2016年03月18日

スティーブ・ジョブズ/STEVE JOBS

 アーロン・ソーキンの言葉数の多い脚本を、それこそ説明台詞と感じさせずにすんなり映像作品にできるのはデヴィッド・フィンチャー(『ソーシャル・ネットワーク』)とアーロン・ソーキン本人(『ザ・ニュースルーム』)以外誰がいる?、と思っていたが、チラシにその名を見つけた。 ダニー・ボイルだ!
 実際、スティーブ・ジョブズの映画はこれまでにも作られてきたし、ありきたりの伝記ドラマなら更に作る意味はない。 原作は生前の彼が唯一頼んで書いてもらったものだというし、そこに演劇的手法が加わることで不思議で奇妙な映画になるんじゃないだろうか!
 ジョブズ信者でもなく、アップル製品ひとつも持ってないあたしが興味をひかれたのはそこです。

  ジョブズP.jpg 口先ひとつで、世界を変えた男。
    (ちなみにチラシは四隅が丸くなっており、iPad仕様になってます)

 はじまりは1984年、アップル社の新製品発表会プレゼンを40分前。
 スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)は部下のアンディ(マイケル・スタールバーグ)を叱りつけている。 新しいMacintoshに「ハロー」とあいさつさせたいのだが、うまく喋ってくれないから。 それをなんとかしろというのだが、原因がわからないからどうしようもない、時間がないとアンディは反論し、マーケティング担当者のジョアンナ(ケイト・ウィンスレット)はもう諦めるよう説得を試みるが、スティーブは「ハローと言わせろ」の一点張り。
 そこへ元恋人クリスアンが娘のリサを連れてやってきて、「すぐ養育費を払ってくれないと生活保護を申請するわ」と言い出す・・・。

  ジョブズ4.jpg この時期のマイケル・ファスベンダーは何故かやたらユアン・マクレガー似。 ネクタイつけたら印象変わったけど・・・どうしてそう見えてしまったのだろう?
 実際の舞台裏がこんなだったらすごすぎるなぁ、と思うほど、まさに演劇的。
 他に1988年のNeXT Cube、1998年のiMac発表プレゼンの3つの舞台裏を選び、そこにジョブズの人生を凝縮させていく手法。 だんだん禅にはまったりミニマリストの道を歩む彼も、84年の段階ではネクタイにスーツの人だったんだな、みたいな。 あたしが大学生の時、NeXTを使ってましたけど(当然大学の備品)そういうことだったのか・・・とか、実際に自分が生きてきた時期とかぶる場合はいろいろ思い出します。

  ジョブズ1.jpg ジョブズのプレゼンといえばこんなイメージですが。
 実際のジョブズの“プレゼン”は信者じゃなくても目にする機会はあったし、それを思い出させてくれる作り(知らなくても今はYouTubeで探せるし、だから大胆に省略)。 後半になるにつれ、マイケル・ファスベンダーがスティーブ・ジョブズそのものに見えてくるというか、多分実際のプレゼンの様子を見たら「あれ?」って思ってしまうかもしれないほどに、彼はジョブズそのものだった。
 それ故に、表舞台では穏やかな人柄っぽくカリスマ性を発揮していた印象のある彼が、実はスタッフに怒鳴りつけるなど日常茶飯事だったり、リサを自分の娘と認めるのを最初はすごく嫌がっていたり、クリスアンとおとなげないやりとりをいつまでも続けていたり・・・というあまりにも未成熟な部分とのギャップがすさまじく、だからこそ革新的なモノづくりができる人だったのか、天才だから仕方ないのか、という、またしても<天才>についての映画になっていた。 世界を変える人かもしれないけれど、自分の近くにいたらすごく迷惑、というやつですね。

  ジョブズ5.jpg でも娘への愛はあるのだ(わかっていないのは本人だけ、彼自身の複雑な生い立ちがそれを許さない)。
 それでも、なんとはなしに続いていくリサとの交流における不器用さ加減ときたら、あまりにひどすぎる(最終的に彼女はそれを理解していたようなのが救いではあるが)。
 製品には洗練さや削ぎ落とされた美を求めながら、自分がいちばんそういうのとは縁遠い人間であることに気付いていても直せない苦悩と葛藤。 その点、ジョアンナがいちばん早く悟りを開いていたような・・・。
 ジェフ・ダニエルズはジョブズにアップルを去るよう引導を渡した人物を演じており、「あ、またこの感じ?!」ではあれど、ジョブズにとっては神話の父親的な役割を果たす人物として描かれており、二人の応酬における膨大な台詞量とともに、そのシーンは優れた二人芝居として堪能しました。
 そう、時間軸をすっ飛ばした群像劇の様相を呈しつつも、スティーブ・ジョブズを中心に三次元で回転していくそれぞれの輪が交錯していく瞬間を、中心との距離が近かったり遠かったりするそのときどきを、実は重層的に描いていたのかも。 そこで、わずかながらも成長していく彼の姿を些細なものに込め、決してセンチメンタルにもドラマティックにも流されないように。
 あまりに情報量の多い台詞の山からはわかりにくいけれど、この映画もまた禅やミニマリズムに到達しようとしていたのだ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする