2016年05月10日

グランドフィナーレ/YOUTH

 パオロ・ソレンティーノ監督といえば、すっかり『グレート・ビューティー/追憶のローマ』の人、と紹介されるようになってしまいましたが(それでアカデミー外国語映画賞を獲っちゃったから)、でもあたしにとっては『イル・ディーヴォ/魔王と呼ばれた男』の人なのです(この映画、すっごく怖い!)。 あ、『きっとここが帰る場所』でもいいけど。

  グランドフィナーレP.jpg バカンスは終わり、人生は始まる。

 世界的にその名を知られるイギリス人作曲家のフレッド(マイケル・ケイン)は、すでに現役を引退し悠々自適の日々。 80歳となった今は、往年の親友である映画監督のミック(ハーヴェイ・カイテル)と共にスイス・アルプスの高級リゾートホテルで休暇を満喫しているところ。 が、ある日、エリザベス女王の使者と名乗る男が訪ねてきて、フレッドの代表作である“シンプル・ソング”を女王陛下のために演奏してほしいという。
 「私はもう引退した」とフレッドは即座に断る(勿論、それ以外に理由はあるとすぐにわかるようなかたくなな断り方で)。
 かつてロボット映画で一気にスターダムに駆け上ったが、それ以外の役のことは誰も触れてくれないことに疲れたハリウッド・スターのジミー(ポール・ダノ)など、他の滞在客とのちょっとした交流、「夫が浮気した、離婚する!」と泣きついてきた娘のレナ(レイチェル・ワイズ)との久し振りの語らい、生涯現役であることに格闘する友の姿を見る・・・そういったことの積み重ねが、フレッドの心に変化を生みだそうとしていた、という話。

  グランドフィナーレ1.jpg おもいおもいのお茶の時間。
 勿論あえて、なんでしょうが、マイケル・ケインの登場したときの老けっぷりに驚愕した(わりとちょくちょく見ているはずなのに!)。 そういう役だからなんだけど、そしてリゾートホテルで過ごしていくうちにいろんなことがあって、若返るわけではないけど普段のイメージにどんどん近づいていくので、映画が終わる頃には驚いたことも忘れているくらいの自然な変わりようだった。
 必要なのはただの“休息”ではなくて、自分と向かい合う時間、家族や過去と過ごす時間、かつて若き日にしていたことをまた(まったく同じではなくとも)してみること、そして今の自分のペースも保ちつつ、ということなのかなぁ、と感じてみたり。

  グランドフィナーレ2.jpg これぞ、リゾート(保養所)。
 とはいえ、ここに滞在している人たちのほとんどは、年齢に関係なく人生の頂点を極めてしまって、そこからどうしたらいいのか戸惑っている人たちばかり。 ある意味、ゴージャス版『人生の夏休み』といった感じでもある。
 だからか、『イル・ディーヴォ』のときのような恐るべきドキュメンタリータッチ(イタリアンマフィア版『仁義なき戦い』を包括)に比べると、映像美は変わらずともぐっと寓話的になった感じ。 ポール・ダノは現れた瞬間、お忍びのジョニー・デップに見えたし!(あれはわざとそう見せたと思う)
 なによりアルプスの景観!
 そして世界基準のリゾート・保養所ってこんな感じなの?、という驚き。
 トレッキングが(季節によってはスキーも)できる大自然に囲まれた、温泉とスパはわかるけど、+病院の要素もあるような・・・利用するのが結構高齢の方が多い、というせいもあるのかもだけど、南国の“リゾート”のイメージとはまた違うもので(とりあえず<休暇>の使い方が日本人とは桁違いだということは実感する)。
 邦題は『グランドフィナーレ』、原題は“YOUTH”(=若さ)。
 どちらもこの映画にぴったりなのだが・・・正反対の意味を持つどの単語を選択するかが文化の違い(東洋的と西洋的な違い)なのかなぁ、という気がした。 人は生きている限り誰でも年老いていくけれど、ほんとに自分が年寄りだと思っている人は少ないのではないだろうか。 肉体も衰え、思考も硬くなる。 けれど心は、いつかのときのまま、のような。
 まったくシンプルではない“シンプル・ソング”のように、人生も人の心も複雑。 けれど、だからこそそこから美しいものが生み出されることもある。
 つまりはそういうことなのかな。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする