2016年04月30日

うーん、今日は何冊なのだろう・・・(その1)

 4月後半発売の本が結構たまってきてしまいました。
 大荷物になるなぁ、と思うとつい敬遠・・・帰宅時間の兼ね合いもあり、なかなかタイミングが。 その結果、結構な量に。

  パタリロ96.jpg パタリロ! 96/魔夜峰央
 おぉ、なんか今までとまったく傾向が違う表紙! これも100巻へのカウントダウン態勢なのか!!

  いもうとは秋田犬.jpeg いもうとは秋田犬〜運命の出会い編/小池田マヤ
 えっ、小池田マヤ、犬飼ってるの?!、と衝撃を受ける(基本マンガ家はネコ飼いが多く、しかも一人暮らしの女性マンガ家で犬を飼っているのは遠藤淑子しかいないと思っていた)。 ご本人はよく存じあげないのですが、コミックスのあとがきに描かれてあることがほぼ本当ならば、「生活ガラッと変えないと犬飼うの無理そう」という印象だったので・・・(実際、ほぼその通りだったらしく、犬を飼うと決意して実行に移すまでの振り返りでこの巻は終わってしまう)。
 でも続きを描く気は満々みたいなので、次巻をお待ちしています。 でもだったら何故タイトルを『いもうとは秋田犬 1』とかにしてくれないのだろう。 これが大人の事情ってやつ?

  宇宙兄弟28.jpg 宇宙兄弟 28/小山宙哉
 結構間が開いたんだっけ? それとも単なる自分の記憶ミス?
 読み始めるまで27巻で何が起こっていたのかすっかり忘れていた自分がいた・・・冒頭で思い出させてくれるエピソードがあってよかったです。
 28巻まで来てるのに、ますますスケールアップ展開の予感なんですが・・・もう、どこまで続くのかむしろ楽しみ!、でございます。

  パパトールドミーココハナ4.jpg Papa told me cocohana ver.〜小さな愛の歌/榛野なな恵
 この連載もとても長いのですが、cocohana ver.になってからは一つ一つのエピソードが短めに、サクッと完結するように変化してきている気が。 ページ数の都合なのか、作者のまとめ方が変わってきたのか・・・もともと箱庭感のある世界だったものが、より強調される結果になっているような。
 理想的な(現実には絶対ないだろうなぁという)父と娘の関係。 それも知世ちゃんがこの年齢だから成り立つという一瞬の永遠感。 それでも父親のいないあたしには、この世界はずっとあこがれです。
 以上、マンガは4冊、引き続き文庫編です。

ラベル:新刊 マンガ
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2016年04月29日

本日、連休初日にして唯一の予定

 今日は久し振りに友人と合計3人で会って、昼から夜までお喋り(美味しいもの付き)。
 もともとはあたしがこっちに来て初めて働いた会社で知り合った仲間で、年もわりと近くて似たような仕事をしていたということもあって、勤務地は違っていたのでそう頻繁には会っていないんだけど、メールや電話で仕事のやりとりとかはしてたから。
 今はそれぞれ全然違う職場で働いていたり、結婚して子供生まれて家庭に入ったりと個人をめぐる状況は変わっていますが、同志愛というか友情は健在なわけで、ありがたい。
 「このままでは朝まで話しても終わらないよ〜」ということでお開きにはなりましたが、半分本気で「じゃあ24時間営業のお店に行って始発で帰るか〜」な提案も出てしまうところがすごい(そして多分、やろうと思えばできちゃうんだろうな)。
 ま、それは次回、それを準備の上で集まりましょうということで。

  <昼食> おすしのランチセット @宝田水産
  <お茶> ケーキセット @ミオール神戸
  <夕食> 鶏肉と野菜三昧 @塚田農場

 夕食前にはアタオとイアンヌをうろうろ・・・「新作どうでしょう。 どれがいいでしょう」と結構ぐるぐる(あたしの影響なのか、3人ともお財布は種類は違えどLimoなのである・・・カバンもそれぞれいろいろ持ってます)。 カバンに求める要素がそれぞれ違うので、あたしの守備範囲外だと思っていたカバンもじっくり見ることができ、「あ、思っていたより結構中身入るんだ!」とわかったりしたのは収穫でした。 ついつい、あたしは大きめのカバンを選んでしまう傾向にあるので・・・。
 一人も楽ですが、違う視点が入ってくるって新鮮で楽しい。
 友情のポイントはそこもあるのかな。

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2016年04月28日

僕だけがいない街

 仕事場の方に「『僕街』、よかったよ!」と教えてもらった。
 「あぁ、予告を(何回も)見てミッチーが気になってたんですよ〜」と答えたら「ミッチー、いい味出してたで!」ということなので・・・原作本1〜7も借りてしまい(最終巻はそのときまだ出ていなかった)、これはマンガを読むのが先か映画を観るのが先か?、と昔の角川映画のコピーのように悩んでしまい、でも原作を先に読んじゃうと絶対映画のほうが語り足りてないと思うに違いない!、と例のごとく思い、先に映画に行くことにした。
 やっぱりミッチー、気になるし。 そして主演はマンガ原作作品のレジェンド役者・藤原竜也だし(どういう安心感?)。
 タイムリープものはSFでも傑作が多い。 それにミステリが絡むとなると、あたしのような「どっちも好きです!」、なタイプにとっては大変こたえられない物語か、「なんじゃこりゃ」なレベルかどっちかになる可能性が高い。 原作マンガの評判は高いことは知っていたけど、手を出さなかったのはそれが怖かったから(そしてこれまで読んだことのないマンガ家さんだったから、絵やコマ割りに不安があった)。 でも貸していただけるならありがたいですし、映画は映画で別物ですから。

  僕だけがいない街p.jpg あの日をもう一度生きることができたなら、今度は手を離さない。

 売れない漫画家の藤沼悟(藤原竜也)は、売れないが故に宅配ピザ屋でバイトをしている。 ある日、配達中に何度も時間が巻き戻る、彼が命名するところの<リバイバル現象>に巻き込まれる。 何かが起きるその原因を突き詰めて回避するまで<リバイバル>は繰り返され、そしてそれは彼にしかわからない。 何度かの繰り返しのあと、暴走するトラックが信号待ちの小学生につっこむことを確信した彼は小学生を移動させ、ギリギリまでトラックの運転手の運転席側のドアを叩き続けるが、対向車と接触してバイクごと吹っ飛び、入院。
 事故を目撃していたバイト仲間の片桐愛梨(有村架純)によれば、悟の母親・佐知子(石田ゆり子)が田舎から出てきているらしい。 悟にとっては久々の、若干決まりが悪い母との再会だったが、それが過去の事件を掘り起こすきっかけになってしまい、また事件が起こる・・・という話。
 いろいろと・・・「え、ちょっとその展開、無茶(無謀)過ぎない?」と言いたくなるところが何ヶ所か・・・。 たとえば「そこで逃げる必要ないですよね、目撃者として証言すれば」とか(なのに自分が疑われると先走って逃走)。 それだと日本の警察が無茶苦茶無能ということになるんですが。 それでも藤原竜也の勢いで、“些細な違和感”におしこめておけちゃうのがすごいけど。

  僕だけが1.jpg まぁ、おしこめ切れてない部分もあるんですけどね・・・それでも年下バイト仲間女子に「悟さんを信じます!」と普通に言わせる存在感はすごい(一歩間違ったら自意識過剰のちょっとおかしい人だよ)。

 しかしこの映画のいちばんの見所は、リバイバルされた子供時代(18年前)である!
 そもそも、“現在の自分”のまま小学生に戻ったサトルはまさに<リアル名探偵コナン:見た目は子供・頭脳は大人>。 もっといろいろ考えるだけじゃなくてできるんじゃないのか!、と思ってしまうのはいけないことでしょうか(特にありえない大失態を平然とやってしまうのに至っては開いた口がふさがらない。 リバイバル中に自分に何も起こらないわけないことはバイト中の事故で体験済みのはず!)。
 そんなご都合展開はあれど、親に虐待されている少女・雛月加代役の鈴木梨央ちゃんの名演技、かたくなで希望を見失いつつ、それでもつい探してしまってそんな自分に失望する、というような痛々しいけれども違う意味で強い少女の姿に「うっ!」っとなりました。

  僕だけが2.jpg ほんと、子供時代パートというか、子供たちの演技にものすごく助けられました。

 サトル君(中川翼)も、回想シーンでの彼と大人の自分が入ってからの彼は顔つきが違う。 それは才能なのか、厳しい演技指導の賜物なのかはわからないけれど、子供たちの存在でこの映画は見所ができましたよ!(その分、大人の俳優たちの演出に手が回り切れてないような感じがしないでもないけどね)。
 ミッチーは予告で感じた通りの役だった・・・そこはもっと意外性を!(いや、あれが意外性だったのか?)

  僕だけが3.jpg うーむ、あんまり新境地って感じではなかったのが個人的には残念でした。 母親が石田ゆり子は若すぎだろ!、と思ったけど回想シーンのためだったのですね。 彼女は意外とよかったです。

 そもそも<リバイバル>とはなんなのか、何故悟にだけその現象が起こるのかの説明は一切ないんだけれど・・・多分、当時の大人たちによって記憶が封印された同年代の少年少女連続殺人事件をくいとめられなかった後悔が、無意識下でなんらかの力を発揮してしまったのかもしれない(他の同級生たちに起こらず、彼にだけ発生するのはマンガ家をやるだけあって悟の想像力や妄想力は人より強いから?)。 でも結局、過去の自分と向き合えていないから心に響く作品が描けない・売れないってことなんですよね。
 まぁ、それを言っては野暮なのかもしれないですが・・・。
 誰しもが大人になると忘れかける・記憶の奥にしまい込む子供時代の出来事を追体験、という発想は悪くない。 でもあたしは細かいことを結構覚えてるんで、たとえ中身が今の自分のままでも子供時代をもう一度やり直すのはご免蒙りたい。
 でも、もしあたしが大人の対応をしたら何かが変わっただろうか。
 いや、そもそもあの人たちとまた会ったり会話するなんてやっぱりごめんだ。
 自分の子供時代のイヤなことが蘇ってきてしまいましたよ・・・。

ラベル:映画館 日本映画
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どうにかこうにか

 やっと、というか、なんとか、というか、無事GWを迎えられそうです。
 とはいえ、カレンダー通りなので大型連休は夢のまた夢。 細切れ3連休2回です。
 映画や本の感想がたまっておりますので、合間を見て穴埋めしていくつもりです。
 やっぱりさぼりはじめるとダメになってしまうタイプの人間だ、あたしは。

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2016年04月27日

獣は月夜に夢を見る/NAR DYRENE DROMMER

 「『ぼくのエリ』を彷彿とさせるノルディック・ノワール」という宣伝文句にいたく刺激され、公開を待っておりました(『ぼくのエリ』、大好きなんで)。
 しかし期待しすぎた、かな。 そのコピー以上でも、以下でもなかったような・・・。

  獣は月夜にP.jpg 僕は君のそばにいる。 たとえ君が“何者”でも――

 漁業や魚加工が中心の海岸沿いの小さな村で。
 父(ラース・ミケルセン)と病気のためにほぼ何もできない母と共に暮らしている19歳のマリー(ソニア・ズー)は、母の病気が遺伝するかもしれないと定期的に村の医師の診察を受けているが、母の病気が一体何なのか誰も教えてはくれない。 そして魚の加工工場で働き始めたマリーだが、周囲の人々はどこかマリーを警戒しているようで落ち着かない。
 そんな中、距離を感じさせない親しい態度をとってくれる同僚のダニエル(ヤーコブ・オフテブロ)がマリーの唯一の安らぎになっていくのだが、マリーは自分の身体に変化が起きていることに気づいてしまい・・・という話。
 ミステリーというよりは、ダークファンタジーといった感じか(過去の殺人事件とか設定はありますが)。 『ぼくのエリ』と違うのは主人公の孤独の度合いと絶望の深さですかね(だからってマリーのほうが恵まれているとか、そういうことじゃないですけども)。
 とりあえず家族はいる、でも秘密がある。 まったく家族がいないのと、いるんだけれども家族が自分にだけ何かを隠している、と感じ続けるのは種類の違うつらさだろう。

  獣は月夜に4.jpg 父としても「言いたくても言えない」という葛藤が。
   ちなみにミケルセンって北欧にはよくある名字だし、と思ってまったく気にしていなかったのですが、ラース・ミケルセンはマッツ・ミケルセンの兄だと今回知りました! 似てるのか似てないのかわからない!

 で、もっとつらいのは村の人々の「なにか云いたそうだけど黙って見つめているだけ」の目。
 好奇ではなくどこか警戒している感じの。 そりゃ、マリー、つらい。 いくら父親が精一杯愛してくれていたって、ダニエルに傾倒してしまうのも仕方ないですよ、若いし。 問題はダニエルにマリーを受け止めるだけの度量があるかにかかっている! そういう意味では『ロミオとジュリエット』的ラヴストーリーでもあるのですが、受け入れている振りをしていても実は排他的な村の人々の“偏見”というか“固定概念”というか、そういうものがマリーを追い詰める本質。 北欧の冷たく暗い空気と相まって、人間のダークサイドを否応なしに強調するのであります。

  獣は月夜に3.jpg この風景はマリーの感じる閉塞感でもあり、村人たちの差別意識の共有のあらわれでもある。

 でも北欧の空気感、やっぱりいいなぁ。
 なのであのラストは必然。 R+15の本領発揮でした。
 でもホラーというわけではなく、全体的に「悲しい運命に翻弄されるヒロイン」という切ない哀しみに満ちている、という感じ。
 「うわぁ、そこで切るかぁ!」なバッサリのラストシーンの潔さもまた北欧的。 それでいてエンドロール途中でかかる曲は全盛期のマドンナのようなポップミュージック・・・この落差にひじが落ちそうになったのはあたしだけだろうか(実はアイドル映画だったのか?疑惑がつい生まれたよ)。
 ただ、邦題は雰囲気あるけどほぼネタバレですよね・・・。
 そして余談ですが、あたしはカラスガレイが好きでよく切り身を買ってきて煮物にしますが、本体ってこんなにでっかいの! そしてもしかして、普段食べてるやつもこんなところからの輸入品なの?!、と、水産物のグローバル化についても想いを馳せることになりました。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月26日

マジカルガール/MAGICAL GIRL

 最初のアニメ風ポスターを見たときは、「これはキワモノか傑作かどっちかだな!」という印象を持ち、その後、写真ポスターを見て「うわっ、結構本気!」と感じた。
 だってスペイン映画なのに日本のサブカルチャーをふんだんに取り入れているらしい、ということだったからさ(どうも実際、カルロス・ベルムト監督はかなり日本のサブカル好きらしい)。

  マジカルガールP.jpg 魔法少女ユキコは悲劇のはじまり。

 12歳のアリシア(ルシア・ポリャン)とその友達の間では日本のアニメ『魔法少女ユキコ』が大人気。 ネットでチャットする際のハンドルネームも全員登場人物の名前にしているほど(勿論、アリシアはユキコ)。 それだけなら普通のことだが、問題はアリシアが白血病であること。 病状は深刻であると聞かされたらしき父ルイス(ルイス・ベルメホ)は、娘の願いをかなえてやろうと日記を盗み見る。 そこには『魔法少女ユキコ』のコスチュームを着て踊りたいと書かれていた。 が、そのコスチュームは限定品で、日本円にして90万円。 とても容易に手が出せる代物ではないが、それをなんとかどうにかしようとルイスが動き始めたことで、事態は他人をも巻き込み、予想もしない方向へ転がり始めていく・・・という話。

  マジカルガール2.jpg ほんとうなら、残された時間を一緒に過ごす方がよかったんだろうけど・・・。

 『魔法少女ユキコ』のオープニングテーマ曲として使われているのが80年代前半ぐらいの日本のポップミュージック。 確かにアニメの主題歌と言われれば納得のアレンジなのだが、多分そのようには使われていない、しかしあたしはなんだかこの歌知ってる!、と冒頭からなんだか盛り上がる(エンドロールでその歌が長山洋子の“春はSA-RA-SA-RA”であると知る。 わー、アイドル時代だ!)。
 おとーさんがコスチュームを調べようと立ち上げる検索エンジンは<Rampo>だし(nじゃなくてmを使うところにも本気度が!)、いざ、という扉には黒蜥蜴が描かれていたり、そしてエンディング曲は美輪明宏のカヴァー!、などなど、ひとつひとつをあげていってもきりがない日本ネタですが、それを並べただけの話ではなく、それはほんとに単なるネタ(知らない人が気づかなくても物語の本質はまったく揺るがない)。
 これぞスペイン映画!、という後味の悪さをお約束します。

  マジカルガール5.jpg そうして出会うファム・ファタル。

 たとえ限定版コスチュームが高価であろうとも、別素材のもっと安いやつ絶対どっかで売ってるって!、とおとーさんに言いたくて仕方がなかったですが、思いつめてしまっている彼はふとしたことから知ったバルバラ(バルバラ・レニー)という女性の秘密をネタに恐喝を始める。 そもそもバルバラがそんな秘密を抱えてしまったのは精神的にあやういところにいるからで、彼女を守ろうとする元教師のダミアン(ホセ・サクリスタン)が陰にいる。
 この4人の関係がまた同じようでいて正反対(そして群像劇というわけでもなく、主役がアリシア → ルイス → バルバラ → ダミアンと交代制なのもこの映画の特徴です)。 ユキコのように正義の魔法を操りたいのがアリシアなら、バルバラは魔法の暗黒面を体現しているかのよう。 父と娘が<健全な関係>と周囲にも受け入れられやすいものならば、バルバラとダミアンの関係はちょっと人に説明しづらい(しかしふたりをつないでいるのは“魔”であるといえるのだが)。 かといってアリシアが純粋無垢な少女です、と言いきれないところに彼女の目指した純粋な魔法があっさり闇に落ちるきっかけになったりするのですが(バルバラの持つ“魔”の、その萌芽をアリシアもまた隠し持っているということで)。

  マジカルガール3.jpg それ故か、彼女の目ヂカラが半端じゃないです。

 落ちていたジグソーパズルのピースが、これはミステリでもありますよと伝えてくるんだけれど、純粋推理のミステリかといえばさにあらず、論理よりも情念が勝ってしまう、まさに後年の<通俗小説>と呼ばれる江戸川乱歩の世界に近いものが。 そこに映画『黒蜥蜴』の要素もまじっているような。
 そういう意味で大変ヘビーな映画ですが、きっと好きな人はとても好き。
 オープニングのマジック(それも<魔法>か)が、ラストシークエンスでまた繰り返されて円環が閉じられる構造は、それまでにどれだけひどい展開があったとしても(そう示唆されているだけで直接描写はないんですけどね)、「あぁ、なんか綺麗にまとまった・・・ような」とどん底に落とされた気分の観客(それはあたし)を救ってくれる。
 それも、また魔法?

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月25日

砂上の法廷/THE WHOLE TRUTH

 キアヌ・リーヴスの新作は法廷モノ!
 しかも監督は『フローズン・リバー』のコートニー・ハント、という明らかにインディペンデント系。 キアヌは自分が出演することでゴーサインが出る企画をずっと選んできているような気がするなぁ(『ジョン・ウィック』だって結果的にヒットしたけど小規模映画だよ)。 自分で制作会社をつくってやることも意義があるけれど、組織にしちゃうと制約が生まれそうだし、キアヌのこのある意味優雅な立ち位置、貴重だと思います。
 あれ、あたしキアヌのこと結構好きなのか? いや、デビューしてからの流れをわりと見てきているからかもしれないなぁ。

  砂上の法廷P.jpg 正義は、こんなにも脆いのか?
      94分間、あなたは騙され続ける。

 有名大物弁護士ブーン(ジム・ベルーシ)が自宅で殺害され、容疑者として息子のマイク(ガブリエル・バッソ)が逮捕された。 マイクの有罪は固い、と誰もが見る中、ブーン一家と顔見知りの弁護士ラムゼイ(キアヌ・リーヴス)がマイクの弁護を引き受ける。 完全黙秘を続けるマイクに「そんなことでは裁判は勝てない」とラムゼイは諭すが、法廷では次から次と現れる証人の口からマイクの有罪を裏付ける証言が飛び出す。 絶体絶命の危機だが、ラムゼイは証言の中に嘘や意図的に隠された“何か”があることを感じていた・・・という話。
 どんでん返しの物語なので、あらすじはこれ以上語ることができません!
 キアヌのナレーションで淡々と事実が語られ、進んでいくところは不思議な味が。
 ラムゼイの朴訥感が出れば出るほど、証人として出てくる人々の胡散臭さが際立つというか。 まぁ、そもそもずーっと黙秘をし続ける高校生のマイクがどう見ても(いろんな意味で)あやしいのですが。

  砂上の法廷5.jpg あまりに地味風で、すぐに気付かず。
    そういう意味ではキアヌもちょっと老けた感じ出てるんですけどね。

 さすが低予算、あまり知っている人、いないなぁ、と思っていたら実はマイクの母ロレッタの役がレニー・ゼルウィガーだったりと、最初に気づかなくてすみませんでした、という感じに(それだけ役に入り込んでいたということでしょう)。
 基本法廷劇で、証言として説明される部分が回想シーンとして表現されるパターン。

  砂上の法廷4.jpg 被害者の実像(?)が次第に明らかに。

 それでは人によって見方が変われば回想場面の意味の変わってくるよね・・・それを掘り起こしていくのがラムゼイの仕事なわけですが、決して感情を表に出さない・常に冷静を心がける彼の語りはだいたい一本調子。
 だからなのか、それとも『SAW』以降定着した<映像早回しでのどんでん返しのからくり解説>を真似したくなかったのか、「衝撃の事実」が語られるのもまたラムゼイの口からなのであり、映像として表現されるのはそこから時間が少し離れている。 だから言葉が脳にしみこむまで一瞬時間がかかり「えっ!」という驚きにタイムラグが生じたような・・・そしたらもうエンディングだし。 スパッと鉈で切り落としたみたいな幕切れって憧れますけど(自分が話が長いやつなので)、あまりにバシッとやられると余韻が・・・うーむ、これって小説のほうが面白かったかもしれなかったタイプの脚本だった?
 一周まわって新しいといえば新しいけど・・・ちょっと地味?、かな〜。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月24日

服従/ミシェル・ウエルベック

 本作は<2022年、フランスにイスラーム政権誕生>、という設定でして、「来たるべき近未来の予言書!」という感じの宣伝文句で、ちょうど日本語版が刊行された当時(当日だったか?)“シャルリー・エブド事件”が起こったということもあり(その後もフランスではイスラム過激派によるテロも起こっていますが)、文芸書としては大変タイムリーに売れた、という記憶が。 本屋さんでも平台に積まれていたもんなぁ。
 しかし単行本はできるだけ買わない派のあたし、図書館に予約を入れて地道に待っておりましたならばやっとやってきました。 しかし次の方も待っているので、早々に読み終える方向で。

  ウェルベック服従.jpg 画像ではわかりにくいですが、タイトルの<服従>という文字の上にシルバーのドットが均等に重ねられています(一瞬、点字かと思ったが違った)。 タイトルフォントさえも“服従”させられているということ?
 そして翻訳者の名前より解説者の名前が大きく出されちゃうってどうよ。

 パリ第三大学で教員をし、ユイスマンスを研究テーマにしている“ぼく”・フランソワは日々を怠惰に送っている。 社会的接点は最小限に、しかし若くて美人の女性とお付き合いはしたいがそのことに情熱を傾けることもできず、漠然と「自分は何のために生きているのか」という虚無も抱えつつ、かといって自殺する勇気もない彼は当然政治などにも関心がなく、2022年の大統領選挙の結果を踏まえ、変わっていくフランス社会を前になす術なく佇み、そして流されていく、そんな話。
 ウエルベック、あたしは全部の作品を読んでいないのですが(その昔に『素粒子』、最近のウエルベック文庫復刊ブームのおかげでちまちまと)、あたしの中ではSFと純文学の境目をうろうろしている、というイメージが。
 だからこれも、「予言の書」というよりは「ウエルベックの悪ふざけ」という感じがしないでもない。 語り手“ぼく”の薄っぺらさときたら読んでて怒りを覚えるほどで、「あぁ、軽薄でのんきな、しかし自分に魅力があると思っているインテリほど役に立たないものはない」としみじみ感じさせてくれる(勿論、ウエルベックは意図して主人公をそう設定したのだろうけど。 自分の欲望のためにはなんでも自覚なしに売り飛ばす男として)。
 なのでキャッチコピー的に期待されていることはほぼまったく書かれていない、と思ってもらって間違いない。 発売当時の熱狂ぶりも、思えば潮が引くようになくなっていったなぁ、と思い返せばそれも納得。 大真面目にフランスとイスラム原理主義について述べている解説が的外れというか、すごく温度差を感じてしまうほどだし。
 結局、インテリを名乗っていても男ってダメなやつなんです、楽な方に流されていきます、という自白の書、という感じか。
 だから彼の自信を更に喪失させるようなパワフルで魅力的な女性は出てこない(存在はするのだろうが、描写がない)。 イスラムはそのための装置だったのではないか?
 とはいえ文は平易であり、翻訳小説特有の読みにくさはない。 なるほど、ウエルベックがフランス・ヨーロッパで人気ならば、村上春樹が人気があるのもわかるわ、と納得した。

ラベル:海外文学
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2016年04月23日

リリーのすべて/THE DANISH GIRL

 これはなんだか、紹介された時から「なんか観なければいけない映画だという気がする!」という感じがしていた。
 1926年、デンマークにて。 風景画家として確固たる地位を築いているアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、同じく画家のゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)と結婚生活を平穏に過ごしてきたが、実は心の中では女性に憧れている自分に気づいていた。 ある日、ゲルダのモデルが遅刻するので代役を頼まれ、女性の服が着たい!、という強い気持ちにとらわれ始める。 アイナーの女装姿は<リリー>と名付けられ、本格的にゲルダの絵のモデルとなる。 はじめはアトリエの中だけで存在していた<リリー>はアイナーのいとことして外出し、社会生活を送るようになり、リリーの比率がどんどん増えていく。 最初は面白がっていたゲルダだったが、次第に困惑の色が深くなり・・・という話。

  リリーのすべてP.jpg あなたの愛で、本当の自分になれた。
     夫が女性として生きたいと願った時、妻はすべてを受け入れた。

 もう、ある時点からエディ・レッドメインが女性にしか見えない!
 なんだかわからないのだが「きゃーっ!」(うれしい悲鳴、的な?)と言いたくなってしまうほどである。 彼の演技力もあるだろうけど、それをあっさり受け入れられるのは歌舞伎や宝塚といった「個人の性的指向に関係なく男女が互いを演じることが比較的当たり前」の文化を持つ日本人だからだろうか(イギリスだって昔は女性は舞台に立てず、男性が女性を演じていた時代もあったけど、それはある時期だけのことだし)。
 だからひとつひとつの仕草に「おーっ」となってしまう。 そこに組み込まれた「文化的な女性らしさ」がいかに自然であるか見えるようにどれだけ計算されているのだろう、という逆説。 もしくはほんとにナチュラルにやってしまっているのか見極めたい、みたいな。

  リリーのすべて4.jpg 華奢な体型づくりをしてはいても、骨格は男性なんだが・・・雰囲気がね、もう女性です。

 というわけで完全にリリー目線でこの映画を観てしまいました。
 遅刻したモデルの代役としてバレリーナの衣装を羽織ったことが彼の自覚の始まりではなく、もとからそうだったことがかなり早い段階で明かされている。 それでもまわりから疑惑を持たれず(まぁ、時代的にそういうことはなかったのかもしれないけれど)、自分でも心折れずに<男>として振る舞ってこれたことはアイナーの意志の強さ以外の何者でもなかっただろうし、だからこそ<リリー>という救いの神が現れて・与えられてしまった以上、そこから離れることはできないのだろうと感じるし。
 “初めて性別不適合手術を受けたリリーと、それを支え続けた妻の愛の感動物語”、という風に宣伝されていたけれども、それも完全に的外れではないんだけど、なんだろう、この感じ。 多分リリー目線じゃなかったら、ゲルダはある意味「かわいそうな人」なのである(男だと思って結婚した相手が女で、彼女が愛した男性部分を夫自身は棄てたいと思っているのだから)。 でもあたしはどうもゲルダにバイセクシャルな要素があることを感じてしまい、「かわいそう」とか「ひどい目にあってしまった」と思えなくて、むしろ、だからこそ「身体は男・心は女」という人を(カミングアウトしていなかった時期だったとはいえ)、愛することができたんじゃないだろうか(勿論その時代故、彼女は自分のセクシャリティを疑うことなどなかったと思われるし、自分にそういう部分があるかなんて考えもしなかったことだろう。 あ、映画でははっきりそのような描写があるわけではなく、あたしが勝手にそんな風に受け取っただけです)。

  リリーのすべて5.jpg 支え合うときも、傷つけあうときも二人。
 だから夫婦ではなくなってもその気持ちは友情には転化せず、愛情のままだったのではないだろうか。
 アイナーは画家としてある程度の地位を確立していたけれど、ゲルダはまだそうではなく、リリーを描くことで「一皮剥けた」と評価されることになる。 そこもまた、<アイナー/リリー>の本質を見抜いていたからこそそういう絵になったのではないか(ただの人物画・肖像画ではない、プラスアルファが加わったなにか)。 リリーを描きたいというのは画家としての性もあっただろうけれど、自分がそれにひきつけられる媒体だったということなんじゃないかと。
 だから、たまたま夫婦という形をとることにはなったけれど、この二人にはやはり特別な絆があったということで、それを人は“運命”と呼ぶのではないだろうか。

  リリーのすべて3.jpg でも、ゲルダのように受け入れられる女性は結構多いかもしれないけれど、逆の場合、受け入れてくれる男性はそんなに多くなさそうな気がする・・・。

 初めての性転換手術、というセンセーショナルな題材を扱うことになってはいるけれど、描かれているのは<運命的な出会いをした二人>という由緒正しき、それ故に一般人にはなかなか体験できない波乱万丈なラヴストーリーだった、と思う。
 そしてちょっとうっかり泣いてしまったんだけれども・・・確かに、心と身体が一致しないという状態に悩む、というのは想像を絶する苦しさだと思う。 けれど、「自分は女である」とはっきりと自覚してからの彼女は、とても幸せだったように見えた。
 そのよろこびはとてもはっきりしたもので、あたしのような中途半端さ(自分は女だという自覚はあるけれど、女であるということは呪いのようなものだとも思っていて、だからといって男になりたいわけでもなく、でも進んでスカートははきたくないんだけど、レディースデイを利用することに良心の呵責も感じない、など)を抱えた者にとっては眩し過ぎました。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月22日

組織って・・・

 今の仕事場で春の人事異動が発表された。
 そりゃーもー、空前のスケール(?)で、人事部の方も「こんなに大勢の異動はこれまで見たことがありません」とおっしゃるくらい。
 これにはあたしも動揺した。 これは、今後に控えるあたしの転勤話にも大いに影響があるではないか!
 確かに、組織においては異動はつきものである。
 ハナニアラシノタトエモアルサ サヨナラダケガジンセイダ、ではある。
 そして人は来て、去る。 あたしは以前、来た人だったのだから、見送る立場になるのもまた事のならい。 次はあたしが“去る人”になるかもしれないのだから。
 だがそれがいつのことなのか、そしてどこへ“去る”のか、それが問題だ。
 あぁ、どうしよう・・・。
 また考えないといけないなぁ・・・。

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2016年04月21日

あの日あの時/小田和正

 タワレコからのダイレクトEメールで、小田さんのベストアルバム発売直前なことを思い出し、「あ、予約してなかった! もう遅いか」とジタバタ(しかもネット予約ならばポイント12倍だった)。
 仕方ない、仕事帰りにタワレコ店舗に寄って買おう、初回限定版(がどういうものかはよくわからない)が一切ないこともないでしょう。
 と思っていたら、発売日前日に、タワレコから箱が届いていました・・・。

  あの日あの時.jpg 初回限定版:デジパック仕様/ギターピック封入
      初回プレス終了分から通常版に切り替わるらしい。

 注文書を見たら、一ヶ月以上前に自分で予約してました!(しかもポイント10倍のときに)
 ただ、それを自分で覚えていなかった・・・怒濤の2月・3月だったことがこういうところにも現れているのか・・・。
 アルバムは3枚組。 1枚目はオフコース時代、2・3枚目はソロ時代。 オフコースの後期とか、ソロ時代のアルバムはほぼ持っている身としてはベスト盤は非常に困るのですが(だからいちばん売れたであろう『自己ベスト』『自己ベスト2』は持っていない)、今回は2曲新曲入りということで買うことにしてました。
 まぁ、でも予約してたこと忘れるくらいなんで詳細は調べてなかったのですが、実際聴いてみたら「新録ですか?」というくらい音が鮮明で。 “Yes−No”なんて懐かしのライヴヴァージョン。 でもなんだか『クリスマスの約束』の感じが頭に浮かぶ・・・。
 でも小田さんの声はやっぱりいいですねぇ。 癒されますなぁ。
 一回通して聴いて満足し、二回目には「はっ、あの曲も、あの曲も入っていない!」と愕然とするのも、オールタイムベスト盤のお約束といったところでしょうか。

ラベル:邦楽
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2016年04月20日

今日は3冊。

 最近は「発売日に本を買う」ということもできなくなっている・・・。
 いや、神戸に来るまでそれは当たり前のことだったのだが(田舎では本の発売日が2・3日遅れるのは普通のこと、雑誌ですらも1日遅れ)、こっちに来てからはそのヨロコビに盛り上がってしまいましてね・・・。
 でも、当日に買えたとしてもすぐに読めるとは限らないわけで。
 なので、最近はちょっと落ち着き気味です。

  メッセージ文庫.jpg メッセージ/萩尾望都
 シリーズ<ここではない☆どこか>連作、文庫版2冊目。 コミックス3冊分が文庫では2冊になるのね・・・でもこの区切り方によって伝わるものが変わる不思議さがあるなぁ。

  数寄です!文庫1.jpg 数寄です! 壱/山下和美
 これもワイドコミックス版、持ってるんだけど・・・書き下ろしマンガ収録ってあるからさぁ(実際、数ページだったのだが)。
 そういう商法、ずるい。

  謎めいた肌.jpg 謎めいた肌/スコット・ハイム
 これは前に見かけたとき悩んで・・・そのときは止めたのだけれど、やはりどうしても気になって。 だって、あらすじが『残酷な神が支配する』の一部に似ているのだ!
 そして家に帰ってぱらぱらめくったら章前のページにイラストが。 え、珍しい、と思ったら、BL界では有名な方の絵らしい! そっち方面にもアピールしたかったのか・・・逆に絶句。
 でももし表紙がそっち方向だったらあたしはこの本を手に取っていなかったかもしれない。
 うーむ、販促は難しい。

ラベル:新刊 マンガ
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2016年04月19日

偉大なるマルグリット/MARGUERITE

 予告を観て、「あぁ、なんだか痛々しい話だろうか・・・」という予感はしたものの、主役は『大統領の料理人』のあの方。 本国で高く評価されたという熱演は観たい。 悩んでいたところへの決め手は、チラシの裏に書かれていたコピー、<音楽への壮大で残酷な片想い>。 片思いならあたしに任せろ! いや、音楽だけでなく芸術全般に、あたしも片想いをしているようなものだ、としみじみ実感してしまったので。

  偉大なるマルグリットP.jpeg マダムの歌声には、本人だけが知らない<秘密>があった。

 1920年、フランス。 パリから少し離れた邸宅で開催される恒例のサロン音楽会を主催するのはマルグリット・デュモン伯爵夫人(カトリーヌ・フロ)。 メインイベントとして最後に披露される彼女の歌は誰しもを凍りつかせる壮絶な音痴ぶり。 だが貴重なパトロンであるマダムに面と向かって事実を告げる者はいない。 初めてマダムの歌を耳にした新聞記者ボーモン(シルヴァン・デュエード)も彼女の歌声に失笑を禁じえなかったが、自らの野心のために彼女を絶賛した記事を書く。 かくして本人だけが「自分は才能ある歌い手」と勘違いしてしまったマルグリットの身に起こる喜悲劇が展開されていく・・・という話。

  偉大なるマルグリット2.jpg 勿論、マダムは毎日練習も忘れない。
 破壊力を伴わないジャイアンのリサイタルってこんな感じかしら・・・と思ってしまうほど、マダムの音痴っぷりがすごい! 逆に、どうしたらそう歌える?!、と訊きたくなってしまうほどです(でも、わざとやってもこうはならないだろうというギリギリのラインが絶妙)。
 けれどマダムは新進女性歌手の実力は認めるし、落ちぶれていても実力ある歌い手はわかる。 いいものはいいとわかる力を持っている人なのだから、自分の音痴にまったく気づいていない、ということはない気がする・・・。 うっすらとわかっていてもはっきり気づきたくない、という自己防衛本能か。 いや、もしかしたらほんとうは音痴の振りをしているのでは? お金持ちの無邪気なマダムに見せつつも、なにかを心の底に秘めていると感じさせる“弱さ”を、ちょっとした仕草で表現してしまうカトリーヌ・フロは<自分の意志を持った強い人>だった『大統領の料理人』とはまったくの別人で、さすがです。

  偉大なるマルグリット3.jpg ボーモン他、ひどい人たち。
 が、ともかくも、そんなマダムの真意を曇らせるのは、財力や権力に群がり、媚びへつらう人々の群れ。 「王様はハダカだ!」とはっきり指摘する勇気もなく、物陰でこっそり笑って溜飲を下げている醜さ。 むしろ飛びぬけた下手さ加減こそが今の時代のアヴァンギャルドだ!、と面白がる人たち。 勿論、その繰り返しで芸術が発展してきたのはわかっているのだが・・・それは<美術史>として見たときで、個人に還元されるとなるとまた話は別だから。 まして歴史に残るのは成功した人たちだし。
 笑われれば笑われるほど、マダムの真摯さが胸を打つ。 それともこれは、世界の芸術を牽引してきたフランスによる自己批判?

  偉大なるマルグリット1.jpg リサイタルを前に、高名なテノール歌手ベッジーニから歌唱指導を受けるマダム。 ベッジーニはマダムの抱える問題を一目で見抜き一刀両断(でもやはり本人には言わない)。

 しかし夫であるデュモン伯爵(アンドレ・マルコン)は何故妻のマルグリットがそんなに歌いたがるのか理解できず、マルグリットに忠実な執事(ドニ・ムプンガ)は彼女の妄想(?)を守るために働く。 その対比も片想いのようでもあり、執事のフェティッシュさでもあるとも思えるのだが・・・どの立場から見るか、でこの映画は姿を変えるような気がする。

  偉大なるマルグリット4.jpg どんなに不実な夫であろうともマダムは彼を愛していて、それ故に不平のひとつも言えないなんて・・・悲しすぎるわ。

 最初のきっかけは確かにマダムの欲求不満だったのかもしれない。 現実を直視したくないという逃げから始まったのかもしれないけれど、そのあまりにまっすぐで純粋な強い思いが周囲に影響を与え、彼女を知れば知るほど、彼女を傷つけずに守ってあげたい、助けてあげたいと思ってしまう。 「そこまでいってしまうことがすごい!」という憧れがそうさせるのでしょうか。 だから“一瞬の奇跡”を目の当たりにできたのでしょうか。
 <片想い>をしている最中はつらさと楽さが同居していて、むしろトータルで見たら楽であるほうが多いかもしれない。 でもそれに終止符を打とうと思ったら・・・ラストシーンが示唆しているのはそれだろうか。 観客の個人的体験の違いによって受け取り方が異なるであろう衝撃のラスト、予告編からはこんなにも後味が強烈な作品だとは思いもしなかった。
 あぁ、やはりフランス映画は油断できない。 文化の違いをまざまざと感じさせられるよ。

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月18日

Mr.ホームズ 名探偵最後の事件/MR. HOLMES

 シャーロック・ホームズ物は原典が偉大すぎて(というか、あまりにも子供の頃から読み親しみすぎてて)、小説としてのパスティーシュ物(作者はコナン・ドイルではなく、ホームズ物の設定をそのまま借りた新しいホームズの物語)を読んだことがない。
 むしろ、手に取る気も起こらないのは改めて感じると不思議。
 でも映像作品ならなんか別。 どうせ違うものだし(グラナダTVの『シャーロック・ホームズ』連作は原作に最大限に近い世界を構築したとは思っているし大好きですが。 ホームズ役はジェレミー・ブレッドで!)、だからBBCの『Sherlock』もミーハー心で楽しめる。
 で、今回は93歳、老境にいるホームズが主役! エセックスの田舎に引越し養蜂をしているというのは原典(正典?)に載っている設定通りだし、しかもホームズをイアン・マッケランがやるというのだから、これは観ないわけには!
 のちに、原作小説が存在することを知って・・・映画オリジナルじゃなかったんだ・・・とショックを受けたけど。

  ミスターホームズP1.jpg 私には、やり残したことがある。

 シャーロック・ホームズ(イアン・マッケラン)も93歳、今は海辺の家で養蜂をしながら、家政婦のマンロー夫人(ローラ・リニー)とその10歳の息子ロジャー(マイロ・パーカー)と少々口やかましくも静かな日々を過ごしていた。 だが、ホームズは日々減退していく自分の記憶と戦い、自分が探偵として現役を引退せざるを得なくなった30年前の未解決事件についても考えていた。 ローヤルゼリーに次ぐ滋養食材として山椒を探し求めた日本への旅行でヒントを得たホームズは、利発なロジャーを助手として最後の事件を解決しようとする・・・という話。
 物語は純文学テイストで進むのだけれど、ところどころ過去のホームズ映画等に対するオマージュが見えてニヤリとする場面も。 あたしがいちばん受けたのが、<ワトソンが書いた小説としてのシャーロック・ホームズ譚>(世間の人々はそれがすべて事実だと思っている)が映像化された作品でホームズを演じていたのがニコラス・ロウだったこと!
 『ヤング・シャーロック』の主役だった人だよ!
 しかし『ホビット』でいくらガンダルフが老け込んだとはいえ、イアン・マッケランご本人は93歳ではないはず(確か彼は70代後半?)。 より老いた彼を観るのかぁ、なんかなぁ、と複雑な心境。 ポスタービジュアルはそんなに老けてはいないから余計に。

  ミスターホームズ3.jpg こっちの予想以上にヨボヨボとされていたので、びっくり! というかショック大きい!
 でも戦争で父親を亡くしたロジャー少年との交流は、ホームズから父性(祖父性?)を引き出しているようでもあり、かつてのワトソンとの関係の再構築のようでもあって微笑ましい。
 映画館のパネル展示を見て驚いたのだが、真田広之が出てるじゃん!、というのにもびっくりで(そういえばライヘンバッハの滝以降、行方不明になったホームズはその間に一時期日本を訪れたことがあるという記述があったような)。 アンソニー・ホプキンスに続きイアン・マッケランと共演なんてすごいな!

  ミスターホームズ2.jpg ホームズに日本を案内する外交官タミキ・ウメザキとして登場(勿論彼には彼の目論見があり、地元に戻ってからのホームズを悩ませることに)。 外国語の台詞でもこんなに芝居のうまさが伝わってくるんだからすごいよ! 勿論、台詞以外の動作などから伝わるものもあるんだけど。

 そしてローラ・リニーまで出てる! この子役の男の子、どこかで見たことある! なんでこう好きな人ばかり出るの、評価が甘くなるじゃないの・・・(そもそも監督のビル・コンドンと主演イアン・マッケランはあの名作『ゴッドandモンスター』をつくり上げたコンビである)。
 そんなわけで映画内の時間軸は現在と30年前の二つ(かっこいいほうが30年前)。
 現在パートもエセックスでの出来事と、その少し前の日本滞在時とにパートは分かれる。

  ミスターホームズ4.jpg ロジャーがまた賢くてかわいい! さすがホームズが助手に見込むだけある。
 マンロー夫人はハドソン夫人以上におせっかいというか世話好きというか・・・ローラ・リニーがすっかり“田舎のおばちゃん”となっていることにもびっくり。

 人は生き続けていく限り老いる。 勿論老いを楽しむこともできるが、ある程度を過ぎると<衰え>から目をそらすことができなくなる。 現代の科学・医学においても変わらず、いわんやシャーロック・ホームズにおいてもをや、である。
 いや、天才的頭脳の持ち主であればあるほど、自らの衰えを認められないし許せないのであろう。 老けメイクの奥で輝く眼に、ホームズの怒りと苛立ちが見える。 衰えを受け入れることはあきらめることではないのだが・・・と、一応彼に比べればまだ若い(とはいえ衰えは感じ始めているけど)あたしがそんな風に思ってしまうのは不遜であろうか。
 老けメイクだけではなく、全身の動きすべてに<老い>を表現しつくイアン・マッケランの鬼気迫る姿には、否応なく死が迫る事実を前に懸命に頭脳を守ったまま対抗したいという執着を感じさせて、凡人であるあたしには及びもつかない葛藤があることを示してくれる。

  ミスターホームズ1.jpg だってこの頃の記憶の方が鮮明だったりするんだもんね。

 けれど、事件の真相が彼にもらたしたものは知的好奇心を満足させることだけではなく、また別の真実(人は一人では生きられないとか、誰かのためになれることが大切だとか、ワトソンさんならば当たり前だと言うだろうけどかつての若きホームズならば鼻で笑ってしまいそうなベタなこと)だった。
 そしてそれが、彼の心の平穏に少しでも役に立ってくれれば。
 ラストシーンに広がる美しい風景が、それを表してくれるものであるならば、あたしもうれしい。 ホームズの晩年は幸福なものであったと思っていたいからね!

ラベル:映画館 外国映画
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2016年04月17日

マネー・ショート 華麗なる大逆転/THE BIG SHORT

 金融専門用語はさっぱりだが(そもそも投資や資産運用という言葉に個人的にまったく興味がない)、サブプライムローンのひどい仕組みとかニュースレベルの一般常識的なことはなんとなくわかっているような気がする(といってもそれを学んだのは映画だったりドキュメンタリーからだったりするのだが)。 『マネーボール』はドラフトの仕組みがいまいちわからないままでも十分楽しめたし、これだって大丈夫なんじゃないか!?
 結果的に、大丈夫でした。 映画の中でも手を変え品を変え説明してくれるし。

  マネーショートP2.jpeg ウォール街 VS アウトロー これがリーマンショックの真実だ。
    世界経済の破綻を予測した4人のアウトローがいた

 2005年のアメリカ。 かつて医師だった経歴を持つ天才的金融トレーダーのマイケル(クリスチャン・ベイル)は、好景気に沸くアメリカの住宅事情に疑問を抱き、サブプライムローンの危機が近いことを察知する。 が、マイケルの指摘を真剣に取り合うものはおらず、マイケルは「CDS:クレジット・デフォルト・スワップ」という金融取引で利益を出すことを考えるが、銀行側は目の前の利益しか目に入らず、彼の提案をいくらでも飲むことに。
 だが、ドイツ銀行のジャレド(ライアン・ゴズリング)はマイケルの提案書を読み、そこに一抹の真実を見る。 自分の銀行の将来を考え、大手証券会社傘下にあるヘッジファンドマネージャーのマーク(スティーヴ・カレル)とそのチームに話を持ちかけ、CDSを仕掛けることに。 また、若き投資家の卵二人が儲けを元手にウォール街の大きな取引に参入しようと大手証券会社を訪れるが、資格が足りないため直接取引できないことが分かる。 肩を落として帰ろうとしたときにマイケルのレポートを見つけ、これはいけると直感する。 しかし自分たちでは動けない彼らはかつて知り合ったことのある伝説の元銀行家ベン(ブラッド・ピット)に助けを求めて・・・。

  マネーショート1.jpg マイケルは仕事場でもTシャツ・短パン・ビーサン。 しかもヘヴィメタ大好き。 前髪パッツン風にして、かわいらしい風貌になったクリスチャン・ベイル。

 なんとなく勝手に、アウトローな方たちが力を合わせて悪徳銀行・証券会社らをどうにかやり込めようとする話かな、とイメージしていたのだが・・・実話がベースなのだしそんなに単純な話では決してなかったのであった。
 そもそもメインの4人が一堂に会すことなどないのだし。

  マネーショート2.jpg ライアン・ゴズリングは何故かパンチパーマ?
     スティーブ・カレルはいつも怒っている(世の中の理不尽さに対して怒りを抱いている)役で、メインキャストのみなさん、普段のキャラとはちょっと変えてきているところが面白かった。

 最初に「サブプライムローンは破綻する」と気づいたマイケルが、ずっと一人で最後まで苦しみ続けることになる、というのがたまらなくやりきれなかった。 本来ならばいちばんの功労者のはずなのに、いちばんひどい目にあうってどういうこと!、という現実の理不尽さがしみじみと。 そして彼らが「勝つ」ということは、つまり多くの金融機関が破綻し、それ以上に多くの人々が家を失う事態に陥るということで・・・<華麗なる大逆転>というサブタイトルは名作『大逆転』(ダン・エイクロイド&エディー・マーフィーの)へのオマージュかもしれないけど、実態は全然“華麗”じゃないんですよ・・・。
 もう、善悪や貧富の二元論で片付く事態じゃ世の中はない。
 ただひたすらに、複雑さを増すばかり。

  マネーショート3.jpg ブラッド・ピットが出番少ないくせにめちゃめちゃおいしい役で・・・『それでも夜は明ける』のときもそうだったけど、「自分とこの制作会社がカネを出すんだからこの役もらっていいでしょ」的な感じがしてちょっとイヤ(というかズルい)・・・。 『バードマン』はジョージ・クルーニーがプロデューサーでもあったけど、彼は出てこなかったじゃない!

 <実態のない金儲け>というものにどうしても胡散くさいイメージを拭えないあたしですが、トレーダーと呼ばれる人たちの中にも良心的だったり倫理観があったりする人もちゃんといる、とわかったことはうれしかった(どんな職種においてもそういう人は一定数いるのだろうけど)。
 理系といっても自然科学中心にやってきたあたしとしては、やはり経済やマーケット(市場)というものがよくわからない。 どれだけ数値が飛び交おうとも、人間の欲望は決して数値化できない、ということだけはわかったかもしれない。
 あぁ、資本主義のおそろしさはこういうところに出てくるのだよなぁ・・・しかしそれに変わる仕組みがいまのところない以上、この世界で生きていくしかないのだが。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする