2017年06月28日

神は銃弾/ボストン・テラン

 返却日目前に、無事読み終わりました。
 これまた筋書きはいたってストレートで。
 カリフォルニアのはずれで警察官をしているボブだったが、ある日突然元妻とその再婚相手が何者かに惨殺されたことを知る。 そして犯人たちによってボブの娘が拉致された。
 そして、事件が報道されると「これはかつてあたしがいたグループたちの犯行だ」と直感的に気付いたケイス(元ジャンキーで現在リハビリ施設に入所中)が情報提供を申し出る。 しかし確たる証拠や法的根拠は何もない。 辞表を叩きつけたボブはケイスとともに、愛娘ギャビ奪還の旅に出る・・・という話。

  神は銃弾.jpeg 原題は“GOD IS A BULLET”
 一発の銃弾が神の裁き。 暴力こそが、人に対してひとしく平等、みたいな意味かと。

 ケイスが幼い頃に放り込まれた集団はいつしかカルト化し、サイラスという男を頂点にまわっている。 このサイラスが悪の権化というか・・・すべてお見通しの良心のかけらもない者として描かれている(だからといって悪魔的な存在というわけでもないのだよなぁ)。
 基本、ジャンキーな方々ばかりが登場するので、その吐く言葉はとにかくきたない。 疾走感あふれつつ比喩を多用する地の文とはその落差が激しすぎ。 『音もなく少女は』よりもはるかにひどい暴力が延々と続くのだけれど、やはり文体のせいかそれほどひどくは感じない。 もしくは、“その他大勢”みたいなキャラが多くて感情移入する必要がないからだろうか。
 他に印象深いキャラといえば、ケイスと旧知の仲という、どこか中立地帯に存在する男、ときに刺青師・ときに医者・ときに調達屋となるフェリーマンくらいかな。
 しかしいちばんはケイスであろう。 ある意味まっとうに生きてきたボブに、まったく違う世界があるのだと教えるケイスはまさにサヴァイヴァー。 地獄のような苦難を満身創痍ながら乗り越え、やっとそこから抜け出そうとしていたのに、ギャビの存在を知りもう一度戻ることにしたという。 彼女は『音もなく少女は』のフランとイヴを合わせて、更に激しく粗暴にしたような存在。 多分、ボストン・テランが描くところの女性の原点。 彼女のすさまじさに押されるように、ボブも見知らぬ世界を疾走し、娘のためにこれまでの常識をすべて捨てて戦う。
 そう、まったく違う世界。 同じ時代の同じ国とも思えぬほどの。
 最終的に戦いはモハヴェ砂漠へともつれこむのだけれど・・・なんだかあたしはスティーヴン・キングの『ザ・スタンド』を思い出しましたよ。
 あれは世界が滅びたあと、生き残った人々の間で起こる善と悪との闘いだったけれど・・・まさに、終末後か、ぐらいの雰囲気で。
 もう<ハードボイルド>という言葉ではあらわしきれない、もっと激しくて荒廃しきった世界をそれでも生きるすさまじさ。
 同じように“被害者”であるケイスとギャビはその立場故にわかりあえるが、ケイスは被害者のままでいることをよしとしない。 そこから立ち上がり、転んでもいいから自分の力で歩くことをギャビに伝える。 「あんたはあたし、あたしはあんた」。 ギャビが襲われたとき、ひどい目にあったとき、それをされたのはギャビでもありケイスでもあると訴え、そして二人は理解しあえる。 そこには実の父親であるボブには入る隙間もない。
 ボストン・テランは覆面作家だそうだけど、女性なんじゃないかな? アメリカの話なのにここまで男が役に立たなくて(もしくはひどい加害者で)、でもフェミニズムの香りがしない作品を男性が書くのは逆に難しい気がするから。

 あたしがふと気に入った一節。
   山猫が獲物に忍び寄るようにことばに体をあずけている。
 これは終盤のケイスの描写だけど・・・こんな比喩がいっぱいです。 それが独特のリズム感というかスピード感を産み(地の文はすべて現在形になっている)、ページが進むにつれ読む側もスピードアップしていったのかな。
 ただ、サイラスの一団がカルトである必要性を感じなかった・・・“カルト”の定義が違うのかな? でも“神”に言及するためにはそれが必要だったのだろうか。 キリスト教(もしくは一神教全般)の考え方がやはりあたしには根本的にないらしい、と気づかされる。

ラベル:海外ミステリ
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2017年06月27日

20センチュリー・ウーマン/20TH CENTURY WOMEN

 映画館のカウンターで、「この映画のタイトル、なんと発音したらいいの?」と久々に悩む(いまどき、大概のシネコンは自動券売機になっていますが、神戸国際松竹は古き良きカウンター制です)。 <20世紀>だから「トゥウェンティース」だよね。 でも20世紀の女性は一人じゃないから「ウィメン」だよね。 でもカタカナでそこは「ウーマン」になってるし・・・困ったところはうにょうにょと小声でごまかした。 スルーしてくれたおねーさん、ありがとう。
 『人生はビギナーズ』のマイク・ミルズ監督最新作。

  20センチュリーウーマンP.jpg 母さんは、15歳のボクのことを“彼女たち”に相談した。
     1979年、ボクたちの特別な夏がはじまる。

 舞台は1979年、カリフォルニア州サンタバーバラ。
 15歳のジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)は“大恐慌時代の人”である母のドロシア(アネット・ベニング)と、下宿人のウィリアム(ビリー・クラダップ)・写真家のアビー(グレタ・ガーウィグ)と同じ家に暮らしている。 幼馴染のジュリー(エル・ファニング)は一緒に住んではいないけど、家が近いせいでどっちが家かわからないくらいにやってくる。 ウィリアムは女性陣を敵に回すほど愚かな人物ではないので、ジェイミーは世代の違う三人の女性たちにいつも翻弄されるような形に。
 しかしドロシアにはそう映ってはいないようで・・・ジェイミーのこれからについてどうアドバイスすべきか、アビーとジュリーに相談。 二人はお目付け役の任務を与えられることに。
 そんなジェイミーのたった一度の夏、振り返ればとても貴重で大事な夏の物語。

  20センチュリーウーマン1.jpg ボクとママ。
 前作『人生はビギナーズ』で父親を描いたマイク・ミルズは、今度は母親を描く。
 “大恐慌時代の人”と息子に言わしめるその母は、40歳で初産というその当時としては多分結構な高齢出産(ということはこのとき55歳?)。 学歴も高く、資格を持つキャリア女性として歩み始めた最初の頃の世代? 彼女たちの努力でのちの女性たちの道が開かれた、という人たち。 これは個人差なのか、世代の特徴なのか、ともかくもこのお母さんがユニークなのは間違いない。 シングルマザーであるということに負い目なども感じず、事実をあるがままに受け入れている。 なのに息子のことはやっぱり心配なのね、という。
 ノーメイク、もしくはメイクダウンですか?、なアネット・ベニングがしわもよれよれな姿もそのままさらけ出し、あえて老けた感を出しているけれどそれがナチュラルで、「年をとっていくことの真っ当さ」をあらわしているようだ。 年をとればとるほど人生は面白い、的な。

  20センチュリーウーマン2.jpg ジェイミーをめぐる三人の女たち。 このアンサンブルもまた素晴らしい。
 アビーはパンク世代(20代後半くらい?)でフェミニズムが常識の第一世代か。 音楽の趣味でジェイミーと意見が一致し、そのフェミニズム精神もまたジェイミーに伝播する。 その代表がトーキング・ヘッズ! でも自己表現は不器用でちょと困ったちゃん? 母親とはまったく違う女性像は、ときにジェイミーを混乱に陥れる。 音楽を介してはこんなにわかりあえるのに。
 ジュリーは17・8歳くらい? 女性に違う種類の興味を抱きはじめるジェイミーにぴしゃりと食らわしつつも、自分は女としての自由を男性との関係でしか発揮できないことにひそかに思い悩んでいる。 同じベッドに寝つつそんなことを聞かされるジェイミーはちょっと迷惑だが、でもそれは女性心理を学ぶまたとない機会だったんだな。 自分が男として見られていないことにがっかりしちゃうけど(でもむしろ友情のほうが貴重で特別なものなんだから、とジュリーに言われると納得してしまう)。
 世代が違う・タイプも違う三人の女性たち(これがタイトルの意味か)がこんなにそばにいて自分を構ってくれる。 そんな幸運をしみじみとかみしめたのは、多分きっとジェイミーが大人になってからなんだろう。 でも、大切な友人のために薬局で妊娠検査薬を買ってくるその勇気は、15歳のジェイミー自身が身につけたものだ。 だけど、その当時の妊娠検査薬ってすごい大袈裟な道具だったのね・・・現行のスティックタイプになるまでにどれほどの開発の道を辿ったのか知りたくなってしまった。

  20センチュリーウーマン3.jpg 母親同席のセラピーなんて役に立つわけない、とご立腹のジュリー。 エル・ファニングがこんなに成長していることにびっくりです。
 ジュリーの母親はセラピスト。 だから娘の問題行動(?)のために集団カウンセリングを受けさせているのだが、そこに同席してしまう母親の存在自体が彼女にとってストレス要因である、と気づかないセラピストって・・・と哀しくなる。 でもそれは母親だからなのか、その時代の感覚としては当たり前のことだったのか、そのへんがよくわからない。 数えてみると・・・あたしより二回り以上年上か、その母親世代にはウーマンリブは通じてないかも。 いや、ウーマンリブが正しいってことではないのだけれど、考え方や生き方の多様性を認めることが当たり前の時代に生まれたはずのあたしでさえ、同年代やその年下でも固定観念に苦しんでいる人がいたりするから。
 世代に特徴は出るけれども、個人差もある。 若いうちからそれを学べたジェイミーはやはり幸運だったのでは。
 そして、<20世紀の女性>の代表であるドロシアもまた、充実した人生を送った、と思いながら眠りについたのだろう。
 これはジェイミーを触媒にした、女性たちへの讃歌であった。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年06月26日

パトリオット・デイ/PATRIOTS DAY

 『バーニング・オーシャン』(DEEPWATER HORIZON)を観そびれてしまったので、是非こっちは行かねば、とがんばった。
 どっちも実話、しかも近年に起こった事件。 アメリカ、立ち直って(もしくは立ち直った振りをするために?)エンタメに消化する期間がどんどん短くなっている。 それは映画でなくてはならんのか? テレビのドキュメントドラマではだめなのか? そう思うくらい、完全にアメリカ国内に向けた内容だった。

  パトリオットデイP.jpg 最大の危機は最大の奇跡を生む――

 それは2013年4月15日のこと。 アメリカ独立戦争開戦を記念する<愛国者の日(PATRIOTS DAY)>に毎年開催されるボストンマラソンにおいて爆弾テロ事件が発生。 ボストン市警のトミー(マーク・ウォールバーグ)はゴール付近で警備を担当していて、爆発を間近で見ていた、そして自分もけがをした一人だった。 街中に戒厳令がしかれ、ボストン市警とFBIは協力して(ときには対立しながらも)実行犯を追う。 、捜査の指揮を執ることになったFBI捜査官のリック(ケヴィン・ベーコン)は複数の監視カメラ映像からあやしい人物を見つけ、「この時間にここにいる人物は次はどこに向かう?」と街に詳しいトミーに問い、トミーもまたそれに答えつつ一瞬だけの映像が人物の行動の流れを繋いでいく。 やがて、黒い帽子の男と白い帽子の男が実行犯として確定されるが・・・。
 この事件はリアルタイムでニュースで見ていたけれど、比較的短期間で犯人が捕まったこともあり(組織的なテロではなく単独犯だったという発表もあり)、あまりその後を追いかけていなかった。 その裏側にそんなことがあったとは・・・といろいろ驚くこと多し。

  パトリオットデイ3.jpg マラソン開催前の警備巡回、まだ平和。 蛍光色のベストが内輪で「ピエロのかっこ」と言われているらしい。
 トミー役は何人かのボストン市警警察官をモデルにした架空の人物らしいが、それ以外の登場人物は基本的に実在する。 映画終盤ではご本人たちのインタビュー映像に結構長く時間を割いている(そのへんが、アメリカ国内向け、と感じた理由)。
 ボストンマラソンテロ事件追悼のイメージがスニーカーだったのは、それがマラソン大会だからだけではなくて、爆弾が地面に置かれていたために足を怪我した人(それこそ軽傷から切断レベルの怪我まで)が多かったからだと知る・・・数としての死者は3名で、街中で人が多く集まったイベント会場でのテロとしては少ない方かもしれないけれど、犠牲者・被害者へのリスペクトは半端ない。
 そして、そのリスペクトは犯人検挙のために奔走する捜査陣たちにも向けられている。

  パトリオットデイ2.jpg すっかりFBI捜査官づいているケビン・ベーコン。 ボストン市警のおえらいさんを演じるジョン・グッドマンはコメディ演技を封印、ずっとシリアスキャラで逆に新鮮。

 何が驚いたって、爆発した場所を中心にボストンの街並みを空き倉庫にチョーク線と模型で再現してしまうというアナログ手法と監視カメラ映像との照合といったデジタル手法との融合。 「そのとき、そこで何が起こっていたか」を秒単位で指摘、その街に詳しくない者でも理解できる仕組みでもあり、点と線を結んで立体にすることで多くのことが一目でわかる。 アメリカ全土が捜査範囲であるFBIのすごさを垣間見ましたよ(そういうフォーマットがあればこそ、現地に詳しい地元警察の協力も活きるわけで)。
 テロ捜査っていったいどこから手をつけるんだろう?、という素人の漠然とした疑問に答えを提示してくれる。 この場面だけでも正直観た甲斐はあったと思える(ただ・・・日本ではどうなのかな、という心配は生まれるけど。 ある意味、よろしくないことであるがアメリカはテロ慣れしてきているのでしょう)。
 更に驚いたのは、逃走する実行犯(監視カメラ映像などから、かなり早い段階で実行犯映像を公開したせいもあるが)を追い詰めるべく、住宅地で銃撃戦が繰り広げられたこと。 住民には「地下室があるならそこに入ってて」と警官が注意を促していたけれど・・・アメリカの家には地下室がたいていあるものなのね。 竜巻被害が多い地域ならわかるけど、ボストンってそういうイメージあまりないし。
 おまけに逃走する際、犯人はカージャックもしていたのだ・・・そんなこと、日本で報道されてましたっけ?

  パトリオットデイ4.jpg J・K・シモンズ、渋い! でもずいぶん老けこんだなぁと思っていたら、モデルの方に似せているからだった。

 しかも映画にはところどころ実際の映像が挿入されていて、否応なく「これは実際に起きたことです」と強調されてひやりとする。 これ、本国で公開された時問題にならなかったのかな、という思いがよぎるほど。
 基本的にはトミー視点で映画は語られるものの、実行犯たちの姿は最小限描写され、まだわかっていないことに推測を加えないという中立の姿勢は保たれている。 実行犯の妻に「今でもシリアでは大勢のイスラム教徒が殺されている」と言わせるなど、アメリカが正義でイスラムは悪、という単純な構図を避けたのは賢明だ(実際、まだ捜査中であることも最後には言及されている)。
 だからこれは「テロとの闘い」という一言でくくられるものではなく、何もかもすべて根深いことの証明にもなってしまっている。
 なのでこの映画は群像劇の形をとって、被害者とわけのわからないまま捜査を続けるしかなかった人々の奮闘を描くことに重心を置いている。 努力をたたえることにイデオロギーは関係ない。
 トミーの乗った車が犯人の逃走車両に似ていたからと警察側から一斉射撃を受ける場面もあるのだが、「おい、こっちも警察だ!」 「すまん、間違った!」というやりとり、本来ならば笑えてしまうところなのかもしれないけれど笑えない・・・それが逆にリアルに感じる。 警察官でも、無差別テロに対してはどうにもできない恐怖を抱いているのだな、と。
 トミーがいいところをもっていきすぎる、というきらいはあれど、そこは架空の人物だから(なんか久し振りにマーク・ウォールバーグのチャーミングなところがよく味わえた気がする)。 実在の人物一人をヒーローにしない、という視点もまた実録ものとして正しい選択(多分、この映画のヒーローは被害者の方たちだ、というスタンスなのであろう)。
 実行犯の背景や具体的な動機がわからないのは些か不満だが・・・これは犯人たちが喋っていないのだから仕方がない。 現実は映画やドラマのように簡単には解決しないものなのだ。
 とはいえ、豪華な再現ドラマを世界発信してしまうハリウッドの底力は感じてしまう。 観に行ってしまったあたしもあたしだが。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年06月25日

遠くから揺れが忍び寄る

 一瞬、自分が眩暈を起こしているのかと思った。
 でも、この感じは違う。 地震だ。 遠くからじわじわっと来てるから、震源は離れているな、と思った。
 そしてP波のあとにはS波。 結構揺れたように感じましたが(それは住んでいるところの耐震構造のせい)、継続時間はそれほどでも。
 早速気象庁のHPにアクセスすれば、いちばん強い震度は長野県南部(震度5強)。
 また違う断層だろうか。 継続時間が短かったから、それほど大きな被害は出ないと思うけど・・・でも最近は経験則も役に立たないことがあるから一概には言えない。 どうか、何事もなく過ぎ去りますように。

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2017年06月24日

今日は6冊。

 一日雨だといっていたくせに降ってない、しかも暑い!
 本降りになってきたのは夜からで、ちょっとすごしやすくはなったけど、でもやっぱり暑いなぁ。
 でも窓を開けていると、床から積んでいる本が(窓の近くにあるやつが余計に)微妙に湿気ていく気がしないでもない・・・でもまだ6月だからクーラーつけたくない・・・本を整理すればいいのだが、どうやって。 なんだか日々堂々巡りである。

  宇宙兄弟31.jpeg 宇宙兄弟 31/小山宙哉
 もう31巻なんだ〜、と思いつつ、1巻からほぼリアルタイムで読んできているので(それこそブームになる前から)、あんまり長いと感じない。 どんどん増え続ける登場人物たちに「このままでは終わらないのでは・・・」と思ったこともあるけれど、それもありだなと受け入れてきている今日此頃。 主人公はあくまでムッタとヒビト。 二人の人生において出会った人たちは、すべてこの物語には必要で。
 今回はヒビトの巻。 ロシアでの日々の話。

  死の天使ギルティネ1.jpeg死の天使ギルティネ2.jpeg 死の天使ギルティネ/サンドローネ・ダツィエーリ
 『パードレはそこにいる』、続編(事件は違うがメインキャストが同じ)。
 急行列車の一等車両の乗客が全員死亡。 イスラム過激派が犯行声明を出すも、それを不自然と感じる捜査官、というちょっと社会派な気配を感じるイタリアミステリ。 でも、あたしはこの作者の名前をすらすら言えない・・・。

  鏡の迷宮.jpeg 鏡の迷宮/E・O・キロヴィッツ
 エージェントに送られてきた原稿は、未解決の20年前に起こったある殺人事件について書かれていた・・・というなんだかよくありげなあらすじですが、<視点と思いこみの違いで読者をミスリードする異色のミステリー>という帯文句にひかれてしまいました。 あっと驚くラストが待っているそうな。
 作者はルーマニア出身らしい。 それも珍しいかな、と思って。

  教団X文庫.jpeg 教団X/中村文則
 中村文則には手を出すまいと思っていたのだが・・・(純文学系の人が事件や犯罪をモチーフに描くと、ミステリとしていささか消化不良というか、物足りなさが残ることを吉田修一から学んだので)、でもこの素材は気になるわけです。
 たとえば、篠田節子の『仮想儀礼』や、大岡玲の『ブラック・マジック』などとどう違うのか、みたいなところが。
 うわっ、なんかあたし、性格の悪い本読みだな・・・。

  短編学校.jpeg 短編学校<アンソロジー>/米澤穂信 他
 アンソロジーは苦手なあたしですが、「読んだことのない作家を食わず嫌いしてばかりで終わるのではなく、こういうあたりから入ってみて自分に合うかどうか試してみる」というのもありかな、と思うようになりました。 長編一冊読むよりは、ハードル下がりますし。
 通勤電車で読むのは大長編か、短編集がいい、というあたしの好みにもよります(体調が微妙なときには長編はきついので、さっと踏みとどまれる短編集のほうが楽)。
 学校を舞台にした、という共通テーマもよかったかな。
 でも実は、一瞬米澤穂信の新作だと勘違いしたんですけどね。

ラベル:新刊
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2017年06月22日

今回はスタバのすごそうなやつに乗っかってみる

 もはやスタバはコーヒー屋ではなくフラペチーノ屋だな、と言われ始めてもう数年。 今年は更にチャレンジングなことをしていると思う。
 でもタイミングが合わずなかなか試せない中、こればっかりは絶対食べてみたい!、と思ったものがあった。

  スタバ抹茶ショット2.JPG チョコレートケーキトップドフラペチーノブレンデッドクリームウィズ抹茶ショット

 円形のチョコレートケーキをまるごと載せる! でも主役は抹茶。
 気になるではないですか。
 だから入れそうなタイミングで、オーダーしてみました。

  スタバ抹茶ショット1.JPG キャップつけられた・・・どうやって食べればいいの。
 あたしはてっきりスプーンで、普通にパフェのように食べるつもりだったのだが・・・。
 レジのグリーンエプロンの方から、「では専用ストローをお渡ししますね」と口径の大きいものを差し出された。
 全部、ストローで吸いこめということか。
 覚悟を決めて、カップ中央の穴からストローを垂直に「えいやっ!」と気合を入れて刺す。 思いのほか抵抗なく、ストローがあっさり入ってびっくり(ラズベリーパイのときは大変だったと聞いていたので)。
 しかし、飲もうとしてもまったく吸い込めない・・・。 ストローがへこむだけなので、しばし放置。 穴からはみ出さないように気をつけながら、ストローを何回か抜き差しし、全体をぐるぐると混ぜる準備。 ちなみに、最初にストローを刺した段階で水位が上がるので、キャップがなかったらあふれること必至。 たとえ「店内でお召し上がり」でもキャップは必要です、ということを実感。
 で、暑いせいもあるのでしょうが、全体的にいい感じに混ざるような状態になると(チョコケーキも見事にバラバラです)、フラペチーノ自体もすっかり溶けていて液状。 ちょっとしたとろとろ感、ゼロ! その分、ストローで簡単に飲めるようにはなりますが・・・。
 味としては・・・トップの抹茶パウダーをもっとかけてもらえばよかったかな。
 思ったより甘すぎなかったし、意外といけるかも(仕事帰りでつかれていたからかもしれません)。
 でも半分ぐらいでドーンとおなかに来る感じあり。 なんか、夕飯いらないんじゃない?、みたいな感じに(多分カロリー的にはそれが正しい気がする)。
 『神は銃弾』も佳境に入り、一時間近く居座ってしまいました。

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2017年06月19日

メッセージ/ARRIVAL

 ずっと観たかった! ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品。 原作越えとの評判も高いこの映画、いくらハードルを上げても大丈夫な気がしていた。 だって、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督だもの! ← どんだけファンなのか・・・。

  メッセージP.jpg ある日突然、巨大飛行体が地球に。 その目的は不明――

 言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は娘を病で失った記憶にさいなまれ、日々をただ義務のように生きていた。
 ある日、世界各地に謎の飛行物体が突然出現したというニュースが舞い込む。 地球上の12ヶ所に同時に現れた“それ”は、どうやら宇宙からの飛来物のようだった。 以前、軍の通訳をつとめたことのあるルイーズはその縁で、ウェーバー大佐(フォレスト・ウィテカー)の訪問を受ける。 異性人との意思疎通は可能かどうか、いや、彼らからのメッセージを解読し、こちらからも正しいメッセージを送らなければならない。 同じく召喚された理論物理学者イアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)とアメリカとして協力して各国代表とともに研究を進める。 争いを避けるために。

  メッセージ1.jpg エイミー・アダムス、ちょっと疲れた感じがナチュラルでよかった。

 突然、謎の飛行物体が現れ・・・というくだりが伝わっていくなんとも言えない静けさがやけにリアルだった。 世界で12ヶ所ということは、“それ”を直接見ることができない人たちのほうが多いわけで、テレビのニュースやネットの画像が出回ることでしか現実として認識できない(ちなみに日本では北海道に出現してます)。 でもあわてる人たちはあわてていて、その混乱をルイーズが働いている大学キャンパスの駐車場での車の追突だけで表現してしまうスマートさ。 学者というのはだいたい多少浮世離れしているものですが、この映画の目的はそっちを描くことじゃないから、という宣言のようで潔い。

  メッセージ6.jpeg 謎の物体、日本では「ばかうけがモデルです」と監督に言わせたりして別方向に盛り上がりを見せましたが、本編ではなかなか全貌が見えないのであたしはまるで『ピレネの城』だと思いました。 実際は、実在する小惑星がモデルとのこと。 四角いとモノリスになっちゃうもんね。

 アメリカ国土に出現した物体のために、軍が中心となってあらゆるチームが招聘されていた。 ルイーズたちはその中のひとつ、そして最重要な役割を担っている。 言語そのものの成り立ちもわからない者同士がコンタクトすることは可能なのか(そもそも、相手にこちらが言語と認識できるコミュニケーション手段を持っているかどうかもわからない)。 そんなトライアル&エラーがすごく面白い! 知的興奮とはまさにこのことですかね、ぐらいの感じで観ているこっちもドキドキワクワクです。

  メッセージ4.jpg 音声でのやりとりは難しいと判断、文字でいくことにした。 その方法ならば表意文字を使う言語のほうが有利そうだが・・・。

 謎の物体の内部に入っていく過程、まるで洞窟のようなそのビジュアル。 その奥に磨りガラスのようなものがあって、その向こうに異星人たちがいる!、というファーストコンタクトシーンは更にドキドキ。 うっすら見える異星人たちの姿はまるで何千年も生きている樹木のようであり、象のようでもあり、複数の脚(手?)が動く様子はタコのようでもあり・・・結局人間は、未知のものに対して自分が知っている何かとどう似ているかということでしか判断できない、という固定観念の強さを痛感させられました。
 “ヘプタポッド”とルイーズとイアンによって名付けられた彼らに対し、研究対象以上の感情移入で向かっていくルイーズは傍から見たらとても危なっかしく思えたのでしょうけど(イアンなんて途中から完全にルイーズのサポートにまわってるし、大佐はちょっとやばいかなと思ってるし、でも結果は出してるから)、ルイーズ目線で映画は進むので、そののめり込み方、わかる!、と思ってしまいました。
 そう、あたしはずっとドキドキしていたのです。

  メッセージ5.jpg ヘプタポッドからの答え。 「英語では伝えるのに2・3分かかる内容を、彼らはこの円のような文字で数秒で答えてくる」とルイーズは感嘆。 ちょっと墨で書いたみたいなビジュアルにもワクワク。

 「使う言語が違えば思考も違う」というのがルイーズのもともとの主張。 特に日本語は世界でも特殊な言語だと自分でも思うので・・・英語で話すときは日本語で考えていたら追いつかないし(それはあたしの英語力の乏しいせい)、日本語が微妙な外国人とメールのやりとりをするときは簡潔明瞭を心がける(謙譲語など使うのはもってのほか、せいぜい丁寧語にとどめるべし、回りくどい表現をしない、とか)。 そうすると思考が直球になる。 何か国語をも話す人は、使う言語によってちょっと性格も変わってきたりするんじゃないだろうか。
 だから彼らの言語を理解するにつれ、ルイーズが彼ら寄りの思考になっていくのはよくわかるし、彼らもまたそれを望んでいるのだと。

 テッド・チャンの本『あなたの人生の物語』(短編集で、その中のひとつが映画の原作である『あなたの人生の物語』)を読んだのはいつのことだったか。 それを映画にすると聞いたときには「すごい無茶するのね!」と思ったものだが・・・まさか原作を越えるものが出来上がるとは。 そして難解気味の原作を更に深く掘り込み、より分かりやすく提示するとは。
 映像の力ってすごいなぁ!
 それは、文章や言葉よりも表意文字ひとつのほうが情報量が多いという映画の内容そのものにも繋がっている。
 あぁ、SFって素晴らしい、と久し振りに思えた映画。

  メッセージ2.jpg だからどうか、これまで見えたものとは違うふたりのしあわせを願わずにはいられない。

 湖畔の家、さざめく水面、風に揺れる草木、流れていく雲、色を変えていく空。
 もし、時間の流れが一方向ではなかったら。 未来がわかっていてもそれでもその道を選ぶのか。
 つまりはそういう話なのですが・・・胸打たれました。 あたしにはルイーズと同じことができるかどうかわからないけど、でも同じ状況にならないと決断はできない。 それはもう想像や共感の範疇ではないから。
 オープニングと同じ音楽がエンディングにも流れ、更に観客は感動の追い打ちをかけられました。
 原作のタイトルは“A Story Of Your Life”。 映画の原題は“ARRIVAL”、そして邦題は『メッセージ』
 この違いもまた、言語とその文化の違いなのだと納得するのでした。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年06月18日

今日は7冊

 最近、大阪市と神戸市の温度差に耐えられなくなってきました(当然、大阪のほうが暑い)。
 神戸に引っ越してきたばかりの頃、「暑い〜」を連発していたあたしは「関西では神戸、ましな方だから」と何度もいさめられたのですが、まだ北東北基準のあたしには意味がわからず。 今頃やっと、その言葉の意味をかみしめています。

  鹿の王1.jpg鹿の王2.jpeg 鹿の王 1・2/上橋菜穂子
 あれ、単行本のときとイラストの人が変わっているぞ! なんかイメージ違う!
 しかも一冊が薄い。 2巻で終わるわけがない、4巻以上出す気ね!
 どうせなら一気に出しやがれ! ← ちょっとやけになってますか、あたし。

  ダークタワー4−1.jpgダークタワー4−2.jpeg 魔術師と水晶球<ダークタワー4>/スティーヴン・キング
 新潮文庫版では上・中・下巻の三冊だったものを、今回2冊にしちゃいましたよ!
 だから分厚い、値段も高い! おまけに表紙には重要なモチーフである亀の存在がわかりにくい!
 副題もわかりにくい配置だよね・・・それだけイラスト重視ですか。 角川の意図がよくわからない。

  ダークタワー4−05.jpg 鍵穴を吹き抜ける風<ダークタワー4‐1/2>/スティーヴン・キング
 本邦初訳。 4と1/2部となってはいるが、第4部と第5部を繋ぐわけではなく、入れるとしたらここかな、という位置づけらしい。 これを第5部にして後の順番をずらす、という紛らわしい手法はとらなかった模様。
 で、これだけ表紙イラストの方が違うんですが・・・より、特別感を出してます?

  ケルン市警オド02.jpeg ケルン市警オド 2/青池保子
 オドくんの市警時代の物語、2冊目。 これはこれでうれしいのですが、そうなると『修道士ファルコ』『アルカサル 外伝』も、更には『エロイカより愛をこめて』も止まってしまうという切なさ。 まぁ、刻々と変わる現在の国際情勢では少佐を動かすのは大変だと思うので少しお休みいただいた方がいいとは思うのですが・・・(いや、少佐たちは休みもなく働いていることはわかっています)。
 そしたらば、6月24日にグランフロント大阪の紀伊國屋で青池保子先生サイン会とな!
 何事にも気付くのが遅いあたしは、「定員に達しましたので締め切らせていただきます」の表記を無常に眺めるのみ・・・こんなことなら知らなければよかった!

  槐.jpeg 槐<エンジュ>/月村了衛
 あたしがこれをさらっと「えんじゅ」と読めてしまうのは『ぼくの地球を守って』のおかげです。
 『機龍警察』の作者による別作品。 なんだかすかっとするほどの暴力と報復の物語だそうで・・・最近、バイオレンス描写に対する抵抗が薄らいできてるか、あたし。 ま、明らかに相手の方が悪い、と思えば気になりません(気にしてたら和田慎二作品を読んでいられるか)。

ラベル:新刊
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2017年06月17日

映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ

 ドラマ『バイプレイヤーズ』放送時に、いつもこのCMが流れていた。
 おかげでなんだか気になって仕方がなく。 池松くん出てるしなぁ。
 おまけに、シネ・リーブル神戸でもロビーで予告がバンバン流れ、原作者(といっていいのか)の最果タヒ氏は神戸出身だということを知る。
 これも何かの縁でしょうか。 タイミングが合ったので、観ることに。
 あ、石井裕也監督の最新作であります。

  夜空はいつでもP.jpg 透明にならなくては息もできないこの街で、きみを見つけた。

 2017年の東京で、はっきりしない不安や孤独を紛らわすように、看護師の美香(石橋静河)は詩を詠む。 また病院勤務の傍ら夜はガールズバーで働いてもいるが、孤独を埋めることはできない。
 そして工事現場での日雇い労働で生活費を稼ぐ慎二(池松壮亮)は、常にどこかに死の気配を感じながら、できるだけ気付かない振りをして希望だけを見つけようとしていた。 二人とも、それぞれの職場でなんとなくなじんではいるものの浮いていて(ガールズバーにおいてはなじむ気もなかったようだが)、そのことを誰よりも自覚している。 そんな共通点のある二人が、大勢の人間が存在する東京という街で偶然に出会い、また偶然に繰り返し再会する。 そんな偶然の積み重ねの確率は一体どれくらい天文学的な数字なのか。 でもそれを運命とは呼ばない、決して。

  夜空はいつでも3.jpg 基本、美香はいつも一人である。
 看護師仲間に連れられて合コンに行ったりもするが、常に冷めている彼女は男どもにウケが悪い。 「この場では、自分はそういう存在でしかない」ことに苛立ちつつもあきらめている。
 一方の慎二は黙っていると不安になるのか、とにかく喋ってばかりいる。 思いついたことをすべて吐き出さなくては気が済まないかのように。 仕事の先輩(松田龍平)に「お前、ちょっと黙れよ」と叱られても止まらない。 
 この“息苦しさ”とは一体なんなのだろう。 東京という街の持つ巨大すぎるパワー、観光客では気づけない、もともと江戸っ子として住んでいる者にはわからない、「地方から出てきて一人暮らしをしている若者」が感じる特有のものなのだろうか。 将来への不安が目に見えない重圧となって彼らを苦しめてるのだろうか。 特に美香は詩を詠むような、ある意味繊細である意味とがった感性の持ち主。 いつでも爪を振りかざせる準備のできている、独り立ちを始めたばかりの子猫のようにとげとげしたバリアーを張っている。 逆にその方が目立ってしまうのにな、とおばちゃんは思ってしまいますが。
 この“すさまじく自意識過剰な若さ”を、それも通過点だと笑ってすませられるか、「いつまで中二病だよ」と見てしまうか。 それによってこの映画の感想はまったく変わったものになってしまうんじゃないか。 それは彼女らと同世代であろうが、それを過ぎた年齢であろうが。 それくらい美香ちゃんのキャラは特徴的だ。

  夜空はいつでも4.jpg 慎二くんは片目が見えない。
 彼の視界は半分黒い幕で覆われている。 だから見える方の目で本を読む。 自分の見えない世界を、知らない世界を、少しでもわかるように。 一人のときはインプット、そして思索の時間。 誰かといるときはアウトプットの時間なのだろうか(もしくは、思索の結果生まれた疑問の答えがほしいからなのかもしれないが、それに応えてくれる人はなかなかいない)。 家賃の心配をしながら世界に広がるテロリズムに想いを馳せる、そんな人がいるのは当たり前かと思っていたけど、こう描かれるということはそうではないのか。
 そうか、“考える”人って少数派なのか、となんとなく思い知る。 あたしはどちらかといえば慎二くん派であるが、でもそれはティッシュの空箱の上面を切り取り、文庫本を入れてカラーボックスにつっこむ、という整理法を学生のときあたしもやっていたからだ! あたしは彼のように自分の思いつきを他の人に喋れない。 ほんとに信頼する人にしか、喋れなかった。
 でも、彼は仕事仲間をとても信頼しているのかもしれない。 周囲に壁をつくっていないのかもしれない。 誰に対してもウェルカムだけれど、周囲がそれを認めていないのかもしれない。 だって彼には偏見はないし、誰に対しても優しいから。

  夜空はいつでも2.jpg 何度目かの<偶然の出会い>。
 恋愛とは何なのか、とか、お互いのことをどう思っている、とか、一般的な恋愛映画では触れなければいけないことをこの映画はすべて無視している。 二人が語るのはむしろそこから離れた内容。 なのに、二人が次第に惹かれあっていることはちゃんとわかる。
 ときどき、「プロポーズなんてはっきりしたことはなかったなぁ。 ただなんとなく」という人たちが身の回りにいたりするが、「そんなバカなことがあるか、言いたくないか照れ隠しかどっちかなのかな」と思っていたけれど・・・もしかしたらほんとなのかもしれない、とこの映画を観て思った。
 恋愛は非日常の出来事ではなくて、日常の、生活の延長線上にあるもの。
 日常をうまく受け入れられない彼女たちなのに、それはスムーズにいくんだね、とちょっと不思議。 でもそれは、同じ方向を見られる魂と出会ったおかげなのかも。
 慎二くんと出会ったことで美香ちゃんの詩は変わるのか。 でもそれはまた別の話か。

 やっぱり池松くんうまいなぁ!
 いや、そもそも石井裕也監督が恋愛映画、ということにちょっと驚いたんですけど(り、離婚したからですか・・・)。
 『舟を編む』にも恋愛要素はあったけど、重要ポイントではなかったし。 詩集を原作に自分で脚本を書いた、という荒業がすごい。 そしてメジャーで成功したのにまたインディーズに戻ってくるっていうのも、作家性の強さのあらわれのような気がして(でも昔よりメジャーとインディーズの違いは薄くなってきていると聞こえてきてはいますが)。
 なので多分低予算であろうこの映画、石井監督の人徳か豪華キャストになっております。
 女の子に弱いちょっとダメな人、というのがひとつの得意技である田中哲司も抜群の安定感ですが、正直このタイミングでは笑えない・・・ごめん。 でも工事現場で腰を痛めて、筋肉痛含めてズボンのジッパーもあげられない、と言っていた人が、後半では作業着のズボンがジッパーではなくボタン式になっていたのは笑ってしまった(誰もつっこんでなかったけど)。 そういう微妙な小ネタというか、気づく人だけ気付けばいいみたいな仕込みは、さりげなく時間の経過と行間をあらわしているようで(休みの日に仲間たちで「ジッパーじゃないやつ探しに行きましょうよ」みたいなやりとりがあったのかな、とか)、楽しい。
 東京オリンピック特需?で建設業界は今盛り上がっているかもしれないけれど、先のことはわからない。 日本はまだ不景気を脱していない、というか景気が上向くことでどうにかなると信じている人たちが多すぎる。 景気の動向に頼らずとも、やっていける方向を探さないといけないのに。
 けれど、映画はラストに「絶対無理だろ」と誰もが思っただろうことに奇跡の逆転ホームランを起こさせる。
 慎二くんが常に描いていた希望は幻ではないと、美香ちゃんが否定してきた運命はもしかしたら存在すると言いたげに。
 未来はわからないけれど、明るくないものだとは限らない。 そう信じて、いいのかも。

ラベル:映画館 日本映画
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2017年06月16日

音もなく少女は/ボストン・テラン

 読み終わっちゃいました、『音もなく少女は』
 あの当時、いろんなところで絶賛されていた意味がわかったわ〜。
 筋書きはいたってシンプル。 でも文体が独特。 雰囲気としては『あなたに不利な証拠として』に少し近いというか、似たような空気を感じた(あくまで日本語訳としては、という意味ですが)。 どちらも女性を三人称で距離をとって描いているから?
 こちらもバイオレントな内容なんですが、その文章故にちょっと格調高くなっているというか、「読んでて具合が悪くなる」ことはない(よく考えたらかなりひどいこと書いてあるんですけどね)。
 なるほど、これがボストン・テランか。 納得。

  音もなく少女は.jpg 原題は“WOMAN”と直球。
 でも出てくる女性は複数。 WOMENとしなかったのは、単数形で「女性たるもの」を意味したかったのかも。

舞台は1950年代のアメリカ、ブロンクス。 ニューヨークの北端にある町だが、当時は移民の住む街として治安も悪く、ほとんどが貧困だった時代。       
 そんなところで、イタリア系の両親のもとに生まれたイヴは耳が聞こえない。 イヴの母親クラリッサは敬虔なキリスト教徒で、これは髪が自分に与えた試練(つまり自分にいたらないところがあるから)と考えていて、クズのような暴力夫ロメインにも黙って耐えている。
 近所に住むドイツ系(ナチスの迫害からアメリカに逃げてきた過去あり)のフランは見るに耐えかね、クラリッサとイヴを助けようとするが・・・という話。
 イヴが生まれてから18歳になるまでの出来事を中心に、冒頭で時間軸を織り込み悲劇の予感を漂わせつつ、この物語は始まる。
 『このミステリーがすごい』の上位に入ってしまったせいか、「ミステリーじゃなかった」という批判が見受けられますが・・・「トリック・謎を解く」のが狭義のミステリということなら、「この先、何が起こるのか・何故起こったのか」を追うのもミステリなんじゃないかと思います(“広義の”となってしまうかもしれないけれど)。 少なくともあたしは「これはミステリじゃない」なんて考え、まったくよぎることなくページを追い続けた。
 「あぁ、こうなってしまうのか、やはり」と感じつつも、彼女たちの人生を、運命を、見届けずにはいられなくて。 三人の女性の痛みはそれぞれに違うけれど、違うからこそわかり合うこともある。 三人以外の女性たちの選択もまた、自分の人生をかけた覚悟ばかり。
 まさに、「強きし者、汝は女」という話で・・・でも彼女たちを強くしたのはダメな男たちのろくでもない行動の結果で、ある意味、「女から男への絶縁状」ともいえる内容になっています。 でも爽快さは伴わない。 後味の悪い利己主義や暴力が全編を彩っているから。
 なのに、本編はひそやかなまでの静寂を漂わせている。 誰かが激昂しても、ショットガンをぶっ放しさえしようとも、どこか静かなのだ。
 あぁ、もしかしたらこれが、イヴの世界なのか。 耳の聞こえない(でも手話はできるし、リップリーディングも可能、メモ帳に文字を書き意志疎通もできる、ただ音だけが聞こえない)彼女の体験を、読者もまた共有した結果なのか。
 だとしたらすごいことでは・・・。
 個人的にフランの人生から得た強さには圧倒されました。 イヴが心酔するのも当然。 弱い女性の代表ともいえるクラリッサとフランが友情を確かめ合う場面では(このままではいけないとクラリッサが自分の弱さから脱却するところでもあり)、電車の中だけど泣いちゃいました・・・。
 『音もなく少女は』という邦題は、イヴに寄り添った言葉だけれど、詩的で美しい。 ときどき困った邦題のある中、これは正解です。
 というわけで・・・今更ながらボストン・テランのすごさに気づいた今日此頃。 手遅れにならなくて、よかったです。

ラベル:海外ミステリ
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2017年06月15日

我々の恋愛/いとうせいこう

 いとうせいこうの新作が出ていたことを知らなかった(文庫と違ってなにしろあまり単行本には注意を払わない人間なもので)。 しかもタイトルは『我々の恋愛』。 えっ、いとうさん、そんな直球のタイトルで?
 読み始めて・・・あ、これはシュールコントの流れか、とニヤニヤする。 学会で真面目に報告が行われているんだもの。
 恋愛とは個人的なものだと思っていた。 なのに、『我々の恋愛』。 その<我々>とは個人のエピソードの集合体ではなく、ひとつの恋愛をみなで見つめるものだということは学会の存在からはじめからわかっている。 それがそもそもおかしいでしょ、なのです。
 なのに、あたしはうっかり70ページ目で泣いてしまったのだった。
 傍から見ている人にとってはどれほど奇妙なことであっても、当事者にとってはごく自然なこと・当たり前のことと感じる“ずれ”は恋愛における純粋さなのでしょうか、それとも“恋は盲目”だからなのでしょうか。

 2001年5月、『二十世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』が山梨で開催され、世界中の恋愛学者が集う。 そこで「二十世紀最高の恋愛」と学者たちに選出されたのは、日本の若い二人の、ありふれていながらも世にも不器用で奇妙な恋だった。 <BLIND>と題された研究報告と、その会議に出席した学者による手記<ヤマナシ・レポート>、恋愛の当事者によるコメントと、<ヤマシナ・レポート>著者であるトルコの詩人の私的な書簡などが入り混じり、「二人の恋愛」について語り合うはずの記録がいつしか様々な時代と恋愛の記録となる、という話。
 すごく面白かった! ハードカバーなのに通勤カバンに入れて持ち運んでしまった。
 虚構と縫い合わされた事実の羅列の前に、戸惑う人もいるかもしれない。 意外に大作ですし。 でも、そこを乗り越えたらぐんぐん面白くなるので最初は読み流しつつでいいので、とりあえず進んでください。 そうすれば、多分戻りたくなる。
 これはその時点における現在から過去と未来を想う(そして読者にとってはその未来すら過去なのだが)、ノスタルジックな『20世紀物語』なのだ。

  いとうせいこう我々の恋愛.jpg この頼りない表紙絵が、実は本質をあらわしていたのだと気づくのは途中から。

 報告<BLIND>が“恋は盲目”の意味ではないとわかってからは、SFの様相を呈するのだけれどそれがまったく違和感がない。 むしろ、「もともとSFだったのかな?」ぐらいの気持ち。
 ここで語られる恋人たちの時代には携帯電話はない。 出会いのきっかけはそもそも間違い電話からで、片方が電話番号を知らない事態がしばらく続く。 今から思えばこんなもどかしいことはないが、確かにそういう時代はあったのである。 だからこそ、仕事仲間や友人の恋愛の悩みに、わがことのように親身になって相談に乗ったりしていた(ときにそれがどれほど見当違いなことであっても、当人たちはいたって真剣である)。 そんな当事者意識のある“我々”、そんな不便な時代があったとは知る由もない“我々”と、読者もまた二分されている。
 そんなメタフィクションを織り込んだ、いとうせいこうお得意の手ですか、と、ところどころ笑って(ツッコミを入れつつも)読みながら思っていたのだが・・・会議が行われたのが2001年であることの意味に気づいたときには戦慄した。
 ・・・そうか、これはもうひとつの『想像ラジオ』だったのか。
 過去から未来への、未来から過去への、全世界規模の鎮魂。 それは現在進行形でもある。
 ただ、それは作者はあまり大きく取り上げてほしくないことかもしれない。
 多分、彼が目指したものは壮大なシュールコントだから。

ラベル:国内文学
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2017年06月14日

潜在的ボストン・テラン需要

 先日、ボストン・テランの新作が出たことで、「あぁ、過去作も読まなければ・・・」と思った、ということはお伝えしたかと思いますが・・・。
 あたしは容易にその後すぐに、図書館から呼び出しを受け、2作品を手に取ったのでございます。

  神は銃弾.jpeg 神は銃弾/ボストン・テラン
 これが覆面作家ボストン・テランのデビュー作にしてCWAなど有名どころの賞をかっさらった代表作。
 しかし分厚い。 しかも内容はかなりバイオレントっぽい。
 ということで『音もなく少女は』のほうから読み始めたのでございます。

  音もなく少女は.jpg 音もなく少女は/ボストン・テラン
 少し前まで普通に本屋さんに売っていたと思ってたんだけどな・・・。
 現在、半分弱ぐらいまで読み進んでおりますが、なんかいろいろ重たいんだけど読み進めることができないほどではないので(というかこの先が非常に気になるよ!)、通勤時間がえらく短く感じる事態です。
 そういえばその当時、訳者の田口俊樹さんが大学の講義で「翻訳小説とは」みたいなテーマの課題図書として『音もなく少女は』を提示したら、学生たちの反応が鈍くってすごくがっかりした、みたいなことをどこかで語っていたのを読んだような。 確かに冒頭の硬派で短めの(説明の足りない)センテンスの積み重ねは本を読み慣れていないものにはちょっとつらいかも。 でもそれを少し飛び越えるとぐんぐん引き込まれるんですけどね。 しかし当時の大学生たちは「翻訳小説読むこと自体初めて」が多かったらしく、「これが翻訳小説というものか」みたいな感想しか出てこなかったと嘆いておられたような。 そりゃ、本読まない人増えてきますわな。 読む人は決まってきてしまいますよね。

 なんでこんなことを思い出したかといえば・・・その後、神戸市立図書館にボストン・テランの予約がぐんぐん増えてきたからなのだ。
 『神は銃弾』なんか蔵書は2冊しかないのに(現在2冊とも貸出中、1冊はあたしだ)、予約者6人とかになってたし。 おかげであたしは絶対延滞できなくなってしまった。 というかむしろ、早く返さなければいけなくなった。
 これも多分、新作が出たことで「あぁ、読んでない(もしくは、「もう一度読みたい」)」と思い出した人が出てきたせいなんだろうなぁ。
 新刊を出すときは過去の有名作品も増刷しようぜ、文藝春秋。

ラベル:海外ミステリ
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2017年06月13日

今日は5冊。

 今日はとにかくだるかった。 何故かしら。 まだ週の前半だというのに。

  セバスチャン白骨1.jpegセバスチャン白骨2.jpeg 白骨<犯罪心理捜査官セバスチャン>/M・ヨート&H・ローセンフェルト
 傍迷惑な自己中男、セバスチャン三度登場。
 もう、このシリーズはほとんど海外ドラマのノリである。 大本の事件+レギュラーメンバーたちの濃い日常生活と。
 つまりこれはサード・シーズンという感じですかね。 前作ラストでストーカー女につきまとわれて受け入れちゃったセバスチャンが、それをどうやって振り切るのか、まずはそれが見ものです。

  時間線をのぼろう.jpeg 時間線をのぼろう【新訳版】/ロバート・シルヴァーバーグ
 伊藤典夫で新訳版が今出ることに驚きと大いなるよろこびを!
 しかも、<タイムパラドックスSFの金字塔>ですよ! これまた存在は知っていても読んだことのない世代のあたしにとって、大変ありがたいプレゼント。
 ありがとう、東京創元社!

  探検家の日々本本.jpeg 探検家の日々本本/角幡唯介
 探検家・角幡唯介氏の本にまつわるエッセイ。
 「探検家なんてもてない」と嘆いておきながらいつの間にやらさらっと結婚し、さらっと子供まで生まれているこの人は、以前のエッセイ内容との齟齬にどう理由をつけるつもりなのか。 それが知りたくて読もうと思ってしまいます。

  ナルニア国物語4カスピアン.jpeg カスピアン王子 ナルニア国物語4/C・S・ルイス
 つい、『カスピアン王子のつの笛』と言ってしまいたくなる・・・刷り込みですね。
 しかもこれが4作目だなんて・・・過去の刷り込みは強いなぁ。
 よく考えれば順番は関係ないというか、時間軸すら一定ではないわけなのでこだわる必要はないのだけれど。
 とりあえず、ちょっと奇妙な気分があるのが不思議。

ラベル:新刊
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2017年06月12日

マンチェスター・バイ・ザ・シー/MANCHESTER BY THE SEA

 アカデミー賞授賞式で先にこの映画の概要を見て・・・「このタイトル、どう訳すんだろう?」と思っていた。
 『海沿いのマンチェスター』? 『海から見たマンチェスター』?
 しかし正解は・・・『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とは<地名>だったのだ! なんか悩んで損した?!

  マンチェスターバイザシーP.jpg 心も涙も、美しかった思い出も。 すべてを置いてきたこの街で、また歩きはじめる――。

 ボストン郊外、一人で便利屋をしてどうにか生計を立てているリー(ケイシー・アフレック)は、あたかも孤独を自らに課すようにして、周囲の人々と親しくなりすぎないように気をつけているようだ。 ただただ、黙々と働く。 生きるよろこびなど彼には無縁であるかのように。
 そんなある日、兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたと連絡が来る。 ジョーは虚血性心不全を宣告され、余命宣告をされていた。 リーは急いで故郷の“マンチェスター・バイ・ザ・シー”に戻ってくるが、兄の死に際には間に合わなかった。 そして兄の遺言により、16歳の甥パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名されていることを知る。
 かつて、リーはこの街で幸せに暮らしていたようだが、今の事態になった理由が少しずつ彼の回想によって明らかになっていく・・・という話。
 なんとなくその理由は次第に予測がつくし、映画的にスペクタクルな描写は一切ないんだけれど、映し出される“彼ら”の姿にどんどん目が離せなくなる。 これが<人間ドラマ>ってことなんだろうか。

  マンチェスターバイザシー2.jpg 葬儀にて、パトリックと。
 ケイシー・アフレックとベン・アフレックは似てないとずっと思っていたけれど、髪をアップにしてダークスーツを着たら横顔が意外にそっくりだということに気づく。 DNAのなせる技は時間とともに明らかに。

 リーはこの町にとどまっていたくはないのだが、兄の葬儀やその他もろもろを16歳の甥に丸投げというわけにはいかず、喪主のような立場を貫き、パトリックの日常生活をどうするか考える。 その間はボストンに戻れない。 一人でいることを好み、他者とコミュニケーションをとることが心苦しく見える現在のリーと、回想シーンに現れる過去のリーはまるで違う人のように開けっぴろげで他人に対して無防備である。 この差に、「どれほどの深い心の傷が」と誰もが推測してしまうだろう。
 最初、リーの役はマット・デイモンがやるはずだったがスケジュール等の都合でかなわず、プロデューサーにまわってこの役を幼馴染(というか親友の弟)のケイシーに譲った、と言われているけれど、年齢的にも役柄のイメージ的にも、ここはケイシー・アフレックで正解、というところでしょう。

  マンチェスターバイザシー5.jpg まだパトリックが子供のとき。
 兄弟は二人で仲良く釣りに出ている。 まだすべてが順調に見えていた頃のこと。

 そしてパトリックにはパトリックの事情がある。 ずっとこの町で生まれ育って、友だちも知っている人もすべてこの町に。 だから「ボストンでお前を育てる」というリーの意見に素直に賛成できるはずもなく、「便利屋の仕事だったらどこでだってできるでしょ。 おじさんがこの町で暮らせばいいんだよ」と言う。 それが、リーにとってどれほどの苦痛を伴うことなのかわからずに。
 けれど父の死がパトリックに与えた衝撃を、知らず知らずのうちに励ましてくれていたのはリーの存在であり、そしてリーもまたパトリックの言動に今はもういない兄の姿を見て支えられている。 それが観ている方にも痛いほど伝わるのに、どうしようもないほど引き裂かれてしまった心の傷はそれでも完全に癒されることはないのだと、「立ち直る」ってどこまでいけば立ち直ったことになるのかその基準はわからない、ということに気づかされるのだ(ある意味、生きているだけで「立ち直り」の最初の段階はクリアしている気がするし)。 リーにそれ以上望むのは酷だし、人生はよくできた物語のように必ずしもはっきりとした答えは出ないものだし。

  マンチェスターバイザシー3.jpg 故郷を出ていく弟を見送る兄。
 あぁ、このドラマは<会話劇>だったのだなと途中から気づく。
 兄のジョーはほんとにいい人だったのだ、ということがじわじわとわかってくる・・・だから町の人からも愛された。 そんな人の弟でいることは別の意味でプレッシャーだったのかもしれないけれど、「あのこと」が起こるまでもしかしたらリーは気づいていなかったかもしれない。
 それくらい、仲のいい兄弟だった。
 ジョー役のカイル・チャンドラーがまたいい味を出している! 思い返せば出番はそんなに多くないのだが、大変印象に残るキャラクター。

  マンチェスターバイザシー1.jpg ある意味、この映画のハイライトシーン。
 リーは元妻(ミシェル・ウィリアムズ)との偶然の出会いによって、初めて二人は本心を語り合う。
 ここで観客も改めて、二人の深い心の傷とその対処法の違いを思い知ることになる。
 二人の夫婦生活は幸せな時期もあったはずなのだろうが、リーが思い出すのは少し歯車がずれ出し始めたとき以降のことなので・・・リーのフィルターを通さない元妻の気持ちがわかるのはここの場面だけである。

 人生はままならない。 思いもかけないことが突然起こることがある。
 それは誰しも知っていることだけれど、それが自分の身に降りかかってくるまで本当の意味はわからない。 どれほどのダメージを自分がくらってしまうことも含めて。
 もしかしたら、「生きることが贖罪となる」とリーは思っているのかもしれない。
 けれどそこにわずかな救いが見えたとしても、誰が責められるだろうか。 誰よりも彼が自分を罰し続けてきているのに。
 パトリックとの新しい関係は、まさに兄からの贈り物で、それは兄がずっとリーを気にかけていた証拠でもある。
 だからはっきりしない終わり方ではあるんだけど、きっとその先にはわずかでも希望があると信じることができるのかもしれない。
 それはパトリックにも、そしてリーにとっても。
 そう願いたくなる、映画だった。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年06月11日

TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ(ファースト・シーズン)

 マシュー・マコノヒー&ウディ・ハレルソン共演の刑事もの、というだけで「観たい!」ではないですか。
 ところが、これの日本国内での放映権を取得したのはスターチャンネル・・・『ゲーム・オブ・スローンズ』に続いてまた抜かれましたか、WOWOW!!
 まぁ、WOWOWにはそれ以外にドラマ持ってきてもらってるし、オリジナルドラマに割く費用も大変だとは思うのですが・・・WOWOWが初放送の海外ドラマって大概他のCS局に時間がたてば落ちるけど、スターチャンネルのってなかなか落ちてこないよね。
 というわけで、あまぞんのDVDセールに乗っかって、『トゥルー・ディテクティブ』ファーストシーズンのコンプリートブルーレイBOXを買ってしまったのでした(何故安くなっていたのかと思ったら、これからDVD−BOXが出るから。 トータルではそっちの方が安いし・・・)。
 そして観てしまった。 というか、観はじめたらやめられなかった。 面白かったというか、のめり込まずにはいられなかった。 全8話。

  トゥルーディテクティブ3.jpeg 最初に見た告知。
 ほんとに当時、「WOWOW、なにしてる?!」と思いました。

 物語の始まりは1995年。 ルイジアナ州の小さな田舎町で若い女性の変死体が発見された。 まるで悪魔教の儀式のいけにえのような姿で。 捜査を任されたのはコンビを組んだばかりの州警察刑事ラスティン・コール(マシュー・マコノヒー)とマーティン・ハート(ウディ・ハレルソン)。 他人に心を開かないが刑事として優秀なコールと、人付き合いがよく円満な家庭を持つハートは正反対の性格で、ときに衝突しながらも共に事件を追っていた。
 だが、2012年。 95年と類似した事件が起こり、「ハリケーンで当時の資料が散逸した」とコールとハートは警察に呼び出されて事情を聞かれる。 二人とも、もう警察を辞めていた。
 17年の間に二人に何があったのか、そして事件の真相は?、という話。
 時間軸が行ったり来たりするタイプ。 そしてオープニングクレジットが超クールです。

  トゥルーディテクティブ1.jpeg 1995年のコール、かっこいい!
 マシュー、また痩せたの?!、というくらい、神経質な感じのやせぎす感出してます(でもやっぱり刑事なので、腕の筋肉とかすごい)。 コールの抱える過去の傷とか、その佇まいだけで詳しい説明不要。 なんとなく・・・『評決のとき』でマシューが演じた若き弁護士が弁護士ではなく警官になっていたら、こんなふうになっていたのではないか、ということも感じさせて。 ちなみに日本語吹替版は森田順平さんで、『クリミナルマインド』のホッチとちょっとイメージがかぶりました(コールのほうがキャラの性格的な振れ幅は大きいけど、95年の時点においては)。 カバー付きのノートを抱えてちょっとしたこともすぐメモる、イラストを描く、という姿もまた刑事というよりは犯罪分析官のよう。 彼には私生活がないから、すべてを事件につぎ込む。
 一方ハートは妻と娘が二人いて、家庭を大事にしたい気持ちがある、まぁ、普通よりは仕事熱心な刑事さんというところか。 でもコールと組んだことで仕事に取り組む姿勢の甘さを思い知らされる。 「オレにはそこまでできない」と言いつつも、彼に負けたくない気持ちもちょっとあって、コールのいいところを誰よりも認めてる。 でもハートのダメなところは女にだらしないというか、女好きなところというべきか? 浮気なら浮気と割り切ればいいものを、ヘンに情を移してしまってトラブルになる。 夫にするにせよ浮気相手にするにせよ、めんどくさいタイプである(でもウディ・ハレルソンだからかなんとなく憎めない)。

  トゥルーディテクティブ2.jpeg そして2012年。
 ハートは髪が薄くなり、コールに至ってはヤク中&アル中のヒッピーみたいな外見に。
 あることをきっかけに二人の仲は決定的にダメになり、コールは警察を辞職。 その後、流転の生活に。 ハートはその4・5年あとに警察を辞め、探偵事務所を開いた。 そして2012年に州警察に呼び出しを受けるまで二人はずっと会っていなかった。 しかしその間もコールはずっと事件を追っており、再会をきっかけに二人はまた一緒に事件を追うことに。
 この、再開後の二人のやりとりがすごく味があっていい雰囲気。 最初の頃のぎこちなさはなくて、まるで気心の知れた長年の相棒のよう。
 そう、これは事件解決ものでもあるんだけど、男の友情ものでもあるのだ!
 しかも舞台はアメリカ南部。 バイユーと呼ばれる湖沼湿地帯があり、ニューオーリンズのような大都会でもない自然が残る田舎町。 ブードゥー教などの民間伝承が残り、ルーガルーといった化物伝説が今も息づく。 アメリカ南部は北部とはまったく違う文化圏なのだとしみじみ感じる。 このドラマも、南部だからこそ成立する物語。
 全体のイメージとしては、『ツイン・ピークス』+『警察署長』+『ハンニバル』(シーズン1)、という感じか。
 それを8話で成し遂げるとはすごい(HBO制作なので、一話は53分〜60分とバラツキあり)。
 テレビドラマには珍しく、一人の脚本家と一人の監督で全部撮影しているので、映画のような雰囲気が出ているせいかも。
 もともとマシュー・マコノヒーとウディ・ハレルソンはキャリアも長いし共演多いし、プライベートでも仲がいい様子。 このドラマも二人してエグゼクティブ・プロデューサーを務めているくらい。 映画の仕事が引きも切らない二人が、あえてテレビドラマに出る理由は、やはり企画と脚本だったんだろうな、と感じる。

  トゥルーディテクティブ4.jpeg DVDのパッケージ画像はこれ。
 あ、すごく雰囲気出てるな〜。
 ちなみにセカンドシーズンは舞台もキャストも変わっていて、まったくの別物。 マシュー&ウディに惹かれたあたしにとっては、『TRUE DETECTIVE』はファーストシーズンで終わった、といっても過言ではない。

ラベル:ドラマ
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