2017年03月25日

サバイバルファミリー

 若者が集団でまとまる映画かお仕事映画のイメージが強い矢口史靖監督が、「もしも電気がなくなったら」というワンシチュエーションだけで映画を撮ったことにまず驚き、主演が小日向文世さんだから観ないわけにはいかないよな、と思い、なんだか自分には珍しく日本映画が続いております。
 これまでずっとフジテレビと組んできた矢口監督なのに、前作『WOOD JOB!』はTBS配給だった。 いまいち宣伝がうまくいかなかったせいか(映画は普通に面白かったのに)、今回またフジテレビに戻ってました。 このへんの感じも、観客には関係ないことなんだけどなんかちょっといやな気持ちに。 前回は違うけど今回は売れると判断した人がフジテレビ側にいるってことなのかな、とかね。

  サバイバルファミリーP.jpg 電気消滅! 生き残れ、家族!!

 それぞれの不満を抱えつつも、それが一種の当たり前となりつつある鈴木家は微妙に家庭崩壊寸前のような、でもそれが現代日本ではまぁ一般的な家族なのかもという姿。 東京に住む鈴木家、父の義之(小日向文世)は仕事優先で、家のことは妻に任せきり。 たまに子供にかける言葉は小言だけ。 母の光恵(深津絵里)は明るく天然だが(漁師の娘なのに魚が捌けないなど)、実はしっかり・ちゃっかり者。 息子の賢司(泉澤祐希)は大学生だが常にヘッドフォンをつけ日常会話にすんなり入ってこず、高校生の妹・結衣(葵わかな)は常に文句ばっかりのいまどきの子。
 そんなある朝、父が目を覚ますと目覚まし時計が止まっており、テレビもつかずスマホにも電源が入らず、まったく時間がわからない。 「全員遅刻だ〜」とあわてて家を飛び出すものの、その“停電”は思っている以上の広範囲で起こっているようで・・・これまでサバイバルとは無縁にのほほんと生きてきた鈴木家の格闘が始まる、という話。
 「突然すべての電気が使えなくなりました」となったら・・・アメリカ映画ならすぐ暴動と略奪の嵐、バイオレンスパニック映画になっちゃいそうですが、さすが日本は全然違う。 「困りましたねぇ、いつになったら直るのかしら」と3日目ぐらいでもおばさま方は井戸端会議してしまうのんきさ。 そして会社や学校に通ってしまう勤勉さ(?)。 これはいいのか悪いのか。
 さすがに一週間ぐらい経つと「このままではやばい」と思い始めるという・・・<サバイバル>とは縁遠い国民性です。
 「大阪は電気がついているらしい」という噂を耳にし、「ならば西日本は大丈夫かも」と鈴木家は父の先導のもと光恵の父(柄本明)が住む九州に向かうことにする。

  サバイバルファミリー1.jpg とりあえず自転車で東京を脱出。

 とはいえ父に綿密な計画があるわけではなく、結構行き当たりばったり。 そこで普段はぼーっとしがちな母の準備万端・しっかり者の交渉術が役に立つ。 が、あたしは娘の我儘っぷりにだんだん腹が立ってきて、「いやいや、この先苦労して痛い目にあって変わっていくのを見せるために今は傍若無人に見せているんだって」と心の中で自分を説得しなければならなかった。 きちんとした理由や理屈を伴わない感情的なだけの不平不満がこんなにも腹立たしいとは思わなかったよ。 「うざっ!」と一言でいうのは簡単だけど、何故うざいのか説明がないと暴言だけまき散らされた感がして不愉快なんですよね。 でもそれをいちいち説明しないのが若さってやつの正体だから仕方ないんだけど。 つらいのも大変なのもみんな同じなのだから、共感を求める方向に話せば全然周囲の反応も違うのに。 あ、これって非常時じゃなくとも日常でも当てはまることでした。
 あと、「おれは仕事をして一家を支えているんだ」というのだけが父親という立場を支えていたことになかなか気付かない(受け入れられない)お父さんにも結構イライラ。 個人としての小日向さんはこんな人ではない、と思っているのだが、スクリーンに映る父親の姿にはほんとにムカムカ・イライラさせられた。 そこはやっぱりうまい役者だからですなぁ。
 そんなわけでいろいろと共感できない登場人物たちが、苦難を前にして家族としてまとまっていく過程が見どころといえば見どころ。 うまく言葉として周囲に表現はできないんだけど、お兄ちゃんが見せる優しさと強さが印象的でした(だから余計に、妹のいつまでも続く甘さに腹が立ってしまうというか。 あたしもおとなげないですが)。
 しかし、やはり人は緊急時においては根拠のない噂に影響されてしまうものなのか。
 完全に停電しているのに、電車も止まっているのに「飛行機は飛んでるらしい」と聞いて羽田まで向かってしまう。 飛行機こそ電気がないと動かないでしょう・・・(というか、空港の機能自体停止する)。 そんな当たり前のことに気づけない、もしくは自分の目で見ないと信じられないからか。
 さすがに大規模停電から最初の数日は牧歌的でも、そのあとは結構大変な状態になっている気はするのだが(特に大都会では)、あえてそこは描写しないで鈴木家と彼らが出会う人たちに集中したのがこの物語のコメディを維持した所以というか、子供から大人まで楽しめる映画を心がけているからでしょうか。 こういうさなかでもちゃっかりと生きる術を心得ている人たちを<強欲>ではなく<したたかな知恵者>として描くあたりも、人間という存在を肯定する大きな愛情を感じます。

  サバイバルファミリー4.jpg まさか“スマスイ”(須磨水族園)が出てくるとはね・・・。 そういえばずいぶん前に「エキストラ募集」のチラシを見た記憶があるようなないような。

 西に向かってやっと大阪に辿り着くけれど、通天閣付近もゴーストタウンと化しており、「西日本は大丈夫」の噂もやはりデマだったと知る。 やはり目的地はおじいちゃんの家だ、と再び走り出して神戸市内も通過するわけですが・・・ちょうど鈴木家が通りかかったときに須磨水族園で行われていたことはなんというか実に<関西人の合理性>を見事にあらわしていて、つい笑ってしまいました(あたしは神戸ハーバーランドの映画館でこの映画を見たのだけれど、他の観客も爆笑でした)。
 でも家族のために頭を下げ、すがりついてでも食べ物を分けてもらおうとする父の姿は、やっとほんとの“父親”になったいいシーンだったんですけどね(でも、それを含めても爆笑だったという)。
 つまらないプライドを捨てたら、あとは何も怖くない。

  サバイバルファミリー2.jpg 農家の方に助けられ、そのお手伝いをする。
 うおぉ、大地康雄さんなんか久し振り!、と思ってしまいました。 強面な農家のおっちゃんとして登場ですが、もう彼の家がいかにも田舎の普通の家というか・・・家を出た子供たちがいつ戻ってきても大丈夫なように新品の布団やパジャマが何人分もあるとか(多分子供たちにも家族ができて孫もいるのであろう)、タオルや食器がいくらでも出てくるとか、田舎だから家も大きくて部屋数多い(基本和室が中心なので襖を開ければ部屋の広さも加減できる)など、あたしは曾祖父母の家のことを思い出してしまいましたよ。 何故か熊の剥製があって、子供心にマジビビった記憶あり。 毒蛇が出るから庭の奥まで行くな、と注意されたりね。 もともとあたしは地方住まいだったから更に田舎に行くことのハードルは低かったけど、都会に暮らす今の子供たちはそういう田舎に頻繁に行くことはあるのだろうか。 もしかしたら、待ちかねている祖父母の方々の数は以前よりもぐっと増えているのかも。 それもまた、少子化問題が産み出していることのひとつ?、とちょっと切なくなった。

 本来、パニック映画たるシチュエーションなのにまったくそうならず、むしろどこかのんきに物語が描かれるのは、ラスト近くで起こる<ある瞬間>のときの人々の表情をより印象的にしたいからではないか。 ふとそんなことを思う。 命の危険を感じさせる場面もちゃんとあるのだけれど、それよりも誰かが捨てたスマホが誰にも顧みられることなくゴミ扱い、みたいな些細なシーンにより意味があるような。
 エンドロールのラストシーン、「あたしなら、こうしちゃうけどな」と思ったけど映画はそのまま終わった。
 それは矢口監督の優しさであり、人間という存在を根本的に信じているから、説教を入れることなく問題提起から観客に考えてもらいたいと思ってのことなんだろう(すみません、あたしはひどい人間でした)。
 席を立って通路に向かって歩いているとき、夫婦50割引活用らしきおふたりが「やはり、矢口史靖にはずれはないな」と語っていたのが印象的だった。 矢口監督は観客の年代に関係ない娯楽作を提供できる貴重な存在なのだなぁ。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする