2017年05月31日

スウィート17モンスター/THE EDGE OF SEVENTEEN

 ヘイリー・スタインフェルドは『トゥルー・グリッド』のイメージが強すぎるけど大丈夫なんだろうか、とその後何本かで彼女を観ているけれどちょっと心配でした。 そこへこの映画の予告。 等身大のティーンエイジャー、おまけに先生役がウディ・ハレルソン! それだけで観てみたいと思ってしまった。

  スウィート17モンスターP.jpg 誰もがこじらせて大人になった

 17歳のネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)は不機嫌である。 いや、彼女は物心ついたときから不機嫌だった。 いささか情緒不安定な母親(キーラ・セジウィック)とは反りが合わず、父親が間を取り持ってくれていたからなんとかなったようなもの。 兄のダリアン(ブレイク・ジェナー)は母のお気に入りで学校でも常に人気者で成績優秀、人生の勝ち組みなのに自分はいつも負け組。 父親が最大の理解者であるのは救いだったが、学校の中に父はいない。 クリスタ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)と出会うまでは、ずっとひとりぼっちだった。 4年前に父が事故でこの世を去ってからは、クリスタだけがネイディーンの心の支えなのに、その大事なクリスタが兄貴と付き合うことに!
 やっぱり自分はダメなんだ!、とじたばたするネイディーンを中心に描かれる、地味な高校生活の物語。

  スウィート17モンスター1.jpg あら、クリスタったら『スプリット』にも出てたじゃないの。
 クリスタとネイディーンが出会ったのは9歳(だったかな)。 それまでの<どこにも自分の居場所がない>的なネイディーンの心の叫びにはあたしもつられてつい泣きたくなった。 子供とはこんなにも“自分を受け入れてもらいたい”と叫ぶ生き物なのだ(そしてこれがうまくいかないと大人になってもこじらせて大変なことになるという・・・)。 本来、それは親の役目なのだと思うのだけれど、親とて不完全な人間であり、親子といってもやはり他人である。 気持ちは必ず伝わるとは限らない。 なんか、自分にも当てはまらないか?!、とグサグサきて、ちょっと涙ぐむ。 ネイディーンは確かにちょっと変な子なんだけれど(おかげで幼稚園・小学校の頃から女の子集団にいじめられている)、でもちょっとわかるなぁ、と思ったり。 あたしもいじめられっ子だった。 周囲の空気にうまくまじれない子だったからからなんだろうなぁと今になると思う(だからってそういう子をいじめていいわけではない。 理解できない相手なら集団は放っておけばいいのだ、ちょっかい出すから厄介なことになる)。

  スウィート17モンスター4.jpg 勝ち組アニキ(真ん中)。
 そんな屈折しまくりのネイディーンにとって、見るからにリア充の兄貴はにくらしい存在そのもの。 母親も子供の頃からずっと、父が亡くなってからは更にダリアンを当てにしていて、自分はなんだかんだと怒られてばかり。 家族の中でも学校でも疎外感を抱え、でも引きこもったりするのはプライドが許さず、劣等感と自己嫌悪を抱えながら世界を敵として日常を斬り込んでいく。 喋り出すと止まらないのは不安感のあらわれで、喋り続けるために余計な事を言ってしまい、更に自己嫌悪を引き起こすという、ネイディーンは自意識過剰な17歳という世代のいかにもいそうなイタいキャラクターで、パワフルでとっても面白過ぎる。
 ただ、母親とうまくいかないのは似た者同士だから、ということに気づけないのが残念だ(だから父親はよい緩衝材になっていたのだろう。 愛する人と娘が同じような性格なんだから、どっちも理解できて愛さずにはいられなかったに違いない)。

  スウィート17モンスター2.jpg クリスタ以外の学校での話し相手はブルーナー先生(ウディ・ハレルソン)だけ。 話し相手というか、一方的に弾丸トークを浴びせてる割合の方が高いけど。

 ブルーナー先生、最高! ネイディーンに「あたしの人生ってほんと最悪!!」と長々と聞かされたあとに「俺の人生も最悪だ。 ただでさえ短い学校の中での唯一の安息の時間であるランチタイムを生徒に邪魔されるんだから」と答えちゃう。 でもそれが明らかに拒絶でも皮肉でもないのは、ネイディーンの話を邪魔せずに全部聞いてからのリアクションだし、通り一遍の同情や慰めはネイディーンには逆効果だとわかっているから。 こういう先生に出会えるってすごいことなのに、ネイディーンはわかっているのかしら。
 なにしろネイディーンは若干コミュニケーション障害気味の超自己中。 自分のことはすごく喋るけど、人の話は聞いているのか?、という感じ。 だからクリスタとケンカしてからはちょっと彼女に同情できなくなってきた(クリスタの話を聞こうとせず、「あたしと兄貴とどっちを選ぶの?!」とか言っちゃうから)。
 そうなんだよ、ネイディーン。 きみは自己中過ぎるからまわりが全部敵に見えるんだよ。
 いい大人であるあたしはそう言いたかった。 そう言ってあげたかった。
 でもそれは、自分で気づかないと意味のないことで。 それもまた青春期の甘酸っぱさですかね。

  スウィート17モンスター6.jpg ぶーたれていても存在感ありまくり。
 ネイディーンにとっての世界は家族とクリスタ中心だけれど、歴史クラスでとなりの席のアーウィン(ヘイデン・セットー)はネイディーンが気になる様子だし、実はネイディーンにも高校に憧れの対象・上級生のニック(アレクサンダー・カルヴァート)がいたりと、それなりに高校生活は満喫できてるように見える。 でも誰よりも自分を持てあましているネイディーンは空回りして暴走し、周囲を巻き込んでいく。 ある意味、とってもパワフルで、そのエネルギーがあればこの先も十分世界と対峙していけると思うほど。
 けれどネイディーンだけがわかっていない。 自分のことを好きになれないから。 自分のことを誰よりも好きになりたいのは自分なのに、どうすればそういう自分になれるのかわからないから。 “こうありたい自分”じゃない今の自分をどうしたら受け入れることができるのかわからなくて、だからジタバタしてしまう。
 あれ、こんな話、最近観なかったか?
 そう、この映画はポイントだけみると『ムーンライト』と同じ話なのだ。
 ただ、ネイディーンの家は郊外に持ち家があってお金持ちじゃなくても生活に不自由はないし、そこは一歩間違うと命を落としかねない町じゃないし、自分の性的志向(嗜好?)に迷ったり悩んだりしてない、というだけ。
 ただ、<母親に理解してもらえない>、<自分を自分として受け入れられない>というところは同じ。 唯一の大人の理解者という存在があることも一緒。 テーマはほぼ同じなのに環境や表現方法でこうも違う印象のものに仕上がるか、と驚くばかり。
 とはいえ、ネイディーンには周囲の気遣いがいろいろあって、完全無欠に見えるアニキにも苦悩はあると知って(そもそも自分の大好きなクリスタが自分の兄のことを好きになるってことは、兄にもいいところがあるからじゃない?、と冷静になれば気づけるのに。 もし将来二人が結婚すれば姉妹になるのよ、それって友情が永遠に続くってことでもあるのに)、ネイディーンは成長の階段を少しづつ上っていく。
 『ムーンライト』と違って、描かれるのはネイディーンの過去と現在だけだけれど、その未来ははっきりとした希望に続いていく。
 自然体で自転車をこいでいくネイディーンの姿は、少し肩の力が抜けたよう。
 彼女と、彼女にかかわったすべての人たちに幸あれと願わずにはいられないエンディング。
 それは多分、屈折した過去を持つすべての人間を極端に具現化したのがネイディーンだから。
 彼女を主演女優賞候補にしてもよかったんじゃない、アカデミー賞。

ラベル:外国映画 映画館
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2017年05月30日

今日は5冊

 あぁ、5月ももう終わりではないか!
 何をしていたのかあたしは!
 と、毎月思っているような気がする・・・(そして「何をしていたのか」の答えは出ない)。

  怪物はささやく文庫版.jpeg 怪物はささやく/パトリック・ネス
 あれ、これの単行本って東京創元社じゃなかったよな・・・(そのとき、読書感想文の課題図書になっていたので覚えていました)。 表紙はもともとのオリジナル原画からとられています。 というか、これ児童書なんだけど挿絵の比重がすごく高くて・・・文庫にどうやってするんだろうと思っていたら、絵、全部再現。 もしかしたら単行本より原著に近いかも。
 そのため、ページの紙の厚さもいつもの創元推理文庫よりかなり厚めで、イラスト(モノクロ)が裏抜けしないようになっている。 だからページ数の割に厚みがあって重たく感じる。 これをこのお値段でいいんですか!、という感じ。

  怪物はささやく文庫帯つき.jpg 実際書店ではこのように巨大帯にて展開中。
 映画化が決まっておりまして・・・ビジュアルが明るすぎるような気がしないでもないですが、監督が『永遠のこどもたち』のJ・A・バヨナ監督ということで、あたしはひそかに期待しております。

  第五の福音書1.jpeg第五の福音書2.jpeg 第五の福音書/イアン・コールドウェル
 これはハヤカワから。 あたしはキリスト教者ではないのですが、<東方カトリック教会の神父で、神学予備校の教師をしている弟のアレックス。 ローマカトリック教会の神父で、ヴァチカンの外交官を務める兄のシモン。 教派は違うが、二人は固い絆で結ばれていた。>というあらすじになんかぐっときました! 兄弟なのに違う宗派! そしてそれらをひとつにまとめようとする当時の教皇ヨハネ・パウロ二世が登場人物にいると知って更にわくわくだ! この話の時代設定は2004年です。
 でもそんないい話で終わるわけもなく、兄の親友でヴァチカン美術館の学芸員のウゴが謎の死を遂げるという事件が発生!
 ダン・ブラウンのような感じではないかもしれないけど、あたしは“兄弟もの”として楽しみたいと思います。
 やっぱりローマ教皇は、ヨハネ・パウロ二世がしっくりくる世代なもんで(伯爵に誘拐?されましたしね)。

  はじめてのひと2.jpg はじめてのひと 2/谷川史子
 えーっと、連作短編でしたよね、ということは覚えていましたが・・・2巻出るのが一年後となるとすみません、細部を忘れています。
 なので1巻から通して読み始め。
 そうすると思い出すから不思議なもの。
 エピソードの主役は毎回違いますが、それぞれの登場人物が緩やかに繋がっている、という世界観。
 そして2巻では、1巻の最後のエピソードにあった学芸員さんと16歳年上のチェロ弾きさんの話ですべて使われ(1巻の登場人物はちょこちょこ出てくるものの)、まだ終わっておりません!
 3巻が出るのがまた一年後なら、また1巻から通して読むことになりそう。
 いえ、(マンガ読むの)好きだからいいんですけど。 いくえみ綾『G線上のあなたと私』でも同じことしてますから。

  谷川史子告白物語.jpg 谷川史子告白物語おおむね全部/谷川史子
 デビュー30周年記念だそうである。
 『りぼん』時代からなんとなく読んでいて、「基本的に同じ話を描く人ではあるけれど、絵がいいなぁ」とずっと追いかけていて・・・自分の年齢上昇とともに『りぼん』から離れた結果、しばし空白があきました。 しばらく前からコミックスで出会い、再び追いかけはじめています。
 これは、谷川史子作品につけられたあとがきをほとんど全部まとめたもの。
 「うわっ、これリアルタイムで読んだ・・・」という懐かしさと、読んだことのないコミックスの分は初読なので新鮮。
 いつの間に結婚されたんだろう。 そのあたりのことが触れられていないのが(いつの間にか当然のように登場してくる)、谷川史子らしいのではあるけれど。
 普通にエッセイマンガだけでも面白いのではないだろうか、と思ったりもします。 日々のあれこれをつづるだけでも。
 でもいつも締切ギリギリに人に、これ以上仕事を増やせとは言えない・・・。

ラベル:マンガ 新刊
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2017年05月29日

誘拐症候群/貫井徳郎

 引き続き、<症候群シリーズ>パート2、『誘拐症候群』
 繰り返される身代金100万円代の“小口誘拐”と、巨額の身代金を要求する営利誘拐。
 この相容れぬ二つのパターンの誘拐が同時進行する、というのが今回のテーマ。
 一作目『失踪症候群』同様、様々な人物が入り乱れる群像劇でもある。
 で、警視庁人事二課の環敬吾率いる影の特殊チームが解決にあたるわけですが・・・という話。
 前回は私立探偵の原田さんにスポットが当たりましたが、今回は托鉢僧の武藤隆さんが重要な役割を果たします(てことは『殺人症候群』ではもう一人のあの方にスポット当たるのかな?)。

  症候群2誘拐.jpg これがいちばん目がちかちかするかも?
  貫井徳郎スペシャル.JPG 巨大帯の写真は玉鉄(武藤さん)です。
 で、今更ながらドラマ『犯罪症候群』Season1を数話見まして・・・特殊チーム3人のメンバーが武藤さん一人に集約されていることにびっくり。 重たいもの抱えさせ過ぎでしょう!
 「あ、そうまとめてきましたか」とドラマのポイントがわかってきたので、Season2が4話で終わるのも納得です(伏線をかなりSeasonn1で張ってしまっているから)。
 ただ、托鉢僧としての武藤さんの生き様が特殊でいい味出ていたため、ドラマでそれがいかせなかったのが残念です。
 この話も、時代的に少し前。 インターネット黎明期というか、ブログが流行り出す前で個人のホームページで日記を公開していた頃。 今ほど個人情報の流出に神経をとがらせていなかったというか、やっている人が少なかったというか。 だから天才ブラックハッカーでなくとも、ほんのちょっとの知識があればネット上で全能感が得られた人がいた時代(というか、そういうことにつっこんでくれる人がいなかった時代というべきか)。 ネットの世界は倍ではなく乗のレベルで爆発的に拡大してきていることがわかります。
 扱っていた人間が少数でもこのようなことは起こりえたのに、大多数が住人になってしまったら一体どんなことが起こるのか。 まぁ、その答えのひとつが全世界で拡大するテロリズムなのでしょう。
 この時代はまだよかったのかな?、と思ってしまえることがなによりも恐ろしい。
 でも、誘拐ってやっぱり割に合わない犯罪だよな・・・という気がする(割に合う犯罪はなにか、ということじゃないですよ。 犯罪の中でもこれほどリスキーなものはないでしょう、という話)。
 そんなわけで、引き続き『殺人症候群』に入ります。

ラベル:国内ミステリ
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2017年05月28日

愛蔵版って、そういうことじゃないと思う・・・

 なんと、吉野朔実の『少年は荒野をめざす』の愛蔵版BOXセットが発売とな!
 あたしはオリジナルのぶ〜けコミックスではなく、マーガレットコミックスでのちに出た新装版の方を買ったのですが・・・今手元にはない。 覚えるくらい読みこんだから大丈夫かと思って実家においてきちゃったんだけど、10年もたてばまた読みたくなるっていうのよ!(そんな本ばっかりだから、引っ越すときかなり厳選したんだけど・・・結局文庫版とかで買い直したりしている現実。 吉野朔実は『恋愛的瞬間』をチョイスし、新刊が出たら買うということにしていたが・・・結局何年か前に、『僕だけが知っている』の文庫版を買っちゃいました)。
 そんなところにこんなお知らせ!
 なんかお値段がやたら高いんだけど、<愛蔵版>と銘打つからにはカラーページ全部再現してくれているんだろう!、と期待してしまったのです(吉野朔実のカラーページはとにかく美しい)。

  少年は荒野をめざすBOX1.jpg 少年は荒野をめざす/吉野朔実

 全3巻(コミックスは全6巻だったから2冊を一冊にしたということか)。 確かにつるつるした手触りの箱入り。 サイズは大判、当時の『ぶ〜け』のサイズ感にも似ている。 大きいページで読めるのはうれしいですね。

  少年は荒野をめざすBOX2.jpg こんな感じです。

 が、しかし! 表紙と箱にはカラーイラストがあるものの・・・3分冊の本文には1ページもカラー原稿がない!
 巻頭のおまけピンナップ的なものもない。
 解説もなけりゃ、コミックスには収録されていたエッセイ的なものも一切ない!
 ・・・なに、これ?!
 <愛蔵版>って言葉の意味、あたし間違って受け取ったの?!
 せめて、これが3000円(税抜)だというならまだわかりますよ。 でも、6000円(税抜)ですよ!
 これだけの値段払わせといて(しかもBOX梱包だから買う前に中が見られない)、カラーページなしって本気か?!
 本の雑誌社、ふざけるな!

 モノクロで、物語だけのほうが文学性が高まるとでも?
 吉野作品は十分文学的じゃ! 芥川賞獲っても十分納得のレベル作品ばかりじゃないか。
 カラーページがあることで、よりその世界の美しさや残酷さが強調されるというのに・・・。
 こんなことなら、集英社版の電子書籍を買った方がよかったよ・・・お値段半分以下だし、エッセイマンガも収録されているはずだもの。
 あぁ、がっかり。 なんで集英社、許可したんだよ。 集英社で吉野朔美全集を出してくれれば全然問題なかったのに。
 自分の本棚に<本の雑誌社>の本がほとんどない理由がわかった気がした。

ラベル:新刊 マンガ
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2017年05月26日

カール狂想曲

 明治のカールが売り上げ低迷を受けて、東日本で販売停止というお知らせ。
 東日本出身のあたしとしては、カールはチーズ味である!
 しかし仕事場にいる生粋の大阪人さんは「カールはうすあじでしょ」と譲らない。
 「北東北ではうすあじは売ってるお店が限られてたのよ。 チーズ味はどこにでもあった。 あと、カレー味」
 「えっ、カレー味なんてあった?」
 「ここ何年かは期間限定発売とかになってなかなか見かけなくなったけど、あ、『うカ〜ル』の時期はカレーあったかも、その当時(あたしらが子供のときの意)はカレー味も定番でしたよ」
 「うすあじしか興味なかったな・・・あのカツオと醤油の感じがいいよ」
 と、東日本と西日本の人間の差がこんな近くでも明確になったのでありました。

 で、今日帰りに近所のスーパーに寄ったのですが・・・時間が遅かった、ということもあるでしょうが、カール、チーズ味・うすあじともに商品ケースが空っぽに・・・。
 いやいや、ここ西日本だから! 販売停止にはならないから!
 (しかも販売停止になるのは9月以降でしょ)
 「ポテチ品薄」のニュースのときも棚が空っぽになったたけど、新じゃがの収穫が始まれば販売は元に戻るし、ベーシックな味に絞っただけで販売自体はなくなるわけじゃなかったのに(ちなみにあたしはポテチならのり塩が好きです)。
 自分たちの生活に関係あるニュースなら行動が素早いとか、その昔のオイルショック時のトイレットペーパー騒動のこと、笑えないのでは・・・。
 なんだろう、物悲しくてたまらない。

 そんなわけで、運よく今は関西に住んでいるおかげで、騒動が落ち着けば今後もカールのチーズ味を食べることができるわけですが(うすあじも好きですよ)。
 でもこっちで、コイケヤのスコーンのチーズ味、あまり見かけないのよね。 カルビーのチーズビットはあるけど(でもこれは期間限定商品)。
 東日本ではカールチーズ味の代わりになるチーズ味のコーン菓子ってちゃんとあるんだろうか。
 それともお菓子における「チーズ味」の価値はそれほど高くなくなったんだろうか。
 カールはカール、唯一無二の存在。
 カールの代わりになるものはない気がするんだけど・・・それはノスタルジーなのかしら。

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2017年05月24日

今日は4冊

 あとあといろいろ控えているので、今日のところは4冊で。

  パンドラの少女文庫1.jpgパンドラの少女文庫2.jpg パンドラの少女/M・R・ケアリー
 7月1日から公開の『ディストピア パンドラの少女』の原作。 何年か前にソフトカバーで出てたときから気になっていたのだけれど、映画公開を前に文庫化はありがたい。
 ソフトカバーには「カズオ・イシグロmeetsウォーキング・デッド」というコピーがありましたが、文庫でもそれは帯に。 多分、いちばんわかりやすい表現なんだろうな、と思う。 十分雰囲気つかめます。
 映画の前に読むか、映画観てから読むか迷う! しかも原作者が脚本も担当しているらしいし。

  嘘解きレトリック08.jpeg 嘘解きレトリック 8/都戸利津
 『嘘解きレトリック』も8巻目。 1巻買ってからもう4・5年近くたっているということよね・・・早いわ。
 7巻からの続きの事件がここで一段落。 政略結婚で家柄が望まれただけのおかめ、とひどい言われ方をされる女性が、心が美しく懐も深い人である、というのは定番ではありますが安心します。
 そして8巻目にしてついに恋愛要素目覚める・・・これはいいのかどうなのか。 終わりが近い、という合図のような気もして・・・でも主人公の成長をないがしろにするわけにもいかないですもんね。

  とりぱん21.jpeg とりぱん 21/とりのなん子
 『とりぱん』はいつしかあたしの心の故郷になってきた。
 ここからは遠い北東北の季節感を、ノスタルジーではなくリアルタイムで届けてくれるところが特に。
 マンネリになってもいい、だって日々の生活に終わりはないから、という作者の決意が、あたしにはとてもうれしいです。

ラベル:新刊 マンガ
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2017年05月23日

スプリット/SPLIT

 M・ナイト・シャマラン完全復活!、との噂のこちら。 長年のファンとしても見届けなければいかんでしょ。 マカヴォイくんも好きだしね!

  スプリットP.jpg 誘拐された女子高生3人VS誘拐した男23人格
    恐怖は<分裂・スプリット>する

 高校のクラスメイト、クレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生パーティーに招待されたケイシー(アニャ・テイラー=ジョイ)だが、実はクラスのはぐれ者で「無視したらいじめてると思われるから」とお義理で招かれたにすぎず、そのパーティーでも親しく話す相手などいない。 パーティーがお開きとなり、クレアの父がクレアの親友マルシア(ジェシカ・スーラ)とともに車で家まで送っていくよ、ということになるのだが・・・気づけばその車に乗り込んできたのは見知らぬ男(ジェームズ・マカヴォイ)で、女子高生三人が事態を把握する前にクロロホルムらしきもので意識を奪われ、目を覚ました三人は拉致され、いずことも知れない場所に閉じ込められたことに気づく・・・という話。
 クレアのお父さん、受難、のシーンがかなり省略され、でも詳細が観客には想像できてしまう流れ、うまいです。 静かであるからこそリアリティがあるというか、突然現れた男に「車、間違えてますよ」と言っちゃうクレアも能天気には見えない。 普通、そんなリアクションになっちゃうよね、と妙に納得。
 とはいえ・・・誘拐犯がいわゆる多重人格者(正確には解離性同一性障害)だというのはポスターにも書いちゃってるからネタバレにはならないんだろうか・・・「え、この人、なんかおかしい」と彼女たちが気づく流れも結構早いので別にいいのかな。

  スプリット2.jpg 誘拐したのは潔癖症の男。
 しかしそれよりも違和感を放つのが、ケイシーの落ち着きぶりというか冷静さである。 パニックになっちゃうクレアとマルシア(きっとこっちが普通の反応)にぼそっとアドバイスしたり。 彼が潔癖症だと瞬時に見抜いたり。 むしろ「ケイシーのほうが何者?」と思わされてしまう。 多分これもまたシャマランの手口なんだろうなぁ、と思いつつ。
 そして次々に人格が入れ替わるさまを、服装のチェンジだけで演じ分けるマカヴォイくん、さすがです。

  スプリット4.jpg かつらとかなしでも、これだけで十分女性だとわかるという・・・。 ある意味、スキンヘッドは無敵なのか? 声の調子や喋り方は変わりますが。

 女子高生たちがどうにか話の通じそうな人格を探り当てようと試行錯誤するのと並行して、“彼”は ドクター・フレッチャー(ベティ・バックリー)のもとに通って治療を受けている場面も挿入され。 『24人のビリー・ミリガン』がモトネタというか、参考にされているのかな、と感じた。 その人格が表に出る(肉体を使える立場にある)ことを「スポットに立つ」みたいな表現してたし。 となれば複数の人格たちは自分以外の存在を知っている場合も多く、教師役もいるはず。 何も知らないのはもともとの人格であるご本人だけ(強度のトラウマ故、意識下層にもぐりこんでしまっている可能性大)、という可能性は高そうだ。 ドクター・フレッチャーはダニエル・キイス的な立ち位置で“彼”に接している気がする(学会での発表内容はもっと踏み込んでてさらに過激ではあるが)。 読んだのだいぶ前なのに、意外に覚えているなぁと驚いたけど、それだけ強烈な内容だったからだろう。 逆に、解離性同一性障害についてあまり知識がない人がこの映画を見たらどう感じるんだろう。 解離性同一性障害を認めないという根強い一派もいらっしゃるみたいですし・・・(「理屈に合わない」という感覚もわかりますしね)。
 と、ホラー映画にも関わらず真面目に精神医学についても考えてしまった。

  スプリット3.jpg 9歳の少年を味方につけることにしたケイシー。
 とりあえずここから出なければ話にならない、と女子たちはがんばりますが・・・今話している相手が9歳の少年でも、次の瞬間誰が出てくるかわからない。 もしかしたら別の誰かが少年の振りをしているのかもしれないし、とか考えちゃうとハラハラ感倍増!
 やはりこういうのこそ、シャマランの真骨頂なのではないかと思ったり。
 ただ、登場する人格たち(さすがに23人全員は出てこない)の一部が熱望する<24番目の人格>の登場には・・・やっちまった感あり。 そうじゃない表現方法はなかったのか? あんぐり、と口をあけるしかなかったですよ。 後半では『アンブレイカブル』を連想させるシーンもあって、「セルフパロディとかやるのはまだ早いんじゃないの」と思っちゃったし・・・ほんとに「完全復活」なのか心配になってきたじゃないか(ちなみに『アンブレイカブル』は大成功&大評判だった『シックス・センス』の次の作品だったため非常に期待され、それ故に「期待はずれ」とかなり叩かれたんですが・・・あたしは当時から好きだったのです。 悪役の悲哀を正面から描いていたところとか。 あの頃、アメコミ映画がこんなにも主流になるなんて誰も思っていなかった時代)。
 それはともかく、女子高生それぞれが別の部屋に閉じ込められ、それぞれが孤軍奮闘する様は、地味ながら的確なカメラアングルとともにハラハラドキドキです(針金ハンガー一本でここまでドキドキさせられたのは久し振り)。

  スプリット5.jpg そして、ケイシーが何故冷静でいられたのかわかった瞬間・・・「そう来たか!」と思いました。
 ケイシーを演じるアニャ・テイラー=ジョイという若き女優の今後はすごい期待できるぞ!、と確信できるような凄み。
 あたしにとってはそれで十分「どんでん返し」の意味はあったと思えたのですが・・・。
 恐るべきラストシーンで、全然違う意味で「はいっ?!」となりました。
 複数の人格を見事に演じ分けたマカヴォイくんの素晴らしい演技力すらぶっ飛んだ。
 「マジですか?!」と心の中で叫んだよ、あたし。 エンドロールもそのことで頭がいっぱいになっちゃった。
 そしてエンドロール終了後・・・明かりがつくはずなのにスクリーンに映し出されたのは<急告>という日本語テロップ。
 「――えっ!」、と声が出そうでしたよ。
 マジか・・・これはシャマランのオールドファンへの贈り物ではあるけれど、『スプリット』自体を打ち消しかねない危険を背負っている。 まして知らない人にとっては「なんのこっちゃ」だろうし。
 2019年公開予定だという新作を待つほかない。

  スプリットP海外版.jpg 勢いで、パンフを買ってしまいました。
 表紙はアメリカ版ポスターと同じ仕様のようです。

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2017年05月22日

三連の殺意/カリン・スローター

 『ハンティング』という上下巻が面白そうかな、と手に取ってみたものの、シリーズ物だった。
 だったらまず一作目を読まないとダメでしょ!
 そう思って探したら・・・ちゃんと翻訳が出ていて安心。

  三連の殺意.jpg 原題の意味は『三連祭壇画』。 三つのキャンバスが開いていくうちにそれぞれ違う意味を持つ絵になる。 実際、この物語も三部構成。

 ひどい状態で殺されて捨てられた売春婦。 事件の担当となったアトランタ警察の刑事マイケルのもとに、ジョージア州捜査局特別捜査官のウィル・トレントがやってくる。 今回の事件は過去の事件と類似性があるという。
 そんなわけで、ウィル・トレントシリーズの一作目です。
 特筆すべきは、ウィルの<捜査官らしくなさ>。 やせぎすの長身、いつも三つ揃えのスーツ姿、人に威圧感を与えるどころか自信なさげに佇む“優男”。 でも身体にははっきりとわかる傷跡がある・・・。
 実はウィル、幼少時に母親に捨てられてから里親に預けられるも虐待を受け、児童養護施設と里親を行ったり来たりで(そのたびに虐待の傷も増え)育つ、という複雑な過去があり、他人の感情に共感できない・自分の感情の表し方もよくわからないというプロファイラー向きではなさそうなタイプ。 おまけに失読症(それを周囲に悟られないように地道な努力を現在も欠かさない)。 それなのに事件解決率98%という優秀な捜査官だというキャラクター。
 そしてウィルとともに施設で育ったアンジーはアトランタ警察の風俗犯罪取締班の刑事(ときには娼婦の格好でおとり捜査に出ます)。 この二人もまた幼少時に虐待を受けた者同士、強い絆で結ばれつつも普通の感情表現ができないのでお互い傷つけあうばかり。 一緒にいないことがお互いにとって新たな出発になるとわかっているのに離れられない。 共依存というべきか、互いのひどい過去を知っているからこそ理解しあえるのに、相手への共感は自分の傷を抉ることでもあって。 ウィルは感情をあらわさないことで自分を守り、アンジーは攻撃的になることで自分を守る。
 主人公はスーパーマンではなくむしろ迷える人、というのがここしばらくの流れとはいえ、ウィルの背負うものはあまりに多すぎないか?

 そして事件ですが、事件の捜査を開始する第一部と、無関係ではないにしろ別の人物の視点から描かれる第二部が、実は表裏一体であったとわかったときの驚きたるや!
 まさに原題通りに別の風景が同じものだと気づかされる衝撃は、綾辻行人『十角館の殺人』を初めて読んだときの感じに近い、というのは言い過ぎかしら。 でも「おおっ!!」ってなりました。
 そこで事件のだいたいの筋書きと犯人はわかってしまったので・・・ページの半分以上を占める第三部が長すぎる。
 読者はもう犯人はわかっているのに、全然気づかないウィル・トレントにいらいら。 彼の個人的な苦悩はわかるけど、そんなんでよく捜査官をやってられるなぁ、と別の意味でハラハラ。
 約20年前の事件も関わってくるのだけれど、いろいろ小出しにされるけど読者が知りたい肝心のことが書いていないという・・・。
 事件そのものよりも人間ドラマ重視、ということなのかもしれませんが・・・なんかモヤモヤが残って消化不良。
 しかも『ハンティング』はウィル・トレントシリーズの3作目で、2作目が先月の終わりに出たばかりだという(順番通りに翻訳されないパターン)。 じゃあ、やはり2作目『砕かれた少女』(このタイトルも表紙もひどい)から読むべきか。
 決して『三連の殺意』に満足したわけではないのですが・・・なんというかウィルとアンジーの過去と現在の関係が悲惨すぎて、逆に気になるのですよ。

ラベル:海外ミステリ
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2017年05月21日

ピグマリオ/和田慎二【花とゆめコミックス版・全27巻】

 あまぞんをうろうろしていたら、『ピグマリオ』のお値段が下がっていることに気づく。
 ちょっと前まで2万円越えだったのに・・・1万円を余裕で切っている。 これなら、買えないことはないじゃないか!
 妹はメディアファクトリー版(大判・全12巻)が出たときにささっと揃えており、それを知らなかったあたしは「あたしも買っておけばよかった!」と後悔したときにはすでにあとの祭りでした。 多分そっちの方には作者のあとがき的なものもカラーピンナップなども付いているだろうからほんとはそっちの方がいいんだけどな。

  ピグマリオ全27巻.JPG そんなに状態は悪くない。
 実家にあるあたしのやつのほうがもっとボロボロかも。 後半の巻は一刷のものや、当時の新刊告知チラシが挟まったものもありまして、普通に読む分には十分です。

 まだ神々と人間たちがともに生きていた時代。 ルーン国の王と精霊から人間になった女性の間に生まれた少年クルトが、運命の<8歳の誕生日>を経て、母親や村人たちを石に変えたメデューサを倒す旅に出る物語。 というと一言ですんでしまいますが・・・ギリシャ神話の世界観を下敷きに、というか、下手したらギリシャ神話のおおもとはこれです!、と言わんばかりのスケールの大長編。
 全5部構成とはいえ、第一部は普通のストーリーマンガ的な流れで、第二部以降は章立て構成に変わります。 どうしても長くなってしまう作品故、途中から入る読者にもわかりやすいようにという配慮でしょうか(あたしも『花とゆめ』を買い始め、途中から読んだ派。 過去分は古本屋含めて単行本を揃えました)。 作品リストを見ると中断期間が結構あるので(というか連載のされ始めが意外に早い!)、これも打ち切りの危機があったのだろうか・・・。
 章立てになったことで<外伝>扱いになるエピソードも本編にうまく組み込まれ、27巻一気読み!
 そして「あれ、ゲオルクの出番ってこんな最初のほうだったか・・・もっと手ごわかった感じがしてたんだけど」など、自分の記憶の誤差にも気付かされます。 ファンタジーではあれど、残酷な場面も容赦なく描くのでその印象が強く残っていたか・・・。
 水晶の姫・オリエと出会うのも思ったより早かったし(再会まで結構間があくのでそのせいか?)、でも大地の女神ユリアナは結構記憶通り。
 もっと泣いちゃった気もするんだけど・・・そんなに泣かなかったな(でもちょっと泣いている)。
 勢いで読んでしまったからだろうか。 もう一回読んだらまた変わるかも。 そうなるともう一晩必要だ!
 まさに日本のハイファンタジーマンガの金字塔、といっても過言ではない。 改めて、そう思う。
 やっぱりメディアファクトリー版、復刊して!

ラベル:マンガ
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2017年05月20日

ついに二台目kindle、購入!

 一台目のキンドルが容量いっぱいになってしまったため、二台目を買うことにしました。
 紙の書籍は本棚が埋まると置き場所に困るから、というのが電子書籍の利点という風に言われていた部分があった気がするけど、電子書籍だってメモリがいっぱいになったら本体を買い足さないといけないじゃないのよ・・・(ちなみにあたしが持っているのはkindle paperwhiteですが、クラウド上には無限に保存できることになっているんだけど、本体にダウンロードしちゃったら本体から書籍は削除できないのですよ。 USB経由で別のHDDに保存とかもできますけどね)。
 容量いっぱいになった敗因は、マンガや挿絵つきの復刻版を(セールで)買っちゃったからだ!
 なので二台目は容量4倍ながら値段は大して変わらない<kindle paperwhite:マンガモデル>にしました。

  キンドル2代目1.JPG 先代が黒なので、白にしてみた。
 キャンペーン情報付きモデルなのでちょっとお安い(画面下に「kindleストアでお気に入りの1冊を見つけよう」というのが出ている。 本を読むときには消えるので問題なし)。
 で、一台目に入りきらないやつやマンガを二台目にダウンロードしたら・・・一台目に入ってるやつが全部同期されているではないか!
 <ダウンロード済み>にすれば冊数は限られるが・・・あぁ、びっくりした。
 あ、そうそう、一台目を買ったときは(ちなみにkindle第2世代)、あたしの情報登録済みの状態で送られてきたんだけど、今回はそういう設定はまったくなし(まぁ、二台目だから自分でやれってことなのか、申込者設定がデフォルトならば誰かにプレゼントできないとか、注文多くていちいちやってられなくなったとか、まぁ理由があるのでしょうが)。

  キンドル2代目2.JPG カバーは悩んで、ふたつ買ってしまった。
 一台目を買ったころに比べればすごく種類増えてた〜。 しかも安い〜。
 最初に買ったカバーがよれてきたので、取り換えようかと。
 でも安いだけあって、片手でホールドできるベルトとか一切ついていない(そのかわり、カバーを開くと同時に立ちあがり、閉めると即座にスリープ機能になるけど)。 でも北欧デザイン風の樹木柄のやつ、マグネットの力が弱いのかちょっと浮く。 押さえのベルトを用意しなきゃダメじゃん。 まぁ、カバーも消耗品ということか。
 とりあえずしばらく、これで電子書籍は大丈夫でしょう。 なんたって32GBもあるんだから!
 と、安心して『月刊flowers 7月号』『ポーの一族』の新作前編が載った号)を早速購入しちまったぜ!
 こういう油断が、命取り。

ラベル:マンガ
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2017年05月18日

ムーンライト/MOONLIGHT

 『ムーンライト』、やっと観る。
 アカデミー賞受賞効果で当初の予定より公開が早まったのだけれど、シネ・リーブル神戸では他の作品の予定がぎっちりで(特に『この世界の片隅で』がまだロングランしてるし)、4月29日公開予定は動かせないとのことだったので(とはいえ、109シネマズHATでは3月31日からの繰り上げ上映に対応していたのだが、あたしがそっちに行けるタイミングがなく)。 というわけで今更の鑑賞になってしまったのだけれど。
 <映画史に残る純粋な愛の物語>みたいに予告で謳っていたので・・・なんかアカデミー賞授賞式での作品紹介から受けた印象とは微妙に違ったんだけど、まぁそこは宣伝部のお仕事だから。
 でも、なんだろう・・・観終わって感動がないわけじゃないんだけど・・・こういう話、昔の日本の少女マンガになかった?、という感じがしてしまった。
 青がすごく効果的に使われていたのが印象的だったけど。

  ムーンライトP.jpg あの夜のことを、今でもずっと、覚えている。

 映画は主人公シャロンの成長に合わせて、三部構成になっている。 第一部は幼年期(<リトル>)、第二部は少年期(<シャロン>)、第三部は青年期(<ブラック>)。 その時代の重要なエピソードをつなげて、シャロンの人生を浮かび上がらせる。 それぞれ三人の俳優がその時期を演じているわけなんだけど・・・個別に見るとそんなに似ていない。 でもそれぞれが特徴的な目ヂカラを持っているので、説明なしでも「あ、シャロンが成長してこうなったんだな」とわかる。
 誰しも生まれ育つ環境や親は選べないのだが、なにもこんな風にしなくてもいいんじゃないの、と言いたくなるようなシャロンの生い立ちには胸が痛くなる。 こんな絵に描いたようないじめっ子に対して学校は何にもしないのかよ!、というのもあるけど、荒れているのはそこだけじゃないんだろうなと思うと、いわゆるスラム街を形成する黒人貧困層の厚さに眩暈がする。 あぁ、教育って無力だなぁ。

  ムーンライト1.jpg 親は頼れない、と確信したときの絶望。
 第一部、シャロン(アレックス・R・ヒバート)は“リトル”(チビ)と呼ばれ、まわりの子供たちにいじめられている。 廃屋に逃げ込んだところをホアン(マハーシャラ・アリ)に見つかり、「ここは危険だ」とホアンの家に連れて行かれる。 そこでホアンの恋人テレサ(ジャネール・モネイ)とも会い、食事を出され、初めて家族的歓迎を受けたことを知る。 シャロンは母親のポーラ(ナオミ・ハリス)と二人暮らしだが、ジャンキーで男を引っ張り込むことが絶えない母親のせいで自宅に居場所はなかった。
 が、シャロンとテレサには優しいホアンも実際は麻薬ディーラーであり、<この町>で生きていくにはそういうルートしかないかのよう。
 3カラット以上あるのではないか、というダイヤのピアスをし(その分、ダイヤのクオリティは高くなさそうだが)、金無垢の腕時計をし、というわかりやすいホアンの格好は、「自分は上位のディーラーである」という記号のようなもの。

  ムーンライト4.jpg 初めて泳ぎを教えてもらったのもホアンから。
 しかしシャロンにはほかに頼れる相手はいなく、ホアンから人生を生き抜くための心情的なことを教わる。 父親を知らないシャロンにとって、まさにホアンは父親的な立場に立ってくれた人。 この時期のシャロンにとって最重要人物であるということが、第一部にほとんどホアンが登場するということからもわかる。 シャロンの人生を決定づけた出会い。
 ホアンもまたかつての自分をシャロンに見ているのだろうか、自分にできる限りのことをしようとする誠意が伝わってくる(ポーラに「ヤクのディーラーのクセによその子供にいっぱしの父親ヅラするつもり?!」と怒鳴られてもホアンと接し方は変えない。 むしろ「母親なんだからヤクをやめろ」と説教したりする)。 でも麻薬ディーラーである自分にとって、客を失うことは収入や自分の地位を脅かすことになるわけで、はっきり言葉にはしないけれどその葛藤が彼を悩ませていることも伝わる。 シャロンにとっていい大人であろうとしていても、実際に自分はいい大人ではない、という苦悩。 彼もまた人生に迷っているのだけれど、この映画においてはいちばんまともな人に見えてしまう、という皮肉。
 ホアンの出番は第一部だけなんだけど、その存在は物語の最後まで影響する。 つまりはシャロンの人生にずっと。 マハーシャラ・アリさん、かっこよかった。

  ムーンライト3.jpg 第二部、少年時代。
 成長したシャロン(アシュトン・サンダース)は中学生になった。
 シャロンは相変わらずいじめられているが、その度合いはより強まっている(年齢とともに乱暴者はより乱暴になるということなのか・・・学校側もどうにもできない・しない感じになってるからなぁ)。
 幼年期からの唯一の友達・理解者であったはずのケヴィンもまた、いじめというか暴力の矛先の力関係のどちらかに身を置かねばならず。 シャロンの心の傷は深い。
 そして青はいろいろなところに。 学校のドア、シャロンのシャツといった物理的なものから、映像全体が青みがかって見える場面とか。 かつてものすごく流行った『月光浴』という写真集を思い出す。 太陽の下では見えない色。 『ムーンライト』というタイトルも、『月光浴』のコンセプトと共通しているのかも。
 それにしても・・・自分がゲイであることに本人はおそるおそる気づきはじめるという感じなのに、まわりの人間のほうが先にわかるっていうのはどういうことなの? それが母親ならばわからないこともないけど(でも自分のヤク代のために息子のバイト代をせしめるような親である)、いじめっこたちも、というのは・・・そういう人が多いから、ということでしょうか。

  ムーンライト2.jpg 第三部、青年時代。
 そして青年になった二人は、ケヴィンの謝罪とともに再会する。
 シャロン(トレヴァンテ・ローズ)はかつてのホアンのように、ダイヤのピアスをし金の時計をつけ、金のネックレスをじゃらからさせている。 結局、彼が知る“大人の姿”はホアンしかいなかったということなのだろう。 この町で生きていく術を、そういう形で身につけてしまった。
 しかしケヴィンは料理人として小さなダイナーを切り盛りしていた。 この再会が、シャロンにどんな影響を与えるのか・・・。
 この時間の経過の感じとか、重要なエピソードだけで他は大胆にはしょる手法とか、70年代の少女マンガから描かれ続けたシチュエーション(『ポーの一族』だってそうである)。 ゲイ、という要素に絞れば、あたしは秋里和国の『TOMOI』を思い出してしまったのですが。 あっちのほうがずっとドラマティックで、より純愛度が高い気さえする(それはあたしが初めて読んだ時期にも関係あるだろう)。
 確かに心に響くラヴストーリーであり、一人の人間の成長ドラマとしてずしりとくる映画であることは確かだ。
 でも、この映画が「映画史に残る純粋な愛の物語」なのであれば、ようやくアメリカ映画も日本の少女マンガに追いついた、ということになるのではないだろうか。

ラベル:外国映画 映画館
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2017年05月17日

今日は7冊(全部講談社文庫!)。

 今月の講談社文庫の新刊はヤバい!
 こんなにも買わなきゃいけないものが出た月が過去にあっただろうか、ぐらいの勢い。

  タイタニア5文庫版.jpeg タイタニア 5<凄風篇>/田中芳樹
 やっと出ましたよ、『タイタニア』の最終巻。 正直、今更感がないわけではないのですが・・・作者あとがきも「蛇足」と書いてある通り、ご本人もわかってらっしゃるみたいですが、何故もっと早くできなかったのかと(「汚れた大人の事情」っていったいなんなのか。 読者には関係ないから!)。
 政権・国策批判も結構だが、それは作中で、うまいこと消化してやるのが物語作家というやつでしょ!
 だから『創竜伝』も行き詰ったのかしら(リアルタイムで読んでた頃は面白かったけど、多分今読み返したら当時の時代背景を覚えていないと意味がわからんという部分が多そう。 で、再開後にタイムラグがあると辻褄合わせも大変そう)。
 まぁ、『タイタニア』は未来の銀河が舞台なので・・・それが救いですかね。

  ブラックボックス1.jpgブラックボックス2.jpeg ブラックボックス/マイケル・コナリー
 コナリー新作は、ハリー・ボッシュもの。 本家がバンバン書くので、翻訳がかなり追い付いていない状態がしばらく続いているが・・・訳者あとがきでも本編についてはさらっと触れるだけで、古沢さんは次回作(ミッキー・ハラーもの)についてかなり詳しくあらすじ書いちゃってる。 つまり前作のあとがきでは『ブラックボックス』について語っているわけで、「訳者あとがき」に関しては一作戻れ、ということなのかも。
 ボッシュシリーズ20周年記念作でもあるそうな。 そうだよね、ハリー・ボッシュってベトナム帰りなんだよね・・・年齢を忘れてしまうというか、もう意識しなくなっちゃってるわ。
 テレビドラマ化が順調に進んでいるようですが、今のところアマゾンプライムでしか見られない・・・。
 入るべきか、どうするべきか迷い中・・・。

  ゴダード宿命の地1.jpgゴダード宿命の地2.jpg 宿命の地<1919年三部作>/ロバート・ゴダード
 ゴダードの三部作、ついに完結編。 舞台の中心はほぼ横浜らしく、表紙絵もそのせいなのでしょう。 しかし日本家屋とブリティッシュトラッドはなんか合わないな・・・スーツだけならともかく、帽子とステッキがどうも浮く。
 最初に読んだゴダードは、多分にもれず『千尋の闇』だったのですが、そのイメージからはスパイものを書く人になるとは思わなかったなぁ(トマス・H・クックとちょっとかぶるイメージだったので)。 確かに歴史が絡む物語が多かったけど(でも全部読んでいるわけではないので・・・ずっと追いかけていればその変化は自然に感じられたのだろうか)。
 個人的には久し振りのロバート・ゴダードです。

  図書館の魔女烏の伝言1.jpeg図書館の魔女烏の伝言2.jpeg 図書館の魔女 烏の伝言/高田大介
 サブタイトルは『からすのつてこと』と読むそうです。 『でんごん』じゃない!
 しかし『図書館の魔女』がシリーズ化していたとは知らなかった(単行本のほうはめったにチェックしないもので)。
 前作ののちの物語、キリヒトや親しんだキャラは一切出てこず、まったく新しい登場人物たちばかり。 でも、<図書館の魔女>は健在のよう・・・。
 多分、これも読み始めたら止まらないんだろうな。 どうしよう、いつ読もう。

ラベル:新刊
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2017年05月15日

失踪症候群/貫井徳郎

 ドラマは録画しているけどまったく手をつけられる状態ではなく、ひとまず先に<症候群シリーズ>第一弾・『失踪症候群』を読んでみた。
 350ページもない、ということもあるけれど・・・ずっと翻訳ミステリを読んでいる身としては、日本人作家の本はなんだかんだいってやっぱり読みやすいなぁ、と実感。 母国語、共有できる同じ価値観など原因はいろいろありましょうが・・・でも日本のばかり読んじゃうと海外翻訳ものが読みづらく感じてしまうので(訳者の方によるけど)、あたしとしてはこれまで通りのペースを保ちたいところです(つまり、平行して両方読む。 今は海外もののほうが多いけど)。

  症候群1失踪.jpg やっぱり、画像だとより目がちかちかする。

 なにか事件に巻き込まれたわけでもなく、失踪した若者たちにどうやら共通点があるようだ。 その背後関係を洗い出すべく、警視庁人事二課に所属する環敬吾はそれが警察上層部からの指示であっても警察としては動かず、自分が抱える<チーム>に調査を依頼する。 確証がないと動けない警察組織と違って、環のチームは勘だけで動ける。 時と場合によっては超法規的手段を使っても・・・という話。
 原著は1998年。 なので社会風俗など若干の古さを感じるし、2017年の目から見ると当時の「意外な展開」がそれほど意外に感じられない・・・という悲しさはある。 15年前に読めてたら、もっと盛り上がったかも。
 なんか失踪した若者に対して同情できないんだよね〜。 当時より社会はもっと厳しくなってるってことかしら。
 でも面白くないわけではなく・・・最後まで読めちゃいましたからね。
 逆に、「これをどうやって<社会派ドラマ>にしているんだろう・・・」と心配になるくらい、ある意味『現代版・必殺仕事人』なんですけど。
 ま、シリーズ一作目なのでこれは挨拶程度、次から実像をあらわにしていくのかも。
 というわけで、引き続き第二作『誘拐症候群』に取り掛かります。

ラベル:国内ミステリ
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2017年05月14日

特捜部Q −吊された少女−/ユッシ・エーズラ・オールスン

 ハヤカワの新刊案内でこれの文庫版が出ると知り、「だったらもう図書館で待たずに借りれるのでは」と探してみたところ、すぐ見つかりました。 人気シリーズを予約で待って借りて読むのもいいのだけれど、延長できないから、こうやって忘れた頃の読むのもまた一興。 ジェフリー・ディーヴァーも周回遅れなあたし、「一分一秒でも早く読みたい!」という情熱は、やはり若さと時間に余裕があるものの特権だな、ということをしみじみ感じる今日此頃。 多少遅れても、読めたらいいじゃないか、に変わりつつある自分がいるので。

 気がつけば<特捜部Q>シリーズも6作目ですよ!
 それだけカールやアサドと付き合っているわけですが・・・カールの相変わらずのやる気のなさにはほんと腹が立つ!
 『ミレニアム4』でミカエルがボケボケなうっかりさんではなくなってしまったことに一抹の寂しさを感じたのに、カールの変わらなさにはついイラっとしてしまうという・・・読者って、勝手です。 アサドやローセはそれなりに成長しているというか、そういう部分が見えるだけに、カールのダメダメさ加減が目立つからでしょう。 たとえそれが、事件捜査の際に災厄に巻き込まれた反動だとしても。

  特捜部Q06吊された少女.jpg ポケミスサイズにも慣れてきたどころか、違和感なくなった自分。

 ボーンホルム島の警察官からの調査依頼の電話を、カール・マークが軽くあしらったことからおおごとになり、結果<特捜部Q>は17年前の轢き逃げと判断された事件の背景解明を余儀なくされることに・・・という話。
 序盤はかなりショッキングなシーンの連続で、「またリアルに具合悪くなるのだろうか・・・」と思ったのも束の間、特捜部Qの面々は地道にといえば聞こえはいいがどちらかといえばモタモタと捜査を開始する。 重要な証言を取れそうな人からはなにも聞き出せず、いろんなことを見逃している。
 そして彼らと交差するように、スピリチュアルヒーリングセミナーが入口になっている新興宗教にのめり込んでいく現状がつらい人たちの描写がさしはさまれ、大変暗い気持ちになる。 あたし自身は特定の信仰を持っていないので、<絶対帰依>の感覚ってただひたすら恐ろしいとしか感じられないのだけれど、そこに救いを見い出してしまう人たちの生活っていったいどんなものだろう。 想像するだけで、つらい。
 そんな宗教話に結構なページ数を割かれて困ってしまったのだけれど、それがアサドの過去をわずかでも紐解くための伏線なのか・・・と思えば付き合わざるを得ないし。
 そして相変わらず、二人揃って命の危機にまたしても(というか、毎回)陥るカールとアサド。 いい加減に学習してほしい!
 アサドがかわいそうでしょう!
 でも、そうやって死地を共にくぐりぬけてきた過去が積み重なっているからこそ、カールはアサドに対して信頼感を強め友情を感じているのよね・・・けど、そういうのがないと成立しないのか。 男の友情ってめんどくさいなぁ。 その点、一致団結すると女の友情のほうが素直で簡単だと思う。
 この物語自体は<特捜部Q>の中では特筆すべき事件ではないけれども、シリーズの流れでいけばアサドの過去が少し、けれど重要なことがわかり、カールの巻き込まれた災厄についても少し進展があった。 こういうところがシリーズ物のずるいところなのよ!
 シリーズの最後までこの謎は引っ張られるんだろうか・・・続きが気になる。

ラベル:海外ミステリ
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2017年05月13日

LION/ライオン 〜25年目のただいま/LION

 オスカーにからむ前から、映画館のチラシをみて「これは観てみたいかも」と思っていた。 実話ベースだし、<世界規模で迷子になった子供がグーグルアースでもともと住んでた場所を探し出す>という一言で説明できちゃう内容ではあるものの・・・そんな内容からこぼれるエピソードがてんこ盛りな気がしたから。

  ライオンP.jpg 僕は5歳で迷子になった。
    それから25年間、ずっと探している 僕の人生の失われたカケラを――

 1986年、インドのスラム街。 決して豊かではない生活だが、5歳のサルーは、兄のグドゥと優しい母とともに幸せな日々を送っていた。 ある日、仕事に行くという兄についていくが、途中で眠り込んでしまったサルー。 駅のベンチで、兄に「僕が戻ってくるまでここを動くなよ」と言われたにもかかわらず、目を覚ましてからのサルーは兄を探して周囲をうろうろ、止まっている列車にもぐりこんでまた眠ってしまう。 その列車はいつの間にか動き出し、しかも途中止まることのない回送列車で、サルーは言葉も通じない見知らぬ土地へ運ばれてしまい・・・という話。 インド国内でも方言が違うと会話にならないのね(というか、それは方言というより別言語だと思うが)。
 序盤の迷子になる過程は「あぁっ!」とつい声に出そうな感じの連続で、「お兄ちゃん、そこはつれてっちゃダメだよ!」などとすごく注意したくなる・・・子供だけの行動ってすごくあやういんだなぁ、ということをしみじみと感じる(勿論、子供たちはそう思うことはないだろう、どの世界でも)。 兄、といってもグドゥもまだ子供である(15歳くらい? 5歳のサルーから見た頼りになるお兄ちゃんは大人に近く見えたかもしれないが、いい大人である観客から見たらどっちも子供である)。

  ライオン2.jpg おにいちゃん・・・。

 とはいえ「さすがに長すぎないか・・・青年時代を描く時間がなくなるぞ」と心配になってくるぐらい、迷子過程をしっかり描写してくれる。 必要なのはわかるんだけど・・・それが長ければ長いほど、子供時代のサルーが主役で、何故彼が成長とともに忘れてしまったのかが不思議な感じがしてくる(だから逆に、記憶が戻ったときに子供時代に取り憑かれてしまうのは非常によく理解できるのだけれど)。
 そして25年後、オーストラリアに里子に出され、タスマニアで暮らす素晴らしい養父母と出会い、大学に進学するまでに成長したサルー(デヴ・パテル)は自然に囲まれて幸せな日々を送っていた。 が、大学でインド系の学生と交流を持ち、彼らの家でインドの伝統的な揚げ菓子をみつけて、屋台で兄にそれをせがんだことが突然思い出される。 迷子になった自分、もともとも家族と今の家族との間の空白を埋めるかのように、学友の「その当時の列車の時速を調べて、Google Earthで探してみたら」という言葉に触発され、サルーはとりつかれたように計算式と地図とパソコンに向かい、ひたすら生まれた家を探す。

  ライオン1.jpg 寝ても覚めても考えるのは過去のことばかり。

 で、子供時代に比べると比較的短い青年時代パートにおいて、デヴ・パテルくんは新し過程でサルーが優等生的な長男という役割をこなしていること、けれどミッシング・リンクに気づいてしまってからはそれに没頭してしまうといういささか狂気をはらんだ顔を見せる。 昨今流行りのルーツ探し・ファミリーヒストリーみたいなものとは切実度がまるで違う、彼自身のアイデンティティに関わる問題、そして自分が養父母に生活面で不自由なく育ててもらっている間、実の母と兄は貧困にあえぎながら自分を探しているのかもしれないという決定的な罪悪感。 それがサルーを打ちのめしており、今の生活を顧みる余裕がない。 観客はサルーの気持ちがとてもよくわかるのだけれど・・・サルーの恋人(ルーニー・マーラ)が「今とこれからの生活のことも考えて」とか、「もうインドのお母さんだってなくなってるかもしれないじゃない」などというのが、それが現実的な考え方かもしれないけど、ひどいと感じてしまうのだ。 だったら一緒に手伝って、早く答えを出してあげればいいじゃないか、と。

  ライオン4.jpg 養母役、ニコール・キッドマンの髪がダサい感じなのはさすが。 サルーの成長に従って、ナチュラルな感じになっていきますが。

 サルーの物語だけでも十分おなかいっぱいになるにもかかわらず、この養父母はサルーを引き取った翌年にもう一人養子を迎える。 恵まれない子供に更に愛の手を、サルーに兄弟を、といえば思いやりあるように聞こえるが、たった一年でそれだけの信頼関係が築けたのか(もう一人子供を引き取るけどあなたへの愛情は変わらないわよ的メッセージを伝えられているのか)は観客にはよくわからない。 また、弟となる少年がすんなりなじまないというか、反抗的な態度をとり続けるため、よりサルーは「よい子」でなくてはいけなくて・・・。
 だから彼は忘れるしかなかったんだろうか。 新しい生活に適応するためには過去にこだわってはいられないと。
 なんかもう、それが切ない・・・。
 勿論、養父母はいい人なんだけどさ(だからサルーもこの二人に見合う息子であろうと生きてきたわけで)、よかれと思ってやってるんだけどさ、引き取った子供たちの背景をどのあたりまで知らされているんだろう・・・とちょっと気になった。

  ライオン3.jpg 迷子中だけど、たくましすぎる面もあったサルー。
 どっちが幸せだったのか、はもうわからない。 でも迷子にならなければ出会えなかった人たちがいるのは事実。 今のサルーがあるのはタスマニアの両親のおかげであることは確かだし、インドにいたままでは教育を受けられたかどうかもわからない。
 というか、あたしにとっていちばんの衝撃は、“25年後のグーグルアースで探し出せてしまうインドの変わらなさ”そのものだったんだけど・・・急成長を遂げているはずのインドも、その恩恵を受けているのは都市部のみ。 田舎の方の格差は埋まっていない、というのがいちばんつらかった。 これについては、サルーが今後なにかしていくのだろうか(現在進行形の話だから)。
 で、タイトルが何故『ライオン』なのか、という理由が最後に明かされますが・・・納得。
 その後、衝撃の事実も明かされますが・・・これ、いちばんへこんだ。 現実は本当に容赦ない。
 思えば、いちばんけなげで優しかったのは兄のグドゥではなかったか。 母を助けて一家の大黒柱的役目を引き受けて、弟の世話もしてお金や食料を稼ぐ。 多分、そんな子供は全世界にグドゥだけじゃない。 子供の人権団体、なにやってる!、と怒りと悲しみが禁じえない。
 映画としての完成度は、正直なところ構成にもう少し工夫できたんじゃないか、編集もっとうまくやれたんじゃないか、事実が元であることにのっかりすぎではないかと思う部分はあるものの、やはり内容が内容だけに・・・感情が大きく揺り動かされました。
 特にグドゥに、泣かされちゃったよ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする