2016年09月15日

不健康診断 前夜

 前日からやばい気配はあったのであるが・・・貧血その他の複合的症状により、本日、人事不省。 仕事を休んでしまいました・・・。
 あぁ、明日、午後から健康診断なのに。
 13時くらいまでに仕事をまとめ終えなければいけないのに(健康診断を去年と同じ検査専門クリニックを予約してもらったので、遠くなったのだ)、今日のやれない仕事が追加される。 しかも健康診断を受ける際の諸注意(朝から何も食べるなとか、水を飲むのも100ml以内とか)、絶対守れない。 守ったら仕事場に着く前にどこか途中で倒れる自信あるよ、あたし。
 というかそもそも、明日のあたしは大丈夫なのか?!
 よれよれで健康診断、行ってきます(行けなかったらどうしよう)。

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2016年09月14日

血の季節/小泉喜美子

 ちょっとぱらっと読むだけのつもりだったのに・・・読み終われなくてほぼ一気読み。
 というか、「あたし、これ、以前読んだことある?」と思ってしまうほどの既視感(既読感?)。
 いや、きっとそんなことはないはずなんだけど・・・1982年発表の作品だそうなので、多分それまでの先行作品と、これに影響を受けたのかもしれない後発作品とがあたしの中でいろいろないまぜになって出てきた、ということかもしれない。

  血の季節.jpg 著者の代表作とされる『弁護側の証人』は日本を舞台にしながらもどこか文体が翻訳調というか、外国モノっぽい雰囲気があったのだが(これの著者あとがきによれば『シンデレラ』を下敷きにしたそうで。 納得!)、今作は間違いなく日本であった。

 青山墓地で発生した幼女惨殺事件の犯人は死刑を宣告され、刑の執行の前に独房で奇妙な告白を始める。 そもそものきっかけは40年前、犯人の少年時代に出会った異国の公使館に住む、金髪碧眼の美しい兄妹との交流からだった。
 その回想の合間に、惨殺事件を捜査する警部の努力と困惑が挿入され、ただの「嘘かほんとかわからない狂人かもしれない人物の告白」を論理的に補佐する。
 東京大空襲をこんな形で持ってくるなんて!
 火葬が一般的な日本では成り立ちにくいヴァンパイアものを歴史に絡めてリアリティを持ちこむとは・・・脱帽です。
 「語り」の部分には特に目新しさはないものの、それが逆にラスト数行のさりげない描写に込められた驚愕をより強くする、というか。 ミステリやホラーは子供だましではない、優雅で高尚な嗜好品(もしくは芸術品)である、という作者の思いが溢れ出てくるような作品であった(その当時、このような作品への社会的評価は低かったような記憶があたしにはあるので、余計にそう感じちゃったかな)。
 小泉喜美子さんが<翻訳家>という認識でいたのは実にもったいなかった。 翻訳家でありつつわが道を行く作家であったと、もっと早くから認識すべきだった。 しかし早くに亡くなられている以上、もっと作品を!、と望むのは手遅れなのだが・・・。
 あぁ、まったくもって、あたしはいろんなことに気づくのが遅すぎる。 

ラベル:国内ミステリ
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2016年09月13日

生きうつしのプリマ/DIE ABHANDENE WELT

 家族ネタというのは世界でも追求し続けられるものなんだろうな。 でもあたしは今回<『ハンナ・アーレント』監督による最新作>というキャッチにつられてしまいました。 ドイツ映画の雰囲気ってなんか好きだし。

  生きうつしのプリマp.jpg 母と同じ顔をしたメトロポリタン・オペラのプリマドンナ。 彼女は誰なのか? ニューヨーク、ドイツ、イタリアを辿り、<母を知る旅>が始まる――
  オペラの旋律にのせて紐解かれていく、ある母娘の過去をめぐるミステリー。

 結婚式のプロデューサーとして働くゾフィ(カッチャ・リーマン)の本職はジャズ歌手。 しかしあまり売れておらず、小さなクラブでのレギュラーを失って落ち込んでいるところに、強引に父親から電話で「とにかく家に来い」と呼び出される。 動揺しているのか要点を得ない父親にどうにか事情を話させれば、インターネット上で死んだ母親のエヴェリン(バルバラ・スコヴァ)とうり二つの女性を見つけたのだという。 その人物はニューヨークのメトロポリタン歌劇場のプリマドンナ、カタリーナ(バルバラ・スコヴァ)。
 どういうことなのか調べてきてほしい、というめちゃくちゃな父親の頼みを断り切れず、それ故に同居中の恋人とも別れることになって、失意の中ゾフィはニューヨークへ旅立つことに・・・という話。
 オープニングの映像、そしてゾフィがこれから結婚しようとするカップルに尋ねる言葉などがラストへの布石になっているのだが、実はミステリーというよりはどちらかといえばコメディ寄りの物語(『ミモザの島に消えた母』のほうが家族をめぐるミステリーとしての完成度ははるかに上)。 でもドイツ人気質というかその生真面目さ故でしょうか、コメディとして成功してはいないのが残念というか、らしいというか。
 でも『帰ってきたヒトラー』がコメディ映画の振りしてホラー映画だったことを思えば、これは監督の資質ではないかと感じたり(きっと真面目な方なんでしょう)。
 そう思うと主役を演じるカッチャ・リーマンさんが『帰ってきたヒトラー』のTVプロデューサー役で出ていたことがちょっと面白い(ただ単に、ドイツの売れっ子女優さんだということかもしれないが)。 しかしプリマドンナのカタリーナを演じるバルバラ・スコヴァさんがハンナ・アーレントとは同一人物に見えなくて「あぁ、女優とは髪型とメイクでここまで別人になるものか」と改めて驚愕(横顔を見て、「あ、同じ人」とわかったけれど)。

  生きうつしのプリマ1.jpg そんな実力派お二人を観る映画。

 まぁなんとなく因縁は見えるのだけれど、方や世界的に有名なオペラ歌手、方やしがないジャズシンガーという対比もまた人生の複雑さ? その割にオペラのシーンよりもゾフィが歌うシーンのほうが目立っているというか多いというか印象深いというか・・・ご本人が歌っているんだとしたらそれはそれですごいんですけど!
 でも改めて考えると、いちばんの困ったちゃんはゾフィの父親というか・・・「頼むから調べてきてくれ!」と娘を送り出しておきながら、娘がぶつかった疑問にはだんまりだし、妻を愛しているといいながら夢を見て「復讐される」と口走るなど意味不明。 そもそもゾフィが訪ねてこなければカタリーナ側も何も知らずにすんだわけだし、娘たちは不本意ながら親世代のごたごたのしりぬぐいというか後片付けをさせられたような・・・。
 もし、娘世代がもっと若かったら今後の人生人間不信に陥ったかもしれないけれど、ほどほどいい歳である彼女たちは「まぁ、人生、そんなこともあるわよね」と受け止められたのかもしれないし(結構悲劇的というかそのあたりの“秘密”は大真面目に語られるのではありますが)、だからこそコメディだと思える軽い気持ちで観終われたのかな、という気もする。

  生きうつしのプリマ2.jpg ドイツではさっぱりだったけど、ニューヨークのジャズクラブに飛び入り参加させられたゾフィが拍手喝采を受けるのも、視野が広がったことへのご褒美というか。 観客としてもカタルシスを得られるし。

 それにしても、出てくる女性たちはそれぞれ魅力的なのに、男性たちの影の薄いこと・・・女性にとって息子以外の男はいつでも取り換えのきく存在なのであろうか(逆に言えば男性から見て女性もそう)、とつい考えてしまったりしてしまうのは何故かしら? ここはこの物語とは直接関係はないのだけれど・・・ゾフィの彼氏とのあっさりしすぎな別れや、新たな相手とのあっさりとした出会いがそう感じさせるのかしら。 それともゾフィという主人公を中心に据え過ぎた結果? バランスって難しい。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年09月12日

今日の10冊(その2)

 残りの5冊です。 あぁ、朝起きて仕事にいくのイヤだなぁ・・・。

  フィリップ・カー死者は語らずとも.jpg 死者は語らずとも/フィリップ・カー
 『偽りの街』に始まる<ベルリン三部作>に続くグンターシリーズ第6弾。 これまででいちばんの長さかも(700ページ・・・上下巻に分けないところが良心的というべきか)。
 第一部の時代設定はどうやら『偽りの街』の2年前らしい。 第二部が5作目以降の時間軸に戻るみたい。 帯に真山仁の名前があるのが意外なような、納得できるような・・・。

  ハイキャッスル屋敷の死.jpg ハイキャッスル屋敷の死/レオ・ブルース
 レオ・ブルースの(というかキャロラス・ディーンのシリーズは、というべきか)の版権は扶桑社がとった、ということなのかな? 『死の扉』だけ創元推理文庫で、本棚に並べにくいわ(というか、いまそうやって並べかえるだけの余裕がうちの本棚にはないのであるが。 あぁ、整理しよう。 時間くれ)。

  ブラックリバー.jpg ブラック・リバー/S・M・ハルス
 ありがちタイトルであるが、表紙のインパクトに惹かれ。
 手に取ったら薄くてびっくり(いや、普通なのだ。 『竜との舞踏』『死者は語らずとも』が厚過ぎるのである)。 しかも表紙、絵だと思ったらよく見たら写真だった!
 あらすじ読んだら過酷な事件をくぐりぬけた主人公が過去と向かい合う、感動ものらしいのである。 気になるじゃないですか。

  初恋の世界1.jpg 初恋の世界 1/西炯子
 大人の不器用恋愛シリーズ(?)、第3弾、ということで。 今回の主人公はカフェチェーン勤務の40歳。 地元に進出した店のテコ入れに転勤を命じられ・・・また角島県が舞台。
 どうもこの人の絵、バランスおかしい気がしないでもないが、コマ割りには慣れてきてしまいました。

  たーたん01.jpg たーたん 1/西炯子
 違う作品が同時発売って、違う作品を同時並行で連載してるの?! すごいな〜。
 こっちは43歳の男性が主人公。 友人の赤ん坊を預かって育ててしまって15年、娘ということになっているけどほんとはそうではないことをいつ告げるのか、実の父親が戻ってくるタイムリミットまであと一年・・・みたいな話。
 ある程度違う話だから同時並行できるのかな。

ラベル:新刊
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2016年09月11日

今日の10冊(その1)

 あっという間に9月も3分の1が過ぎた・・・のだが、まだ最高気温が30℃を切らないので、そんな実感がさっぱりない。 あぁ、ブログの引っ越し先を早々に検討しなければさすがにやばくなってきたぞ!

  紅茶と薔薇の日々.jpg 紅茶と薔薇の日々/森茉莉
 森茉莉の人生ってある種の理想だよねぇ、と思ったりする。
 なにしろ父親は森鴎外。 長女である彼女は父に猫っかわいがりされて横のものを縦にすることもなく育つ。 16歳で富豪に嫁ぎ、離婚しても「お嬢様育ち」精神は変わることなく生涯を全うする(その間に『恋人たちの森』『甘い蜜の部屋』といった、のちに影響を与え過ぎの作品も書いているのがただ者ではない証拠)。
 そんな“一生涯お嬢様”の食に関するエッセイ集。

  竜との舞踏文庫1.jpg 竜との舞踏 上 <氷と炎の歌:第五部>/ジョージ・R・R・マーティン
 上・中・下と三ヶ月連続刊行予定の第一弾。 そうよね、文庫なのに1700円越えだもん、一気に出られてもつらい(厚さも相当のものですよ)。
 もはや『氷と炎の歌』というよりもドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作、といったほうが通りがよくなってしまった感がありますが、あたしは原作から先に入ったので意地でも『氷と炎の歌』と言い続けるぞ!
 第六部はまだ本国でも出ていないようなので・・・確実にドラマに追い越されるじゃないか(ちなみにスターチャンネルに入っていないあたしは『ゲーム・オブ・スローンズ』のDVD−BOXを地道に買っております)。

  ノースガンソンストリートの虐殺.jpg ノース・ガンソン・ストリートの虐殺/S・クレイグ・ザラー
 あまりヴァイオレント色を全面に出してくる作品はあたしの守備範囲ではないのですが(ときに例外あり)、これはもう、表紙が<雪が積もった路面>なんですよ! すっかりそれにやられたといっても過言ではない。 しかも雪に鮮血は映えるよね〜(暴力苦手とかどの口がそんなことを言うのか)。
 どうやらレオナルド・ディカプリオが映画化権を獲得、彼の制作・出演でプロジェクトが進行中とのことですが・・・ほんとかな? そういう話、ほとんど途中で潰れちゃうんだけど。

  熊と踊れ1.jpg熊と踊れ2.jpg 熊と踊れ/アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ
 早川書房が満を持してお送りする北欧ミステリ大作!、ということで当然乗っかります。
 アンデシュ・ルースルンドといえば『制裁』以降のシリーズ3作品や『三秒間の死角』でこれでもかと容赦ない話をぶっ込んでくる人である。 しかもこれ、実際に起こった事件をモデルにしているのだそうな!
 北欧ミステリ、まだまだ尽きないな!

ラベル:新刊
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2016年09月10日

秘密 THE TOP SECRET

 あー、やっちまったよ。 よく考えたら萩尾望都さんは人のつくったものの悪口とか不平不満とか一切言わない人だった・・・忘れてた!
 そう、あたしは久し振りにほんとにひどい目にあってしまったのでした。
 いくら原作と映画は別物だってさ・・・これはひどい、ひどすぎるよ!
 というわけで以下、不平不満が並びます。 ご了承ください。

  秘密P1.jpg 死者の記憶を覗き見る勇気はあるか?

 死者の脳をスキャンし、生前の記憶を映像化することができるMRIスキャナーが開発され、それを事件の捜査に活かすことにした近未来。 科学警察研究所法医第九研究室・通称<第九>がその任を担うことになり、室長・薪剛(生田斗真)のもとで様々な難事件が解明されてきた。 そこに青木(岡田将生)という青年が第九に配属されてくる。 薪は青木に、家族全員殺害の罪で死刑になったばかりの男(椎名桔平)の脳をスキャンするよう指示するが・・・という話。
 はっきり言うが、この作品の原作はミステリではない。 SFミステリである(むしろSF色濃厚)。 映画の制作陣はそこをわかっているのだろうか・・・というのがいちばんの印象であった。 冒頭から<第九>についての説明テロップが出るのだが、このMRIを利用したシステムは数行の文章で説明できるものじゃない。 完全に、原作未読者をそこで置いてけぼりにするのだ、ひどくないか?

  秘密2.jpg なんか青木くんが思っていたより早口で話す人でびっくりした。 ちなみに原作ではこんな機械は使わない(こんな映像向けの機械をつくったのなら、もっと効果的に使えばいいものを)。

 薪さんの原作のビジュアル(35歳の警視正だが、見た目は男か女かわからないほどの美貌かつ高校生にしか見えないか細さ)を再現できないことに文句は言わないが(一応少女マンガだから・・・でも神木隆之介や林遣都といった選択肢もあったと思えるのだが、仕上がりがこれではビジュアルを近づけない方がむしろよかったと言えるかも)、キャラの性格設定まで変わっているのはさすがにちょっと・・・行動の理由づけに納得いかない感じがする。 そもそも、なんで薪さんがその若さで、なおかつ過去に問題を起こしていても室長を続けていられるのか、の説明がまったくできていないのもどうかと思う(周囲の人間に「あの人は特別だから」と呟かせるだけでは説得力がない)。 これだからマンガ原作の映画化はリスキーなのである。 原作と全然違うけど、伝えたい本質を外してなければOKと思えるものなのだ。 なのにそれすらもこの映画はどこかずれているので・・・手に負えない。
 原作から違う二つのエピソードを取り上げて、それが実は裏でつながっている・・・という構造にしてしまったのでかなり無理が生じており、物語上いちばんの“怪物”である貝沼の存在がぼやけてしまうというか、あー、なんかもう必要な描写がないのにいらん説明台詞はあるな!、とイライラしてしまうことに。

  秘密1.jpg てっきり大森南朋は岡部さんだと思っていたのだけれど・・・原作オリジナルキャラの所轄の刑事。 そんな人に「死者の記憶を覗き見ることは倫理上許されるのか」という大きな命題を語らせてしまうのもなんか違うんじゃないか、という気がする(本来、薪さんと青木くんがすべき会話をこの人と青木くんがしている時点でおかしいでしょう)。 オリジナルキャラって、便利な存在だなぁ。 その分、大森南朋はおいしいけど。

 あと、衣装というか服装もヘンなのだ。 <第九>職員は拳銃の携帯を許可されているが(そのへん、説明がなかったような)、革製のしっかりしたホルスターをしているんだけれど・・・その上からジャケットをはおったらホルスターが浮き出て、まるで拘束着のように見えてかっこわるい。 あと、多分ベストは薄い金属を内側にはりこんだ防弾仕様なのだろうけど(これも特に説明なし)、これもなんかヘン。 着物の応用のようでいてそうじゃない。
 更にすごく気になったのは、この物語は近未来設定なのだけれど、そのことにまったく言及してない点。 <第九>のモニターやPCはLG製であることが強調されるかのように何度も映されるのだが(青木くんの私物モバイルはVAIOだったが)、そういうメーカー名出すのやめてほしいんだけど。 近未来までそのメーカーが残ってるとは限らないのだし、知らない人は現代設定だって思うじゃないか!

  秘密3.jpg ベストのとめ方ヘンじゃない? しわが寄りすぎだし。 でも鈴木くんを演じる松坂桃李は、『MOZU』でのダメダメ感を払拭するかのようにいい感じでした。 逆に岡田将生がいまひとつだったかな・・・よく考えたらこの二人、『ゆとりですがなにか』でも共演していたが、ドラマのほうが二人ともいい演技だった(多分、映画のほうが先に撮影されているのもあるだろう)。

 おまけに大事なラストシークエンス、ある脳が残していた記憶に、ある人物までも美しく邪気がないように映っているというのは・・・それは「本来そうあるべき姿」を描きたかったのかもしれないが、その人物の悪意を見抜けなかったとその脳の持ち主を暗に責めているようにも感じるし(それは不当なのだが)、そもそも最も愛する者だけをひたすらに目で追う(その対象だけが特別に輝き、他はそれほど意識に残っていない)というまっすぐな想いが胸を打つからこそ「世界は美しい」のであり、その想いを誰しもが持つことができるのなら「もっと世界は美しくなる」というテーマだったはずなのに、そこがぼかされた!
 名もなき少年の死をほんとに名もない扱いにされてしまったことには、怒りしか湧いてこない。
 ちなみにエンドロール見たら、脚本家が4人いた。 あたしの経験上、脚本家は多ければ多いほど物語は迷走する。 しかもうち2人は朝鮮半島系のお名前だったんだよね・・・LG推しはそのせいか(スポンサーに名前載ってましたしね)。
 となるとMRI捜査について薪さんが発表する場で、世界中の警察関係者が集まる席でやたら韓国国旗が目立っていた(映っている時間も長かった)のもそのせいか、と勘繰りたくなってくる。 あー、やだやだ。
 複数の脚本家でチェック・ダブルチェックをするのは構わない。 でもその結果、「初めて観る人」の視点が欠落してしまうのは弊害以外の何物でもない。 今度からあやしい映画は脚本家の人数も確認しよう・・・(っていうか、観に行くなよ)。
 ま、わかってましたけどね、ダメだろうということは。 それでも二時間半付き合わされてこの疲労感・・・ぐったりですわ。
 多分、生田斗真や岡田将生を目当てに来たのであろう大学生らしき女子たちが帰りがけ、「どうしよう、全然わからなかったよ〜」、「原作読めばわかるんかなぁ」と話しており・・・やっぱり原作未読者置いてけぼりじゃないか!、と憤りがふつふつと。
 『るろうに剣心』シリーズがヒットしたからといって大友啓史監督になんでもかんでもマンガ原作の企画を持ち込むのはやめてください。
 SFマインドのない人にSFを扱われると、ほんと迷惑なんで。

ラベル:日本映画 映画館
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2016年09月09日

『メンタリスト』が終わっていたなんて!

 録画している量に見る量が追い付かず、HDDをじわじわ圧迫している日々でございます(おかげで8話あたりで止まっている『真田丸』をどんどんDVDに移し替え。 ちゃんと最終回までに追い付けるのか、あたし)。
 でも毎週録画登録をしているので、CATVチャンネルチューナーも予約設定するわけで・・・今回、『メンタリスト』ファイナルシーズンは水曜22時で設定しておりましたが、先日「ん? エピソードの話数がおかしくない?」と気づき・・・いつものシーズンはだいたい22話ぐらいだから意識していなかったのですが、もう二順目に入っていた!
 なんとファイナルシーズンは13話だったのでございます。
 7話ぐらいまでは見ていたので、あわてて『メンタリスト』集中視聴。
 う、うーむ・・・こんな都合のいい終わり方でいいのか!?、と思ってしまったのはあたしだけでしょうか。 ハッピーエンドで終わるのは気持ちがいいし、中途半端に謎が残されて「はい?」となるよりはずっといいのですが・・・。
 というか、前シーズンの後半の展開もあたしはあまり気に入ってなかったのですよね・・・そのせいもある、絶対。 パトリック・ジェーンがレッド・ジョンの影を振り払い、過去の痛手から立ち直って新しい一歩を踏み出すためにはこういう流れになるしかないのはわかるのだけれども・・・でも信頼と愛情は別のものだぞ!、という気持ちも拭えなかったりするから。
 ・・・なんだかこの<ファイナルシーズン>自体が「ファン向けのおまけ」のように思えてきた(勿論ファンサービスは大事だし、ジェーンに幸せになってほしいという視聴者が多くいたことは事実でしょう。 あたしもそれは否定する気はない。 ジェーンには立ち直ってほしかったし)。
 あぁ、やっぱりレッド・ジョンを巨大なものにしすぎたよね。 だから謎解きされてもなんだか納得がいかない。 問題はそこなのかも・・・。
 思い返せば、シーズン3のラスト2話『ストロベリークリーム』(前後編)がいちばん盛り上がったなぁ。
 ・・・まぁ、ジェーンが幸せならそれでいいよ、と思うくらい、あたしはジェーンに愛情を持っていたらしい。

ラベル:海外ドラマ
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2016年09月08日

やまない頭痛

 台風の影響か、停滞する前線のせいか、朝から激しい頭痛(いや、前日からその気配はあったが・・・)。
 起きれない。 もう起きなきゃいけない時間なのにまったく起きれない(目が覚めないということではなく、頭が痛すぎて起き上がれない)。
 これはいかん、無理したら途中で倒れる、という気がして会社を休む(そしたらのちに、JR神戸線が雷による信号故障&人身事故のダブルパンチで朝のダイヤが乱れまくっていたことを知る。 さぞ混雑していたことだろう、結果的に休んでよかったと思うことにした)。
 とりあえず仕事上、休んでも支障のない日でよかった。
 でもせっかく休みになったのに、なんにもできなかった・・・薬をのんでゴロゴロしてるだけ。
 あたしにしては遠距離通勤、いつまでも続く暑さの疲れもたまっているのだろう。
 はぁ、今年の夏はしんどい。

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2016年09月07日

ジョイランド/スティーヴン・キング

 最近やっと、(あたしとしては)長距離通勤に慣れてきました。 
 いや、ほんとは慣れていないのだが、大きな駅で乗客がどっと降りた隙に座席に座る、ということがすんなりできるようになってきた。 ただ、その分、混雑している通路や窓側に座ってしまった場合、「すみません、前、失礼します」などとすり抜けるために、日々どのカバンがいいのか試しております。
 それはともかく、運がよければ一日往復で100ページぐらいは読める感じ。 ただ文庫サイズが基本。 図書館から借りたハードカバーは適さない・・・。

   ジョイランド.jpg つい最近買ったような気がしていたが、そこそこ前だった。
    よくみたら、タイトルより作者名のほうが字、大きくない?

 『ミスター・メルセデス』に手をつけたいのは山々だが、まずはこっちから!
 60歳を過ぎた“ぼく”は、40年前の大学生の夏休みにアルバイトをした海辺の遊園地<ジョイランド>での出来事、そこで出会った人生において大切な人々のことを回想する。
 ゴーストハウスではかつて殺人事件があったらしく、被害者の女性の霊がさまよっていると噂になっていた。 “ぼく”には見えなかったけれど、、アルバイト仲間のトムはなにか見たらしい。 何故“ぼく”には見えなかったのか? 調べていくうちに(そこは同じくバイト仲間のエリンが協力)、同じような手口で殺されている女性が複数いることがわかる。 これは連続殺人なのか、という話。
 そんなわけで「遊園地を舞台にした連続殺人」という謎を掲げつつ、筆の多くは“ぼく”の日常−彼女に振られそうなのがわかっているのに認めたくないあがきと未練とか、<ジョイランド>での仕事をいかに覚えて働いているか、そしてトムとエリンとのその後も続く友情、<ジョイランド>を介して出会う様々な大人たちのぶっきらぼうな優しさ、そしてなによりも近所の豪邸に住む筋ジストロフィーの少年・マイクとその母アニー(とマイクの愛犬マイロ)との出会いなど−に多く割かれる。 そこには過去を振り返るノスタルジーがたっぷりと振り撒かれているが、それ故に登場人物一人一人が愛情たっぷりに描かれているのでまるで一緒に夏を過ごしたような気になる。
 「犯人探しは二の次じゃないか!」というご意見もありましょうが、むしろ連続殺人というスパイスがかかったノスタルジックな青春小説と言えましょう(でも最終的に事件は解決するし、<ジョイランド>での被害者リンダ・グレイのことも“ぼく”は忘れることはない)。
 そんで病気の子供を出してくるってのがキングの卑怯なところよね〜。 おまけに<ジョイランド>オーナーのイースターブルック氏の(出番はすごく少ないのに)超かっこいいこと!
 子供と老人を描かせるとキングは元からうまかったけど、このところ更にうまくなっているのが恐ろしい(むしろ、あたしがまんまとやられているのだろうか?)。
 最後は(電車の中なのに)うっかり泣いてしまったじゃないか。
 一冊で終わっているし(しかもキングにしては短めの400ページ以内)、スティーヴン・キングの残酷描写が苦手、という方にこそおすすめできるかも!

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2016年09月06日

ニュースの真相/TRUTH

 「えっ、この映画いつ神戸でやるって決まったの? チラシとか全然見なかったし上映予定にもぎりぎりまでなかったよ!」とびっくり。 最近シネリーブル、そういうこと多いなぁ。 問い合わせが多いのか、たまたまフィルム(と今は言わないんだろうけど)が手配できたのか。 まぁ、シネリーブル梅田まで行かなきゃいけないかな、と思っていたのでちょっとラッキー、ってな具合(そして今現在は映画館に行く時間がほとんどない日々・・・)。
 そんなわけで事前情報がなかったので、「実話の映画化」ということに冒頭は普通に驚いた(しかもそんなに昔の話じゃない)。

  ニュースの真相P.jpg 真実にはすべてを懸ける価値がある。
    このスクープに脅かされるのは、政権か!? それともメディアか――!?

 ジョージ・W・ブッシュ大統領が二期目の立候補を表明していた2004年。 アメリカ三大ネットワークのひとつ、CBSのプロデューサーであるメアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は著名なアンカーマン、ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)が司会を務める報道番組『60ミニッツU』で、ブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑をスクープ。
 それはまたたく間にアメリカ国内で大反響を呼び、他のメディアは後追い報道をするが、その後、証拠は偽造されたものではないかとブロガーに指摘されたことから、メアリーやダンら番組スタッフは「嘘を報道した」と世間から猛烈な批判を浴びることになってしまい、自分たちが発掘したスクープ内容を正しいと証明しなければならない立場におかれる・・・という話。
 ケイト・ブランシェットは武器を持たずに戦う役をやらせたら天下一品だなぁ、とみとれる。 ほんとにかっこいい。 だが、この映画の原作は彼女のモデルとなった人物が書いたもの−つまり彼女側の視点でつくられている。 かっこいいのは当たり前なのである。

  ニュースの真相1.jpg 知らなかったが、ダン・ラザーはアメリカを代表するニュースキャスター・アンカーマンだそうである。 が、テレビに出るご本人はいそがしいので自ら調査をしている時間はない。 調査責任者はメアリーで、この二人の間の信頼関係があってこその報道。 二人の疑似親子的な関係がちょっと微笑ましかった。

 ここで問題になるのは、「ジャーナリストは自分の報道にどこまで責任を持つべきなのか」という非常にタイムリーな命題。 というか、責任持てない報道なんかするなよ、というのが目にする側の気持ちなのだが、そこまで検証してたら日々のニュースが追いつかない(即時性を旨とするニュースが発信できない)、という事情もありましょうが、そんなことはこっち側には関係ないわけで。 エゴスクープ(どうせ期日が来れば発表になるのに、それを一歩先んじて報道しようとするやつ)なんかいらんのである。
 信頼できる情報を発信し続けない限り信用されないということになるが、それはジャーナリストの道を選んだ宿命というものであろう。 報道とゴシップの違い、わかってるよね、というのは常識だと思うのだが、日本のマスコミはそのあたりが限りなくあやしい・・・そもそも基本、調査報道はしてない印象だからね(記者クラブ問題参照)。
 その調査報道の成功例が『スポットライト』なら、失敗例がこの映画。

  ニュースの真相4.jpg 報道を見つめるチーム。
    退役軍人キャリアのデニス・クエイドがいい味を出している。
 もっともらしい証拠、子ブッシュならやりかねないという偏見(?)、そして放送日が迫っているという現実等、「ウラ取りが不完全」なまま放送にのせてしまったのは事実。 それ故にわずかでもほころびが見つかれば、報道内容すべてが全否定されてしまうおそろしさ。
 結局、問題提起した内容は完全に忘れ去られてしまい、その証拠は可なのか不可なのかといった重箱の隅をつつく論争一色になってしまう。
 追う側が、追いつめられる側に変わったときの緊迫感がなんともいえず。 本読み少女のご多聞に漏れず、かつて職業としてジャーナリストもいいなぁとぼんやり考えたこともあるあたしですが、強心臓じゃないとこの仕事はできないと改めて納得。 ジャーナリズムを目指さなくてよかったと思ってしまった(正義漢ではあるんですけどね、話したくない相手に口を開かせたりインタビューを撮らなきゃいけない、というのがこっちの精神的にきつい)。
 日本でもしばらく前から民放テレビ局のドキュメンタリー番組が軒並み壊滅状態なのは、「放送日が決まっている・スポンサーとの兼ね合い」などがネックになっているからで、その分、規模は小さくともドキュメンタリー映画がどんどん増えているのだから言いたいこと・広めたいことはたくさん存在しているはず。 けれど巨大マスコミがジャーナリスト精神を忘れ「もうひとつの権力」と化してしまっている現状、一体何ができるのだろうか。

  ニュースの真相2.jpg 弁護士同席で第三者査問委員会に出るメアリー。 余計なことは言うなと言われつつ、いろいろあっても彼女から闘志は消えない。 ケイト・ブランシェットの本領発揮!

 メアリー・メイプスはこの一件でテレビ報道から身を引く。
 けれど彼女のチームがこの前にスクープしたアブグレイブ刑務所での捕虜虐待問題はピーボディ賞(放送業界におけるピュ―リツァー賞といわれる)を受賞し、今でも「調査報道のお手本」とされている。 一度の失敗で過去の功績を評価しないなんてことはない、という事実が、ほんのわずかだが慰めになってしまうのは何故だろう。 事実は事実で、変わりないのに。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年09月05日

模倣犯 犯罪心理捜査官セバスチャン/M・ヨート&H・ローセンフェルト

 これは上巻を買って比較的すぐぐらいに読み終わったのだが下巻が見つからず(未読本の山に埋もれていた)、見つかったときにはすでに別の本を読んでいたので後回しとなり、その結果また埋もれ、「そういえば・・・下巻読んでなかったな」と思い出して最近発掘。 一年越し(もっと?)に無事読み終えました。
 『犯罪心理捜査官セバスチャン』のシリーズ二作目ながら、一作目ラストで判明した衝撃(?)の事実を引き継いでのスタートなので、これは一作目から読まないと大変まずいパターンです(作者がテレビシリーズの脚本家でもあるので、シーズンラストのクリフハンガー理論をこの作品にも応用している模様)。
 出張から帰って来た夫が見つけたのは、無残に殺された妻の姿。 それだけだったら殺人捜査特別班が呼ばれることはない。 その犯行現場の状況は、かつて犯罪心理捜査官として全盛期だったセバスチャンがつかまえた連続殺人犯エドゥアルド・ヒンデの手口に酷似していた。 だが現在ヒンデはレーヴハーガ刑務所で服役中。 犯人はただの模倣犯なのか? ヒンデ本人は関係しているのか? 前作で判明した理由のため、また殺人捜査特別班に入りたいセバスチャンは、渋るリーダーのトルケルに「ヒンデを誰よりも知っているのはぼくだ!」と主張して捜査班に加わろうとし・・・という話。

  セバスチャン2−模倣犯1.jpegセバスチャン2−模倣犯2.jpeg うーん、下巻の表紙の人がヒンデか?

 「これ、このままテレビドラマ化できるんじゃないの?」という登場人物たちのキャラだち振りがこのシリーズの魅力でもあり(特に末っ子キャラのビリーに恋人ができて、彼女の言いなりなのにそれを自分の成長のためと受け止めているのがかなしい)、タイトルで<犯罪心理捜査官>と書かれているセバスチャンがいちばんの役立たず(捜査官としても、人間としても)なのが逆説的な皮肉なのか?、という感じ。 しかも前作で地元のダメ刑事として登場したハラルドソンが、現場から異動になって(させられて?)、例のレーヴハーガ刑務所の所長になっていたりして、「うわっ、またなにかやらかすよこいつは!」という悪い方の期待を裏切らないという・・・読者サービスが過ぎます。
 上巻でいったん止まってしまったのは、実はそこで一段落しているから(ある程度全容に近い部分まで見えていた気がしたから)。 しかししばらくぶりに下巻から読み始めても、「あ、そうだったそうだった」と上巻を読み返すことなく進めたので、ストーリーもキャラたちもこっちの記憶に入り込んじゃった、ということでしょう。
 ヒンデは頭脳戦にたけたシリアルキラー、という、よくある「レクター博士を小物にした感じ」ですが、彼とセバスチャンの因縁はいいスパイスでした。
 前作では最低人間でもそうなった理由につい同情を禁じ得なかったセバスチャンですが、今回はダメ度が前作を上回り、「なにやってんだこいつ、バカだな」と終始徹底して思われる役回り(もはやコメディリリーフか、というくらいの)。 “紺屋の白袴”というか、臨床心理士(あれ、精神科医だっけ?)のクセに自分のことはどうにもできないというのが逆にリアルなのかも。 でもほんと、近くにいたら迷惑・・・。
 そして今回もハロルドソン並みの新キャラが登場し、次作で大波乱を起こしそうな気配で終幕・・・またしてもクリフハンガーかよ!、とぼやきたくなる。
 原著はシリーズ4作目まで出ているので、早く3作目の邦訳をよろしく!

ラベル:海外ミステリ
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2016年09月04日

アンフレンデッド/UNFRIENDED

 サメ映画を見てしまったので、次はやっぱりホラーだよな、となりますよね、この暑さだと。
 <『パラノーマル・アクティビティ』のスタッフが送る>という宣伝文句だけで前知識なく鑑賞。 低予算の中にも新たな仕掛けがあるのであろう、ということだけ期待して。

  アンフレンデッドP2.jpg 検索したら、呪われる――。

 ブレア(シェリー・ヘニッグ)は高校で自殺したローラ・バーンズ(ヘザー・ソッサマン)の映像をYouTubeで見ている。 彼女が銃を手に持ち、気づいた人に「やめなさい」などと声を懸けられているさなか、自分の頭を撃ってそのあとの混乱の様子まで映った映像を。そこにボーイフレンドのミッチ(モーゼス・ストーム)がスカイプを申請してきて、高校生男女独特のきわどい話題と映像で盛り上がる。 すると突然、高校のクラスメイトらしき男女4人が会話に参入し、さんざん二人をからかう。 だがその会話には、見知らぬ誰かが入り込んでいた・・・という話。

  アンフレンデッド1.jpg 写真じゃないのが謎の人物。
    勿論、当然のようにローラ・バーンズのアカウントです。

 スクリーンはずっとPC画面のみを表示する。
 スカイプで会話する相手の顔や声が確認できるが、あくまでWebカメラが見える範囲、というのがホラー的構造ですかね。
 友人たちと会話しながら、ブレアはミッチに向けてだけライブリーク(LINE的なもの)を使ってこっそり「これ、どういうこと?」というような内緒話をしたりする。 他の友人たちも陰ではそうしているのかもしれないが、ブレアのPC画面しか写さないのでそこは不明で。 謎の人物からブレアにメッセージが届くが、きっとほかの人にも届いているのだろうな、と想像できるし。
 画面上で見えるものが限られるから、PCの持ち主が打ち込むメッセージを<送信>ボタンを押す前にためらう、何度も言葉を打ち直す、マウスのポインタ(矢印ですね)がうろうろと落ち着きなく動き回るといった様子に、本人の心の動揺が浮かんだり、何を考えているかがわかる、という演出はちょっと楽しい。 スカイプもフェイスブックもやっていないあたしでもわかるのだからかなり考え抜かれたやり方だろう(が、SNSの知識がまったくない、という人にはつらい映画かも)。

  アンフレンデッド3.jpg 「一回、回線切ってコイツ排除しよう」という流れに当然なるが、イラストアイコンは消えないのであった。

 それにしても「私たち、友達でしょ」という言葉の軽いこと。 ネットにより人間関係は広くなったが内容はより希薄になっている、という類型的なやつらばっかり出てくるんですけど。
 まぁ、出てくる高校生たちがみなさん揃いも揃ってクズばっかりなので、まったく感情移入できないため怖いとか思えず、どういう最後を迎えるのかが意外に楽しい、という妙なホラー映画になってしまっています。 ある意味、いちゃつく男女が真っ先に殺される、いじめる側こそ殺されるという「ホラー映画の定義」の負の方向の法則を全部ぶち込んだかのような。

  アンフレンデッドP.jpg ちなみに真っ黒いチラシ、光の加減を変えるとこのようなことに・・・これがいちばん怖いのでは。

 SNSという電脳ネットワークに入り込む呪い、という意味では『リング』『回路』に連なる系譜であるとは思うが、ローラ・バーンズが貞子ばりのキャラになれるかどうかは未知数。 その“呪い”がどこまで拡大していくのかは、バカな行為をネット上に拡散するバカどもがいなくなるまで続きそうではあるのだが・・・(それはつまり永遠ということかもしれない)。
 あぁ、残念ながら涼しくはならなかった。
 しかしこういうものに振り回される若者は大変だなぁ、と同情することはやぶさかではない。

ラベル:外国映画 映画館
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2016年09月03日

今日は3冊

 あ、復刻されている! 表紙もかわいくなっている!
 海外ものの新訳だけでなく、20年くらい前の国内作品の復刻も相次いでいるように感じる今日此頃。 出版業界にとっては20年で約一周なのか? それともかつての若き読者がもういい歳になっているであろうという時間差?

  螺旋階段のアリス.jpg 螺旋階段のアリス【新版】/加納朋子
 かつてあたしはこれを図書館から借りて読んだのだが・・・表紙・装丁が「かわいい」とはかなりかけ離れていて、その印象のせいなのか内容自体も加納朋子的世界には珍しく、どこか冷たく一線を引いたような読後感、だった記憶が。 なのに今回の新版の帯には「ハートウォーミング」という単語が。 当時のあたしの読解力に問題があったのか? 単なる記憶違いか? 試してみなくてはならない。
 ちなみにシリーズ続巻『虹の家のアリス』も来月復刻予定とのこと。

  ささやく真実.jpg ささやく真実/ヘレン・マクロイ
 なんとなく、ヘレン・マクロイは創元推理文庫から出てくれた方がしっくりくる。 装丁の統一性のせいもあるだろうか。
 ウィリング博士シリーズ第3作目とのこと、ギゼラはまだ博士の恋人です。
 こういう、人間関係の変化くらいなら、シリーズの順番は気にならないんだけどなぁ・・・。

  少女地獄.jpg 少女地獄 夢野久作傑作選/夢野久作
 <夢野久作、ベスト・オブ・ベスト>と書いてあったりするのがうまいよねぇ。
 夢野文学の入門書にふさわしいものとして四編、『死後の恋』『瓶詰の地獄』『氷の涯』・そして少女の三人を主人公にしたオムニバス『少女地獄』を収録。
 確かに『ドグラ・マグラ』をいきなり読むのはハードル高い場合には、ベストな選択といえるかも。 しかしいちいちタイトルがかっこいいというかなんというか、時代も感じさせつつ美しい!
 が、せっかくの夢野世界であるが、まだ暑さに負けているあたしには読むべきふさわしい時期ではないような気がする(まぁ、どれも以前読んだことはあるのですが、この順番は初めて)。 いろんな意味で、気持ちに余裕ができるのをちょっと待ちたい。

ラベル:新刊
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2016年09月02日

悲しみのイレーヌ/ピエール・ルメートル

 『その女アレックス』の記憶もまだ鮮明なのにこれは読めないや、と思っていたのであるが、この10月にカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ第3弾が出ると聞いて、順番は違うけどその前に読んでおかなきゃいけないかなぁ、と思ったのである。 厚さ的にも、通勤電車に持ち込むのにちょうどいい感じだし。
 <カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ>としてはこの『悲しみのイレーヌ』のほうが一作目なのである(そして作者のデビュー作でもある)。 でも内容のインパクトとしては『その女アレックス』のほうがパンチがあるので、そっちの邦訳を先にしたという出版社の事情はわかる(実際、アレックスがあそこまで売れて話題にならなかったらこっちの方は邦訳されないままだったかもしれないのだし)。
 しかし大した宣伝もしていないのに、アレックスは売れてしまった。 年間ランキングでも軒並み一位をとってしまった。 文芸春秋は戦略ミスに頭を抱えたであろうか。 それとも何も考えていなかったか。 開き直ったような邦題にはそんな捨て鉢ささえ感じさせる。

  悲しみのイレーヌ.jpg だって、この事件についてのカミーユ警部の断片的な回想が『その女アレックス』に出てくるのだから、完全なネタばれなのである。 まぁ、それを差し引いても読めるものにはなっているのだが・・・意外性は減る。

 パリ市内で、この上なく残忍に殺された女性二人の遺体が発見される。 捜査を担当するカミーユ・ヴェルーヴェン警部とそのチームは、肝心な手掛かりも掴めないうちにマスコミに邪魔されるなどして、第二・第三の事件の発生を許してしまう。 ある日、カミーユは事件の恐るべき共通点に気付き、新たな展開を迎えようとするが・・・という話。
 あらすじだけであれば「典型的なシリアルキラー物」である。
 『その女アレックス』を読んだ方々には“チーム・ヴェルーヴェン”の活躍も楽しめる。 相変わらずルイはかっこいいし。
 しかしこの事件の4年後のカミーユの姿を知っている身としては、ちょっとした描写にいちいち反応してしまう(最終的に示される事実は同じなのだが、ここでは書かれていないことがアレックスには書いてある、という意味では事件は違えども純粋な続編と言えるかも)。
 が、そこにばかり引っ張られていては第一部と第二部の構造の違いに騙される、というメタミステリになっているのだが(新本格以降の日本人作家はだいたいこれをやっているのだが)、フランス人もこの手を使うのか、という印象。 でも日本人作家とはそのスタート地点が違う気がしないでもない。 日本のメタミステリはロジック重視から派生したものが多いが、フランスはもともとの文学自体にそういう傾向があるような気がするから。
 やっぱりフランス文学は、ちょっとヘンだ!
 でもそれは、慣れ親しんでいないから、英米文学の影響がそれだけ強いから、ということなんだろうな。
 さて、『傷だらけのカミーユ』(え、更に?!)の刊行を待ちましょうかね。

ラベル:海外ミステリ
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2016年09月01日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男/TRUMBO

 脚本家ダルトン・トランボについては以前、WOWOWがアカデミー賞関連でつくったドキュメンタリー『ハリウッドと赤狩り』で取り上げられているのを見て知っていた。 主に前半はエリア・カザン、後半はダルトン・トランボという構成で。 レッドパージについてもなんとなくは知っていて、でも何故そこまで攻撃的になってしまったのかはよくわかっていなかった。 自由の国アメリカなのに、個人の思想信条を責めるってありなのか(でも911後の愛国者法の制定の素早さを見れば、そういう土壌が普通にあるのだということに納得なのだが)。 そんなわけで知ってる話だからどうしようかなぁ、と思ったのだが・・・カメレオン俳優ブライアン・クランストンのオスカー候補となった芝居、やっぱり観たいよね、ということで。

  トランボP.jpg 『ローマの休日』を生み出した脚本家の真実の物語

 東西冷戦下の1940年代後半から50年代に猛威を振るったハリウッドの<赤狩り>は、共産主義つまりソ連への恐怖と嫌悪がきっかけだった。 が、自分の主義主張を堂々と語るのがアメリカの言論の自由の権利と訴えていた<ハリウッド・テン>は目の敵にされ、一人、また一人と破滅の道に追いやられる。 すでにアカデミー脚色賞にノミネートされた実績があり、「ギャラの高い脚本家」と呼ばれていたダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)もその一人だった。 彼は下院非米活動委員会での証言を拒否したことで投獄され、釈放後も仕事を与えられない日々が続く。 家族の生活のため、ひいては同じように仕事が得られない脚本家たちのため、トランボはパルプフィクション映画のプロデューサー(ジョン・グッドマン)にギャラのランクに関係なくどんな仕事でもやると計画を持ちかける。 勿論、みな架空のペンネームで、という話。

  トランボ5.jpg ハリウッド・テンのみなさん。 会合ははじめは穏やかなものだったが、締め付けが厳しくなるにつれそれぞれが疑心暗鬼になっていく。
 トランボが信じるところの“共産主義”とは「みんなが平等に平和に仲良く生きられるように」というレベルだし、その活動も「映画に携わるスタッフの待遇の改善を!」というもっともな内容で、なんとなく『沈まぬ太陽』の労働組合の話あたりを思い出させるものがあるが、彼は考えを同じくする仲間たちと一緒に声を上げているだけで、特別ソ連をひいきにしているわけではない(ように見える)。 なのに何故あんなに責められなければいけないのか、正直全然理解できないのだが、それが「時代の空気・同調圧力」というものなんだろう。
 そういうハリウッド自身が抱える時代の暗部を映画にする姿勢は(ネタがないから、実話物なら手堅いからという商業主義的な意味があるとしても)、歴史的に意義はあると思う。
 しかしやはりアメリカなのは、反骨精神を貫くトランボを称賛しつつ、正反対の道を行ったエリア・カザンを許していない人が多くいる、というところ(あ、ここは映画には出てこない話です)。 エリア・カザンを非難する前に、そもそも下院非米活動委員会そのものやそれの広告塔だったジョン・ウェインやゴシップ・コラムニストのヘッダ・ホッパー(この映画ではヘレン・ミレン)をどうにかすべきでは? でも大スタージョン・ウェインのそんな“黒歴史”を喧伝されてはいない(知っている人は知っている、というレベルだし、なにしろ当時俳優だったロナルド・レーガンだって非米活動委員会に協力していたのだから)。 なんかずるいよね。

  トランボ1.jpg 執拗にトランボを業界から追放しようとするヘッダ。 なにか恨みでもあるのか?、という気がするほど(彼女はもともと女優だったが売れなくて、顔出しゴシップコラムニストに転向した様子)。
 とはいえ、この映画は誰かを悪として描くことはしない。 ただひたすら書く、いろいろ思うことはあるけれどそれを作品として昇華することに全エネルギーを注ぐ脚本家をただ描く(だからトランボの生きざまを知ってから彼が脚本を担当した映画を観ると、感想が変わってくるかもしれない)。 勿論、途中軋轢はあれど彼を支える家族の物語にしちゃうのもまた、アメリカなんだけど。
 ひたすらタイプライターを叩き続け、佳境に入ると浴室で仕事をした(椅子だと腰が痛くなるのと、集中したいから)というエピソードもそっくり再現、ブライアン・クラストンファンの方々は彼の入浴シーンが何度も見れます! 脚本家にしてはいい身体つきなんだけど、そこは彼自身が自分は労働者であるという自覚のあらわれなのかなぁ。

  トランボ4.jpg ダイアン・レインはすっかり「よき妻であり母」のイメージが定着したなぁ。
 しかし暗い時代はいつまでも続かない。
 トランボに実名で脚本を仕上げてほしいとカーク・ダグラスやオットー・プレミンジャーらが現れるのはなんだか壮観だった(自分が知ってる名前が出てきた!、的ヨロコビというか)。近代映画史を見ている気持ちになった(当時のニュース映像も一部使われたりしていて、否応なしに「過去とはいえ現実」という事実をつきつけてくるのだけれど)。
 評価はその時代で変わる、というのは芸術作品の宿命。
 けれどそこに政治を持ちこんでしまったらアウトだ、ということをしみじみ感じさせる。 また作中でも言及されるけれど、トランボは脚本家だから現場に行かなくてもいいし、どうにか名前を変えるという方法で仕事を続けられたけど、顔が商売道具の俳優や代表者となる映画監督はそうはいかないというそれぞれの事情も描かれ、決してトランボだけが特別なヒーローであるとは表現しない(勿論彼が不屈の精神の持ち主だったのは確かだし、減らず口を叩きながら本質を煙に巻き、なんでもへっちゃらみたいな顔をしながらも自分の名前で評価されない悔しさはあっただろうが、それはぎりぎりまで抑えられていた)。
 家族愛を高らかに歌い上げつつ、あの時代のことはもう水に流そうじゃないか、流してもいいんじゃないかというハリウッドへの呼びかけのように見えた。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする