2016年08月31日

もう8月も終わりとは・・・

 気がつけば、8月も最終日である。
 大阪市のオフィス街の暑さに永遠に夏が続きそうな錯覚を感じているが(でも続きそうな気がする)、暦は過ぎていくのである。
 月末のバタバタやら打ち合わせやらでお昼休憩が16時近くになる哀しさもありつつ、家庭の事情で今日で退職される方もいて、なんだかもうひたすら切ないのであった。
 その人は「シャーロック・ホームズ大好き! 子供の頃から江戸川乱歩も読んでいた」という、ある意味あたしと同門出身みたいなところがあって、「よかったら」と薦めた<ヴァランダー警部シリーズ>にも見事にはまってくれて、そういう話ができるとても貴重な相手。
 勿論仕事の合間だからいつも話し足りず、メールでやりとりもしているけれど・・・そして今後もお友だちづきあいは続けましょうねと固く約束はしたものの、これまで毎日のように会えていた人と会えなくなる、というのは・・・これまで同じようなことを何度も繰り返してきて、それでもウマの合う人とは時折でもやっぱり会えて付き合いは続けられるのだとわかってはいても、寂しさを感じないわけがないではないか。
 でも仕方がない、と受け入れることができるくらいにはあたしも歳をとった、ということか。
 しかし感傷に浸るにはこの暑さは邪魔である。 早く秋になって!

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2016年08月30日

静かな炎天/若竹七海

 前作『さよならの手口』からずいぶん早く帰って来た葉村晶シリーズ新作。
 今回は7月から12月までの半年の間に、彼女が巻き込まれた(基本は依頼だが、結構巻き込まれちゃってるよ、この人は)事件を描く連作短編。 おかげで鋭い切れ味が、尚更鋭くなっているというか、最後の一行の後味の悪さときたら!、というのが長編以上にある。
 まぁ、それが、葉村晶モノです。

  静かな炎天.jpg 今は8月なので彼女が暑さに文句を言うところには共感。
    しかし寒さに対する苦情は今のあたしには受け入れられない。

 気づけば、彼女との付き合いも20年以上なのである。 初登場作『プレゼント』では三人称だったような気がするからなんとなく初対面感が強かったけれど、『依頼人は死んだ』で一人称になってから一気に知り合い感が増し(といってもお友だちっぽいわけではなくて・・・)、『悪いうさぎ』でいつしか親近感がわく。 こっちの年齢が彼女に追い付いてきたので、同世代感が出てしまったせいかもしれない。
 そのあたりは『さよならの手口』にもあったけど、かつては普通にできた“ちょっとした無理”が、いまやったらあとをひくとかいった体力面の衰えや、若者とのジェネレーションギャップに唖然とするところとか。 本作でも彼女は四十肩に悩まされ、無茶な上司にこき使われてぐったり・げっそりしているところに電車で席を譲られて逆にショックを受けたり、かといってシニア以上の老練な女性陣には太刀打ちできず、という中途半端な年齢に四苦八苦している様がクールに描写されるのだけれど、その減らず口の中にあるものを思うと他人事とは思えない。
 と言っているとこのシリーズの魅力は探偵・葉村晶だけみたいだけど、そういうことではまったくない。
 長編であろうと短編であろうと、人間が持ってしまう悪意の底なし具合が容赦なく抉られて、人間不信になってしまいそうだ(富山店長の天然を通り越した「自分はまったく悪くない」っぷりにも時折殺意を覚えてしまう)。
 ネット検索と電話だけで解決できてしまう事件もあるけれど、基本葉村晶は身体を張り、満身創痍になりながらも謎に立ち向かう。 その決して逃げない姿勢が好きなのだ。 多分自分もそうありたいし。
 あぁ、短編集なのでサクッと読んでしまった。 また早い帰還が待たれる。

ラベル:国内ミステリ
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2016年08月29日

夏休み返上の危機(一日だけど)

 以前、夏休みを利用して仕事場の事務所移転・荷物引っ越しの予定とお伝えしたかと思いますが・・・。
 そのときは、「全部業者さんに頼むから、段ボール箱に中身をわかりやすく書いておいてくれたら」という話だったのです。 役職づきの方は出社するみたいだけど、ヒラの人間まで出てくる必要はないだろう、ということで。
 ところが!
 「もし可能なら、よかったら出てきてもらえます?」という話に!
 うっ、そんなに長くない貴重な夏休みを一日、引っ越し手伝いで使うのね!
 「・・・後日、代休いただきますけど」
 しかしその休みがいつ取れるのか、不安だ〜。
 というわけで、来週が正念場です。
 うっ、月曜日ファーストデーだから『シン・ゴジラ』観に行きたいのになぁ。
 でも時間的にレイトショーになりそう。 週頭からそれはあたしの体力的に問題ありか(とはいえ神戸市のレディースデーは火曜日なんで、一日ずらしてもあまり意味がないか)。
 一回早い回だと18時台か・・・厳しいなぁ。
 もしくは、月曜日はそれに合わせて早く帰って、その次の日からがんばる、という手もあるが・・・悩みます。
 まだ書類整理の段階なんですよね。 箱詰めとか全然できてなくて(だって通常業務は行われているので使うものもあるし。 それにそんなに早くから段ボール箱を積み上げておいても邪魔だし。 紙の廃棄物は箱詰めしてますけど)。
 あぁ、ほんとに引っ越しできるんだろうか。 不安・不安・不安。

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シン・ゴジラ/SHIN GODZLLA

 『ジュラシック・ワールド』で狂喜乱舞する恐竜好きのあたしは、当然のように怪獣も好き。 どっちかといえばガメラ派なんだけど(それはカメが好きだから)、ゴジラはなんか別格ですよね〜。 あたしは1984年にリブートされた『ゴジラ』を友人のお父さんに連れて行ってもらった記憶がありますが、先日その友人に「そんなこともあったよね〜」と尋ねたら本人はまったく覚えていなかったという(3人で観に行ったはずなんだけど)。
 このように、記憶とは曖昧なものです。
 ハリウッド版『GODZLLA』が世界的に好評だったため、本国のメンツにかけて新しいゴジラをつくらないと!、と東宝が社運をかけたこのプロジェクト。 結果は吉と出たようで、よかったですね(個人的には東宝の「売れるが勝ち」的戦法はあまり好きではないけれど、そういう上からの圧力を一切無視した制作陣の勝利かと)。 ちなみにあたしはエヴァンゲリオンを観ていないので、比較はできません。 庵野さんのファンでもありません。

  シンゴジラP.jpg ニッポン対ゴジラ。

 東京湾で誰も乗っていないプレジャーボートが浮遊しているのが海上保安庁により発見される。 その直後、海中からなにかが。 そしてアクアトンネルが崩落する事故が発生し、首相官邸で緊急会議が開かれる。 内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)は海中から謎の生物が出現し、それが事故原因である可能性を指摘するものの、一笑に付される。
 が、その後すぐに海上に“巨大不明生物”が出現、川に沿って移動しながら町を破壊していく。 内閣総理大臣補佐官・赤坂秀樹(竹之内豊)らのサポートも得ながら、矢口はどう対応するか政府内で意見がわかれる中、最善の道を模索しようと巨大不明生物災害対策本部を設置させ、様々な分野のスペシャリストたちを集めてこの国を襲う未曽有の危機を乗り切ろうとする・・・という話。

  シンゴジラ4.jpg 最初はこの二人、官僚かと思っていた(政治家にしてはいい男すぎるでしょ)。

 とにかくテンポがよい。 というかよすぎるというか展開が早いのである。 ゴジラが出てくるまでのタメもほとんどないぐらい。 が、前半はほぼ会議に次ぐ会議、または会議のための会議の連続。 あたしが今働いているところもそういう感じなので「うわー、わかるわ」と下っ端官僚のぼやきに思わず共感。 日本の社会ってなんだかんだいってそうなんだよねぇ、前振りと根回しは結果的に事を早く進めるために必要なんだよねぇ。 と、日本人あるあるに時折苦笑してしまいますが(次々出てくる明朝体のテロップも、最初のほうは真剣に読んでいたけれども途中から「あ、これ流し見でいいんだ」と気づいてからはそれもお笑いポイントになってしまいました)、これ、世界配給されるんだよね? 外国の人、わかるのかな?、と心配になるほど。

  シンゴジラ2.png 今回のゴジラは尻尾が巨大なのが特徴。 フルCGでこれだけのキャストで製作費15億円で済むって・・・このように追い詰められればられるほど力を発揮するのが日本人か。

 なんていうんでしょう・・・日本人って、個じゃなくて集団で力を発揮する民族(?)なんだなぁ、というか。 アメリカのようにスーパーマン的な突出した一人がヒーローとして大活躍、ということはありえない。 今回、一応矢口が主役のような形にはなっているけど、あくまで“巨災対”というチームのリーダーだからであって、チーム一丸となって取り組み、そこに協力する人たちがいて・・・という集団戦なのである(だからといって個が埋没するわけではない。 “個”が協力しあってこその“集団”。 なのでオールスターキャストひとりひとりの出番は少ないが、それなりに見せ場はある)。

  シンゴジラ7.jpg 鶴見辰吾、かっこよかった・・・。
    みなさん普段の2倍速ぐらいのスピードで台詞を言ってますが、柄本明・平泉成といったベテラン勢は早口に聞こえないのがすごい(それでも普段の彼らよりは早口なのですけど、そう感じさせないのだな)。

 そして<これまでゴジラという存在を知らない日本>を舞台にすることで、有事における日本の危機管理とその対策(つまりは安全保障)を限りなくリアルに見せることに成功している。 いざとなれば日本は、憲法9条に触れることもなく(実際、映画にも登場しないし。 他の法律は少し出てくるけど)、国内で自衛隊に武力行使させちゃう国なのだ。 だったら9条代える必要なくない? 有名無実と化しているのならば、ということまで考えさせられてしまう。 実は、ゴジラでなくても成立してしまう映画なのだが・・・そこであえてゴジラを持ってくることに、意味があるのだと思う。 現実対虚構だからね。

  シンゴジラ3.jpg 自衛隊全面協力なので、いろんな意味ですごいもの続出。 もう結構情報が出ているのでネタバレにはならないかと思うのだが、このゴジラ、どんどん形態が変化していく(最初は幼態だったのか?) 最終形のように見えるこの段階でも、実はティラノサウルスばりに手がものすごく小さい。 この先も変化するのかも?

 だから、後半のゴジラに対する攻撃はかなり無茶なものなのであるが(改めて考えると子供が大人に対しておもちゃで攻撃するのにも似ているかも・・・)、映画を観ている間はそんな考えは頭をよぎらない。 まさに、「嘘をつくなら必ず真実を混ぜろ」である。
 この世界では、日本はゴジラと共存する道を選択することになる。 これがなんの比喩かは・・・言わずもがなであろう。
 続編はありえない、という終わり方も潔くていいなぁ、と思っていたら、ラストシーンで「ぎゃーっ!」と叫びたくなるような描写。 あれは一体どういう意味なのか!、といろんな人と語り合いたくなってしまう。 それもリピーターが多くなる原因の一つかもなぁ。
 台詞もそうだが、エンドロールも情報量が多すぎて、誰が出ていたのか一回では確認できない。 「もしかして、あの人出てた?」と思っても、そんな人が何人もいるので(主要3人以外は五十音順なのだが)、探しきれない!
 だからパンフ買う人が多いのかなぁ・・・(いや、エヴァファンらしき人たちも多かった)。
 あたしは、限定版ピンバッジ買っちゃいました。

ラベル:映画館 日本映画
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2016年08月28日

北京から来た男/ヘニング・マンケル

 ヘニング・マンケル=ヴァランダー警部シリーズ、のイメージがどうしても強いので(『タンゴステップ』も当時ノンシリーズ扱いだったが世界観は共有していた)、ヴァランダーが出てこないのは寂しい。 しかし彼の著作数から考えればヴァランダー警部シリーズはその一部でしかなく、シリーズの邦訳も残りが少なくなっている現在、今後邦訳が待たれるヘニング・マンケル作品はほぼ単独作になるだろうし、そのことにあたし自身も慣れなければいけないんだな、というのがこの本を開き始めたときの覚悟だった。 10月に、多分遺作なのであろうエッセイ集『流砂』が出るそうなので、それを読んだらまた気持ちが変わるかもしれないけれど。

  北京から来た男文庫1.jpg北京から来た男文庫2.jpg 読み進めていくと、下巻の表紙の意味がわかる。

 スウェーデンの谷間のある小さな村は、ほぼ住人が老人ばかりという過疎の村。 が、ある寒い日の早朝、ほぼ全員の村人たちが惨殺されているのが発見される。 被害者の中に、自分の母親の養父母の名前を見つけたヘルシングボリの女性裁判官ビルギッタは、現場に向かうことに。 何故彼らは殺されなければならなかったのか。 遺品の日記を手掛かりに、ビルギッタは警察に情報提供しながらもいつしか事件を追いかける・・・という話。 冒頭のエピソードだけならほとんど『八つ墓村』のようですが、似ているのはそこだけ。
 ビルギッタは裁判官だけど刑事ではないので(個性強そうな警察官も出てきますが)、ジャンルとしては警察小説ではないし、犯人を捕まえる使命感も弱い。 なので広義のミステリではあるものの、これを“推理小説”とは呼びにくい。
 むしろ、これは歴史上で移民が果たした役割と、ビルギッタという主人公に託した「かつて共産主義にかぶれた若者だった人々のその後の人生」とをオーバーラップさせて描いた一種の大河物語だから。 でもあたしは「へー、スウェーデンでも毛沢東主義に傾倒して革命を夢見た人たちがいたんだ」と驚き、日本の学園紛争時にいた「世界同時革命を実現させようとしていた人たち」の考えがまったくの絵空事ではなかったのだ、ということに(実現可能だったか、というのは別にして)、ぞっとする思いがした。
 ビルギッタやかつての仲間はまだちょっと毛沢東を美化している感があるけど、距離があるからこんなものなのかな。 日本のほうが中国との距離が近いから、いろんな話題が入ってきてしまう。 しかし彼女たちがかつて夢見た“中華人民共和国幻想”は、日本人も騙された“北朝鮮幻想”とどこが違うのだろうか。 いつの時代も結局、情報をコントロールしたものが優位に事を運ぶことになるのだ。
 タイムラグがあるものの(作中での現在は北京オリンピック開催の2年前)、リアル中国の結構近い姿を書いてあるような気がして・・・さすが取材を怠らないヘニング・マンケル。
 むしろ、あまり中国に興味のない北欧の人々に向けて現状を知ってもらおうと書いたのではないだろうか、という気がする。 あくまでテーマはそこなので、事件や犯人の重要性は途中でどこかにいってしまってもかまわない、と思ったのでは。
 それでも上下巻一気読みですから。

ラベル:海外ミステリ
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2016年08月27日

今日の4冊。

 帰りが遅いので本屋に寄れるか自信がなく(結局金曜日は寄れなかった。 大阪駅で降りたらジュンク堂22時まで開いているが、そんな寄り道をしていたら更に帰りが遅くなるし、播州赤穂より西はその段階で大雨のため運転見合わせになっていたので、うかうかしていたら神戸線もその雨の勢いをくらいそうな気がして早く帰りたかったのである)、今回は通販を利用。 平日は受け取れないので、土曜日に受け取りました。

  ミスターメルセデス1.jpgミスターメルセデス2.jpg ミスター・メルセデス/スティーヴン・キング
 ソフトカバーとはいえ単行本サイズ。 悩みましたが・・・数年待って文庫化されても同じように2冊で収まるはずがなく(実際、『11/22/63』も来月かな、文庫が出るらしいですが上・中・下になる予定らしく)、そうすると値段はきっと数百円くらいしか変わらない。 海外ものには少々手抜きの文芸春秋もキング作品は装丁に力を入れるから、大きいサイズのほうがうれしいし。
 しかも、キングにとって初めてのエドガー賞受賞作!

  ハリーオーガスト.jpg ハリー・オーガスト、15回目の人生/クレア・ノース
 最近、タイトルが人名・表紙がその人の肖像画(?)、みたいな本がやたら目に入るような気がする。 これもそのひとつだけれど、『15回目の人生』って・・・ケン・グリムウッドの『リプレイ』みたいな感じ?
 しかし大森望さんの解説によれば、その後乱立した<『リプレイ』もの>とは一線を画すまったく違う展開の作品らしい。 てことは純文学テイスト漂う表紙の雰囲気を裏切る堂々たるSFってことね!

  夏の翳り.jpg 夏の翳り/ジョイス・メイナード
 この作者の名前、なんか聞きおぼえがあると思ったら、映画『とらわれて夏』の原作者であった(ちなみにニコール・キッドマンが賞レースに名乗りを上げるきっかけになった『誘う女』の原作者でもあるらしい)。
 サンフランシスコを震撼させた連続殺人犯と対決し、死にかけた少女の物語、という
だけであたしにとってはストライクゾーン直球だが、なんと実話をベースでご本人たちの
承諾を得て小説化したものだという。 なんてこった!
 更に、訳者あとがきによれば作者は大学生のとき、当時すでに隠遁生活を送っていたサリンジャーと同棲していたとか! そのときのことをまとめた手記も出ているらしい。
 なんかいろいろすごすぎる。

ラベル:新刊
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2016年08月26日

一週間が、長い。

 振り返ってみると結果的にあっという間なのだが、とにかく一日が長い。
 家を出てから仕事場に着くまでが長い。 仕事場を出てからも家に帰るまでが、長い。
 あぁ、あたしはこれまで通勤に苦労したことがなかった。 なんと運がよかったのだろう。
 初めてのフル一週間、しんどかった。
 体調よくない日もあったし(「なんか顔色悪いよ」とみなさんにご心配をおかけした)、あまりの天気のよさ&暑さに「うっ、家から出たくない」と何度思ったことか。
 新しい仕事場にて一週間過ごしてみて・・・まったく自信になっていないことがしみじみとわかる。 むしろ不安が強まるばかりである。
 本社ルールがいまいちわからん。 神戸のときはいろいろ融通がきいていたのになぁ。
 組織改変に伴い、9月からあたしの仕事も増大しそうな気配濃厚・・・しかし「増える」ということだけわかっているのだが、その内容はまったくの不透明。 うむ、不安にならない方がおかしい。
 あぁ、来週、台風で電車が止まってくれないだろうか。
 イヤな感じの風が吹いていたので、小学生のようなことをつい本気で考えてしまう、今日も帰りが遅かった金曜日深夜である。

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2016年08月24日

ミモザの島に消えた母/BOOMERANG

 『サラの鍵』と同じ原作者の作品、ということで(日本では未訳)興味あり!
 歴史が絡んでいなくても、さぞ重たいものが降りかかってきそうな感じがして。 予告やチラシもミステリー感、煽ってますし。 ほんとは先に原作が読みたかったのだけれど、邦訳が待たれる!

  ミモザの島にP.jpg もし、語られてきた家族史がすべて偽りだとしたら――?
     美しき母の死の背景に渦巻く、禁断の“家族の秘密”とは?

 30年前に<ミモザの島>と呼ばれるノアールムーティエ島の海で溺死した母親を弔うため、40歳になった息子のアントワン(ロラン・ラフィット)は5歳年下の妹アガット(メラニー・ロラン)とともにこの地を訪れる。 そこで、当時別荘の家政婦をしていた女性と再会し、母の遺体が見つかった場所がこれまで聞かされていたのとは違うことを初めて知る。 母の死は事故ではなかったのか? 父はなにかを知っているのにずっと黙っていたのか?
 “真実探し”にのめり込んでいくアントワンだが、アガットは同じ気持ちを共有できない。
 だが、辿りついてしまった真実とは・・・という話。

  ミモザの島に7.jpg 島でバカンス中の、母との最後の記憶。
 母が死んだ時、兄は10歳で母の記憶は残っているが、妹は5歳だからあまり覚えてはいず、その後父が再婚した相手が自分にとっては母親だ、という感覚があるので兄のように<幻の母>へそこまで執着できない、と反発しながらも渋々協力するのは、アガットの兄への愛情故である。 メラニー・ロランが35歳の役をやるようになっちゃったのか!、とびっくりするが(まぁ実年齢がわからないのでなんとも)、やはり日本での知名度のせいか彼女が主役っぽく宣伝されてますが、あくまで主役は兄を演じるロラン・ラフィットのほう。
 この二人の温度差が年齢のせいだけではない、とわかるラスト近くからのくだりは解決編と見事に絡み合っていて、怒濤のようなカタルシスをもたらす。

  ミモザの島に2.jpg ただ、そこへ繋がるまでの前半は結構つらい。
 アントワンは離婚し、失業中。 恋人はいるが元妻はアガットの同僚なので(まぁ、それがきっかけで結婚したんだろうな、と想像がつくけど)、ちょくちょく顔を合わせることに。 いいお年頃の娘との関係も順調ではなく、まさに事実上<中年の危機>。 そこに母親の死に不可解な点があると知ってしまったものだから、追いかけずにはいられない。 事実を問いただすにも父や祖母は揃って口をつぐんでおり、つい怒鳴り散らしてしまうアントワンの孤立感が際立って、観ていてこっちも落ち着かない。 知っているはずの人が何も話してくれなければ、結局は堂々巡りだから。

  ミモザの島に5.jpg 喋ってやればいいじゃないか・・・とつい思ってしまうのだが、祖母(ビュル・オジエ)は頑として口を割らず、そんな問いかけをするアントワンをむしろ責める。 このババア怖いです!

 それにしても特筆すべきなのは西フランスにあるノアールムーティエ島である(ポスター参照)。 モン・サン・ミッシェルのように引潮の数時間だけ<海の中道>が現れて本土と行き来ができるのだけれど、その<海の中道>の描写が素晴らしい。 海面が次第に道を覆ってしまう様、そして逆に、徐々に道が現れていく様子。 それは見え隠れする家族の秘密とシンクロしている。
 道は岩で囲われているけれど、浸食されないのかな? 定期的にメンテしているのかな?と関係ないことが気になったりして。
 そして勿論、母の死の真実にもまたこの<海の中道>が関係してるんだよね!

  ミモザの島に3.jpg それを乗り越えられるのも、兄妹の強い絆があるからである。

 どんな家族にもそれなりの秘密はあるものだが、中にいるとそれが秘密だと気づかないことが多い(もしくは、他の家族と違って異質であることなども。 虐待やDV・家庭内暴力がまかり通ってしまうのもそのためである)。 家族の結束はそんな暗黙の了解のうちに成り立っていることも多いので、アントワンのように騒ぎ立てる存在は異分子扱いされてしまうのが悲しい。 本来、隠し通してなかったことにしてしまう側のほうが悪いのに。
 「うちの家族に秘密はないよなぁ」と思える人たちは幸せだ。 そうではない者にとっては、この映画の結末は最高のカタルシスなのだ。 だから中盤のぐだぐだも許せてしまうほど、ジーンと胸に広がるあたたかい何かを抱えて映画館をあとにできた。
 この強烈さは、しばらく忘れられそうにない。 原作者タチアナ・ド・ロネって何者!?

ラベル:映画館 外国映画
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2016年08月23日

ロスト・バケーション/THE SHALLOWS

 暑い。 この暑さを吹き飛ばせないかもしれないけれど、ホラー映画とサメ映画には最適の季節である(雪山映画もよろしいかと)。 でもアメリカのホラー映画シーズンってハロウィンだからな・・・こういうところに文化の壁が。
 しかし今回、サメ映画がある! ブレイク・ライヴリーのアイドル映画との噂もはじめはあったが、あの『ジョーズ』以来ガチのサメはりぼて使用、CG極力使わずとのこと。
 おバカサメ映画が一大ムーブメントをつくり上げているのに対抗し(?)、サメとの真剣勝負、拝見します!

  ロストバケーションP.jpg 楽しい休暇になるはずだった。
     岸はすぐそこ。 しかし――たどり着くことはできない。

 休暇で母の思い出の地である“秘密のビーチ”にやってきた医学生のナンシー(ブレイク・ライヴリー)。 ここは外国、彼女の曖昧なスペイン語で現地の人たちとの意思疎通もままならないが、若き日の母がサーフィンを楽しんだというビーチに間違いない。 この場所の名前を訊いても誰も教えてくれない(知らない?)のは気になるが、ナンシーも早速サーフィンを存分に楽しむ。 あと一本波に乗ったら岸に戻ろう、と思った時、ナンシーは突然海の中に引きずり込まれる。 サメに左足をかまれたのだ。 命からがら近くの岩場に辿り着いたものの、サメはまだ近くを泳いでおり、岸までおよそ200mある。 そして彼女の命綱であるその岩場は、満潮になると海中に沈んでしまう・・・さぁ、どうする、という話。

  ロストバケーション4.jpg 確かに美しいビーチではありますが・・・。

 こっちは「サメが出てくる」と事前に知っているからですが、ナンシーの準備不足というか認識の甘さというか無防備さに序盤から結構腹が立ってくる。 アメリカ人はどこでも英語が通じると思っているのか! 家族とケンカしたからって自分がどこにいるのか教えないとか(しかもここは外国なのに)、初めて来る場所なのにあらかじめなにも調べてこないなんてどういうわけだ!(サーフィン中にたまたま出会った人に「ここの海に危険なものある?」と聞いている。 海に入ってから聞いてても遅いでしょ。 そしてもし誰もいなかったらどうしたのだ)。 ウェットスーツも上しか着ないし(あたしはサーフィンをやりませんが、海に入ってけがをする確率が高いのは脚の方では? それともサーフィンでは生足のほうが推奨されているの?)、水着はビキニだし(だからアイドル映画と思われたのかも。 妙に胸の谷間やらを強調するアングルがありましたしね)、身近な海とは違うという危機管理体制ができてない!
 ただ、時計がムーンタイドつきのBaby−Gだったのにはニヤリでしたが。

  ロストバケーション2.jpg 岩場の次に近い逃げ場は壊れたライト付きのブイ。 そこに着くまでにもサメ以外の“海のもの”のために満身創痍のナンシー。

 それでもナンシーが医学生である、という設定をしっかり活かした感じ(止血のために足の付け根を縛るけど、そのままの状態では血が巡らず壊死してしまう限界の時間を理解している、あとは圧迫で出血を止める、など−彼女くらいの細い身体じゃないと有効ではない方法ですが)は「非常によくできました」で、傷の具合や自己治療の“痛み”がこっちにぐっと伝わります。 サメが群れではなく一頭というのも対決感が強くなり、あたかも意地のように彼女をつけ狙うサメはもはやストーカーのように感じられ、美女対ストーカーのサスペンスホラーの様相に。 それにほぼノーメイクで立ち向かうブレイク・ライヴリーは『ゴシップ・ガール』のセリーナではない。
 Baby−Gやスマホの画面が一部浮かぶように大写しになるのは“時間”の情け容赦なさ(一方的に必ず過ぎていく)を示していて、若干安っぽいけど効果的。

  ロストバケーション1.jpg なんだかんだいって映像が美しいのがいいのです。 特に海、水。 時に距離感がわからなくなるけど。

 もしかして・・・これは“無防備な弱きもの”に対する「世の中には一体どんなヤツがいるかわからないですよ」という普遍的な警告? 勿論、襲われるほうが悪いのではないけれど、最低限の警戒心を持つことである程度の危機は避けられますよ、という。
 そしてどんな苦境に陥ろうとも、最後まであきらめなければ(その過程はいろいろあるが)、なんとかなるんじゃないですか、というシビアなエールでもある。
 サメ映画に人生を教わる、という意味でも、『ジョーズ』に近いものはあるかも。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年08月22日

大阪、暑い!

 今朝、ちょっと余裕で家を出た。 すでに暑かったので、駅のホームに出る前に駅前のコンビニで涼んでいこうと思ったのだった。
 しかし、土山駅で急病人発生とその対応のため、電車が遅れている。 でも2分後に電車が入ってくるらしいということで、コンビニに寄らずそのままダッシュでホームへ。
 順調に行けるかなぁと思ったが、大阪駅を目前にしてホームの到着の順番待ちで結構な時間を取られる。 ようやく新大阪駅に着いたときには、すでにいつもなら事務所に着いている時刻。 やばい、遅刻してしまう!
 走りました。 しかし新幹線乗り場は大きな荷物を抱えている(というかほとんどがころころカートですが)人たちがいっぱい。 走ったらいろいろ(あたしも相手も)危険。 なのでここは超早足で仕事場に向かった。
 日差しが暑い、なにより風が暑い。 今日は37℃まで気温は上がったようですが、朝の段階でも33℃ぐらいはあったと思うけど、体感温度はもっと高い!
 とりあえず、遅刻はまぬがれギリギリ間に合いましたが・・・「大阪の事務所に行ったらいやでも歩くから健康になりますよ」と引っ越し前にある人に言われたが・・・健康になる(体力がつく)まえにあたしは倒れそうである。
 大阪に住むYAさんには「大阪の熱風、すごいやろ。 だから住んでると、慣れんねん。 神戸は涼しかったやろ」と言われてしまったが・・・慣れたくない。
 というかあたしは神戸でも十分暑いんじゃ! (← それでも慣れてきたような気もするのに・・・うれしくないけど)
 北に住んでいた生き物が南で暮らすようになると、統計的に寿命が縮むことが確認されているそうである(逆も同じ)。 寿命が短くなるのは別にかまわないが、毎日しんどい思いをするのはつらい。 何故にあたしは自ら寿命を縮める道を進んでしまっているのだろう。
 眠ってる自己破壊衝動が、実は起きているのだろうか。
 とりあえず、大阪市内のビル街は暑い。 ここでは暮らせない!

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2016年08月21日

今日は6冊

 暑い。 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉はもう通じない時代になってしまったのか。

  北京から来た男文庫1.jpg北京から来た男文庫2.jpg 北京から来た男/ヘニング・マンケル
 現時点での日本でのマンケル作品最新の邦訳(の文庫化)。
 スウェーデンの小さな山村で起きた大量殺人が現代中国と結び付いてしまうところが、彼の社会派たる所以であろう。

  ケルン市警オド01.jpg ケルン市警オド 1/青池保子
 『修道士ファルコ』で、ファルコのよき相棒オドの若き日の物語。
 下級役人としてケルンの町の平和のために任務一筋のオドは、ちょっとキャラが少佐っぽいところはあるものの、まだ若いのでZくんの面影もあり。 立場としては警察官のようなものなので事件を解決する側ですが、時代的にそんなすごい謎というものがあるわけではなく・・・でも時代考証がすごいのでディテールに酔う。 そして任務に生きがいを感じている彼が出家してしまうのだから、この先どんな理不尽な目に遭うのだろう(若干すでに気配は出てきていますが)、と思うととても悲しい。

  プレイバウ.jpg プレイバウ! ナナっちとさんぽした、だいたい5000日/遠藤淑子
 『犬ぐらし』から始まった著者と愛犬ナナの物語、多分最終巻。
 いろいろな媒体に描いていたけど、一冊にまとまるほどの量ではなかったものを全部集め、書き下ろしをつけたもの、という感じか。 内容的には『今月のわんこ生活』とかぶるものが多かったし(書き下ろしはのぞく)。
 犬(親)バカを自覚しながらも客観的に自分を描いていた著者が、時折そのクールさをなくすときがあった。 ナナっちは、著者にとって本当に特別な存在なんだろう、と感じてしまった。

  ザサン罪の息子1.jpgザサン罪の息子2.jpg ザ・サン 罪の息子/ジョー・ネスボ
 てっきり<刑事ハリー・ホーレ>シリーズの何作目かと思ったら、ノンシリーズの単独ものであった! 意外!
 そしたら帯に、<ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によってハリウッド映画化!>とある。
 はっ、ジェイク・ギレンホールとの次なるタッグ『ザ・サン』ってこれのことだったのか!
 ジョー・ネスボに目をつけるとは、ジェイク・ギレンホールったら肉体改造系の役者になっても心は“文化系の王子様”のままなんだな!、とわかって、ちょっとうれしくなってしまいました(しかし内容はそんなほのぼのとは対極の位置にありそうである)。

ラベル:新刊
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2016年08月20日

ミステリー・ウォーク/ロバート・R・マキャモン

 読む本は沢山あるにもかかわらず、図書館で蔵書検索したときに懐かしい本を見つけてしまうと、つい予約を入れてしまうのは何故でしょう。
 未読本の山を抱えつつかつて読んだ本をまた読む・・・しかもかなりの時間をおいて。
 これってかなり贅沢なことかもしれないなぁ。
 ロバート・R・マキャモンは90年代に怒濤のように翻訳されて一大ブームを巻き起こしたのだけど、『魔女は夜ささやく』以降、単独署名の出版が日本で途切れているのは何故!(アンソロジーに収録はありましたが)。 あたしのオールタイムベストテンに入れたい名作『少年時代』ですらも絶版です・・・文芸春秋、責任を取れ!

  ミステリーウォーク図書館.JPG そんなわけで図書館から来たのは福武書店ソフトカバーバージョン。 あたしはハードカバー版を20年以上前に図書館で借り、その後創元推理文庫に入ったときに購入し、再読。

 というわけで今回が3度目になるわけなんですが・・・プロローグを読んで愕然とする。
 びっくりするほど覚えていない!
 勿論、印象深いシーンなどは断片的に覚えているんですが・・・「あ、そういうつながりだったっけ?」とか、「あ、こういう人、いたよ!」と非常に(別な意味で)新鮮でした。
 アメリカ南部出身で、南部を舞台に主に書き続けているマキャモンのターニングポイントになった作品でもあり、これができたからこそ『少年時代』が書かれたんだろう、と思うと感慨深く、でもちょっと若書き感が見える微笑ましさもあり。 以前は全然気がつかなかったけど、スティーヴン・キングとレイ・ブラッドベリの影響がストレートに出てるところとか。
 けれど映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に出てくる移動宣教師みたいな存在を普通に受け入れられたのはこの作品を読んでいたからで(そういうのが南部では非常によくあることだとわかっていたから)、何が繋がるかわかりませんよ。
 あたしは絶対唯一神非許容派なので、この作品で描かれる“神”や“信仰”については語る資格はありませんが、ネイティヴアメリカンの血をひく主人公ビリーの“迷える死者の魂に行く場所を示し、送り出してあげる力”の意味合いは信仰の種類に関係なく伝わるなぁ、と。
 2回目読んだとき、エピローグ前の章で号泣した記憶があるんだけれど、今回そこまではいかなかった(覚えていたからかもしれないし、あたしが彼らにリアルに共感できるトシじゃなくなったということかもしれない)。
 でも上下巻をサクッとあっさり読み終わった・・・予想以上のハイスピードで。
 それは(忘れていたとはいえ)再々読だったからかもしれず、やはりマキャモンのリーダビリティーの強さのせいかもしれず。 あぁ、まずい、『スワン・ソング』も読みなおしたくなってきちゃったぞ、どうしよう。
 まずは、家の未読本を何冊か片づけてからにしましょう。 もし図書館に予約入れても、しばらく取りに行けるかどうかわからないんだし、と自分をだます。 でもこれで自分の中のマキャモンブームにまた火がついちゃったらどうしよう・・・。

ラベル:海外ミステリ
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2016年08月19日

やはり、遠い・・・

 短い夏休みも終わり、新しく移転した事務所に通い始めました。
 最寄駅はJR新大阪。 そこから徒歩約20分。 まだ夏休み期間中ということもあり、新大阪駅は結構な混雑なのが余計にあたしの気持ちを重くする。
 これまでとはまったく違う環境、新しい人間関係が待っている・・・のだが、まだそんな段階まで行けてない。 本来すでに準備されているはずのキャビネットがお盆休みのせいで(というか本社の発注ミスのせいで)届いておらず、段ボール箱に詰めたファイルを収納できないためまだ段ボールが片付かない・・・。 しかし通常営業的仕事には戻らねばならない。 しかし、朝、新しい仕事場まで行くだけであたしはすでにもうぐったりである(これまで、片道一時間以上かかるところで働いたことがなかったし、というかこれまではあたしが仕事を探すときの最大の決め手が「勤務地が近いこと」だったので。 出来そうなやつであれば職種にこだわりはなかったし、お給料はいいに越したことはないがちょっとカラダを壊して以来は無理しないことの方を優先してきた)。
 なのに、今あたしは無理してないか?!
 夏休み明けの勤務初日、早朝にものすごい腹痛で目が覚めた。 身がよじれるほどの痛みは一向に収まる気配はなく、ロキソニン(鎮痛剤)をのみ、薬が効いてくるまでうんうんうなりつつ、気がついたら眠っていた(実際はもっと短かったのかもしれないが、体感的には30分以上苦しんでいたような気がした)。
 そんなにもカラダは新しい仕事場に行きたくないのか?!
 結局、行きましたけど・・・そして行き続けてますけど・・・慣れるまで結構かかりそう。
 ていうか、やっていけるのか、自分!
 大阪のオフィス街は暑い。 まわりはビルしかない。 太陽の光を遮るモノはなにもない。 勿論、突然の大雨も突風も。 もしすごいゲリラ豪雨が来たら道はすぐに水であふれるんじゃないだろうか、と思うほど排水機能が整っているようには見えない(こういうことが気になるあたり、しみじみあたしは地方出身者だなぁ、と思う)。 街路樹はくたびれている。
 新大阪駅の地下あたりがいろいろ新しくなっていることに気づくが、まだ寄り道して探検する気持ちも起こらない。 あぁ、人、多いなぁ。
 あたしには三宮〜元町〜神戸エリアだけでも十分広すぎるのに。 こっちに戻ってくるとほっとする。 シネリーブル梅田やテアトル梅田にも行けるじゃん!、と自分を鼓舞してみたこともあったが、とても時間的・精神的余裕がない(レイトショー枠なら間に合うだろうが、そうなると家に帰るのが遅くなるので確実に翌日に響く)。
 あぁ、仕事、辞めたい・・・。
 しかし9月末までと来年3月までの大きなプロジェクトを抱えている。 とりあえずそれが片付くまでは・・・と自分に叱咤激励。
 そしたら今年の関西地方は10月まで暑いと聞いた。
 マジか、あたしには11月まで夏かもしれん。 年々、秋が短くなる・・・。

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2016年08月18日

AMY エイミー/AMY

 エイミー・ワインハウスがスターダムにのし上がった瞬間からその突然の死までリアルタイムに知っている身としては、やはり観ておきたかったのです。 クスリや酒におぼれてステージに穴をあけたりしても、それでもみんな彼女を許し、また音楽に帰ってきてほしいと願ってたのに。 それが叶わなかった理由を知りたかった。

  エイミーP.jpg わたしは、ただ歌いたいだけ。 彼女は、音楽と愛に生きた――

 エイミー・ワインハウスが死んだのは2011年、27歳のとき。
 映画は友人の家で撮られたプライベートフィルムの14歳の彼女から始まって彼女の人生を年代順にたどり、本人やその周囲にいた人々のインタビューで構成されている。 その頃からすでに彼女はエイミー・ワインハウスであり、けれどあたしが知る以上に健康的でかわいらしい少女だった。 音楽を、歌を純粋に愛していた。 なのになんであんなことになっちゃったのか・・・。

  エイミー1.jpg18歳、既にシンガーとして歩み始めていた頃。 はじける若さの輝きに“陰”はまだ見えない。

 結論を言えば、彼女は非常に依存心の強い女性であり(それは子供の頃に家族を捨てて父親が出ていってしまったことに起因しているのだが)、とても愛情に飢えていた。 もし、彼女が心から信頼できるものが音楽の他になにかもうひとつでもあれば・・・あんなダメ男に引っかかりはしなかっただろうし、彼女が有名になった途端に戻ってきた父親にノーと言うことができただろうに。 しかし音楽だけに打ち込んできたからこそあの声が、歌い方が、曲ができたのかもしれないし、仮に人としてもう少し充たされた生き方ができていたらまた変わっていたのかもしれない(勿論、いい方向に変わっていった可能性もある)。
 でもあたしもよくわかってなかったんだなぁ、と思い知らされたのは、彼女を一気に世界的大スターに押し上げてしまった一曲『リハブ』のこと。 実際にリハビリ施設に入った経験からつくられた歌だと思っていたのだが・・・彼女は施設には入っていなかった(正確には入る準備ができていたところを、彼女の父親が割って入って「その必要はない」と言ってしまったのだ)。 また余計な真似を・・・。

  エイミー3.jpg 『リハブ』の頃。 結局このあたりが全盛期ということになってしまうのか。

 あたし自身も家族の問題を抱えていた過去があり、それ故に自己承認欲求がとても強いのだが、年齢とともに落ち着いてきたというか、信頼できる周囲の人々のおかげもあり、切り捨てるところは切り捨て、あるがままの自分を認められるようになってきた過程があるため、周囲の人間をときに戸惑わせるエイミーの言動が痛いほどよくわかる。
 レコード会社がつけた最初のマネージャーに、「会社を辞めて私の専属になってよ」と何度も迫り、「それはちょっと・・・」と最終的に断られると直接レコード会社にマネージャーを代えろと言い出したりしたのも、本当に自分を評価して信じてくれているのかという証拠がほしいから。 で、得られそうにないと感じたら自分から切る、傷つきたくないから。
 彼女が人を翻弄するような言動をしたのは、100%愛して信用してくれているのか試しているだけなのだ。 自分も絶対的な(ある意味、盲信的なほどの)愛を捧げるから、それと同じくらい、もしくはそれ以上のものを相手に求めていただけなのだ。 気持ちはわかる、わかるのだが・・・それを親しい人全員にしちゃダメだ。
 なのに、クズみたいな男にあっさり引っかかっちゃうのは、クズ男は彼女がほしい言葉をいってくれるからだ。 たとえその場限りの中身のない言葉でも。 多分彼女だってわかっていたに違いない、それでもとめられないのは、自己破壊願望が育ってしまったからだろうか。
 彼女が敬愛したトニー・ベネットが「彼女は急ぎ過ぎた。 歳をとってわかることもあるのだと伝えたかった」みたいなコメントを寄せていたが・・・まさにその通り。 才能と激しすぎる情熱と繊細すぎる心を持ってしまった芸術家肌の人間はせいぜい27歳くらいまでしか生きられない、みたいな決まりでもこの世界にはあるのだろうか(それにしても、全盛期のパワーより若干落ちていた頃のエイミーとデュエットしたトニー・ベネットの歌声の力強さにひっくり返りそうになったのはあたしだけだろうか。 いったいおいくつですか! 羽佐間道夫並みの“バケモノ”を久し振りに見た)。

  エイミー4.jpeg いったいどうしたらこんなふうになっちゃうの・・・(こういう映像とか写真が残っていることもまたおそろしい)。

 エイミーの人生を主にダメにした二人の男、父親と元夫が堂々と出てきて(映画製作時、だから彼女の死後だよ?!)、インタビューに顔も名前も出して答えちゃうってのがなんかぞっとした。 この二人、自分がしたことわかってないな! 途中でクビを切られた最初のマネージャー(結果的に彼がいちばんエイミーを心配していたように感じられた)が音声インタビューだけだったのと非常に対照的に。
 彼女は本能で生き過ぎた。 いくら音楽の才能があっても、突然始まってしまったセレブリティ生活に適応できるわけがない。 パパラッチに追われる中、ダメ男に引っ掛かったままクスリとアルコールの過剰摂取なんて(しかも精神安定剤や抗うつ剤系ではなくマリファナやヘロイン、コカインというヘビー系)、もう21世紀にすることじゃない。
 学校には全然行っていなかった、勉強には興味がなかったとエイミーは語っていたが、生きるために必要な知識は学んでおくべきだった。 トニー・ベネットという素晴らしい目標がいたじゃないか。 なんでもっと考えてくれなかったんだ。
 いや、彼女は考える人ではなかった。 感じる人だったのだ。
 それが若さ故でもあり、音楽以外では途端に怠惰になってしまう彼女の性格もまた災いした。 根拠もなくなんとかなると思ってしまうときと、もう何もかもどうでもいいというときと、晩年の彼女は薬物中毒と精神的な病にどっぷりとつかっている。
 サポート体制がもうちょっとなんとかなっていれば・・・と思わずにはいられないのだが、結局は患者本人の意志という形で強制入院はさせられないんだな(ビッグスターになってしまえばビジネス的な思惑も絡んでしまうし)。
 若くして死ねば伝説になる。 でもそれは後世の人が思うことであって、リアルタイムに生きている者たちにとってはそんなこと望んでいないのに。
 この映画は誰かを悪者にも善玉にも描いていない。 ただ事実を淡々と積み上げるだけ。
 でもそのどこかに何度も彼女を救えるチャンスはあったことをひそかに告げてくる。
 これは、次なるエイミー・ワインハウスをつくりださないための処方箋だ。

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2016年08月17日

フラワーショウ!/Dare to Be Wild

 最近、アイルランド関連作が多い気がする。 たまたまか、単なるタイミングか。
 でもこうやってみるとしみじみ、アイルランドとイギリスって近いけど全然違う、ということがわかる。 そうだよね、ケルトの流れだもんね、アイルランドには自然信仰が残ってる。 そこがちょっと日本との共通点のような気がして、自然や植物に対する気持ちをみてみたくて。

  フラワーショウP.jpg わたしの庭が、世界を変える
    アイルランドの田舎娘が、“雑草”で世界最高峰の≪チェルシー・フラワーショー≫に挑む!?

 アイルランドの田舎で育ったメアリー(エマ・グリーンウェル)は、子供の頃から自然の植物たちを友として成長してきた。 そして「自分のデザインした庭で世界を変えたい!」という夢を持つようになる。 その夢の第一歩として有名なガーデンデザイナーのシャーロット(クリスティン・マルツァーノ)のアシスタントに応募し、みごとに採用されたはいいものの、高慢で貪欲なシャーロットにメアリーのコンセプトやデザインをどんどん横取りされ、長年描きためていたデザインノートまで盗まれて、挙句はクビに。
 どん底状態のメアリーが立ち上がるためにひらめいたアイディアは、ロンドンで開かれ、世界中が注目する「<チェルシー・フラワーショー>で金メダルを穫る」ということ。
 シャーロットがらみで知り合った植物学者のクリスティ(トム・ヒューズ)と自分の考え方に共通項があると感じたメアリーは彼に協力を依頼するが、彼は「いまはエチオピアの植林プロジェクトがあるから」とあっさり拒否。 そのかわり腕のいい庭師や石工を紹介してくれたが、彼をいろんな意味であきらめきれないメアリーは時間もお金もないのに彼を追いかけて一路エチオピアへ。 そこで見た光景が、彼女にまた新たなインスピレーションをもたらしてくれることも知らず・・・という話。

  フラワーショウ1.jpeg 二人が出会ったのは前年度のチェルシー・フラワーショー。 植物学者にしては男前すぎる相手にメアリーはついぽーっとなる。

 タイトルからチェルシー・フラワーショーがメインかと思いきや(いや、審査があるから簡単に出ようと思って出られるものでもないんだけど)、いざその準備に取り掛かるまでが長い! ほんとに間に合うのか?!、と実話ベースと知りつつもハラハラドキドキ。 そしてメアリーはクリスティにときめいちゃって<チェルシー・フラワーショー>のことは二の次のように見えてしまうので更にハラハラ。 でもそれは邦題から来るイメージであって、原題は『野生のままで』みたいな感じ?

  フラワーショウ2.jpeg むしろエチオピア時間のほうが長いようにも感じられたり。

 チェルシー・フラワーショーは彼女にとってひとつの過程であって結果ではない、ということか。 ちなみにクリスティが協力するエチオピア植林プロジェクトは日本人女性が始めたもので、エンディングでちょこっと説明が出ました。 そうやって世界中で活躍している日本人がいるのだなぁ、ということを外国の映画から教わってしまう。
 なにしろ<ガーデニングの国>が開く世界大会だからして、後半のチェルシー・フラワーショーそのものは狂乱のごとき花・花・花。 違うかもしれないけれど菊人形祭りを連想してしまいましたよ。 そんな中でメアリーの庭は雑草(という植物は正確には存在しないが)と岩とサンザシの木。 審査時期に合わせてちょうど花が咲いてくれるか、意図した状態の庭になるかというコンディションの調整は、あたかも自分の実力のピークが4年に一度のオリンピックにあわせられるかというアスリートのチャレンジのようで、ひそかにスリリング。
 同じ生物ではあるけれど異種である植物と人間は気持ちが通じるのかどうか、も実は描いていたのかもしれない。

  フラワーショウ5.jpeg 彼女の作品、『ケルトの庭』。

 でもあたしは庭いじりとかしないし、道端に生えている植物にもあるがままでいよ、と思っているタイプなので(むしろ「手つかずの自然って恐ろしい、ほんとに人は入っちゃいけない」と考えている)、メアリーの気持ちはわかるようなわからないような。 植物への愛情の方向が違うのかもしれない。 彼女は積極的に関わる方に、あたしは消極的に関わらない方に(と、いまや有名なランドスケープアーティストとなっている映画のモデルの方と自分ごときを比較するのもなんですが)。
 雄大なる自然、繊細な植物。 それに関わる人間の覚悟を描いている作品だと思うので、中途半端な恋愛描写はいらなかったような・・・それとも「本能のおもむくままに」というのも原題につながる意味なのか。 もっと職人さんたちとのやりとりが観たかった気がする。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする