2017年04月30日

ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女/ダヴィド・ラーゲルクランツ

 なんだかんだいろいろと思ってましたが、結局読んでしまいましたよ、『ミレニアム』の新作というやつを。
 最初、4作目が出るという告知を見たときは、「えっ、泥沼裁判にカタがついて、未完成原稿をもとにつくれたの?!」と思ったのですが・・・遺族と出版社側の依頼で書きあげられたもの、ということ・・・。 あぁ、ラーソンのパートナーの方、大変。
 えーと、現存する<『ミレニアム』三部作>の作者はスティーグ・ラーソンなのですが、彼は本の出版前に突然の逝去。 その後、世界的な大ヒットになり、多額の印税が入ったわけですが、ラーソンはパートナーである女性と結婚していなかったし、遺言書も残していなかった。 『ミレニアム』シリーズは彼女とアイディアを交換しながら書き上げたとも言われているのに、彼女には一銭(スウェーデンだからクローネか)も入らず、出版社と遺族(ラーソンの親兄弟)にお金が全部行くことに。 そこでこじれちゃったんですよね。 第4作目の未完成原稿は彼女の手元にあるが動かせず、多分和解もできてないんじゃないか。 で、親兄弟の方も遺産があまりに莫大な額のため(そして世界中から注目を集めてしまったため)、手をつけることができず、結局暴力に苦しむ人々のための基金を設立したんじゃなかったっけ。
 もともと、『ミレニアム』は全10部構想といわれていた。 やっぱり遺族側がお金がほしくなったのか、出版社が儲けたかったのかはわかりませんが、「続きを読みたい」という読者の期待にこたえる形で、ラーソンの遺稿に関係なくまったく新しくスタートを切ったのが、この4作目だということで。 作者のダヴィド・ラーゲルクランツはジャーナリスト出身で、ルポルタージュなどを書いていた人だとのこと。 『ミレニアム』三部作を研究しまくり、この作品を完成させたらしい。
 とはいえ、違う作者。 進んで読む気にはなれなくて・・・で、評価も賛否両論だし(まぁそれは当たり前だと思うけど)。
 グインの新しい続きを今も読めないあたしなのに。 でも、『ミレニアム』は3作だけだし、映画もあったけど一年ぐらいでががっと読んだし、グインほどの思い入れはないから大丈夫なんじゃないだろうか・・・と思って、今回手に取ってみた次第。

  ミレニアム4−1.jpgミレニアム4ー2.jpg <蜘蛛の巣>はダブルミーニング。

 あの事件から数年後。 ジャーナリストのミカエル・ブルムクヴィストはいまひとつやる気がなく、スランプに陥っていた。 それに比例して雑誌『ミレニアム』の売り上げも下がり、会社は経営の危機にさらされていた。 編集長のエリカは雑誌存続のために株式の30パーセントをセルネル社に売り渡すことを決めていた。 なのに相変わらずミカエルにはやる気がない。
 そんなある日、ミカエルのもとに大スクープになるという情報が持ち込まれる。 人工知能研究の世界的権威であるバルデル教授に関わる問題で、その話の中にリスベットの影を感じ取ったミカエルは早速教授に接触を図るが・・・という話。
 正直なところ、これが『ミレニアム』じゃなかったら、普通に「面白かった」というレベルだと思う。 北欧ミステリ的な重厚さには欠けるが、AI、サヴァン症候群、ハッキングと数学などを絡めるエンタメ重視姿勢は映像化を想定しているようにも思えて、読ませる勢いは確かにある(あたしも結構すぐに読み終わっちゃったし)。
 でも。
 なんと言ったらいいんだろう・・・キャラクターが発する熱量が違う。
 確かに筆者は過去作品を研究つくしたのだろう。 人間関係に齟齬はない。 伏線だった<リスベットの妹>もしっかり登場させて、まさにファンの期待に応えている。 でも、それだけなんですよ。 矛盾はないけど・・・優等生の模範解答を見ているような感じ。
 やる気のないミカエル、というのがまずいまひとつ想像できないし(そういう状態の彼ならばでれでれと女性の間を行ったり来たりしてそうだけどそんなこともなく)、なにかうっかりをしでかす抜けたところもないし、全体的に真面目な人になっちゃってる。
 リスベットも・・・うーん、想像外の行動をするのが彼女なのに、全部想定内。
 登場人物は作者の内面から生まれるもの、ってこういうことだったのね。
 しかも話は終わったようでいて終わっていない・・・新しい作者は3作書くことを契約しているようで、つまり新たなる三部作の幕開けってことなんだろうけど・・・メインキャラクターが出てるけど、どうもあたしには“スピンオフ”だという感じがしてしまって・・・。
 物語を別の人が引き継ぐって、ほんと難しいんだなぁ、と実感。

ラベル:海外ミステリ
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2017年04月29日

今日も5冊で

 4月最後の新刊購入です!

  楽園キャンディスフォックス.jpg 楽園 シドニー州都警察殺人捜査課/キャンディス・フォックス
 オーストラリアミステリ。 『邂逅』に続くシリーズ2作目。
 前作よりはるかに分厚くなっている! 北欧ミステリのようにブランド化できるか、勝負の時期かもしれないですね。 でもイギリスの影響下にあったから、ミステリの伝統も引き継がれているのかもしれないし、でも大陸特有のおおらかさが厳密な本格ミステリには向かないのかも・・・となると、警察小説やハードボイルド系になってしまうのかな。
 どちらにせよ、面白い作品が翻訳されていくことはよろこばしいことです。 知らない世界のことが、また少しわかるし。

  海岸の女たち.jpg 海岸の女たち/トーヴェ・アルステルダール
 こちらは、まごうことなき北欧、スウェーデンミステリ。 作者の名前を見ただけで北欧だとわかるようになったあたしですが、すらすらと発音するのは難しい。
 が、この物語、舞台のほとんどはヨーロッパ各地に飛び、スウェーデンはほとんど出てこないらしい・・・でも北欧ミステリが<北欧ミステリ>たるのは、舞台ではなくて深いテーマ性。 読み手の心を抉りかねない現実とシンクロする重さ。
 これまた、それにふさわしい分厚さです。

  夜の夢見の川.jpg 夜の夢見の川 12の奇妙な物語/アンソロジー
 <奇妙な味>作品集。 編者曰く、「読んだ後モヤモヤした気持ちに襲われる作品」ばかり集めたとのこと。
 個人的にアンソロジーはあまり得意ではないのだが、知っている作家・知らない作家が混在しつつ、各作品の表題裏に、作者の略歴や編者による紹介文が平等についているのが楽しい。 本邦初訳とすでに手に入りにくい作品ばかりだというのも、アンソロジーの意義ですよね。

  ダークタワー3荒地1.jpgダークタワー3荒地2.jpg ダークタワーV 荒地/スティーヴン・キング
 当初は3月末発売とのことでしたが・・・よくわからないけど一カ月遅れ。
 加筆・修正されたスティーヴン・キングの超大作の決定版だというのに、やっぱり装丁が哀しい・・・。 新潮文庫版と比べると軽いというか重厚さがないというか・・・物語に漂う絶望感がまったく伝わってこないんですけど。
 新潮社はなんで権利を手放したのか。 角川はいっそのこと、版権と一緒に装丁の権利も全部譲り受ければよかったのに。

ラベル:新刊
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2017年04月27日

信じたくないが故の、実感のなさ

 ジョナサン・デミ監督の訃報が飛び込む。
 ・・・実感がわかない。
 アンソニー・ホプキンスやジョディ・フォスター、アン・ハサウェイらの追悼コメントを見て、「あぁ、本当なんだ・・・」とは感じるんだけれど、他の人ほどの衝撃がない。
 彼ががんを患っていたとは知らなかったし、そもそも年齢も知らなかった。 『羊たちの沈黙』でアカデミー賞のステージに上がったときの印象しかないことに気づく。
 でもあたしはジョナサン・デミ監督のセンスが、大好きなのだ。

 幸運にもあたしは『羊たちの沈黙』をリアルタイムで映画館で観ていて・・・サイコサスペンスで恐ろしいものを描いているにもかかわらずこんなに素晴らしくて、途中でハラハラドキドキさんざんさせられたのに、後味がよいってどういうこと!、とどよめきました。
 で、いろいろ考えてみて・・・キャスティングがまず文句なかったし、その活かし方も素晴らしく(あたしはこの映画以上にかっこいいスコット・グレン:クロフォード捜査官を観たことがない)。 そして、それまでなんとなく映画を見ていた若造のあたしに、カット割りやアングルすべてに意味がある、あえて加えられた意匠にもテーマに沿った意味がある、ということを教えられ・・・ストーリーやキャスト重視だったあたしに、<映像が語る>ことの重要さ、それがあるからこそ作品に厚みが出、そこらへんにある映画と、歴史に残る映画の違いを見せつけられた。
 もっとも、すぐに気付いたわけではなくて、ほんとにわかったのはもう少ししてからだけど。
 その後『フィラデルフィア』も観て、「あ、この監督のセンス、やっぱり好きだ。 というか、この人が好きなものがあたしも好きだ」と実感して、俳優の名前だけでなく映画監督の名前も覚えておいた方がいいと知る。 好きだと思う監督の作品にははずれが少ないと学習した(その後、『エイリアン3』で、作品自体は微妙ではあったが、そのスピード感を気に入ったあたしはデヴィッド・フィンチャーを、『シックス・センス』で度肝を抜かれてM・ナイト・シャマランを追いかけることになる)。
 何度目かの再放送で観た『刑事コロンボ:美食の報酬』の監督がジョナサン・デミだと気づいたときの驚きといったら!
 今につながるあたしの「映画の観方」の土台をつくってくれたのは、彼なのだ。
 そして<台詞ばかりで説明しない、映像だからできる表現>に出会うとうれしくてたまらなくなるのも、やはり彼の影響だと思う。
 彼の新作はもう観られないのかもしれないけれど(最近はドラマの仕事もしていたというし、日本未公開の作品はまだあるのかもしれないけど)、これまでの作品は残る。 どうしてもつい『羊たちの沈黙』でしか語られないかもしれないけど、あたしは他の作品も知ってる。 彼のつくりだす映像世界の美しさを知っている。
 これは自慢していいことなんだと思う。
 まだ実感はないけれど・・・実感しなくてもいいかな、と思ってもいる。

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2017年04月25日

今日は5冊。

 気がつけばもう4月も終わりが近い。
 なんでこういろいろとあっという間なのであろうか。

  魔都(創元推理文庫版).jpg 魔都/久生十蘭
 『魔都』が創元推理文庫初収録! なんかめでたい!
 朝日文庫版で実は持っているのだが・・・表紙が光ってる感じとか、なんとなく久生十蘭にふさわしくないと思っていたのよ(意見には個人差があります)。 でもなんかこれで、おさまるべきところにおさまった感じ! 装丁もレトロモダンな雰囲気ですごくいいし!
 ・・・こういうことをしているから、お金が残らない&本が増えるのよね。

  蝿の王新訳版.jpg 蝿の王【新訳版】/ウィリアム・ゴールディング
 『蝿の王』といえば新潮文庫のイメージが強かったので、新訳版がハヤカワ出たことにちょっと驚き。 でも最近、ハヤカワも新古典というか、スタンダードな名作の新訳を出すことに力を入れているから、そのせいかな。 それとも、SFと純文学の境目が曖昧になってきたことのあらわれか、かつてはエンタメと目されたものが時代とともに文学になってきたということなのか。
 ともあれ、半世紀ぶりの新訳ということなので・・・さぞ読みやすくなっていることでしょう。
 とはいえ、<暗黒版・『十五少年漂流記』>のイメージは変わらないと思うのだけれど。

  タイタニア4文庫.jpg タイタニア 4 烈風篇/田中芳樹
 やっと文庫化。 ノベルズ版で数年前に完結したけど、文庫で持っているあたしとしては文庫を待つしかなかった。 最終巻の5巻は来月発売だそうです。
 表紙は1〜3巻同様、アニメからのもの。 アニメが終わってから何年たつんだよ・・・終わっていない作品をアニメ化しちゃった石黒監督の苦労を考えてあげてよ・・・(『銀河英雄伝説』のあと、『タイタニア』のアニメ化に踏み切った石黒監督の心境は文庫版1巻の解説に詳しい)、と悲しくなる。 石黒昇監督も今はもういない。
 4巻のはじめに、石黒監督への献辞が掲げられている。
 ・・・遅い、遅いんだよ!(涙)
 あぁ、NHK−BSでアニメ版、再放送してくれないかな・・・。

  美食探偵明智五郎3.jpg 美食探偵 明智五郎 3/東村アキコ
 『東京タラレバ娘』の8巻にはがっかりさせられましたが(でも雑誌で最終回を迎えたそうなので・・・ページ合わせのための巻だったのかな、という気がしないでもない。 9巻で完結、ということでしょう)、これは面白い!
 動機とかトリックとか特に新しいものはないのですが・・・絵的表現。 今回の犯人の身の処し方のシーンには、直接描かれていないだけに「うおーっ!」と思いました。
 あとは結局人間関係なのですが、人間的には欠点だらけの明智五郎探偵の、探偵故の才能の隙をつかれたかのような痛恨のミスのためにこの巻のページをすべて費やされたということに、この次の展開に期待が高まります。

  8時間睡眠のウソ.jpg 8時間睡眠のウソ。/川端裕人・三島和夫
 これのはじまりはNBOで川端裕人が<研究室に行ってみた>という最先端科学を訪ねる連載で三島先生に出会い、その後、“眠り”に的を絞った新しい連載が始まり、多分それをまとめて加筆したもの。 連載は全部読めてなかった気がするし、眠りはあたしには大事な題材である。 図書館でもいいかと思ったけど、持っておこうと思いました(というか、あの連載が本になっていたことを知らなかったよ・・・)。
 つい、文学系のコーナーばっかり行っちゃいますが(理系の方も行くんだけど、ほんとに専門書系になっちゃうから)、こういう新書系ジャンルというか、親しみやすく書かれた入口書みたいなもののチェックも必要ですな。

ラベル:新刊
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2017年04月23日

ジャッキー ファーストレディ 最後の使命/JACKIE

 リアルタイムの熱狂を知らないあたしにとって、ジャクリーン・ケネディ(のちのジャクリーン・オナシス)は歴史上の人物である。 その姿を知っている人を知っている、という意味ではジェームス・ディーンのように“伝説のスター”に近いかも。 ジャッキーみたいに愛称で呼ばれるアメリカ大統領夫人ってあまり聞かないし(あたしが知らないだけかも知らないけど)、国民に愛された存在の人だったのかなぁ、というイメージがあった。 あと、JFK暗殺の際に撃たれて飛び散った頭蓋骨や脳の一部をとっさにかき集めた、ということからくるけなげで懸命な感じというか。 でも、ケネディ一族の伝記ドラマとか見たりすると、決して幸せな結婚生活ではなかったよな・・・と感じたり(ジョンの浮気癖とか、まぁいろいろね)。 政治的な意味合いとしての存在はアメリカ国民にしかほんとのところはわからない気もするので、他国民からしたら「悲しい宿命に巻き込まれた女性」を見る気持ちで。 あたしもナタリー・ポートマン観るために、みたいな気持ち。

  ジャッキーP.jpg ケネディ大統領暗殺。 彼女は、最愛の夫を伝説に変えた――。

 1963年11月22日、テキサス州ダラスにて、パレードの最中にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。
 その数年後、あるジャーナリスト(ビリー・クラダップ)が未亡人であるジャクリーン(ナタリー・ポートマン)のもとを訪れ、単独インタビューを申し出る。 オフレコあり、原稿もすべてチェックするという条件付きで取材に応じることにした彼女は、ファーストレディとしてホワイトハウスにいた時期から過去を振り返り・・・という話。
 インタビュー中の<現在>と、ジャクリーンの<回想>がそれぞれ映像になっている。
 ホワイトハウスを案内する番組に出ているジャクリーンはとても自信なさげで弱々しくて、なにか攻撃されるのを恐れているかのように見えた。 国民に愛された存在だと思っていたのでこの場面は衝撃的だった。 もしかしたら彼女はファーストレディとして自信を持っていたわけではなかったのか? 強気で自己主張するのが美徳だというアメリカ的な考えはこの時代まだそこまでではなかったのか?

  ジャッキー2.jpg ダレス空港、あのパレード直前。
 ダラス市民の大歓迎を目の当たりにし、「これってほんとに私たちのため?」と驚き、よろこびを隠せない。
 今と違って情報の伝達に双方向性がないから、現場に行かないとわからないというのは確かにあるだろう。
 ちなみに映画はジャクリーン視点で語られるが、JFKの存在は後姿や影中心。 そっくりさんを仕立てましたか、というくらいほぼ台詞もない。 やはりJFKを演じさせるというのはアメリカ人の観客にとってハードルの高いものなのか(でもこの映画の監督はパブロ・ラライン。 確かチリの方ではなかったか)。 ジャクリーンを中心にするためには夫は邪魔なのか?
 まぁ、彼の業績やその当時の人気振りを描写として追加してしまえば映画は2時間以上必要になるから、ということかもしれないけれど、ここまで影が薄いとそこになにかの意味があるのかと勘繰ってしまうよ。
 ちなみに、ジャクリーンが夫をジャックと呼んでいたのが印象的(英語圏のあだ名のつけ方はよくわからん)。

  ジャッキー6.jpg そのかわり、重要な役目を果たすのはボビー。
 ロバート・ケネディ(ピーター・サースガード)がジャクリーヌの強い味方として登場。 ピーター・サースガード、いつもと全然雰囲気違う(かといってボビーにそっくりというわけでもない)!、ということに驚いた。 でもすごくいい人に描かれていて、ジャクリーンにとって頼れる人だったということがよくわかる。 彼女が再婚したのはもっとずっと後のことだと思っていたんだけど、実はボビーが暗殺された年だったと知って・・・これまた驚いたのだが、ケネディ家における彼女の位置づけというかなんというかを思うと、唯一の味方であったボビーがいなくなったらケネディ家を離れるしかないよな、というのは実感としてよくわかり・・・そりゃ自由になりたくなるよね。 でもこれは現代の視点であって、当時は相当バッシングにあったらしいという記憶はあたしにも残っていた。

  ジャッキー4.jpg ジョンソン大統領の承認式。
 どうやらダーレン・アノロフスキーは、ナタリー・ポートマンに<ひそかに狂気を秘めた女>を演じてもらいたいらしい。
 夫でもあり大統領を失ったショックに加え、自分が<元ファーストレディ>になってしまったという事実を受け入れられない、突然のアイデンティティの喪失に襲われた知的な女性が、プライドを保つために何をするのか。 回想シーンの大部分を占める“暗殺から葬儀まで”の4日間を、彼女は「JFKを永遠の存在」にするため奔走する。
 葬式の準備が煩雑なのは、いそがしくすることで遺族たちの気を紛らわせる意味もあると聞いたことがあるけれど・・・ジャクリーンもそれで救われた部分もあるだろうし、でもそれ故に合間にポカッと開いた空白に落ち込むと廃人寸前の表情を見せる。 夫の血の付いたシャネルのスーツをいくら側近に言われても脱がないなどのエピソードには、脱いだら終わったことになってしまうという気持ちと、「着替える余裕があったんだ」と他人に思われることが許せないという主観的&客観的な視点が同時に存在しており、常にその感覚があったからこそ政治家の妻、そしてファーストレディをやってこられたんだろうなぁ、と感じさせる。 当時の世間的にはファッションアイコンでしかなかったのかもしれないけれど、彼女の中には鋭い知性と激しい情熱と、それを表に出さない自制心があった。 けれど暗殺事件がきっかけで、そのタガが緩む。 そこに狂気が顔を出すのだ。

  ジャッキー5.jpg あぁ、ジョン・ハート!
 ジャッキーが相談する神父さんの役として登場。 やっぱりこの人、声がいいよなぁ、としみじみ(彼がナレーションを担当する映画はクオリティが嵩上げされる感じがある)。 彼女が頼ってしまうのは神父というだけではなくこの声がもたらす穏やかさによるものではないかなぁと思ったり。 これが、彼の遺作なんだろうか・・・(涙)。

  ジャッキー1.jpg 葬儀のはじまり。
 リンカーンの葬儀をなぞるように、ジャクリーンのプロデュースにより盛大なる葬儀は行われる。
 今でも歴代大統領の人気投票で上位に食い込むジョン・F・ケネディ像をつくり上げたのは自分である、という自負が、このときの彼女にはある。 自信なさげにホワイトハウスを案内していた、美術品で飾りすぎじゃないかといわれてなんとか精一杯に反論していた彼女はもうそこにはいなくて、二人の子供を、亡き夫の名誉を守る未亡人として凛々しく佇む強い女性がいる。 内なる狂気をすっかり覆い隠して。
 これはジャクリーンという女性の形を借りた、ナタリー・ポートマンのための映画。
 伝記映画の形をとっているものの、どこまでが真実かはわからない。 「JFK伝説をつくったのは彼女」というテーマなんだろうけれど、そのテーマのために構成された物語という気もして・・・やはりもう歴史上の人物のことなんだから、創作が入っても気にするべきではないのかも。

  ジャッキーローズベリーティー.JPG 『ジャッキー』をイメージした映画館オリジナルドリンク<ローズベリーティー>を飲んでみました。
 結構ローズの味が強い感じ。 ベリーの味もするけど、ローズが勝っている。 ホットもあるので、それだとまた違った味になるのかもしれない。 フレーバーティーとしては飲みやすかったですよ。

ラベル:外国映画 映画館
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2017年04月22日

にぎやかな落葉たち/辻真先

 手にとってあらすじだけ読んだとき、「シリーズ化できるんじゃない?」とさらっと思いましたが・・・第一章まで読んで「あ、これはシリーズ化など考えてない、これ一冊で終わらせる気だ」という作者の気概を感じました。
 何故ならば・・・人のよさそうな登場人物が続々登場するものの、彼らが抱えているものがそれぞれかなり重たい、ということがわかってきてしまうから。
 小さなグループホーム<若葉荘>は北関東の山間部にひっそりと佇む。 そこは元天才少女作家として一躍マスコミの寵児となったものの、小説以外のことで潰されて以降、地元で親の介護をしていた野末寥が、両親を看取ってから立ちあげ、オーナーとして、かつ世話人として携わっている。
 グループホームとは、単なる老人ホームではない。 本書によれば「病気や障害のため普通の生活が困難になった人たちが、一般の住宅で集団生活する施設」とのこと。 バリアフリーなテラスハウスという感じ? なので<若葉荘>の住人たちにはご老人もいるけれど、車いすの40歳もいるし、住みこみスタッフには17歳もいる、といった具合。
 17歳にしてはしっかりしてるな・・・という綾乃さん、作者がお歳だから昔の価値観で書いてるから、ではなくて、いまどきの17歳がなんでこんなに肝が据わってて立ち居振る舞いもしっかりしているかをその生い立ち故であると読者にわからせる。 その境遇がかなり修羅です。 でもそれだけつらい目に遭った経験があるからこそ、探偵役ができるという説得力でもあるんですよね。

  にぎやかな落葉たち.jpg アットホームな表紙絵に騙されてはいけない。
 いや、内容は<家族愛>や<同志愛>に満ちているのだけれども。

 いじめは、やった方は忘れても、やられた方は忘れない。
 これが終戦時幼い少年だった作者のいちばん言いたかったことなんだろうな・・・。
 なんとなく、この国の進まんとしている方向が物騒である、とその当時の空気を知っている人にとっては、知らない世代よりも敏感に感じ取れるもかも。
 でも、個人的レベルのいじめに関してならば、確かに忘れてないけども(あ、あたし昔、いじめられっこだったもので)、復讐とか考えてる暇ない。 いじめっ子たちとは没交渉ということもあるけれど、自分が楽しい方が重要。 だって、「自分が幸せになることが最高の復讐」っていうじゃない? 彼らの幸せを望みはしないし、もし幸せではないと知ったら「ざまーみろ」と思うかもしれないけど、あえて知りたくはない。
 けれど、狭い町の中でずっと顔を合わせて成長していかなければならないとしたら・・・きびしいな。
 いじめっこは、常に自分の行動がいじめだとは思っていない。 自己顕示欲による権力の発露に過ぎないから、ひとつひとつのことなど覚えていられない(それだけ、そういう行動は彼らにとって日常だから)。 でも彼らも屈辱を受ければ忘れないだろう。 でも恨みの強さは、反撃できないいじめられっ子のほうが勝る。 そしてその恨みは深い。
 そんなことを、思い出してしまった。

 それでも、ラストはあたたかに締めくくられる。 それこそ、辻真先ワールド。
 ちゃんと(?)メタ効果をつけるあたりもまた。
 辻真先はもっと評価されていい人だと思うんだけど・・・ジャンルオールミックスでクロスオーバー的に横断してしまう人はひとつのジャンルにとどまれないから、そもそも評価できる人がいないのかもしれない。
 だからこそ、読者としてあたしは辻真先を支持する!

ラベル:国内ミステリ
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2017年04月21日

貫井徳郎スペシャル

 「貫井徳郎の本は買わない!」とずっと思ってました。
 彼と結婚したせいで、加納朋子さんの執筆ペースが明らかに落ちたから。
 女性のマンガ家・小説家の方々が結婚して子育てもしたりするとがくんと出版ペースが落ちるのはよくある話で、それはある程度仕方のないことなんだけど(まぁ、男性作家で本がそこそこ売れたからとギリギリまで次の仕事をしないという方もいらっしゃいますが)、やはり広義のアーティストって他に代えがきかない職業だからさ!
 理屈おかしいのはわかってます。 でも坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のです。
 でも、先日の映画『愚行録』がよかったので、どう原作を解体してあの映画になったのか知りたい・・・と思ったりして。
 また、<症候群シリーズ>が東海テレビ×WOWOWで連動ドラマ化! ついに彼もブレイクか?!
 そこで今更ながら気がついたのです。 彼の収入が上がれば加納朋子さんの生活も楽になり、執筆の時間が増えるかもしれないと。
 作品数は結構多いのに、いまいちメジャーになり切れていないのは、あたしのようなやつがいるせいかもしれない、とちょっと反省。
 やっぱりどんどんドラマ化・映画化されないと作家の知名度は上がらないものなのですね。

  症候群1失踪.jpg 失踪症候群/貫井徳郎
 以前から気になってはいたが、このシリーズの表紙、目がちかちかするのよね。
 新装版になる前はそうでもなかったのに(その分、凝っていたけど地味ではあったが)。
 これがシリーズ第一作で、二作目の『誘拐症候群』ともども現在放送中の地上波連ドラ分(Season1)の原作ということになっているらしい。

  症候群2誘拐.jpg 誘拐症候群/貫井徳郎
 目がちかちか装丁、第二弾。 ドラマは録画していてまだ観てないんだけど、WOWOWでSeason2を放送するときに、Season1もまとめて放送するかもしれない・・・(『ダブルフェイス』『MOZU』もそうだった。 ネットしていない地域があるからという配慮であるだろうが、地上波分を録画してCM切って編集してDVDに落としたあたしの努力は・・・)。 今回の地上波放送分は観るだけにしておこうかな。

  症候群3殺人.jpg 殺人症候群/貫井徳郎
 そしてSeason2の原作にあたるのがこれだそうなのですが・・・前2作と段違いの分厚さ! これを全4話でまとめられるのか?(Season1で前振りを結構しているのかもしれないが) かなり気合の入った作品のようで、目のちかちか度もいちばんです。

  愚行録文庫.jpg 愚行録/貫井徳郎
 というわけでついでにこっちも。
 映画では架空名にしてましたが、こっちでは実在の学校名がバンバン出てきてます。 国公立の学校しか行ってなかったあたしには、私立学校のイメージってさっぱり実感としてわからない(行く気もないから自分で調べないし)。 働き始めればその人が仕事ができるかどうかが重要だから、どこの学校出たかなんて興味ないし。 でもそういうのって少数派の考えなの?、って思っちゃう。 やっぱり日本は、学歴社会なのね。

  貫井徳郎スペシャル.JPG 実際は、映画化・テレビ化仕様の特大帯になってました。
 おかげで目のちかちかが気にならないのはありがたいけど、ドラマ化されるから読むのね、と思われるのは必定。
 別にいいけど! 家の外で読むときはどうせブックカバーつけるし(何を読んでるか知られたくないからではなく、カバンの中に放り込むので不必要な傷や折り目などをつけないように。 でもつくときはつくので、あきらめます)。

 で、かたくなに「貫井徳郎は読まない!」と思っていたはずのあたしなのですが・・・。
  鬼流殺生祭.jpg 鬼流殺生祭/貫井徳郎
 結構昔にこれを読んでいたことを思い出して。 作者の名前忘れてたのと、多分この頃は結婚してたの知らなかったんだと思う・・・。
 それなりに面白かったんだけど、横溝+京極夏彦って感じがしちゃって。 のちにシリーズ化したことも気づいてなかったですわ。
 ずっと昔はそんなことなかったのに、ここ10年ぐらいは読んだこと自体を忘れていることが出てきた(さすがに本そのものを見れば思い出しますが)。 いろいろやばい、と自覚するしかない今日此頃。

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2017年04月19日

変わること、変わらないこと

 ようやく仕事も体調も落ち着いてきて、人と会うことが最近増えております。
 以前の仕事で親しくなった人とか・・・神戸に引っ越して来たときは誰ひとり知り合いがいなかったのに、今のあたしは結構な数・いろいろなタイプの友人がいることに改めて気がついてびっくり。 友だちになるポイントが学生までの頃とは変わってきている、ということもあるけれど、お互いバタバタしている時期があるからしばらく連絡とれない期間があっても、それはそれと受け入れられるからでしょうか。 だって仕事場を離れちゃったら、数カ月間隔で会えることのほうが稀だもんね。 一年に一度会うだけでも、十分うれしいし、ありがたいのです。
 そして改めて思うのは・・・会う人によって話す内容が違うよなぁ、ということ。
 同じようなことばかり話す相手とばかり付き合うことの方がおかしいわけで、当たり前なんだけど。 この人が相手だと深い話までできて止まらんなとか、年上の方からはいろいろ教えてもらえるな、とか、なんだかものすごく<休暇>みたいな気になる。
 新鮮で、懐かしくて、リフレッシュできて、おいしいもの食べて、楽しい。
 あぁ、こういう日がずっと続けばいい、と思うけど・・・外食費がかさむぜ!
 それぞれの都合もあってなかなか会う日が決まらない人も控えているし、GWも近づいてきたので休みだからこそ会える人もいる。
 あたしの<休暇>はもうちょっと続きそう。
 久し振りにお会いしたマダムに、「でも、全然変わってなくてうれしいわ〜」と言われたあたし。
 変わるほどもう成長しないトシだということもあるけれど・・・本質的な部分は大学生の時から変わっていないような気がする。 好奇心の赴くままに生きる的な部分とかは。
 働き続けてることで世間慣れしてきてる部分はあると思うけど・・・でも結局それは表面的なことなのよね。

  マザームーンカフェストロベリーNY.JPG ストロベリーNYチーズケーキ@マザームーンカフェ
 NYチーズケーキという割に、結構軽かった・・・下がタルト生地でなくスポンジなのもちょっと残念。 でもそう思わなければ、十分おいしゅうございました。 ネーミングのイメージって大事。

 大学時代の友人(現在、東北在住)とも、長電話しちゃった。
 学生時代の影響か、話し始めるとお互い時間を忘れてしまうのがおそろしい。 そんなに頻繁に電話をかけあっているわけではないから余計に。 なんたって学生の頃は、同じ建物に住んでいたから徹夜で喋り倒すとか普通だったし。 でもそんな彼女も今や二児の母である。 ぼやっとしているあたしとは全然立場が違うのだが・・・それでも変わらずに話せることがうれしい。
 そういうのって、なんだか家族っぽいよな、と思ったりして。 実際の家族とは違うけど、心の家族というか。
 結果的に心の家族が増えていくことで、あたしが生きていくことを許してもらえてる。 だからあたしは生きていられるのかもしれない。
 ほんと、歳を重ねるごとに、だいぶ図太くなりました。
 みなさんのおかげです。 本当にどうもありがとう。

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2017年04月17日

雨の日は会えない、晴れの日は君を想う/DEMOLITION

 顔は好みじゃないはずなのに、何故か気になってしまう人、いますか?
 あたしにとっては、ジェイク・ギレンホールです。
 よく考えたら彼との付き合い(?)も結構長いんだけど(彼がティーンのときからだからなぁ)、それでもやっぱり彼の顔が好きだとかハンサムだとか思ったことがない。 なのに彼が出ているならばその映画を観てみようか、と思ってしまうのは・・・好きだからでしょうか。 「顔は好みじゃない」みたいな浅はかな感想を越えて、彼の役者としての実力がすごいからということなのかもしれない。 いや、実際すごいんですけど。
 そんなわけで、『雨の日は会えない、晴れの日は君を想う』です。
 ウォール街で働くエリート金融マンのデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は仕事も順調、社内でもいい地位にいるが、社長は妻の父親なので微妙な気分。 でも生活水準は十分にリッチ。 ある日、妻と同乗していた車が事故に遭い、デイヴィスは怪我ですんだが妻は死亡してしまう。 あまりに突然の出来事だが、デイヴィスは妻の死を悲しんでいない自分に気づく。 涙を流すこともない。 悲しみを普通に表に出せる義父のフィル(クリス・クーパー)は、デイヴィスがショックを受け過ぎているのだろうと察し、実利的なアドバイスをする。 集中治療室の前の自販機でM&Mを買おうと思ったのに商品が引っ掛かって落ちてこなかったことに腹を立てたデイヴィスは、自販機の管理会社に苦情の手紙を書いた。 何故集中治療室にいるのかということまで事細かに書き記す(内心、こんな苦情の手紙なんか誰も読まないだろうと思っていたようだが)。 しばらくして、苦情担当係だというカレン(ナオミ・ワッツ)からお詫びの電話がかかってきて、「話し相手はいますか?」と尋ねられる。 彼女はクリス(ジュダ・ルイス)という息子を持つシングルマザーで、妻を失ったデイヴィスを気遣って電話をかけてみたのだが・・・という話。

  雨の日は会えない、晴れた日は君を想うP.jpg 僕はあまりにも君に無関心だった。
   妻の死後、身の回りのあらゆる物を壊し始めた男。そして見つけた、妻が遺したメッセージとは――。

 なんだろう、この下手な詩の一説みたいなタイトル。 もしくはベタな純愛映画的なものを連想させる感じ。 原題は“DEMOLITION”(=“破壊・分解”)という直球なのに、ロマンス漂う雰囲気にしてしまうのは女性ウケ狙い? ま、確かに『破壊』ではダメだろうけど。
 妻が急に死んだのに悲しくない、というのは『永い言い訳』と同じプロットだけど、スタートは同じでもそののち辿る過程はまったく違う。 もともと彼は、妻が生きているときから感情表現をあまりしない(できないのか苦手なのか、したくないのかはいまひとつ不明ながら、全部混ざっている感じ)。 「妻が死んだのに悲しくないのはおかしいんじゃないか」と考えるから彼は誤作動を起こしていて、義父の「不具合があったときには原因を突き止めるまで分解しろ」という言葉に従ってしまうのだ。 実に真っ当な価値観の持ち主で、素直な人ではないか。

  雨の日は会えない4.jpg 生前、奥さんが「水漏れしてるの、なんとかして」と言っていた冷蔵庫を、結局極限まで分解しちゃいました。
 これでスイッチが入っちゃったのか、それまでは多分気付かなかったことが気になり始め、キーキー音を立てる会社のお手洗いの扉や、フリーズしたパソコンなど、不具合を感じさせるものすべてを分解したくなる衝動にかられる(で、彼にはそういうものを直せる腕がないので、結果的に全部壊してしまうことに)。 コントロールしようにも湧き立たない感情の代わりに、彼はあらゆる物を破壊していく。
 そんなわけで明らかにあやしい人なんだけど・・・ひいき目ですかね、ジェイク・ギレンホールだから、と思うとヘンな人に見えない。

  雨の日は会えない3.jpg クリス・クーパー、エリートというよりも叩きあげなイメージ。
 フィルは「あいつは何を考えているんだか」と嘆くけれど、実は彼はあなたの言うとおりのことを実践しているんですよ、とわかるのは観客だけ、というおかしみと切なさ。 けれど愛娘を失ったフィルも当然悲しんでいる。 「つれあいを失えば“やもめ”と呼ばれるのに、子供を失った親には名前がないってどういうことだ」的なことをつぶやく場面はクリス・クーパーのこの映画におけるハイライトです。
 でもなんとなく、このフィルとデイヴィスの二人は決定的に決別するようなことはない気がしたのよね。 だからフィルが「いい加減にしろ!」と激怒しても、「今後いっさい縁を切るぞ!」と怒鳴っても、最終的に和解するんだろうな、としか思えなくて、あまり危機感を覚えなかった。 なんでだろ? なんか義理の親子というよりも、実の親子に思えるのよね。

  雨の日は会えない2.jpg クリスもまた一緒になって<破壊>に参加。 12歳に見える15歳、でも中身は18歳な彼は、普通の大人じゃないデイヴィスになつく。
 この二人の関係も面白い。 常識にとらわれなくなっていくデイヴィスがどんどん無軌道な若者に近付いているとしたなら、クリスとは実にいいコンビというか、男同士の奇妙な友情が成立しちゃっているという。 それも結構ドライなところがとてもクール。 デイヴィスのほうが経験と知識はあるから、クリスにかけるアドバイスも直球で身も蓋もない(でもそれがクリスには心地よいらしい)。 普通なら答えに困りそうな質問にも、オブラートでくるまず、ダイレクトに、しかも真面目に答えちゃうデイヴィスくん、結構いかれてる。 ま、建物の解体工事現場を通りかかって、「僕にも手伝わせてくれ」と申し出る(挙句の果てに手伝うのに金払う)くらいだから、やっぱりいかれてるよね。
 余談ですが・・・その現場で古い釘を踏んで怪我したデイヴィス、シャワーで傷を流して終わらせる姿に、「えっ、破傷風になったらどうする! 病院行こうよ!」とつい思ってしまったあたしはつくづく日本人でした・・・(破傷風菌は日本の風土病でしたね)。

  雨の日は会えない5.jpg あえて疲れたシングルマザー感を出すため、ナオミ・ワッツはメイクダウン。

 また、苦情係のシングルマザー・カレンといわゆる想定内の関係にならないのも素晴らしい。 一般的に考えられるところの“慰めを求める”という行為が、いかに陳腐なものだということがよくわかる(そして、他人の想像がいかに低俗的かということも)。 むしろ、受けた衝撃を悲しみなどの名前のつくものにわかりやすく変換できる人のほうが精神的に強くて、揺るぎがないのかも。 どうしようもなくて感情を整理できない人ほど、混乱は遅れてやってきて、他の人からは特異に見られがちになってしまうのかも。 みんな、それぞれの事情があるのにね。
 そんな感情の起伏に乏しい男が、あらゆるものを破壊しながら自分の中にあるものの正体を探ろうとする。 あぁ、ジェイク・ギレンホール以外の誰が、この役にこれだけの説得力をもたらせるだろう(はっきり言ってしまえば、ただのヘンな人で終わってしまうのに)。 お怒りになるフィルに、「まぁまぁ」と観客としてなだめたくなってしまうのは、やはり彼の側に立って観ているからだ。 多分、自分の近くの人に起こった出来事ならば、義父さんのほうの行動が常識的だと感じてしまうだろうから。
 感情の起伏が乏しい故に、些細な動きが大きな意味を持つのだ。

  雨の日は会えない1.jpg なんというか、微妙な表情がうまいよね。
 それを見逃さないように、けれど大袈裟に表現しないように、ジェイクは細心の注意を払いつつ見事計算どおりに演じてる。 こういう役は以前から得意ジャンルだとは思うんだけど、どこまでこの人は行くつもりなんだろう。
 パーツだけ見たらどうまとまるのかまったくわからないこの物語を、素晴らしく美しいエンディングにまで持っていった脚本もすごくいいし、トリッキーなことはしない正統派の演出もこの映画においては正しい選択。 ほんとに感動的なラストを迎えたことにびっくり。 ナオミ・ワッツの役が思っていたのとちょっと違った(というか、彼女の息子はもっと早くから登場するのかと思っていた)けど、ピンポイントで爆発力を発揮するのはさすがです。
 それにしても・・・ジェイク・ギレンホールとクリス・クーパーが義理の親子に見えないのはなんでかしら?、としばし考えたら、『遠い空の向こうに』でこの二人は実の親子だったんですよ! もう15年くらい前の映画ですけど。 その頑固おやじとそれに対抗する息子の姿があまりにもぴったりで、その残像を見てしまったようです。 現場でもお二人はそんなこと話したのかな? ふとそんな妄想まで浮かんだり。
 ポエジーな邦題だけれど、その言葉の原型は映画の中にちゃんと出てきた。 いろんな意味で、想定外だったなぁ。

ラベル:映画館 外国映画
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2017年04月16日

今日は11冊(その2)。

 というわけで、マンガが5冊。
 引き続き、文庫のほうは。

  刺青の殺人者.jpg 刺青の殺人者/アンドレアス・グルーバー
 『夏を殺した少女』の続編(といっても事件解決組が同じだけで、物語としては独立している)。
 「オーストリアから本格ミステリ作家登場!」と日本でも紹介されてから何年か経ってますが、アンドレアス・グルーバーは今もオーストリア・ミステリ界の頂点に立っている模様。

  コードネームヴェリティ.jpg コードネーム・ヴェリティ/エリザベス・ウェイン
 これは先月の新刊で、迷っていたのだけれど結局買うことに(迷っていたのは戦争・スパイものっぽかったから。 なんか最近、このジャンル多くて)。
 でも<女同士の友情物語>っぽいんだもの。 それはやはりはずせない。
 それでいて、帯によれば<「謎」の第1部。 「驚愕」の第2部。 そして、「慟哭」の結末。 MWA賞受賞、再読必至の巧緻なミステリ>だそうなので。
 はかなげな表紙も好き。 うおー、読みたい。 でもなんか読むのもったいない。 そういう気持ちにさせられる。

  未来へ1.jpg未来へ2.jpg 未来へ・・・/新井素子
 『星へ行く船』全5作の新版も完結したと思ったら、このタイミングでの新刊文庫化。
 じゃあ、まぁ、読んでみようかな、と思うじゃないですか。 懐かしさを埋められた勢いというか。
 いつからあたしは新井素子を読まなくなってしまったのだろう。 ハードカバーで出されちゃうと文庫化を待つしかないのだが、いつもあたしがチェックする出版社ではないから、かな。 それとも時期的にタイミングが合わなかったか(今はオンライン書店から新刊情報のメールが来るのでわかりますが、それ以前って新刊コーナーに行くタイミングと合致するか否かみたいなところがあったから)。
 しかもこの話は、事故で双子の片方を失った母親が主要人物で。 新井素子が“親”を描くとは! なんかすごく意外。

  幸福はただ私の部屋の中だけに.jpg 幸福はただ私の部屋の中だけに/森茉莉
 新編集による森茉莉エッセイ集も、これで最後なのかな。 そう感じさせる編者あとがきと解説でした。
 時代とともに忘れ去られそうになっても、熱烈なフォロアーがいれば決して消え去ることはない。 彼女はそんな典型のような気がする。 森鴎外の娘だけれど、多分今、森鴎外よりも著作は手に入りやすいのではないだろうか。
 森茉莉の生き方は、きっと今の時代の迷える女性たちにとって偉大なる規範に見えている。

  グイン141.jpg 風雲のヤガ<グイン・サーガ>141/五代ゆう
 グイン、141巻目です。
 別作者によって再開してから、買い続けていますがまだ全然読んでいません・・・。
 このハードルを越えられる日はいつなのか。
 そのときには、晴れて<一気まとめ読み>ができるのでしょうが・・・今はまだ手が回りません。

ラベル:新刊
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2017年04月15日

今日は11冊(その1)。

 4月に入って、なんかやっと落ち着いてきたようなきていないような。
 でも花粉症の症状が出てきているような気もします・・・。
 あぁ、すごしやすい季節は終わりを告げた。

  海街ダイアリー08.jpg 海街diary 8 恋と巡礼/吉田秋生
 『海街』も8冊目。 ゆっくりとではあるが、確実に時間は流れていく。
 もしかして、4姉妹が一緒に暮らすことがなくなる時期が、この物語の最終回?
 それはせつなすぎるので(時期的にももうすぐだと見えてしまっているので)、もうちょっと続きを。 それで「えっ、こんなところで終わるの?!」というなにげない場面で終わってほしい。
 それでも、彼女たちの日常は続く。 そう信じていられる物語だから。

  東京タラレバ娘08.jpg 東京タラレバ娘 8/東村アキコ
 逆に、「えっ、もう出るんですか?!」と驚きの『東京タラレバ娘』。 3ヶ月に一冊ペースで出すスケジュールでも組まれているのでしょうか。 その間に、作者が入院したようで、話は7巻の終わりから進んでいるようでまったく進んでいない!
 こういう中途半端なもの出されても・・・雑誌読んでるのと同じ感覚になっちゃうよ。 発売日延期でいいから、もう1エピソード収録してほしかった。

  七つ屋04.jpg 七つ屋志のぶの宝石匣 4/二ノ宮知子
 こちらは宝石やブランド物をめぐるエピソードがそれぞれ面白いので、メインストーリーが進まないことなどまったく気にならない。 一話完結ベースなのがよいのでしょうか。
 バブル幻想を引きずる女性と、SNSでのリア充自慢を「結局、同じことなのかも」と見てしまう志のぶの姿は、流行に乗れる者と乗れない者という永遠の対比でもあって。
 今回は扱われる宝石の種類が少なかったのと、志のぶが“恋”(?)を意識しつつあるのが「ちょっと早いぞ!」と心配。
 謎の人物が出てきて話も次から進みそうだし、もうちょっと<宝石エピソード>をゆっくり楽しみたいのですよ。

  G線上のあなたと私3.jpg G線上のあなたと私 3/いくえみ綾
 『あなたのことはそれほど』がドラマ化で話題ですが、あたしはこっちの方が好きなんですよね・・・。
 いい大人が始めるヴァイオリン、G線上のアリア。 子供の頃ヴァイオリン習っていたあたし、ドストライクな設定です(あたし自身は当然のように挫折していますけどね)。 だからなかなかうまくなれないことにいら立つ&練習すればするだけ(ある程度までは弾けるようになる)ってとこ、リアルにわかりますわ〜。
 元OL、大学生、子育て中の主婦、という、ヴァイオリン教室がなければ絶対に出会えなかっただろう3人が仲間になっていく過程が最高にキュートで。 だからもう3人の発表会のあたりでは涙が止まりませんでしたわ。
 3巻でひとつの到達点を迎えてしまった感じ。 このあとは恋バナメインに移行するのか?!
 でもヴァイオリンを大事なモチーフにするのは忘れないで〜。

  花冠の竜の国アンコール4.jpg 花冠の竜の国 encore4/中山星香
 うーむ、あたしはいつまで読み続けるのだろうなぁ、これを。
 手の引き時を見失った感がある・・・。
 親になったにもかかわらず、相変わらずすぎるリゾレット。 あなたに成長を期待するのはむだなのか・・・(いや、成長してないわけじゃないんだけど、エスターに対してだけほとんど昔から態度変わってないというか。 それは自分自身の自身のなさ故だろうけど、エスターを信頼していないってことにもなるのでエスターに失礼じゃないか、といいおばちゃんになってしまった自分は思ってしまうのです)。
 とりあえず“encore”が終わるまではお付き合いしましょう。

ラベル:新刊
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2017年04月13日

砂時計は血の匂い【和田慎二傑作選】/和田慎二

 『亜里沙とマリア』に引き続き、和田慎二傑作選(書籍扱いコミックス)の2冊目が登場!
 最初はタイトルだけの告知だったので、「あぁ、今回は『愛と死の砂時計』『オレンジは血の匂い』か」と思っていたのだけれど・・・実際に本を手にしたら、帯に<神恭一郎VS西園寺京吾>の文字。
 いや、このふたりは昔の友人ではあるけれど、直接戦ったことはないはずだけど・・・。
 どうやら、神恭一郎登場作品の代表作ともいえる2編に、西園寺京吾の作品も収録されているから、という意味らしい・・・。
 あぁ、びっくりした。

  和田慎二傑作選砂時計は血の匂い.jpg この絵のタッチが・・・懐かしいけど同時に安定感をもたらすなぁ。
 そんなわけで、収録されているのは『愛と死の砂時計』・『オレンジは血の匂い』・『パニック・イン・ワンダーランド』・『バラの追跡』。

 『愛と死の砂時計』<和田慎二版・『幻の女』>というべき作品で、あたしは本家や類似作品よりもこっちを先に読んでしまっているため、この作品が基準になっておりました。
 でも今回改めて読み直してみて・・・まず視点が違うこと(『幻の女』をはじめ、ほぼ身に覚えのない罪で投獄される男の側から描かれているものが多いけど、これでは男の内面描写はほとんどなくて、彼の婚約者視点で物語が動く。 少女マンガだから、と言われるとそれまでですが)、そして中盤でもう犯人が読者にはわかってしまう!、ということ。 探偵役が真相に近付いたと思えば手掛かりを持つ人物が先んじて殺されていく、という展開だけで十分ハラハラものなのに、犯人が身内にいると早々にばらしちゃって一緒に犯人を追うのだからハラハラ度倍増! 元ネタを越えよう!、という気概を感じます。
 そしてブルマン立て続けに3杯飲んじゃう、神さんのクセ(?)も思い出してうれしかった。

 『オレンジは血の匂い』も、和田慎二復讐シリーズ(?)の中で好きな作品の上位に食い込む作品です(今は『深海魚は眠らない』がダントツの一位なのですが、それが現れるまではこれが一位だったかも。 『銀色の髪の亜里沙』は別格)。
 カメオのつくりかたもこれで学びました。 その当時小学生、以後、大学生ぐらいになるまで「カメオのつくりかた」が一般常識ではないことに気づかなかった!、というくらい、あたしはマンガから大量の知識を得ています。 でもそれが普通だと思っていたんですよ・・・だから最近は、そういう話が通じる人に出会うとものすごくうれしい。 全然違うんだけどちょっと「戦友」ぐらいの気持ちになるというか。
 この作品は細かな章立てが特徴で、結構めずらしいかなぁ、と思う(他には川原泉の『銀のロマンティック・・・わはは』ぐらいしか思いつかない)。
 ヨーロッパ観光ツアーのように各地を転々とし、ヒロインは命の危機に瀕し、と今思うと二時間サスペンスドラマ要素てんこ盛りなのではありますが、和田慎二世界においては一切がなんの違和感なく存在してしまうすごさ。 神さんはお国柄に合わせてカプチーノ3杯だし。

 『パニック・イン・ワンダーランド』は<マンガ・ファンロード1号>に掲載されたお遊び原稿。
 和田慎二レギュラーキャラクター勢揃い。 これだけ1985年のものですが(他の作品は1973年・74年)、人気マンガ家であるが故に通った企画という感じ。

 そして『バラの追跡』
 海堂美尾と西園寺京吾の出会いを描いたものですが・・・前半があたしの記憶と全然違う!
 でもラストは同じで、なんでだろうと思っていたら、和田作品で唯一のリメイク、『バラの追跡』を読者の対象年齢をあげてもう一度新たに描き直した『バラの迷路』があるとのこと。 あたしが読んだのはそっちだ!
 美尾さんはその後、神恭一郎探偵事務所の秘書として働くことになるので、彼女の人生は『スケバン刑事』でもやんわり語られることにはなるのだが・・・(そこで、西園寺京吾と神恭一郎の繋がりも判明する)。
 こうやって別作品の登場人物が繋がっていくのがまったく不自然にもやっつけにも感じられないのは、裏シナリオがきっちりつくられているからだろう。 最近のマンガ家さんでそこまでしている人ってどれくらいいるのかな、ってちょっと考えた。

 あと、美内すずえロングインタビューと、いろんなマンガ家さんからのトリビュートイラスト集。
 これの版元が秋田書店である、という関係上か、トリビュートに出てくる人たち、もっと大物を集められないのか・・・という個人的に若干の苛立ちは感じます。
 でも美内すずえロングインタビューはそれなりに読み応えあり。 全盛期の仕事のやり方等は勿論面白いし興味深いのだけれど、いちばん切なかったのは、訃報のあと、悲しみを紛らわしたくて和田作品を読みふけろうと思ったのに、自分のは書庫に仕舞っていてすぐに出せる状態じゃないからとマンガ中心の本屋に行ったのに、若い店員さんに“和田慎二”が通じなかった、というくだり。
 「いつの間にこんなことになったんだろう・・・」、という言葉が、重い。
 けれど美内すずえ作品も、『ガラスの仮面』以外を手に入れようとしたら結構難しいのではないだろうか。
 マンガだけじゃなくて小説もそうだけど、描く方は命を削って仕上げているのに、出版点数の増大と書店や出版社の物理的スペースの関係上、絶版に追い込まれるペースはどんどん早まっている。 それにマンガはどうしても「リアルタイムで読むもの」というイメージがあるから、よほど好きだったりなにかきっかけがない限り、過去の作品までさかのぼって読もうという人は少ない。 時代が変わればどうしても描写が古くなる・使われる言葉が変わるから(『バラの追跡』でも“シュレッダー”に注釈がついていた、これは当時にしては新し過ぎた単語だったんだろう)、なにかブームがこないことには再版されない。 これはもう、出版業界の宿命としか言いようがないのだが。
 こうして新たな作品集が編まれるのも、結局「和田慎二が死んだから」なのだ。 なんだろうなぁ、まったく・・・。
 だからこそ、「自分にとって大事な作品・作家」に巡り合える幸運を、読者はかみしめるしかない。

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2017年04月12日

パッセンジャー/PASSENGERS

 期待のSF映画『メッセージ』の前に、観ておきたいもうひとつのSF映画。 よくあるタイトルなので今後混乱しそうですが(何年か前にアン・ハサウェイ主演の『パッセンジャーズ』というSF映画もありましたしね)。
 なんかジェニファー・ローレンス、すっかり大物になってしまいました。

  パッセンジャーP.jpg 乗客5000人 目的地まで120年 90年も早く 2人だけが目覚めた
  理由は1つ――。

 冒頭の、巨大宇宙船が小惑星隊を抜けていく一連のシークエンスの迫力がすごかった。 宇宙船の形も科学的に意味のあるスタイルで。 さすが3D上映(とはいえあたしは2Dで観たんだけど、2Dでも十分感じ取れる迫力でした)。
 他惑星への移住が可能になった近未来。 120年かけて新たな入植地に向かう宇宙船アヴァロン号は乗員乗客約5000人を乗せて自動操縦で動いており、乗員乗客はコールドスリープのカプセルに入っていた。 しかし当初の予定よりも90年早い段階で一人目覚めてしまったエンジニアのジム(クリス・プラット)は最初そのことに気がつかず、120年たったと思っている。 コールドスリープ覚醒後なのですぐに頭が働かないのも原因のひとつ。

  パッセンジャー3.jpg 事態を把握するのにしばらくかかって・・・絶望。
 他の惑星に入植できる技術ができてるなら、人間の寿命ももう少し伸ばせるようにはなってないのか、とつい思ってしまったが、生命の神秘はまだまだ解明されていないようです。 というわけで到着するまで90年、再びコールドスリープに入らなければ、彼は船の中で生涯を終えてしまうことになり・・・そして若き作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)も目覚めて、一体何が起こっているのか・・・という話。
 この二人しか出てこない(正確にはロボットバーテンダーに扮するマイケル・シーンと3人)と思っていたので、途中で現れる意外な豪華キャストにちょっと興奮したのはあたしだけかしら。 なんか得した気分になっちゃった。
 <アダムとイヴ>的な話に終始するのかと思いきや、ちゃんと清く正しきSF映画でそのことにも盛り上がる。

  パッセンジャー1.jpg なにか解決策はないものかと船内をうろついて・・・やばいものを見つける。
 勿論、「このままでは目的地に着く前に死んでしまう。 誰にもそのことを告げることもできないままに」という事実を前にしての葛藤というか、事実を受け入れられなくて苦しむ、という描写も必要十分表現され、ジムとオーロラのどちらに感情移入するかという選択権も観客には与えられるという親切設計。 しかも「目覚めたことには意味がある」としてくれる展開など、絶望的な状況なれどちょっとした希望をそこここに散らばしてくれるので、観ている側もそこまでシリアスにならなくてすむのですよね。 ユーモア担当のバーテンダーロボットさんのおかげもあるけど。
 それに映像が美しいのよね〜。 特に宇宙。 この光景を一人占めできるのも悪くない、と思えてしまうくらいに。

  パッセンジャー5.jpg すっかり「いい女」を演じちゃってるところがすごい。
 そしてジェニファー・ローレンス。 素の彼女は超美人というわけではないと思うのですが、雰囲気美人というか、その演技力で“知性と美を併せ持つ類まれな女性”という存在になりきっているというかそう見せちゃっているというか・・・ついこの前まで小娘感全開だったのに、すっかり<大人の女性>になってしまっていることにびっくりでした。 しかも育ちのよいお嬢様基準でのじゃじゃ馬にちゃんとおさまっているという・・・そりゃ一介のしがない技術者であるジムにとっては高嶺の花、一発でKOされちゃうのも仕方ないよね、という感じ。 そりゃ彼女のためにいろいろがんばっちゃいますよね。
 で、SF映画として素晴らしいところは、非日常の中にある日常をきちんと描いているところ。

  パッセンジャー4.jpg パニック状態が永遠に続くわけではないし・・・普通に生活している時間をあらわすことで非日常描写への説得力が増す。
 それは登場人物たちの存在感にもつながるわけで・・・こういうところをおろそかにしちゃうとリアリティがなくなるのよね。 逆にそういうディテールをしっかりしておけば、多少荒唐無稽な展開が待っていたとしても受け入れやすい(極端な例:『シン・ゴジラ』)。 そういうのがね、SFの醍醐味だと思ってしまうわけなのです。 だからラブロマンスや人間不信が入ってきても全然邪魔にならないし、むしろこの場合必要だと思える。
 ツッコミどころがないわけではないんですが、そこもまたSF黄金期の作品群を思い出させるというか、ちょっとご都合主義入ってても許せちゃう。 SFへの愛を感じてしまうからですかね。

  パッセンジャー2.jpg You die, I die.
 途中の葛藤があるからこそ、「結局、頼れるのはお互いしかいないのだ」と気づいたら、相手のために死ぬ覚悟もすんなりできちゃう(特にジムくん)。 そういう非現実的な展開も、SF要素があればこそ自然に受け入れられるわけで。
 それを運命と呼ぶのなら、人はそれを受け入れてどう生きるのか。 それともあえて立ち向かう道を選ぶのか。
 黄金期から続くSFの変わらないテーマのひとつを、最新技術で映像化したという意味でも大画面で見るにふさわしい映画だったなぁ、と。
 思っていたよりもずっと、見ごたえがありました。
 こりゃ『メッセージ』は相当期待できるんじゃないか! あたしのハードルはどんどん上がっております。

ラベル:外国映画 映画館
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2017年04月11日

雪の炎/新田次郎

 改めて考えると、新田次郎作品で完全なるフィクションって初めてかも・・・。 
 ずっと、実話ベースのドキュメンタリー小説ばかり読んでいたかも。 それくらい、あたしの中の新田次郎のイメージを覆される作品だった!
 しかも雑誌『女性自身』にもともと連載していたものを全面的に改稿したものとのことで・・・ゴシップ週刊誌だと思っていたけれどそういうのも載せるんだ、ということでびっくり(あたしが週刊誌読まないので・・・もしかしたら時代のせいもあるかもしれないけど)。 だから主人公を女性にしたのか!、ということも驚きのひとつ。
 ほんとに新田次郎って、その当時の流行作家だったんですね。

 谷川岳に向かった男女五人の混合パーティで縦走中、リーダーの華村敏夫だけが疲労凍死(今ならば低体温症での死亡)した。 ずっと山をやってきて、その危険性も十分承知しているはずの兄が一人だけ死ぬなんて・・・と納得のいかない妹の名菜枝は、遭難現場に居合わせたメンバーに不審を抱き、関係者に接触を図る。 更にはその遭難事件に興味を持つ謎の外国人が現れて、名菜枝は自分が今までまったく知らなかった山の世界に足を踏み入れることになる・・・という話。
  雪の炎.jpg あれが、谷川岳ですか?
 さすがフィクション。 山、遭難を題材としていながらも、これまで読んだことのある<ベースは実話もの>とは文体からして違うような。 勿論、登山ルートや行程などは現実のものと差はないですが。
 実在の人物の心情は安易には語れないけど、架空の人物ならばどう思おうが、どういう台詞を言わせようと自由だろう、という感じなのか、登場人物たちがやけに生々しい。
 しかも読者の大半が女性であることを意識しているためか、“甘ったれた口調で他の人に話しかける女”や、“お嬢様育ちという割に、ちゃっかり打算的”みたいなタイプに非常に厳しい評価を! これって当時のフェミニズム?
 それとは対照的に、凛々しき女性の代表として登場するのが主人公の名菜枝。 けれど彼女にも「自分はなんて執念深い女なのかしら」と内省させつつも、兄の死の真相を追う手綱は緩ませない。
 ふーん、こういうのが当時の<よくある恋愛パターン>なのかなぁ。 すぐ結婚とつなげるところには時代を感じるけれど、それ以外は意外とそんなに変わってないかも・・・。
 あらすじ紹介のところに“産業スパイ”という単語があって、さすがにそれってどうよと思ったのだけれど、社会人山岳会というものの成り立ちを考えたらありえない話ではないな、と納得。 そこにはこれまでのノンフィクションで積み上げられた取材力からこぼれたらしきリアリティが。
 なんだかんだで結構一気読み。 ミステリという観点からいえば謎は途中でわかってしまって、後半は関係者がそれを認めるかどうかにかかってくるだけになってしまうのだけれど、その“裁判”を山でやるとか、人間ドラマ寄りになるところが新田次郎の本質はミステリ作家ではないとわかって面白かったです。
 いろんな意味で、興味深いものがたくさん詰まってた。

ラベル:国内ミステリ
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2017年04月09日

マン・ダウン 戦士の約束/MAN DOWN

 ポスターのイメージから、「終末感漂う滅亡系、しかも軍人が絡む作品をシネ・リーブル神戸でやるなんて珍しい〜」と思い、ほぼ興味本位で観た。
 シャイヤ・ラブーフくんが特に好き!、というわけでもなくて、ほんとにたまたま。 またちょうどタイムスケジュールがそのとき都合のいい時間だったのもタイミングで(一週逃すとガラッと変わってしまうこともあるので・・・公開2週目以降はほんとに上映時間を読むのも難しいのですよ)。

  マンダウンP.jpg 愛する者を守ること。 ただそれだけが男の願いだった――。
   衝撃のラスト7分46秒、あなたの心は“えぐられる”。

 アメリカ海兵隊の一員、ガブリエル・ドラマー(シャイア・ラブーフ)は妻のナタリー(ケイト・マーラ)と息子のジョナサン(チャーリー・ショットウェル)を残し、アフガニスタンへと向かった。 妻子との再会、無事の帰国を心の支えにして過酷な任務に耐え、ようやく帰還を果たすことになったのだが、戻っれみればアメリカは廃墟と化し、故郷の街に辿り着いても住民たちの姿はどこにもいない。 一緒に帰還した親友のデビン(ジェイ・コートニー)と共に、ナタリーとジョナサンを懸命に探すガブリエルだったが・・・という話。
 ちなみに「マン・ダウン」とは、なんらかの理由で兵士が戦闘不可能な状態になることを指す軍隊用語。
 時間軸が混在していること、これがこの映画のいちばんの特徴。 というか、時間経過通りに描いてしまったら筋立てはごくごくシンプル、むしろ退屈なものになってしまうかも。 何が起こっているのかわからない、という混乱具合が観客を引き込むし、ガブリエルのパニックさ加減にいささかでも共感できるから。

  マンダウン4.jpg inアフガニスタン。
 海兵隊訓練時代の様子も挿入される。 いかにしてガブリエルが一人前の兵士となったのかの過程が描かれることで、サバイバルな日常を生きるのちの姿に説得力が出るわけで。
 シャイア・ラブーフくんはそんなに好きだと思ったことはないのですが(しつこい)、これは好演だったな〜。 タフさと弱さ、冷静さと混乱、非情さと優しさ。そんな相反する感情をうまくミックスしていた。 というか息子がいてもおかしくない歳になったのねー、としみじみしちゃったというか。

  マンダウン2.jpg 上官との面談。
 アフガニスタンの作戦中になにかあったようなのだ。 上官(ゲイリー・オールドマン)がガブリエルに何があったのか語らせろうとするのだが、ガブリエルは詳細な説明を拒む。
 このあたりからこの映画が構造的に仕組んでいるものの正体が見えてくるのであるが・・・見えたからといってロジカルミステリのようにすっきり爽快とならないところがそもそものテーマと絡んでいるところで。 どんどん気持ちは重くなる。 彼が背負ってしまったものの深刻さや、根の深さといったものに。
 でもゲイリー・オールドマン、最近老け役な感じが多かったからちょっと若く見えちゃったよ。
 いろいろ語るとネタバレになってしまうので多くは言えないが、ポイントになるのは荒廃した街でスティーヴと名乗った何かを知っているようでいて何も知らないと語る謎の人物の存在。 これがクリフトン・コリンズ・Jrだったのでびっくりでした。 なんか久し振り!(オープニングクレジットで気づかなかったのは、「クリフトン・コリンズ」と出ていたからだ。 いつの間にJrがなくなったのだろう。 改名?)、とうれしくなる。 気になる俳優さんに不意に遭遇できるほどうれしいことはない。

  マンダウン1.jpg ついに息子を奪還、が・・・。
 で、いろいろ要因はあるのだけれど、これもまた<父と息子の物語>だったりするのだ。
 そういう<男同士>の観点から見ると、心配してばかりのような妻・母親って邪魔者のような存在に描かれがちなんだよね。 でも母と娘や母と息子を描けば父親の存在が微妙になるし・・・親と子の関係というものを両親と子供同等に描くことは難しいのだろうか(もしくは理想的過ぎて物語にならないとか?)。
 そう考えると上官と彼の関係も疑似親子的ではあるのだ。
 自分の立場から精一杯な気遣いを見せるものの、心がかたくなな彼には届かない的な、そこは屈折した関係ではあるのだが。
 とはいえ、<戦争>というものがどのような形であれあらゆるものを破壊してしまう、破壊されていないように見えても中身はわからない、ということには変わりはなくて。 なのでこれもまた、SF的手法を借りた反戦映画といえるだろう。
 なんでミニシアター系で公開になったのか、納得。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする