2017年05月18日

ムーンライト/MOONLIGHT

 『ムーンライト』、やっと観る。
 アカデミー賞受賞効果で当初の予定より公開が早まったのだけれど、シネ・リーブル神戸では他の作品の予定がぎっちりで(特に『この世界の片隅で』がまだロングランしてるし)、4月29日公開予定は動かせないとのことだったので(とはいえ、109シネマズHATでは3月31日からの繰り上げ上映に対応していたのだが、あたしがそっちに行けるタイミングがなく)。 というわけで今更の鑑賞になってしまったのだけれど。
 <映画史に残る純粋な愛の物語>みたいに予告で謳っていたので・・・なんかアカデミー賞授賞式での作品紹介から受けた印象とは微妙に違ったんだけど、まぁそこは宣伝部のお仕事だから。
 でも、なんだろう・・・観終わって感動がないわけじゃないんだけど・・・こういう話、昔の日本の少女マンガになかった?、という感じがしてしまった。
 青がすごく効果的に使われていたのが印象的だったけど。

  ムーンライトP.jpg あの夜のことを、今でもずっと、覚えている。

 映画は主人公シャロンの成長に合わせて、三部構成になっている。 第一部は幼年期(<リトル>)、第二部は少年期(<シャロン>)、第三部は青年期(<ブラック>)。 その時代の重要なエピソードをつなげて、シャロンの人生を浮かび上がらせる。 それぞれ三人の俳優がその時期を演じているわけなんだけど・・・個別に見るとそんなに似ていない。 でもそれぞれが特徴的な目ヂカラを持っているので、説明なしでも「あ、シャロンが成長してこうなったんだな」とわかる。
 誰しも生まれ育つ環境や親は選べないのだが、なにもこんな風にしなくてもいいんじゃないの、と言いたくなるようなシャロンの生い立ちには胸が痛くなる。 こんな絵に描いたようないじめっ子に対して学校は何にもしないのかよ!、というのもあるけど、荒れているのはそこだけじゃないんだろうなと思うと、いわゆるスラム街を形成する黒人貧困層の厚さに眩暈がする。 あぁ、教育って無力だなぁ。

  ムーンライト1.jpg 親は頼れない、と確信したときの絶望。
 第一部、シャロン(アレックス・R・ヒバート)は“リトル”(チビ)と呼ばれ、まわりの子供たちにいじめられている。 廃屋に逃げ込んだところをホアン(マハーシャラ・アリ)に見つかり、「ここは危険だ」とホアンの家に連れて行かれる。 そこでホアンの恋人テレサ(ジャネール・モネイ)とも会い、食事を出され、初めて家族的歓迎を受けたことを知る。 シャロンは母親のポーラ(ナオミ・ハリス)と二人暮らしだが、ジャンキーで男を引っ張り込むことが絶えない母親のせいで自宅に居場所はなかった。
 が、シャロンとテレサには優しいホアンも実際は麻薬ディーラーであり、<この町>で生きていくにはそういうルートしかないかのよう。
 3カラット以上あるのではないか、というダイヤのピアスをし(その分、ダイヤのクオリティは高くなさそうだが)、金無垢の腕時計をし、というわかりやすいホアンの格好は、「自分は上位のディーラーである」という記号のようなもの。

  ムーンライト4.jpg 初めて泳ぎを教えてもらったのもホアンから。
 しかしシャロンにはほかに頼れる相手はいなく、ホアンから人生を生き抜くための心情的なことを教わる。 父親を知らないシャロンにとって、まさにホアンは父親的な立場に立ってくれた人。 この時期のシャロンにとって最重要人物であるということが、第一部にほとんどホアンが登場するということからもわかる。 シャロンの人生を決定づけた出会い。
 ホアンもまたかつての自分をシャロンに見ているのだろうか、自分にできる限りのことをしようとする誠意が伝わってくる(ポーラに「ヤクのディーラーのクセによその子供にいっぱしの父親ヅラするつもり?!」と怒鳴られてもホアンと接し方は変えない。 むしろ「母親なんだからヤクをやめろ」と説教したりする)。 でも麻薬ディーラーである自分にとって、客を失うことは収入や自分の地位を脅かすことになるわけで、はっきり言葉にはしないけれどその葛藤が彼を悩ませていることも伝わる。 シャロンにとっていい大人であろうとしていても、実際に自分はいい大人ではない、という苦悩。 彼もまた人生に迷っているのだけれど、この映画においてはいちばんまともな人に見えてしまう、という皮肉。
 ホアンの出番は第一部だけなんだけど、その存在は物語の最後まで影響する。 つまりはシャロンの人生にずっと。 マハーシャラ・アリさん、かっこよかった。

  ムーンライト3.jpg 第二部、少年時代。
 成長したシャロン(アシュトン・サンダース)は中学生になった。
 シャロンは相変わらずいじめられているが、その度合いはより強まっている(年齢とともに乱暴者はより乱暴になるということなのか・・・学校側もどうにもできない・しない感じになってるからなぁ)。
 幼年期からの唯一の友達・理解者であったはずのケヴィンもまた、いじめというか暴力の矛先の力関係のどちらかに身を置かねばならず。 シャロンの心の傷は深い。
 そして青はいろいろなところに。 学校のドア、シャロンのシャツといった物理的なものから、映像全体が青みがかって見える場面とか。 かつてものすごく流行った『月光浴』という写真集を思い出す。 太陽の下では見えない色。 『ムーンライト』というタイトルも、『月光浴』のコンセプトと共通しているのかも。
 それにしても・・・自分がゲイであることに本人はおそるおそる気づきはじめるという感じなのに、まわりの人間のほうが先にわかるっていうのはどういうことなの? それが母親ならばわからないこともないけど(でも自分のヤク代のために息子のバイト代をせしめるような親である)、いじめっこたちも、というのは・・・そういう人が多いから、ということでしょうか。

  ムーンライト2.jpg 第三部、青年時代。
 そして青年になった二人は、ケヴィンの謝罪とともに再会する。
 シャロン(トレヴァンテ・ローズ)はかつてのホアンのように、ダイヤのピアスをし金の時計をつけ、金のネックレスをじゃらからさせている。 結局、彼が知る“大人の姿”はホアンしかいなかったということなのだろう。 この町で生きていく術を、そういう形で身につけてしまった。
 しかしケヴィンは料理人として小さなダイナーを切り盛りしていた。 この再会が、シャロンにどんな影響を与えるのか・・・。
 この時間の経過の感じとか、重要なエピソードだけで他は大胆にはしょる手法とか、70年代の少女マンガから描かれ続けたシチュエーション(『ポーの一族』だってそうである)。 ゲイ、という要素に絞れば、あたしは秋里和国の『TOMOI』を思い出してしまったのですが。 あっちのほうがずっとドラマティックで、より純愛度が高い気さえする(それはあたしが初めて読んだ時期にも関係あるだろう)。
 確かに心に響くラヴストーリーであり、一人の人間の成長ドラマとしてずしりとくる映画であることは確かだ。
 でも、この映画が「映画史に残る純粋な愛の物語」なのであれば、ようやくアメリカ映画も日本の少女マンガに追いついた、ということになるのではないだろうか。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする