2017年07月06日

怪物はささやく/A MONSTER CALLS

 実はそんなに期待してなかった。 上映館少ないし、まったく盛り上がっている気配がなかったから。 でも『永遠のこどもたち』は好きな映画だから、J・A・バヨナ監督目当てで行ってみたら・・・いい意味で予想を裏切られた。

  怪物はささやくP.jpg その怪物が喰らうのは、少年の真実――。

 13歳のコナー(ルイス・マクドゥーガル)はしばらく前からずっと悪夢にうなされている。 母親(フェリシティ・ジョーンズ)は重病で入院中、学校でもいじめられ、そりの合わない祖母(シガーニー・ウィーヴァー)がやってくるという心労などがいくつも重なっているためだ。
 そんなある日の真夜中12時7分、家のそばにあるイチイの巨木が動き出し、怪物となってコナーの前に現れる。 「わたしが三つの真実の物語をこれから語る。 その話が終わったら、四つ目の物語はお前が話せ」と迫る。 コナーは拒否するが、怪物は毎晩現れ、一夜にひとつずつ話を聞かせる・・・という話。
 まずオープニングがすごくきれい! モノクロだった原作イラストのイメージはそのままに、フルカラーで動きと立体感を与えた感じ。 ここで期待度がアップ。
 そして苦悩と闇を抱えたコナー役のルイス・マクドゥーガルくんの佇まい!

  怪物はささやく5.jpg ときに13歳には見えないほど大人っぽくもあり、影を背負った感じがたまらない。 これが全部演技力なら末恐ろしいんですけど。

 離婚した父親はアメリカで別の家庭を持ち、頼れない(しかも父親側もコナーに「いつでも遊びに来いよ」とは言うが、責任もって引き取る気はなし。 このへんに男親の根本的なところが表現されていると思うのは穿ち過ぎか)。 そして母親の病は重く、守りたいのに自分では助けられない。 だったらせめて自分のことは自分でできると言いたいけど、悲しいけれど彼は子供で社会の仕組みに対抗できない。 それがコナーの表情の暗さを形作っているのだけれど、いじめっ子ってのはどこの学校にもいるものなのね・・・。

  怪物はささやく3.jpg フェリシティー・ジョーンズ、母親役としては若いかと思ったけど・・・病を背負ったはかなさが強烈な印象を残す。 出番は意外と少ないのだが。

 さらに怪物の声を担当しているのはリーアム・ニーソン。 <『ナルニア国』シリーズ>でもアスランの声をやってますが、そういうド迫力と説得力のある声なのよねぇ。
 怪物が現れる場面はコナーの夢なのかそれとも現実なのか、そういう“答え”を早々に捨てた演出が好ましい。 「児童文学の映画化だから子供向け」の枠からはみ出た仕上がりになったのも多分そのせいだろうし(大人向けの宣伝をするべきだったような、でも子供向けの宣伝もしたのかどうかよくわからないが)。 重要なのはコナーにとってどうなのか、だから。

  怪物はささやく1.jpg なのでだんだん怪物が恐ろしい相手には見えなくなってきてしまうのはご愛敬。 いつしかコナーの話し相手であり理解者、まるでカウンセラーのような存在に。
 そう、コナーは自分の中にあるぐるぐるした感情を整理しなければならなかった。 そうでなければこれからずっと、罪悪感に押しつぶされることになるから。 喪失感はいつか埋められるかもしれないけれど、子供である時期に子供らしく感情を爆発させたってそれは悪いことではない。 けれど、「大人になること」と早い段階から強いられる子供は、うまいこと感情の落とし前をつけないといつまでも引きずる。 これは、コナーの自己治療の過程でもあるのだ。

 小説は読者対象を子供中心に書かれたかもしれない。 しかし原作者パトリック・ネスが自ら映画用に書いた脚本は、明らかに大人向け(原作にないラストシーン追加!)。 責任の重さを知らず、自己中心的でありつつ繊細で傷つきやすい<子供>だった人たちへのメッセージが加えられている。 それはもしかしたら、子供を育てている親世代の人たちへのメッセージかも。
 更に怪物が語る3つの物語は(そこが水彩タッチのアニメーションになるのも面白い)、コナーが成長するために必要なものだというだけではなく、「世界は善悪の二元論だけで語れるものではない・見たことがすべてではない・自分の都合で変わるものは信念ではない」という、ある意味テロリズム世界への提言でもあるような。 直接言えないことも、寓話の中にはひそめやすいものだから。
 こういう作品こそ夏休みに親子で観たほうがいいんじゃないか・・・と感じるのだけれど、小規模公開作品は、難しい。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする