2016年08月09日

裸足の季節/MUSTANG

 5人姉妹の物語といえば、『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』がまず思い浮かぶ(映画化された際のタイトルは『ヴァージン・スーサイズ』)。 美しいが不穏、そんなイメージがついこの映画に対しても浮かんでしまう。
 実際どうなのか、確かめなきゃ!
 ちなみにこの映画、第88回(今年の)アカデミー賞外国語映画賞にフランス代表としてノミネートされていますが、舞台はトルコで話されるのもトルコ語(制作国がフランス・トルコ・ドイツとなっており、多分資本比率がいちばん高いのがフランスなのでフランス映画として分類される模様)。 映画界も多国籍ですが、それを受け入れるフランスの移民度の高さも改めて感じます。

  裸足の季節P.jpg 夢見る季節は終わりがくるから未来へと走り出す。

 首都イスタンブールから遠く離れた小さな村に住むある5人姉妹、長女のソナイ(イライダ・アクドアン)、二女のセルマ(トゥーバ・スングルオウル)、三女エジェ(エリット・イシジャン)、四女のヌル(ドア・ドゥウシル)、末娘のラーレ(ギュネシ・シェンソイ)は祖母(ニハール・G・コルダス)に育てられている。 10年前に両親を事故でなくした5人は祖母に引き取られた形になったのだ。 が、いまやいちばん下のラーレですら13歳、元気いっぱいのティーンエイジャー5人が揃ってにぎやかにならないわけがなく。 学校帰りに男子生徒たちと海で騎馬戦をして遊んでいたところを近所の人に見られ、告げ口された祖母は激怒。
 「もうあなたたちを一人で見るのは無理」と彼女たちの叔父(アイベルク・ペキジャン)に救いを求め、因習的な価値観に凝り固まった叔父は「ふしだらな真似は許さん」と5人を家に監禁、学校にも行かせなくする。 そして歳の順に、強制的に結婚させようとする。 5人はどうにかしてそれに抵抗しようとするのだが、叔父の権力は一族の中では絶大で、彼女らが脱走を試みる度に家を囲む塀は頑丈になり、高くなっていく・・・という話。

  裸足の季節3.jpg お喋りの絶えない5人。 でも、それって当たり前だよね・・・。
 とにかくこの5人姉妹、それぞれに個性的でそれぞれ美人。 それが原題の“マスタング:野生の馬”のように常にしなやかで躍動感にあふれているのだから、多分、現代日本のお父さんでも気が気でないだろう(だからといってすべてを「ふしだら」と結び付ける方がふしだらだと思うのだが・・・それは通じない世界らしい)。 それに、抑圧されればされるほど反抗したくなるのは若者の条件反射みたいなもの。 明らかに彼女たちがされることは人権侵害であり虐待であり、下手すれば十分犯罪なのであるが、残念ながらそれはこちら側の価値観。
 同じ村でも「学校に行かないの?」と誘いに来るラーレの友だちの家はそこまで厳しくないようで、基本的な価値観はあってもそのへんの自由度は各一族によって違うらしい、ということはわかる。 となれば5人が反抗したくなるのは当然というか、なんでこの家に生まれたばっかりにこんなにひどい目に遭うのか、と怒りに打ち震えるのは当たり前である。 しかし彼女らにできる抵抗はあまりにもささやかで、そのくせ対価は大きすぎる。

  裸足の季節1.jpg このときが5人が揃って集まった、最後だった。
 「女には教育はいらない、ただ嫁にいって子供を産めばいい」という叔父の価値観は「いつの時代だ!」とつっこみたくて仕方がないが、それがまかり通ってしまうことが恐ろしいのだ。 叔父一人だけがそう叫んでいるのであれば「あの人は変わり者」で終わりなのに、その母親である祖母も、親戚一同も、そして同じような目に遭って来たはずの一族の女性たちもまた因習の前に服従している。 5人姉妹のように彼女たちも変われば事態は一変するというのに・・・だからこそ女性に教育が必要なのであり、だからこそ男たちは教育を与えたくないのだ。
 とはいえ、5人姉妹全員が純真無垢というわけでもなく。 それなりにちゃっかり遊んでしまっている(特に長女!)のも問題ありで。 長女はいちばん年上だからということもあってある程度制度のことも心得ていて、ほんとにちゃっかり一抜けするのは長女の責任としてそれはどうよ!、と怒りを禁じえない。
 映画は主にラーレの視点で動くので、ソナイやセルマにはわかることも彼女にはわからないというギャップも、ラーレに自立心を芽生えさせるために必要だったのでしょうね。

  裸足の季節4.jpg 「結婚なんてしたくない」と陰で泣くヌル。 そう、陰で泣くしかない。
 彼女らの反抗・抵抗・悪だくみ(?)を、叔父や一族の男性たちにばれないように、と孤軍奮闘するおばさんたちの言動はときに笑えて清涼剤的な役割を果たすものの、実際それは彼女たちのためを思ってのことなのか、それともただ一族に波風を立てたくないだけなのか、考えても正直わからない(彼女たちのことを思って、と思いたいが)。
 そして叔父を筆頭に、女性を個人としてとらえることなく、そもそもわかろうとしない姿勢が悪循環を生んでいることに気づかないのもまた・・・男性にも教育が必要だと思う点。
 インターネットもテレビも電話も取り上げられたエネルギーあふれるティーンエイジャーの女の子5人がひとつの家に閉じ込められたら、ますます自由奔放になり、遊びは鬼ごっこのような肉体的接触が多いものばかりになる。 そんな状態の子たちに論理的な根拠のないただの過去から続く慣習を説いても、少しも通じるわけがない。
 一応、“生き残った”姉妹にとってはハッピーエンドのように見える幕切れだが、それはラーレにとっての希望であって、決してハッピーエンドとは限らない。
 このほんの先の未来の幸せまでも保証できない終わり方に、こちらの気分はどよーんとなる。 日本だってかつてはそういう時代があった。 生まれた国や時代で女子の置かれる状況はこんなにも違ってしまうかなしさ、そして現代はよくも悪くも情報化社会により他国との比較が容易になってしまった。
 ・・・いったい、どうしたらいい?
 それが答えのない永遠の問いであるかのような状況が、悲劇なのだ。
 あきらめるよりは結果がどうであれ戦うほうがまし。
 少女にとっては、それだけが真実なのかも。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする