2016年12月22日

誰のせいでもない/EVERY THING WILL BE FINE

 ヴィム・ヴェンダース監督作品って久し振りだな!、ということで。 キャストも何気なくも豪華じゃないですか! しかも人間ドラマなのに3Dって!(実際には2Dで視聴)。

  誰のせいでもないP.jpg 一つの事故。 一人の男。 三人の女。
     すべては雪の日に始まった。
     巨匠ヴィム・ヴェンダースが描く、揺れ動く感情のランドスケープ。

 作家のトマス(ジェームズ・フランコ)は、絶賛スランプ中。 恋人のサラ(レイチェル・マクアダムス)ととともにカナダのモントリオール郊外に住んでいるが、気分転換のため湖のワカサギ釣り小屋を借りていた。 サラから何度も携帯に着信が入るが、何度かに一回くらいしか出ないトマスはなかなかの自己中心的性格だとわかる。 そして大雪の中で人気のない道で車を走らせているとき、サラからまた電話がかかってくる。 出ようとしたとき、目の前に突然なにかが飛び出してきた。 あわてて急ブレーキをかけて車外に降りたトマスは、そりに乗ってぼんやりしている少年クリストファーを見つける。 何事もなくてよかった、と少年を家まで送るが、家の中で本を読んでいたらしい母親のケイト(シャルロット・ゲンズブール)は、子供は二人いる、と言って駆け出していく・・・という話。

  誰のせいでもない4.jpg このときは、何事もなかったと思っていた。

 3D効果はファーストシーンの小屋の中で目覚めたトマスが、差し込んでくる日の光の中、舞い散るホコリの美しさに(観客も)目を奪われるところから始まる。 氷と雪に覆われた湖の広さを表現するための奥行き、そしてガラス窓越しの風景や、逆にガラスに反射する像をくっきりと映すため。 それは基本的にはトマスの視点なのだが、妙に他人事のように映るときもあり、彼の作家としての性故なのか、もともと感情や共感能力に乏しい人だから小説を書くことにも行き詰っているのではないかと思わせる。
 主人公なのにトマスの気持ちは最後までよくわからなくて、そしてすべて現実に起こった出来事なのか、もしかしたら一部トマスの想像ではないか、とも見えてくる。

  誰のせいでもない1.jpg またシャルロット・ゲンズブールは狂気に踏み込みかねない、幸薄い人の役だなぁ。 しかし法律的に罪にはならなかったとはいえ、この二人が一緒にいてなんでもない内容について話す、という状況が恐ろしくも奇妙(でも奇妙に見えないようになっているのがすごい)。

 事故から2年後、その4年後、更にまた4年後、と時折時間はスキップするが、戻ることはない。 その10年の間、子供を持つかどうかの意見が合わなくてトマスはサラと早い段階で別れ、その後、小さいが賢い娘がいる編集者のアンナ(マリ=ジョゼ・クローズ)と出会い、結婚する(でもそれってサラとしては納得いかない展開よね)。 事故後に書いたトマスの小説はベストセラーになる。 だがその間もケイトとクリストファーの姿はトマスから消えることはない。 成長したクリストファーは自分が弟に何をしたのか苦悩する歳になった。

  誰のせいでもない5.jpg トマスに会いに来たクリストファー。 流れた10年間の月日は二人にとってはまったく違う重さだった。

 「誰のせいでもない」とは、優しくて思いやりの心から出た言葉のようでいて、実は本当にどうしようもなくてあきらめるしかないような、自分に言い聞かせるような表現なんだ。
 誰かを責めたいんだけれど、責めた分だけそれは自分にも必ず返ってきてしまうから。
 「誰のせいでもない=ちょっとずつすべての人のせい」。
 ありふれた言葉のようでありながら、そう簡単に口に出せるものでもなく、実際自分でもこれまで使ったことがあるだろうか、と考え込んでしまう。
 それくらい、このタイトルには意味があったように思う。
 原題の『すべてうまくいく』よりははるかに重くて、救いのない感じ、絶妙。 このあたりが日本語の語彙の多さなのかな。

 人間関係に答えなどない。 あるのはただきっかけとタイミング、出会いと別れだけ、とでもいうような。 人の心の中は誰にも、ときには本人でさえもわからない。 なんかいまいちすっきりとしないのだが、それが人生ということなのだろうか。 ずっしりと重かった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする