2017年03月31日

エミリーの不在/ピーター・ロビンスン

 先日WOWOWにて、ドラマ『主任警部アラン・バンクス』がシーズン5をもってファイナルを迎えました。
 といってもシーズン4からは完全オリジナルストーリーだったし、それ以前も原作をかなり改変していたし、「なんとなく、ドラマはやはり原作とは別物」という雰囲気がシーズンが続くたびに感じていた(またイギリスのドラマなので、シーズンといっても話数は多くなく、放送時間も変則的になっているのも特徴)。
 そんな中で、シーズン2最終話であったこの原作のエピソードは秀逸な出来で、印象も強かった。 強すぎて、原作を読むのがためらわれるほどだった。 記憶が鮮明すぎたから。
 でも、ドラマも完結したことだし、あれから3年くらいたっているし、ということで、そろそろ読んでもいいかなぁ、と思いまして。

  バンクス10エミリーの不在1.jpgバンクス10エミリーの不在2.jpg 絶版故、図書館から借りた。
 原題を直訳すれば『冷たい墓』ということになりますでしょうか。

 アラン・バンクスとウマの合わない本部長リドルから、緊急の呼び出しを受けるバンクス。 無視しようかとも思ったが、どうもリドルの様子がおかしいので自宅に行くと、リドルの15歳の娘エミリーが家出をして、どうやらロンドンにいるという。 なんとか娘を探し出して連れて帰ってくれないか、という頼みだった。 「自分で探しに行けばいいでしょう」と思うバンクスだが、リドルは立場上ロンドンをうろうろできないし、まして娘が素直に言うことを聞くとは思えない。 だから他人であるバンクスのほうがいいと言う。
 バンクスにも娘がいてリドルの気持ちもわからないわけではないし、まぁここで恩を売っておくのも今後のためにいいかもしれない、と引き受けたバンクスは、早速ロンドンに行き、いくつか回り道をしながらもエミリーを見つける。 小悪魔的魅力を放つエミリーにくらくらしながらも、バンクスはエミリーをリドルの家に送り届ける。 それで終わったはずだったが・・・という話。
 やっぱり原作のほうがいろいろ深いのでありますが、あのドラマはかなり頑張ってこの作品のテイストを取り込んだなぁ、と制作者のみなさんに拍手を送りたい気分になりました。 多少の改変はあるけれども、テーマとか、もっとも深いところに近付けたドラマだったんじゃないかと。 こういう成功例があるから、ドラマ化(もしくは映画化)に対して夢を捨てきれないんだなぁ。
 バンクスとアニーの関係や、自分の人生を改めて考え直すバンクスの苦悩などは、シリーズだからこそよりわかって面白いところだし、基本は警察小説なのでチームで事件を解決していく面白さもあるし、警察組織の問題等もそれぞれの国であるんだなと確かめることもできる。
 でも、だんだんこのシリーズは<時間>を描くことに重点を置き始めているようだ。
 決して巻き戻すことのできない時間を、いかにして過ごすのか。 過去の事件を解決することによって、取り残された関係者の時間は動き出すこともあれば逆に過去に引き戻されてしまう人もいて。 それがとてもせつないのです。

 よく考えれば<アラン・バンクスシリーズ>はイギリスで人気作。 長く続いているし、過去にもドラマにされたことがあるのかもしれない(日本における十津川警部や浅見光彦のように演じる俳優さんも変わってつくられ続けている可能性だってある)。 となれば、原作から離れるのは時間的制約も含めて必然なのかも。
 このシリーズ、邦訳されているもので読んでいないのはあと一作『誰もが戻れない』だけ。
 邦訳が再開される気配がないので・・・読み終わるのがもったいない存在になっております。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

否応なしに、春。

 なんか今日暑かった!
 気づけば3月29日、もう4月まであと3日。
 春じゃん!
 街路樹の足元にぼんやり広がっていたはずの草も、やけに生き生きと繁っており、タンポポなど全開!
 ・・・明日、気温下がって雨が降ると言っていた気がするんだけれども、そんなに元気よく咲きまくって大丈夫ですか?、とちょっと心配になる。
 が、もっと元気なのは街路樹のコブシである。

  こぶしの花.JPG これを撮影したのは先週なのですが。
 今ではもはや散る勢いですか?、ぐらいに花びらが開きまくっている。
 紫色の花の方も、つぼみがぐんぐん大きくなってきている。
 そりゃ、桜も咲くよね、と納得はするものの・・・あたしの体内季節感は、本来まだ春ではないので、この一ヶ月ぐらいの誤差をなんとかしなければ。
 そしてなにが困るって、着る服に困るのよね・・・。

ラベル:季節もの
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

今日は4冊。

 気がつけばもう3月も終わりが見えてきた。 今月買う本はこれが最後だな。

  マルティンベックバルコニーの男.jpg バルコニーの男【刑事マルティン・ベック】/マイ・シュヴァール&ペール・ヴァールー
 マルティン・ベックシリーズ、新訳4冊目にしてシリーズ第3弾。
 なにを隠そう(隠してないけど)、あたしがかつてマルティン・ベックシリーズを読んだいちばん最初の作品がこれだった。 当時は英語版からの翻訳で、しかも本屋に普通にもう売ってなくて、図書館の検索機能から探し出し、角川文庫のコード番号がいちばん早いのがこれだったから。 でもそれは日本での刊行順であってシリーズの順番じゃなかったんだよね! そのあと、シリーズ一作目『ロゼアンナ』(新訳版では『ロセアンナ』)を読むことになるのですが、あたしにとってはこれが<マルティン・ベックシリーズ>の一作目なんです。
 今回、スウェーデン語版の解説が<ヨー・ネスボー>氏によって書かれており・・・はっ、“ジョー・ネスボ”はやっぱり英語読みなんだ!、ということを理解した。

  国のない男.jpg 国のない男/カート・ヴォネガット
 帯によれば、<ヴォネガット没後10年、緊急出版>とのこと・・・彼がなくなってもう10年もたったのかい!、と驚愕。
 ブラッドベリが「SF界の詩人」ならば、ヴォネガットは「SF界の哲学者」ですかね。 アメリカは歴史が浅いことがコンプレックスみたいなことをよく聞くけれど、このふたりがいることをもっと誇っていいと思う!
 本書はヴォネガットからの若い世代のメッセージ的エッセイ集。 どうやらその内容は、刊行当時よりも今のほうがより刺さるみたいです。

  痛みかたみ妬み.jpg 痛みかたみ妬み【小泉喜美子傑作短編集】/小泉喜美子
 ついに中公文庫(中央公論出版社)からも小泉喜美子本が復刊!
 いろんな出版社から出てくると、「ブームも本物」と実感できます。 しかも帯には「イヤミスの元祖」とか書かれちゃっているという・・・。
 なんと、集英社コバルト文庫からも一冊本を出していたという小泉喜美子、あたしが読んでいた頃とちょっとすれ違いだったのか、全然覚えてない! でも今回その作品群がこれに収録。 解説の日下三蔵氏曰く「最も手に入りにくい作品たちが入った」とのこと。
 しかし日下三蔵氏も謎なのでいる。 一体何者なのか・・・あたしのイメージは「中島河太郎の弟子」だったんだけれど・・・生年みれば「えっ! 40代?!」みたいな。 多分本職は編集者とかなんでしょうけど、戦前からの日本のミステリの歴史をすべて網羅しているみたいな感じとお名前のせいで、あたしの中では年齢不詳でした。

  星へ行く船5そして、星へ行く船.jpg そして、星へ行く船【星へ行く船新装版5】/新井素子
 そして『星へ行く船』加筆修正決定版も、ついに最終巻が刊行の運びとなりました。
 読み始めたら一気なんですよ、つい先日『カレンダー・ガール』まで一気に読んでしまいました(それまであとがき以外には全然手をつけていなかったというのに)。
 なんか、みんな若いな! それは読者であったあたしも同じことなんだけれど。
 なにしろ、一作目『星へ行く船』で初登場時、太一郎さんは22歳だという・・・28歳くらいのイメージでしたよ(汗)。
 まぁ、最終作ではそれくらいの年齢に近づいているので、あたしのイメージも大きく外れていたわけではないのですが。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

そして誰もいなくなった 【第一夜・第二夜】

 個人的な話ですが・・・あたしの下の妹が、もうずっと前から渡瀬恒彦ファンでして、もう20年くらい?、「恒彦」と呼んでおります(普通の若者がアイドルを呼ぶがごとく)。 ま、それは妹が2時間サスペンスドラマが子供の頃から大好きだったせいなのですが(なにしろ、「十津川警部は警察をやめてからタクシードライバーに転職する」と普通に思っていたくらいで。 子供なんでそのへんはご容赦ください)。 最近、そのことについて話し合い(本人はそんなことを言ったことなどすっかり忘れておりましたが)、「十津川警部は警察で働いていない時間、タクシードライバーに変装して事件を解決している」と思っていたのではないか、ということに落ち着きました。 それならば名前もキャラも違うのも、変装してるからで説明できるから(現職の刑事さんたちが彼に従っちゃうのもその誤解を助長したのかな)。 放送している局が違うとか、そのへんは気にならないようで。 渡瀬恒彦が演じている=同じ人、と思っちゃってたみたいですね。 本人の名誉のために申し上げれば、そう思い込んでいたのは一時期ですから。
 そんなわけで、あたしより一回り以上年下の下の妹ですが、大変好みが渋いです。
 なので『9係』『おみやさん』など観ていて、「今日の恒彦はいいね!」というメールが飛び込んでくること多々、だったのです。
 しかしあの朝は、恒彦の訃報を伝えるメール。 あたしはそのちょっと前に知ったのだけれど、妹にメールするかどうか悩みましたよ。
 だって『相棒』のあとの予告で『9係』の告知に恒彦の映像出てたし、このスペシャルドラマの撮影も終わったと聞いていたし、ご病気だということはうっすら耳に入っていたんだけれど、あまり詳しく知りたくないからテレビCM見て「よかった、恒彦出るんだ」と安心していたのです。
 なのに、このドラマが遺作になるなんて・・・ひどいよ。

 なので、<渡瀬恒彦の遺作>であることをいったん忘れて、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を現代日本に置き換えたドラマとして改めて観てみたい。
 「現代日本に置き換える」というのがまずやばいフラグなわけですが、脚本が長坂秀佳だと事前に知っていたのでまぁ大丈夫かなというか、とんでもなくひどいものにはならないだろうという安心感はありました。 監督は和泉聖治。 『相棒』Season15をあまり撮ってないなと思っていたらこっちを撮っていたのですね!

  そして誰もいなくなった【前後編】.jpg テレ朝的豪華キャスト。
 なんというか・・・「みなさん、大体原作とかネタ、知ってますよね」が前提だったというか、恐ろしく速いテンポで話が進んでいくのであっというまに観てしまいました。 石坂浩二のナレーションも冒頭から「原作通り、全員死にますよ」だし。
 で、現代設定なんだけど微妙にレトロ感があるというか・・・刑事さんたちが乗っている船は<ランチ>と呼びたくなるし、昭和40年代ぐらいですか?、みたいな(刑事お二人の風貌のせいもあるかと)。 スマホもドローンも登場するというのに、あえてレトロ感を残した(もしくは残ってしまった)のはアガサ・クリスティという味を重要視したせいでしょうか。
 もともとはマザー・グースの一節だけど、それを数え唄にしたのは横溝風味の日本味ですね。
 「一夜目の恒彦の声がかすれているのがもうつらい」とあとから妹が言ってましたが、判事役は○○な設定なので・・・訃報がなかったらあたしはこれも役づくりだと思っていたかもしれない。 だって時間軸的にはホテルにいる時より少なくとも一か月前ぐらいにあたるあるシーンではそんなに声は弱々しくなかったもの。
 あえてトリック説明は省き、スピード感重視にした演出もよかったかも。 矛盾点に気づかせる隙を与えないから。

  そして誰もいなくなった【前後編】2.jpg このコンビも個人的に悪くなかった。
 この二人を主役にしてシリーズできるんじゃない?、というくらいキャラの立ったかみ合わない二人が面白かった。 荒川良々はもともとお笑い担当的な部分はあるけれど、殺されパートでも柳葉敏郎と國村隼のやりとりにもユーモラスなところがあって、いいスパイスになっていた。 やはりサスペンスには適度なユーモアがあってこそ、より悲劇が引き立つというジャンルなのだな、と気づかされる。
 まぁ第二夜は謎解き中心になるわけですが、最後に残った二人の葛藤はもう少し丁寧に描いてもよかったのではないか(お互い、自分は犯人ではないとわかっているからこそ・・・、最終的に一人になる選択をする必然性と、そのあとの行動により説得力が生まれると思うのだけれど)。 でも最後まで「殺される」ということにこだわった展開だったので、まぁそれは仕方がなかったのかと。
 「動かせないガラスケースの中にある木の人形が、一人死ぬたびに一体ずつ姿を消していく」ことのトリックは刑事さんによって明かされるけど、その間「抜き取られた人形はどこに隠されていたのか」については触れられていないんだよね! 多分台座の部分に収納機能があるんだろうけど、ガラスケースの謎を解くときに一緒に説明してもよかったのに。 それとも、一応撮影したけど編集で切っちゃったのかな。 その可能性があるくらい、あるひとつのトリックについてはしつこいほどに追求するのにそれ以外のトリックについてはほぼスルーというのが、なんかもう潔すぎてどうでもいいや、と思えてしまうという。
 あとやはり、最後の犯人の独白シーンがあまりにも圧巻で、実質この人が主役だよな、と思わせられてしまい。
 ずっと犯人を探す側、正義の側に身を置いていた人を演じていた人が、とてつもなく得体の知れない悪を演じるという意外性と、それだけじゃなく画面からにじみ出る禍々しいまでの悪意。 それに心底ぞっとしてしまった。 そこにいたのは、まぎれもなく自覚のある快楽殺人者。
 役者ってすごい!
 だいたい大筋を知っている話をそれでも観ようと思わせるのは、やっぱり出ている人たちがどう演じるかを観たいから。 勿論、脚本や演出に手抜かりがあったら興醒めですが、本作はかなりがんばった出来栄えではなかったでしょうか。
 橋爪功のあやしさ満点の執事もよかったけど、やはり渡瀬恒彦の存在感に尽きる。 というかこのキャスティングでも、判事役は恒彦以外思い浮かばないもんね! もしかして、長坂秀佳あて書き?、と思えるほどに。

 結果的に遺作になってしまったけれど、ご本人はそうするつもりはなかっただろうし、『9係』新シーズンにも出る気満々だったみたいなのでほんとに残念でしかないけれど、彼の遺作になったことによってこの作品のグレードが上がったこともまた事実。
 それが役者の“格”というものだろうか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | テレビ・テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

サバイバルファミリー

 若者が集団でまとまる映画かお仕事映画のイメージが強い矢口史靖監督が、「もしも電気がなくなったら」というワンシチュエーションだけで映画を撮ったことにまず驚き、主演が小日向文世さんだから観ないわけにはいかないよな、と思い、なんだか自分には珍しく日本映画が続いております。
 これまでずっとフジテレビと組んできた矢口監督なのに、前作『WOOD JOB!』はTBS配給だった。 いまいち宣伝がうまくいかなかったせいか(映画は普通に面白かったのに)、今回またフジテレビに戻ってました。 このへんの感じも、観客には関係ないことなんだけどなんかちょっといやな気持ちに。 前回は違うけど今回は売れると判断した人がフジテレビ側にいるってことなのかな、とかね。

  サバイバルファミリーP.jpg 電気消滅! 生き残れ、家族!!

 それぞれの不満を抱えつつも、それが一種の当たり前となりつつある鈴木家は微妙に家庭崩壊寸前のような、でもそれが現代日本ではまぁ一般的な家族なのかもという姿。 東京に住む鈴木家、父の義之(小日向文世)は仕事優先で、家のことは妻に任せきり。 たまに子供にかける言葉は小言だけ。 母の光恵(深津絵里)は明るく天然だが(漁師の娘なのに魚が捌けないなど)、実はしっかり・ちゃっかり者。 息子の賢司(泉澤祐希)は大学生だが常にヘッドフォンをつけ日常会話にすんなり入ってこず、高校生の妹・結衣(葵わかな)は常に文句ばっかりのいまどきの子。
 そんなある朝、父が目を覚ますと目覚まし時計が止まっており、テレビもつかずスマホにも電源が入らず、まったく時間がわからない。 「全員遅刻だ〜」とあわてて家を飛び出すものの、その“停電”は思っている以上の広範囲で起こっているようで・・・これまでサバイバルとは無縁にのほほんと生きてきた鈴木家の格闘が始まる、という話。
 「突然すべての電気が使えなくなりました」となったら・・・アメリカ映画ならすぐ暴動と略奪の嵐、バイオレンスパニック映画になっちゃいそうですが、さすが日本は全然違う。 「困りましたねぇ、いつになったら直るのかしら」と3日目ぐらいでもおばさま方は井戸端会議してしまうのんきさ。 そして会社や学校に通ってしまう勤勉さ(?)。 これはいいのか悪いのか。
 さすがに一週間ぐらい経つと「このままではやばい」と思い始めるという・・・<サバイバル>とは縁遠い国民性です。
 「大阪は電気がついているらしい」という噂を耳にし、「ならば西日本は大丈夫かも」と鈴木家は父の先導のもと光恵の父(柄本明)が住む九州に向かうことにする。

  サバイバルファミリー1.jpg とりあえず自転車で東京を脱出。

 とはいえ父に綿密な計画があるわけではなく、結構行き当たりばったり。 そこで普段はぼーっとしがちな母の準備万端・しっかり者の交渉術が役に立つ。 が、あたしは娘の我儘っぷりにだんだん腹が立ってきて、「いやいや、この先苦労して痛い目にあって変わっていくのを見せるために今は傍若無人に見せているんだって」と心の中で自分を説得しなければならなかった。 きちんとした理由や理屈を伴わない感情的なだけの不平不満がこんなにも腹立たしいとは思わなかったよ。 「うざっ!」と一言でいうのは簡単だけど、何故うざいのか説明がないと暴言だけまき散らされた感がして不愉快なんですよね。 でもそれをいちいち説明しないのが若さってやつの正体だから仕方ないんだけど。 つらいのも大変なのもみんな同じなのだから、共感を求める方向に話せば全然周囲の反応も違うのに。 あ、これって非常時じゃなくとも日常でも当てはまることでした。
 あと、「おれは仕事をして一家を支えているんだ」というのだけが父親という立場を支えていたことになかなか気付かない(受け入れられない)お父さんにも結構イライラ。 個人としての小日向さんはこんな人ではない、と思っているのだが、スクリーンに映る父親の姿にはほんとにムカムカ・イライラさせられた。 そこはやっぱりうまい役者だからですなぁ。
 そんなわけでいろいろと共感できない登場人物たちが、苦難を前にして家族としてまとまっていく過程が見どころといえば見どころ。 うまく言葉として周囲に表現はできないんだけど、お兄ちゃんが見せる優しさと強さが印象的でした(だから余計に、妹のいつまでも続く甘さに腹が立ってしまうというか。 あたしもおとなげないですが)。
 しかし、やはり人は緊急時においては根拠のない噂に影響されてしまうものなのか。
 完全に停電しているのに、電車も止まっているのに「飛行機は飛んでるらしい」と聞いて羽田まで向かってしまう。 飛行機こそ電気がないと動かないでしょう・・・(というか、空港の機能自体停止する)。 そんな当たり前のことに気づけない、もしくは自分の目で見ないと信じられないからか。
 さすがに大規模停電から最初の数日は牧歌的でも、そのあとは結構大変な状態になっている気はするのだが(特に大都会では)、あえてそこは描写しないで鈴木家と彼らが出会う人たちに集中したのがこの物語のコメディを維持した所以というか、子供から大人まで楽しめる映画を心がけているからでしょうか。 こういうさなかでもちゃっかりと生きる術を心得ている人たちを<強欲>ではなく<したたかな知恵者>として描くあたりも、人間という存在を肯定する大きな愛情を感じます。

  サバイバルファミリー4.jpg まさか“スマスイ”(須磨水族園)が出てくるとはね・・・。 そういえばずいぶん前に「エキストラ募集」のチラシを見た記憶があるようなないような。

 西に向かってやっと大阪に辿り着くけれど、通天閣付近もゴーストタウンと化しており、「西日本は大丈夫」の噂もやはりデマだったと知る。 やはり目的地はおじいちゃんの家だ、と再び走り出して神戸市内も通過するわけですが・・・ちょうど鈴木家が通りかかったときに須磨水族園で行われていたことはなんというか実に<関西人の合理性>を見事にあらわしていて、つい笑ってしまいました(あたしは神戸ハーバーランドの映画館でこの映画を見たのだけれど、他の観客も爆笑でした)。
 でも家族のために頭を下げ、すがりついてでも食べ物を分けてもらおうとする父の姿は、やっとほんとの“父親”になったいいシーンだったんですけどね(でも、それを含めても爆笑だったという)。
 つまらないプライドを捨てたら、あとは何も怖くない。

  サバイバルファミリー2.jpg 農家の方に助けられ、そのお手伝いをする。
 うおぉ、大地康雄さんなんか久し振り!、と思ってしまいました。 強面な農家のおっちゃんとして登場ですが、もう彼の家がいかにも田舎の普通の家というか・・・家を出た子供たちがいつ戻ってきても大丈夫なように新品の布団やパジャマが何人分もあるとか(多分子供たちにも家族ができて孫もいるのであろう)、タオルや食器がいくらでも出てくるとか、田舎だから家も大きくて部屋数多い(基本和室が中心なので襖を開ければ部屋の広さも加減できる)など、あたしは曾祖父母の家のことを思い出してしまいましたよ。 何故か熊の剥製があって、子供心にマジビビった記憶あり。 毒蛇が出るから庭の奥まで行くな、と注意されたりね。 もともとあたしは地方住まいだったから更に田舎に行くことのハードルは低かったけど、都会に暮らす今の子供たちはそういう田舎に頻繁に行くことはあるのだろうか。 もしかしたら、待ちかねている祖父母の方々の数は以前よりもぐっと増えているのかも。 それもまた、少子化問題が産み出していることのひとつ?、とちょっと切なくなった。

 本来、パニック映画たるシチュエーションなのにまったくそうならず、むしろどこかのんきに物語が描かれるのは、ラスト近くで起こる<ある瞬間>のときの人々の表情をより印象的にしたいからではないか。 ふとそんなことを思う。 命の危険を感じさせる場面もちゃんとあるのだけれど、それよりも誰かが捨てたスマホが誰にも顧みられることなくゴミ扱い、みたいな些細なシーンにより意味があるような。
 エンドロールのラストシーン、「あたしなら、こうしちゃうけどな」と思ったけど映画はそのまま終わった。
 それは矢口監督の優しさであり、人間という存在を根本的に信じているから、説教を入れることなく問題提起から観客に考えてもらいたいと思ってのことなんだろう(すみません、あたしはひどい人間でした)。
 席を立って通路に向かって歩いているとき、夫婦50割引活用らしきおふたりが「やはり、矢口史靖にはずれはないな」と語っていたのが印象的だった。 矢口監督は観客の年代に関係ない娯楽作を提供できる貴重な存在なのだなぁ。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

彼らが本気で編むときは、

 荻上直子監督の新作だというだけでとりあえず「観たい!」ですが、扱う題材がこうときたら・・・更に観たいじゃないですか。
 これまでとテイスト変えてきましたね。 もう、「『かもめ食堂』の・・・」という冠はいらないかも?

  彼らが本気で編むときは、P.jpg彼らが本気で編むときは、P2.jpg カタチなんて、あとから合わせればいい

 母親が何度目かの家出をした。 11歳のトモ(柿原りんか)は「またか」と、比較的近くの大型書店で働くおじのマキオ(桐谷健太)の職場を訪ねる。 「また?」 「また」 そんな会話で、それがよくあることなのだとわかる。 マキオは自分の家にトモを連れていくが、途中で「今、一緒に暮らしている人がいるんだ」と告白する。 マキオおじさんに恋人が!、と期待を胸に家を訪ねると、そこにはリンコ(生田斗真)がいて・・・という話。
 冒頭の数カットでトモが放置子であるとわかってしまうので、もうただひたすら切ない。 時折戻ってくる母親も酔っ払っててすぐ寝ちゃう−トモのことを見ないので観客も彼女が誰だかわからない(それを演じているのがミムラだというのがわかるのはほんとに最後のほうである)。 それがまた、母親不在をよりいっそう強調づける感じで、学校で普通にしているトモの姿が痛々しくて仕方ない。
 あぁ、そうだ、小学校ってこんな残酷な場所だったんだ、ということを思い出し・・・あたしはひたすらトモ目線でこの物語を観ていたように思う。
 同級生で先輩の男の子に恋愛感情のようなものを抱いてしまって困惑している少年に「キモっ」と言ってしまっているトモはリンコに対してもどうふるまっていいかわからない(多分キモイと思っているのだろう)。 けれど世間のそんな“偏見”は放置子であるトモにも向けられるもので、「誰かを攻撃することで自分が弱いと気づかれたくない」思いのあらわれなんだろうけど、それはよくないぞ!、とトモに説教したい気持ちになった。
 だって、リンコさんはトモにはじめておいしい手料理をふるまってくれ、キャラ弁までつくってくれて、トモの知らない<家庭>というものを教えてくれた人なのだから。

  彼らが本気で編むときは、4.jpg トモの悩みを聞くマキオ
 突然置いていかれても、トモにとっては母親には違いなく。 マキオにとっては姉なのだが、「昔から母親と姉がうまくいっていなくて、それがつらくて自分は早く家を出てしまった」とトモに告げる。 自分の意志で家を出られるのならばいい、でもトモはまだその年齢には達していない。 だからマキオにできることは、トモが楽しく暮らせるようにすること。 そしてトモの存在はトランスジェンダーであるリンコさんの母性に火をつけてしまい、トモを心から思う気持ちは徐々にかたくなだったトモの心を溶かしていく・・・という王道ながら劇的にではなくじわじわと描かれる展開。 それが穏やかな時間であればある程、観ている側もまた幸せな気分になるんだけど、それがこの先もずっと続いていくのかという不安も生まれてしまう。 ファンタジーでもいい、ずっとこのまま続いていて!、と願わずにはいられなくて。
 「リンコさんみたいな人を好きになっちゃったら、男とか女とか、そんなことどうでもいいんだよ」
 決して言葉は多くないけれど、聞かれたことにはごまかさずにしっかり答えるマキオの存在が、若干頼りなさげなんだけどぶれない強さを持っているとわかることはとてもうれしいことで。 だからリンコさんも彼を選んだのかなぁ、と思ってみたり。 桐谷健太は『オカンの嫁入り』でもそうだったけど、ちょっとぼんやりくん?、みたいな役のほうが本領を発揮するような気がする。
 そう、リンコさんは生田斗真なんだけど、生田斗真ではなくて、女性としてちゃんとそこにいたのがすごくよかった。
 どうしてもしぐさなどが過剰に女性らしくなってしまうんだけれど、それは<女性であること>をずっと考えてきた人だからこそそうなるんだろうなぁ、とわかるし(むしろあたしのように、「女であることは呪いだ」と思ってしまっているようなやつは<女性らしさ>から遠ざかるけど、だからといって男になりたいわけではないのでニュートラルなところに落ち着く。 自分が女であることに疑問もよろこびも感じない人ほど、結構動作ががさつになってしまいがちなのでは?)。
 人って年齢を重ねるほど、どう考えてきたのかが言動に出るよね。

  彼らが本気で編むときは、3.jpg 子供にはごはんはやはり大切です!

 なんというか・・・物語的には若干詰め込み過ぎな感もなきにしもあらずなんだけど(トモのことだけではなく、リンコさんの今に至る生い立ちや理解ある母親とのことや、トモの母親のことも責めるようには描かず、その母親(なんと、りりぃだった!)との間に問題ありと描写しつつそれでも血と時間のつながりはトモにもまたつながっていることを暗示させたり、トモの同級生のゲイ要素のことなど)、でもどれもエピソードとしては必要なのよね。 127分という比較的長めの上映時間も、その必要さ故だったのだろうし。
 同級生くんの母親役だった小池栄子、「自分が正義で間違いない」と思いこんじゃっている人をやらせたらはまるよなぁ、と感嘆。 出番は少ないですが超怖かったです。 母親がこんなだったら彼も苦労するというか、生きているのが苦しくなってしまうのが明白。 逆に、リンコの母親(田中美佐子)のリンコへの愛情が深すぎてそれもそれでちょっと怖い。 11歳のトモに、「リンコを傷つけたら承知しないわよ」と食事の席でマジ脅迫なんだもの!
 勿論、それぞれが“愛”なのだ。 正しい形も、決まった形もないが故に、ときには歪んでしまうけど、出発点は愛。
 ただ、それを理解し受け止められるのかどうか、その結果で愛は束縛にも呪いにも放置にもなる。
 「血の繋がりなんか、関係ないんだよ」と心から言えたらどんなに楽だろう。 一回そこから解放されて、もう一度自分で選択できたならそれは自分の意志になるけれど、子供たちは無条件に母親を求めてしまうものだから、その事実に気づけるのはいい大人になってから。

  彼らが本気で編むときは、1.jpg 本気で編んだ、煩悩の数々。

 この映画づくりの出発点になったのが実在の親子のエピソードだからか(リンコさんとその母親にあたる)、必要なエピソードも多いからこれまでの荻上直子作品に比べてかなりわかりやすい流れになっているのが特徴。 それだけLGBT関連はある程度説明を入れなきゃいけないのが日本の現実か・・・と思ってちょっと悲しくなる。
 もう、小学生に課題図書として萩尾望都を読ませるべきでは!、とつい考えてしまう(それくらい小学校という場所は弱肉強食の世界である。 あたしの頃と根本的には変わっていない−もしくはもっとひどくなっているかも、と感じさせられたのがほんとに恐ろしい)。 きっと、小学生生活に何の疑問もなく適応できた人はなにも感じないだろうけど、いじめのターゲットになったことがある者などはいろいろ思い出してしまうと思う。 この映画ではストレートにそのおそろしさは描かれてはいないんだけど(あくまで最小限に触れるのみである)、あたしは記憶を呼び起されましたよ。
 だからこそ、トモの自立を応援するしかなくて。
 それまでのくだりが親切だったので、ラストへの急展開は説明不足と感じる人もいるだろうけれど、そのラストシーンをどう受け止めるかは観客に委ねられる。 というか、こう思ってくれるだろう、という監督からの観客への信頼というか。
 それでも、差別だと気づかないまま無神経な発言をする人はいるだろうし、そもそもかたくなな人はこの映画自体観ないかもしれない。 でもあんまりはっきりそういうことについて考えたことのない人たちが、この映画をきっかけにしていい方向に考えてくれれば。
 多分それが監督の願いだろうし、キャストのみなさんもその気持ちに応えた熱演だったと思う。
 特にトモ役の柿原りんかちゃん・・・また天才子役という名の若き女優が出てきてしまいました。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

相棒 劇場版W 首都クライシス 人質は50万人! 特命係最後の決断

 『相棒』の劇場版のサブタイトルは土ワイ時代を思わせる。
 なんでそんなにベタなのか? 東映のドル箱的存在になっても、ゲストの顔触れがどれほど豪華になろうともキャスティングでだいたいのことが想像できてしまう、というところもまた土ワイ的。 原点を忘れず、ということなのか、むしろベタであるほうが受けるから、ということか。 ともかく、監督・脚本とも新しい顔ぶれ(とはいえお二方ともテレビシリーズを手掛けているが)になった4作目、そのベタさ加減をどうまとめるのだろう、という興味で。
 いやいや、いちばんの目的は、神戸くんを見たいがためですけど、なにか?
 テレビドラマの映画化にはあたしはどちらかといえば否定的というか、マイナスの印象ですが・・・好きなドラマだったら<お祭り>として受け入れられることに気づきました。 勝手なものです。 『相棒』の映画もここまできたら、ある意味恒例行事ですしね。
 テレビシリーズ放送中の劇場公開は2作目に続いて。 でもそれと違ってストーリーに直接絡むわけではなく、謎の組織<バーズ>の存在を事前告知していたというくらいでしょうか(あとは警視庁・警察庁内の力関係ね)。

  相棒劇場版4−P.jpg あなたは、生きるべきです。

 警視庁・特命係の杉下右京(水谷豊)と冠城亘(反町隆史)に、国際犯罪組織<バーズ>とそのリーダーと目される<レイブン>を追って来日した国連犯罪情報事務局の元理事マーク・リュウ(鹿賀丈史)の補佐をしろという指示が出る。 マークの依頼を受け、<レイブン>の情報を掴んだ現役の国連局員のモリス(ダンテ・カーヴァー)から「天谷克則(あまがいかつのり)」という名前が伝えられるが、3人が駆けつけたときにはモリスはすでに殺されていた。 そして、7年前に起きた在英日本領事館関係者の集団毒殺事件で、唯一の生存者だったがその後、<バーズ>によって誘拐されてしまい、現在まで生死不明であった当時の外交官の娘、鷺沢瑛里佳(山口まゆ)の現在の姿の動画がアップされる。 何故今、彼女の姿をさらしたのか。 <バーズ>の目的は一体・・・という話。

  相棒4−4.jpg 7年前の事件について感想を述べる峯秋さんの口調がちょっと金田一さんが入っていて、ついニヤリ。
 冒頭、イギリスにある日本領事館で起こった集団毒殺事件が少女の目線で描かれるのだけれど、建物はゴシック様式でありながらその描写はまるでキューブリックの『シャイニング』(ホテルの廊下のシーン)を思い出させる。 橋本一監督はあまり作家性の強くない、来た仕事はなんでも受けますという職人タイプの人かと思っていたけれど、過去作品へのオマージュ入れちゃう人なんだな、と感じたりして(ということは『二流小説家』での突然の『砂の器』も、あれもオマージュだったのかな。 あまりにそのまんますぎて引いちゃったんだけど。 ということはオマージュを忍ばす手法も洗練されてきているということなのかも)。
 後半、右京さんが車いすに乗って独房(?)を訪れるシーンがあるのだけれど(当然、冠城くんが押してます)、カメラが檻のこちら側にいて、右京さんは向こう側にいるにもかかわらず、右京さんの前に鉄格子があるように映るそのショットでは、右京さんがまるで『羊たちの沈黙』のレクター博士のように見えた。 これって、「杉下右京の正義は暴走する」へとつながる不気味さの暗示ですかね?!
 まぁ、それはともかく、今回のゲストは鹿賀丈史さんです。
 てっきりこの役のために髪を染めたのだと思っていたけれど・・・今まで白髪染めをしていて、やめてみたらこうなってた、らしいです。

  相棒4−2.jpg あ、神戸くん!
 マーク・リュウは国際派なので、ダークスーツが基本の日本の警視庁の人間たちの中にあって明るい色のスーツ着ちゃうけど違和感ないね! 長台詞多かったですが、しっかり<相棒ワールド>にはまっていたのがさすがです。 まわり、舞台系の人が多いからかなぁ。
 ちなみに<暴かれる国家の罪>ですが、『劇場版V』での主張があまりに反日的過ぎて(というかそういう主張が強すぎて肝心の事件解決の比重がおろそかになったため)コケた、という反省をいかしたのでしょうか、「その時代故のどうしようもなさ」に重点を置いて特定のなにかを非難しない、というバランス感覚で乗り切っていた感があり・・・描かれる内容は架空の出来事でしょうが(でも近いことはあったのか?)、全然関係ないし違うのにあたしは『南の島に雪が降る』のエピソード(これは実話)を思い出してしまったりして。
 それは、フィクションでも思いがこもっていれば事実に近付ける、という証明ではないかと思う。
 あまり事件について語るとネタバレになるので、<お祭り>らしくキャラクターの話で盛り上がりたい。

  相棒4−5.jpg 米沢さん!
     「となれば、そこはやはり米沢守!」 「何故このタイミングでフルネーム・・・」
 出番は少ないながらも、米沢さんの右京さんへの複雑怪奇なねじれた愛情(ずっと尊敬してきた相手だけれど、オレってやっぱり都合よく利用されているだけ? いやいや、お役に立てるならそれでいい・・・でもやっぱり認めてほしい! 認めてくれないならもう付き合うのやめる! でも・・・)が確認できました。
 「男の嫉妬は女よりも深くて醜い」とはよく言われますが・・・自己承認要求もこじれちゃうと大変なのね。 あぁ、米沢さん、かわいそう。
 それもわかった上でやっぱり米沢さんを利用する(本人は頼っているつもりなのか?)、右京さんはひどい人です。 それともフルネームで呼ぶことで謝罪の意を含めたつもりとか?
 その昔は「カミソリ右京」とか呼ばれてたくせに最近はすっかり人柄が丸くなっちゃったように見せて、完全無欠の人のようになってはおりますが、本来この人は「他人の心を慮れない人」なんですよ! 亀ちゃんや神戸くんたちのおかげでだいぶ優しくはなったものの、むしろ「自分が信頼する相手には更に気を遣わない」という「釣った魚にえさをやらないタイプ」なわけですよ。 それがわかっていても怒りたくなる米沢さんの気持ち、わかるなぁ。
 神戸くんは今警察庁で、日常的に右京さんに会えない環境にいるから「好きでしょうがない」オーラ出してますけど(まぁ、神戸くんはもともと誰かへのマイナスの感情を表に出す人ではないし、特命係時代も右京さんと考え方は違ってもその“違い”を尊重していたしね)。

  相棒4−6.jpg もはや安定感を醸し出す4ショット。
     やはり右京さんはグレー系のスーツが似合いますね。

 北九州でのパレードの撮影が大変だった、みたいな話をいろんなところでされていますが、正直『ラ・ラ・ランド』のオープニングに比べたらそこまですごいとは思えなかったです、すみません(そもそも比較してはいけないのかもしれないけど)。 まず銀座に見えないし。 日本での大規模ロケの限界を感じます。 でも日本各地で<映画村>ができたり、<映画の街>を名乗るロケに協力的な地域が増えてきたのは、LAにちょっとでも近付く足掛かりになるようでうれしいです。 各地にとっては町おこしの意味もあるみたいだし(神戸市も映画撮影の誘致には比較的積極的で、任意団体が神戸シネマガイドというロケ地マップを毎年つくっています)。
 ちらっと幸子さん(鈴木杏樹)が登場したのは、「ここは銀座」であることを強調したかったためですかね(あと、すんなり携帯電話を貸してくれる人が必要だった)。

  相棒4−7.jpg 右京さん、走る!
 傍若無人な右京さんですが、『劇場版T』同様、そんなに助走なしでガードレールをさっと飛び越えることができ、前傾姿勢で走る姿も相変わらず(しかも結構早い)、普段鍛えている気配がまったくないのに運動能力が衰えないのは何故なのか? 頭脳を鍛えている分だけ、とっさの場合は運動神経に十分な指示が出るようになっているのか? 謎です。
 「一応、僕も頭脳派なんで」と普段は積極的に乱闘などには加わらない冠城くんも、実はできる人なのでしょう。 設定的にこの事件のときはまだ彼は法務省から出向していた時期、警察学校の訓練を受けるのはこの先のことなので、Season15以降はときどきアクションにも期待したいところです(アクション重視では『相棒』ではなくなっちゃいますが・・・捜査一課の伊丹・芹沢両名と協力しての捕り物とか、いいですねぇ)。

  相棒4−8.jpg なんか、こういう役多いよなぁ・・・。
 そして哀しきテロリスト(北村一輝)。 彼は佇まいだけで「絶対何か理由があってこういうことをしているのだな」と感じさせてしまうのがうまい。 明らかに事情があるとわかっているので、完全な悪役としては見れず、彼の背景に思いを馳せてしまう。
 そういう意味でキャスティングに文句はないのですが・・・よく考えるとところどころツッコミどころが(汗)。 まぁ前作が結構ひどかったし、それを差し引いても今作のまとまりは過去の劇場版の中ではいちばんかなとも思うので・・・キャストの熱演にごまかされている感はありますが。
 ただ監督が変わったため、これまでならここをもっと重要視して撮りそうなところを比較的あっさり映しちゃったり、スローモーションが多用されていたりなど、観客側も和泉監督の画づくりに慣らされていたことを自覚しました。 太田愛さんの脚本も、人間の情といった部分を核にして書く人だし。 キャストだけでなくスタッフ側も世代交代ということなのかしら。
 ただ、劇場版となるとスケールを大きくしないといけないというプレッシャーがあるのか、それが今後重荷にならないことを望みます(お説教抜きで、本格的クローズドサークルミステリーをやってほしいのだけれど・・・それはテレビシリーズのスペシャルで十分なのか)。
 なんだかんだいって、世界レベルでみれば日本は平和なほう。 だから過去の過ちを振り返ることができる余裕がある、ということなのでしょうか。

  相棒4−3.jpg 意外にウマの合いそうな二人。 ともにエリートながら種類がちょっと違うところが。
 実は隠れて飲みにいってそう。 そんで右京さんの話題で盛り上がるんだけど、「こいつ、杉下さんのことを右京さんって呼んでるんだ・・・」と神戸くんは心穏やかではいられないに違いない(個人的妄想)。

 思っていたより神戸くんの出番は少なかった・・・(『劇場版V』よりは多いけど)。
 でも、特命係時代の空気感にすぐ戻れる・右京さんの望むことをすぐ察することができるあたり、彼もやっぱりできる人で。 亀ちゃんとは違う意味で右京さんも神戸くんのことを信頼していて会えたらうれしいくせに、それを面にあらわさないんだから・・・右京さん、ツンデレ?(いや、デレがないか・・・)。
 その分、神戸くんがデレデレしっぱなし、ってところが大変かわいらしくて。 米沢さんと違ってこじらせてないからですかね(「利用されている」ではなく「協力できるのがうれしい!」って感じだから)。
 イタミン言うところの<特命係ネットワーク>は今後どうなっていくのでしょうか。
 いろいろ含むところが多そうなSeason16を待ちたいと思います。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

今日は11冊(その2)

 で、残りは上下巻ではないものを。

  ゴーストマン時限紙幣.jpg 時限紙幣 ゴーストマン/ロジャー・ホッブズ
 これは確か数年前に高評価だったものの、当時は単行本だったので手が出せず。 今回文庫になったのを見てそれを思い出しました。
 作者の若きデビュー作がすごい完成度ってことでも話題になっていた記憶が・・・今回、作者紹介のところを見たらこの作品の続編を発表後、死去していると書いてあり・・・つい「伊藤計劃かっ!」と口に出てしまった。
 これを書いたのが23歳で、27歳で死去。
 いったい何故!

  みだら英泉.jpg みだら英泉/皆川博子
 皆川博子、復刊着々と進んでおります。
 英泉とは江戸文化の華・文化文政期に美人画や枕絵で一世を風靡した浮世絵師・渓斎英泉のこと。
 彼とその3人の妹との関係に着目して描かれる<英泉のすべて>。
 筆者にとって「書きたいものが書けなかった時代」の作品群のひとつということもあり、時代小説の枠を超えたものになっているのであろうな、というのは想像に難くない(時代小説として間違っている、という意味ではない)。

  ブラウン神父の知恵【新版】.jpg ブラウン神父の知恵【新版】/G・K・チェスタトン
 <ブラウン神父>シリーズもいろんなところで新訳・再版が・・・。
 『超少女明日香』の冒頭で引用されているのはこれなんじゃないかな、と思って。
 それを探したかったのです。

  ちはやふる34.jpg ちはやふる 34/末次由紀
 すみません、若干惰性で読んでおります。
 部活としての「かるた」が終わり、それからどうするのかはもっと前から考えていなければいけないこと。 それを今更悩むとか、もう決めている同級生たちを眩しく切なく見つめちゃうとか、主人公の成長の無さには困ったものです(まぁ、決断した先が大事なんですが)。
 今回は現クイーンの葛藤に多くを割かれ、それは面白かったかも。 なんだか千早よりしのぶちゃんを応援したくなってきてしまいました。

  初恋の世界2.jpg 初恋の世界 2/西炯子
 作者による<「恋愛に不器用な女」シリーズ>(とあたしが勝手に思っている)第3弾ももう2巻目。
 これまで相手の男性が年上・同級生ときて今回は年下なんですが・・・そんなに年下な感じがしないのはいかがなものか。 主人公のキャラが「どうせ私なんか、の自分に自信がない女」なのにもちょっとマンネリ感が漂っております。
 作者もそれをわかっているのか、主人公を含めた高校の同級生4人の女友だちとの関係もストーリーのもう一つの軸に置いておりますが、他の3人の人生のほうがなんだか面白そうになってしまっているような。
 そもそも主人公と年下男、会話が成立していません。 40女としてこの事態を解決できないことが大問題。
 大変イライラしますが、続きが出たら読んでしまうでしょう。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

愚行録

 本来、ミステリ映画はこのような戦略で公開すべきだとあたしは思ってはいるのだが、実際を考えると「ヒットは厳しいかな・・・」という気がしないでもない。 群像劇路線で押せば『怒り』の二番煎じっぽくなるし(こっちにも妻夫木くん出てるし)、妻夫木聡と満島ひかり共演を押せば『悪人』とかぶるし(とはいえあたしはチラシに書いてあったその文を見るまで忘れていたが)、監督も知らない人だし。
 そしてこの話の性質上、あらすじは最小限しか書けないし、かといってどんでん返しがあることを悟られてもいけない、という大変良心的かつフェアな姿勢は(さすが「協力:東京創元社」!)、ミステリファンには刺さるんだけど、そうじゃない人にはどうなんだろ・・・また、宣伝の難しさを実感しました。
 だって、これはスルーしてしまうにはもったいない、近年稀に見る日本映画の傑作!、なんですよ。

  愚行録P.jpg 仕掛けられた3度の衝撃。 あなたの日常が壊される。
     他人を語り、本性を現すのは、誰だ?
  ( ↑ このコピーで、ギリギリのラインです )

 週刊誌の事件記者をしている田中武志(妻夫木聡)は、呼び出されてある警察署に向かう。 妹の光子(満島ひかり)が3歳の娘に対して育児放棄の容疑で逮捕されたのだ。 面会でも、光子の言動には不安定さがある。
 田中はかつて追いかけていた<田向一家惨殺事件>の発生からそろそろ一年がたつから、もしかしたら関係者が今なら何かを話してくれるかも、とデスクを説得し、再び取材に向かう。 事件はまだ未解決だった。
 エリート会社員であった夫の田向浩樹(小出恵介)の職場の同僚である渡辺正人(眞島秀和)、浩樹の大学時代の恋人・稲村恵美(市川由衣)、田向の妻の友季恵(松本若菜)の大学時代の同期・宮村淳子(臼田あさ美)らを取材していく田中。 彼らはそれぞれの思いを驚くほど赤裸々に語っていく。 当時の愚かな行いを、あたかも若気の至りであるかのように。 もしくは愚かなことだと気がついていないかのように。

  愚行録1.jpg やる気がないわけではないが、あまり覇気のない事件記者に対して、つい人は必要以上に語りたがってしまうのだろうか。 彼自身もなにか闇を抱えていそうな田中を、妻夫木聡が絶妙なバランスで体現。 感情を表情以外であらわしている。

 取材相手が語るのは、自分と被害者との関わり。 だから15年前とか、10年前とかだったりする。 過去の自分たちをどこか冷静に分析する女性たちと、過ぎたこととして懐かしさで語る男性たち、という違いが興味深い(だから「女は怖い」のかもしれない)。 現在と回想シーンを同じ役者さんで演じるので混乱はないが、女性陣は髪形などでうまく時間差を違和感なく埋めていたと思う。 特に臼田あさ美さん、カフェ店長の現在と大学生時代の違い、お見事でした。
 こういう「あぶり出されるドロドロした感情」を描くと、日本映画ではべったりした湿度のある表現になりがちなんだけど、この映画は全体的に乾いている。 かといって完全にドライ、というわけではない匙加減がヨーロッパ映画のようであった。 「こんな絶妙に寂れた寒々しいニュータウン、よく見つけたな!」と思ってしまったりもしたんだけど、そう観えるように撮っているのだろう。 オープニングの、雨の中を走るバスを外側から、窓に寄って右に流れていく場面では、ハイスピードカメラでスローモーションのように乗客の顔を次々と映し、外国の観客にも「この男(妻夫木聡)がメインなんだな」と思わせるような撮り方で。
 そう、日本映画には珍しく、台詞で説明することを極力排除して、映像で語らせるタイプの作品なのです!
 だからどのシークエンスにも意味がある。 油断してはいけない。 そう気づきさえすれば意外に親切というか、すべての謎はおのずから明らかになっていきます(ヒントも散りばめられているので自分で気づくことも可能)。

  愚行録2.jpg 次世代バイプレイヤーズの眞島さんもいい味出してます。

 それ故に残念なのが、時代設定。 描かれている“現在”は観客が考える“現在”と同じでいいのか。 でもそうなると回想シーンで描かれる時代の感じが微妙に古い。 30年ぐらい前なのでは? しかし回想シーンではエキストラの大学生がアネロのリュックを背負っていたり、メインキャストの持つブランド品もちょっと新しめだったり(10年たってるのかなぁ、みたいなものもあり)、といったイージーミスが気になる。
 まぁそこは百歩譲るとしても、ある人物が言う「私、わかったんです。 日本は格差社会じゃなくて階級社会なんですよ」という台詞に違和感。
 これが「日本って格差社会って言われてますけど、結局は階級社会なんですよね」だったらまた違ったかも。 それだけで時代感覚の誤差が少し埋められる。

  愚行録3.jpg 実際、これ、何年前なんだろう・・・。

 エスカレーター式の私立大学には内部進学組と外部進学組との間で壁がある、とは昔からよく聞く話ではあるんだけど・・・学校すべて国公立できたあたしにはまったく理解できない世界です。 いや、国公立にだってスクールカースト制はありますよ。 ただお金や出自は露骨に扱われないだけで(ただ在学中になにかやらかせばあっという間だけど)。
 伝統ある私立大学の闇、というよりも、そのブランドイメージに乗っかろうとした人たちの喜悲劇、という気がする。 自分たちを「上流」と思っている内部進学者たちと同じ土俵に立たない、という選択肢もあるのだから。 でも同じ世界に入り込もうと決意した人間にとっては、そこで生き残ること、更に上位に位置することは「勝ち組」の証なのだろう。 そのハングリー精神はすごいと思うが、はっきり描かれないけどどれだけのものを踏み台にしたり犠牲にしたのか・・・と思うとあたしはうすら寒い思いがする。 でもそんなことを考えていたらこの場合の「人生の勝ち組」にはなれないんでしょうね。
 つくづくうまい役者を集めるって大事。 内容的には感情移入できなくとも物語に引き込まれる。

  愚行録4.jpg でもいちばんすごいのは満島ひかり。

 脚本は多くを語らず、あえて削っていった感があるのに、役者たちがその部分を補う演技をしてしまっているが故に物語は難解ではない。
 特に感情を見せない妻夫木聡と、感情ダダ漏れのようでありながらある瞬間すべてが抜け落ちるみたいな満島ひかり、この二人がすごい!
 それも全部演出?! この監督、すごいなぁ。 一体何者だ!
 最後まで緊迫感が途切れず、「あぁ、映画らしい映画を久々に観た感じ」と満足感に浸って映画館を出た。
 帰りのエレベーターで、20代半ばと思しき二人組の女性と乗り合わせる。 彼女たちも『愚行録』を観たらしい。
 「最後のあれって、○○が□□ってことやんなぁ」
 「うん、多分そうやよなぁ」 (多分じゃなくて絶対そうだよ、というかそれしかないよ、とあたしは心の中でツッコむ)
 「もう、気持ち悪すぎて怖かったわ〜。 あんなん、ありえへんわ」
 それを聞いて、あたしは固まった。 いや、このお二人は“普通の”家庭に“普通に”生まれて育って、その“普通”がどれだけ幸せなのかということに気づいていないだけなのだ。 だから「気持ち悪い」とさらりと言えてしまう。
 この物語はフィクションなのだから登場人物が責められる必然性はない。 けれど現実には、あやうくギリギリのところで踏みとどまった人たちが思いのほか多くいる気がする。 もしかしたらあたしもその一人かもしれない。 だから気持ち悪いなんてかけらも思い浮かびはしなかった。 映画自体の後味は確かにいいとは言えないけれど、それも含めてのこの物語なのだし、後味が悪いからこそこの乾いたテイストがうまくはまっていた。 今年いちばんの邦画かも!、とあたしは思っていたのだが。
 きっと、彼女たちは若いから、回想シーンに出てきた若者たちのように自分の言動に責任が発生するなんて思っていない。 その言葉が誰かを傷つけたりすることがあるなんて考えてない、ただ自分の思ったことを口にしただけで。 いつか、「あの頃はあんな残酷なことを平気で口にしてたなぁ」と気づく日が来るかもしれない。
 “普通”ってほんとは普通じゃないんだと知ったとき、きっとなにかが変わる。
 映画本編では全然だったのに、エレベーターを降りて一人になってからあたしは泣きそうになっていた。
 それだけあたしはこの映画に、心を抉られていたのかもしれない。

 家に帰ってから、石川慶監督についてネット検索(映画のパンフを買えばよかったと思ってもあとのまつり)。
 なんと、ポーランド国立映画大学で演出を学んだ人だというではないか! そういえば撮影監督は東欧系の名前でおや?と思ってはいたのだが、映画大学の同期らしい。 だから日本映画っぽくなかったのか! 確かに言われてみれば不条理な描写とかポーランド映画っぽい!
 すごい人が出てきたものだ。 石川慶、今後も要チェック!

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

今日は11冊(その1)

 なんか今回、上下巻が多いのでした。

  灰色の密命1.jpeg灰色の密命2.jpg 灰色の密命【1919年三部作2】/ロバート・ゴダード
 あぁ、いつの間にやら第二弾が!
 いかにもスパイ小説!、な感じの装丁ですが、「ロバート・ゴダードがねぇ」という気持ちになってしまうのは昔の作品しか読んでないからですかね。 イメージは叙情派なもので。

  マロリー ルート66−1.jpgマロリー ルート66−2.jpg ルート66/キャロル・オコンネル
 キャシー・マロリーシリーズ最新刊。
 シリーズ初の上下巻ということで、どんなに長い話かと思ったら・・・一冊でまとめようと思えばまとめられたんじゃないのかな、という微妙な厚み。 『クリスマスに少女は還る』(これはシリーズではないですが、一冊で出ている)のほうが厚いのでは?
 それとも、電子書籍に対抗するためには楽に携行できるもののほうが求められているということなのか。 でも上巻が終わりそうなときは下巻も持って歩くことになるし、電子書籍を上下巻別に売る意味もよくわからない(合本で売っているパターンもありますが、そもそも分ける必要ないし。 装丁の問題?)。
 ルート66はアメリカのかつての大動脈。 けれどハイウェイが整備され、いまやさびれつつある道路、らしい。
 だからこそこの道には様々な人々の思いが残っている。

  迷宮の天使1.jpg迷宮の天使2.jpg 迷宮の天使/ダリル・グレゴリイ
 タイトルから想像がつきませんがSFです。
 しかも「意識と自由意志の不在が証明された近未来を舞台」にしているという!
 自我と現実が容易く書き換えられる世界、という響きにしびれます。 もはやSFではなく、すぐそこにある未来なのでは。
 こういうの、ドキドキしちゃいますね、つい。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

たかが世界の終わり/JUSTE LA FIN DU MONDE

 グザヴィエ・ドラン監督最新作。 ずいぶん前から予告編を見ていたような気がするので公開が遅く感じられるような、でももう公開になっちゃったのか、みたいな二律背反の気持ちに。
 もう、このタイトルでなんかやられちゃった感じがする。

  たかが世界の終わりP.jpg これが最後だなんて、僕たちは哀しいくらい不器用だった。

 劇作家として成功したルイ(ギャスパー・ウリエル)は、12年振りに帰郷する。 自分の死が近いことを知らせるために。
 このあらすじだけでなにかすべてがわかってしまうような、でもだからこそ観たいと思ってしまうような。 まんまとあたしはのってしまいました。
 ルイを溺愛する母マルティーヌ(ナタリー・バイ)は気合の入ったおしゃれと息子の好物を揃えて到着を待ち、12年前はまだ小さかった妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は「あまり記憶にはないけど、自分の兄が有名人で優秀な人」ということで浮かれはしゃいでいる。 兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)は妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)を連れてルイのために実家に戻ってきたが、あまり機嫌がよくない。 気ままに喋りまくる3人を前に、カトリーヌは困惑しながらも「自分もこの家族の一員であるのだから」と言い聞かせているように見える。
 そしてついにルイは帰ってきた。 その一日の物語。

  たかが世界の終わり3.jpg 家族揃っての楽しいランチのはずが。
 フランス人ってこんなに喋りまくるのか?、というくらい喋りたい人が喋りまくり、返事を待たない一方通行の会話(?)ばかり。 まぁ、12年振りに帰ってきたルイに気まずい思いをさせないようにと沈黙をつくらないようにしているのかなと思ったりもするけれど、この家族は昔からそうであったみたいだ。 多分、ルイはそれになじめなくて早くに家を出て帰ってこなかったんだろう、と容易に推測できるほど。
 だから家族の中で唯一の外から参加した人、カトリーヌとルイはすぐにわかり合ってしまう。
 「家族という、どうしようもなく厄介で重荷で、いつも傷つくのに結局愛はあるから簡単に切り捨てたりできないからこそ余計困るもの」というドラン監督の、多分永遠のテーマなんでしょうか。 でも、世の中には家族に対して懐疑的に考える人たちばかりではないので、ドラン監督の作品は「わかる人にはわかるが、受け付けない人にはまったくダメ」と言われてしまうのが仕方ないのかも。 あたしは、身につまされる方です。 大変、痛い。 でも本作はそれほどでもなく、もしかしたらダメなタイプの人たちも観られるかも。
 それにしてもどこの国でも母親は子供の好物をつくりたがるものなのね。 でも記憶違いで、全然好物ではなかったりするのもお約束。
 それでも決してめげない、どんどん前に出てくる、このおかあさんパワフルすぎる。

  たかが世界の終わり2.jpg レア・セドゥ、年齢不詳!
 ルイを敬愛している・・・割にはちょっと素行不良というか、お勉強してない感じの妹。 母にルイを独占されてたまるもんですか!、的な女の戦いも展開されます。 罪作りだぜ、ルイ。
 そんなルイの存在は兄にはマイナス方向に働く。 優秀な弟とずっと比べられてきた劣等感が、自分の家で暮らしている分には忘れていられたことなのに、こうやって実家に戻るとそれを突き付けられて、兄はずっと不機嫌。 他の人の言動にいちいち突っかかって場を乱す、まるでティーンエイジャーのように。

  たかが世界の終わり4.jpg いい年してそれはあまりにも感情的だ。
 ほら、奥さんも困っているじゃないか。 男ってのは・・・と思いかけ、ふと考える。
 もしかして、兄はルイの告白の内容に気づいているのではないか(カトリーヌは明らかに気付いており、冷静にルイに尋ねる場面がある)。
 で、ルイにそれをはっきりと喋らせまいと、わざと喧嘩を吹っ掛けて真面目な話をできないようにしているのではないか。 なんとなく気づいてはいても、明確な事実として認識したくない・・・なんだ、ものすごく兄は弟を愛しているではないか。
 登場人物が少ないせいで、かなり表情のアップが多用されている。 ドラン監督は独特の映像美でも知られているが、テレンス・マリックの“映像美”と根本的に違うのは、人の表情を中心的に撮ってしまうところかもしれない。

  たかが世界の終わり5.jpg いちばん台詞が少ない故に表情で語る演技。
 ルイの病についてははっきりと語られない。 ただ、彼がゲイであることを家族がみんな知っているのと、原作となった戯曲から考えるとHIVの可能性が高そう。
 要所で登場する鳩時計のカットがポイントで。 つい「鳩時計」といってしまうけど中に入っているのは鳩とは限らないのですね(鳥ではあるけど)。 それを強烈に伝えてくるラストシーンにはこの映画のテーマが凝縮されているようだ。 鳩時計からもし飛び出せれば自由なのだろうか。 時計の中にいたことを覚えている限り、遠く離れても“家族”はすぐそばにあって逃げられないもので、もし逃げられるとしたら・・・。 
 それでもルイは、望む通りに生きた。 変わらない家族を前に悟ったように静かな笑みを浮かべ、すべてを受け入れた諦観を手にしたような彼の命が残りわずかだとしても。 あたしはそう信じたい。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

みうらじゅん&いとうせいこう20thanniversary 映画ザ・スライドショーが やって来る! 「レジェンド仲良し」の秘密

 これのCMをWOWOWで見たとき、てっきりスペシャル番組だと思った。
 まさか映画館でやるなんて・・・冒険しすぎ。 しかも運よく(?)神戸国際松竹で上映するという。 「あー、じゃぁ観に行けるかな」とのんきに構えていたら、タイムスケジュール厳しい! しかも<特別興行>(割引等一切ききません)枠! ちょっと考え直させてください・・・。

  レジェンド仲良しの秘密P.jpg タイトル長すぎるよ! 誰が決めたんだよ!
 ついそうつっこんでしまいたくなるほど、あたしと『ザ・スライドショー』の付き合いは長い。
 WOWOWで放送を始めたのは『ザ・スライドショー4』(1999年)からで、多分あたしはそこから観ている。 当時はほぼ毎年、下手すれば一年に二回開催とかしていたので、『8』まではシティーボーイズライブと同じくあたしには恒例行事。 『9』からは時間があくので以前ほどの熱狂感というかリアルタイム感は薄れるんだけど、それでも放送されると観てしまうので、冒頭のいとうさんからのみうらさんへの無茶振り時事ネタに笑える楽しさがありました(そう、時事ネタってそのときはいいんだけど、何年もたってから見直すと「あれ、これってなんのことだっけ・・・」と自分の記憶の曖昧さを知るおそろしいものである)。
 というわけで、これは2016年に開催された『ザ・スライドショー13』を中心に、『ザ・スライドショー』の歴史を振り返りつつ、それ以外もなんだかんだと仕事でもプライベートでも付き合いのある二人の<仲良しさ加減>を探るドキュメンタリーである。
 そう、結局仕事を早退して観に行っちゃったんだな!

 なにしろWOWOW放送分は全部観ているから、過去の分も含めてネタの部分もバックステージも、全部観たことある。
 わざわざ映画館に来た意味あったのか?、と途中までそういう気持ちは拭いきれなかった。
 でも、家のテレビで見るのと違って、並んでいる椅子が見える環境で彼らを観るってのはもしかしたら、実際にステージを観ているような錯覚を起こすのでは?、という感じに。
 どちらにせよ、これを観に来るような人たちが一見さんなわけはないわけで、映画館は全然満員じゃないけど、でもいる人たちは『ザ・スライドショー』を愛する仲間たちだってことで、ちょっと心が温まるよね〜。

  レジェンド仲良しの秘密2.jpg 『13』のステージは代々木体育館。
 会場入りしてすぐ舞台を見に行く二人。 「思ったよりでっかいねぇ」、「ここ、お客さん座れないの?」と同じようなことをスタッフに聞く。 彼らもまたステージを観るお客さんの目線を大事にしている。
 でもそのへんもWOWOWで観てるんだよね・・・。
 だけど、過去作ダイジェストで「あぁ、そういうのあったねぇ」と懐かしい気持ちになりましたよ。 『とんまつりJAPAN』は人間椅子が弾いてたんだよな〜、とか。 ほんとにみうらさんはいろいろと先取っていたよな、とか。
 あたしはずっといとうせいこう派だったのである。 きっかけはわからないけど小学生の時からファンだった気がする(作家デビュー作『ノーライフキング』を単行本で買ってたからね!)。 で、絵も描けない人間なので言葉で世界をつかみたいと思う、そういう感覚はいとうさんからも影響を受けている。
 で、それぞれのインタビューでも言ってたんだけど(このインタビューがこの映画の肝である)、当時のサブカル界にはなんとなく暗黙の派閥があって、二人は別の派閥にいたので接点がなく、イメージでしかお互いを捉えてなかったらしい。 消費者たるあたしの側にもその<派閥>がなんとなくわかって、要は活躍の場が違うから踏み込めないのだ。 自分が読んでいるマンガ雑誌に載っているマンガ家さんのことは知っていても、読んでいない雑誌のマンガ家さんの作品に触れるのは勇気がいる、みたいな。 なので“みうらじゅん”、という存在は知っていても、あたしが彼の作品にきちんと接したのは『見仏記』が最初。
 だからあたしはずっといとうさんの視点で二人を見ていた。 でもときどきみうらさんの言動に「あれっ?」って思って・・・自分の中にある<みうらじゅん的なもの>を発見してしまうのだ(たとえば、超B級映画『巨大イカの逆襲』がなんだか大好きなところとか)。
 長年連れ添った夫婦は考え方が似てきたりするという。 根底の<笑いのツボ>が同じでもアプローチはまったく違っていた二人が、お互いから影響を受けあって「(似てきちゃったけど)ま、いいか」という境地に辿り着くまでの軌跡をあたしも観てきたんだな、という二十数年という時間の重さも感じましたよ。
 でもこの二人がただの仲良しとわけが違うのは、お互い切磋琢磨しているところ。 予定調和に陥らず、常に相手を裏切ろう、一歩先を行こう、裏の裏を読んでいこう、と自分の中にいる相手と戦っているところ。 もしかしたらそれがほんとの「リスペクト」ってやつなんじゃない? だって、本心は「そうすることでいかに相手を楽しませることができるのか」と考えているってことだから。

  レジェンド仲良しの秘密1.jpg 始まっちゃえばいつもと同じ。
 でも、初期の頃のくだけきった服装(いとうさんはだいたいニット帽かぶってたし)から近年スーツ姿になったのは、それぞれがお互い公の場(国立博物館の仏像展のテープカッターとか)に出ることが多くなったからからかなぁ、と思っていたのだけれど、まさか<正統派漫才>を意識したが故の選択だったとは!

 なにしろこの二人、初めて会った時のことをお互い鮮明に覚えている。
 「自分はツッコミだと思ってた。 でもいとうさんにつっこまれて、自分はボケだと悟った」
 「多分、みうらさんを正面切って突っ込んだ人が今までいなかったんでしょうね。 で、僕につっこまれてボケの面白さに目覚めたんだと思う」
 別々にインタビュー受けているのに、答える内容はほぼ一緒!
 で、『見仏記』もTVでやるようになったし、なんか二人一緒の仕事増えてるし、世間が「あの二人は仲良し」と見ていることもステージ上の笑いのためには利用する、と言い切るいとうせいこうに、エンターテナーとしてのプロ意識を見た。

  レジェンド仲良しの秘密パンフ.jpg 結局、パンフ買っちゃったよ。
 多分これが<特別興行>気分、映画ではなくて生の舞台を観た、に近い感覚を得たからではないかと。
 『ザ・スライドショー』自体をあたしは直接観に行ったことはないんだけど(以前、奈良市で仏像に特化したスライドショーには行ったことあるけど)、なんとなく初めて参加したような気持ちにちょっとなったかも。
 問題は、『ザ・スライドショー14』がいつあるのか。
 ま、あたしはきっと例年通りにWOWOW待ちになると思いますが。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

今日は4冊。

 あぁ、3月ももう3分の1が過ぎるよ・・・。

  制裁【ハヤカワ新版】.jpeg 制裁アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム
 『熊と踊れ』で注目が集まったアンデシュ・ルースルンドのデビュー作にしてガラスの鍵賞受賞作。 一応、<グレーンス警部>シリーズ第一作となっておりますが、この作品の中では印象が薄い(のちのち、シリーズが進むにつれ彼中心っぽくなっていきますが)。
 あたしは武田ランダムハウス版で読んでるんだけどな(しかし版元倒産のため、現在すべて絶版のところをハヤカワが『熊と踊れ』のヒットに当て込んだ模様)・・・とスルーしかけましたが、「筆者改定版を反映した新たな文庫化」ということで・・・やっぱりデビュー作だから、ご本人としても振り返ると直したいところがあったのか。
 ちなみにこのシリーズ、「北欧のイヤミス」と当時は捉えられていましたが、そうではないのです。 確かに読後感は最悪ですが、あくまで事実をベースに作品を書いている。 これはスウェーデンの、ある意味先進諸国の暗黒面なのです。
 もし、これで絶版分(『BOX21』『死刑囚』)を早川が責任もって出してくれるというのなら、この体裁で揃えますけど!

  紳士と猟犬.jpg 紳士と猟犬/M・J・カーター
 このタイトルと表紙のイメージから、坂田靖子の『マイルズ卿ものがたり』とウッドハウスの『ジーヴス』シリーズ、そして何故か稲見一良が連想され。
 帯によると、<読書好きの軍人&猟犬の異名を持つ“探偵” 異色の英国人バディが、消えた詩人の謎を追う!>、しかも舞台は19世紀のイギリス統治下のインドだそうで・・・なんか面白そう、と思ってしまいました。 作者は全然知らないんだけどね。

  ナルニア国物語3馬と少年.jpg ナルニア国物語3 馬と少年/C・S・ルイス
 今回はちゃんと忘れなかった第3巻。 帯のラインナップを見たら約3カ月おきの刊行らしい、次回は6月、覚えておくぞ!
 またしても一筆書きで馬が表紙に描かれておりますが、ライオンのときのような感銘を受けないのは何故?
 しかし、「これが作者がもともと望んでいた読んでほしい順番」とはいえ、微妙に違和感が拭えないのはあたしの頭が固いから? 昔のイメージが強すぎるから?

  それが映画をダメにする.jpg それが映画をダメにする/前田有一
 『超映画批評』で有名な著者による、雑誌に掲載されたコラムの書籍化。
 映画の宣伝方法に対してはあたしも同じように思うところがあるので(何故チラシやコピーでネタばれするのか、など。 それが気になって映画宣伝のワークショップにも行ったことがあるぐらいだ)、筆者の主張には同意。
 映画会社の宣伝部のみなさんには「いくらいい映画であっても売れなきゃ意味がない」というお気持ちがあるのはわかりますが、それがひいては観客をなめた態度ととられて総スカンを食らうかもしれない、という覚悟はあるのだろうか。
 ここしばらく邦画の興行成績は洋画を越えてしまっているけれど、10年、いや5年後に残っている映画はどれくらいあるだろう。
 ただ映画が好きなだけのあたしでもそんな危機感を覚えるのだから、職業としてかかわっている人たちの気持ちは尚更、ではないかしら。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

久し振りの女子会にて@西中島のイタリアン

 最近、残業が続いております。 2月が短いのも悪いんだけど、あたしが月曜日休んじゃったのも影響あり。
 そうなるとストレスがたまってきて、心にゆとりがなくなる。 ろくに仕事しないでへらへらしている窓際の人(本人にその自覚がないのが余計腹が立つ)の仕事に関係ないおしゃべりにイライラし、あたしはつかれているはずなのに眠れない。
 いかん、これでは悪い周期に入ってしまう!
 オザケンの歌を口ずさみつつ脳からドーパミンを出す(そうなるとオザケンの曲がエンドレスで流れてしまい、止まらない)。
 しかしつかれているのはあたしだけではない。 みなさん残業続きである。 「なんかおいしいもの、食べに行こうよ」と勢いで決まる。
 これまで、神戸オフィスでは同じフロアで仕事をしていた方々も今ではバラバラになったり、同じ階でも部屋が違ったりと前ほど気軽にあったりできない、というのも一つのストレスなんだよな。
 先日、ある研修会の帰りに飛び込みで入ったイタリアンのお店がおいしかった、ということで、そこに連れて行ってもらいました。

  西中島イタリアン1.JPG 前菜盛り合わせ(大皿)。

 いつもそんな女子会は飲み放題コースだったり、お喋りが止まらなかったり、すぐに食べちゃったりで写真を撮るタイミングを逸するのですが、今回はちょっと撮れた!(といっても全部じゃないところがまた・・・)。
 前菜盛り合わせ、あたしは大好きです! そのお店の実力も出るし。
 スモークサーモンのカルパッチョのソースがジュレになっていたり、ピクルスの酸味が控えめだったり、ひよこ豆のサラダもおいしかったし、技術は確かだけれど個性はそんなに強くない、素材のよさで勝負します!、という感じのお店に思えて、あたしは結構好みでした。
 ワイワイ食べ、「えっ、あの人辞めたの?!」、「辞めさせられたらしいよ、あまりに仕事ができなくて」といった仕事場ではできない噂話に話が咲いてしまいます。 ちなみに「女子会って、いつまで女子と名乗るつもりだ」という一部批判があることは承知しておりますが、<女子>には<若い女の子>という意味だけではないので、女性オンリーという意味で使っております。 タラレバ話はしておりません。

  西中島イタリアン2.JPG ホワイトソースと特殊なチーズのピッツァ。

 このチーズがちょっと独特な風味で、トマトソースと合わせたら消されちゃうのかな、だからホワイトソースなのかな、という感じ。
 このホワイトソースもおいしくて、「きっとこのお店のカルボナーラはおいしいに違いない!」と断言したら、自慢料理だったようです。 すかさず、Iさんがオーダー入れました。 この写真の他に、ピッツァ・マルゲリータ、ぺぺロンチーノ、カルボナーラ、豚骨付き肉のグリルを食べております(今回、総勢5名)。
 いやー、どれもおいしかった。 ピッツァは人数に合わせてカットして出してくれるというささやかながら細かいサービスもうれしかった。

  西中島イタリアン3.JPG 栗と無花果のセミフレッド。

 おなかいっぱいよー、といいながらデザートも頼みます。 セミフレッド大好きなので。 作り方はシンプルだけど、中身になにを入れてくるかでお店(シェフ)の個性が出ると思うので。 イタリアンのデザートってティラミスしか浮かびにくいかもしれないけれど、セミフレッドももっとメジャーになってほしい存在。
 みなさまお疲れのためおねむになってしまった人もいて、喋り足りないけれど解散。 明日も仕事あるし!
 でもこういう息抜きがあるから、またがんばれます。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

よくなってきたと思っていたのに!

 昨夜のうちから微妙な感じはしていたのだ、今思えば。
 でも気付かない振りをして、翌日の準備(着る服とかも全部決めて。 いきなり気温が上がるというから上着も薄いものに変えた)もした。
 なのに、翌朝、貧血で起き上がれなかった・・・。
 というわけで、今日は仕事を休みました。

 実はあたし、人より赤血球のサイズが小さいらしい。 単位当たりの個数は基準値範囲内なので「赤血球由来の貧血」という病名はつかないが、それでも油断すると貧血になりやすい。 通常の健康診断では個数は数えてもサイズまでは見てくれなのか、あたしは結構長い間その事実を知らなかった(以前、たまたま腰の間接付近に風邪系の菌が入り込み、歩いたり動いたりできなくなったことがあり、病院で検査を受けたらそのときのドクターが血液の専門医であったために発覚。 ちなみに腰があまりにも痛すぎたあたしは自分に熱があることに気づかず、病院で指摘され。 風邪薬をのんだら普通に動けるようになったのだった。 痛くて姿勢もかえられなかった一日の苦しみはなんだったのか・・・)。
 ま、そんなこんなで自分の中にもともとある不調の正体を不意に知らされることはままあります。
 鉄剤をのんじゃうと身体がしんどいので、できるだけ日常の食品で補おうと意識してはいるのですが・・・(ほうれん草・小松菜・ひじきはあたしの常備菜)、調子によってはそれだけではまかないきれないときが。 それに、意識はしていてもタイミングで食べられないときも。
 いろいろな要素が絡み、「あ、今日ダメ、動けない」というときがある。 ま、数時間したら起きれるようにはなるのですが。
 やっぱり、勤務先が変わってから倒れる頻度が高くなったな・・・明らかにストレスと疲労だ、通勤と、仕事の。
 うまく折り合いをつけていくしかないのだが・・・なかなか、難しい。
 ほんとは転職するつもりだったのだけれど、今の仕事場の人手不足を見ると、辞めると言い出せない(そして強制はされないけど、辞めさせてくれなそう)。 必要とされていることはありがたいのだが・・・お人よしはつらい。 とりあえずあと半年、様子をみよう。
 そして明日からまた気温が下がりそうである。 上着をもとに戻さなければ・・・。
 この時期にあまり気温が上下されると身体に負担なのよね。 なにしろ北東北暮らしが長かったもんで、冬場は一日の気温が低くてもあまり変化しない方が楽。 逆に夏場は、昼と夜の温度差がほしい(ただ単に、暑いのが苦手なだけですが)。 あと湿度ね。 今の時期でもあたしはちょっと雨の気配があると「蒸し暑い!」と感じてしまいます。
 あぁ、ほんとに冬は去ってしまうのだな。
 着るもののこと、考えないと〜。 オフィス内は暑くなってきたし、でも会議室は寒いし、体温調節を身体に任せているとまた負担になるので、着脱できる服装にシフトしていかないと大変です。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 体調 好不調の波 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする