2017年07月12日

ハクソー・リッジ/HACKSAW RIDGE

 メル・ギブソン復帰作、かつ沖縄戦・前田高地での戦いを描いている(とはいえ宣伝はその点控えめ)というのが気になって、観る。
 オープニングからすさまじい戦場。 こんなんだったら敵も味方もわからなくなるんじゃないか、という大混乱ぶりに当時の戦闘のなんともいえないむごたらしさを見る。
 こんな戦い、したくない。 多分誰もがそう思うような描かれ方、これが『プライベート・ライアン』を超えた、といわれる所以なのか。

  ハクソーリッジP.jpg 世界一の臆病者が、英雄になった理由とは――

 時は第2次世界大戦真っただ中。 デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は敬虔なキリスト教徒で、人を殺してはいけないという信念を強く持っていた(その原因の決定打は、子供の頃兄とのケンカでつい近くにあったレンガで兄を殴ってしまい、あやうく兄の命を奪う・自分が人殺しになるという恐怖の経験をしたためである)。 その信仰心故に<良心的兵役拒否者>であったデズモンドだが、町の人々が次々戦場に行き、様々な報道を耳にするにつれ、自分も衛生兵として軍隊に入って役に立ちたいと思うようになった。  当然、武器は持たないという自分の信条を変えることはせずに。 父(ヒューゴ・ウィーヴィング)は前の大戦において従軍したが、深く心に傷を追いまだ立ち直れていない。 父はそれをうまく説明できるほど器用ではなく、デズモンドも理解するには若すぎた。
 そして彼は新兵訓練の末、衛生兵として沖縄戦に参加することになる・・・という話。 あ、実話だそうです。
 “ハクソー・リッジ”とは“のこぎり崖”の意。 それくらいほぼ直角に切り立った崖を登ったら、そこが戦場。

  ハクソーリッジ2.jpg やたらにやけ顔。
 とにかくデズモンドは、終始にやけ顔。 のちに妻となる看護婦のドロシー(テリーサ・パーマー)との会話時は、そのにやけ顔もヒートアップ。 アンドリュー・ガーフィールドってこんなしまらない顔してたっけ?、と感じるほど。 とにかく、空気の読めない男である。
 絶対軍人向いてないぞ、と思ってしまう口の利き方や態度。 それでよく(志願兵とはいえ)通ったな、新兵訓練受けさせる気になるな、というくらい。 それだけ、アメリカ側も軍人が足りなかったということだろうか(でも国力的には日本よりずっと余裕があったわけで・・・)。 そこには個人の自由意志を尊び(良心的兵役拒否者という存在が認められているわけだから・・・当時の日本なら「非国民」の一言でアウトだ)、一度仲間に加えたからには裏切らない・切り捨てないというアメリカ軍の規律もしくはアメリカ人としての誇りがあるからなのだろうか(そういえば『プライベート・ライアン』だって、一人を助けるために何人か犠牲になることは折り込み済み、という)。
 そんなわけでこの映画は、アメリカ軍の戦闘を描きつつ、結果的に組織の持つ懐の深さと合理的精神を突き詰めるとこうなる、という不思議な実例をも示していた。

  ハクソーリッジ3.jpg デズモンドの思想に最後まで理解を示さない同期(でも、軍人としてならそれは正しい)。
 同じ部隊に配属されたとして、隣にいる男が「僕は銃を持たないから。 ただひたすら怪我人を助けてまわるよ」というやつだったら・・・絶対組みたくない、という気持ちはわかる。 なにかあったとき、反撃してくれない相手を頼りにすることはできないし、むしろ戦場で足手まといになるんじゃないか、と考えるのは当たり前。 だから同じキャンプの新兵たちはあの手この手でデズモンドをギブアップさせるよう仕向ける。 「戦いはおれたちに任せて、家に帰れ」と小隊長に言われてしまうほどに。

  ハクソーリッジ1.jpg だが、子供の頃から野山を駆け回り、岩登りも普通にやっていたデズモンドは訓練をやすやすとこなしてしまう。 ただ、射撃訓練だけは絶対にやりません(というかそもそも、銃にすら絶対触れない)。
 そのうち考えを変えるだろう・・・と思っていた人たちもデズモンドの頑固ぶり(もしくは信念の強さ)に「これ、やばいんじゃね・・・」となり、「射撃訓練は必須科目、それをしないなら不名誉除隊とする」と軍法会議にかけられたりする。 それをサポートするのがヒューゴ・ウィーヴィング演じるPTSDに苦しんでいる父親だというのがぐっとくるよ。 だっておとうさんは戦争に行った過去を忘れたくてのんだくれたり妻や子に暴力をふるったり、失ったかつての仲間たちのことをずっと悔やんでいる人なのだ(時代が時代なので治療も受けられなく、家族にはすごく迷惑をかけているが)。 そんな人がかつての軍服に袖を通し、息子の援護に向かうのだ。 エージェント・スミスはすっかり老けこんだけど、やはり彼の声は素敵。 むしろ彼が助演男優賞にノミネートされなかったのが不思議。

  ハクソーリッジ5.jpg あ、サム・ワーシントンだ。
 前線に立つエリート小隊長殿はデズモンドの扱いに戸惑う。 でも彼の働きぶりを目にして考えを変える。 戦場とは予測不可能の集合体。 デズモンドを入隊させ、最終的に前線に送ると判断した元帥とか提督とかと呼ばれるような人たち(直接映画には出てくるわけではないけれど)は、小隊長殿よりもずっと経験は豊富なわけで、膠着している戦況を打破するために「もしかしたら、万が一」の可能性にかけて異分子を投入したのであろうか。 つまり本番で「ものは試し」をしているわけで、そんな余裕(?)を見せられたら「そりゃ日本、負けるよな」と納得してしまう。 その場では勝利しても、ずっと先まで見通す余裕は日本軍にはなかっただろう(個人として考えていた人はいただろうが、それを作戦として取り上げるような斬新過ぎる判断を軍部はできなかったと思う)。
 さて、デズモンドを突き動かしていたのは信仰心だけだったのか。
 キリスト教徒ではないあたしには、ちょっとわからない・・・。 怪我人であればアメリカ人だけでなく日本人も助けた記録が残っているそうであるが、多分動いているときのデズモンドは相手が何人かとか気にしていなかったのではないか。

  ハクソーリッジ4.jpg どうしようもない戦場。 その中をひたすら動き、怪我人を救出するために文字通り奔走するエドモンド。 何故か彼には銃弾が当たらない。

 帰るとき、比較的若めのカップルらしきお二人の男性側が、「ここ、感動するところだとわかってるんだけど、舞台沖縄やん。 ひめゆりの塔とか頭をよぎってしまって、彼はすごい人やなと思うけど、感動できへんかった。 やっぱり自分、日本人なんやな」とおっしゃっているのが聞こえた。
 すごく素直な感想だと思った。
 メル・ギブソンは日本軍を完全に悪者として描いていないけど、敵側の事情を説明することもしない(多分、それは当時のアメリカ軍の兵隊たちの共通認識だったのかもしれない―敵のことはよく知らない、ただ戦うのみ、みたいな)。 だからアメリカ的価値観でいくと理解できない行動をとる日本軍がほんとに不気味だったんだろうな、という。
 白旗掲げた振りして突入する、という日本側の卑怯っぷりも描かれるけど、火炎放射器で情け容赦なく日本兵を燃やしつくす(その炎の動きはどことなく原爆を連想させるものがあった)アメリカ側の残酷ぶりも描かれているし、「戦場においてはどちらに理(利)があるとかそういうことは吹っ飛び、ひたすら殺し合いになるだけだ」というどうしようもない事実を突き付けられ、結果反戦映画になっている気がする。
 エンドロールでは実際のエドモンド・ドス氏ご本人の映像が流れ、彼がなした偉業が称えられてますが・・・。
 結果的に善をなすものが信仰である、と言いたかったのだろうか。 信仰とテロとが切り離されないこの時代、あえて第二次世界大戦末期の事例を持ち出すのはそのためか。
 なんだかいろいろ、複雑な気持ちになった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする