2016年03月31日

キャロル/CAROL

 期待のしすぎはよくないことはわかっていたが、このスタッフ・キャストで期待せずにはいられようか。 だができるだけ平静を保ち、あえて原作を読まないで観た。
 読んでしまったら、多分まっさらに映画には向き合えないと思ったから。
 結果、とてもゴージャスな世界でありました。
 同じ監督の『エデンよりも彼方に』はあまりに色が人工的な総天然色すぎて目が疲れてしまうほどだった(ジュリアン・ムーアの完璧な美しさもあいまってどうしても作り物めいた印象を受けてしまった)けれど、同じ50年代を舞台にしたこちらは、ほどよく粗い画像を効果的に使いつつ、ノスタルジーとリアル感をミックス。 主演の二人の美しさをナチュラルに最大限に引き出し、ため息の出るような世界を構築していた。

  キャロルP.jpg あなたが私を変えた。

 1952年、ニューヨーク。 テレーズ(ルーニー・マーラ)はデパートのおもちゃ売り場でアルバイトをしているが、自分が何をしたいのかわからず、ただ日々を流されるように過ごしていた。 折しもクリスマス商戦真っただ中、混雑する店内で彼女は優雅で美しい女性と目が合って、今までに感じたことのない“なにか”を覚える。 娘へのプレゼントを探しにきたその女性キャロル(ケイト・ブランシェット)はテレーズのところにやってきて、探しているおもちゃを尋ねるが、あいにく品切れ。 テレーズの薦める商品を購入し、配達を依頼して去っていくが、ガラスケースには彼女の手袋が残されていた・・・。

  キャロル1.jpg 一目惚れってこういうことよね!、を見事に視覚化した場面。 ゴージャスさではキャロルにはかなわないけれど、テレーズの赤い帽子もかわいい。

 住所がわかっていたため、忘れものの手袋を自分の名前でクリスマスカードとともに郵送したテレーズ。 キャロルはお礼の電話をかけてきて、「お昼を一緒にどう?」と誘う。 それをきっかけに二人は頻繁に会うようになって・・・という、<恋の駆け引き>と呼ぶにはあまりにまっすぐすぎる行動になんだか胸がキュンとなります。 実際、テレーズは“恋”という自覚があるのかないのかわからないままキャロルに傾倒していってしまう急激な勢いをルーニー・マーラは非常に繊細に表現。 感情を抑制している方が美徳であるという時代のせいもあるでしょうが、激しい思いを押し隠しつつも隠しきれないというまっすぐなあやうさがとても美しい。

  キャロル3.jpg もともと機械的なものに興味はあったけど、本格的にカメラを始めるテレーズ。 それもまずはキャロルの姿を収めたかったから。

 テレーズの私服は若干やぼったいところもあるのだが、ルーニー・マーラが着たらそれすらもかわいいんですけど! あのジャケット、あたしが着たらただダサいだけだろうなぁ、と思わせるのは、やはりテレーズを演じるルーニー・マーラが美しいからです(外見的な美しさだけではなく、キャロルと出会ってから変わっていく自分が放つ内からの輝きというようなもの)。 あたしはテレーズがこの物語の主役だと思うなぁ(アカデミー賞では助演扱いになっちゃってましたが)。
 一方のキャロルはといえば、見かけは完璧そうに見えるが完璧ではない。 娘の親権をめぐって夫と離婚協議中、という恋愛相手にとっては最大の障害がある(この場合、女同志であることは障害ではなく、むしろキャロルの夫側にばれることによってキャロルが不利になる要因として描かれているように見えることが素晴らしい。 だって、それは異性相手であっても同じ条件だから)。

  キャロル4.jpg 二人の側に立って見てしまっているので、キャロルの夫が心の狭いちっちゃい男に見えてしまった・・・。

 勿論、ルイーズにも言いよってくる若い男なんかもいるわけですが、女性側の存在感(それはキャロルの幼馴染も含めて)が圧倒的なので、男性陣揃って影が薄い・・・。
 でもそれがこの映画なのだと思う、ひたすらに、テレーズとキャロルの物語。
 同性愛を扱った映画だから感銘を受けたわけではない。
 運命的な出会いをしてしまった人たちが、その“運命”に胡坐をかくことなく苦難に耐え、ときには投げやりになりつつも自分と相手とに誠実に向かい合い、たとえこの恋がうまくいかなかったとしてもこの先を一人で歩いていける、という“覚悟”が描かれていたからだ。
 恋愛は美しく楽しいものばかりではない、という残酷な真実を容赦なく、けれどそれを夢のように描いていたから。

  キャロル2.jpg キャロルのほうが大人であるので、より自制心が求められるが・・・その真意が100%相手に届くとは限らないし、けれど彼女の覚悟もまた多くの犠牲と引き換えである。

 あたしにはいわゆるLGBTとくくられるタイプの友人がいて、多分あたし自身もはっきり「これです!」と自信を持って自分の性的嗜好は言えないという意味ではそのジャンルに入る人なのかもしれず、萩尾マンガその他で育っているから(あ、江戸川乱歩や横溝正史にもそういう部分はあるよなぁ、今思えば)、おかげであまり偏見もなく、フラットに考えることができるからなのかもしれない。
 自分がなくなってしまうくらい相手を好きになってしまったからにはそれが正しく、世間の常識なんて関係ない。 そんな相手に出会えることは、とてつもない苦しさを伴うだろうけれど、けれど本人たちは幸せなのではないだろうか。 それだけの“想い”は誰にでも訪れることではないのだから。
 とても美しいラストシーンに辿り着くための、苦しくて至福の時。 思わずため息がこぼれるほどの。 けれど二人の人生にとってはまだ途中に過ぎなくて、ゴージャスに酔いながらも胸が痛くなる。
 あたしにとってはこれは、激しい感情を抑制しながらも背後には炎が燃えているような、明らかなこれ以上ない<恋愛映画>だった。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする