2016年03月09日

その言葉の意味は強すぎる

 ある日の電車の中で、「おじいさん」と呼ばれるであろう年代の方が、自分のリュックに白いプラスティック状のプレートがついたストラップをジッパー金具につけているのが目に入った。 前にも見たことがあるから、同じ人かもしれない、と思った。
 そのプレートには、黒文字で「アベ政治を許さない」と彫り込まれている。
 だから記憶に残っていた。 それをわざわざ自分の持ち物(しかも人から見える場所に)つける、ということは、それがその人の主義主張なんだろうと思うし。
 だけど・・・「許さない」とは、なんて恐ろしい言葉だろう。
 そこには猶予の余地がまったくない、全否定。
 「アベ政治の何が許せないのですか?」という質問すら拒絶される、全否定である。
 安保法案の進め方が気に食わない、とか、この発言はいかがなものか、ならば対話の糸口にもなるけれど、全否定している人には何を言ったものやら・・・と思ってしまいます(とはいえ、あたしは最近しっかりニュースを見ていないんで、仮にそういう人と話す機会があったとしても何も言えないとは思いますが)。
 でも、意見の違う人同士の対話が成立し、その結果よりよい選択をしていくのが民主主義というやつではないのだろうか。 勿論、自分の意見をどのように表明することも自由ですが、他者との会話を拒絶している(同じ意見の人としか話さない)かのように見えてしまうのは、なんかもったいないというか、だから民間・個人レベルであっても政治方面の活動をしている人はちょっとあぶなく見えてしまうのではないだろうか。
 三宮あたりでもたまにデモやってるみたいですが、正直あまり近づきたくないなぁ、って空気を発しているとあたしは感じてしまう。
 あと、「保育園落ちた日本死ね」。
 これ、最初は意味がわからなかった。 あたしの中で「日本=死ぬ」という言葉がまったく結び付かなかったから(というか普段使う言葉としてそういう例がないから)。
 ご本人は「認可保育園に子供を入れたかったが、それができなかったショックと動揺のあまり感情のおもむくままに打ち込んでしまった」的なことを答えておられたようだが・・・いくら動揺していたとしても普段から似たような言葉を遣っていなければそういう言葉は出てこない、と思う。
 あたしはどうも、“言霊”という概念が染みついてしまっているみたいなので、マイナスの意味合いが強すぎる言葉はめったに使わない(意識して使わないようにしているのではなく、無意識のうちに使うことを避けている)。
 だから使うとなったらほんとに意識して使うことになるわけで、相当怒っているか強く憤っているかということでしょう(あたしが怒ると「すごく怖い」と言われるのはそのせいかもしれないなぁ)。
 “保育園落ちた”の人は「こんなに大きな騒ぎになるとは思わなかった」そうだけど、よくも悪くも意味の強すぎる言葉は人を引き付ける。 そして、ときには本来の意味とは違うように利用されてしまう。
 使う言葉には、感情的であればあるときほど、注意を払わねば。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする