個人的な話ですが・・・あたしの下の妹が、もうずっと前から渡瀬恒彦ファンでして、もう20年くらい?、「恒彦」と呼んでおります(普通の若者がアイドルを呼ぶがごとく)。 ま、それは妹が2時間サスペンスドラマが子供の頃から大好きだったせいなのですが(なにしろ、「十津川警部は警察をやめてからタクシードライバーに転職する」と普通に思っていたくらいで。 子供なんでそのへんはご容赦ください)。 最近、そのことについて話し合い(本人はそんなことを言ったことなどすっかり忘れておりましたが)、「十津川警部は警察で働いていない時間、タクシードライバーに変装して事件を解決している」と思っていたのではないか、ということに落ち着きました。 それならば名前もキャラも違うのも、変装してるからで説明できるから(現職の刑事さんたちが彼に従っちゃうのもその誤解を助長したのかな)。 放送している局が違うとか、そのへんは気にならないようで。 渡瀬恒彦が演じている=同じ人、と思っちゃってたみたいですね。 本人の名誉のために申し上げれば、そう思い込んでいたのは一時期ですから。
そんなわけで、あたしより一回り以上年下の下の妹ですが、大変好みが渋いです。
なので『9係』や『おみやさん』など観ていて、「今日の恒彦はいいね!」というメールが飛び込んでくること多々、だったのです。
しかしあの朝は、恒彦の訃報を伝えるメール。 あたしはそのちょっと前に知ったのだけれど、妹にメールするかどうか悩みましたよ。
だって『相棒』のあとの予告で『9係』の告知に恒彦の映像出てたし、このスペシャルドラマの撮影も終わったと聞いていたし、ご病気だということはうっすら耳に入っていたんだけれど、あまり詳しく知りたくないからテレビCM見て「よかった、恒彦出るんだ」と安心していたのです。
なのに、このドラマが遺作になるなんて・・・ひどいよ。
なので、<渡瀬恒彦の遺作>であることをいったん忘れて、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を現代日本に置き換えたドラマとして改めて観てみたい。
「現代日本に置き換える」というのがまずやばいフラグなわけですが、脚本が長坂秀佳だと事前に知っていたのでまぁ大丈夫かなというか、とんでもなくひどいものにはならないだろうという安心感はありました。 監督は和泉聖治。 『相棒』Season15をあまり撮ってないなと思っていたらこっちを撮っていたのですね!
なんというか・・・「みなさん、大体原作とかネタ、知ってますよね」が前提だったというか、恐ろしく速いテンポで話が進んでいくのであっというまに観てしまいました。 石坂浩二のナレーションも冒頭から「原作通り、全員死にますよ」だし。
で、現代設定なんだけど微妙にレトロ感があるというか・・・刑事さんたちが乗っている船は<ランチ>と呼びたくなるし、昭和40年代ぐらいですか?、みたいな(刑事お二人の風貌のせいもあるかと)。 スマホもドローンも登場するというのに、あえてレトロ感を残した(もしくは残ってしまった)のはアガサ・クリスティという味を重要視したせいでしょうか。
もともとはマザー・グースの一節だけど、それを数え唄にしたのは横溝風味の日本味ですね。
「一夜目の恒彦の声がかすれているのがもうつらい」とあとから妹が言ってましたが、判事役は○○な設定なので・・・訃報がなかったらあたしはこれも役づくりだと思っていたかもしれない。 だって時間軸的にはホテルにいる時より少なくとも一か月前ぐらいにあたるあるシーンではそんなに声は弱々しくなかったもの。
あえてトリック説明は省き、スピード感重視にした演出もよかったかも。 矛盾点に気づかせる隙を与えないから。
この二人を主役にしてシリーズできるんじゃない?、というくらいキャラの立ったかみ合わない二人が面白かった。 荒川良々はもともとお笑い担当的な部分はあるけれど、殺されパートでも柳葉敏郎と國村隼のやりとりにもユーモラスなところがあって、いいスパイスになっていた。 やはりサスペンスには適度なユーモアがあってこそ、より悲劇が引き立つというジャンルなのだな、と気づかされる。
まぁ第二夜は謎解き中心になるわけですが、最後に残った二人の葛藤はもう少し丁寧に描いてもよかったのではないか(お互い、自分は犯人ではないとわかっているからこそ・・・、最終的に一人になる選択をする必然性と、そのあとの行動により説得力が生まれると思うのだけれど)。 でも最後まで「殺される」ということにこだわった展開だったので、まぁそれは仕方がなかったのかと。
「動かせないガラスケースの中にある木の人形が、一人死ぬたびに一体ずつ姿を消していく」ことのトリックは刑事さんによって明かされるけど、その間「抜き取られた人形はどこに隠されていたのか」については触れられていないんだよね! 多分台座の部分に収納機能があるんだろうけど、ガラスケースの謎を解くときに一緒に説明してもよかったのに。 それとも、一応撮影したけど編集で切っちゃったのかな。 その可能性があるくらい、あるひとつのトリックについてはしつこいほどに追求するのにそれ以外のトリックについてはほぼスルーというのが、なんかもう潔すぎてどうでもいいや、と思えてしまうという。
あとやはり、最後の犯人の独白シーンがあまりにも圧巻で、実質この人が主役だよな、と思わせられてしまい。
ずっと犯人を探す側、正義の側に身を置いていた人を演じていた人が、とてつもなく得体の知れない悪を演じるという意外性と、それだけじゃなく画面からにじみ出る禍々しいまでの悪意。 それに心底ぞっとしてしまった。 そこにいたのは、まぎれもなく自覚のある快楽殺人者。
役者ってすごい!
だいたい大筋を知っている話をそれでも観ようと思わせるのは、やっぱり出ている人たちがどう演じるかを観たいから。 勿論、脚本や演出に手抜かりがあったら興醒めですが、本作はかなりがんばった出来栄えではなかったでしょうか。
橋爪功のあやしさ満点の執事もよかったけど、やはり渡瀬恒彦の存在感に尽きる。 というかこのキャスティングでも、判事役は恒彦以外思い浮かばないもんね! もしかして、長坂秀佳あて書き?、と思えるほどに。
結果的に遺作になってしまったけれど、ご本人はそうするつもりはなかっただろうし、『9係』新シーズンにも出る気満々だったみたいなのでほんとに残念でしかないけれど、彼の遺作になったことによってこの作品のグレードが上がったこともまた事実。
それが役者の“格”というものだろうか。