2016年03月06日

ディーン、君がいた瞬間(とき)/LIFE

 アメリカにおいて雑誌『LIFE』とはどういう位置づけなのか?
 よくありすぎる原題とともにちょっと悩んでしまいました。 勿論ジェームズ・ディーンはあたしにはリアルタイムのスターではないのでよくわからないのですが(むしろ親世代のスター)、若くして突然亡くなったという伝説を知っている程度。 よくわからないながらも、あたしら世代にとってはリバー・フェニックスだと置き換えれば当時の人々の衝撃は想像がつく(勿論、単純に比較できない・してはいけないことは承知の上でちょっと乱暴に関連付けています)。 たった3本の映画にしか出演していない、世界が彼を知った頃にはもう飛び立ってしまっていたという“伝説”はそう簡単に更新できやしない。
 アントン・コービン監督は前作『誰よりも狙われた男』がとても素晴らしかったので。 しかし彼は映画を撮る前から人物を撮る写真家として活躍していたのですね。 この映画は<ジェームズ・ディーン没後60年記念作品>とありますが、監督にとっては個人的な思い入れもある題材だったのでは。

  ディーンP.jpg 彼の<今>を永遠に――それが僕の使命だった。

 1955年、ハリウッド。 芸術写真家への野望を抱えた若きカメラマンのデニス・ストック(ロバート・パティンソン)は、今日も映画スターのピンナップやレッドカーペットに張り付く仕事に甘んじていた。 ある日、映画監督のニコラス・レイ(ピーター・ルーカス)主催のパーティーで、ジミーと名乗る青年に出会う。 どこかけだるげな彼から、「エリア・カザンの新作に出たんだ。 これから試写があるから観ていかないか」と声をかけられる。
 その新作とは『エデンの東』、ジミーと名乗った彼こそは主演俳優のジェームズ・ディーン(デイン・デハーン)だった。 その演技に大きな衝撃を受けたデニスは、「彼は近い将来絶対スターになる」と確信、彼のプライベート写真を企画してLIFE誌に売り込むことにし、ジミーにもフォトエッセイ企画に同意を求める。 ハリウッドのやり方に辟易していたジミーはまったく乗り気ではなかったが、デニスもまたハリウッド社会に反感を持っていることを知り、少しづつお互いの距離が縮まり始める・・・という話。

   ディーン1.jpg 絵になる二人。 かつての美青年ぶりが過去のものになりつつあるロバート・パティンソンだが、彼はきちんと自分の立ち位置をよくわかって役選びをしているような気がする。

 ジミーとデニスの、もっと強い<魂の交流>が焼き付けられているのかと期待していたのだけれども、予想ほどではなく(意外にも、その過程には退屈ささえ感じさせる)。 でも、実際はそんなものなのかも。 さりげない、思い返すこともない日常の会話。 あとから思い返せば「もっとこうしておけば」と思うとしたら、それはその先に何かがあったから。
 ジミーの帰郷に同行できるなんて、突然の展開ではあったけど驚くほど幸運なこと。
 そこで様々な写真が撮られる。 写真を撮る人を撮る、という二重の構図から、観客はどんな写真が撮られたのか想像できるのがちょっと楽しい(その写真の“本物”はエンドロールで見ることができるので、答え合わせ可)。

  ディーン2.jpg 映画のショットほぼ全部がそのまま写真として通用しそうな出来栄え。
 デニスには監督の分身的役割が振られているのだろうか? 本物のデニスはその後、写真家として成功することになるけれども、この時点では離婚した元妻と息子との関係に悩み、仕事もなかなか思い通りにいかない葛藤を抱え込み、とにかく“普通の人”の持つであろう苦悩を一身に背負ってもがいている感じ。
 その一方で、ジミーのなんともいえない痛々しさが目にしみるよう。 いい芝居をしたいだけなのにスターとして祭り上げられ、自由を奪われることの苦痛。 でもそれもいい役を演じるための代償と割り切ろうと考えながらも、どうしても我慢ができない。 それを我儘と決め付けることは簡単だけれども、純粋さを持ち続けている人物だからこそ虚栄に満ちたハリウッドに耐えられない、という様子が説明的な表現なしで、彼の言動だけで十分見て取れる。 確かにちょっと常識はずれな部分も見受けられるけれど、それよりもジミーが受けたダメージの方がずっと大きいと感じさせられて、彼を責めることなんてできない。

  ディーン3.jpg それもまた、冠する者の孤独なのか。
 マスコミのマナーがかつてと今とどっちがましなのかはわからないけど、それを利用する映画会社のあくどさもあるのでどっちもどっち。 演技の技術や実力ではなく社長に気に入られているかどうかで大作(や、いい映画)に参加できるかどうか決まるなんて、ジミーじゃなくたって腹立たしいよ。
 デイン・デハーンくんは『キル・ユア・ダーリン』でラドクリフくんを追いこんでいたりといった悪役キャラ的なイメージが強かったですが、ナイーブを演じてもちゃんとはまることを実証。 顔はジミー本人にはあえて似せてない作戦のようですが、ぼさぼさ髪にメガネの童顔から、メガネをはずしてリーゼントっぽい髪形にした時の別人のような変容、よかったです!

  ディーン5.jpg こっちの姿はこっちで、すごくかわいいんですけどね。 こんな感じで出た映画もあったらよかったのに。
 フォトエッセイ旅行のあと、ジミーは次の旅にデニスを誘いに来る(それはハリウッド的な縛りから逃げる為でもあったけど)。 けれどデニスは断る。 デニスの断り方ときたら、まるで彼を利用しただけだとのちに思われかねないぐらいそっけない(実際、あたしはそう思ってしまった)。 仕事は終わったからもう付き合う必要はない、まるでそんな風だった。 けれどジミーは一緒にすごした“あの時間”が真実の友情だと感じたから、またデニスを誘いに来たのだろうに・・・。 そこからの一連のシークエンスはジミーの純粋さがいっそう際立ったシーンだった。 どちらにせよ、彼はきっとこの世界では長生きできなかったんだろうな、ということを確信させられる場面でもあった。
 エンディングで、彼の自動車事故はそれから数カ月後のことであるというテロップが出て、驚愕する。 そんなにも彼に残された時間は短かったのか!
 彼の映画(特に『理由なき反抗』)を、観たくなってしまった。
 多分この映画の目的は、ジミーを知らない世代にジミーの作品を観てもらいたい、ということだと思うので、それは十分に果たしていると思う。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする