2016年07月09日

64−ロクヨン 前編/後編

 もう『64』のことはいいかな・・・という気がしないではないのだが(すでに旬を逃した感じ)、そうも言ってはいられない。 一応、記録は残さなければ。
 とはいえ、大ヒットした(している)ようでよかったです。
 確かにあたしの身近でも、普段あまり映画に行かないという方々でも『64』には興味津々という感じがうかがえたり(実際に観に行った人もいたですよ。 原作も読まず、NHKのドラマも観ていないという人でも)。 ある意味、ブーム?
 日本映画でこういうお祭り感のある作品は珍しいので、映画業界底上げの意味でもそれはいいことかと。 前後編二部作なのはどうとか、原作が横山秀夫最高傑作とか、豪華キャスト勢揃いとか話題性はあっても結果を伴わないものが多い中、こうやって実際に盛り上がっているのは素晴らしいことだと思う(内容の出来不出来は別にして)。
 おかげでNHKドラマ版を録画したあたしのDVDはまだ返ってきてなくて、今も誰かの手元に(ちなみに原作は、今年のCWA賞インターナショナルダガー部門の候補の候補に挙がっているらしいと先日なにかの記事で見ました。 警察小説の本場ともいえる英国で評価されているというのも素晴らしいこと)。

  64ー1P.jpg 犯人は、まだ昭和にいる。
  わずか7日間でその幕を閉じた、昭和64年。その間に起きた少女誘拐殺人事件。
  通称「ロクヨン」。
  未解決のまま時は過ぎ、時効まで1年と迫ったある日、「ロクヨン」を模した誘拐事件が発生する――

 というわけでストーリーについてはキャッチコピーを参照(というか、自分でも改めて読んで「ここまで書いてあるのか!」ということに驚いた)、でいいくらい、だいたい興味のある方はご存知ですよね。 ということで割愛! 前編については別記事で感情中心にぶちまけていますので、そちらを参照ください。 そんなわけで『前編/後編』を通して<ひとつの映画>として見ていきたいと思います。

  64−1−6.jpg 前編で中心だった群馬県警広報室の方々。
 前編が三上(佐藤浩市)から見た時系列に沿った流れとするならば(だから前編はその中心に必ず三上がいる)、後編は「その間に三上以外の人たちが何をしていたのかが明らかになる」展開といえるかも。 とはいえ個人個人に深くフォーカスするわけではないので、群像劇と言えるほど有機的ではない、かも。 役者さんたちの演技にかなり頼った部分も見受けられる(ほんとは撮ったんだけど、カットした可能性もあるが)。
 それにしてもなんで前編と後編が、こんなにテイストが違う? ラストが原作と違う、という点をのぞいても。 前編であれほどしつこく描かれた“組織対個人”の構図、後編ではどこに? 誘拐事件解決のために、そこがぶっ飛んでしまったような。

 それで思わず、自分が以前書いた瀬々監督作品『ヘヴンズ ストーリー』の感想を読み返してみた。

>   そんな前半のスピード感、すごい。
>   一見無関係なように見えた人々がつながり、かかわっていく様子を
>  季節の移り変わりとともに詩的な要素も絡めつつ疾走していくのだから。
>   しかしインターミッション後の後半、その速度は明らかに落ちる。

 うっ、これ、そのまま『64』にも使えそう(実際には前編が結構しっかり描写したのに対し、後編はかなり駆け足感が否めないのですが)!
 しかもあの映画は、極端に言えば善と悪・被害者と加害者の立場は容易く入れ替わることがある、というテーマをはらんでいて・・・それって『64』のラストの変更にも影響があるんじゃないですか?!
 原作通りの終わりだと映画的なカタルシスが弱いから、ということだと思っていたけれど、それだけじゃなかったんだな。 そこは監督にとって譲りたくない<作家性>だったのかも(でも『ヘヴンズ ストーリー』よりも明らかに手法は洗練されてきたので・・・それは救いですかね)。

  64−1−1.jpg ある意味、“組織の中の個人”であることを三上はやめることにした、という生き方の話になっていた。 だからこそ彼が主人公であるともいえるのだが。

 よく原作者はOK出したな、と思えてしまうラスト改変ですが・・・“事件”ではなく“人生のそれぞれの生き方”をメインにとらえたらこうなった、と好意的に解釈すべきか?

  64−2P.jpg 映画史に残る傑作の誕生 慟哭の結末を見逃すな。

 ま、自分たちで「映画史に残る傑作」と書いちゃっているあたり・・・なんですが(勿論、これは宣伝部のお仕事でしょうが)。 この電話ボックスのポスタービジュアルは好きです。
 後編では緒方直人の瞬時に変わる表情の変化に度肝抜かれました。 あの場面だけでも助演男優賞に値するぐらいのうまさ。 最近彼をあまり見ていないような気がしてましたが、これだけの底力のある俳優をもっと使わないと!、と思わされて。 現在の売れっ子にばかりオファーが集中する流れはいろんな意味でよろしくないよな、とか考えてしまう(映画の場合は撮影時期から公開までかなり間が空くので、どうしても同じ俳優さんの作品が続けて出る、という印象になってしまうということもあるんだけど)。

  64−1−4.jpg 本来、慟哭するのはこの人でしょ。

 やっぱり後半が駆け足過ぎるのよね・・・(肝心のロクヨン事件の真犯人がわかる根拠もあっさりとした説明で過ぎてしまい、まぁそれ以前の描写でわかっていることではあるんだけれどミステリ的には些かアンフェア)。 だったら前編をもっと刈り込んで、3時間強の一本の映画にできたはず。 前後編にしたのなら、もっと深く描けたはず(だって前編って原作では前半3分の1ぐらいだし)!
 ・・・結局、そういうことになってしまうんだよなぁ。
 こちらが多くを求め過ぎてしまっているのでしょうか。
 多くの役者さんの熱演を観られたことは、これだけの顔触れが集まることはそうないと思うので、それはそれで満足ではあるのですが。
 あぁ、困った。 もっと盛り上がりたかった。 もっとガツンとしたものをくらいたかった。
 そんな消化不良感があるのは、やはり期待値が高かったせいでしょうね。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする