2017年04月17日

雨の日は会えない、晴れの日は君を想う/DEMOLITION

 顔は好みじゃないはずなのに、何故か気になってしまう人、いますか?
 あたしにとっては、ジェイク・ギレンホールです。
 よく考えたら彼との付き合い(?)も結構長いんだけど(彼がティーンのときからだからなぁ)、それでもやっぱり彼の顔が好きだとかハンサムだとか思ったことがない。 なのに彼が出ているならばその映画を観てみようか、と思ってしまうのは・・・好きだからでしょうか。 「顔は好みじゃない」みたいな浅はかな感想を越えて、彼の役者としての実力がすごいからということなのかもしれない。 いや、実際すごいんですけど。
 そんなわけで、『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』です。
 ウォール街で働くエリート金融マンのデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は仕事も順調、社内でもいい地位にいるが、社長は妻の父親なので微妙な気分。 でも生活水準は十分にリッチ。 ある日、妻と同乗していた車が事故に遭い、デイヴィスは怪我ですんだが妻は死亡してしまう。 あまりに突然の出来事だが、デイヴィスは妻の死を悲しんでいない自分に気づく。 涙を流すこともない。 悲しみを普通に表に出せる義父のフィル(クリス・クーパー)は、デイヴィスがショックを受け過ぎているのだろうと察し、実利的なアドバイスをする。 集中治療室の前の自販機でM&Mを買おうと思ったのに商品が引っ掛かって落ちてこなかったことに腹を立てたデイヴィスは、自販機の管理会社に苦情の手紙を書いた。 何故集中治療室にいるのかということまで事細かに書き記す(内心、こんな苦情の手紙なんか誰も読まないだろうと思っていたようだが)。 しばらくして、苦情担当係だというカレン(ナオミ・ワッツ)からお詫びの電話がかかってきて、「話し相手はいますか?」と尋ねられる。 彼女はクリス(ジュダ・ルイス)という息子を持つシングルマザーで、妻を失ったデイヴィスを気遣って電話をかけてみたのだが・・・という話。

  雨の日は会えない、晴れた日は君を想うP.jpg 僕はあまりにも君に無関心だった。
   妻の死後、身の回りのあらゆる物を壊し始めた男。そして見つけた、妻が遺したメッセージとは――。

 なんだろう、この下手な詩の一説みたいなタイトル。 もしくはベタな純愛映画的なものを連想させる感じ。 原題は“DEMOLITION”(=“破壊・分解”)という直球なのに、ロマンス漂う雰囲気にしてしまうのは女性ウケ狙い? ま、確かに『破壊』ではダメだろうけど。
 妻が急に死んだのに悲しくない、というのは『永い言い訳』と同じプロットだけど、スタートは同じでもそののち辿る過程はまったく違う。 もともと彼は、妻が生きているときから感情表現をあまりしない(できないのか苦手なのか、したくないのかはいまひとつ不明ながら、全部混ざっている感じ)。 「妻が死んだのに悲しくないのはおかしいんじゃないか」と考えるから彼は誤作動を起こしていて、義父の「不具合があったときには原因を突き止めるまで分解しろ」という言葉に従ってしまうのだ。 実に真っ当な価値観の持ち主で、素直な人ではないか。

  雨の日は会えない4.jpg 生前、奥さんが「水漏れしてるの、なんとかして」と言っていた冷蔵庫を、結局極限まで分解しちゃいました。
 これでスイッチが入っちゃったのか、それまでは多分気付かなかったことが気になり始め、キーキー音を立てる会社のお手洗いの扉や、フリーズしたパソコンなど、不具合を感じさせるものすべてを分解したくなる衝動にかられる(で、彼にはそういうものを直せる腕がないので、結果的に全部壊してしまうことに)。 コントロールしようにも湧き立たない感情の代わりに、彼はあらゆる物を破壊していく。
 そんなわけで明らかにあやしい人なんだけど・・・ひいき目ですかね、ジェイク・ギレンホールだから、と思うとヘンな人に見えない。

  雨の日は会えない3.jpg クリス・クーパー、エリートというよりも叩きあげなイメージ。
 フィルは「あいつは何を考えているんだか」と嘆くけれど、実は彼はあなたの言うとおりのことを実践しているんですよ、とわかるのは観客だけ、というおかしみと切なさ。 けれど愛娘を失ったフィルも当然悲しんでいる。 「つれあいを失えば“やもめ”と呼ばれるのに、子供を失った親には名前がないってどういうことだ」的なことをつぶやく場面はクリス・クーパーのこの映画におけるハイライトです。
 でもなんとなく、このフィルとデイヴィスの二人は決定的に決別するようなことはない気がしたのよね。 だからフィルが「いい加減にしろ!」と激怒しても、「今後いっさい縁を切るぞ!」と怒鳴っても、最終的に和解するんだろうな、としか思えなくて、あまり危機感を覚えなかった。 なんでだろ? なんか義理の親子というよりも、実の親子に思えるのよね。

  雨の日は会えない2.jpg クリスもまた一緒になって<破壊>に参加。 12歳に見える15歳、でも中身は18歳な彼は、普通の大人じゃないデイヴィスになつく。
 この二人の関係も面白い。 常識にとらわれなくなっていくデイヴィスがどんどん無軌道な若者に近付いているとしたなら、クリスとは実にいいコンビというか、男同士の奇妙な友情が成立しちゃっているという。 それも結構ドライなところがとてもクール。 デイヴィスのほうが経験と知識はあるから、クリスにかけるアドバイスも直球で身も蓋もない(でもそれがクリスには心地よいらしい)。 普通なら答えに困りそうな質問にも、オブラートでくるまず、ダイレクトに、しかも真面目に答えちゃうデイヴィスくん、結構いかれてる。 ま、建物の解体工事現場を通りかかって、「僕にも手伝わせてくれ」と申し出る(挙句の果てに手伝うのに金払う)くらいだから、やっぱりいかれてるよね。
 余談ですが・・・その現場で古い釘を踏んで怪我したデイヴィス、シャワーで傷を流して終わらせる姿に、「えっ、破傷風になったらどうする! 病院行こうよ!」とつい思ってしまったあたしはつくづく日本人でした・・・(破傷風菌は日本の風土病でしたね)。

  雨の日は会えない5.jpg あえて疲れたシングルマザー感を出すため、ナオミ・ワッツはメイクダウン。

 また、苦情係のシングルマザー・カレンといわゆる想定内の関係にならないのも素晴らしい。 一般的に考えられるところの“慰めを求める”という行為が、いかに陳腐なものだということがよくわかる(そして、他人の想像がいかに低俗的かということも)。 むしろ、受けた衝撃を悲しみなどの名前のつくものにわかりやすく変換できる人のほうが精神的に強くて、揺るぎがないのかも。 どうしようもなくて感情を整理できない人ほど、混乱は遅れてやってきて、他の人からは特異に見られがちになってしまうのかも。 みんな、それぞれの事情があるのにね。
 そんな感情の起伏に乏しい男が、あらゆるものを破壊しながら自分の中にあるものの正体を探ろうとする。 あぁ、ジェイク・ギレンホール以外の誰が、この役にこれだけの説得力をもたらせるだろう(はっきり言ってしまえば、ただのヘンな人で終わってしまうのに)。 お怒りになるフィルに、「まぁまぁ」と観客としてなだめたくなってしまうのは、やはり彼の側に立って観ているからだ。 多分、自分の近くの人に起こった出来事ならば、義父さんのほうの行動が常識的だと感じてしまうだろうから。
 感情の起伏が乏しい故に、些細な動きが大きな意味を持つのだ。

  雨の日は会えない1.jpg なんというか、微妙な表情がうまいよね。
 それを見逃さないように、けれど大袈裟に表現しないように、ジェイクは細心の注意を払いつつ見事計算どおりに演じてる。 こういう役は以前から得意ジャンルだとは思うんだけど、どこまでこの人は行くつもりなんだろう。
 パーツだけ見たらどうまとまるのかまったくわからないこの物語を、素晴らしく美しいエンディングにまで持っていった脚本もすごくいいし、トリッキーなことはしない正統派の演出もこの映画においては正しい選択。 ほんとに感動的なラストを迎えたことにびっくり。 ナオミ・ワッツの役が思っていたのとちょっと違った(というか、彼女の息子はもっと早くから登場するのかと思っていた)けど、ピンポイントで爆発力を発揮するのはさすがです。
 それにしても・・・ジェイク・ギレンホールとクリス・クーパーが義理の親子に見えないのはなんでかしら?、としばし考えたら、『遠い空の向こうに』でこの二人は実の親子だったんですよ! もう15年くらい前の映画ですけど。 その頑固おやじとそれに対抗する息子の姿があまりにもぴったりで、その残像を見てしまったようです。 現場でもお二人はそんなこと話したのかな? ふとそんな妄想まで浮かんだり。
 ポエジーな邦題だけれど、その言葉の原型は映画の中にちゃんと出てきた。 いろんな意味で、想定外だったなぁ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする