2017年05月13日

LION/ライオン 〜25年目のただいま/LION

 オスカーにからむ前から、映画館のチラシをみて「これは観てみたいかも」と思っていた。 実話ベースだし、<世界規模で迷子になった子供がグーグルアースでもともと住んでた場所を探し出す>という一言で説明できちゃう内容ではあるものの・・・そんな内容からこぼれるエピソードがてんこ盛りな気がしたから。

  ライオンP.jpg 僕は5歳で迷子になった。
    それから25年間、ずっと探している 僕の人生の失われたカケラを――

 1986年、インドのスラム街。 決して豊かではない生活だが、5歳のサルーは、兄のグドゥと優しい母とともに幸せな日々を送っていた。 ある日、仕事に行くという兄についていくが、途中で眠り込んでしまったサルー。 駅のベンチで、兄に「僕が戻ってくるまでここを動くなよ」と言われたにもかかわらず、目を覚ましてからのサルーは兄を探して周囲をうろうろ、止まっている列車にもぐりこんでまた眠ってしまう。 その列車はいつの間にか動き出し、しかも途中止まることのない回送列車で、サルーは言葉も通じない見知らぬ土地へ運ばれてしまい・・・という話。 インド国内でも方言が違うと会話にならないのね(というか、それは方言というより別言語だと思うが)。
 序盤の迷子になる過程は「あぁっ!」とつい声に出そうな感じの連続で、「お兄ちゃん、そこはつれてっちゃダメだよ!」などとすごく注意したくなる・・・子供だけの行動ってすごくあやういんだなぁ、ということをしみじみと感じる(勿論、子供たちはそう思うことはないだろう、どの世界でも)。 兄、といってもグドゥもまだ子供である(15歳くらい? 5歳のサルーから見た頼りになるお兄ちゃんは大人に近く見えたかもしれないが、いい大人である観客から見たらどっちも子供である)。

  ライオン2.jpg おにいちゃん・・・。

 とはいえ「さすがに長すぎないか・・・青年時代を描く時間がなくなるぞ」と心配になってくるぐらい、迷子過程をしっかり描写してくれる。 必要なのはわかるんだけど・・・それが長ければ長いほど、子供時代のサルーが主役で、何故彼が成長とともに忘れてしまったのかが不思議な感じがしてくる(だから逆に、記憶が戻ったときに子供時代に取り憑かれてしまうのは非常によく理解できるのだけれど)。
 そして25年後、オーストラリアに里子に出され、タスマニアで暮らす素晴らしい養父母と出会い、大学に進学するまでに成長したサルー(デヴ・パテル)は自然に囲まれて幸せな日々を送っていた。 が、大学でインド系の学生と交流を持ち、彼らの家でインドの伝統的な揚げ菓子をみつけて、屋台で兄にそれをせがんだことが突然思い出される。 迷子になった自分、もともとも家族と今の家族との間の空白を埋めるかのように、学友の「その当時の列車の時速を調べて、Google Earthで探してみたら」という言葉に触発され、サルーはとりつかれたように計算式と地図とパソコンに向かい、ひたすら生まれた家を探す。

  ライオン1.jpg 寝ても覚めても考えるのは過去のことばかり。

 で、子供時代に比べると比較的短い青年時代パートにおいて、デヴ・パテルくんは新し過程でサルーが優等生的な長男という役割をこなしていること、けれどミッシング・リンクに気づいてしまってからはそれに没頭してしまうといういささか狂気をはらんだ顔を見せる。 昨今流行りのルーツ探し・ファミリーヒストリーみたいなものとは切実度がまるで違う、彼自身のアイデンティティに関わる問題、そして自分が養父母に生活面で不自由なく育ててもらっている間、実の母と兄は貧困にあえぎながら自分を探しているのかもしれないという決定的な罪悪感。 それがサルーを打ちのめしており、今の生活を顧みる余裕がない。 観客はサルーの気持ちがとてもよくわかるのだけれど・・・サルーの恋人(ルーニー・マーラ)が「今とこれからの生活のことも考えて」とか、「もうインドのお母さんだってなくなってるかもしれないじゃない」などというのが、それが現実的な考え方かもしれないけど、ひどいと感じてしまうのだ。 だったら一緒に手伝って、早く答えを出してあげればいいじゃないか、と。

  ライオン4.jpg 養母役、ニコール・キッドマンの髪がダサい感じなのはさすが。 サルーの成長に従って、ナチュラルな感じになっていきますが。

 サルーの物語だけでも十分おなかいっぱいになるにもかかわらず、この養父母はサルーを引き取った翌年にもう一人養子を迎える。 恵まれない子供に更に愛の手を、サルーに兄弟を、といえば思いやりあるように聞こえるが、たった一年でそれだけの信頼関係が築けたのか(もう一人子供を引き取るけどあなたへの愛情は変わらないわよ的メッセージを伝えられているのか)は観客にはよくわからない。 また、弟となる少年がすんなりなじまないというか、反抗的な態度をとり続けるため、よりサルーは「よい子」でなくてはいけなくて・・・。
 だから彼は忘れるしかなかったんだろうか。 新しい生活に適応するためには過去にこだわってはいられないと。
 なんかもう、それが切ない・・・。
 勿論、養父母はいい人なんだけどさ(だからサルーもこの二人に見合う息子であろうと生きてきたわけで)、よかれと思ってやってるんだけどさ、引き取った子供たちの背景をどのあたりまで知らされているんだろう・・・とちょっと気になった。

  ライオン3.jpg 迷子中だけど、たくましすぎる面もあったサルー。
 どっちが幸せだったのか、はもうわからない。 でも迷子にならなければ出会えなかった人たちがいるのは事実。 今のサルーがあるのはタスマニアの両親のおかげであることは確かだし、インドにいたままでは教育を受けられたかどうかもわからない。
 というか、あたしにとっていちばんの衝撃は、“25年後のグーグルアースで探し出せてしまうインドの変わらなさ”そのものだったんだけど・・・急成長を遂げているはずのインドも、その恩恵を受けているのは都市部のみ。 田舎の方の格差は埋まっていない、というのがいちばんつらかった。 これについては、サルーが今後なにかしていくのだろうか(現在進行形の話だから)。
 で、タイトルが何故『ライオン』なのか、という理由が最後に明かされますが・・・納得。
 その後、衝撃の事実も明かされますが・・・これ、いちばんへこんだ。 現実は本当に容赦ない。
 思えば、いちばんけなげで優しかったのは兄のグドゥではなかったか。 母を助けて一家の大黒柱的役目を引き受けて、弟の世話もしてお金や食料を稼ぐ。 多分、そんな子供は全世界にグドゥだけじゃない。 子供の人権団体、なにやってる!、と怒りと悲しみが禁じえない。
 映画としての完成度は、正直なところ構成にもう少し工夫できたんじゃないか、編集もっとうまくやれたんじゃないか、事実が元であることにのっかりすぎではないかと思う部分はあるものの、やはり内容が内容だけに・・・感情が大きく揺り動かされました。
 特にグドゥに、泣かされちゃったよ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする