2017年06月12日

マンチェスター・バイ・ザ・シー/MANCHESTER BY THE SEA

 アカデミー賞授賞式で先にこの映画の概要を見て・・・「このタイトル、どう訳すんだろう?」と思っていた。
 『海沿いのマンチェスター』? 『海から見たマンチェスター』?
 しかし正解は・・・『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とは<地名>だったのだ! なんか悩んで損した?!

  マンチェスターバイザシーP.jpg 心も涙も、美しかった思い出も。 すべてを置いてきたこの街で、また歩きはじめる――。

 ボストン郊外、一人で便利屋をしてどうにか生計を立てているリー(ケイシー・アフレック)は、あたかも孤独を自らに課すようにして、周囲の人々と親しくなりすぎないように気をつけているようだ。 ただただ、黙々と働く。 生きるよろこびなど彼には無縁であるかのように。
 そんなある日、兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたと連絡が来る。 ジョーは虚血性心不全を宣告され、余命宣告をされていた。 リーは急いで故郷の“マンチェスター・バイ・ザ・シー”に戻ってくるが、兄の死に際には間に合わなかった。 そして兄の遺言により、16歳の甥パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名されていることを知る。
 かつて、リーはこの街で幸せに暮らしていたようだが、今の事態になった理由が少しずつ彼の回想によって明らかになっていく・・・という話。
 なんとなくその理由は次第に予測がつくし、映画的にスペクタクルな描写は一切ないんだけれど、映し出される“彼ら”の姿にどんどん目が離せなくなる。 これが<人間ドラマ>ってことなんだろうか。

  マンチェスターバイザシー2.jpg 葬儀にて、パトリックと。
 ケイシー・アフレックとベン・アフレックは似てないとずっと思っていたけれど、髪をアップにしてダークスーツを着たら横顔が意外にそっくりだということに気づく。 DNAのなせる技は時間とともに明らかに。

 リーはこの町にとどまっていたくはないのだが、兄の葬儀やその他もろもろを16歳の甥に丸投げというわけにはいかず、喪主のような立場を貫き、パトリックの日常生活をどうするか考える。 その間はボストンに戻れない。 一人でいることを好み、他者とコミュニケーションをとることが心苦しく見える現在のリーと、回想シーンに現れる過去のリーはまるで違う人のように開けっぴろげで他人に対して無防備である。 この差に、「どれほどの深い心の傷が」と誰もが推測してしまうだろう。
 最初、リーの役はマット・デイモンがやるはずだったがスケジュール等の都合でかなわず、プロデューサーにまわってこの役を幼馴染(というか親友の弟)のケイシーに譲った、と言われているけれど、年齢的にも役柄のイメージ的にも、ここはケイシー・アフレックで正解、というところでしょう。

  マンチェスターバイザシー5.jpg まだパトリックが子供のとき。
 兄弟は二人で仲良く釣りに出ている。 まだすべてが順調に見えていた頃のこと。

 そしてパトリックにはパトリックの事情がある。 ずっとこの町で生まれ育って、友だちも知っている人もすべてこの町に。 だから「ボストンでお前を育てる」というリーの意見に素直に賛成できるはずもなく、「便利屋の仕事だったらどこでだってできるでしょ。 おじさんがこの町で暮らせばいいんだよ」と言う。 それが、リーにとってどれほどの苦痛を伴うことなのかわからずに。
 けれど父の死がパトリックに与えた衝撃を、知らず知らずのうちに励ましてくれていたのはリーの存在であり、そしてリーもまたパトリックの言動に今はもういない兄の姿を見て支えられている。 それが観ている方にも痛いほど伝わるのに、どうしようもないほど引き裂かれてしまった心の傷はそれでも完全に癒されることはないのだと、「立ち直る」ってどこまでいけば立ち直ったことになるのかその基準はわからない、ということに気づかされるのだ(ある意味、生きているだけで「立ち直り」の最初の段階はクリアしている気がするし)。 リーにそれ以上望むのは酷だし、人生はよくできた物語のように必ずしもはっきりとした答えは出ないものだし。

  マンチェスターバイザシー3.jpg 故郷を出ていく弟を見送る兄。
 あぁ、このドラマは<会話劇>だったのだなと途中から気づく。
 兄のジョーはほんとにいい人だったのだ、ということがじわじわとわかってくる・・・だから町の人からも愛された。 そんな人の弟でいることは別の意味でプレッシャーだったのかもしれないけれど、「あのこと」が起こるまでもしかしたらリーは気づいていなかったかもしれない。
 それくらい、仲のいい兄弟だった。
 ジョー役のカイル・チャンドラーがまたいい味を出している! 思い返せば出番はそんなに多くないのだが、大変印象に残るキャラクター。

  マンチェスターバイザシー1.jpg ある意味、この映画のハイライトシーン。
 リーは元妻(ミシェル・ウィリアムズ)との偶然の出会いによって、初めて二人は本心を語り合う。
 ここで観客も改めて、二人の深い心の傷とその対処法の違いを思い知ることになる。
 二人の夫婦生活は幸せな時期もあったはずなのだろうが、リーが思い出すのは少し歯車がずれ出し始めたとき以降のことなので・・・リーのフィルターを通さない元妻の気持ちがわかるのはここの場面だけである。

 人生はままならない。 思いもかけないことが突然起こることがある。
 それは誰しも知っていることだけれど、それが自分の身に降りかかってくるまで本当の意味はわからない。 どれほどのダメージを自分がくらってしまうことも含めて。
 もしかしたら、「生きることが贖罪となる」とリーは思っているのかもしれない。
 けれどそこにわずかな救いが見えたとしても、誰が責められるだろうか。 誰よりも彼が自分を罰し続けてきているのに。
 パトリックとの新しい関係は、まさに兄からの贈り物で、それは兄がずっとリーを気にかけていた証拠でもある。
 だからはっきりしない終わり方ではあるんだけど、きっとその先にはわずかでも希望があると信じることができるのかもしれない。
 それはパトリックにも、そしてリーにとっても。
 そう願いたくなる、映画だった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする