2016年07月31日

クリーピー 偽りの隣人/CREEPY

 なかなか観に行くタイミングが合わないまま時間が過ぎ、ヒットしているものの内容は賛否両論(むしろ否が多い?)みたいなことが伝わってきてしまい、観に行くことを迷った。
 でもこの先公開する黒沢清初海外作品『ダゲレオタイプの女』は観たいし(だってマチュー出てるし!)、その比較の意味でも観ておいた方がいいかなぁ、と。
 というか、黒沢清監督ですら日本国内資本では原作つきの映画しか撮らせてもらえないという現状が賛否が分かれるそもそもの原因ではないのかなぁ、と思うのですが。
 そのかわりというか、演劇出身の人が映画を撮ったり、異業種監督が当たり前になって日本映画の裾野は広がっているのだが、こういう形でとばっちりを食う人(特にベテランでも寡作で作家性の強いタイプ)がいるということも知っておかなければ・・・と思う。
 これは日本映画界の構造的問題。
 ちなみに映画本編のオープニングクレジットには『偽りの隣人』という表記はありませんでした。 この副題はマーケティング上つけられたものかと。 でもちょっとネタバレじゃん!

  クリーピーP.jpg あの人、お父さんじゃありません。 全然知らない人です。
    未解決の一家失踪事件×奇妙な隣人家族――犯罪心理学者が迷い込んだ2つの≪謎≫

 犯罪心理学を修め、刑事となった高倉(西島秀俊)だが、あるサイコパス相手の事件の際に犯人に刺され、被害者を出してしまう。 警察を辞めた彼は一年後、犯罪心理学の教授として大学にいた。 心機一転、妻の康子(竹内結子)とともに新しい家に引っ越したのだが、お隣は「近所づきあいはしないから」という家で、もう一軒のお隣を訪ねると、西野と名乗るその隣人(香川照之)は第一印象は最悪ながら、会うたびに態度が違い、どうもとらえどころがない。 娘の澪(藤野涼子)と妻の三人暮らしだというが、西野の妻の姿は見たことがなかった。

  クリーピー3.jpg 最近、共演しすぎな二人。 まぁ、隣人が香川照之だというだけでサブタイトルなくても結構ネタバレですが。
 ある日、研究室で院生がまとめていた<奇妙な事件>データベースから未解決の“日野市一家失踪事件”が気になった高倉は現場に立ち寄る。 すると刑事時代の後輩・野上(東出昌大)がやってきて、その事件唯一の生き残りである長女の早紀(川口春奈)の心理分析をしてもらえませんかと頼まれる。 6年前の事件だが、彼女は何も覚えていないというのだ・・・。
 と、ここまでのあらすじと繰り返し観てしまった予告編からだいたいの展開の予想はついてしまったんですが・・・大体予想通りではあったものの、その過程が<不快>なのです。
 ただ怖がらせるだけがホラーの定義ではなく、観客を不快・不愉快にさせ、落ち着かない気分に終始させるというのも<現実という安定>を否定する意味で十分にホラーかと。
 何故ならば、まともな人が一人も出てこない。

  クリーピー4.jpg 本来和やかなはずの食卓も、不穏な空気に満ちている。 そもそも「付き合うのは止めよう」といった相手を何故夕食に招待してしまっているのか。
 香川照之は登場しただけでもうあやしさ全開ですが(それでも彼の力としては7割ぐらいの感じの、ちょっと力を抜いた演技プランだったのではと思う)、高倉は研究対象の異常犯罪にのめり込まないようにすべてに予防線を張っているように(だから他人に対して適切な距離感がつかめていないようにも)見えるのだが、異常心理を知りたいという気持ちにブレーキはかけられず(「康子、おれがきみを守るから」という言葉の空虚なこと!)。
 そして唯一まともな人のように見える康子ですらも、犯罪というラインに触れてはいなくても引っ越しのご近所さんへのご挨拶に手作りチョコレートを持参するなどどこかずれている。 “料理上手で気の利く私”を「認めてほしい症候群」なのだろうな、とわかるのだが、彼女へ共感を誘うような描写は一切ない。 人間には欠点が誰しもあるものだが、いい点でそこはカバーされるはず。 なのにこの映画では、登場人物のマイナス点ばかり強調され、持っているはずのいいところを押し隠す。 それ故に誰にも共感できず(ここが大事な人はこの映画をどう受け止めていいのかわからなくなるだろう)、壊れた人ばかりが出てくる、ということに。 勿論、それも意図的でしょう。
 そして様々に積み重ねられる違和感。 物語的に関係ないかもしれないけど、なんだか気になることが最初からちらちらと散りばめられていて、それもまた不快さを深める原因。

  クリーピー2.jpg ガラス張りの大学って、解放的なようでいて逆に閉鎖的というか、ガラス一枚隔てて見えているのに、複数の別の世界が存在しているかのよう。
 「日本でそんな事件が起こるわけがない」という油断が登場人物たちの不用意な行動を誘ってしまうのだけれど、観客にはすでに異常さが見えているから彼らの言動があまりにものんきで短絡的過ぎると思えてしまうように、ここでリアリティを追求しても始まらないんだけれど、意外にもその不用意さが逆にリアルなんじゃないか、とか。
 ちょっと『Cure』を思い出す場面もあって、そうなるとナンセンス(不条理)コントにも見えてしまうおかしさ。 ホラーと笑いは紙一重。
 「日本の住宅街って、家と家とが結構近いな・・・」と、当たり前の事実なんだけど、改めてそれを危機感というか恐怖の対象として見てしまう自分がいた。
 いや、言うほど悪い作品じゃないと思う・・・むしろ、限られた制約の中でもにじみ出てしまう黒沢清節を楽しめる作品かと。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月30日

今回は12冊(その2)。

 今回の12冊の続きです。

  パリの骨.jpg パリの骨/ローリー・R・キング
 おなじみ東京創元社からは今回この3冊。 まずこの『パリの骨』は表紙と装丁にやられました。 ローリー・R・キングという名になんとなく覚えがあるなぁと思ったら、『奥津城』の人だった!(読んだの十数年以上前かと思いますが)
 舞台は1929年のパリ、でも主役はアメリカ人女性を探しに来た私立探偵。 行方不明の彼女はピカソらと交流があり、マン・レイのモデルも務めた人物らしく、<あの時代>とパリの芸術が余すところなく出てくるらしい。 期待できそう!

  四人の女【新版】.jpg 四人の女【新版】/パット・マガー
 <被害者探し>の古典として名高い作品ですが、あたしはこれまで読みそびれ。
 確か旧版では表紙に4人の女性の絵が描かれていたような気がするのだけれど、新版では4つのグラスとドリンクに。 まったく共通点のないこのセレクトが、<四人の女>たちの個性を表しているのでしょう。
 きっと読み終わったら、「このグラスはあの人!」とわかる楽しみもあり、という感じ?

  エジプト十字架の謎.jpg エジプト十字架の謎【新訳版】/エラリー・クイーン
 読んでるの読んでないのが混在しまくりの<国名シリーズ>ですが、確かあたしはこれを読んでいる! ・・・でも詳細はいまいち覚えていない。
 だからこそ、新訳版の存在価値はそこにある!、と言い切りたいと思います。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

今回は12冊(その1)。

 何回かにわけて買っていた本、ご紹介しそびれて12冊もたまってしまいました。
 なのに図書館検索で懐かしい本を見つけてついオーダー入れてしまうあたし。
 一体何をしているのでしょう。
 まずは、映画『セトウツミ』の流れで、ちょっと青春モノが読みたくなって。

  島はぼくらと.jpg 島はぼくらと/辻村深月
 表紙から漂う“いかにも青春”感にくらっとしてしまいました。 しかも舞台は島。幼馴染として育った彼らがこの先の人生のために島を出るか否かを選択しなければいけない高校時代。 あらすじとか読んでないのに、そんなふうに想像してしまいました。

  船に乗れ1.jpg船に乗れ2.jpg船に乗れ3.jpg 船に乗れ! T・U・V/藤谷治
 これは結構前から話題になってたことは知っていたんだけれど(何年か前の本屋大賞ノミネート作品?)、そのときは気になりつつもスルー。 今回は何故か版元が変わり、装丁も変わっての新発売。 これもタイミングでしょうか。
 主人公はソロ志向のチェリスト志望。 しかし音大付属高校でオーケストラに加入して・・・というこれまた王道の青春モノのイメージ!
 三部作ということなので、一気買いしてしまいました。

  なごみクラブ07.jpg なごみクラブ 7/遠藤淑子
 こちらはいつも買っている続きですが・・・出てくるのはいい年した大人がほとんどではありますが、彼らの姿もまた“青春”という言葉が似合うような気がするのです。
 このシリーズは遠藤淑子のライフワークとしてずっと続いてほしいなぁ。
 そして相変わらずマネージャーの過去は謎なわけですが。

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出/A ROYAL NIGHT OUT

 予告でのサラ・ガトンのあまりのキュートさにやられました。
 「映画『ローマの休日』の時代からからさかのぼること十数年、真実の物語」みたいなナレーションが予告でありましたが、完全に『ローマの休日』に乗っかってはいるものの(一応、『ローマの休日』のほうがこの出来事にインスパイアされてできた可能性ありと宣伝してますが)、実在の、しかもご存命している方の若き日の逸話だからそうそう劇的なことをさせるわけにはいかず。
 ただあたしは個人的に、VE−DAYのトラファルガー広場の様子にコニー・ウィリスの『オール・クリアー』の情景を見い出し、にやつくことができました。

  ロイヤルナイトP.jpg ティアラを置いた。世界が輝いた。
    若き日のエリザベス女王、生涯初めての自由時間。

 1945年5月8日、ドイツとの戦争に終止符が打たれ、この日はVE−DAY(ヨーロッパ戦勝記念日)と呼ばれることになった。 ロンドンでは終戦と勝利を人々が祝い、お祭り騒ぎに。 妹のマーガレット王女(ベル・パウリー)に「この機会を逃せば外に自由に出る機会はないかも」とたきつけられた長女エリザベス王女(サラ・ガドン)19歳は、父親の国王ジョージ6世(ルパート・エヴェレット)に民衆の様子を間近に見てみたいと懇願する。 母親のエリザベス王妃(エミリー・ワトソン)には「とんでもない!」と反対されるものの、ジョージ6世はなにかを考えたように許可を与える。

  ロイヤルナイト1.jpg マーガレットはエリザベスよりそんなにかわいくない(タイプが違う)というだけでもう役割を十分果たしているかと。 設定上はそっくり姉妹ということですが・・・引き立て役です。

 マーガレットとともにお忍びでホテル・リッツに向かうエリザベスだが、お忍びのガードもがっちりつけられ、リッツから出られないことを受け入れるが、マーガレットの暴走によって思わぬハプニングが起こり、彼女は一人で街に飛び出すことになり・・・という話。
 マーガレットみたいな人、いるいる、と思ったり。 トラブルメイカーというか思いつきで行動してまわりをひっぱりまわすけど、本人はけろっとしていて実害も受けないタイプ(受けるのはまわりの人)。 妹特有の世渡りのうまさというか天真爛漫さというか、おかげで姉ってなんだか苦労症になるわよね。 マーガレットとエリザベスの関係がまさにそんな感じで、でも姉は妹を本気で心配している(妹を少しも疎ましがったりしていない)あたりが、『英国王のスピーチ』でも描かれたこの家族の絆というか、愛されて育ったんだろうな、というのがしみじみわかる。

  ロイヤルナイト2.jpg 親切な海軍将校と出会い、お嬢様育ちの自分を恥じる展開もお約束。 でもそれは半分はまわりが許してくれなかったせいもあるのだけれど。
 正直なところ、この映画一本ではいささか食い足りないところはあるものの、様々な先行作品の補足、という役回りは十分果たしているかと。 ルパート・エヴェレットを久し振りに見てびっくりしたし(というかエンドロールまで気がつかなかった)。

  ロイヤルナイト5.jpg 吃音の感じも十分出てます。 家族といるときはそんなにならない、という雰囲気もよかった。
 父親の気持ちと国王としての気持ちで、王位継承者たる彼女にその自覚を持ってもらいたいが故に許した外出、そして彼女もまたその想いにこたえて一晩でぐっと成長を見せる。 物語的にはささやかながらも、イギリス王室にとっては大事な瞬間を描いたものだったのかもしれず。
 今年はエリザベス女王生誕90周年にあたるとか。
 ダイアナ元妃がなくなったときは世界中からバッシングされた女王だけれど、最近いろいろあげ気味の報道が多いのはそのせいか。 死して伝説になる人もいるけど、結局のところ「生き残った者勝ち」なのが世の中で、この映画もその一環なんだろうけど・・・。
 とにかくサラ・ガトンがかわいいので許す!

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月26日

疑惑のチャンピオン/THE PROGRAM

 おぼろげな記憶だが、あたしが子供の頃<ツール・ド・フランス>はTVで中継されていたような気がする。 で、なんだか面白く見ていたような。 自転車同士の競り合いもそうだが、思いのほかすぐ近くで応援している観客たちの姿や、どんどん移り変わっていく美しいヨーロッパの景観が楽しくて。
 でも最近は多チャンネル化の影響で<ツール・ド・フランス>は多分専門局の放送になっているのであろう、すっかり遠ざかってしまった。 近藤史恵の『サクリファイス』シリーズを読むくらいが、あたしと自転車競技の接点ぐらいになってしまったかな〜。
 だから比較的最近といえる時期に起こっていたこのスキャンダルについて、あたしは全然知らなかったのだ。 だから映画としてはとても新鮮だったが・・・<プロスポーツが抱える闇>について考えざるを得なかった。

  疑惑のチャンピオンP.jpg 勝利への底なしの欲望
    世界最高峰の自転車レースで7冠に輝いたランス・アームストロング。
    衝撃の実話が問いかける――彼は英雄か、それともただのペテン師か?

 自転車ロードレースの選手ランス・アームストロング(ベン・フォスター)が頭角を現し始めた25歳、彼は精巣がんの告知を受け、のちにがんは脳に転移する。 それをすべて手術で切り抜け、再びロードレース界に帰って来た彼は1999年から2005年まで<ツール・ド・フランス>において史上初の7連覇を達成し、同時にがん患者を支援する社会活動にも取り組んで世界中から尊敬される英雄となる。
 だが彼にはずっとドーピング疑惑という“黒い噂”もつきまとっており、サンデー・タイムズの記者でアイルランド人のデイビッド・ウォルシュ(クリス・オダウド)は執念の取材でランス・アームストロングの真実に迫っていく・・・という話。
 アームストロングはアメリカでのロードレースをほぼ制覇して、満を持してのヨーロッパ進出だった。 それまでは彼は競技が楽しかったのだと思う(映画でのBGMはラモーンズの“電撃バップ”だったし)。 けれど世界の壁は厚く、その挫折感と「絶対にその体形ではツール・ド・フランスを勝つのは無理」と言われてしまったこともあって(上半身ムキムキの体操選手のような体つきだった)、そのときは違法ではなかったスタミナ増強剤<エポ>に手を出すことになったのだろう。 実際、がんになったとき診断した医者が、「エポの過剰摂取ががんの悪化・転移に影響を与えていないとは言えない」と言っていたもの。

  疑惑のチャンピオン1.jpg 復帰後の彼は別人のような走りに。
 彼は一回命を棄てかけた。 多分気持ちとしては、あとは怖いものなしだったんじゃないか。 抗がん剤治療の結果、落ちた筋肉をさらし、「これからロードレーサーに最適の肉体がつくれるだろ」とほくそ笑み、罪悪感ゼロだからヒーローとしての自分を堂々と演じることが出来た。 それが、彼にとって生きているということだから。
 ドーピングの驚くべく仕組み(それが原題の『プログラム』)を含めて、彼にとっては<レース>だったのではないか、という気さえする。
 しかしそれもこれも、スポーツ医学専門家と名乗るあやしげなあの医者(しかもそれがギヨーム・カネだったりする)との出会いがあったからこそである。 彼に会わなかったら・・・前人未到の記録はなしえなかっただろうが、このようなことにもならなかっただろう。 でも、仮にアームストロングでなくとも<スター>と呼ばれる人物が存在することで競技の知名度が上がり、スポンサーがつき、ファンも増え・・・という現象を業界が歓迎しないわけもなく、ドーピング疑惑が長々と放置されていたのもそんな利権の産物でもあるわけで。 あぁ、お金が絡むとほんと厄介。

  疑惑のチャンピオン2.jpg おまけにこのドクター(ギヨーム・カネですよ、念のため)はマッドサイエンティスト的性質の持ち主で、ランスを実験台としか思ってないし。

 とはいえ、ベン・フォスターの何を考えているかわからない、常に善人とも悪人ともつかない表情がいろんな意味で怖すぎて、はまり役でした。 <衝撃の実話の映画化>という話題性だけでなく、演技面もそれぞれ水準以上なのでまるで倒叙サスペンスミステリを観ているような気持ちにもなり、大変ハラハラでした。

  疑惑のチャンピオン4.jpg ちなみに追及する側のクリス・オダウド、絶対どこかで見たことある顔なんだけど・・・と思ったら『ブライズメイド』の巡査さんじゃないか! 顔の印象全然違う! やはりモデルにあたる人物がいるとその人に外見からも似せていこうというのが昨今の流れなのね(それだけ、実話がらみの映画が多いといえる)。

 そんなわけで、プロスポーツの世界ではどんな競技でも多かれ少なかれ似たようなことが行われているのでは?、という疑惑が消えない(プロでなくても国や個人の名誉がかかったオリンピックなどもそういえると思うが)。 記録がどんどん更新されていくのは、道具の改良・筋肉の科学的解明などが進んできているとはいえ、ほんとうにそれだけなんだろうか。
 「勝利への底なしの欲望」とは、ハングリー精神が求められる運動選手にとって、必要な資質の紙一重のところなのでは。
 あたし自身はプロスポーツにそんなに興味はないのだけれど(やっていたらたまたま見ることはありますが)、そういう部分をあえて見たくないということがあるせいかも。 ハングリー精神が自分自身にないからです。
 もう、子供の頃のようにのんきに<ツール・ド・フランス>も見られない。
 まぁ、スポーツに夢を見たことがないからいいんだけど、それでもちょっと切ないものが。
 結局のところ、個人の倫理観にすべては還元していくということなんだろうな。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月25日

<GO>との接触

 週明け、月曜日の通勤電車。
 相変わらずスマホを見ている人が多いのですが・・・今日はなんか変だった。
 スマホの画面に集中している点では同じ。 でも、身体に妙な動きがついているというか、スマホを持つ角度もヘンというか。
 ・・・あ、もしや、これが噂の『ポケモンGO』か?!
 こちとらガラケーユーザーだし、ポケモン世代じゃないもんでちっとも興味がわかないのだけど、電車の中だけでなくそういう感じの人は結構いて、なかなかに幅広い年齢層であった(あたしより明らかに年上のおじさんが集中しまくっていたのにはちょっとびっくりしたけど)。 老若男女に愛されているのね。
 えー、歩きスマホには注意しましょう(している人の近くにも寄りすぎないようにしようという注意も込めて)。
 あたしは、やっと最近また電車の中で本が読めるようになってきました。
 やはりあたしの宿敵は湿気、高い湿度のようです。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月24日

吉野朔実は本が大好き ALL IN ONE/吉野朔実

 『本の雑誌』に連載していた<吉野朔実劇場>の本が全部まとめて一冊で発売、ということで、ネットで注文していましたが予定よりも結構遅れて到着。
 それだけ需要があったのか、それとも刷った冊数が少なかったのか・・・(でもあたしのは初版だわ)。 シリーズ全8作プラス単行本未収録作品収録で本体価格3000円というのはお買い得だと思うの。

  吉野朔実は本が大好き.jpg でもその分、分厚いわ・・・。

 本をめぐる吉野朔実の日常をマンガで綴ったエッセイ集。
 なんというか、職業柄ということもありましょうが、本の話を日常的にできる人たちが周囲に沢山いる環境、うらやましい。
 あたしもゼロではないけど・・・すぐ近くにいるわけじゃないしそうマメに会えるわけじゃないから。 大学生の延長みたいな精神(?)でいることが許されるおばちゃんは世の中には意外と少ない、と思い知らされるばかり(少女心を持っている人はいっぱいいるんだけど、家族いたり子供いたりという生活環境では彼女たちは自分の好みを優先させられない)。 子供の手が離れて、もう少し歳をとったらまた変わっていくのかなぁ・・・。
 実はすでにこの本、1/6くらい読んでしまい、「いかん、この勢いだとすぐ読み終わってしまう! それはもったいない!」とちょっと封印。
 ちなみに連載一回目のお題はトマス・ハリス『羊たちの沈黙』で、個人的にも懐かしさひとしおです。 映画の方のコラムで、『羊たちの沈黙』のクロフォード捜査官役のスコット・グレンのことを「ハリウッド一の美中年」とかつて表現していて、それに全面的に賛成してしまったかつてのあたしは、それ以来「この人とは好みが結構似てるかも」と勝手に思い込んでます。
 だからか、「あ、なんかわかる!」というポイントがちょっと読んだなかでも結構あった。
 この一冊は、<ヴァーチャル本読みともだち>として活躍してくれそう。
 で、またこれに影響を受けて買う本も出てきたりするんだろうな・・・それもまたよし!

posted by かしこん at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

セトウツミ

 若手実力派の二人ががっちり組んで二人芝居!、といった感じのポスター&チラシイメージを見て、「おおっ! これは観なければ!」と固く決意。 特に池松くんには前から注目してはいましたが、『MOZU』の宏美ちゃん役がすさまじくよかったのでそれ以来すっかり追っかけ気分になっております(この二人に窪田正孝を加えて、あたしの中では若手三大実力派と認定)。

  セトウツミP1.jpg 「喋る」だけの青春。

 高校2年生の内海想(池松壮亮)と瀬戸小吉(菅田将暉)は、いつの間にやら放課後にいつも河原で話をしながら暇つぶしをするのが日課になっていた。 話す内容といえば大概くだらないことだが、ときには思いを寄せる女子へのメールをどうするか、家族や将来のことなどが最低限話題にのぼったりすることもあるがあまり追及しない。 近くにはそんな二人を時折見つめる同級生の樫村一期(中条あやみ)の存在が。 実は瀬戸くんが恋心を抱いているのは彼女で、でも彼女は内海くんのことが気になっており・・・という話。
 バンドネオンのようなアコーディオンの哀愁漂う音楽が、このなんともいえない物語に奥行きを与えているような気がする。

  セトウツミP2.jpg ケンカもない。部活もしない。壁ドンもない。
     「喋る」だけの放課後。

 通行人とか不自然ではない程度に他の登場人物も出てくるけれど、基本は瀬戸くんと内海くんの二人芝居。 それを舞台っぽくもなく漫才っぽくもなく、<男子高校生の日常>としてリアルに表現できているのが素晴らしい!
 内海くんの「誰でも必ず部活に入らないといかんのか。 この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃうんか」というモノローグに激しく共感。 同調圧力に屈しない、わが道を行く強さをその歳で持っているのはえらい!
 で、瀬戸くんは自分の考えをうまく言語化する能力がないけど、「誰かに迷惑かけたり疎ましがられたりしてまで自分の我を押し通したくない」と思っている気配濃厚。 うん、おバカでも気ぃ遣い(そして天然?)。 そんなところが内海くんとウマがあったのではないか。 でも、出会いなんてタイミングだからね! 付き合いの深さも時間の長さと比例するわけじゃないから!

  セトウツミ4.jpg 「(距離)近いって」と怒られる瀬戸くんだが、多分怒られていることに気づいていない。

 映画を推薦する有名人のコメントで、やはり関西人は「M−1ええとこまで行けんのちゃうか?」とか「5年後に天下を取る漫才師コンビ<セトウツミ>の今を観ているようだ・・・」みたいなものが多いんだけど、わかってないなぁ、と思う(もしくは、関西人はお笑い至上主義だという証明なのかもしれないが)。
 彼らにとってはあくまで日常会話に過ぎない。 街で行き交う高校生の会話が断片的に耳に入ってくるときだってあるじゃないか。 そういう瞬間に近いんだよ。

  セトウツミ3.jpg でも夏休みにも会っちゃってるあたり、やっぱり仲良しなのね♪

 それに、性格や考え方だけでなく将来の道も瀬戸くんと内海くんはまったく違う道を行くだろう事は明白。 なんだかんだ言いつつそこそこいい大学に進むのであろう内海(何を専攻するかはわからない)、ぼやっと就職組にいてなんとなく就職して、もしかしたら3年以内に辞めてしまうかもしれない瀬戸(いや、意外と長く働くかも、そこで奥さんになる人に出会っちゃうかも)。
 彼らの未来はきっともう交差することはない。 お互いはっきり口には出さずとも、そして明確に言語化できているかどうかもわからないけど(瀬戸くんは出来てない気がする・・・)、一緒にいる時間は今だけだとお互い気づいてる。
 だから、必要以上にお互いの深いところには踏み込まず(自然にわかってしまう部分は仕方ないとして)、ただ、いまを大切に、学校が終わって内海くんが塾に行くまでの一時間半を川辺でだべってつぶす、その“時間”を守ってる。
 男子にとってはそんなことが、ものすごく大事なことだったりするのさ。
 樫村さんは多分内海くんと同じ大学か同じエリアの大学に行くんだろうから、個人的に付き合うとしたらそれからにしなさい。 と、つい老婆心が出てしまうよ〜。
 「内海くんって、ゲイなの?」
 「自分に興味を持たない男はみんなそうって思うのはえらい自信やな。 どうかと思うで」
 と、真顔でテンション低く樫村さんに言えちゃう内海くん、やっぱすごいよ!

  セトウツミ5.jpg 樫村さん、玉砕。

 連作短編なつくりですが、<エピローグ>とテロップが出て「えっ、もう終わっちゃうの!」という気持ちになった。 せめてもう一話ぐらい観たい・・・でも、そのあたりで寸止めする匙加減がいいところなのかなぁ(もうちょっと長いとだれてくる、的な?)。
 その短さが彼らの青春の短さにも重なるような気がして、コメディだし笑える話なんだけど、なんだかとても切なくなってしまいました。
 事前にひよ次郎さまから「堺市オールロケ」とうかがっていたので、堺市とわかるものは映っていないだろうかと最初は気にしてたのですが、途中から瀬戸くんと内海くんに集中してしまい、忘れました・・・。

  セトウツミP3.jpg おしゃべり、ひとやすみ。
     たまにはこんな放課後も。  ← ちなみに映画にはこんなシーンはない。

 チラシ3種類全部集めちゃったあたし、どうよ、って話です。
 この二人もそろそろ高校生役をやるの限界に近付いてきてるから、ほんと奇跡のようなタイミングで仕上がった映画なんだろうな。 『さよなら渓谷』のあとにこれを撮っちゃう大森立嗣監督、さすが。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

母はハタチの夢を見る/逢坂みえこ

 前作『おかあさんとごいっしょ』のあとがきで、「今回は娘視点だったので、次は母視点の物語を・・・」みたいなことが書いてあったので、新刊案内でこの本の存在を知ったとき、「ついに来たか!」と思い、ドキドキしながら開きましたら・・・認知症のお話でした。
 75歳の母、最近どうも物忘れが激しいというかうっかりが多くなったなぁと思えば、突然彼女はハタチになって過去の思い出を現在形で話しだしたり、また元に戻ったり・・・それを息子視点で描くのがうまいなぁ、と思うわけです。 そして母の姿が絵としては精神年齢で表現される。

  母はハタチの夢を見る.jpg 鏡に映る自分と、自分の中にいる自分とのずれは誰にでも多少はあることですが。

 息子には妻子がいて、妻は「あぁ、これは」と認知症を早々に受け入れ、対策を考えるのですが、息子とその父(つまり夫)はつい、「これは一時的なちょっとしたうっかりで、すぐにまた元に戻るんじゃないか」と根拠のない希望に頼りがち。
 勿論個人差はありますが、男の人ってだいたいそういうところあるよな〜、と(あたしは健康診断でひっかかり、二次検査の予約を入れて待合室で待っている間、「もしなにかひどい病気だったらどうしよう」と考えたら怖くなって検査を受けずに帰ってきてしまった男性を知っている。 バカじゃないかと思いました)。 早く結果を知った方が早く対策が取れるし、そもそも病気なのかはっきりしてないのにもやもやしている方が非生産的というか、むしろほっといて手遅れになったらどうするのか、とあたしは考えてしまうほう。
 なので今作の息子の妻、えらい!、と思ってしまいました(夫や義父の行動・態度に不満はあれど、その表現は最小限にしてサポートに徹するあたり)。
 しかし現在75歳の方にとっての青春とはどんなものだったのか。
 この話では映画『ローマの休日』とオードリー・ヘップバーンに象徴させてますが、想像がつかない・・・。 親の子供時代とかあまり考えたことないように、自分よりずっと年上の方の若き日って時代の違いも考慮にいれる必要もあるけれど、わからない。
 そういう方々とそんな会話をする機会に恵まれなかったってことだな、あたし・・・。
 またしてもあとがきによれば、これは作者の義母の実体験からインスピレーションを受けたものとか。 その1ページに込められた言葉が深くて、あやうく泣きそうになった。

ラベル:マンガ 新刊
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月21日

TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ

 はい、すみません、神木隆之介目当てで行ってしまいました!
 しかし観てびっくり! ロックミュージカルでした・・・しかしやっぱり、どこまでいってもクドカンワールド全開なのであります(これは第何回ウーマンリヴ公演?、と思ってしまうくらいに舞台っぽくもあった)。

  トゥーヤングトゥーダイP1.jpg 地獄へようこそ。

 いまどき高校生の大助(神木隆之介)は同級生のひろ美(森川葵)が好きだけど、意識しすぎてうまく告白もできず。 修学旅行がその最大のチャンス!、と意を決するものの、乗っていたバスが事故に遭ってしまい、大助は気がついたら地獄にいた。
 「地獄って普通、悪いことした人が来るところでしょう?! なんで僕が!」と現れた地獄専属ロックバンドの<ヘルズ>のリーダーにしてリードボーカル・ギター担当のキラーK(長瀬智也)に食ってかかるも、閻魔大王(古田新太)の判断なしには現世に戻れないという。 一途にひろ美ちゃんへの想いを語る大助に、<ヘルズ>のメンバーは地獄から現世に戻るための指導と特訓を開始するが・・・という話。
 とりあえず、「地獄にロックバンドがいてライヴで大盛り上がり、なのが唯一の娯楽」というある意味<出落ち>のような話ではある。
 自分のこととひろ美ちゃんのことしか考えてないおバカ高校生も、神木隆之介がやっているというだけでなんだかかわいらしいというか、「若さ故のおバカ」として受け入れられてしまう不思議。 地獄めぐりや輪廻転生は、あくまで大助が成長するために用意された極端な装置に過ぎない。
 そう、ベースはあくまで青春映画、<自己を肯定する・あるがままの自分を受け入れる>までの過程を描いたものである。
 ちょっとしみじみしちゃったのは、大助と、その後地獄で再会することになる同級生(彼は事故で生き残り、大人になってからがんで死去)を古舘寛治さんがやっていたこと。
 『太陽』とはまったく違うその二人の会話に役者としての二人の幅の広さを感じつつ、「この二人の共演、あと何回観られるんだろう」みたいな感慨というか・・・。
 それにしてもクドカン作品では更に光る長瀬智也の安定感は素晴らしいな!
 そして最初に登場したシーンでは誰なのかさっぱりわからなかった尾野真千子もすごい。
 豪華キャストを無駄に投入しすぎるのもまたクドカン作品のお約束。

  トゥーヤングトゥーダイP0.jpg 公開延期前はこんなチラシでした。
    もはやどれがタイトルでコピーなのかさっぱりわからない。

 本来は「死ぬには若すぎる」なんだけど、「若くして死ぬ」って言いきっちゃう潔さ、というか、現世が終わってもその次がある、という妙な希望が漂ってしまっているのが妙におかしい。
 天国描写は特に新しいものではないし、SF的要素を期待するのも間違いで、ただただその場の勢いに身を任せるのがいちばん、という感じ。
 「なんか思ったより面白かったね!」と言いながら帰っていくお客さんが多かった・・・つまりそういう作品なんだなぁ、と思う。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月20日

ちはやふる 32/末次由紀

 うーん、なんでだろう。
 最初はすごく面白かったのに。
 いや、ちょっと前までもそれなりに盛り上がっていたのに、ここ数巻はなんだかいまいち気持ちが盛り上がらない・・・。 実写映画化が本編にも影響を与えているのであろうか。

  ちはやふる32.jpg 今回、表紙がこの3人でも、内容には影響せず。

 やはり恋愛要素が前に出てきてしまったら、<青春かるたマンガ>としての優先度が変わるからでしょうか。 太一が部活を辞めたことに対してあたしが納得できてないからか(でも彼はかるたをやめたわけではない)。
 主人公たる千早が主人公らしからぬのはもうお約束だからいいんだけど、普段はただの不器用純朴少年ながらかるたにおいてだけは無双であるはずの新がそうではなくなり、結果として新に負けたクイーンの存在も“絶対的位置”から下がることになってしまい、大江さん・机くん・肉まんくんがいかにそれぞれいい味を出そうともワンポイントリリーフにしかならず(本筋の物語に影響しない)、顧問の宮内先生の<大人として正しい気遣い>だった態度ですらもすっかりおせっかいおばさんのように映ってしまう。
 ・・・なんか、かなしい。
 そのうち盛り返すだろう、と思って読み続けてきていましたが、その気配がまだ感じられないまま。 作者が太一をえこひいきしているように思えてしまうよ。
 『グイン・サーガ』も長かったし、作者は「お気に入りはナリスさま」と公言していたにもかかわらず物語はぶれずに進んだ(晩年、停滞したのは彼女の「書き終えたくない・自分の命の終わりをはっきり認めたくない」という葛藤のあらわれだったのだろうと今なら理解できますが)。 アルド・ナリスは物語上必要なひどい目にちゃんと遭っている。
 同じようなことを、この物語にも求めてはいけないのでしょうか。
 このまま惰性で読み続ける、ということにはならないよう、物語の復活を望むであります。

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

梅雨明け

 どうやら梅雨が明けたようです。
 確かに湿気がましになってる。 日陰にいれば風が心地よい。
 しかし日光の強さは朝の出勤時のあたしの目を射るに十分だった梅雨時期以上の強さ! そしてセミの鳴き声は三倍増・・・。
 どうもセミの鳴き声から2種類いるような気がするんだけれども、大音響すぎて、そしてセミが沢山いるらしき場所から次の場所まで移動する間にドップラー効果が起こっているような気もするし、確信が持てない。
 暑い、と最寄駅までの道を急ぐあたしに、目が合うネコたちはほぼ無視状態。
 毒にも薬にもならんやつとついに認定されたのだろうか・・・。
 そんなわけで、仕事が、というか仕事場が結構大変なことになっております。
 事務所が移転するのですが、やっと正式に日程が発表。
 普段の仕事と並行して、荷造り(というかいらないものの整理とか、どこまで資料を保存するのか、紙ベースで残すのかスキャンして電子データで残すのかの判断など含め、全部)をしていかなければなりません。
 なんでこんな暑い時期に引越しするの!
 そんなわけで更新がこれまで以上に遅れているのでございます。
 事務所が移転したら通勤にこれまでの倍以上の時間がかかるため、映画を観に行く時間がなくなってしまうかも・・・と思い、結構強引なスケジュールで観に行けるものを観に行っているのですが、おかげで感想を書く時間がありません・・・。
 今後も更新は遅れがちになると思われますが、なんとか土日でまとめて更新できるようにするつもりです。 そもそも、記事が長いのを見直せって話ですが・・・。
 と、事務所の引っ越しのどたばたでブログの引っ越しのほうは更に進んでいません。
 どんどん引っ越していく人が増えている・・・あぁ、どうしたらいいのやら〜。
 ひとまず、夏休みまで保留!、なのであります。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

エクス・マキナ/EX MACHINA

 最初は予定になかったのはずに、シネ・リーブル神戸にて急遽上映決定!
 しかし急にスケジュールに入れ込んだからなのか上映期間が短いのだ! でもこれは絶対に観逃してはいかん!、のですよ。 新『スター・ウォーズ』をおさえて第88回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した、ということをのぞいても。

  エクスマキナP.jpg 人間か、人工知能か――

 検索エンジンの世界最大手、ブルーブック社に勤めるプログラマーのケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、年に一度、ほとんど人前に姿を見せることがない社長のネイサン(オスカー・アイザック)が所有する別荘に招かれる権利を今回獲得する。 まわりの社員に祝福されて出発すれば、その別荘ははるか人里離れた山間部にあり、ヘリから降りて更に川沿いを歩かなければならないような場所。 休暇&ご褒美気分のケイレブだったが次第に不安が頭をよぎり始める。 ようやく出会った社長のネイサンは、AIの研究に熱中していたといい、ようやく人に見せられる完成品が出来上がったという。 それが女性型アンドロイドのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル−ヴィキャンダー?)。 ネイサンはケイレブに、エヴァが現在の常識を超えたAIであるかどうか試してほしいと提案する・・・という話。

  エクスマキナ2.jpg だとしてもそのAIがアンドロイドなのにこんなに色っぽいのは反則である。

 つまり、人間は何をもって人間たらしめているのか、脳に限定して考えたらAIは人間とほぼ同じレベルにまで行けるのか、ということ。
 実はアレックス・ガーランドの担当は脚本だけでなく、今回が初監督作品。
 ということでSF作品としてはかなりな低予算であることは見てとれるのですが、登場人物を絞る・舞台はミニマルな限られた空間にすることでその条件をクリアした模様。
 だけど集めた役者が豪華!
 ドーナル・グリーソンは『アバウト・タイム』のときよりも明らかにかっこよくなっており、でも人のよさというか誠実さのイメージも十分キープ。 歳を重ねるごとにかっこよくなるタイプか?!、と心の中でどよめく。 オスカー・アイザックはハゲ&ヒゲ姿がむさく、あえて彼のかっこよさや色気は封印(マッド・サイエンティストかつ“男の嫉妬”をもうその肉体から表現)。 アリシア・ヴィキャンデルは『リリーのすべて』のときと全然違うのよね!(『二ツ星の料理人』のときも思ったけど、こんなに若くて華奢な感じだったの?!、という驚き。 もはや『リリーのすべて』のほうが特別だったと思うべきなんだろう)
 エヴァや愛人AIアンドロイド・キョウコ(ソノヤ・ミズノ)へのネイサンの態度から、「『青髭公の城』か?!」と思わされたり。 しかし川の流れを利用した家づくり、家の中に天然の岩壁を取り入れるなど、別荘はどこか日本家屋っぽいところもあり、フランク・ロイド・ライト的でもあり・・・けれどポロックの絵画が壁一面を占領していたりして、生活感のない、まるで美術館のような家。 そもそもブルーブックと言えばウィドゲンシュタインだし、彼の姉(妹だったっけ?)をモデルにしたクリムトの絵もこの別荘にはあるし、という細かな意図があるのかわからない仕掛けも監督のこだわり故か? 深読みさせたいのか?

  エクスマキナ3.jpg 思いついたことや観察結果を片っ端からメモして壁に張るネイサン。 変質狂っぽいぞ!

 彼女の人工知能に蓄積されるデータが検索エンジンから、というのがリアルだが(実際にアマゾンの「あなたへのオススメ」・「これを買っている人はこちらも買っています」はかなり該当率高くて今でもときどきどきっとする)、それが純粋知識かといわれれば悩むところだ。
 ネットにはデマや嘘も渦巻いている。 勿論、人間の生活においてもそのとおりのことが起こっているわけなんだけれど、人間同士でも誤差のある“共感力”を持てるかどうか。
 それがAIが人間に近づけるポイントのような気がするんだけど・・・(あくまで個人的な意見です)。
 あたしは多神教が普通の日本人であるからなのか、「人工知能(AI)がもしかしたら人間を凌駕する力を持つかもしれない」と言われても普通に「すごいな〜」と思ってしまう能天気なやつなんだけれど、古典SF時代から「人間が人間以上のものを作り出してしまうことに対する畏れ」がテーマの大きな柱になっていることから、一神教ではやはりそれはタブーに近いことなのだろうか、と感じる。
 神が作り出したもうた“人間”が“人間以上”のものをつくったら、つまり人間が“神”を超えてしまうことになる、ということなのか。
 その<畏れ>がどうもあたしには理解できない・・・。
 そもそも“もの”に“魂”や“いのち”のようなものを見出してしまう身としては、それが当然のことのように思えてしまって。 自然にあるものすべてが神のようなもので、それに人間は太刀打ちできない、と思っているから(自然災害が多い土地柄ですかね・・・)。
 ただ、「能力的に人間、もしくは人類という種をはるかに上回る存在になる」ということがその恐怖の根源だとしたら・・・うーん、そこはどうしようもないというか、歩みよれない部分ではあるのだ。 人間がつくったつくらないにかかわらず、それは違う種だということにはなるまいか。

  エクスマキナ4.jpg 「お前が惹かれているものの中身は所詮これだぞ」と諭してみせるネイサン。 それもどこまでが本気なのか・・・ケイレブ同様、観客も戸惑う。 ケイレブもまた、どこまでエヴァを想っているのか考え込まざるを得ない。

 ただ、そんな宗教的な意味合いを切り離しても、エヴァをチューリングテストするケイレブ、その二人の会話をモニターで監視するネイサン、でもネットワークを通じて見るということはネイサンもまた機械に見られており、エヴァもまた自分の回答に反応するケイレブを観察し、データを蓄積していく。 観察者・被観察者の立場が容易く入れ替わる心理サスペンスとして受け取っても十分に面白い。
 そして二人のアンドロイドが皮膚に見えるシリコンを目もとからはがしていく場面は痛みを伴うと同時に限りなくエロティックでもあり、なんとも言い難い恐ろしさである(ちょっと背筋が寒くなっちゃった)。
 <デウス・エクス・マキナ>は<機械仕掛けの神>の意味だが、<エクス・マキナ>は<機械を超えたもの>?

  エクスマキナ5.jpg 最後にケイレブが見たものは一体何だったのだろう。
 ラストシーンは、そんなふうに見えた。 残酷に見えるのは、そこに共感力がないから。 観る側は彼の絶望を感じ取ってしまうから。
 開放感があるのに後味が悪い。 そんな奇妙な忘れがたい映画だ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月17日

亜里沙とマリア/和田慎二傑作選

 なんと、<書籍扱いコミックス>としてこんなものが出た。
 “デビュー当時のコミックス未収録作品掲載”というサブタイトル(?)もついて。

  和田慎二傑作選亜里沙とマリア.jpg 勿論中身は、『銀色の髪の亜里沙』『大逃亡』

 結構サイズが大きいです(「書籍扱い」だから? ソフトカバーサイズですね)。
 あたしが『銀色の髪の亜里沙』を初めて読んだのは小学生のとき、しかも文庫版サイズだったような気がするので、この大きさのコマで読める、というのはうれしい驚き。
 しかもカラー&2色原稿も再現!
 多少お値段が張ろうとも(税込2268円)、その価値はあろうというものです。
 そして『大逃亡』の他にエッセイ2本と、デビューまもない時期に描かれたらしい『四次元コート』収録。 これが“デビュー当時のコミックス未収録作品掲載”のようです。 なんと写植が貼ってない(吹き出しの台詞が全部鉛筆書き)。
 ジャンルとしてはSFコメディですが、既に和田慎二の世界観は完成されていて、ただ絵にちょっと手塚治虫や石森章太郎の影響を感じるくらい。
 『銀色の髪の亜里沙』も、改めて読むとこんなに短かったかな、という感じで。
洞窟の生活場面はもっと多かったような・・・多分、自分の中で勝手に脳内補完をしてしまっていたのでしょう。
 実は『大逃亡』は今回初めて読んだのですが(その当時、たまたまかもしれないが既に古本屋でも手に入らず)、『スケバン刑事』で沼さんの回想としてある程度は語られているのを読んでいるせいもあるのでしょうが、まったく初めて読んだという気がしない。 「この2作品は『スケバン刑事』のプロトタイプ」とのちに作者がおっしゃっていたそうで・・・そのせいでしょうか。
 この勢いで、『和田慎二傑作選』として今では手に入らないノンシリーズの傑作群もまとめてもらえませんかね! ついでといってはなんですが、『ピグマリオ』の再版もお願いできれば・・・(マーケットプレイスでは人の足元を見たものすごい値段をつけてきてるんでね!)。

 『スケバン刑事』は勿論名作だけれども、和田慎二をそれだけで語ってほしくはないと、好きな人ならみんな思うのではないかしら。

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月16日

千林商店街ツアーに参加

 今の仕事場で千林商店街の近くにお住まいの方がいる。
 「あそこの商店街はいろいろ物価がおかしい。 こっちの金銭感覚もおかしくなる」というお話はいろいろ聞いていましたが・・・別部署のIさんの企画により、<千林商店街ツアー>が急遽敢行され、あたしもついていくことになりました。
 というわけでご近所にお住まいのYAさんを案内人に(地下鉄の改札前で待ち合わせ)、総勢4名のそぞろ歩きは始まったのでした。
 千林商店街、勿論あたしは初めてですが「大阪のおばちゃんの聖地」とも呼ばれているらしく・・・地下鉄から階段上がって明るさにびっくり。 通路は狭いけどアーケードの屋根が工夫され、外の明るさを十分に取り入れられるようになっている(その点、神戸の元町商店街のほうが通路の幅は広いけど、街灯設置が前提のつくりだから)。
 基本的には一本道だけどくねくねしており、枝分かれしている場所ではどっちに曲がったのか覚えておかないと迷子になりそうなダンジョン感あり。 個人経営らしきお店と全国チェーン店とが点在しつつ同居する、ちょっと面白い空間でした。
 「まずおすすめは、この安い八百屋。 ちょっと時間遅くなるとモノがなくなるから先に」とYAさんがまず連れて行ってくれたお店は「マジか?!」というお値段の連続。
 たとえば・・・白菜まるまる一個100円(サイズは普通、むしろ大きめ?)。 青森県産のごぼう3袋で100円。 でっかいシメジ2株で100円。 グリーンキウイ一籠11個入って350円。 デラウェア一パック(それも大きいサイズのパックだ)200円、などなど。
 デラウェア欲しかったけど移動中に潰れたらやだな・・・ということでしっかりしたパックに入ったキウイを買う。 明日と明後日の朝のグリーンスムージーに入れてやれ! その間、Iさんは「大きめのやつ持って来たんだけど〜」というエコバッグいっぱいになるくらい買っていた。 あと、生肉系を中心に売っているお肉屋さんは部位の種類が豊富で、しかも安い。 「近所にあったら確かに通うわ・・・」と納得でした(それでも豚のモツは置いていなかった、牛肉のホルモン類は多かったのだが)。 しかし生肉は残念ながら買えない。 後ろ髪を引かれてお惣菜系のお肉屋さんに行きました。 そんな遅い時間でもないのに、鶏肉のモモ焼き2枚で700円が、398円にもうなっており、「数足りなかったら今から焼くけど」とお店の人が言う。 ・・・普通、値引きって残っているものを今日のうちに売り切ってしまいたいからするもんじゃないの? それを今からつくってくれちゃうわけ? 元の値段で買う人がバカを見るじゃないか〜。
 なるほど、これが「常識が崩壊する瞬間」か。
 IさんとMさんが「じゃあ」と鶏肉をお願いし、20分くらいかかるということなので、YAさんおススメのかき氷屋さんへ(というか、あたしが暑さでしんどくなってきたので「どこかでちょっと休憩させて〜」とお願いしたこともあり)。 アーケード部分からちょっと外れた場所にありましたが、そこだけ長蛇の列なんですけど。
 しばし並び、でもみんな込んでいることがわかっているので回転が速く、思ったよりも早く入店できた。 メニューは短冊状に張り出されたものが壁一面びっしり。
 「種類いっぱいありますよ〜、なにしましょう」と初めての客3人は目を皿のようにして壁を何往復も見つめるが、その下の数字を見てまたびっくり。
 「あの下の数字、値段ですか?」
 「そうだよ」とさらっとYAさんに答えられ、おののく。
 あたしは<氷黒蜜金時ソフト>をオーダーしましたが・・・420円。
 しかもしばらくしておねえさんが運んできたかき氷は、「梅田とか三宮だったら1000円ぐらい取られるよ、これ」というクオリティ。 そりゃ人は並ぶよ!
 黒蜜おいしい、思ったよりずっと粒あん多い。 そしてかき氷ひと山食べたのに、頭も胸も痛くならず。 なに、この素晴らしさ。 身も心もクールダウンしたまま鶏肉屋さんに戻ると、お店の人が麦茶をふるまってくれた。
 やっぱりなんかすごいな、ここ!
 半日ではとても全部見て回れない、けれどその精神(?)は十分伝わる。
 大変有意義なツアーでございました。 ありがとうございました。
 (すみません、なにひとつ写真が撮れませんでした)
 で、ちょっと地元を思い出す感じもあったのよねぇ。 ここまでのレベルじゃないけど、ちょっと懐かしい。
 しかし、帰って来てからぐったりでございました。 大阪はやっぱり、暑い。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする