2017年07月11日

TAP −THE LAST SHOW−

 実は、タップダンスが好きだったりする。 原因は子供の頃観たフレッド・アステアだろうか? 自分でも見よう見まねでやってみて・・・全然靴音高く鳴らないので憤った記憶がある。 金属板を張った専用靴じゃなきゃ無理、ということにも気がつかないくらい幼い頃。 <水谷豊初監督作品>ということはいったん忘れて、かつて楽しんだタップダンスへの夢を観に映画館へ。 なにしろあの頃は子供なのでだいたいできたような気がしたが、今となってはインドア派のただのおばさん。 なのに「これからタップダンス習おうかな」と思ってしまったよ!、この映画を観て。 昔の記憶、再来。

  タップP.jpg 魂が鳴り響くラストダンス24分。

 かつては天才タップダンサーとして絶大なる人気を誇っていた渡真二郎(水谷豊)だが、十数年前に舞台での事故により脚に致命的なダメージを受け、ダンサーとして再起不能となった。 以後、杖が手放せない生活となり、他人とのかかわりもできるだけ避けて酒浸りの日々を送っている。 が、ある日、彼は昔からの知人であり友人のある劇場支配人・毛利(岸部一徳)から、ついに劇場を閉めることになったので、と最後の公演の演出を依頼される。 まったく乗り気ではない渡だったが、オーディションにやってきた若者たちの情熱がいつしか彼の止まっていた時計を動かすことに・・・という話。 『セッション』のいい人ヴァージョンみたいな感じといえばいいのか(鬼の特訓はございます)。

  タップ1.jpg 一昔前の探偵事務所的ハードボイルドな佇まい。
 岸部一徳が超かっこいい(関西弁だけど)。 どうせ何もないだろうとカフェでテイクアウトのコーヒーを買い、渡の家(というか倉庫兼住居というか)を訪ねる。 で、そのコーヒーを飲もうが飲むまいが関係ないという。 手ぶらで行くのはかっこつかないが、それが気取ったものである必要はない、的な美学というかなんというか。 でもそれを意識してやっているわけじゃなくて、というのがかっこいいのだ。
 なんとなくの雰囲気ではあるが、かつてアメリカン・ニューシネマに憧れた世代が、それを取り入れて生活をしてきた、というのが見て取れるような。 それが“イタリア風ではないちょい悪オヤジ”というか、彼らの体現するダンディさに通じるというか。
 渡さんが飲んでいるのは常にジャック・ダニエル。 しかも容器に移したりせず、外出時には小瓶を、家ではフルサイズをとバリエーション豊かに取りそろえている。 そのお金はどこから? 着てる服もなんだかかっこいいし。
 現実的には、渡さん、事務所兼自宅みたいなところでどうやって暮らしているのかまったく不明だが、どんなにのんだくれようが人生あきらめた言葉をはこうが、生活感がまったくないので悲壮感もそんなにない。 それが、かつては一流だった人間が持ち続けるプライド(もしくは身についてしまった習慣)なのか。
 ある種の男性が憧れる男の美学、ってやつなんですかねぇ。

  タップ3.jpg オーディションに残った若者たち。
 一方、これから這い上がろうとする若きダンサーたちはとにかくぎらぎらしている。 あまり人物を広げ過ぎると時間が足りなくなる・掘り下げ不足になることを考慮してか、メインのダンサー4人に絞ってバックグラウンドを描くことにしたのは正しい判断だと思うが、ダンサーを起用する(つまり演技未経験者が多い)ことでダンスシーンに問題はないが、若者たちだけのシーンでは演技力的に厳しいものがあり・・・実力派の方々がチョイ役でサポートしてくれているおかげでなんとかなっているという。 これは水谷豊監督の個人的なコネによるものが大きいかと(六角精児さんも出ていたので、『相棒』降板による一部で流れた不仲説もこれで払拭されるかと思うと個人的にうれしい)。
 なので、「うおぅ、それはちょっとつらいよぅ」という場面もなくはなかったが・・・ダンスレッスンシーンのおかげで初期化できました。
 とはいえ<イマドキの若者>なので「意味のわからないシゴキは納得いかない」的な甘ったれたことも言うのであるが、やはり本心からこの先を目指す者たちは「この人についていけばもっと上に行ける」と本能的に察知し、つらい練習にも耐える。 というかそういう感覚を持ちえない者は一流になれないよな、というのがしみじみわかる流れです。 ショウビズ界は厳しいのだ。

  タップ2.jpg なんでしょう、この哀愁。
 とりあえず渡さんは右京さんとはまったくの別人であることはお断りしておきます。 というか、役者・水谷豊はもともと<動>のイメージ、ばしばし身体を動かす人だった。 <静>のイメージってほんとに杉下右京だけだと思うんだけど・・・長くやっているとそれが現在のパブリックイメージになってしまうのね。 でも久し振りに<動>の水谷豊を観た!、のだけれど、若者たちの話を聞いてやったり、かつての仲間たちと思い出話をする場面などでは自然に<静>になる。 それはやはり、キャリアの長さ故に身についてしまったものか。 ちょい悪オヤジもちゃんと実は大人なんです、というあらわれであり、若者を見てかつての自分たちを思い出すというレベルではないところにいる人だ、という表現だったりするのですよねぇ。 年相応、という言葉の難しさを知る。

  タップ4.jpg そして迎えるステージ本番。
 せっかくのタップダンス・ショウ。 基本、とてもいいのです。 練習場面で本番の内容を示唆するシーンがほとんどなかったので、幕が開くまでどう進むのか観客もドキドキワクワクする。 それは普通にステージを観るときの感覚。
 ただ一生懸命なダンサーの表情を撮りたいのはわかるけど、そうすると足の動きが切れてしまう。 だからって足だけをアップにすると全体が見えない。 観客席にダンサーたちの関係者がいるのはわかるが、そっちのほうを映しすぎるとショウの勢いがそがれる。 出てくれた人を映したいという事情があるかもしれないけど、そこはショウ序盤の紹介ぐらいでよかった。 関係者たちが感動しようが涙ぐもうが、それはステージのできばえそのもので観客に十分伝えられること。 「観客を、映画から舞台を観にきた感覚に」という意識があることは伝わるのだが、その演出(というかカット割り)は十分ではなかった。 むしろ邪魔だった。 初監督作品で完璧なものをつくられてもびっくりではあるのだけれど、素人の観客が気づいてしまう要素があるのはやっぱりちょっと残念なのだ。
 そういうちょっとしたことが残念に感じられてしまうのは、やはりこの映画がそこそこうまくできているからで、「この部分が気にならなければもっといい映画になったのに!」と観客としてもったいないと思ってしまうからなのだ。
 つまりタップダンスの魅力を伝えることにこの映画は成功しており・・・だからタップダンス習いに行きたい!、と思ってしまったんだな。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする