こるようになってきたからだが)、2000年の東京でもまだこうだったのか、というのは地方出身者にとって驚きに近い。 それだけ人の数が多いからというのはあるかもしれないが・・・刑事ドラマや警察小説がこんなにも人気なのは、現実はそこまで行ってないという証明なのかもしれない。

 しかし著者はイギリス人なれど、『ザ・タイムズ』の日本特派員として20年以上日本に住んでいる。 普通の日本人にもインタビューしているから日本語の日常会話には困らない程度なのだろう(さすがにすべて日本語でこの本を書くことは難しかったのか、最初から英語圏での出版を考えていたからなのか)。 それでもそういう歴史認識なのか・・・という部分は読んでいて悲しくなる(大英帝国はそういう帝国主義で植民地化を押し進めた経緯があるから同じだと思っているのだろうか)。 あたしも当時生きてたわけじゃないからなんともいえないけど・・・やはりそこは日本人とは違うなぁ、と。 でもこの本がアメリカ・イギリスの犯罪ノンフィクション賞を受賞したりノミネートされたりしてるってことはそれだけ国際的に読まれてしまったわけで、ここに書かれた歴史認識がそのまま広まるのは不本意である、と感じる。 勿論、読者側がすべてを信じてしまわないというリテラシーを持っていることも重要だけど、他の考え方も発信していかなければいけないということ。 日本国内でも議論になっているのに、一方的な情報だけ広まるのはよろしくない。

 同時に、外国のノンフィクションを読む際にもあたしは同様に考え、気をつけなければならないということだ。 わからないことが多いから「ひえーっ」と思ってしまうけど、別の書物を読むことで視点を広げないと。
 日本は特異な国だといわれる、いい意味でも悪い意味でも。
 けれど日本にいるとそれが当たり前で・・・外国のほうが特異に思えるんだけど。
 それぞれが「お国の違い・個性」として見るだけでは、もう世界は狭くなりすぎたってことなんだろう。 これもまたグローバル化の産物か。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

仕事の前にシンナーを吸うな、@WOWOW

 WOWOWのプログラムガイドで「シティボーイズの新作コントが登場!」という記事を観て小躍り。 しかも作家は三木聡!
 でも今年公演あったんだっけ? 連絡ハガキ来てないけど(『燃えるゴミ』のときは東京公演しかなかったけどお知らせハガキは来たのだ)。 さらに詳細な番組表を見て、絶句。 放送枠が一時間しかない! これって通常のライヴなのか? それともコントのスタジオ収録とか? でもライヴ感を大事にする彼らがお客さんなしでコントをするとは思えないし・・・(WOWOWの予告でお客さんの頭が見える映像があったので、公演はしたのだろう)。
 それに合わせてWOWOWでは過去のシティボーイズ公演を今週夜から朝方まで連日放送しており、仕事始まるってのについ観てしまって、あたしは寝不足だったよ・・・(そもそも行けるステージは全部行ってたし、過去の放送で全部観てるし、録画してDVDにも落としているというのに。 ものによっては商品としてのDVDも持っていたりするのに、やっていると観てしまう)。 でもいろいろ、懐かしい。 忘れてるものもあったし・・・基本彼らのネタはリアルタイムだから、あの当時はよくわかったことも今見たらわからなくなっている。 時間は確実に流れていて、あたしの記憶も感覚も衰えているのだった。

  シティボーイズ仕事の前にシンナーを吸うな、.jpg なんと三木聡とのコラボレーションは17年振りとのことである。 てことは『ウルトラシオシオハイミナール』から17年経ったってこと・・・? その17年、前半は別の作家たちと毎年公演したたけど、後半はインターバルがあったりしたからあたしの習慣からも外れた(というか東京公演だけだったらチケットが取れない)。 『西瓜割の棒、――』大阪公演があたしが生で見たステージの最後である。

 そして、新作『仕事の前にシンナーを吸うな、』であるが・・・(放送分は2017年6月13日の公演)。
 <自己破産の男>をベースに、過去の三木作品要素がてんこ盛り。 でも覚えていれば覚えているほど過去の記憶はすべて裏切られる展開に。 でもそんな裏切り方もやはり三木聡的で・・・やっぱりちょっと懐かしい。 瓶蓋ジャム売りのおじさんも登場しますし。
 そして相変わらずきたろうさんも斉木さんもちょっとグダグダで(二人のグダグダの種類はまったく違うのだが)、会場かマイクの関係か大竹さんの声が時折聞き取りにくいのがさみしい。 大竹さんが声を張ってくれてこそ(鋭いツッコミがあればこそ)、舞台は引き締まるのだから。
 「えっ、もう終わり!」という36分のコントでした(エンディングトークや、楽屋トークなどを合わせても放送時間は48分ほど)。
 も、物足りない・・・。 それは彼らもそうみたいではあるものの、スケジュール合わせて稽古して、ある程度のクオリティを保つステージを、と思うとこれくらいの時間が程よいのだろうか。 それともこの公演自体、急に決まったのかなぁ。

  シティボーイズ仕事の前にシンナーを吸うな、2.jpg きたろうさんはブラウン系、大竹さんはネイビー系、斉木さんはグレー系とそれぞれのイメージに合ったシックな衣装も、シンプルながらそぎ落とされたこの舞台にはぴったり。
 さらさら髪のきたろうさんに白髪が目立ち、量も明らかに減っていることにちょっと狼狽。 確実に彼らも老けている・・・。

 あたしの妹は好きな人たちには優しいので、「また板の上に立ってくれるだけでありがたい」と言うかもしれない。 でもあたしは好きな人たちには期待してしまうので、「もっとできるはずじゃないのか」とか思ってしまう。 「まだまだこんなものじゃないだろう、あなたたちの真価は」みたいな。 なので台詞カミカミのきたろうさんの日に当たったときには「どうしたんですか!」と毎回アンケートに書いていたよ・・・。 だから今回も、「もうちょっとできたんじゃないか」と思ってしまう。 時間的な物足りなさだろうか。 内容はコンパクトに過不足なくきっちりまとまってはいたんだけど、<コンパクトにまとまる>ことを彼らに求めてはいないのだ。 同じく3人×三木聡だった『夏への無意識』と比べたら、爆発力はやはり足りない。
 今回の舞台も東京で数日間だけの公演だったみたいだけど、大阪にも来てほしかったよ〜。 そのために梅田芸術劇場の会員になり続けているのに〜。 ただ大阪は東京と違って劇場の数が少ないので、急に決まった公演の場合会場が空いていない可能性はある。
 インタビューで三木さんは「とりあえず今回久し振りにやってみたけど、引き続き自分はやるつもりはない(他の若い作家を探してがんばれ)」的ニュアンスのことを言っていたので、これもまた実験作だったのかな。
 「スマホはついていけない、今もガラケー」な三人が舞台では実験を続ける。 やっぱりそれはかっこいい。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | シティーボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣/DANCER

 神戸ではバレエのドキュメンタリー映画の公開率がやけに高い気がする。 そういう土地柄なのか? そんなわけであたしも時折その恩恵を受けるが・・・これはなかなかの異色作だった。 というか、よく知らなかったあたしは「おぉ、まさに“リアル『リトル・ダンサー』”だ!」、とつい熱狂してしまったのだが。

  セルゲイP.JPG <ヌレエフの再来>と謳われる類まれなる才能と、それを持て余しさまよう心――

 ウクライナ生まれのセルゲイ・ポルーニンは幼少時からバレエの才能を発揮、地元でも抜きん出た存在になっていた。 彼には才能がある、そう確信した家族(特に母親)は、彼を最終的には英国ロイヤル・バレエ団に入れようと、セルゲイと母はキエフ・ロンドンと転居を繰り返し、父親や祖母は外国に出稼ぎに行く。 すべてはセルゲイの学費を稼ぐために。
 その期待に応え、セルゲイは英国ロイヤル・バレエ団に合格、なおかつ19歳でプリンシパルとなる(史上最年少記録)。
 しかしその2年後、人気絶頂のときにセルゲイは電撃退団してしまう。 彼にいったい何があったのか・・・家族や関係者、本人へのインタビューと舞台映像などで構成。

  セルゲイ5.jpg 子供時代からビデオが残っているのがすごい。
 ウクライナからだったらロシアのボリショイ・バレエのほうが近いような気がするが・・・あえて英国ロイヤル・バレエを目指すところが『リトル・ダンサー』とかぶる。 なのでつい、「おぉ!」とあたしは盛り上がってしまったわけで。 しかもバレエの才能だけじゃなくて見た目もなかなかのハンサム。 そりゃ、人気出るよね、あっという間にプリンシパルになるよね、と納得(プリンシパルとはパリ・オペラ座におけるエトワールと同意語)。

  セルゲイ3.jpg 普段の彼はこんな感じ。
 でも彼が<バレエ界きっての異端児>と呼ばれたのは、カラダにガンガン入れ墨を入れていくところ。 王子役をよくやるプリンシパル(もしくはそれを目指す者たち)はあまりそんなことはしない。 しかも彼はプリンシパルであることに驕ったり誇ったりもしていない。 自分がこうしているのは家族の犠牲のおかげ‐つまり、自分のために家族がバラバラになってしまったという無力感にさいなまれる。
 プリンシパルでロイヤル・バレエ団一の人気スターとなればそれなりのお給料が出て、家族が一緒に暮らせるようになるのでは・・・と思っていたあたしは甘かった。 国が違うという問題もあるのかもしれないが、想像以上に収入は多くないのか(もしくは、ロンドンで揃って生活するには相当の金額がかかるのか)。
 もともとの才能と努力で、セルゲイは頂点を極める。 けれどむなしさしか残らないとなったらバレエへの情熱もまた薄らいでいく。

  セルゲイ2.jpg こんなに才能があるのに・・・もったいない。
 セルゲイが自分の苦悩を誰かに相談する、という性格ではないからかもしれないが、バレエ団のえらいさんとか彼の経済状況とか知ってる人がいるはずだろ! お節介な人はいなかったのかよ!、とつい思ってしまう。 日本だったら、なんかいそうではないか。 そこが合理主義で個人主義の国・イギリスってことか。
 ロイヤル・バレエ団でのセルゲイの同期の人たちのインタビューが興味深かった。 彼が持ちえなかった<普通の少年時代>を取り戻すかのようなバカ話エピソードは、年齢を考えればあまりにバカっぽくはあるものの、必要なことだったのだと感じられて。 そして友人という存在がいたということもまた、彼の孤独を埋める多少の助けになっただろうから。

  セルゲイ7.jpg 役柄に合わせて変容。 入れ墨もメイクで隠す。
 それでもバレエには常に真摯に向かい合う。 だからこそ、続けるのがつらかったんだろうな。
 英国ロイヤル・バレエ団を電撃退団後は、しばらくマスコミに追いかけられていろんなことを書きたてられる。 「スターダムから自滅の淵へ」とか書かれたりする。 マスコミとはどこの国でも微妙なものだ・・・。
 しばし休養し、それでもバレエへの思いがやみがたいと感じた彼はロシアに招かれる(これには家族の金銭的負担は必要ない)。 モダンを多くやってきたロイヤル・バレエ団時代とは違い、ロシアのクラシカルな正統派バレエはセルゲイに新鮮な驚きをもたらす。
 でも、彼は引退を決意する。

 彼が自分の引退表明として選んだ曲はホージアの“Take Me To Church”。 振り付けはロイヤル・バレエ団の時の同級生、著名な写真家のデヴィッド・ラシャペルがそのMVの監督を務めることに。 その映像にはセルゲイのこれまでのバレエへの思いがすべて詰まってる。
 よくわからないけど、あたしはこれを観て泣いた。
   <セルゲイ・ポールニンの“Take Me To Church”> ← 映画の公式サイトで観られます。
 というか、引退表明とともにyoutubeにUPされたんだけどね。 で、なんと1800万回以上再生され、セルゲイ・ポルーニンを知らなかった、そもそもバレエに興味などなかった人々をも「なにこれ、素晴らしい!」と熱狂の渦に巻き込むことに。 この映像を観ながら、同じ振り付けを真似しようとする子供たち続出(その映像もまたyoutubeにUPされている)。

  セルゲイ1.jpg “Take Me To Church”の一場面。
 曲もいいけどさ、歌詞がまたセルゲイの思いにリンクするというか、字幕では字数制限の関係からすべてのニュアンスを訳しきれてはいないんだけど、必要最小限の訳はしてくれてる。 そしてその踊りは、カット割りはしているけれど一発勝負的というか・・・「この部分だけ撮り直したい」ということはしていないように見える。 常に彼はフルコーラス踊ったはずだ、テストでも、本番でも。 よどみのない集中力というか、入り込む情熱というか、そういうものを痛いほど感じる。
 こんなものを発表しておきながら、引退なんて無理な話。 この映像で彼を初めて知った人たちが、彼を放っておくはずがない。
 でもこうなって初めて、彼は自分のために踊るよろこびを見い出したのだ。 バレエが自分にとってかけがえのないものであると認めた。
 引退を撤回し、新たなステージに立つことになるセルゲイ。 それは、これから未来の話。
 <リアル『リトル・ダンサー』>どころじゃない。 彼はまるで萩尾望都のバレエマンガに登場するキャラクターのようだ。
 今後は映画出演の予定もあるそうな(それこそ、彼がたとえられた天才ダンサー・ヌレエフの伝記映画とか)。 映画館で彼と再会できることを、あたしは待ちたい。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

仕事が始まってしまった(夏休みが終わってしまった)・・・。

 あっという間に夏休みが終わってしまい、今日から仕事再開。
 たいしたことしてない、と言いつつ、休み中はそれなりに睡眠がとれた。 慢性の睡眠不足が少々解消され、大変気分がいい。
 しかし、家を出て最寄り駅に向かうまででもう汗だく。 改札前のコンビニでしばし涼んでからじゃないとホームにのぼれない。 そして世間はまだ夏休みモードなのか、そういうお客さんが多くて(そしてそういう人たちはたいてい荷物も多い)、全然座れなかった・・・。
 今日は休み明けでウォーミングアップ、定時そこそこで帰るぞ、と思っていたのに(まぁ金曜日は残業になるだろうことはあきらめとともに受け入れていたし)、いろいろあって結局残業・・・。
 でも図書館からお呼び出しを受けていたので、今日しかチャンスがないのだ。
 なんとかぎりぎり間に合った・・・やれやれ。
 ふと見まわした棚に、『Zの悲劇』の新訳版(角川文庫)があった。
 ドルリー・レーン四部作を読んだのはいつのことだったろう。 小学6年生の夏休みの読書感想文に『Yの悲劇』を選んだのは覚えている(ちなみに、同じく6年の修学旅行には新潮文庫版の『緋色の研究』:延原謙訳を持って行っている。 よくよく考えれば、大変困った子供であった)。
 まぁそれはともかく・・・読んだはずなのに『Zの悲劇』の記憶が全然浮かんでこない。 他の3作はそれなりに覚えているのに(『ドルリー・レーン最後の事件』にいたっては号泣したことも覚えている)。
 あれ、『Z』ってどんなんだっけ・・・と手に取れば、裏表紙に「最高の新訳が名作の隠れた魅力に光を当てる疾走感あふれる傑作ミステリ!」とあり、解説の法月綸太郎によれば『Z』は過小評価されているとのこと・・・そうなのか、では読まねばならんな!
 でもどうせなら引き続き『最後の事件』も読みたいよなぁ、と探すと、同じく新訳の『レーン最後の事件』を発見!
 残念ながら『X』と『Y』はなかったのだが・・・多分覚えているから大丈夫。
 閉館時間が迫ってきたので、呼び出された原因である『神宿る手』とともに借り出す(これも書庫からで・・・単行本だった。 あたしが昔読んだときは講談社文庫だった気がしていたけど)。
 あぁ、読みたい本がいっぱい・・・働いてる暇ない(おいっ!)。
 うむ、そういう人にあたしはなりたいよ・・・。
 明日一日出ればまた休みだ、がんばろう!

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

二度寝とは、遠くにありて想うもの/津村記久子

 図書館から借りました。
 のんびり内容のエッセイなので、一気に読んではもったいない。 ちょっとずつ、ちびちびと読んでみた。

  二度寝とは遠くにありて想うもの.jpeg 前のエッセイ集と装丁のテイストが一緒。

 かつて、NBOで月一連載を楽しみにしていたエッセイが、この本に収録されていた!
 なんだか、記憶通りでうれしい。 あぁ、あの頃は時間的に余裕があった・・・(今はNBO:日経ビジネスオンラインを記事を探して読む時間がない)。
 基本、大阪在住の方なので、『Meets』(関西一円を対象とする情報誌、私は神戸に住むようになって初めてその存在を知った)に連載していたらしい美術展訪問記にはあたしも行ったことがある美術館が続々出てきてにやにや(残念ながら展覧会そのものはかぶっていないのだが、わかるし)。 特に神戸市立博物館におけるミュージアムショップの商売っ気のすごさに言及していたのには「同感!」です!
 会社員をやめて作家専業になったものの、フリーランスであるがゆえに不安要素が多く(いいことといえば満員電車に乗らなくて済むことぐらいしか思いつかないようだ)、だらだらしたいのだができない、という貧乏性もしくは苦労性な気質が微笑ましい。 こういう人は、いくら人に「もっとのんびりやりなよ」と言われてもそういう気にはなれないものだ。
 とはいえ、このエッセイに書かれてることは日常レベルの話で・・・些細な、どうでもいいことに対して真剣に考え(考えすぎ?)、七転八倒する姿勢が、「あぁ、そういう感じは自分だけじゃないんだ」と思わせてくれて楽しい。
 でもそれは作家としては<庶民派>であるらしい。 純文学系で芥川賞もとってるけどドラマ化されることもなく、大ブレイクとは程遠いから、らしいけど、専業でやっていけるんだから結構売れているほうなのでは・・・と思うけど。
 まぁ、筆者が「印税で左うちわ」な生活を送るのだとしたらそれはそれで似合わない気もしてしまうのだが・・・。
 好きな文房具のために一日使ってしまうような、そういう人であり続けてほしい。

ラベル:エッセイ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

夏休みなので

 夏休みです。
 いろいろ計画も考えていたのですが・・・(映画行こう、本持ち込んでカフェで長居しよう、一人ランチでごちそう食べちゃえ!、御影杉のケーキ買おう等)、いざとなったら暑くて外に出るのがイヤ。
 クーラーもあまり好きじゃないけど、とりあえず一定温度の部屋にいられるのはありがたい。 外にゴミ捨てに行ったり郵便ポストを確認に行くだけでなんかもわっとし、いちいちシャワーを浴びてしまうあたし。 計画はあるけど、相手がいないと「めんどくさい」に流される・・・。
 でも、おかげで自宅のHDDの空きスペースが順調に増えている。
 (あ、このブログの修正もちまちま進めています。 写真を探すのが結構大変。 どういう名前で登録してるか覚えてなかったりするものも多くて。 そして思いのほか記事の数が多いので、終わりが見えないという・・・へこたれる)
 いろいろ読みたい気持ちが強すぎて、読みかけの本がどんどん増える(そしてタブレットにたまったコミックセットにもついつい手を伸ばす)。
 だけど、HDDの中身を減らすのは、今後のために必要だし、読みかけ本も通勤のお供に最適だ。
 結局は仕事再開への下準備なのか。
 そのための体力温存として、出かけようとしないのかなぁ。 でも、ひきこもりしてたら仕事行く気にならなくなるよね・・・。
 あぁ、バランスが難しい。
 とりあえず、暑さに負けてます。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

ちはやふる 35/末次由紀

 最近、昔よく読んだ懐かしいマンガを古本屋や電子書籍で手に入れて、読んでしまっています。
 「実家に行けば全部あるのに・・・」と思いながら、でも今は手元にないわけで、つい。 しかもタブレットが来てからは「カラーがきれい、文庫や普通サイズのコミックよりも画面が大きい!」という理由で電子書籍購入が加速。 セットで期間限定30%OFF、とかになってると「おっ!」となってしまい、ポイントの還元率も考えて(そのポイントは紙の本を買うときに利用)、ぽちっとしてしまったり。
 電子書籍、マンガはやばいわ〜。 ということで自戒している今日此頃。
 でも、昔(といっても幅があるけれど)のマンガは1ページの情報量多いし、少ないページで話をまとめている。 すごい長い話のイメージがあった作品も、意外と「こんなに短かったか!」みたいな驚きがある。 ちょっと物足りない、もう少し読みたい、という余白を残して終わっているところがすごい、と思う。
 特にこれを読んだから、余計に感じる。

  ちはやふる35.jpg もはやこの表紙の人物が誰なのかわからない・・・。
   消去法で・・・太一か?

 受験生でありながら、名人・クイーン戦に出場する千早・太一・新。 その予選の一幕。
 勿論予選は途中です、全然終わりません。
 目標ブレブレで明らかに準備不足で臨んだ千早、何故か途中で一気に覚醒して無敵状態に。
 同じく準備不足な太一は「勝つためじゃない、翻弄しに来た」と意味不明な立ち位置。
 新くんはほかの脇役と同じぐらいの扱い・・・な、なんだろな。
 登場人物増やしすぎて交通整理できなくなってないか? そもそも本筋もぶれている感じが。 才能は大事だと思いますが、努力してない人が勝つって展開ばかりでは、読んでいてやりきれない・・・。
 いったいどう決着をつけるつもりなのだろう。
 <一期だけのクイーン>の姿はよかったけど。
 今回はしのぶちゃんが出てこなかったので・・・彼女の扱い如何では、もう読むのやめようかな・・・。

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

御影杉狂想曲

 先週くらいに、姫路在住の友人から「御影杉が閉店する」ということを教えてもらう。
 えっ、と驚き、あわてて検索。
 「・・・ほんとだよ」
 後継者が決まらず、本店は8月末、神戸そごう店は9月18日、西宮阪急店は9月末で営業終了とのこと。
 そうか・・・今あるからといってそれが永遠にあるとは限らないんだよな、ということをあたしは何度も経験しているはずなのに、またこうして教わる。
 昨日、映画の前にそごうに寄ったのだけれど(それまでは20時前に三ノ宮に到着できなかった)、ショーケース、からっぽ!
 残された焼き菓子も並んで買わねばならない感じ。 以前のように「どんな品ぞろえ?」と一瞥することすら許されなくなっているような・・・。
 まぁ、考えることはみな同じ。 それに休前日だし、19時過ぎてるし、おもたせとか必要な時期だし。
 姫路のエスさんにメール。
 「今そごうに来てるけど、杉のショーケース、もう空っぽ! 来るなら早めの時間をおすすめします」
 彼女はここのはちみつのムースが大好きで、夏休みを利用して買いに行くと言っていたから。
 そしたら今日、メールが来た。
 「15時頃到着したのですが・・・生ケーキは3種類しか残ってなくて、はちみつのムースはありませんでした。 なんか、ケーキも種類絞ってる感じですよ」
 なにっ!? もう消化試合に入っているというのか?
 ・・・閉店が決まり、それを公表したということは、働いている人たちの次の仕事も世話したはず。 もしかしたら人手も足りなくなってきていて、材料もそんなに発注するわけにもいかず、戦略的撤退のもと商品が決められているのかも。 この時期、手に入るフルーツも限られてくるだろうし。
 せめてあたしは洋ナシのタルト(小さいホールサイズ、小細工なしで絶品)と、パウンドケーキ(これはちょっとサイズが大きめなのでいつも購入を悩んではやめていた)を手に入れることができたらなぁ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする