2016年05月31日

太陽

 入江悠監督、『ジョーカー・ゲーム』で(映画の出来云々はともかくとして)メジャー入りしたと思ったのに、またインディペンデント系に帰ってきちゃったのか・・・というのがチラシを見たときのあたしの第一印象。
 劇団イキウメの前川知大の舞台劇を共同脚本で映画化!、というのは演劇好きには強いインパクトを与えるんだけど、物語的にはライトノベルにはよくありがちな設定っぽい気がするのに、その読者層に十分アピールできてないような感じがしてもったいないなぁ、と思っていたのだが・・・根本的に違う、ので納得。 未成年の若者たちは突然特殊能力に目覚めるわけでもなく、生まれながらに背負っていた宿命をいきなり知らされるわけもなく、何故か自分だけを愛してくれる超絶美少女が出現するわけでもない(あたし、ラノベに偏見ありですか?)。 未成年者たちは大人たちの知る情報から阻害され、「なんなんだよ!」とわめくことしかできない無力な存在に過ぎなくて、ただ地道に、成長の階段をのぼっていくしかない。

  太陽P.jpg 人は選ぶのか、選ばれるのか

 新型ウィルスの蔓延によってほとんどの人類が死亡、文明が一度途絶えたあとの世界。
 人類はウイルスへの抗体を持った新しい人類ノクスと、たまたま感染せずに生き残った旧人類・キュリオとに分かれ、それぞれが仕切られた社会の中で生きていた。 老化しない肉体と優れた知能を持つノクスは支配階級として世界を牛耳っているが、太陽光に耐えられない彼らの活動時間は夜間のみ。 キュリオにはその心配はないが、貧しい村で文明の退行した生活を送らざるを得なくなっている。
 過去にノクスへの反逆者を出したかどで経済封鎖をされ、ひときわ貧しい村で暮らす19歳の鉄彦(神木隆之介)はノクスに憧れて転向審査を受けようとするが、おさななじみの結(門脇麦)はノクスを憎み、キュリオの復権のために村の外に出ようとしていた。

  太陽1.jpg おさななじみが正反対の考え方を持ち、正反対の生き方を選ぶ、って、すごく王道。 でもそこに不自然さはなく、恋愛感情もからまないあたりがきょうだいっぽくてすごくよかった。

 あ、意外にSFタッチだ、と夜明け前の橋に走る光のラインを見て思う。 もっと低予算かと思ってた・・・すみません(いや、それでもそんなに莫大な予算はかけてないと思うけど)。
 キュリオの村として描かれる風景はまるで終戦直後と311後の日本のオーバーラップ。なんだか胸が痛くなってしまった。 同じ土俵に上がっているといえれば差別で、そうでなければただの区別に過ぎないのか、と思わされる。 区別のほうがむしろ個人差の違いとして受け入れられると思っていたけれど(同じ高さにいる場合なら)、そうではないこともあるのか・・・それってもう絶対的といえる差別じゃん。
 ただ、知能指数が極端に高い者は感情的な起伏に乏しい、という”天才像”はそれこそ眉村卓の『天才はつくられる』『地獄の才能』のような価値観に通じるものがあり、親しみはあるんだけどちょっと類型的かな、という感じがしなくもない。 全方面に理性が働くとやっぱりそうなってしまうものなのかな。
 脇役として存在感を発揮してきた古舘寛治さんが、今作ではほぼ主役とも言うべき立ち位置をしっかりとこなしており、脇役と一括りにされてしまいがちな役者の底力というものを観せていただきました。 だって『南極料理人』のときより明らかにぐっとうまくなっている感じがしたもん! 『ジョーカー・ゲーム』にも出てたから、入江監督も古舘寛治さんが好きなんだろう。 ぐっと耐え、状況を見て、ここぞというときを待つ。 まさに<大人>とはこういうことだ、みたいな人でした。

  太陽3.jpg 結の父で、村を引っ張る存在として期待されているが、実は妻はキュリオの貧しい暮らしに耐えかねて飛び出し、現在はノクスとして生きている、という業も背負っている。
 それに比べて村上淳演じる鉄彦の叔父さんときたら! 短絡的で感情にすぐ流され、悪いことは全部他人のせいと考えるようなろくでもないやつで・・・そのくせ自分はいっぱしのことをやっていると思い込んでいるから性質が悪い。 まさにムラ社会は世の中の縮図。 だからもう少しで成人になる人々の間にも差が。

   太陽4.jpg 基本的に観客がほのぼのできる鉄彦と門番くんの場面はいろんな意味で重要なシークエンスだった。
 なんというか・・・あまりかしこくない役をやっている神木隆之介が新鮮。 自分の気持ちをうまく表現できない分、態度が粗暴になりがちなんだけど(その分、表情が豊かである)、本質的にはよいやつで、人としての聡さは十分持っているので他の人たちから愛される存在、というか。 だから本来は理解し合えないと思われがちのノクスとキュリオの間に友情が育つ、ということの説得力になっている(勿論、門番の彼もいいやつだったからではあるのだが)。

  太陽5.jpg この風景を美しいと見るか貧しいと見るか・・・。
 彼はどんな大人になっていくのだろうなぁ、としみじみ考えさせられるのは、それがラストシーンにつながっていくから。 門脇麦もさすがの実力で、彼女もまたテレビドラマよりは映画の方でより輝くタイプの人だなぁ、と実感(だから結の変化は“現状の変わらなさ”の象徴であることがひしひしと)。 この<社会>を変えていくのは、支配する側・される側という立場を超えた関係性と人としてのつながりだと思えるから。
 あー、そう考えると今日的というか、人間が数多く集まれば結局起こってしまう問題だということなのね・・・つらいわ。
 でも、思った以上に大作だったな、という印象(『追憶の森』が意外に小品だったのでその反動でそう思ったのかもしれない)。 原作が舞台作品であることを意識させられなかったという意味では、映画としてきっちり成立したということでは。
 自分で思っていた以上に、満足度は高かった。

ラベル:映画館 日本映画
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2016年05月30日

しまった、出遅れた!

 しまった、休日出勤やらのいそがしさに取り紛れ、月刊フラワーズ最新号を買いに行くのを忘れていた!、ことに気づく。
 なにしろ前回も忘れているのである。 でも今回は5月28日発売だから、思い出すのが比較的早い。
 ところが・・・それらしき場所を見ても、ない。
 ふと、急遽、的な貼り紙(ワードべた打ちっぽい)がしてあるのに気づいた。
 「月刊flowers7月号は完売いたしました。 再入荷の予定はございません。 ご了承ください」
 ・・・マジか?!
 『ポーの一族』の新作(前編)が載っているということで、ある程度売れるのは出版社側もわかっていたはずである。 だからいつもより増刷しているだろうと思って(期待して)いたのだが・・・まだ3日目ですよ。
 恐るべし、『ポーの一族』
 いまだにこれだけの潜在的購買力があるわけで(まぁ、最近限定復刻版を出されて刺激もされてるけれど)、そりゃ実写ドラマ化すると一報が出れば当然炎上しますな、と納得したのでありました(やっぱり少女マンガの金字塔と呼ばれる作品に迂闊に手を出してはいけないということです)。
 はぁ。 来月号には後編が載るけど、後編だけ読んでもね・・・単行本待ちだなぁ。
 とぼとぼと帰る、月曜日の夜。 あぁ、もう今週、やる気ない。

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2016年05月29日

ディセント 生贄の山/ティム・ジョンストン

 最近、北欧系やイギリスばかり読んでいたような気がして、久し振りのアメリカ小説。
 なんというか・・・アメリカが抱える現在の病巣を全部入れして文学的に仕上げた、という感じであった。
 関係に行き詰まりを感じている夫婦と、今度大学に入る娘と2歳下の息子の4人家族。
 ロッキー山脈のリゾートに休暇に来て家族の絆を取り戻そうとするのだが、ジョギング高地練習(彼女は陸上で奨学金を取り大学に進むことになっている)で山道を走っていた娘がバンに乗った男に突然さらわれる。 自転車をこいで姉を追いかけていた弟はバンに跳ね飛ばされ、脚に後遺症が残るほどの大怪我を負うことに。 そこに至るまでに状況がおかしいと感じた娘からの携帯電話コールに気づけなかったと自分を責める父親、そして勿論自分も責めているんだけれど、一緒にいた弟が何故助けてくれなかったの?という(理不尽な)気持ちを拭いきれない母親。
 保安官その他周囲の人々が大捜索をしてくれたのに一向に見つからない娘の姿と、ただ時間だけが経過していくむなしさ。

  ディセント生贄の山.jpg それも、大自然を庭の延長のように考えてしまったから?

 そして約2年が経ち、娘がいなくなった現場近くに家を借りて今もずっと探し続ける父親と、自責の念と家族や日常が壊れたことに耐えられなくなって家出する弟、娘が生きているという希望を持ち続けることに疲れて娘は死んだものとして自分の人生を封じ込めてしまい、家族から離れることを選んだ母親と、それぞれと関わりを持った人々との人生の交差がタペストリーのように展開する。
 表紙のように内容はスリラーではあるものの、家出中の弟の描写はロードムービー調で、家を提供してくれた老人と父親との交流はただのご近所というレベルを超えた<近い痛みを持つもの同士>の疑似親子的関係に映るようになるし、それ故に老人のダメ息子はもっと自分の居場所をなくしたように感じて更にワルぶることになるんだけれど、かといって最後まで悪いやつでいるわけでもない。
 神はいるのかどうなのか、悪とは・罪とはなんなのかという話も出てくるし、損得を考えない人々のやさしさもまた描かれたりする。 それぞれどれかひとつにでも踏み込みすぎれば、まとまらずにとっちらかりそうなのに(まぁその分長いんだけど)、破綻することなく終幕を迎えているのは素晴らしい。
 著者略歴のところを見たら、この作品の完成に6年半ぐらいかかっているらしいので、それはそれで納得。
 書く側はそれだけの時間をかけているのに、読む側は一週間もかからないというのは・・・大変申し訳ないような、でもそれも賛辞のひとつになるような。 読者として、ちょっと複雑な気持ちになった。

ラベル:海外ミステリ
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2016年05月28日

何故、雨が降る!

 休日出勤、行ってきました。
 なんとか無事に朝は起きれましたが、早く寝る計画はまったく予定通りには行かず。
 とはいえ普段の仕事とはちょっと違うことなんで若干気も張りつつ、途中で眠くなることもなく(まぁ、それは普段からそうなんですが)、一日の役割を無事完了。
 結構立ち仕事だったので、帰る頃には足が痛かったぐらいでしょうか。
 でも、天気予報ではそんなこと言っていなかったのに、昼あたりから雨が降り出したのにはショックを受けた。 傘、持ってこなかったっつーの!(普段の仕事場ではないため荷物を最小限にした)
 ま、帰りの時間が遅かったので、雨は上がっていて助かりました(でもちょっと湿気がつらかった)。
 往復の電車移動がいつもより長かったので、本が余分に読めてラッキー!
 そう思わないと休日出勤なんてやってられないよね・・・。
 帰ってきて速攻シャワーを浴びて、着ていたものを洗濯機へ放り込む。
 そうしてやっと、「終わった」という気持ちになる。

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2016年05月27日

早く寝たいけど・・・

 明日は休日出勤です。
 朝がいつもよりも2時間も早いです(そして帰りも遅い)。
 早く寝たいところなんですが、そううまくいくわけないよなぁ。
 しかも来週は月末月初だから、すぐに代休が取れない・・・日曜日一日の休みだけで次の週、もつかしら。
 とりあえず、がんばります。

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2016年05月26日

追憶の森/THE SEA OF TREES

 渡辺謙がマシュー・マコノヒーと共演! しかも監督はガス・ヴァン・サント!、おまけに舞台は青木ヶ原の樹海!、と109シネマズHATで巨大告知の幕をだいぶ前に見て以来、あたしの気持ちは盛り上がっていた。
 でも公開はまだ先だなぁ、とそのときは思っていたのに! もう始まっていて、そしてもう終わりかけてるなんて! やばい、やばいぞ!、と意味もなく焦る(結局、時間と日付の都合で神戸国際松竹で観てしまいました)。

  追憶の森P.jpg 愛は思わぬところで、あなたを待っている。

 明らかに死に場所を求めている風情のアメリカ人・アーサー(マシュー・マコノヒー)は、飛行機で日本を訪れ、富士山麓の青木ヶ原の樹海に足を踏み入れる。 散策ルートを示すロープをあっさりくぐりぬけ、森の奥深くにどんどん踏み込んでいくアーサーは、早速そこここに転がる遺体や白骨を目にすることになり、動揺を隠しきれないが、その気持ちは変わることなくある場所に腰掛け、睡眠薬(か強い鎮静剤)を呑み始める。 が、そこでなにかの声が聞こえたような気がしてあたりを見渡すと、両手にけがを負って血だらけの男性(渡辺謙)がいた。 とりあえず手当をすると男性はタクミと名乗り、妻と娘の元に帰りたいと言い出す。 よろよろなタクミを支え、アーサーはとりあえずロープを踏み越えて来た散策ルートまで戻ろうとするが、もはや森は道を示してなどくれず、二人はどんどん森の中へと迷い込む。 ともに歩みながら二人はお互いのことを語り合い、いつしか前向きに樹海からの脱出を試みようとするのだが・・・という話。

  追憶の森1.jpg マシュー、いい男度をかなり封印。
    渡辺謙は日本語で独り言をいうところと英語で話すときとは人格ごと変わったかのような佇まいで、それもまた伏線でした。

 実際の主な撮影はボストン郊外の森だったようですが(だから青木ヶ原とは植生がまったく違う)、風景描写は実際に青木ヶ原を撮影していて、なんかちょっと妙な気持ちになる。 ほぼ二人芝居ということもあって、とても演劇的な印象を受けました(青木ヶ原の映像をところどころ背景に使いつつ、実際は劇場の舞台上にセットを組んでいるかのような)。 なんとなく宣伝も早かったし公開規模もそこそこだったので、大作映画的なイメージがありましたが、結局のところガス・ヴァン・サント作品だなぁ、佳品で小品という印象。 『永遠の僕たち』から青春要素を引いたものという感じ方もありで。
 そのかわりミステリー要素が加わりますが、残念ながら日本人(もしくは日本語を解する者)にとってはすぐわかってしまうネタで、おかげでタクミの正体(?)も早々にわかってしまうのですが、二人芝居の醸し出す空気感(それをやっているのがマシュー・マコノヒーと渡辺謙だからね!)への満足度のほうが高く、濃厚なお芝居を見た気持ちに。

  追憶の森3.jpg アーサーの回想シーンで妻役としてナオミ・ワッツが出演。 少人数ながら豪華キャスト。
 不思議だったのは、何故アメリカ人が自殺する場所に青木ヶ原を選んだのかということだったんだけど、本編中に理由らしきものがあったので納得。 世界でも知る人ぞ知る自殺の名所として認識されているらしいです(でも当然知らない人は知らないので、そして映画の中でもはっきり説明されてはいないので、アメリカ本国ではあまりヒットしなかった模様)。
 でも困ってしまうのは、アーサーが飛行機を成田で降りて新幹線に乗っているのに、何故かその間に渋谷のスクランブル交差点を歩いてしまっているところ・・・わざわざ遠回りか? 寄り道か? というか、ガス・ヴァン・サント作品ですらも日本を舞台にしようと思ったら今は渋谷のスクランブル交差点を出さないと日本とわかってもらえないのかな・・・というのが悲しい。 新幹線の車窓から富士山は見えているのにね。

  追憶の森2.jpg 美しくて爽快感すらあるのだが、抜けようと思えば絶望的に広い。 それが樹海というものなのですね。
 他にもツッコミどころは数々あれど(アーサーが乗ったタクシーは日本のテレビドラマでも見たことのあるカラーリングなんだけど自動ドアじゃないとか、アーサーの飲んでいたペットボトル入りの水が、半分くらいしかなかったのにタクミに最初に会って水を分けてあげる場面では8割以上に増えていたりとか)、日本人の死生観が多少なりとも反映されている珍しいアメリカ映画かもしれません。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年05月25日

最高の花婿/QU'EST-CE QU'ON A FAIT AU BON DIEU?

 原題は“QU'EST-CE QU'ON A FAIT AU BON DIEU?”であります。 「神よ、何故こんな目に?」って感じかな?
 重たい映画が続いたので軽いコメディを、という気分で。 しかし相手はフランス映画、一筋縄ではいきそうにない(むしろいってほしくない)。 現実にテロも起こっている移民社会をいかに笑い飛ばすのか、それに興味があって(動機は全然軽くないではないか、と今気づいた)。

  最高の花婿P.jpg “違い”を楽しめば、人生はおいしくなる。

 フランスの郊外・ロワール地方に暮らすヴェルヌイユ夫妻(クリスチャン・クラヴィエ&シャンタル・ロビー)には自慢の美しい娘が4人いて、代々カトリックの一族故町の教会で伝統的な結婚式を挙げることが夢であった。 しかし最初に長女が選んだ結婚相手はアラブ人、一年後の二女の結婚相手はユダヤ人、そのまた一年後の三女の結婚相手は中国人。
 「普通にフランス人でカトリックの相手と結婚してほしい!」という夫妻の希望は末娘に託される。 しかし彼女が結婚相手として連れてきたのは、カトリック教徒ではあるがコートジボワール出身の青年だった・・・という話。

  最高の花婿4.jpg 姉の結婚式ではこんな表情でした。
 夫妻にとっての幸せは、4人の娘がそれぞれに幸せな結婚をして幸せな生涯を送ること(そしてあわよくばかわいい孫たちにちょくちょく会わせてもらいたい)、という慎ましいようでいて現在のフランスの状況を考えたら(映画上の設定は2013年)、意外に図々しい願いかも。 しかも、「普通にフランス人の婿がほしい!」というのも、その言葉の使い方によっては人種差別と取られかねない危険な(!)願望。
 それだけフランスにおいて<移民>とはセンシティブな話題であることがわかるのだが、それをテーマにコメディ映画を作ろうというのだから、それだけ身近な問題でもあるのだろう。
 <移民>という状態がどういうものかの定義がよくわかっていないのだが、たとえルーツがどこであろうとも現在はみな<フランス人>ではないのか?、というのが疑問(国籍のことで言えば)。 単なる国際結婚とは意味合いが違う気がする・・・(はっきりそのへんの区別はされていないが、全員フランス語で喋るし、三女の夫は国籍的には中国系フランス人であるみたいなニュアンスが感じられた)。

  最高の花婿2.jpg 先に結婚した三人の夫たち。
    アラブ系はイスラム教徒なので、ユダヤ系の義弟とちょっとしたことですぐに言い争い→特に殴り合いになる。 間を取り持つ中国系は「いつも笑ってごまかしやがって、本心を見せろ!」ととばっちりを喰らう。 中国人ってはっきりモノを言う印象があるんですけど・・・東アジア系は世界から見たらひっくるめてそういうイメージで見られているの?

 とはいえやはりルーツは誇りでもあるので、譲れないところはそれぞれあれど、夫たちはそれぞれの妻のために義父母に気に入られようと努力している様子は微笑ましく、それがときに上滑りして失敗するというのも「男は3人以上いるとぐだぐだになる」というある種の法則が万国共通だと思えて面白い。
 ただ、おかあさんの娘たちへの(精神的)依存ぶりが大変痛々しく、前半はかなりしんどい(それはあたしが<娘>という立場であるせいかもしれない)。 「そんなこと、勝手に期待されてもね・・・」という気持ちになって、つらいのです。

  最高の花婿3.jpg そんな情緒不安定な母親のために、娘たちとその夫&婚約者は総出でなんとかしようとする。 実は家族礼賛映画でもあったりするのだ!
 でも立ち直ったら回復が早いのも女性の特徴でもあるので、後半はおかあさんの明るさに救われる部分はあるのだが。 夫妻のそもそもの気持ちだって差別意識からくるものというよりは慣れないモノへの不安 ― 家族として同じ時間を過ごす際に様々な宗教儀式から食事のルールまでどこからどこまで違うのかよくわからず、とにかく相手を不快にさせないように気遣わなければ、という疲れから来てしまったもの。 異文化へおののくばかりではなく歩み寄り、出来る範囲で受け入れる。 それが相手に伝われば十分なのでは。
 結局のところ、お互いがお互いを同等と認め合う間柄だからこそ出身国や文化の違いをジョークで笑い飛ばせるのでは(なんだかんだいって三人の夫たちは共同で事業を始めようという話になっているし、コートジボワールの彼も協力しそう)。 「差別だ」とみなされてしまうのは、その間に信頼関係がないから。 ある意味、一部のセクハラ問題に似ているな・・・(同じ事を言っても許される人と許されない人がいる、みたいな)。
 すべての異文化交流が、こんなふうに進めばいいのに。
 しかしこれがコメディというよりも一種のファンタジーと映ってしまうことが、世界にはびこる異文化不寛容の根深さを物語るような気がする。 だからこそ制作陣は性善説ど真ん中ストレートのこの映画をつくったのかも。 問題をリアルに深刻に描いても変わらないなら、いっそのことノー天気に行こう!、みたいな。
 実際、フランスでは国内映画興行収入歴代第6位の記録的大ヒットだったそうで、なんだかんだ言いながら<真の寛容とは>というメッセージが伝わっていたらいいなぁ、と思う。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年05月24日

今日はマンガばかりで

 本日の収穫品は、以下です。

  黒白1.jpg黒白2.jpg 白黒<こくびゃく> 上・中/とりのなん子
 あの『とりぱん』の作者による、初の本格物語!、と帯に。
 確かに絵も全然違う・・・(上巻の表紙のようなテイストはごくまれに『とりぱん』にも数カットぐらい差し込まれてはいたが、下巻の感じは初めてです!)。 しかし内容は雪女伝説の新解釈といった趣。 そのあたりの地域性というか、雪や冬といった素材を愛する気持ちは同じなようです。

  花冠のアンコール2.jpg 花冠の竜の国 encore 2/中山星香
 なんか「終わります」といいつつなかなか終わらない『花冠』、なにしろ小・中学生あたりから読んでいるもので、もはや習慣というか惰性というか・・・。

  数寄です文庫2.jpg 数寄です! 2【文庫版】/山下和美
 確かに文庫版のほうがお手軽ではあるのですが、ワイド判と比べるとマンガとしては読みづらい・・・。 でも蔵田先生のコラムはものすごく読みやすくなってる。
 やはり文庫という形態は縦書き日本語文章を読むのには最適な形なのかも。

  東京タラレバ娘05.jpg 東京タラレバ娘 1〜5/東村アキコ
 新刊で5巻が出ていたので、「あー、買い始めるならこのタイミングかな!」と思って(7・8巻以上まで出られちゃうとまず揃えるのが大変)。
 33歳、ふと気づいて結婚に焦り始める(勿論そんな予定は全然ない)女たちの大変イタくて切実で面白い話、と聞いていたので。
 しかし買ったはいいけど全然読めてないんだけどね!
 マンガすら読めてないとは、どうなってんだ、あたし!

ラベル:新刊 マンガ
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2016年05月23日

レヴェナント:蘇えりし者/THE REVENANT

 予告を何度も見ていて・・・物語的にはあまりあたしの好みではない感じがするのだが、まぁディカプリオ念願のオスカー受賞作ですしね、とご祝儀気分でレイトショー。 しかし、内容はそんなお気楽なものであるはずがなく・・・ずっと息苦しい思いでスクリーンに向かい合う。 何故だろう、復讐モノは好きなのに。
 あぁ、<開拓時代>というものにそんなにロマンを感じないからかもしれない。 すべてにおいて残酷な時代、つらいことだけは、とてもよくわかっているから。

  レヴェナントP2.jpg 復讐の先に、何があるのか。

 アメリカ開拓時代、未開拓の西部の原野にバッファローの毛皮を求める一団にガイドとして雇われたハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は原住民の今は亡き妻の忘れ形見である一人息子を同行させていた。 勿論、原住民のある一族はよそ者に自分たちの土地で好き勝手させるわけもなく、一団は命がけで追われてもいる。 が、グラスは狩りの準備で先をうかがっていた最中に巨大なクマの襲撃を受けて瀕死の重傷を負ってしまう。 一行の一人ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)はグラスを見捨てて早く立ち去ろうと言うが、誰よりもこのあたりの土地をよく知っているグラスの知恵が必要だとリーダーは反対し、彼を連れていくが、状態はどんどん悪化し、フィッツジェラルドの提案により最期を見届けたらきちんと埋葬し、チームのあとを追いかけると話がまとまる。 もともとグラスを快く思っていなかったフィッツジェラルドは、そんな約束など元から守る気はなく、グラスをほぼ生き埋め。 反対した彼の息子も殺して立ち去る。
 その後、何故かギリギリで生還してしまったグラスは、フィッツジェラルドへの復讐を果たすべくボロボロの身体で300キロにもわたる追跡を開始する・・・という話。
 というか、このあらすじがほぼ話のすべてといっても過言ではない。

  レヴェナント1.jpg 死にかけた割に意外と元気(?)なのは、もしかしたら一回死んだのでは?疑惑もよぎった。

 グラスがグリズリーに襲われるシーンははっきり言って「え、それ絶対死ぬって」という描写なのであるが、これが実話だというからすごい(エンドロールで英語の文字は出たけど、日本語のテロップは出なかったなぁ)。 実話だと知らないで見たら、「あんなクマに襲われて生きてるなんてありえない」と引いてしまうのではないか、それくらいの迫力(グラスにしてみたらそれくらいの恐怖だった、ということを映像化したのかもしれないが)。
 実際、グリズリーの襲撃によって喉もつぶされた彼はその後喋ることができない、かすかなうめき声程度しか出せないのだ(だからディカプリオの台詞はほぼ序盤のみ、心の声としてナレーションが入りますが)。
 それで2時間37分!
 それでももつのは、主役が人間ではなく大自然だから。
 とにかく風景というか光というか、人間以外すべてのものが美しく、雄大で、冷たい。
 八百万の神を漠然と信じる日本人にとってそれはとても納得のできるもので、それ故に一神教の登場人物たちとの差異が明確になる(アメリカ原住民って多神教だったっけ・・・彼らの気持ちのほうがわかるような気がしてしまうが、部族によって好戦性が違うので、残酷な方々はなかなかに残酷)。
 森といっても日本のイメージとは違ってそこそこ木がすかすかで、でも遠くまで見渡せるわけでもないから原住民たちの突然の襲撃に気づけなくてガンガン矢でやられるし、まさに血で血を洗う戦いを繰り広げるのだけれど、どちらも自然にはかなわない。 川に阻まれて先に行けないこともあれば、うまいこと船を使って逃げおおすこともできる。 岩山に身を隠すこともできるが、岩山を越えること自体が大きな障害になることもある。 せっかく獲った毛皮を捨てることになったり、そのせいで雇用主(?)のフランス人たちに責められる。
 なにひとついいところなく、一体あなたたちは何をしているのですか?、と問いたくなるほどここで描かれる人間たちはほんとにちっぽけな存在。
 フィッツジェラルドの悪行三昧(というか自分の欲望に忠実なところ)は、そんなちっぽけな存在であることへの抵抗や苛立ちのように見えた。 だから単純な悪役として描かれているわけではないのは非常によかった。 見かけも声も、この役はトム・ハーディだと知っているのに「ほんとに?」と思うぐらい変えてたし(知らなかったらエンディングまで気づかなかったかもしれない)。 そして相手がそんなフィッツジェラルドだからこそ、グラスもあきらめたりくじけたりすることなく(何度も途中でなりかけたが)追いかけられたのだろう。

  レヴェナント2.jpg 喋れないグラスの目ヂカラに対抗できたのは、フィッツジェラルドだけ。

 『レヴェナント』は、あたかも映像と音による純文学。
 起伏のある物語が展開されるわけでもなく、無言で圧倒的な大自然の中、ただひたすらにグラスが追い求める姿のみ。
 それはまるで神話の英雄譚のように。
 なので「物語がない」と言われてしまったらその通りの部分はある。
 けれど、ノンフィクションや小説といった文章では絶対に表現できないものを表現した、という意味ではどの映画よりも“映画”。
 アカデミー作品賞は獲れなくても、監督賞と撮影賞を獲ったのは納得。
 だったらディカプリオとセットでトム・ハーディが助演男優賞でもよかったんじゃないか。
 受賞スピーチでディカプリオがトム・ハーディを「兄のよう」といっていた意味がよくわかった。 それくらいの信頼関係がなければあの芝居はできなかっただろう。
 でも日本人の観客に受ける映画かどうかはちょっと難しいかも・・・。 坂本龍一の音楽は映像によくマッチしていたと思うし、<自然に対する畏怖>という概念は日本人のDNAに刻まれているとは思うんだけど、本能的にわかっていることだからこそあえて見に行くという必然性を感じないかもしれないような・・・(ま、でもそんな宣伝はしてませんでしたね)。
 まぁ、純文学はあまり売れないものだから、そして理解度は人それぞれだから、それでいいのかもしれないけど。 あたしの解釈も、あくまであたしのものですし。
 でも、『スポットライト』とは違う意味で、もう一度観たいとは思わない。
 これはあたしの苦手な緊張感・息苦しさだよ・・・。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年05月22日

古典揃いの3冊。

 今回は何故か、<古典>というくくりで揃ってしまったなぁ、という不思議感が。

  スティーヴンソンポケットマスターピース.jpg ポケットマスターピース:スティーヴンソン
 このシリーズ、最近刊行され始めて結構気になっています。 それこそ古典の王道過ぎて、全集にしか入っていないような作品を著者ごとにセレクト。 結構な分厚さなのですが、それでもページ数の都合で『(抄)』とかになっているのが玉に瑕、ということで揃えてはおりませんが、ロバート・ルイス・スティーヴンソン出されちゃったら素通りはできません。 多分この人は、あたしに「語り」のすごさを教えてくれた人だから。
 以下続巻予定にエドガー・アラン・ポーもあって・・・収録作品によっては考えます。

  20億の針.jpg 20億の針/ハル・クレメント
 寄生ものSF(たとえば『ヒドゥン』『寄生獣』など)の原点、ということで噂だけは聞いたことのある作品、復刻!
 しかしこの表紙、ほんとに針のようなものを描くなんて・・・昔のジュブナイルテイストの挿画を狙っているのかな?、と思ったらイラストは加藤直之さんでした・・・なんかびっくり。

  現代思想の漂流者たち文庫版.jpg 現代思想の遭難者たち【文庫完全版】/いしいひさいち
 これは正確には古典ではないですが、内容がもう古典といって差し支えないかと。
 あたしはこれの最初の単行本を持っているのですが(そのときは『現代思想の漂流者たち』というタイトルだったような気がするのだが・・・表紙絵からの印象だろうか)、いつの間にか増補版が出ており、今回、その増補版の文庫化、ということで・・・確かに読んだことない章がある!
 もともとは<現代思想の冒険者たち>というシリーズ全集の月報に載っていた4コママンガ。 20代のあたしは図書館から一冊ずつ借り出してちびちび読んでいましたが、いつしか月報の4コママンガがいちばんの楽しみになり、そのギャグを理解したいがために本文を読んでいた、ような気がする(ギリシア〜近代ぐらいまでなら結構親しみもあるのですが、現代哲学はユング以降さっぱりだったもんで)。
 で、これだけ一冊にしてくれればいいのに、と思っていたので・・・遅ればせながら完全版を手に入れて、満足。 思想家のことは結構頭の中でごっちゃになっているので、これで復習できそうです。

 で、今更なのですが・・・今回の三島由紀夫賞の受賞会見が妙な形で話題になってしまっていますが・・・あたしも全部のニュース記事に目を通したわけではないのであれですが、「蓮實重彦とはそういう人」という言及はあっても、日本文学界における三島由紀夫賞の位置づけについてコメントしている記事がなかったので、ちょっと一言。
 一応、多少の変則はあれど芥川賞は純文学ジャンルの新人賞ということになっています。 けれどかなりメジャー寄りというか、話題性もついてくる。
 三島賞はその一歩手前というか、純文学の世界に出てきた今後も描けそうな力のある新人に贈られる賞で、三島賞をとってから芥川賞ノミネート、みたいななんとなくのルートになっている感じ(エンタメ界の吉川英治文学新人賞とってから直木賞、みたいな)。 だから、人によっては芥川賞よりも三島賞のほうがうれしい、なんて場合も。
 だから本来三島賞はニッチな純文学の世界でがんばる新人に与えられる賞。
 それを、学者としてのキャリアは十分・どうしても書きたいという衝動にかられて書いてしまう、という作家の業を背負っているわけではない自分がもらってしまうなんておかしい!、と言いたかったのではないかと思う。 辞退しなかったのは、辞退してしまったらそれを言う機会がなくなるから。 蓮實重彦氏がそれだけ日本文学界を憂いているということだとあたしは受け取ったのですが、世間はそうでもないようで・・・ガンコジジイの言葉をすんなり受け入れられない世の中ってつまんないな、と思った次第。
 すみません、ガンコジジイ好きなもんで。

ラベル:新刊
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2016年05月21日

報復/ドン・ウィンズロウ

 『ザ・カルテル』も手に入ったことだし、と先にこっちを読んでしまおう!
 いろいろ手をつけて読み散らかしておきながら途中で置いてしまうのはあたしの悪い癖なのですが、ここ7・8年くらいでどんどんひどくなっている気が・・・。
 で、ドン・ウィンズロウはときどき<怒り>をストレートに出した作品を出してくる。
 もともと創作の原動力が怒りなのかもしれないのだけれど、それを覆い隠すテクニックのある人だからあまり気づいてなくて、ずっと前『カリフォルニアの炎』を読んだときに「おや?」と感じて、それ以来「もしかしたら・・・」と考えるようになった。
 そして今回の『報復』もまた、ストレートな怒りの物語。
 とはいえ、純粋な怒りをぶつけるだけの作品を描くほどウィンズロウは単純なはずもなく、そこはしっかり「テーマとしての<怒り>は伝えるけど、一方向の正義だけを押し付けるものではない」というバランス感覚は健在。

  ドンウィンズロウ報復.jpg ミリタリー小説として読むこともできますが。

 妻子を飛行機事故で失った元デルタフォース隊員のデイヴ・コリンズは、これはただの事故ではなくテロではないかと疑いを持つが、アメリカ政府は911以降再び国内で大規模テロを起こされたとあっては国の面目丸潰れということで黙殺。 飛行機事故の遺族たちに、航空会社から受け取った保険金を元手に傭兵を雇い、仇をとると呼びかける。 賛同してくれる人がいるなら保険金の一部でいいから出資してほしい旨を伝えると、デイヴの予想以上に資金が集まる。 かつてともにデルタフォースにいた仲で、今は傭兵稼業に身を投じているマイク・ドノヴァンのチームに報復を依頼、デイヴも参加する。 その傭兵部隊もそれぞれ実力者揃いではあるが各国の元軍人・諜報員の寄せ集めで、イスラエル人もいればパレスチナ人もいるという一触即発の危機を抱えている。
 しかしそこはプロ、わずかな手掛かりを頼りに実行犯から首謀者へとじわじわと近付いていく。 短めのセンテンスでたたみかけるような流れと大胆な省略で過度の感情移入を阻み、結構な内容なのに600ページそこそこに抑え、読み始めたら止まらないスピード感。
 イスラエル人とパレスチナ人の主張をそれぞれに描き断罪することはせず、ある一部のアメリカ人は愚か者として描かれ、テロリストは“聖戦”を口実に利用している卑怯者だと断定され、それを信じて死んでいくムジャヒディンがかわいそうにも思えてくるし、そうなると信じられるのはデイヴの妻子への想いだけ、ということになってくる(デイヴはアメリカ人なので当然のようにクリスチャンではあるものの、事故後に信仰を捨てている。 とはいえ長年培った習慣は抜けない。 それはどこの人間でも同じことだが)。
 物語の大枠としては大変アメリカ的なのだが、実は細部に目を配ればそんなアメリカ的なことをしていても何の解決にもならないことを示唆しているし、報復には正義の要素があるといいつつ報復はまた報復を生むという負の連鎖もきっちり描き、実はしっかり解決案も示しているのだが、それを実行に移せるほど人間は高尚な生き物ではないというどうしようもない皮肉。 仲間のために、愛する者のために自分の命を投げ出せる高潔な人物は個人単位ではいても、集団にはその論理はまったく通用しないというむなしさ。
 そう、結局戦いはむなしいだけなのだ。
 復讐をしたとしても気が休まることはないとわかっているのに、どうして感情を抑えることはできないのか(でも多分自分がその立場になったとしたら、あっさり復讐の道を選ぶこともまた容易に想像できてしまうわけですが)。
 ハードボイルド系ミリタリーアクションとして読み捨てるのも可能になっておりますが、考えようと思ったらいくらでも考えられる材料がいっぱい・・・。
 あぁ、つらいわ。 ラストシーンは美しいのに、読後感が重い。

ラベル:海外ミステリ
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2016年05月20日

無事、ふた山越える! しかし来週も危険。

 どうにか、木曜が山だった仕事が(一応)片付きました。
 ばんざーい。 というわけで今日は普通に帰れましたので、シネ・リーブル神戸で個人的に映画二本立てをする。 あー、うれしい。 たとえ帰宅時間が午後11時半を余裕で過ぎようとも、あたしは満足である。
 が、最近毎日のように仕事場のあるおっちゃんが「それでかしこんちゃん、どうするか決めたんか〜?」と聞いてくるのがほんとに鬱陶しい。
 以前からちらちらと転勤話があってみたいなことをグチっておりましたが、実は今働いている神戸の事務所が移転・大阪の本部に併合することが正式に決まりまして。 で、転勤話というのは「どうせ大阪に移るんだから少し早く来て別の部署で働かない?」という職場内スカウトだったのでした。 しかし、今あたしが神戸でやっている仕事はどうなるのかといえばまったくのノープランで、「引き継ぐ相手もいないのに今の仕事を放り出せません! それにまだ正式に移転の話が決まったわけじゃないですよね!」と責任感あふれるような雰囲気を醸しつつ逃げを打っていたのですが、それはただ今より片道一時間以上増える通勤時間に自分が耐えられないだろうから行きたくない、という気持ちの表れでした。
 しかし移転が正式に決まってしまった。
 今の仕事場で「このまま大阪行きます!」と宣言していないのはあたし一人だけ(だって上司に聞かれてないのに自分から答えるのっておかしくない?)。
 というわけで、あたしに急な仕事や細かな仕事をわらわらと振ってくるある人が、あたしの動向を気にしているのです。 「だっておらんかったら不便やないかい。 わしの苦手なこと全部かしこんさんにやってもらってるのに」
 ・・・不便って。 もうちょっといい表現はないのか。
 「他にやってくれる人、探せばいいじゃないですか」
 「だって頼みやすいねん。 ちょっと言ったらさっとやってくれるやろ。 慣れてない人にいちいち説明すんの、もう面倒やねん」
 気持ちはわかるが、それも含めてあなたの仕事です。
 多分褒めてもらっているんだろうけど、褒められている気が全然しないのは何故なのか。
 「とりあえず今月いっぱいいそがしいんで、決断する余裕がありません!」、とこれまた逃げを打ってしまいました。
 ここ(ブログ)の引っ越し先も決まっていない(探せてもいない)状態なのに・・・。
 あぁ、あたしもしばらく無職になろうかな!
 ・・・すっかり、気持ちが決断から逃げています。

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2016年05月19日

僕だけがいない街(1〜8:完結)/三部けい

 なんとか映画も観終わったし、最終巻も追加で貸していただいたことだし、読み始める。
 以前はそれほどでもなかったような気がするのだが、年々「初めて読む作家・マンガ家」に対する抵抗感が強くなっているのを感じる。 でも翻訳ものにはそういうものはあまりない(でも初めての訳者の人の場合はちょっと躊躇するかも)。
 読んでいてストーリーでつまずきたくない以上に、まず日本語でつまずきたくない、という気持ちが働いているようです。 そしてマンガ家さんの場合はコマ割りや絵も重要。 この作品の場合、いくら売れてて評判がいいと聞いていても、「絵があまりうまくないな・・・」と思ってしまっていたので自分では手を出す気が起きていませんでした。 これも、仕事場にマンガ部(?)をつくって活動していたおかげ!

   僕だけがいない街8本.jpg 人物がいないと、そうでもないのですが。

 読んでみて、「なるほど・・・」と映画を酷評した人の気持ちに納得(まぁ、あたしも決して褒めていたわけではないが)。 『僕だけがいない街』というタイトル(つまりはテーマそのもの)の解釈がまったく違うことになっている。 アニメは未見なので何も言えませんが、映画製作時には最終回までまだ行っていなかったはず。 どこに着地点を見い出すか、というのは映画の自由裁量だったわけで、そこは仕方がなかったのかなぁ、と(そのかわり、映画の前半は結構原作に忠実でしたよ)。 だったらなんで完結していない作品を原作に映画をつくるのか、という疑問が浮かんでしまうけど、その答えは日本映画の企画の根幹にかかわる問題に踏み込んでしまうので、そこはスルーするしかないですが。
 マンガを読んで、「あぁ、やはり子供時代が重要、という感覚は間違いじゃなかったな!」と実感。 映画ではチョイ役でしかなかった同級生たちが出番も多く重要な役割を果たしていて、そこはうれしかったです(リバイバル現象の謎も解明されないままだけど・・・)。
 同じ時代を二度生きた代償に、ある時期を失った青年の物語として読めないこともないけれど、それが他の誰かを救う結果なのだとしたら、そこは<宿命>として引き受けるべきなのだろうか。 「選ばれし者の恍惚と不安」か。
 そして「深淵を覗く者は、深淵にもまた覗かれている」という話でもある。
 逆方向から同じものを見た者同士、よくいえばホームズとモリアーティ、明智小五郎と黒蜥蜴のような関係性。 これもまた宿命でしょうか。
 タイムリープ(ループ?)はあくまでその主題を引き立たせるための小道具だった、という気がしています。 ジャンルはSFでもミステリでもなく、実は青春モノだった!

ラベル:マンガ
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2016年05月18日

スポットライト 世紀のスクープ/SPOTLIGHT

 これは題材が題材だけに、よろこび勇んで「観たい!」と大声では叫べないんだけど、ほんとにキャスティングがあたしのツボばかりなので、すごく観たかったのです。 トム・マッカーシー監督も『扉をたたく人』、すごくよかったし。 たとえ今年のアカデミー賞作品賞じゃなくっても、観逃してはいけない映画!
 そんなわけで結構前に観たのですが、まとめるのが遅くなってしまいました。

  スポットライトP2.jpg 暗闇にひときわ輝く、希望の光――

 ボストンの地方紙<The Boston Globe>にはひとつのテーマを追いかけて連載するコラム“スポットライト”というコーナーがあり、2001年当時、そのチームには4人の記者、チームリーダーのウォルター(マイケル・キートン)、マイク(マーク・ラファロ)、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)、マット(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)が専属で在籍していた。 新聞社には新たな編集局長マーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)がやってきて、「このままでは新聞は今にもインターネットにやられてしまう。 もっと新聞ならではの読みごたえのある記事を載せなければ」と、“スポットライト”コーナー強化の指示が。 たとえば『ゲーガン事件』を掘り下げろ、と。 ゲーガン事件とは地元ボストンのカトリック教会のゲーガン神父が児童らに性的虐待をした罪で逮捕されたが、起訴されていない件。 その背景には何があるのかを明らかにすることがチームに課されたテーマだった。
 だがボストン市民の多くはカトリック、ボストングローブ紙の読者の53%もまたカトリックの信者である以上リスクの高い取材であり、事件のもみ消しにかかわった人物たちは地域の重要人物たちと推測される。 だが被害者の声を聞き、記者魂に火がついたマイクらはタブーに果敢に挑んでいく・・・という話。

  スポットライト4.jpg 「あのとき、ぼくは11歳」 元少年の被害者の訴えが痛い。
 <事実をもとにした映画>なので結果はわかっているし、むしろその後の反響の大きさから事実を知った身としては(前ローマ教皇が生前退位したのはその責任をとったためだったとか)、「あー、これがそのきっかけか」という後追い感でいっぱいですが、映画はスキャンダリズムに走らず、被害者側の痛みを描きつつ感情に流されすぎず、加害者側も描くけど掘り下げすぎず、あくまでスクープを追いかける新聞記者の人間性を中心に、社会派だけど人間ドラマにしてくれてました。 だから大変地味な映画ではございますが、うまい役者が揃っているのであたしは地味さを感じません。 というか、むしろ彼らの姿をじっくり見られてうっとり♪、みたいな。
 特にマイク役のマーク・ラファロのかっこよさときたら!

   スポットライト1.jpg 『はじまりのうた』のときとまた全然違うし。
 仕事に向かって猪突猛進、被害者の弁護を担当しているというガラベディアン(スタンリー・トゥッチ)が相当な変わり者だと聞かされても「話を聞いてきます」と先入観なく飛び込むし、被害者の痛みを知ってからはどんどんのめり込み「いつ記事を出すのか!」とチーフと大喧嘩もするし、必要な書類を申請するために時間がないとわかるととにかく走る!
 使命感とかを自覚していないけど持っている、そんな感じがすごくかっこよくて、その姿に惚れちゃいました・・・(しかしそんな仕事命の彼は奥さんと別居中であり、「ええっ!、こんなかっこいいダンナを何故捨てる!」と個人的に驚愕。 まぁ、仕事をしている姿を奥さんは見ていないのかもしれないけれど、そういう仕事をしていることはわかっているはずで・・・アメリカと日本の文化の違いですかねぇ)。

  スポットライト5.jpg リーヴ・シュレイバー、いろいろ葛藤はあれど表面には決して出さないバロンの姿は、『完全なるチェックメイト』での役柄にも通じるけど、またちょっと違うんだよなぁ。

 編集局長バロンの「『ゲーガン事件』だけで終わったらダメだ。 問題は数多くいる加害者の神父たちを転属させ、ことをうやむやにするカトリック教会側の責任を追及するまでいかないと」という方針により取材は一年以上の長きに渡るが、逆に権力者側から「バロンはユダヤ人だから(カトリックの我々とは違う)」とあてこすられたウォルターのとった態度は一時的にせよ痛快だし、それだけ題材に集中して取り組める環境を与えられるというのは、新聞記者冥利に尽きるのではないか。

   スポットライト2.jpg サーシャは敬虔なカトリックである祖母とともに教会に行くのが習慣だったが、調査が進むにつれそれが苦痛に・・・被害者に寄り添い、証言を引き出していく穏やかさと何を聞いても動じない強さが信頼を勝ち得ていく彼女の武器だが、祖母に事実を話すことにはためらいが。 そんなレイチェル・マクアダムス素敵!

 とはいえ、ボストングローブは所詮地方紙。 大手新聞やテレビの三大ネットワークほどの影響力はないし、しかし関係者は身近な人だったりする分、記者たち自身に負担や影響が・・・、真実に斬り込んだ分、自分たちも結果的に傷を負う、というあたりが見どころのような気がします。 ジャーナリストといっても人間、すべての記者が正義漢じゃないし、日々の雑事にまぎれて重大な告発を見逃してしまうこともある。 けれど気づいた以上はあきらめることなく最後まで追いかけて、背後に隠れた真実を明らかにして読者に、社会に届ける。
 自分たちの独断や偏見を交えず、ただ詳細な事実だけを。

   スポットライト7.jpg それをより体現するのがマイケル・キートン。
    記者として生きてきた自分の人生そのものも賭けるぐらいの覚悟が渋い。
 「ペンは剣よりも強し」だけれど、強すぎてマスメディア自体が巨大な権力になってしまっている現在において、“スポットライト”チームとそれを補佐した編集局長とブラッドリー部長(ジョン・スラッテリー)の存在はまさにジャーナリズムの原点そのもの。 ジャーナリズムに身を置いている人たちは、これを観て襟を正してほしい、と切に思ってしまう内容です(特に日本のジャーナリズムのダメさ加減を見るにつけて、ね)。
 もう一回観たいぐらいだけど、結構細かいところまで記憶に入ってしまったので(最近のあたしにしては珍しい)。 だから何年か経ってから、ぜひまた観たい。 なのでWOWOW待ちということで。 そのときにはこの実力派俳優陣たちを誰が日本語に吹き替えるのか、吹替版の出来も期待したい。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年05月17日

ちまちまとした仕事はキライではない、が。

 前日に引き続き、本日も残業。
 某事業へのプレゼンに必要な書類やらなんやらの準備。
 プレゼンする人は仕様書をちゃんと読んでいないので、「この書類はいらないと思います、というかいらないです!」というあたしの主張が受け入れられるまでしばし押し問答。
 実務担当者のフォロー、というのが事務屋の宿命だし、あたし自身そういうポジションのほうが性格的にも合っているとは思うのだが、せめて多少余裕のあるスケジューリングで声をかけてください、と考えるのは間違いなのでしょうか。
 夕方すぎ、出先の上司からの電話に出ると、「え、かしこんさんまだいるんですか?」と驚かれたことにこっちが驚く(まぁ確かに、本来ならば帰っていい時間ではありましたが)。
 まだいますとも! 仕事終わらないんでね!
 担当者からの資料が出来上がって、必要なところにえらい人の印を押してもらって・・・木曜日が、この件の山であります。 しかし木曜日は別件の山でもある・・・何時に帰ってこれるのだろう、あたし。 また給与明細に深夜手当がついてしまうのか!

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